薬屋のおやじのボヤキ

公的健康情報にはあまりにも嘘が多くて、それがためにストレスを抱え、ボヤキながら真の健康情報をつかみ取り、発信しています。

今月の笑い話ベスト5<チャイナ版>(6月)

2012年06月30日 | 笑い話&回文物語

<笑話:874>みんな聞いたことがある、団結力が大事というお話

息子を十人持った富豪がいました。

息子らは毎日喧嘩ばかりして団結していませんでした。

富豪は死ぬ前に息子らを教育しようと、ひとつかみのお箸を取り出しました。

先に1本を取り出し、息子に折らせました。息子はそれを折りました。

富豪は今度は十本取り出し、息子に折らせました。
すると、息子は指の力を繰り出して、また折ってしまいました。

富豪はさらに20本の箸を取り出しました。
しかし、息子は金剛力を発揮して、またしてもこれを折ってしまいました。

富豪は落ち込んで言いました:

「もういい。オレは先に死んでしまう」

 

<笑話:871>精神病院にて

精神病院の病人が新任の医者に向かって言いました:

「先生、われわれは皆喜んでいます。
以前の先生に比べて、ずっといい先生だと思っています」

医者:「ありがとう。で、どうして?」

病人:「あなたの様子は、われわれとそんなに違わないからです」

 

<笑話:875>大きくなってあなたに似たら終わりだわ

街をブラブラしていたら、可愛い子どもが目にとまりました。

私は夫を見て、溜息まじりに言いました:

「生まれた子どもが大きくなって、あなたに似たら終わりだわ!」

夫は一瞬ポカンとしましたが、怒りに満ちた目で私を見て言いました:

「大きくなってオレに似なかったら、お前は終わりだ!」

 

<笑話:867>最近タバコを止めた

皆で雑談していたら、最近タバコを止めたんだ、とある男が言いました:
「諸君、オレはタバコを止めたんだ。家にはまだ吸っていないタバコがある。誰か持っていかないか?」

別の男が言いました:
「オレは酒を止めた。良い酒がまだ何本か家にあるんだ。誰か要らないか?」

すると、ある男が興奮して言いました:
「誰か女遊びをやめたのいないの?」

 

<笑話:877>味覚の回復状況

ある日、ある病人が検査のため病院に来ました。

お医者さんが言いました:
「あなたの回復速度は驚異的だ。もう味覚は回復していますよ!」

患者はビックリして叫びました:
「本当ですか?」 そして、駆け出していきました。

すると、飲み物の入ったコップを手にした人がいました。
患者は言いました:
「兄弟、その飲み物を一口飲ませてくれ……」

患者は飲み物を何口か飲んで言いました:
「わはは…、ついに味覚が回復したぞ! この飲み物は甘いや!!」

すると、コップを持っていた人は言いました:
「ああ、オレの糖尿病はまだ治っていない!」

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漢方五行論の時間割に沿った健康生活

2012年06月25日 | 漢方の基礎

漢方五行論の時間割に沿った健康生活

 前稿の「漢方五行論の時間割を無視すると、こころも病む」で、五臓と五刻(時間割)と五志(精神)はそれぞれ密接な関係にあることを述べました。
 そして、五行論の時間割については、現代社会に応用が利く別のものがあり、次稿で説明するとお約束しましたので、まずそれを以下に示すこととします。
 なお、最初にお断りしておきますが、時間割が2つもあるのは矛盾しているのではないか、と思われるでしょうが、捉え方の違いや時代変遷によって、こうしたことは起きるのでしょう。現に、おおむね2千年前に完成されたと思われます古代中国の医学大百科事典「黄帝内経素問」は複数の者によって編纂され、のちほど表で示します五志に矛盾したものが登場しますし、土用は長夏(年に1回?梅雨時?)とする記述があったりします。
 いずれにしても、現代社会は、こ忙しい世の中になっていますから、たぶん比較的新しい時代になって作られたと思われます“新・時間割”は、現代人の体やこころの健康作りに大いに役立つものと思われます。

 前稿の時間割(五刻)
 朝=肝(5~7時)、昼=心(7~11時)、夕=肺(13~19時)、夜=腎(19~5時)
 午=脾(11~13時)

 今稿の時間割
 朝=肝(3~7時)、昼=心(9~13時)、夕=肺(15~19時)、夜=腎(21~1時)
 時間の変わり目=脾胃(1~3時、7~9時、13~15時、19~21時)

 両者の大きな相違点は、後者は時間の変わり目として、脾胃を2時間ずつ4箇所に入れ込み、合計8時間としたことと、そして、肝、心、肺、腎を各4時間と同じ長さにしたことです。なお、2時間単位の区切りとしたのは、昔は1日12刻であったことによります。
 ただし、昔は、日の出から日の入、日の入りから日の出までをそれぞれ6等分するという不定時法でしたから、夏至の頃は、昼や夕が1時間程度長くなり、冬至の頃は逆に1時間程度短くなります。本稿で示す時刻も不定時法に基づく時刻とお考えください。この方が、ヒトのバイオリズムに合います。

 脾胃を4箇所に入れ込むという、この考え方は、1年の巡りについて、季節(春夏秋冬)の変わり目に脾と密接な土用を4箇所入れたことと共通し、また、五志(怒、喜、思、憂、恐)も、怒→→喜→→憂→恐→思と、脾と密接な思を中心にして移り変わるものであるとされていますし、五臓(肝、心、脾、肺、腎)の中心は脾であるとされていることからも来ています。
 ここで、脾胃とは何かについて説明しておきましょう。前稿でも書きましたように、脾とは、消化吸収の要であるだけでなく、栄養を全身に運び、水分代謝を調節する働きを言い、造血作用も持つとされています。胃は、脾の命を受けて働く臓器(=腑)です。
 よって、脾は、他の四臓(肝、心、肺、腎)を養う働きを持っているのです。
 なお、単に脾とせず、脾胃と、あえて胃を持ち出したのは、食事の時刻との絡みがあるからではないかと思われます。しかし、短絡的に1日4食と考えるのは間違いです。これについては、前稿で解説し、この後も順次取り上げますが、1日2食が基本となり、できれば1日1食としたいものです。

 本稿では、これらに五味(み=あじ)を加えて、後者の時間割に沿って説明することにします。まず、それを2つの表で示しましょう。(2016.2.6 2つ目の表を挿入)

   (臓)    (刻)    (志)   (味)
   肝     朝     怒    酸
   心     昼     喜    苦
   脾   変わり目   思    甘
   肺     夕     憂    辛
   腎     夜     恐    塩

 まず最初に、夜と朝の変わり目。
 その時刻は1時から3時(丑(うし)の刻)で脾胃の時間帯です。
 “草木も眠る丑三つ時”がここに入ります。なお、三つとは、1刻を4分割した3番目のことで、丑三つ時とは、2時から2時半を指します。
 この時間帯に、ヒトの生理機構の変化は、脾の働きによって、腎から肝へ重点を移すのです。腎の活動を弱め、肝の活動を高める準備をする時間帯と言えます。
 これは、就寝中に行われますから、この時間帯に飲食するものではありません。

 次に、朝。朝は早起きに限ります。
 「早起きは三文の徳」、「早寝早起き病知らず」と、ことわざにもあります。
 空が白み始めるより前に起きるのが理想でしょうが、就寝時刻との兼ね合いもあり、睡眠不足になっては元も子もないですから、無理は禁物です。
 スッキリとした自然の目覚めが何よりも重要です。
 朝(3時から7時)は、肝が一番働く時間帯です。
 肝は、腎で養われた気と脾で作られた血を全身に巡らせる役割を持ち、今日1日を元気にスタートさせる重要な働きがあるのです。早朝は、新鮮な外気に触れ、大きく深呼吸し、軽く体操でもすれば、それがより促進されて最高です。
 ただし、朝は体のアイドリング運転をする時刻ですから、こ忙しく動き回るのは禁物で、先ず、ゆったりすることを優先させたいものです。
 そして、前号で強くお勧めしましたように、朝食抜きにします。また、この時間割でも、食事をしてよい脾胃の時間帯は過ぎてしまっているからです。
 でも、夜間にかなりの量の水分が蒸散していますから、目覚めたら、早速水分補給が必要となります。熱いものか温いものをチビチビ飲みます。白湯なり番茶が良いです。
 決して冷たい物をがぶ飲みしてはなりません。お通じが良くなるからと、そうされる方がありますが、それは下剤と同じで体に毒となります。胃腸を冷やすことほど体に悪いことはないですからね。
 何も食べないのが基本ですが、小生は白湯をすすりながら、「酸っぱい梅干」を1粒食べることにしています。上の表で、肝に酸となっているように、肝は酸味を欲するからです。
 これは、実に理にかなっていて、酸っぱさの元であるクエン酸が血液をたちどころにサラサラにしてくれますし、クエン酸が細胞に取り入れられればエネルギー産生回路を円滑に動かしてくれるからです。なお、キムチも少し酸っぱいから口にして良さそうですが、辛い物は肝に触りますから駄目です。
 
朝は4時間(3時から7時)あるのですが、現実には、せいぜい2、3時間しか取れないでしょう。でも、この時間帯が今日1日の勝負を決めるのですから、重要です。
 健康体であれば、肝が正常に働き、精神は奮起の状態となり、やる気が湧いてきます。

 そして、肝は、考えを巡らしたり、感情を動かす働きがありますから、今日1日のアクションプランを具体的に立てることにします。これによって、1日の時間を効率よく使うことができますし、何か新しいことに挑戦しようという意欲も湧いてきて実行に移せます。
 注目されるのは、この時間帯での受験勉強です。肝が働き、円滑に考えを巡らすことができるのですから、最高に効率があがるのです。暗いうちに起きて4時間勉強すれば、東大合格間違いなしとも言われます。鳩山家(元首相)はそうして兄弟そろって東大合格。小生の師の大師である漢方の大先生のご子息もそうして東大に合格されました。
 まさに「早起きは三文の徳」です。ただし、これは早寝して十分に睡眠時間を取ることが前提になるようですが、受験勉強はこの方法に限りましょう。

 さて、朝が過ぎ、脾胃の時刻(7時から9時)になります。この時間帯は、ヒトの生理機構は、脾の働きによって、肝から心へ重点を移すのです。肝の活動を弱め、心の活動を高める準備をする時間帯と言えます。
 また、こころ(志)は、怒=奮起から喜への変わり目、思の状態にあって、こころが健康であれば正常な思考ができるのですが、思い悩んでいると朝から苦悩することになりますから、ここは、嫌なことは忘れて、今日はいいことがあるさと、前向き思考しましょう。
 脾胃の時刻になったから、さあ朝食を取ろう!では決してありません。脾は、心への栄養補給をする時間帯であるのです。現代医学で言えば、この時間帯は、前日摂った食物が消化吸収されて順次血液中に入り込み、ブドウ糖が筋肉などにグリコーゲンとして蓄えられる最中でして、体内は栄養で満タンの状態にあり、この段階で食事を摂る必要はどこにもないのです。
 よって、この脾胃の時刻は、心の準備運動のために多少体を動かして仕事の段取りでもするのが一番良いことになります。通勤・通学で歩いたりすることも、これに相当するでしょう。
 どうしても食事を摂りたいという方は、この後の時刻に働く心は、苦味を欲しますから、苦味食材を意識してお摂りになると良いでしょう。小生は、朝と午前中にホット・コーヒーをブラックで少しずつ何杯か飲んでいます。
 なお、塩は心に負担を掛けますから避けたいです。塩分の摂りすぎで高血圧を呈する方がみえますが、特に午前中は気を付けたいです。
 そして、くどいようですが、野菜ジュースなど胃を急激に冷やす冷たい飲み物は、夏でも厳禁です。熱いものや温かいものを摂れば胃腸の働きが良くなり、便通もスムーズです。間違っても、下剤代わりに冷蔵庫で冷やした牛乳や豆乳、野菜ジュースを飲むのは止めてください。毎日、これを繰り返していると、低体温症となり、アレルギー体質、ガン体質になってしまいます。
 このことは、冷蔵庫文化による悲劇なのですが、詳細は、このブログのカテゴリー「冷え・アレルギー」の中で何度も記事にしていますから、例えば「アトピーの本質的な原因について考える(その2)」をご覧いただくとして、漢方においても、冷え症の人は胃腸を冷やしてはならぬとなっていますので、十分ご注意ください。

 そうこうしていると、昼=心(9~13時)の時刻となります。
 心が一番働く時間帯です。心つまり心臓は、血液を力強く全身に巡らせてくれます。体を動かす仕事はこの時間帯が一番です。小生は薬屋稼業ですが、1反歩近い畑があり、この時間帯を中心に暇を見ては百姓仕事をするようにしています。
 筋肉や肝臓に蓄えられた
グリコーゲンはやがて底を付き、そこで、皮下脂肪を分解してケトン体などのエネルギー源を作ってブドウ糖の代替とし、活動は続けられます。
 こころは、喜の状態にあります。仕事でも勉学でも、前向きに取り組めば何か楽しいことがあるはずで、それを探しながら進めれば歓喜することができ、こころは健康になります。

 昼が終わると、再び脾胃の時刻(13時から15時)になります。この時間帯は、ヒトの生理機構は、脾の働きによって、心から肺へ重点を移すことになります。心の活動を弱め、肺の活動を高める準備をする時間帯と言えます。
 やっと、ここで食事を摂ります。脾は、肺の活動を高めるために肺に栄養を送らねばなりませんが、その栄養は昼に使い果たしており、脾のもう一つの役割である消化吸収の要としての働きを開始し、胃は脾の命を受けて盛んに活動します。そして、即吸収できる栄養から順次肺に送り込むことになります。
 なお、昼食は正午からというのが一般的ですが、脾胃の時刻(13時から15時)からして可能であれば遅飯にした方が良さそうです。

 ところが、現代社会は、昼食を含めて1時間で昼休みが終わるのが普通です。
 でも、ヒトの生理機構からすれば、胃の活動が1時間で終わるわけがなく、2時間の昼休みがどうしても必要です。しかし、現実は、1時間で昼休みは終わります。
 加えて、勤務時間はまだ半分終わっただけで、あと4時間もあって、それが
肉体労働ともなると、残酷極まりないことになります。
 休んでいいはずの心は再び活動を強いられますし、胃は少ししか回って来ない血液でもって必死に消化に勤めざるを得ないですし、肺は準備不足で機能を発揮できません。
 1つの体で3つもの仕事を同時にこなすことなど、どだい不可能なことです。
 よって、午後は軽作業にさせていただきたいものです。
 それが無理とならば、昼食は消化の良いもので軽く済ませるしかありません。朝食抜きが習慣化すれば、皮下脂肪を分解してケトン体などのエネルギー源を作る回路がスムーズに動くようになりますから、空腹感を全く感じることなく、午後も肉体労働を続けられるからです。

 現代においては、丸一日肉体労働という仕事は少なく、接客業となると、たいした肉体労働ではないですし、デスクワークともなると、体を使わなすぎになってしまいます。
 こうした労働にあっては、心に負担をかけませんが、適度に体を使わないと、筋肉がやせて血液を全身に巡らせる力が落ちてしまいますから、考えものです。
 運動不足の方は、心が活発に活動する昼(9~13時)の時間帯になさるのが良いです。平日にはこれは無理でしょうから、休日の運動はぜひ昼になさってください。
 なお、こうした仕事の場合であっても、昼休みは1時間しかないでしょうから、昼食は、ごく軽く済ませるべきです。朝食抜きが習慣化すれば、これは簡単にできるようになりますし、これに慣れてしまえば昼食までをも抜くことも可能です。
 小生が10年近く続けている1日1食健康法です。
 こうすれば、本来の脾の働きが円滑に行われ、脾胃の時刻(13時から15時)に、心の活動を弱め、肺の活動を高める準備が円滑に進められるのです。
 何よりもメリットが大きいのが仕事の効率がグーンと上がることです。正午になったら昼食で仕事を中断・休憩ということはないですから、13時(ときには14時)まで連続作業して仕事の切りを自在に付けることができるからです。

 通常は昼食を摂ることになりますから、昼食はどんなメニューがいいか説明しましょう。
 脾は甘味を欲し、続く時刻の肺は辛味を欲しますから、甘くて辛い物となります。
 でも、甘味は、ほのかな甘味でよく、でんぷん質で十分です。ご飯もよく噛めば甘味がでてきますからね。つまり、唾液の力でブドウ糖が作られ、即吸収されるエネルギーになるからです。よって、ウドンかソバに一味か七味を適度にかけて食べるなり、カレーライスということになります。これらは、良く噛むにはあまり適さないものの、ゆっくり時間をかけて食べる暇がありませんから、これでよしと妥協するしかないでしょう。これ以外のメニューにあっても、キムチを少々口にするなど、辛味を補いたいものです。なお、苦味は肺に負担が掛かりますから、昼食の後や午後のコーヒーは避けたいです。

 そして、脾胃の時刻(13時から15時)には、こころ(志)は、喜から憂への変わり目、思の状態にあります。こころは、今日の仕事は終わった、あとは今日の仕事の反省でもしようという状態にありますから、“昼飯を食ったから元気が出た。さあ、午後が本番だ、これから本格的に仕事をしよう!”などと意気込んでみても、こころは空回りするばかりです。
 やはり、仕事は、肝が働く朝、心が働く昼に、効率良く一日の大半を片付けてしまう努力をしたいものです。

 夕(15~19時)は肺の時刻です。本来は労働する時間帯ではありません。肺から綺麗な空気を取り入れ、全身に十分な酸素を供給する休息の時間なのです。
 でも、たいていは午後にも仕事が残っています。できれば、午後の仕事は単純作業とし、可能であれば外回りの仕事をこの時間帯にしたいものです。
 そして、仕事が定刻に終わったのであれば、そそくさと帰宅するのではなく、しばし屋外で綺麗な空気を吸われてはいかがでしょう。
 1日に1回は、ゆったりと大自然に抱かれて、時間の流れを肌で感じたいものです。でも、毎日はとても無理でしょうから、休日には、ぜひ味わってみてください。 
 さて、こころは憂の状態にあり、往々にして悲嘆にくれることにもなりますが、暫し夕日を眺めていれば、陽が落ちていくのがはっきり分かりますから、“自分一人が頑張らなくったって、ちゃんと地球は回っていくではないか。何とかなるさ。”という気分にもなれることでしょう。例えばこのようにして、くよくよせずに気分を落ち着かせたいものです。

 日が暮れて、また、脾胃(19~21時)の時刻がやってきました。
 この時間帯は、ヒトの生理機構は、脾の働きによって、肺から腎へ重点を移すことになります。肺の活動を弱め、腎の活動を高める準備をする時間帯と言えます。
 ここで夕食を摂ります。脾は、腎の活動を高めるために腎に栄養を送らねばなりません。軽めの昼食であれば、その栄養は午後の活動で概ね使い果たしていることでしょうから、脾のもう一つの役割である消化吸収の要としての働きを開始し、胃は脾の命を受けて盛んに活動します。そして、即吸収できる栄養から順次腎に送り込むことになります。
 重い昼食であれば、腎に送る栄養はたっぷり残っていますから、軽めの夕食とすべきです。そうしないと、栄養の摂りすぎとなり、皮下脂肪として保存する一方です。

 こ忙しい世の中ですが、1日に1回はゆっくりくつろぐ時間帯を設けたいものです。
 この脾胃の時刻が一番ではないでしょうか。血液を脾胃に集中でき、消化吸収もスムーズに進行します。当店の閉店時間は19時としており、店を閉めれば、“グルメ・タイム”とし、2時間近くかけてチビリチビリと晩酌を楽しみながら“大晩餐会”を満喫することにしています。たとえ粗飯であっても、このように考えれば、リッチな気分になれますからね。

 ここでも五味について触れておきます。脾は甘味を欲し、腎は塩味を欲します。
 甘味はでんぷん質で十分ですし、減塩に神経質になることはありません。
 塩分は、体が塩味を欲する程度に摂ってよいのです。でも、家族皆が一律に同量の塩分摂取をしてはいけません。
 これは、汗のかき具合によって違ってきますからね。佃煮なり漬物をいつも食卓に用意しておき、汗をかいた人は、これを多めに食べればよいです。
 脾に負担が掛かるのは酸味、腎に負担が掛かるのは甘味です。
 でも、夕食はけっこうな量を食べますから、酸味を多く摂っても薄められますし、現代の日本人は、たいてい胃酸の出が悪くなっていて、その助けにもなりますから、別に気にすることはないです。甘味食材は、でんぷん質のほか肉・卵もそうで、エネルギー源になるもの全てと考えて良いですから、やはり腹八分にすることが求められます。
 なお、小生のような1日1食生活であっても、本来は腹八分の夕食とすべきですが、悲しいかな口の卑しさのあまり、つい飽食してしまいます。
 ところで、五味は季節によっても変化し、夏は心の活動が高まるから苦味を積極的に取った方が良いし、秋は肺の活動が高まるから辛い味付けにした方が良いとなったりします。これについては、このブログのカテゴリー「漢方栄養学」で、季節ごとの料理などを詳細に説明していますから、一度覗いてみてください。

 一日の最後は、夜=腎(21~1時)の時刻です。
 腎が一番働く時間帯です。脾と肺によって取り入れられた、生命活動の源となる精気を貯蔵し、元気を養うのが腎の役割です。また、腎と密接な関係にある体の組織は骨(骨髄を含む)で、丸一日、直立二足歩行で随分と骨に負担がかかっていますから、横になって骨休めする必要があります。そのためには、21時に床に就き、早寝するのが一番ですが、まだまだテレビを観ていたいです。そんなわけで、ゴロリと横になって骨休めをしつつ、半分眠りながらテレビを観ている小生です。そして、23時には就寝。
 翌朝、6時に起きて7時間睡眠、これが小生の平均的な睡眠時間ですが、横になる骨休め時間は9時間、居眠りを含めると7時間半の睡眠で、朝の目覚めは良いですし、昼間に眠くなることはありません。できれば、もう1時間、早寝早起きしたいのですが、できそうにもありません。

 夜のこころは、恐の状態にあります。
 えてして恐怖の感情が湧いてきて寝付けなくなり、一睡もできずに夜が明けてしまうのではと焦りもし、目が冴えてしまって、とても眠れそうな状態ではなくなります。
 
でも、腎の時刻は午前1時に終わりますので、その時刻が過ぎれば恐のこころは消えて、すっと寝入れますから安心なさってください。
 日付が変わり午前0時になっても目が冴えていたら、“昨日一日で何か楽しことはなかったかな”と、幸せ探しでも
していれば、知らぬ間に寝入っていることでしょう。
 なお、夢の多くが恐いものとなるのは、夜のこころは、恐の状態にあるからです。

 これにて、漢方五行論の時間割に基づく一日が無事に終わりました。
 今回も、またまた長文になってしまいましたが、最後までお付き合いいただき、感謝申し上げます。
 本稿が、あなたの一日の暮らし方の改善にどれだけか参考になれば幸いです。

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漢方五行論の時間割を無視すると、こころも病む

2012年06月24日 | 漢方の基礎

漢方五行論の時間割を無視すると、こころも病む

 中医学(漢方)五行論は、何もかも5分類してしまうという特徴があります。
 自然界は、木(草木)・火・土・金(金属と鉱物)・水の5分類です。
 季節は、春・夏・土用・秋・冬と、五季に分類します。ただし、土用は、季節の変わり目を指し、四季の終わりの方に位置づけられ、年に4回訪れることになります。区切り方の基本は、1年365日を5で割った73日をそれぞれの四季に割り当て、73を4で割った約18日を各季の後に入れ込みます。例えば2012年の場合は、次のようになります。
 春は2月3日立春から4月15日までの73日間
、春の土用は4月16日から5月5日立夏の前日までの19日間、夏は5月5日立夏から7月18日までの75日間、夏の土用は7月19日から8月7日立秋の前日までの19日間、といった具合です。
 季節の5分類は、次のように考えると理解し易いでしょう。
 正方形の四隅に四季を配置し、中央に土用を据えて、隅と中央を行ったり来たりする。
 この考え方は、どう考えたって4つしかない方角(東南西北)なのですが、これに中央を加えて5分類する五行論の五方(東・南・中央・西・北)と同じ論法です。

 さて、時間割ですが、これは統一されたものがなく、また、鍼灸の分野では別の考え方(気が通過する時刻)に基づいて全く違ったものとなります。
 そこで、本稿では、基本的な時間割と考えられる、次の五刻について、まず説明することとし、これとは多少異なった、現代社会に応用が利く、別の時間割を次稿で取り上げることとします。

 五行論における時間割も他と同様に5分類され、朝・昼・午・夕・夜の五刻となります。
 なお、午とは、うまの刻(正午を挟んでその前後約1時間)を指します。
 では、五刻は具体的にそれぞれ何時から何時までか、これについては、小生の勉強不足かもしれませんが、手持ちの解説本になく、ネット検索するも出てきませんでした。
 そこで、これを小生なりに解釈したものを以下に記すことにします。
 1年の平均的な時期(春分、秋分)の明るい時間を頭において割り振りします。
 朝は5時から7時までの2時間、昼は7時から11時までの4時間、午は11時から13時までの2時間、夕は13時から19時までの6時間、夜は19時から5時までの10時間となりましょう。2時間単位としたのは、昔は1日12刻であったからです。
 なお、夏至の頃は朝が1時間ほど前倒しとなり、夜の始まりが1時間ほど遅れ、その分、昼、午、夕が長くなります。冬至の頃はその逆となります。
 これは、昔は、昼と夜をそれぞれ6等分する不定時法が取られていたからで、その方がヒトのバイオリズムにも合います。

 不定時法、定時法の違いは別として、五行論における時間割の昼と夕の時間帯の取り方というものは、現代の位置づけと大きく異なってしまっています。
 現代においては、1年の平均的な時期にあっては、誰しも、昼は午を含む10時間であって、夕は17時から19時の2時間だ、と考えるのが通常です。
 これは、時代背景の違いによるものです。現代は、あまりにも忙しすぎる世の中ですから、これをそのまま昔に当てはめることはできません。

 五行論が完成したのがたぶん約2千年前のことで、これは一般大衆にとっては江戸時代でも言えることでしょうが、その当時、1日に8時間も労働するなんてことは考えられず、現代の半分の4時間程度の労働であったのではなかろうかと思われるのです。
 現に、今日の狩猟採集民の労働時間は高々3時間程度のことでして、農耕が始まった地域では、農地整備や農作物の管理にどれだけかの手間がかかるものの、栽培作物の収穫は短時間で済みますから、昔人の労働時間は、狩猟採集民より少々長いだけのことだったと考えられるのです。
 昔人の一般的な日常生活は、朝、空が白んだら起き出して、ゆっくり身づくろいをし、午前中いっぱいぼつぼつ働いて1日の仕事を終わらせ、ゆっくり昼食を取って、午後はゴロゴロして時間を潰し、暗くなったから寝るか、といったところでしょう。
 このように、時計の針は、随分とゆっくり回っていたものと考えられるのです。
 ただし、土用は、土に用がある時期、つまり農繁期に
なり、力仕事にどれだけか余分に精を出さねばならなかったことでしょう。よって、その分、午が後ろへずれます。

 ここで、少々横道にそれますが、昔の食事は基本的に1日1食で、昼食だけでした。
 朝は、水を飲むだけですし、夕は口寂しさから、芋でもあれば、それを焼いて、現代のおやつ程度に少々口にしただけでしょう。
 このおやつも食事に含めれば、昔の食事は1日1食半と言えましょう。
 時代が進んで、おおむね中世になって労働時間が夕にも入り込むようになると、昼食を軽めにしないことには消化不良になりますから昼食の量を減らし、足らず前を夕食として取るようになり、1日2食が定着してきたのではないかと思われます。そして、昼食を主とするか夕食を主とするかは、民族により異なったものとなりました。
 なお、1日3食、朝食も取る文化は、西欧では貴族、日本では僧侶、ともに暇な支配層が口寂しさから始めたことでして、これは中世以降のことですが、しかし、庶民は1日2食でずっと通していました。力仕事をする前に食事を取ろうものなら、体を壊してしまいますからね。日本では、明治初期まで、農民は1日2食で、朝食は取っていないのです。

 ここで、再び五行論に戻ります。
 五行論は、中医学の基本になるもので、主要臓器を五臓(肝・心・脾・肺・腎)とし、それに付随する臓器として五腑(胆・小腸・胃・大腸・膀胱)を掲げています。
 なお、これらの臓器は、西洋医学で言う臓器と基本的には同じとものを指すと考えていただいてよいですが、脾は大きく異なり、腎は腎臓だけを指すものではなく、肝は肝臓の働きとはかなり異質なものとなります。
 漢方では、脾とは、消化吸収の要であるだけでなく、栄養を全身に運び、水分代謝を調節する働きまで含めていますし、造血も脾で行うとしています。
 解剖学的に言えば、膵臓、肝臓の一部(胆汁分泌)と脾臓を指すことになりますが、ヒトの脾臓の役割は古くなった赤血球を壊すのが主目的で、造血機能は補助的なものです。でも、ネズミは主として脾臓で造血していますから、その昔に動物の解剖実験で裏付けをとっていたのかもしれません。また、栄養を全身に運ぶとは奇異に思えますが、膵臓が出すインスリンの力でブドウ糖を全身の細胞に入れ込むのですし、水分代謝についても、飲んだ水を体が欲していれば速やかに血液に入れ込み、そうでなければ胃に滞留させますから、一理ありとなりましょう。
 次に、腎ですが、これは腎臓そのものの機能は脇役で、発育や生殖の要であって、腎の主たる役割は、生命活動の源になる精気を貯蔵し、元気を養うとするものです。よって、解剖学的に言えば、性ホルモンを分泌する副腎と精巣・卵巣を含めたものが腎です。
 また、肝は肝臓を指しますが、その働きは、血液を貯蔵し、気と血の循環を調節する役割を担っているとするもので、胆汁分泌は、脾として扱われることになりま
す。

 ここからが興味深いのですが、今までに挙げた5分類されたもの全てが、第1番目のもの同士、第2番目のもの同士と言った具合に、それぞれが密接な関係にあるとするのです。ここで、それを整理し、この後に登場する五志を含めて表にしてみましょう。

 (行)(季)(方)(刻)(臓)(腑)(志)<志が正常><志が異常>
  木  春  東  朝  肝  胆  怒   奮起    激怒
  火  夏  南  昼  心 小腸  喜   歓喜    狂喜
  土 土用 中央  午  脾  胃  思  正常思考   苦悩
  金  秋  西  夕  肺 大腸  憂   慈悲    悲嘆
  水  冬  北  夜  腎 膀胱
  恐   畏怖    恐怖 

 一部に?と思われるものがあることでしょうが、関連がありそうなものが多いと、お感じになりませんか。
 そこで、まず、五刻と五臓の関連を見てみましょう。
 朝は肝です。朝、空が白んでくると肝が働き出し、気と血の循環が全身にスムーズに行き渡るようにし、今日1日の生命活動が滞りなく進むよう、準備します。
 昼は心です。午前中、体が円滑に動くよう、力強く血液を全身に送り出します。
 午は脾です。食事を取り、消化吸収が始まります。
 夕は肺です。呼と吸のゆったりとした規則的なリズムによって、外気から元気を取り入れます。空気も栄養の1種と捉えるのです。と言うよりは、午の時刻に取り入れる食べ物から得られる栄養も、それに続く夕の時刻に取り入れる空気も、ともに気であるとする考えです。消化吸収されたブドウ糖という物質と空気から取り入れた酸素という物質でエネルギーを生産するのですから、これらは同質のものとしても決して間違っていないでしょう。
 夜は腎です。脾と肺によって取り入れられた気を貯蔵し、それを養います。そして、元気があふれるほどに多くなれば、それを放出するために、夜に秘め事をいたします。
 現に、日本の農村においては、これは知られざる事実ですが、明治時代までは盛んに夜這いをしていたのですから、腎によって十二分に精気が養われていたことでしょう。
 こうしたこともあって、腎臓本来の機能は脇役にされていると考えられます。

 では、ここで、現代人の1日の生活を振り返ってみましょう。
 
朝のこ忙しさで、肝が十分働かず、1日の生命活動の準備が整いません。
 それに加えて朝食を取るとなると、脾の方へ気と血を循環させねばならず、脳や筋肉への気と血の巡りが不十分になってしまいますから、頭が冴えませんし、力も出ません。加えて、脾は想定外の時刻に働かせられますから、脾はトラブルを起こしかねません。
 昼は午前中に終わらず、午後にまで延長されて、心に負担が掛かりすぎます。
 午は、食事量が多いにもかかわらず短時間で切り上げられ、脾の働きが中途半端で終わります。
 夕のゆったりくつろげる時間はどれだけもなく、肺は空気から澄んだ気を取り入れる暇がありません。
 日が落ちてからも体を動かすことが多く、心にとっては想定外のことを強いられますし、たっぷりと夕食を取りますから、脾にとってもこれは想定外のことです。
 腎は、食べ物からの気が入っても、空気からの気が十分に入らず、また、夜つまり睡眠の時間が短くなってしまい、十分に気を養うことができませんから、元気があふれ出ることは少なくなります。そして、腎の脇役の機能である血液の浄化も不十分となり、翌朝に疲労感を残してしまいます。
 この繰り返しですから、朝の肝の働きがますます落ち、その後に続く心、脾、肺、腎にも悪循環を起こしてしまいます。
 
 こうして見ると、現代人の生活は、五臓に随分と無理が掛かっていることが推し量れますよね。五臓のどれもこれもが病んでくるのは、当たり前になってしまいます。どこも悪い所はないと感じておられる方であっても、五臓が弱っているのは確かなことです。

 さて、五臓と五志(精神)は、それぞれが密接な関係にあり、臓が病んだり弱れば、精神もおかしくなります。これに五刻(時間割)を絡めて、現代人の生活をみてみましょう。
 肝は怒です。肝は、考えを巡らせたり感情を動かす働きがあり、正常に働けば奮起ということになるのですが、病んだり弱れば激怒することになります。
 あまりにも短く、こ忙しい朝、怒鳴り散らすことが多くなっていませんか。
 心は喜です。心が正常であれば歓喜となりますが、心が高ぶれば狂喜することになり、心が傷付きます。なお、体をほとんど動かさない現代では、心が休止状態に陥り、歓喜すら起きない、無感動状態が続く傾向にあると思われます。
 脾は思です。脾は思考するのでして、脾が正常に思考できないと、苦悩することになります。現代人は、1日3食、それも短時間で切り上げますから、脾は五臓の中で一番弱っている臓器でして、苦悩する毎日となってしまいます。
 肺は憂です。肺が正常であれば慈悲の精神が湧いてきますが、病んだり弱れば悲嘆するばかりです。夕のゆったりとくつろぐ時間がどれだけも取れない現代人ですから、1日を振り返れば、悲しみの感情しか湧いてこないのではないでしょうか。
 腎は恐です。腎が正常であれば、畏怖の気持ちで接することができるのですが、病んだり弱れば恐怖でおののくことになります。夜、床に入ってもなかなか寝付けないのは、恐れを抱えているからでしょう。

 五臓と五志の関連で一番分かり易いのは、脾と思でしょう。
 脾に付随する臓器である胃は、思い煩い苦悩することでたちどころに痛みますからね。
 苦悩すれば、胃薬が離せなくなります。それに比べて、激怒、狂喜、悲嘆、恐怖したところで、全然とは言えませんが、胃が痛むことはどれだけもないです。
 なお、インスリンの分泌が悪くなって糖尿病になるのは、体を動かさず飽食するからだと言われますが、運動し、飽食しない方でも発病することがあるのは、苦悩することによって、脾(=膵臓)が痛むからと言えましょう。
 逆に、五刻と五志の関連で一番分かり難いのは、昼と喜の関連でしょう。
 働く時間帯がなぜ喜なのか、働くことが楽しいとは、これまたいかに。
 現代人には理解に苦しむところですが、先に申しましたように、昔人は午前中にぼつぼつ働いただけでしょうし、今日の狩猟採集民の中には、労働と遊びが別の言葉ではなく、同じ言葉で語られる部族もありますから、昼は楽しくて、喜がぴったり合うのです。

 ところで、西洋医学では、精神や感情は脳の働きとなりますが、中医学では脳は登場しません。ただし、古代中国の医学大百科事典である黄帝内経素問では、骨や子宮などととともに奇恒の腑として精気を内蔵していると謳われていますが、それ以上の言及はなさそうで、極論すれば、脳は何の役割も果たしていないことになります。
 五行論では、精神や感情は、五臓に分担されて存在し、相互に連携を取っているという考え方で、こころは内臓に宿るとするものです。
 これは、西洋医学の見地からしても、近年の研究で、脳の大半を占める大脳新皮質は単に電気信号をオン・オフさせるだけの電極であって、そこには精神は存在しないとする学者が増えているようですし、また、「腸は考える」という本があって、こころが内臓に宿っているとするのは、何も不思議なことではないです。

 いずれにしましても、現代人は、昔人が持ち備えていた、奮起、歓喜、正常思考、慈悲、畏怖という、こころの穏やかさを失ってしまい、激怒、狂喜、苦悩、悲嘆、恐怖といった、こころが傷付くことが日常茶飯事になっています。
 これは、現代人は、単にストレス社会に置かれているからだけではなくて、五臓本来の時間割を無視した日常生活に原因していると考えるべきでしょう。
 付け加えるならば、ストレス社会は何も今に始まったものではなく、戦中戦後暫くの間は現代よりストレスが高かったと思われますし、高度成長期の残業に続く残業も高ストレスであったはずです。ストレスの種類がどれだけか変化しただけのことでしょう。

 ヒトの生理作用というものは、100年やそこらの短期の経過でもっては、何とも変えられない性質のものですから、五臓本来の時間割を十分に承知し、これを大きく踏み外せば臓器も精神も異常をきたすと心得るべきでしょう。
 とは言っても、現代社会はますますこ忙しい世の中になってきましたし、夜の始まりは4時間程度後ろに押されがちになりますから、朝の始まりも2時間程度遅れてしまいます。
 これを少しでも改善するためには、早寝早起きに努め、朝のゆったりとした時間を作って、どれだけかでも肝の準備作業がスムーズになるよう配慮したいものです。
 そして、何よりも肝腎なのが、1日3食も取ることを止めることです。
 真っ先に止めねばならないのが、こ忙しい時間帯に取る朝食です。
 “肝は準備放棄! 脾はビックリ! 心はバタつく!”のですから、悪いことだらけです。

 脾にとっての理想は、2時間かけての昼食1食生活ですが、午後も早速労働せねばなりませんから、昼食は消化の良いものを軽く取るに止めるしかないでしょう。
 その点、イタリア人は昼休みが2時間あり、脾にやさしい理想的な昼食の取り方です。
 朝食なしで昼食を軽くとなれば、これほどまでに進んだ飽食時代ですから、
夕食をメインとし、グルメ文化を十分に楽しみたくなります。
 毎日何のために生きているのかと問われれば、腎本来の機能が発揮できるのはまれとなっていますから、少なくとも毎日うまいもの食いたい、というのが正直な気持ちでしょう。
 そこで、夕食は脾の時間ではないですが、少々脾に無理をしてもらって、なるべく脾に負担がかからないよう、ゆっくり味わいながら、2時間かけて食べるしかなさそうです。
 その後は、十分にくつろぐことにしたいですが、早寝せねばならず、夕食なり、くつろぎの時間帯をどれだけか犠牲にせざるを得ないでしょうね。
 そして、いくら早寝しようとしても、昔人のように日が暮れたら寝るなんてことは不可能なことですから、どうしても睡眠時間が短くなります。
 これによって、当然にして腎本来の機能は落ちています。
 よって、残念ながら腎本来の機能は今日も発揮することなく、一人寂しく床に就くしかない、ということになるのですが、腎本来の機能は、元気が蓄えられてあふれそうになって初めて働くものですから、その日が来るまで待つしかないでしょうね。
 ところで、腎本来の機能について、ここまで、かなり露骨に表現しましたが、こうしたことは、男にはぴったり当てはまるのですが、女性には昔人であっても、そのようなことはなかったのではないかと思われます。
 これは、ヒトの生理機構というものは、ヒト全てに共通するものではなくて、ヒトを含む動物全般に、先ずオスとメスがいて、それぞれに特有の生理機構が独自に発達してきたからと考えられます。
 
よって、女性にとっての腎本来の機能(生命活動の源になる精気を貯蔵し、元気を養う)の発揮とは、妊娠と胎児の発育そして授乳ということになりましょうし、それが終わった方にあっては、エネルギッシュに今日も一日元気に暮らせるということになりましょう。

 随分と長文となってしまいましたが、最後までお付き合いいただき有り難うございます。
 労働生産性を高めてくれる科学技術が発達すればするほどに労働時間が短縮されて暇な時間が生まれ出てくるかと思いきや、これに
逆比例して忙しくなって、暇な時間というものはどんどん減っていくのが高度文明社会の宿命です。
 これからますますその傾向が高まることでしょう。
 1日は昔12刻、今は倍の24時間刻みになって、時間を効率良く使えるようになりましたが、この24時間をいかに有効に使うかが、ますます問われる時代です。
 次稿では、冒頭で申しましたように、現代社会に応用が利く、別の時間割を説明させていただき、1日24時間のより効率的な使い方を、漢方専門家の経験を踏まえて、小生なりに紹介したいと思っています。
 →(次稿) 漢方五行論の時間割に沿った健康生活

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クロノテラピー(時間治療)が進まない日本のガン治療

2012年06月21日 | 癌(がん・ガン)

クロノテラピー(時間治療)が進まない日本のガン治療

 4月23日に、NHKのクローズアップ現代で、「“からだの時計”が治療を変える」と題して、クロノテラピー(時間治療)を主眼において、放映されました。
 クロノテラピーとは、薬によっては、それが効く時間帯がまちまちであるから、最も効果的な時間帯に投与するというものです。
 これが放映されたことを同業者から先日聞き、その3日後にNHKのHPで概略を知りました。今時の蛍光灯もパッと付きますが、小生は“蛍光灯”とあだ名が付いているほどに動きがのそくていかんのですが、ご勘弁ください。

 さて、抗がん剤ですが、ほとんどのものが副作用ばかり目立ち、これといった効果がないのが現状で、このことについては、2012年4月12日付け「検診でガンにされ、無駄な治療で殺されるガン患者」で記事にしました。
 ところが、「副作用を抑えつつ抗がん剤の大量投与が可能」という、相矛盾するようなことができるのがクロノテラピーのようです。これは、フランスをはじめとした欧米で、1989年以降、その画期的とも言える効果が臨床実験によって次々と明らかにされており、それから23年経った、やっと今になって、NHKで放映されたといったところでしょう。
 小生も抗がん剤のクロノテラピー効果は初耳でしたので、NHKのHP「クローズアップ現代」を覗いてみたところです。でも、たった1例を紹介しただけのようでして、詳細を知りたくなり、ネット検索して「がんサポート情報センター」にたどり着きました。

 クロノテラピーについては、日本においては2004年にエビデンス社の月刊誌「がんサポート」で大きく取り上げられたようで、これは医療情報ネット社がその依頼を受けて製作しているサイト:がんサポート情報センターの「抗がん剤治療」:時間治療(クロノテラピー)に幾つもの事例が紹介されています。(2014.3.30追記:全ての情報が消えてしまっています。)
 でも、それから8年も経つのに、続報がないのは、これまたいかに?
 それは置いといて、そのサイトの情報をかいつまんで紹介しましょう。
 脚光を浴びている
夜間の抗がん剤点滴について、次のように書かれています。なお、( )書きは小生の補足です。

 …骨髄細胞は昼間盛んに分裂・増殖(骨髄細胞のDNA合成の日内リズムの図からすると、最大3、4割程度)する。だから、昼間抗がん剤の治療をすると副作用が強まることが予想される。…一方、がん細胞の分裂・増殖リズムは一定しないが、真夜中寝ているときは盛んになり、昼間は低下することのほうが多い。この時間のずれを上手に利用すれば、正常細胞への毒性を極力抑え、抗がん剤の投与を増やしてがん細胞により大きなダメージを与えることができる。

 また、臨床で効果を上げているものとして、次のものが紹介されています。
 
肝臓に転移した進行大腸がん患者の場合、22時から肝動注により投与し、4時に最大とし、10時に終了。
 小児白血病の場合、朝か夕方がよく、朝より夕方の投与のほうが効果は高い。
 腎がんの場合、18時から22時に最大投与量とする。
 卵巣がんの場合、アドリアシン
剤を6時にブリプラチン剤を18時に投与、翌日はこれと逆の投与、それを交互に繰り返すことによって著しい効果が出る。これは、アドリアシン剤の骨髄細胞に対する毒性が18時よりも6時のほうが弱い、ブリプラチン剤による吐き気などの副作用は6時よりも18時のほうが弱い、のが理由とされている。

 フランスをはじめ欧米では、既に2004年には、抗がん剤の投与量や投与速度等を調節できるクロノポンプが化学療法の現場で広く普及しているし、ポータブルのポンプも開発され、通院治療が可能ということです。しかし、日本では、この機器は未承認ですし、残念なことにクロノテラピーに取り組んでいる医療機関はまれなようです。

 日本では、なぜにがん治療にクロノテラピーが普及しないかについては、クローズアップ現代では、3つの理由を挙げていました。
夜間治療など医療機関への負担増もあって、なかなか取り組む医療機関がないこと。
・時計遺伝子が発見されてから十数年と極めて歴史が浅いということ。
・製薬企業へのインセンティブ(刺激)が少なくて、利益を上げにくく、消極的であること。

 呆れて物も言えません。これは、欧米とて同じこと。
 きっと、欧米の医療現場では、次のように考えていることでしょう。
・負担増を解消するためにクロノポンプを開発したから、何の負担もない。
・十数年前という古くからある知見であり、効果があれば無条件で採択すればよい。
・製薬企業は薬を製造するだけでよく、使い方は医療機関が考えればよい。

 このように、欧米から見ると、日本という国は不思議な国と映るでしょうね。
 じゃあ、どうして日本の医療機関は、このようなくだらない言い訳に明け暮れるのか。これは、日本の医療制度が、にっちもさっちもいかない旧態依然とした体質のままになっていて、そこから抜け出すことができないでいるからでしょう。
 よって、がん治療も、患者を看るのではなくて保険点数を視ることから始まり、患者が副作用を呈してもそんなことは当然のこととされてしまい、利益の大きい抗がん剤をいかにして長く使い続けるかに意義を見い出しているとしか思えないのです。

 ぼやいてばかりではいかんですから、建設的な見解も述べておきましょう。
 今回のNHKクローズアップ現代で、クロノテラピー(時間治療)が広く注目されることになったことでしょうが、なぜに特定の時間帯に投薬すると特定の疾患にだけに効き目がアップするのか。このことについては、その原因がリウマチについては判明していますが、その他については、ガンを含めてまだ十分に分かっていないようです。
 これを漢方の世界からアプローチして原因を究明しようとしておられる薬剤師の方がおみえでして、その一端については、小生も、ある勉強会で教えられました。もっとも、そうしたことは、既に、漢方の世界では知る人ぞ知るとのことでして、たとえ効能書きに1日2回となっていても、それは厚生労働省がそうした許可しか出さないからであって、例えば寝る前に飲んだ方が良いといったものがあったりするから、よく承知しておくようにとのことでした。クロノテラピー(時間治療)の真髄を一日も早く発表されることが望まれます。

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あなたは医師のガン治療方針に歯向かえますか

2012年06月12日 | 癌(がん・ガン)

あなたは医師のガン治療方針に歯向かえますか

 かわいそうな日本のお医者さん」と題して、2010.10.27に記事を書きました。
 その中で、岡本裕著「9割の病気は自分で治せる」から多くを引用し、氏が強く主張されている次の言葉を紹介しました。
 「これからは、医師への依存心を捨て、医師の言うことは参考に留め、薬を飲むのも、検査をするのも、何もかも自分で決めるべきで、自分自身で健康を管理すべきです。」
 これを受けて、小生は、次の感想を書きました。
 「日本人が医師への依存心が高いのは、何事も自分個人で決めたがらない国民性による面が大きいからでしょう。」

 「何もかも自分で決める」というのは西欧人の考え方であり、「何事も自分個人で決めたがらない」という日本人、この違いの元は、西欧のキリスト教文化と日本の多神教文化の違いによるものではないかと、小生は考えています。
 西欧文化はキリスト教の影響を根強く受けていることは間違いないことでしょう。
 “唯一絶対、全知全能の神”という唯一神の存在、これを意識的にしろ無意識的にしろ、信じて疑わないのが、あらかたの西欧人です。
 中には、唯一神の存在を否定する人もいますが、しかし、汎神論の神(唯一神という超自然的ではないところの、大自然や宇宙あるいはそれらの全ての仕組みを支配する法則性、つまり真理と同義語の神)として、唯一神と本質的には同じものを受け入れているのではないでしょうか。そのよく知られた例が、アインシュタインで、彼はユダヤ人でしたから、生まれながらにしてのユダヤ教徒でしたが、その神を嫌い、信仰しませんでした。
 その彼が、自分が発見した相対性理論を含めて次のように言っています。
 「恐らく、いかなる理論もいつかは大自然によって拒否されるであろうし、多くの理論はそれが誕生後まもなく拒否されるであろう。客観的に見れば、人間がその情熱的努力によって真理からもぎ取り得るのは、実に無限小である。」

 こうして、西欧人は、真理は神のみぞ知るであって、人知の遠く及ばないところにあり、自然科学というものは、誰か暇人(学者の語源)が単に「私には物事がこう見える」と主張しているに過ぎないという感覚で受け止める傾向があるとのことです。
(この段落は、鈴木秀夫著「森林の思考・砂漠の思考」による)

 よって、西欧人は、医学の分野においても、医師が言うことを真に受けることは少なく、ましてや医師を盲目的に信ずることはまれなことになりましょう。
 特に、治療法に決め手を欠くガン治療ともなると、なおさらで、岡本裕氏が主張されるように、「医師の言うことは参考に留め、何もかも自分で決め、自分自身で健康管理する」というのが、西欧人の基本的な考え方となっていると思われます。

 しかし、これは、日本人にとっては、精神的に負担が大きすぎます。
 その原因は2つあると思われ、先ず1つ目は、日本における学問の位置付けです。
 鈴木秀夫氏の同著によれば、学問は真理の探求であって、専門の学者が手間隙かけて集め、重箱の隅までつついて絶対間違いないものに仕上げなければならないと言われていますし、学問を受け止める方も、そのようして学問はできていると思っています。
 ですから、医学も絶対の真理であって、それを口にする医師を信じてしまうのでしょう。
 小生も、自然科学は絶対の真理を知り得るとの立場にあるのですが、これは、日本という多神教の世界に住んでいるからと思っています。

 多神教の世界では、ことあるごとに、あるときは山の神に、あるときは川の神に、自分たちがどう立ち振る舞ったらよいかを、神と一体になって考えるのです。
 極論すれば、神=人間、人間=神という、神と自己の同居です。
 多神教の特徴は、実はここにあり、人間を超越した近寄りがたい唯一神とは全く異なり、神はごく身近にあって、喜びも悲しみも共有できる存在なのです。
 となれば、ここから引き出された結論(自然科学もそうです)は、絶対の真理として何ら疑問を挟む余地はなくなってしまうのです。
 現代においては、神と一体などとは、誰もが思いもしないのですが、日本においては、こうした思考が古代においては頻繁に取られていたものと推測され、明治の開国以降も、知らず知らずのうちに、そうしたし思考方法を取っているとも思われるのです。
 このことについては、もう少し具体的に詳細を述べなければお分かりいただけない面がありますが、下記に参考文献を上げるに留め、他の機会に譲ることでご容赦ください。
 中沢新一著「対称性人類学」、武光誠著「日本人なら知っておきたい古代神話」

 いずれにしましても、現代医学は絶対の真理であり、よって、高学歴を踏んだお医者様は信じていいという考え方になってしまうのが日本人の特徴なのですから、突然、これをバッサリ否定し、「自分で決めろ」と言われては、おろおろするばかりです。

 2つ目の原因は、優柔不断、付和雷同の日本人体質によると思われます。
 西欧は二者択一の文化です。これもキリスト教の影響を受けていると考えられるのですが、その説明は省略し、結論だけ申します。
 これはアンケートの結果によく表れています。日本人の場合なら、“わかりません”とか“どちらとも言えない”といった宙ぶらりんな選択肢にかなりの比重が占められますが、西欧人はどちらかに決断する傾向がはっきりしています。また、食後のデザートとして、例えば2種類の果物を選択させようとしても、日本人の場合はなかなか決めようとしないのに、西欧人は迷いなく直ぐに選びます。
 「何もかも自分で決める」という西欧人に対して、「何事も自分個人で決めたがらない」という日本人が、こうした場面でも登場します。もっとも、近年は、日本人も決断が早くなる傾向にあるようですが。

 この違いは、猫と羊に例えられましょう。西欧人は猫、日本人は羊です。
 西欧は、有史以来、戦乱また戦乱の歴史です。民族間なり、都市国家間なりで、勝った負けたで正反対の価値観の中へ落とし込められます。そうした中にあっては、「何もかも自分で決める」、それも即断する以外に生きていく術がないことでしょう。
 こちらの主に従うか、あちらの主に従うか、決めかねて他者の後を付いていっても、召し抱えられるかどうか分からない。他者は他者、自分は自分であるとし、よく分からないが、いずれかに即決し、主に接近する野良猫タイプが西欧人ではないでしょうか。

 それに対して、平和が長く続いた日本です。危機が訪れることはまれですから、「何かを自分で決める」場面が登場しません。皆仲良く集団行動していれば良いです。
 草原に暮らす羊の群と同じでしょう。
 集団行動していれば、時折襲ってくる肉食獣に対しても、皆で逃げ、老い先短い老体あたりが逃げ遅れて犠牲になるだけで、群の皆は守られます。
 しかし、ひどい旱魃が訪れると、羊の群は、人間が住む水のある区域へと入り込まざるを得なくなります。そうすると、順々に捕えられ、仲間の多くが犠牲になりますが、そこへ行かないことには、全員が餓死してしまいます。
 そこで、どうするか。「何かを自分で決める」経験をしたことのない羊たちですから、優柔不断で、前進も後退もすることなく、ただただうろうろするだけです。
 でも、羊の群には必ずリーダーがいます。彼は、周りの目に後押しされて、ついに英断します。出した結論は人間への接近です。
 これ以上に体が干乾びてしまっては自分は死んでしまう。喉の渇きを一気に潤したいとばかり、一目散で水飲み場に向かって駆け出します。
 それを見て、リーダーの近くにいた羊が後を追い、他の羊は何事が起きたか分からないが、付和雷同し、後に続いて駆け出すのです。
 これが、羊の群の特徴であり、このようにして、あるとき野生の群ごと、ごっそり一気に家畜化したのではないかとも考えられています。
 この羊の群タイプが、日本人の特徴ではないでしょうか。もっとも、戦国時代には一部に野良猫タイプも並存したことでしょうが、主流は羊の群タイプであったことでしょう。

 例えが少々悪く、日本人を馬鹿にすることになってしまいましたが、これが日本人の本質ではないかと思えてなりません。
 周りを見ることに注意を怠らず、大勢に従い、自分の意思表示を控える。
 これは日本人の処世術でもありましょう。

 さて、ここで冒頭で取り上げた言葉を再々掲します。
 「これからは、医師への依存心を捨て、医師の言うことは参考に留め、薬を飲むのも、検査をするのも、何もかも自分で決めるべきで、自分自身で健康を管理すべきです。」 
 これを元にして、単刀直入に医師にものを申すと、日本のお医者様は、“バカモン、今後一切面倒を看ん!”となりかねません。
 よって、お医者様への対応は、“さすが難しい学問を積んでお
られる大先生だけあって、素晴らしい!早速おっしゃるとおりにいたします。お有り難うございます。”と、持ち上げるしかないことでしょうね。これが、処世術をいかんなく発揮した対応法です。
 しかし、このように盲目的に従うことによって、治る病気も治らないどころか、かえって病を重くし、場合によっては殺されかねないのが現代医療の実態です。
 ここは、“先生のおっしゃることはごもっともなことで、よく分かりました。でも、自分一人の問題でもありませんから、一度よく『検討』させてくださいませんか。”とでも言って、医師を持ち上げつつ、やんわりと拒否することでしょうね。
 いつまでも大勢に従い、自分の意思表示を控えていては、医師による医師のための治療方針は変わりようがなく、やがてそれが強固に固化されてしまい、その後において、それが間違った医療指針であることが分かったとしても、医師たちは“赤信号、皆で渡れば怖くない!”とばかり、患者を苦しみ続けさせることになってしまいます。
 こうしたことは、薬害問題など過去に幾例もありましたし、現在進行中の一つが、ガン治療方針・指針です。
 そこで、「このガン治療方法はおかしいな?」と、疑問に思うことが出てきて、命の危険を感じたら、羊の群のリーダーの位置に自分を置いてみて、英断するしかないでしょう。
 これは何も難しいことではないと思われます。
 なぜならば、羊の群のリーダーに
したって、群のことを案じてではなく、自分が生きるか死ぬかの瀬戸際に立たされて、自分自身のために英断したと思われるのです。
 先に、西欧人は猫に例えましたが、西欧人にしたって日本人とどれだけも違わない集団生活をしているのですから、危機的状態に落とし込められたときには、皆が羊の群のリーダーの位置に自分を置いて即断したとも言えるのです。
 大勢に従わず、常道を外れる行動を取るとなると、日本においては、周りから白い目で見られることが多いですが、こと自分の健康ともなれば、傍目を気にしていては、自分の健康をますます害し、最悪の場合は死に至るかもしれないのですから、ここはなりふり構わず、「自分のことは自分で決める」と英断するしかないでしょう。(※)
 そうして選んだ道は、百人百様となりましょうが、どの道であっても、それは正道です。
 自分で決断し、自分が選択した道ですから、納得がいくからです。
 そうでもしないことには、いつまでも悔いが残り、より病に苦しめられることになるのではないでしょうか。
 また、別の選択肢も残されています。「自分のことは自分で決める」のではなく、唯一神あるいはそれと同質の仏に、自分の全てを捧げきって、一切の思考を中断し放棄することです。これによって、悩みの元が消失するのですから、救われることになりましょう。
 選択肢は百人百様なのですから、これも一選択方法になることでしょう。

(2017.4.22追記)
 文末近くで(※)を付しました『ここはなりふり構わず、「自分のことは自分で決める」と英断するしかないでしょう。』に関連して、もう一つ重要なのは、家族の理解と支援です。患者が英断したことを家族皆で応援してあげることです。たとえそれが間違っていると家族が思っても、家族のほうが100%正しいわけでもないですからね。最悪なのは、患者が決めたことに対して家族が不安がって、それ否定することです。不安は患者の方が桁違いに大きいのですから、周りの者が自分の都合で(たいてい無意識的ですが)意見を言ってはならないのです。そして消極的賛成でもダメです。患者が「自分が決めたことに家族という強い味方ができた!」と自信が持てなきゃ、せっかくの英断も病状の一時的悪化などにより揺らぐことがあるからです。(追記ここまで)

 今回も長文となってしまいましたが、最後までお付き合いいただき、感謝申し上げます。
 一部説明不足の所を残してしまい、分かりにくい所もありましょうがお許しください。
 なお、本稿は、いずれ内容を十分に吟味して書き上げようと考えていたのですが、先日、このブログの『 治癒した人から分かった「ガンを治す心」 』(2011.9.13)の記事に、死の宣告を受けられたと思われるガン患者(または身内の方)から、激しい怒りのコメントをいただきましたので、間接的にではありますが、それにどれだけかでもお答えできないかと思って、早速記事にしたところです。

(2014.11.4追記)
 別立てでホームページを開設しました。がん対策についてまとめたページは次のとおりです。併せてご覧ください。
  生涯現役をサポート:三宅薬品のHP 健康情報 ガンのコーナー

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丈夫な歯=“東大”合格! 「よく噛むこと」に絶大な効果があります。

2012年06月06日 | 健康情報一般

丈夫な歯=“東大”合格! 「よく噛むこと」に絶大な効果があります。

 小生が高校生のとき、「花のお江戸」の東大にあこがれました。
 しかし、百年浪人しても受からんこと間違いなし。スッパリあきらめました。
 息子も小生と同様。
 しかし、我が息子でも東大へ入る方法があったんです!
 もっと前に「歯」学問を学んでおれば、と、悔やんでいます。
 息子の受験大学を決めるとき、塾の先生がこうおっしゃいました。
 “東大の難易度は、お父さんの頃に比べて、ずっと落ちています。ご子息の世代はガッツがないし、根気もない。やる気を出せば、東大も案外簡単です。”
 猫も杓子も大学の時代の今、かえって一流大学は簡単に入れるようになったのです。
 偏差値よりも、ガッツと根気、そして集中力のある子に育てることが肝要なのです。

 そこで、「歯」学問! よく噛むことが全てです。
<よく噛むことの三大効用>
・脳の活動準備万全
 よく噛めば食べすぎを防止し、胃腸の負担も軽減されます。噛め噛め!
 食後でも脳への血流は十分で、受験勉強がはかどります。
・脳細胞の活性化
 あご関節の筋肉運動が脳細胞に心地好い刺激を与え、脳細胞が活性化し、理解度、記憶力が抜群になります。
 朝飯は、麦飯、めざし、漬物がよろしいです。噛め噛め!
 おやつや夜食は、硬い切り干し・干しスルメ。噛め噛め!
 勉強に集中力が働くこと間違いなし。
・ストレスの解消
 受験生は、親の期待感が大きな重荷となり、猛烈なストレスを受けているんですよ。
 米国の大リーガーが試合中にガムを噛んでいるのは、精神をリラックスさせるため。
 唾液に幸せホルモンと呼ばれるβエンドルフィンが含まれています。
 これが、精神を安定させ、ストレスを消してくれます。噛め噛め!

 「歯」学問は、その昔、実践されていました。
 昔の日本人が食べていたものは何でしょう。良く噛まねばならないものばかりでした。
 明治維新以降の発展の原動力は、日本人の頭の良さにありました。
 しかし、今の子供には、江戸時代の徳川将軍と同様の育て方をし、硬い物は一切食わせません。このままでは、江戸幕府の凋落と同様に、日本も沈没するしかないのです。

 小生:“さあ、噛め噛め!スルメで一杯。”
 妻殿:“あんた、いい歳して、止めなさいよ。”
 (翌朝)
 小生:“歯が浮いたぁ…、おかゆをたのむ。”
 妻殿:“ばーか、麦飯よ。”

 本稿は、当店「手作り健康と美容ニュース」1999年6月号の健康コーナーの記事を再掲しました。少々オーバーな表現となっていますが、お許しください。でも、けっこう的を得ているんではないでしょうかね。

 参考までに、子供に柔らかい物しか食べさせなくなった今日の料理をもじった語呂合わせがあります。「カーチャンヤスメハハキトク」(母ちゃん休め、母危篤)です。これでは、歯並びも悪くなり、健康になれませんし、とても頭脳明晰とはなりません。
 これは、語呂合わせ健康食(←クリック)の記事の中の4つ目(最後)に取り上げていますので、ご覧になってください。
 もう一つ、歯の衛生週間に寄せての過去記事を紹介しておきます。
 それは、子供さんの虫歯予防に関してですが、虫歯の治療薬は唾液です!(←クリック)でも、よく噛むことの重要さを取り上げました。併せてご覧ください。

関連記事:2012.6.5 どだい無理なハナシ(歯無し)、歯周病の予防をしっかりと。

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どだい無理なハナシ(歯無し)、歯周病の予防をしっかりと。

2012年06月05日 | 健康情報一般

どだい無理なハナシ(歯無し)、歯周病の予防をしっかりと。
(最新更新 2018.6.15)

 土台がなければ家は建たぬ、歯茎がなければ歯は立たぬ、どだい無理な歯無し
 うろ覚えですが、何年か前に歯医者へ通っていたとき、歯科医師会の月報か何かに、このような格言めいたものが載っていました。
 これを見て、思わず吹き出してしまいました。誰が考えたのか、ドダイを「土台」と「どだい」に、ハナシを「話」と「歯無し」に、2つも引っ掛けるとは、いかにも面白いです。
 さて、歯茎ほど重要なものはないでしょう。
 虫歯ができていなくても、歯茎がしっかりしていないことには、食べ物を十分に噛むことができず、消化不良になるだけではなく、脳の働きも落ちます。

 先ずは、消化不良に関して。
 “痔にはボラギノール”・“便秘にコーラック”ではなく、“痔も便秘もアセス”なのです。
 丈夫な歯茎が育っていれば、十分に咀嚼でき、胃や小腸に負担が掛からず、大腸も健全さを保てますから、痔にも便秘にも悩まされることはなくなるのです。
 小生(63歳)もアセスなどの歯槽膿漏改善歯磨きを毎日使っているのですが、これを10年ほど前から使うようになったら、たしかに歯茎が丈夫になりました。何年か前に行った歯医者さんにも“いい歯茎してるね”と褒められたところです。
 もちろん、痔も便秘も患っていません。
 少々古いデータで恐縮ですが、「45~55歳で88%の人は歯周病に罹患している」との実態調査(平成11年)結果が出ているくらいですから、予防のためにも40歳を過ぎたら歯槽膿漏改善歯磨きを使っていただきたいものです。なお、歯医者さんで定期的に歯石を取ってもらうことも重要です。

 次に、脳の働きに関して。
 歯茎が丈夫であれば、力強く噛むことができます。すると、あご関節の筋肉運動が脳細胞に心地好い刺激を与えて、脳細胞が活性化し、理解度、記憶力が向上します。
 つまり、よく噛むことで脳細胞を絶えず刺激しますから、ボケ防止になるのです。
 
これは、中高年に限らず子供にも言え、頭脳との関わりが深いものです。
 子供のおやつはスナック菓子ではなくて、干しスルメでも与えることです。
 ところで、小生、これが大好物でして、ある日、晩酌後に2本目の缶ビールをチビチビ飲みながら、干しスルメを1枚、少々無理して食べてしまったところ、虫歯治療で被せてあった歯がぽろりと外れ、かつ、翌日歯が浮いてしまい、歯医者さんのお世話になってしまったのです。そのときに、冒頭の格言が目に入ったわけです。
 なお、歯医者さんに、“いい年こいて干しスルメなんぞ噛んだらいかん”と、叱られたところです。それ以来、干しスルメは、ほんの少々食すだけに止めていますが。

 歯の衛生週間が始まりました。
 虫歯予防も重要ですが、“歯茎がなければ歯は立たぬ、どだい無理な歯無し”なのですから、歯茎をより大事にしていただきたいものです。

 関連記事
2011.6. 4 虫歯の治療薬は唾液です!硬い物をよく噛むに限ります。
2012.6. 6  丈夫な歯=“東大”合格! 「よく噛むこと」に絶大な効果があります。
2018.6.15 昔「歯の衛生週間」、今「歯と口の衛生週間」、いずれや「口の衛生週間」に

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効く“抗がん剤”はあるのか? 残念ながら皆無のようですが…

2012年06月03日 | 癌(がん・ガン)

効く“抗がん剤”はあるのか? 残念ながら皆無のようですが…

 このブログで2か月ほど前の4月12日に「検診でガンにされ、無駄な治療で殺されるガン患者」と題して記事を書きました。その記事は、そのときにも書きましたが、「新がん革命」(安保徹・船瀬俊介・キ ジュンソン著)の要約を中心としたものです。
 その中で、抗がん剤は、リンパ球を激減させ、ガンにはほとんど無力であって、そればかりか良性のものを悪性にしてしまい、抗がん剤は無用である、と抗がん剤使用を全面否定しました。
(2015.1.6挿入)その理由を一つ補足します。
 抗がん剤が承認される基準は、がんの大きさ(画像上で面積)が半分以下になっている期間が4週間以上続くこと、そして被験者の2割以上がそういう状態を呈すること、これが条件です。よって、8割の患者は大して効かないのですが、それでも承認されるという、他の薬では考えられない基準になっています。(挿入ここまで)
(2015.2.8挿入)更に理由を補足します。
 これは、新谷弘実著「病気にならない生き方」から引用しました。
 …私は、抗ガン剤は猛毒以外の何ものでもないと思っているので、よほどのことがないかぎり使用しません。…
 抗ガン剤がなぜ「猛毒」なのかというと、体内に入ったとき大量の「フリーラジカル/活性酸素」を出すからです。抗ガン剤は毒性の強い活性酸素を大量に作り出すことで、全身のガン細胞を殺しているのです。しかし活性酸素は、ガン細胞だけを殺すわけではありません。そのため正常な細胞も、抗ガン剤によってたくさん死ぬことになります。「毒をもって毒を制す」という言葉がありますが、抗ガン剤を使用する医師の発想はまさにそれといえるでしょう。抗ガン剤は同時に発ガン物質にもなりうるのです。…
 抗ガン剤の副作用としては、食欲不振や吐き気、脱毛などが有名ですが、それらの症状はすべて、大量の…エンザイム(酵素)が解毒に使われた結果、各所でエンザイムが不足して起きる症状だと考えられます。それほど抗ガン剤の解毒に利用される…エンザイムの量は莫大なのです。
 消化エンザイムが不足すると食欲はなくなります。同時に代謝エンザイムも不足するので、細胞の新陳代謝が滞り、胃や腸の粘膜がぼろぼろになり吐き気を誘発します。皮膚がぼろぼろになり、爪が割れ、髪の毛が抜けるのも代謝エンザイムが欠乏したことが原因です。(引用ここまで)

 しかし、抗がん剤のどれもこれも全面否定するのは、ちょっと言いすぎでして、現在使われている全ての抗がん剤が丸っきり駄目ではないことを補足・訂正しつつ、将来の展望を小生なりに述べることにします。
 まず、10年ほど前に開発された「リツキサン」という抗がん剤は、従前のものとは性質が根本的に異なる画期的な抗がん剤と言われています。
 世界初のガン治療用「抗体」で、何種類かあるリンパ球のうちB細胞にしか関わらないのですが、ガン化したB細胞(一部の正常B細胞を含む)をその抗体でもって攻撃するのです。ですから、特定の悪性リンパ腫にしか効き目がなくて、また、長期生存率を10%程度アップさせるのものでしかなく、残念ながら完璧とは言えません。
 でも、「リツキサン」は、体が本来持っている免疫系を応援する性質があり、従前の多くの抗がん剤が免疫力を極端に落としてしまうのとは、正反対のものです。
 もっとも、多くの人に軽度のようですが、発熱、頭痛、かゆみ、発疹、だるさなどの副作用が出ますから、とても「体にやさしい薬」とは言えません。

 次に、生物学的応答調整剤の一つとして「レンチナン」という抗がん剤があります。
 これは、シイタケから抽出したβグルカン(アガリクス茸で有名)で、免疫細胞の活性化を図るものです。ただし、単独使用での有効性は確認されておらず、化学療法(通常の抗がん剤)による免疫力低下を補う目的で使われているだけです。
 なお、この種のものとして有名なのが、インターロイキンやインターフェロンですが、どちらもサイトカインの一種で、免疫細胞から分泌されるたんぱく質です。
 これを投与するのですが、ステロイド剤に副作用があるのと同様にサイトカインも副作用があります。ステロイドにしろサイトカインにしろ、体内で合成され、大きな自然治癒力を発揮するのですが、外から人工的に入れられたものは、残念ながら大した効果がなく、副作用ばかりが目立つという宿命を持っているのです。

 こうしてみると、ガンをやっつけてくれる「体にやさしい特効薬」の開発は、至難の技となりますが、「リツキサン」のようなガン治療用「抗体」や、「レンチナン」のような免疫細胞の活性化を図るもの、これらの類の新たな抗がん剤が何とかして開発されないか、今のところ、それを祈るしかないように思われます。
 なお、新たな抗がん剤が次から次へと開発されるでしょうが、免疫力を低下させるような代物は願い下げです。そんなものは、決して認めてはならんです。なぜならば、ガンを撲滅するには、どう転んだって自然治癒力しかないないからです。

(2014.3.30追記)
 がん治療薬としては、免疫力を飛びっきりアップさせる
信じられない特効薬が過去に2種類できたものの、いずれも効きすぎて99%あるいは75%が完治してしまい、これでは医療業界全体が破綻してしまうからと、業界挙げて潰してしまったという話があります。どこまで信じられるか確証が持てませんので、このブログには載せず、別立てブログで記事にしました。
 よろしかったら下記をクリックしてご覧ください。
  http://ameblo.jp/nagatukitouka/entry-11530964792.html

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結婚学入門(上) “ジューンブライドは理想的”

2012年06月02日 | 心に安らぎを

“ジューン・ブライドは理想的な結婚である”
ただし、離婚まで「執行猶予3年」の“判決”が下されます。

 毎年5月には、家のベランダで盛りが付いた猫たちが“フギャー、ウギャー!”と大声でわめきます。ヒトも、多分その時期が恋の季節なのでしょう。
 でも、ヒトは、即、いたしません。オスのプロポーズに対して、メスは慎重にオスの品定めをし、“こんなオスだけど、ここらで妥協しよう。”と決断するのが6月。
 直ちに結婚し、新婚旅行で何すれば、翌春に出産。食糧が豊富な時期で乳の出も良く、暖かくなり、生まれた赤ちゃんには好都合。
 日本では6月は梅雨であり、結婚式の参列者には迷惑なことですが、御両人にとっては雨でずぶ濡れになれば、化けの皮が洗い流されて互いに本性が分かり、好都合でしょう。式が終わるまでは、お互いに本性を隠しまくっていますからね。
 なお、近年、良く当たる“オス品定め法”がメスたちの間で密かに採用されています。
 恋愛期間中はドライブがつきもの。メスはオスの運転を見ていれば良いのです。もろに性格が表れます。普段の言動が大きく変身し、本性が出ます。これで判断すれば、自分に合ったオスか否か判定できるのです。オス諸君よ、くれぐれも心して運転されたし。

 さて、結婚式当日。和洋どちらかの神に誓いを立てます。
 “永久(とわ)の契りを”が、決まり文句です。
 でも、これを文字通りに解釈してはなりません。神の言葉を通常語に翻訳しましょう。
 まず、御両人の前におわします神は、実は離婚の神様であり、“執行猶予3年の刑に処す”と宣告されたのです。
 つまり、“互いが嫌いにならない期間を3年間お与えくださった”に過ぎないのです。
 ヒトも類人猿も恋愛感情は一緒です。ヒトは類人猿と同様に、3年で必ず飽きが来ます。
 “♪3年目の浮気ぐらい大目に見ろよー”のとおりなのです。
 その3年の間、お互いの心の持ち方が変わらなければ、“執行猶予”の経過とともに、目出度く離婚が成立します。

 この方が自然であって、実に理にかなっています。それを説明しましょう。
 人類の歴史はたったの数百万年ですが、オス・メスの誕生の歴史は30億年で、この途方もなく長い期間にオス性・メス性が別々に大きく進化しましたから、オス・メス間の相互理解が全くできなくなってしまったのです。
 理解し合えない状態では、一緒に住めるわけがないではないか。
 そこで、ドイツのある国会議員が、“結婚期間は7年間に限定し、期限の到来時に双方が異議なしとしない限り、婚姻を解消させる”という法案を出そうとしたくらいです。
 近年、日本にも信心深い若者が多く、“神様への誓い”のとおり、3年いや1年で、目出度く離婚されます。

 でも、“神様への誓い”を反故(ほご)にする変人もけっこう多いです。
 “結婚は人生の墓場である”とオスたちは言いながらも、“神様への誓い”を守ろうとしない。一方、メスにとっての結婚生活は、墓場かどうか知りませんが、少なくとも“動く粗大ゴミを毎日守りさせられる場”でありましょう。でも、粗大ゴミの守りをし、オスと同様に“神様への誓い”を守ろうとしない。
 オス・メスともに、相手が何を考えているのか、さっぱり分からないけれど、それでも、“伴侶は、このままでいい、変わらなくていい”と、“ただ単に受け入れる”という、たったこれだけの心の持ち方の変化だけで、夫婦の縁というものが見事に緊密になってしまうのですから、人間は摩訶不思議な動物です。

 さて、世の中には、とんでもない変人も多くいます。夫婦の緊密な絆が死ぬまで長々と守られるという変り種です。でも、そこには相互理解は一片たりともありません。
 何だか分からないが、ああすれば、あるいは、こうすれば、連れ添いが大喜びすることを経験上知っていて、単にそれを繰り返し言葉にするだけのことなのです。
 そうした、とんでもない変人になりたい方は、次のことを実行なさってください。

 夫⇒妻への最善の接し方 “言葉の飴玉を”
 女は気の合った仲間とのたわいのないオシャベリの世界に住んでいます。男が“黙して語らず”と、かっこ良くやるのは職場だけにしましょう。妻の語りかけに対して、一々面倒ですが、『い・き・そ・う』と、定型応答の“言葉の飴玉”をしゃぶらせてあげれば、妻は夫を快く思ってくれます。
 『いいね。きれいだね。そうだよ。うまい。』
と、毎日念仏を唱えれば、女は何でもしてくれますよ。これほんと。
 小生の経験からも、これを実感しています。
 なお、ベッドに入って『きれいだね。』と言ってあげれば、妻は『い・き・そ・う』と反応してくれます。これは、ほんとかどうか、お約束できませんが、“言葉の飴玉”の頭文字を、こうして覚え、“4つの念仏語”がすらすら出てくるように毎日稽古なさってください。

 妻⇒夫への最善の接し方 “豚も木に登る”
 男は、偉そうに強そうに見せかけているのですが、実は、支えてくれる人がだれかいないと生きていけません。男は、弱い上にバカで単純です。
 どんな男にも、何か取り柄があるもの。些細な取り柄であって構いません。それを褒めてあげれば良いのです。褒められれば、勇気百倍。不可能を可能にしてしまうのが男です。
 おだてりゃ豚も木に登る!
 男は、オモチャのようなもの。うまくゼンマイを巻けば、見事に動き出しますよ。間違いなく。これほんと。

 うちの女房は、そのゼンマイの巻き方の名人でして、小生は、毎日、木に登らせられています。少々疲れますが、充実した楽しい日々をおくることができ、晩酌がうまい!
 当然にして、まずいおかずに向かって『うまい!』と念仏を唱える。決して、“まずい!”と言ってはなりませんぞ、男性諸君。

 この記事は、当店「生涯現役新聞」2008年6月号を再掲(一部補足)したものです。
 なお、引用した文献は、次のとおりです。
 小林正観著「宇宙が味方の見方道」、同「究極の損得勘定」、黒川伊保子著「恋愛脳」ほか。

 関連 → 結婚学入門(下)“夫婦とは、どこかのおじさん・おばさん”

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結婚学入門(下)“夫婦とは、どこかのおじさん・おばさん”

2012年06月02日 | 心に安らぎを

“夫婦とは、どこかのおじさん・おばさん”です。
結婚とは、赤の他人の「二人」が一人前の大人になって「仁」づくり。

 “夫婦喧嘩は犬も食わぬ”と言います。
 意味するところは違いますが、人間は、犬から軽蔑されているようです。
 どうも、哺乳類全般に、夫婦喧嘩はなさそうでして、唯一の例外が人間のようです。
 じゃあ、人間だけがなぜ夫婦喧嘩するのか。
 これについて、ある本に興味深い説明が書かれていましたので、それを紹介しましょう。

 夫婦喧嘩する人は、「これは自分の妻だ。」「これは自分の夫だ。」と、とんでもない誤解をされておられます。「自分の家族であるから、何を言ってもいい。」と思っておられる。
 でも、家族でもない隣のおじさんが、毎月給料を運んでくれていると思ったら、決して文句を言ったりしないでしょう。また、どこのどなたか分からないおばさんが、いつの間にか家に入って来て夕食を用意してくれるなんてことは有り得ないことです。
 もし、こんなことがあったとしたら、ただただ手を合わせて感謝するしかありません。
 他人だったらそうするのに、なぜ夫婦はそうしないのでしょうか。
 それは「家族」という名の甘えなのです。原点に立ち戻って、夫も妻も「この人は元々他人なんだ。」ということを、しっかり再認識しましょうよね。
 夫は妻に「どこのどなたか存じませんが、毎日夕食を用意してくださって有り難うございます。」と、妻は夫に「どこのどなたか存じませんが、毎月大金をお届けくださって有り難うございます。」と、たまには言ってみませんか。

 「結婚したら一人前の大人だ」と言われますが、「一人前の大人」とは、何でしょう。
 怒りが生ずると、他人に対しては踏み止まる能力があるのですが、多くの親子は踏み止まらない。「踏み止まれない」のではなく、「踏み止まらない」のです。
 これを一言で言うと「幼児性」です。
 実は、「幼児性の克服」のために「結婚」というものがあるのです。
 元々が他人である夫や妻に対して怒りのストレスを発散させること、つまり、夫婦喧嘩、これをしないのが一人前の大人です。

 『仁』という漢字があります。その意味は「博愛、いつくしみ、思いやり」です。
 究極の愛情の形態であると同時に、実は一番簡単な愛の形と言えましょう。
 『人』が『ふたり』一緒になって居る。これが、『仁』という漢字の語源です。
 『仁』とは、何もしなくていい。ただ、その人のそばに居てあげること。それが究極の愛なのではないでしょうか。距離的にというより精神的に。
 夫婦が生涯連れ添うには、夫婦二人の間の行ないにおいて、互いに相手を尊敬できる何かが求められます。相手の中に尊敬できるところを見い出すというよりも、自分の中に相手から尊敬されるものを作り出すというふうに考えた方がより良いでしょう。
 これが実践できれば、最高のオシドリ夫婦になります。
(ここまでの3段落は、小林正観著「宇宙が味方の見方道」「こころの遊歩道」からの抜粋です。)

 なるほど、と納得させられました。
 動物の群形態としてペアを作るものがありますが、彼ら彼女らをよくよく観察してみると、皆、一人前の大人として振舞っていますね。人間も見習わなきゃいかんですね。
(これより、小生のボヤキ)
 綺麗事ばかりでは何ですから、悪妻の成功例も一つ紹介しましょう。
 古代ギリシャの哲学者ソクラテスの奥さん。夫が午前様で帰ろうものなら、2階からバケツの水をかけるという、ひどい女でした。
 しかし、ソクラテスは、「優しい女を妻にした男は、世界一の幸せ者になれる。ああいう、きつい女を娶った男は、世界一の哲学者になれる。」と言ったそうです。
 哲学では全く銭が稼げず、彼は妻に食わせてもらっていました。「我慢するしかない。」が本音だったでしょうが、好きなことをやり放題の毎日が過ごせたのですから、彼は世界一の幸せ者ですよね。
(夫)小生も、ソクラテスを目指そう!
(妻)あんた、サボってないで掃除しなさい!

(この記事は、当店「生涯現役新聞」2008年7月号を再掲したものです。)

(2013.11.14 追記)
 悪妻かどうか分かりませんが、結婚して苦労されたらしい方の面白い身の上話が、ある新聞に載っていましたから紹介します。
 その方は、みやざき中央新聞の自称「魂の編集長」水谷もりひと氏。
 このブログでも2、3度紹介しましたが、週1回発行のローカル紙を引き継いで、地元の記事は書かず、「心温まる、勇気をもらえる、感動した」といった内容ばかりの新聞に衣替えし、愛読者は全国に散らばっており、小生も読者の一人です。
 その新聞の2013年11月11日号の取材ノート欄に「いつ選ばれてもいいように いつ捨てられてもいいように」と題して、「いつ捨てられてもいいように」の例として、自身のことを次のように書いておられます。

 …結婚して思ったことは、「修行だなぁ」ということです。最初の10年くらいは、山にこもって滝に打たれているような自己否定の道を歩んでいました。
 30代の後半に心理学とカウンセリングに出会い、同時期にメンズリブ運動にも出会いました。これは「男の、男による、男の為の駆け込み寺」というようなもので、行政が全国に女性センターを作って、女性の支援を積極的にやっていた時代、細々とやっていた男性支援の運動です。
 そこで女に分からない男性心理、男に分からない女性心理を学び、さらに経済的自立だけでなく、精神的自立、生活自立の道を歩むようになりました。言ってみればそれが「いつ捨てられてもいいように」という道です。
 しかし、「いつ捨てられてもいいように」準備をしていると、結果的に捨てられない男になっていくのではないか、そう実感してきた結婚生活24年の歩みでした。
 何事も準備が大切です。 (了)

 若いときに随分と連れ添いに苦労され、その結果、今日があるのでしょうね。ソクラテスの現代日本バージョンのようにも思われます。ちょっと違うかな?

 関連 → 結婚学入門(上)“ジューンブライドは理想的”

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