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薬屋のおやじのボヤキ

公的健康情報にはあまりにも嘘が多くて、それがためにストレスを抱え、ボヤキながら真の健康情報をつかみ取り、発信しています。

日本講演新聞より「伝統文化に即した良い習慣」の記事を紹介

2022年03月23日 | 食養

 この日記でときおり紹介している「日本講演新聞」(旧名:みやざき中央新聞)。毎月4回発行され、定期購読しているのだが、読んだとき傑作な記事には黄色の蛍光ペンで丸印を付けておく。それを毎月20日頃にもう一度読み、その中から良いもの数記事をコピーし、うち4つをDMに使うことにしている。
 毎月けっこういい記事があってDMに使いきれず、ストックが数記事たまってきた。これらはたぶんお蔵入りになってしまうだろう。
 それではいかにももったいない。
 そこで、このブログで健康に関するものを一つ紹介することにします。

 伝統文化に即した良い習慣 健康な人を育てる国を作ろう
 (小児科医 真弓定夫 2004年Miyachuアーカイブ)

     

 

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「大陸=力と闘争の文明」VS「モンスーンアジア=美と慈悲の文明」の本質的な違いは食にあり

2019年09月05日 | 食養

「大陸=力と闘争の文明」VS「モンスーンアジア=美と慈悲の文明」の本質的な違いは食にあり

 1946年生まれ、環境考古学の提唱者である安田喜憲氏は、その著「山は市場原理と闘っている」(2009年)のなかで、興味深い考察をしておられる。
 その安田氏の研究態度は、考古学から始まり、地理学、文明論、宗教論、なかんずく地球の気候変動が文明や歴史に与える影響を学問するなど、その守備範囲は広い。そうした学際的な研究の中から、独特の文明論を展開されている。
 安田氏の主張として、興味深いのは、世界の文明は大別して2つあって、一つは西欧をはじめ中国を含む大陸の「力と闘争の文明」であり、もう一つは日本を筆頭にモンスーンアジアの「美と慈悲の文明」であると。この違いは、山(=森)を征服するのか崇拝するのか、言い換えれば自然は敵か味方か、そして宗教が一神教に昇華するのか多神教のままでとどまるのか、ということとも密接な関係があるという。
 以下、上に紹介した本に一部同著「環境考古学のすすめ」を含めて、安田氏の文明論に関する要点を紹介しよう。

 1万5千年前、地球は氷河期を脱し、間氷期となり、温暖化し、降雨量も増えた。しかし、西アジアは降雨量は少なく、かろうじて森が育っていただけであった。そして、この地では1万年前にはヒツジ、ヤギの家畜化に成功し、人口も増え、森に入って樹木の伐採を始めた。伐採地には新たな樹木が芽吹き、通常なら森が再生されるのだが、その若芽は家畜に全部食われてしまい、樹木の種が尽きれば森は再生不能となる。(安田氏が)シリアで行った地層の花粉分析によると、1万年前にはナラの森が激しく破壊され、5千年前には森は消滅した。地層から樹木の花粉が出ないのである。現在のシリアはじめイスラエル辺りのハゲ山は多くがこの時期にそうなったと考えられよう。
 遅れてギリシャで文明が栄えだし、深い森はギリシャ文明が繁栄するなかで同様にして全部ハゲ山にされてしまった。あとに続くローマ文明も概ね同様である。森の破壊はその後の年代も続き、広くヨーロッパの森は大きく破壊されてしまった。
 こうして西アジアからヨーロッパにかけて順次森が破壊されていったのだが、これは西アジアに端を発する畑作牧畜文明(肉食文明)が勢力圏を広げ、深き森で狩猟採集していたヨーロッパのほぼ全土を畑作牧畜民に変えてしまったのである。ヨーロッパの彼らは順次家畜を導入し、森を切り開き、草木の若芽を放牧した家畜に食わせた。やがて山はハゲ山と化すが、一定量以上の降雨量があれば平坦地は牧草地となり、その一部を小麦畑にできる。その彼らの食性は、肉とミルクにどれだけかの小麦とわずかばかりの野菜に変化したのである。
 黄河文明に端を発する中国においても主体は畑作牧畜民であり、中国大陸を広く支配したのも彼らたちであった。よって、中国もハゲ山だらけとなってしまったのである。
 一方のモンスーンアジアは、多雨地帯であり、主食は芋(のちに米)と魚それに豊富な野菜であり、稲作漁撈民であって、牧畜を行なうことはしなかった。それによって、森は守られ、森のもたらす恵みを享受でき、森、そのシンボルである山を崇め続けたのである。よって、西アジアの畑作牧畜民(短期的・中期的気候変動による旱魃でもってひどい乾燥地獄を幾度も味合わされた)のように自然を敵とし、自然を征服するという考えに立った一神教の発生を見ず、山に川に海に、何もかもに神々が住んでいるという多神教の世界で長く暮らしてきた。
 こうして大陸の「力と闘争の文明」とモンスーンアジアの「美と慈悲の文明」が文明の両極として発展していった。この2つのどちらが勝つか、それははっきりしている。中国でもモンスーン多雨地帯にある長江文明が一時栄えたが、それは昔々のことであり、その後は畑作牧畜民に支配されてしまったように「力と闘争の文明」が勝つのであり、近代になって世界の大半は「力と闘争の文明」にある西欧列強の支配下に置かれてしまった。
 加えて、世界経済がグローバリゼーションのもと市場原理主義化するなかで、日本にも、この「力と闘争の文明」がじわじわと入り込んできている。

 本書著者の安田氏は、こうした現状分析をするとともに、この極悪の資本主義経済システムは行き詰まりを見せてきているからして、「平等と共存・共生、自然への畏敬念、他者への思いやり、慈悲の心と利他の心を内包する経済システムへと、一日も早く転換することがなりよりも必要なのである。」と訴えられ、そして、それを可能にするのは「人類が山に祈る心をとりもどすことにある。なぜなら山は市場原理主義と闘っているからだ。」と本書を締めくくっておられる。
 このあたりのことに関しては本書をお読みいただくとし、ここでは表題にした件に関して、本書に興味ある事項が書かれていたので、以下にそれを紹介することとしよう。

 魚を食べれば人の心はおだやかになる
 …パンを食べミルクを飲み、肉を食べる人々は、いつのまにか森里海の水の循環系を破壊し、戦闘的な「力と闘争の文明」を構築し、大地を不毛の砂漠に変えていた。これに対し、米を食べ味噌汁を飲み、魚を食べる人々は、森里海の水の循環系を守り、不毛の大地を豊かな大地に変えることに喜びを覚え、「美と慈悲の文明」を構築した。…
 近年の脳科学の発達…は、こうした食事と心と環境をつなぐメカニズムの一端を解明しつつある。…以下に、最近の中川八郎氏らの脳の栄養学の研究…を紹介しておきたい。
 …脳の神経細胞のネットワークに深くかかわっているのが神経伝達物質である。重要な神経伝達物質にドーパミン、βエンドルフィン、ノルアドレナリン、セロトニンがある。その神経伝達物質の素はアミノ酸である。…人間は生きるためにはタンパク質を摂取しなければならないというのは、脳…にタンパク質は必要不可欠であるからなのだ。
 しかし、過剰のタンパク質の摂取も脳機能に悪影響を及ぼす。あまりアミノ酸が多くなりすぎると、神経伝達物質の合成に必要なアミノ酸だけを取り入れるのがむずかしくなるのではないかと、中川氏らは指摘している。タンパク質を全カロリーの15パーセントほど摂取し、糖質を多く取ると、脳の識別能力や記憶力・判断力が向上する。
 では、いかなるタンパク質がもっとも優れているか。中川氏は鶏卵が脳の発達には、もっともすぐれたタンパク質であると指摘している。ほかに学習と記憶にきわめて関係の深い神経伝達物質であるアセチルコリンに深く関係しているホスファジルコリンを多く含む食物として、大豆やピーナツなどによる植物性タンパク質をあげている。
 最近の子供が残虐で攻撃的になり「キレる」現象には、セロトニンと呼ばれる神経伝達物質の不足がかかわっているのではないかとも指摘されている。セロトニンは安らぎや弛緩と関係し、受動的で内向的な活動と深く関連しているとされる。その脳内のセロトニンが減少すると、攻撃的・狂暴になり、キレる。そのセロトニンの活動の低下の背景には、肉食が中心となり、魚や野菜を子供が食べなくなったことが深くかかわっているのではないかと、中川氏らは指摘する。
 セロトニンが脳内で活発に働くためには、そのセロトニンの情報を電気信号に変換して、神経細胞に刺激を与える受容体の働きが重要である。セロトニンの受容体の働きが低下すれば、いくら脳内にセロトニンがあっても、その情報は伝わらず、脳に異変が起こることになる。そのセロトニンが発信する情報を電気信号に変えるセロトニン受容体の活動に深くかかわっているのが、n-6系必須脂肪酸とn-3系必須脂肪酸である。n-6系必須脂肪酸はごま油などの植物油に、n-3系必須脂肪酸は魚油に多く含まれる。ところが肉には飽和脂肪酸が多く、この飽和脂肪酸はセロトニンの受容体の細胞膜を硬くし、セロトニンからくる情報を伝わりにくくしている。
 したがって魚や野菜を多く食べれば、n-3やn-6系必須脂肪酸によってセロトニン受容体の細胞膜が軟らかくなり、セロトニンからの情報が伝わりやすくなるのに対し、肉を食べすぎると、飽和脂肪酸が増え、セロトニンの受容体の細胞膜が硬くなり、セロトニンからの情報が伝わりにくくなり、結果的に「キレる」のではないかというのである。
 この中川氏の指摘は、肉を食べる人々が「力と闘争の文明」を構築し、魚をタンパク質として食べる人々が「美と慈悲の文明」をなぜ構築したのかを、脳と食物の関係から説明できる可能性を示唆している。
 脳内にある神経伝達物質セロトニンは、安らぎや弛緩、受動的な心、内向的な心、やさしさ、和らぎと深く関係していた。魚をタンパク質として食べ、野菜を食べる稲作漁撈民の食事は、まさにセロトニンを活発に働かせる必須脂肪酸を多く摂取することになり、セロトニンが活発に働いて、他者への思いやりの心や慈悲の心を生み出し、これが「美と慈悲の文明」を生み出す根本の一つを形成していたことになる。
 かつて、和辻哲郎氏がモンスーンアジアの人々は、受容的・忍従的であると言ったが、そのモンスーンアジアの人々の心のありかたを決定する一つの要因は、野菜と魚を食べることによって、脳内でセロトニンが活発に活動し、これが人々の心を受容的・忍従的にしていたことにある可能性がでてきた。
 これに対し、肉を食べる人々は、セロトニン受容体の細胞膜が飽和脂肪酸によって硬くなり、セロトニンが活発に働くことができずに、能動的、攻撃的になり、受容的・忍従的とは反対の「力と闘争の文明」を構築するもととなったのではないか。
 このように何を食べるか、とりわけタンパク質に何を摂取するかが、脳内の神経伝達物質に大きな影響を与え、これが、「美と慈悲の文明」と「力と闘争の文明」の相違を生み出した一つの要因である可能性が、近年の脳科学と栄養学の研究の進展の中で解明され始めてきたのである。稲作漁撈民が「美と慈悲の文明」を構築したのは、魚と野菜を食べてきたこととどこかで深くつながっている可能性が出てきたのである。
 …モンスーンアジアの稲作漁撈民が、人類文明史の中に、「美と慈悲の文明」を構築できたのは、1万5千年前の氷河時代から間氷期への移行期に、雨の多い森と水にめぐまれた風土が形成され、その森と水の風土の下に川や湖、さらには海には魚介類が大量に生育し、それをタンパク源としたという、地球からの贈りものにほかならないのである。
(引用ここまで)

 いかがでしょうか。小生、10年近く前に本書「山は市場原理と闘っている」の初版本を買ったたのですが、その当時、執筆していた拙論のダメ押しのため、地球の環境変化(温暖化・寒冷化)に係わる部分しか読んでおらず、引用した部分は飛ばし読みしてしまっていました。今回、蔵書が増えすぎて断捨離読書をしているなかで、これを初めて知り、遅ればせながらこのブログで紹介することとした次第です。

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脱農薬! 無肥料・無農薬栽培をすすめよう

2018年03月07日 | 食養

脱農薬! 無肥料・無農薬栽培をすすめよう

 本稿は、残留農薬の害を主眼にしていますが、それに関しては後半に述べることとし、まずは無肥料・無農薬による野菜づくりについて思うところを記すこととします。

 無肥料・無農薬栽培、これを通常「自然栽培」というのですが、そうして作られた野菜は若干生育が遅くなり、色は薄く、妙にアクっぽい(場合によっては、これがうまいと感ずる)ということは全くなく、なかには最初は物足りないと感ずる人もいらっしゃるようです。でも、自然栽培した野菜を食べ続ければ、誰もが“こんなおいしいものはない!”と、はまってしまいます。これが自然の味というものです。
 草むらで草を食む牛は、色の濃い草を避け、色の薄い草しか食べないと言います。なぜならば、色の濃い草は糞尿がかかった草で肥料を吸って育ったからです。牛は、そうした草は、まずいと思うのか毒があると思うのか、そのいずれか、あるいは両方でもって、“自然に育った草”を求めるのです。

 無肥料・無農薬の野菜づくりをすすめておられる河名秀郎さんが、そのようなことを言っておられます。それにしても後段の話には驚きました。
 小生は専業農家の生まれで、社会人になった年に親父が起業して薬屋を始め、今はその2代目をやっております。よって、農業にはどれだけかは携わってきましたし、最近は半農半商生活をしており、別立てブログ「ファーマー・ファーマシーの日記」で主として野菜づくりについて、その悪戦苦闘ぶりを記事にしています。
 そのブログ記事を一部手直しし、以下に、現時点での無肥料・無農薬野菜づくりについて自分なりの考えや取り組み状況をまず紹介しましょう。

 最初に、有機肥料栽培について。
 各種有機肥料を上手に組み合わせ、化学肥料は苦土石灰程度にして栽培すると、味が濃厚で甘味が増した野菜が取れます。(もっとも、牛はこれをマズイと思うでしょうが、現代人、小生を含めて、これをおいしいと感じます。)
 ところが、市場に出回っているものは、化成肥料などの即効性化学肥料中心の施肥ですから、成育が早く、大きく成長し、見た目にもいいです。でも、有機肥料栽培に比べ、ビタミン・ミネラル含有量が落ちますし、甘味・うまみも減ります。本来の野菜とは似ても似つかない、姿形だけが似せられた、まがいものと化してしまっています。

 ひどいものになると、窒素肥料過剰で苦味があるものまで売られています。肥料がまだそのまま葉っぱや根っこに残ったままの状態にあるのです。ホウレンソウ、大根、キャベツ、ハクサイで苦味を感じたら、まず肥料過剰だと思って間違いないでしょう。もっとも、昔からの品種で原種の性質を引き継いでいるもののなかには初めから苦味があるものもありますが、まずこうしたものは一般の市場に出回っていません。
 なお、ネギの場合ですが、最後の追肥を多めにすると、葉っぱの折れが減りますし、青々してきて見た目が良くなりますから、そうしたものが市場に流通します。これは、当地特産の「徳田ねぎ」でも同様で、葉も白根も硬くなりますし、甘味・うまみも減ります。
 こうしたことから、うちでは化学肥料は基本的に使うことはなく、なるべく穏やかな有機肥料を何種類か組み合わせて栽培してきました。こうした有機肥料の欠点は、値が張ることと施肥が面倒なことです。よって、利益を上げるには適しませんが、うちでは自家消費分のほかは当店のお客様に差し上げたり、親類に送るだけですから、おいしさ第一の栽培法をとっているのです。

 次に、農薬についての小生の基本的な捉え方について。
 農薬の残留については国産のものであれば、一部のアレルギー体質の方を除き、今のところは通常さほど気にすることはないと思われます。大産地であっても、自主規制でもって、毒性が弱く、残留性の少ないものを使っていますからね。といっても、虫が付いたものは一部の消費者が心因的拒絶反応を示しますから、残留なしとはまいらず、どれだけかは農薬が残っていると考えねばなりません。現に、農水省の基準では一定濃度以下の残留であれば出荷が認められています。(これは将来的にはだんだん問題が出てきそうで、そのことについては最後のほうで述べます。)

 農家が生産した野菜は、大半が農協指定の箱に梱包されて農協から出荷され、それが大手スーパーマーケットに渡り、各店に配送され、箱から出されて店頭に並びます。その最終作業のときに虫が1匹でも発見されれば、
その箱に入っている野菜のみならず、同一入荷先の全部が返品対象となるようです。ここまで厳しい扱いを受けるとなると農協もたまったものではありませんから、農家にしっかり農薬散布するよう指導します。
 ここのところは“虫がいれば残留農薬はほんのわずかなんだろうから安心”というふうに消費者が考えを改めてくれれば、随分と減農薬が進むんですがね。日本人の過度の清潔感、不潔恐怖症とも言えるものが大きくわざわいしています。
 農家の立場から物申せば、畑を飛び交うモンシロチョウ、農薬使用がために滅多に見かけなくなりましたが、消費者がそれを“綺麗だね”と言うのであれば、キャベツについた“そのイモムシも愛おしいね”と言ってほしいものです。
 なお、都市近郊の直売場で売られているもののほうが、場合によっては農薬がきついのではないでしょうか。人の往来、車の往来が多いほど害虫や病原菌の拡散がひどくなり、都市近郊では何種類もの農薬を多用せねばならない傾向にあるからです。その農家は、たいていは“畑のここの部分ははうちで食べる分だから、多少虫がついてもいいので農薬散布は控え目に”と、売るものと自家消費のものと分けておられます。

 うちは都市近郊にあり、無農薬でいくとハクサイ、キャベツなどは虫食いだらけ、虫の糞まみれになることが多いですし、トマトは最盛期を過ぎるとヘタに虫が入ることがけっこうあるのですが、最近は農薬使用を我慢しています。よって、キャベツやハクサイは当店のお客様に差し上げることは、まずできません。
 虫害を少なくするための方法として、うちでは促成栽培しないことにしています。作付けを少々遅らせたり、成長があまり早くない品種を選択すれば、虫がつきにくくなりますからね。そして、このほうが本来の旬を味わうことができるというものです。

 そして、無肥料栽培への挑戦について。
 これについては、先駆者の事例を2、3参考にし、自分なりに昨秋から本格的に取り組みを始め、冬野菜の作付けはその多くを「無肥料・無農薬」としましたが、残留肥料がけっこうあったようで、どれもこれもまともに育ち、実質上は「“減”肥料・無農薬」栽培であったことでしょう。今年の夏野菜も同様に施肥を全くせずに栽培することにしていますが、まだまだ残留肥料があることでしょうし、どれほどの収穫量になるのか、いずれにしろ当面は減収になることを覚悟しつつ、あきらめずに挑戦し続けていこうと考えています。
 その詳細は、別立てブログ「チャレンジ自然農法」で書くことにしております。

 ここまで、小生の野菜づくりの取り組みを中心に述べてきましたが、今日、市場に出回っている農産物(うちの野菜も含めて)は、本質的に、同一品種のものであっても自然栽培のものとは異質なものと言わざるを得ません。
 その端的な例を紹介しましょう。
 自然食料理人、船越康弘さんの講演録(みやざき中央新聞2018.1.28とそれ以降数回)からの抜粋ですが、次のように船越さんは言っておられます。
 私は1986年に民宿「百姓屋敷わら」を作り、米、麦、大豆、そばを自分で作ることにしました。無肥料・無農薬の完全な自然栽培で、作物の乾燥もすべて天日干しです。
 小麦アレルギーはなぜ起こるのでしょう。一般的に小麦は、高い温度で製粉されると「異形たんぱく」が形成されます。これがアレルギーを引き起こすと言われています。
 私たちは小麦を天日で干し、石臼で挽いています。そうやって作ったうどんやパンは、アレルギーやアトピーの子たちがいくら食べても反応は出ません。(引用ここまで)

 このお話では製粉過程が一番の問題のようですが、無肥料・無農薬も大きな関わりを持っているのではないでしょうか。
 無肥料栽培の一番の特徴は、根張りがものすごいことのようです。それによって、土壌細菌との共生が進み、土壌細菌が鉱物から溶かし出した各種ミネラルを主体に、土壌細菌の手による有用物を吸収して、本来の、自然の育ち方をしてくれるようです。
 よって、味が違うのですし、天然の栄養素ではない濃厚な肥料成分(有機肥料にしろ化学肥料にしろ)が植物体に取り込まれたり残留したりすることもないのです。
 これは、自然の状態で放し飼いして育てた鶏の卵と類似していましょう。何年か前に、そうして育てた鶏の卵をいただいたことがあるのですが、黄身は薄かったですし、非常にサッパリした味でした。冒頭で紹介した、河名秀郎さんがおっしゃるように、まさに「最初は物足りないと感ずる人もいらっしゃる」そのままでした。

 このように、無肥料・無農薬栽培作物は、冒頭でも紹介したように、慣行農法(通常の現代農法)で栽培したものと、まるで違うものになってしまうのです。
 そして、「最初は物足りないと感ずる」ということからして、当然のことながら無肥料・無農薬栽培作物は「
ヒトの体にやさしい」ものとなることでしょう。
 加えて、自然栽培することによって、作物本来のたくましさが出てきて、つまり免疫力が高まり、病害虫の被害を受けにくくなることです。よって、無肥料栽培の成功は、無農薬栽培を自動的に可能にしてくれるのです。ここが、自然栽培の興味深いところです。

 さて、ここから本題に入ります。
 無肥料・無農薬栽培作物がアレルギーやアトピーの子どもたちにどれほどの効果があるか、これは子どもたちに限らず大人についても言えることですが、特に化学物質過敏症の方々にとっては、やはり優れた効果があるのではないでしょうか。
 
 現に、ここまでで紹介した河名秀郎さん、船越康弘さんの例では、そうした効果が確認されているようです。また、うちの近くでは岐阜市の山田克己さん(㈱レンゲの里岐阜:主に米・豆類の栽培と販売)がそうです。

 まず、アレルギーとはなんぞや、ということになるのですが、大ざっぱに言って、体内に入ってきた異物(自分の体には存在しない化学物質、たんぱく質など)に対する異常防御反応、過敏防御反応と言っていいでしょう。
 健常な人にあっては、通常これらの異物は穏やかな無害化なり、穏やかな排出でもって何事もなく処理されるでしょうから、アレルギー反応は示さないのです。
 また、恒常的にこれらの異物にさらされ続けると、場合によっては、これを無害なものとして受け入れてしまうという能力さえ獲得することがあります。生物は基本的にそうした性質、何もかも受け入れてしまうという性質を有していると思われるのです。
 例えば、蚊に刺されたとき、蚊はまず唾液を皮下に注入しますから、それに含まれる異物にヒトは誰しも防御反応を示し、赤く腫れて痒みも引き起こします。しかし、これが恒常化すると、無反応になるのです。東南アジアでは子供時代にその能力を身に付けますし、日本人であっても毎日蚊に刺され続けていると、だんだんその能力を身に付けてくるようです。百姓仕事を毎日していた亡きおふくろがそうでしたし、時折畑仕事をする小生も高齢者の仲間入りをした頃からほとんど無反応になりました。
 これを免疫寛容というのですが、痒み止め剤を用いていると免疫寛容は成立しないようです。小生は、何か所も蚊に刺されてあまりに痒いときは農作業後にタワシで擦るだけにしていましたから、免疫寛容になってきたのでしょう。
 この免疫寛容に着目して、アトピーなどのアレルギーを完治させておられる医師もいらっしゃいますが、相当長期間、ひどい症状を呈しますから、覚悟してかからねばなりません。当然のことながら、専門医の観察の下で経過を見ながらの治療となります。
(参考)その医師のサイト 医療法人聖仁会 漢方科 松本医院

 アレルギー改善の基本は、自然界ではこうした免疫寛容(動物が蚊に刺されて腫れることはない現実からしても明らか)でもって行われているのですが、高度文明社会では、もはやこれは、とても万人に受け入れられる治療法ではないです。
 軽い症状(文明前にあっては何でもない症状)であっても大げさに受け止めてしまう世の中になり、“最新科学の力でもって一刻も早く不快な症状を取り去ってくれ”と要求するのが現代人であり、また、そうしなければならないのがご時世というものでしょう。

 そこで、やむなく対応せねばならない要素として上がってくるのが、近代文明で作りだされた様々な化学物質の排除ということになります。住宅建材、家具調度品、衣類といった工業製品においては、かなり対応が進んでいるようです。
 しかし、食べ物については、大きな限界があります。加工食品は腐敗防止のために防腐剤や漂白剤が不可欠なものとなっていますし、生鮮野菜
のみならず、穀物や豆類、そして果物から茶葉までもが、その栽培過程で農薬散布が不可欠になっていますから、いかんともしがたいわけです。
 加えて、ジャガイモにあっては、選別場のラインを転がるときに皮がむけやすく、見映えが悪くなる、消費者が嫌うからといって、それを防ぐ便法として「収獲直前に除草剤でもって枯らす」なんて方法を取っていますから、これまた考えものです。ジャガイモは床の間に飾って眺めるもの、なんでしょうかね。
 これら化学薬品のうち、特に農薬は、その多くが昆虫という同じ動物を殺す毒薬ですから、ヒトが持ち合わせていない酵素(正しくは、ヒトの遠い祖先は持っていたが、不必要なものとなり、その遺伝子に傷が付いても放置され続け、今は働きを失った状態にある)を阻害するだけだと言われても、けだし、ヒトが持ち備えているその防御機構からして、農薬は尋常ではない化学物質として捉え、機敏に防御反応を示すのが健常というものでしょう。そう易々と免疫寛容する体質に変換できるとは考えにくい性質のものです。
 特に、アレルギー体質になっておられる方は、その過敏性ゆえに、ごく微量の農薬に対しても格別に異常防御反応を示すことになるのは必然です。
 農薬を使用した農産物は、たとえ高精度の農薬検知機器でもって検出限界以下とされるものにあっても、決して農薬ゼロではないでしょう。機器が感知しない濃度であっても、必ずどれだけかは残留していると考えるしかなく、その農薬はヒトの体内にある検知器に必ず引っ掛かる性質のものであるからです。
 もっとも、農薬に対しても免疫寛容の出番はあります。しかし、毒のある葉っぱばかりを食べていそうなコアラやナマケモノの、そのノソノソと動く姿を見ていると、彼らはまだまだ順応途中に見えてしまい、ヒトという動物が農薬という毒に慣れるには、この先100万年待っても無理なんじゃないでしょうか。
 なお、現代人は、江戸時代の人々と比べると、その動きは、機敏に動き回る犬や猫の姿から、今やコアラやナマケモノのような状態になっており、これは食生活が様変わりしてしまったことが大きな要因になっているに違いないのですが、近代になって新たに出現した様々な毒素にさらされ続けていることも原因しているのではないでしょうか。

 こうしたことから、今後ますます(無肥料栽培の帰結としての)無農薬栽培、つまり自然栽培した農産物が大きな重要性を持ってくると小生は捉えています。
 
今のところ健常に見える人であっても、何らかの切っ掛けで農薬に異常防御反応、過敏防御反応を呈するような体質に変換するやもしれません。そうした人は少数かもしれませんが、誰しもが少しずつ少しずつ心身が蝕まれていく(農薬には神経毒のものも多いから心も蝕まれる)、これは誰も気づかない性質のものですが、その恐れは多分にあるのではないでしょうか。我々は、ポンペイの悲劇(※)の教訓を忘れてはならないのです。

 こと、農薬問題、つまり脱農薬は、遠き遠き道とはなりましょうが、将来において無肥料・無農薬による自然栽培が大きく広まっていくことを期待したいです。小生もファーマー・ファーマシーとして、微力ながらその取り組みに力を入れてまいる所存です。

(※)紀元前の都市国家ポンペイの悲劇は、ベスビオス火山の大噴火による火砕流で一瞬にして消滅したことで有名ですが、実は、もう一つ知られざる悲劇を抱えていました。
 それは、都市住民が皆、鉛中毒になっていたことです。
 ポンペイでは、公共施設のみならず、各家庭へも水道が網の目のように張り巡らされており、その水道管が何と鉛で作られていたものですから、いたしかたありません。
 でも、皆が皆、そうした健康状態になってしまうと、高度文明都市…当時のポンペイは群を抜いて発達していた都市であったようです…では、それが当たり前となり、そうであっても健康だと錯覚してしまうのです。
 ポンペイの都市住民は背が低く、短命であったと言われていますが、彼らは、高度文明社会に暮らすがゆえの生活習慣病としか考えていなかったことでしょう。
(脚注
は、このブログ2011.11.11 『元祖「公害」は奈良の大仏、すさまじかった水銀汚染。今はマグロで水銀が体内蓄積。』から、その一部を再掲しました。)

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冬場の淡色野菜・白物野菜はすぐれもの、薬効多し

2018年01月05日 | 食養

冬場の淡色野菜・白物野菜はすぐれもの、薬効多し

 “冬には毎日冬野菜を大いに食しましょう。” して、その冬野菜の薬効はいかに。
 冬野菜は、全てが「体を温める」食品で、生よりも火を通せば、より効果がでます。つまり、季節には季節の野菜を食べるのが基本ということになります。
 霜柱が立ち、凍てついた大地に凛凛(りんりん)と突っ立っている大根を見るたびに、その素足の美しさに惚れ惚れするのですが、氷点下になっても壊死することのない、その生命力が、これを食する我々ヒトにも与えられ、つまり、体を温めてくれるのです。
 大自然に感謝したいものです。

 一方で、随分と昔から夏野菜も年中出回っていますが、これは体をグーンと冷やしますから、冬場は食べないようにしたいです。でも、火を通せば、冷やす力をかなり殺すことができますので、トマトを食べたいのなら、蒸したり煮たりペーストにしたりしてから食されるといいです。また、野菜サラダを毎日食べたいという方は、温野菜になさってください。そして、生野菜ジュースは飲まないにこしたことはないです。どうしても飲みたいのであれば、煮込んで野菜スープになさってください。
 冬は漬け物がおいしくなる季節ですが、キュウリやナスなど夏野菜の漬物はごく少量とし、冬場はカブや大根、白菜など冬野菜の漬物中心としたいです。漬物は発酵食品で、酸っぱさは乳酸菌などによる有機酸ですから、とても質のいい栄養と言えます。
 そして、漬物には塩が付き物ですが、減塩に神経質になるのは考えものです。塩は、生命活動に必須のもので、特に冬場は多少多めでも良いのです。塩は、腎臓や生殖器の働きを高めてくれますし、体をグーンと温めてもくれますからね。
(参照記事) 
立冬から冬、何を食しますか。まずは塩味が重要です。

 漬物を食べない方にとっては、“何もかも熱をかけて、これじゃあビタミンCが壊れてしまう”とご心配されるでしょうが、ビタミンCはそう易々と壊れるものではないですし、食後にみかんでも1個足せば1日必要量は十分に摂取できましょう。

 さて、これから本題に入ります。大根、カブ、白菜、キャベツ、白ネギなどなど、冬野菜には、白色、淡色のものが多いです。淡色野菜とはカロチン含有量が100gあたり600μg未満の野菜を言い、見た目に色の薄いものや表面の色は濃くても中が薄い色の野菜を言うようです。そのうち白物野菜とは見た目にはっきりと白いものです。

 近代栄養学の評価からすれば、淡色野菜のビタミンやミネラルは緑黄色野菜に比べれば落ちます。でも、パセリが非常に栄養価が高いからといっても、そうパクパク食べられるものではなく、淡色野菜をたくさん食べればパセリに勝てますよね。その点、淡色野菜は一度にけっこうな量を食べられますから、栄養価を気にすることはないのです。

 この淡色野菜、近年、白血球を活性化させ、その働きを高める力があることがだんだん分かってきました。その研究はまだ端緒に着いたばかりのようですが、免役力が高まるというのですから、淡色野菜は馬鹿になりません。特に冬場は風邪の予防になります。
 緑黄色野菜は、その色素の元が抗酸化力を有し、免疫力にも一役買っていますが、これはあくまでも受身ですし、間接的なものです。それに対して、淡色野菜のほうは、攻めの免疫力であり、ダイレクトに効果を発揮するもので、本質的に違いがあります。

 淡色野菜の免役力への貢献として一つはっきりしてきたのが、原因物質の解明までは至っていないようですが、淡色野菜を食べると、サイトカインの一種であるTNF-α(腫瘍壊死因子)が増えるというものです。TNF-αは感染症への防御反応として産生される免疫系たんぱく質で、主として白血球の一種であるマクロファージによって作られます。なお、TNF-αはがん細胞の破壊にも大きく貢献しています。
 このことから、淡色野菜は、マクロファージを活性化させて細菌やウイルスをやっつけてくれる、つまり免役力を高めてくれる、すぐれものということが言えるのです。
 参照文献 
免疫力ランキング1位の野菜は…
        免疫力を高めるキャベツ、ナス、大根
(備考:前者の文献では、冬野菜の淡色野菜としては白菜とネギの2つだけが調査研究対象となっており、白菜に対してネギの効果がうんと弱い結果となっていますが、この調査研究ではTNF-αだけを指標としており、これだけで免役力向上能を比較できるものではありません。)

 次に、ネギについて別の観点から概説しましょう。ネギは冬野菜の王様と言えます。
 ネギは白色と緑色の両方からなっていて、幅広い働きがあるのはもとより、低カロリーで、体を温める力がたいそう大きいです。一言で言えば「マイナスのカロリー食品」です。と言うのは、摂取したネギのカロリー以上にカロリーを燃やしてくれるからです。冬にダイエットをしたい方は、毎食ネギをたくさんお召し上がりになるといいです。
 また、ネギにはミネラルの一種セレンが多く含まれ、セレンは有害金属を排泄する力がありますから、「毒出し」にも最適な食品です。特に水銀の排出力が強いですから、マグロなどの大型魚(食物連鎖で水銀を高含有)を食べるときは、ぜひネギも一緒にどうぞ。ネギトロは、その生活の知恵でしょうね。
 ネギの一番の特徴は、青ネギ、白ネギ、どちらにも大なり小なりヌルッとした粘液が含まれていることです。この粘液は、免疫系を活性化し、がん予防まで期待できる可能性があるのです。
 農研機構の調査研究(「ネギの免役活性化作用」)によると、ネギの粘液の活性成分は粘性物質ではなく、水溶性物質であるとのことです。そして、ネギでよく知られているアリシン(含硫化合物の一種:催涙物質)には免疫活性化作用はなく、活性物質は「マンノース結合レクチンとソーマチン様たんぱく質」であることが判明しています。
 この粘液含有物質の大きな働きは、IgA抗体(
細胞やウイルスを取り込み、やっつけてくれる)を増やしてくれることです。病原菌やウイルスが体内侵入したとき、この抗体でもってそれらの動きを封じ、マクロファージなどが退治してくれます。また、そのマクロファージもネギを食べると増えるとのことです。なお、この粘液含有物質は、がん細胞をやっつけるナチュラルキラー細胞も増やしてくれるとのこと。

 近年、こうした研究成果がいろいろ発表されているようで、淡色野菜が注目されてきています。でも、こうしたことは、近代栄養学なり近代医学で証明されなくても、昔の人は動物的直観力によって淡色野菜は体にいいことを知っていたに違いありません。緑黄色野菜にしても同様でしょう。
 そして、つまるところ、季節折々の旬の野菜を食べるのが一番であること、これしかない、それも近隣の土地で採れたものでなければならない、という「身土不二(しんどふじ)」の法則にたどり着いたのでしょう。
 食に関しては、科学的根拠なんて不要です。昔人が編み出した生活の知恵ほど正確で間違いがないものはないと言っても過言ではないでしょう。
 ヒトは食べ物わけても野菜によって養われているのですから(小生はそう感じています)、冬であれば、地元で採れる冬野菜を有り難くいただき、毎食、野菜に感謝する心を持ちたいものですね。心を込めて“いただきます、ごちそうさまでした”と。
  

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野菜は何もかも煮物にする日本文化、でも肉を食べるときに生野菜を食べるのはなぜ?

2017年08月22日 | 食養

野菜何もかも煮物にする日本文化、でも肉を食べるときに生野菜を食べるのはなぜ?

 近代医学が発展するなかで、ヒトの食に関して酵素の重要性が次々と明らかになり、植物が持っている様々な酵素を生きたままで取り入れる必要性が各方面から強く言われるようになった今日です。このブログでも、ヒトが健康でいられ、難病を治療するにも、生菜食ほど肝腎なものは他にない、そのような記事を幾つか書いてきました。

 ヒト本来の食性は動物と同様に「火食」にあらず。 「火食」つまり煮たり焼いたり蒸したりして熱変性させた食べ物は死んだ食べ物であり、酵素の多くは変性して活性を失うし、ビタミンやフィトケミカル(必須栄養素ではないが、ヒトの健康に好影響を与える植物由来の化合物全般)の一部も同様である。よって、野菜は生食すべし。

 というものです。加えて、水についても、煮沸した水は水分子の物理的結合状態が自然界にない状態に構造変化しており、生水を飲むべし、と言われたりします。
 たしかに生菜食&生水でもって難病が治癒する例が非常に多いですから、これは一理あると言えましょう。普通の人にとって玄米菜食は素晴らしい健康食ですが、火を通したものであっては難病を治癒させる力はないようで、玄米は生を粉にしたもの、野菜は全部ジューサーで細かくしてドロドロにしたもの、これを食することで治る効果がグーンとあがるようですから、やはり、「生」の力は相当なものがありましょう。

 しかしながら、まず最初に「生水がいいかどうか」を考えてみますと、全ての水は煮沸して飲むというインド人の食文化、これであっても超健康が維持される(例えば、煮沸した水だけ飲んで411日間も断食できたインド人が2人いる)のですから、生水でなければいけないとは決して言い切れません。
 そして、芋類については生のままではベータ・デンプン(※)ゆえに消化ができず、煮たり蒸したりしてアルファ・デンプンに変性させて初めて容易に消化できるようになり、火食するのが大前提となります。
(注)※ベータ・デンプンはヒトの消化酵素では分解できないとされていますが、現実には思いのほか消化できるようです。参照→http://www.kaiten.jp/syokuji/beta.html 
 ほとんど芋しか食べないニューギニアの高地民族なのですが、すさまじいほどの“芋力(いもぢから)”でもって、重い荷物を背負っていても駆け足で山を登っていくのですから、これには驚かされます。その彼らの日常の食事は、芋に時々野菜を少々加えて蒸した貧相なもので、完全な火食であって生菜食しないのです。なお、彼らは豚を飼っていますが、これは冠婚葬祭のときに丸焼き(蒸し)にして食べるだけです。果物が少ない土地柄ですから、生食は全くしないと言ってもいいです。
 これは多くの採集狩猟民にも当てはまり、ほとんどが火食です。なお、通常、彼らの動物食は全体の3割程度で、芋が主食となっており、野菜は少々といったところで、いずれも火を通しています。その彼らが皆、イキイキ元気なのは申すまでもありません。もっとも、果物やウリ類が採れる場合は生食しているようですが、これは生水代わりでしょう。

 さて、日本人はどうでしょうか。日本列島に2万年前に最初に住みついた縄文人は、この地の野山に堅果類が極めて豊富でしたから、ドングリから始まってその後クリやトチを煮て食べるのが主食になったと考えられます。縄文後期の第2波の渡来では陸稲・豆類・里芋の持込で雑穀や芋を煮て食べる文化が入り、弥生時代初期の第3波の渡来で水稲技術が持ち込まれ、雑穀米を煮たり蒸したりして食べる文化となりました。
 この間、主食は一貫して火食であり、野草や野菜も煮て食べていたことでしょう。どれだけかの動物食も煮たり焼いたりしていたに違いありません。
 米作が大きく広がった弥生後期以降は穀類のうち米の占める割合が増えただけで、これといった食文化の変化はなく、その後、塩の流通で漬物文化が生じて野菜の一部を生で食べるようになったぐらいなもので、ほとんど火食し、これが戦後の食文化の欧米化前まで続いたのです。
 小生の子供の頃の記憶でも、昭和30年頃に生で食べる野菜は、塩漬や酢漬の野菜のほかは、夏限定のキュウリやトマトの塩振り、塩を振って作るナスもみ程度のものです。キャベツやニンジンは栽培していましたが生食した記憶はありませんし、レタスやサラダ菜はお目にかかったこともありませんでした。ただし、鶏を飼っていましたから、生卵は時折ご飯に掛けて食べていました。それ以外の生食は、夏のスイカ、メロン、秋の柿といった果物類だけです。

 日本人の食文化で、特徴的な生食は、魚を刺身にして食べ、刺身のツマとして生野菜を食べることです。ここで注目したいのは、「生肉+生野菜」の組み合わせです。
 なぜ刺身にツマがついてくるのか。
 殺菌効果だとか何だとか、もっともらしい説明がなされていますが、ようするにこれは、単に“何となく一緒に食べたくなる”ということではないでしょうか。
 話を全く別のところに振りますが、チンパンジーは時折狩猟をして動物を食べます。彼らの食性は、主食が果物で、果物が十分に手に入らないときは、木の葉っぱを少々食べたりします。それが、狩猟するときは、たいてい食糧が豊富なときで木の葉っぱなんぞ食べる必要がない状態にあるのですが、動物の肉・内臓・脳味噌を食べるとき、必ず木の葉っぱも食べるのです。日本人の刺身の食べ方と同様に「生肉+生野菜」の組み合わせとなるのです。これも“何となく一緒に食べたくなる”ということではないでしょうか。
 肉食中心の西欧人の食文化も同様なことになりましょう。日本人と違って肉は完全に火を通すことなく、半分生の状態で食べるのが普通です。そして、生野菜のサラダをぱくぱく食べます。これも“何となく一緒に食べたくなる”ということでしょう。

 こうしてみますと、「生肉+生野菜」の組み合わせは必須ということになりましょう。
 どうして、そういうことになるのか。
 日本人の野菜の食べ方として、「野菜によってはアクが強いから、水に浸し
たしたり、湯がいて煮汁を捨てる」という料理法がけっこう多いです。そのアクは、たいていポリフェノールなどのフィトケミカルのようですが、アルカロイドの場合もあります。今日では、これらは重要視されていますが、昔の日本人には不要であったことでしょう。
 一方の生肉ですが、こちらは正体不明なるものの何らかのアクが含まれているのではないでしょうか。だから、日本人は、肉は完全に火を通してアクを殺して食べる、ということになると思われるのです。加えて、肉を煮込んで前処理する場合には、鍋に浮いたアクをすくって捨てるという調理法を取ったりします。
 アクは何もかも捨てることを大前提とする日本料理、そう言えましょう。
 そして、少々飛躍するのですが、生肉も生野菜も、そのアクは別物ではあるものの、「生肉のアクを、生野菜のアクでもって打ち消す」ということになりはしないか、小生にはそのように思われてしかたないです。
 この「生肉+生野菜」の組み合わせの発展系として、日本人は火を通した肉を食べるときにも、まだ肉のアクが残っているのでしょうか、生野菜を一緒に食べるという食習慣が身に付いているように思われます。
 一つは洋風朝食の「ハムエッグ+生野菜」です。もう一つは「焼き肉+チマサンチュ(サラダ菜)」で、韓国で普及していますが、これは駐韓日本人が生み出した食文化です。

 ところが、生野菜は体にいいという社会通念がまかり通っているのでしょう。やたらと生野菜が食卓にのぼります。昨日は温泉宿で朝食を摂ったのですが、和風料理であって、肉と言えるものは小さな鮎の一夜干しを焼いたものしかないのにもかかわらず、野菜サラダが付いてきました。日本中の旅館は皆そうしたものです。こうした料理では、ちっとも食べたくない野菜サラダです。朝食に飛騨牛のステーキでも出てこないことには野菜サラダなんて食べたくならないのです。よって、ホウ葉味噌(飛騨地方特有の料理で、ホウの葉の上に味噌を乗せ、これをコンロに乗せ、個体燃料で焼く。味噌に刻みネギが乗っている)に生野菜を混ぜ込んで、味噌煮の形にしていただいたところです。

 食文化というものは、長い長い歴史の積み重ねのなかから培われてきたものです。そのときそのときに入ってきた新たな食材をどう調理し、他の食材にどの程度加えるか、そして食べる量はいかほどがいいか、これが試行錯誤するなかで、ほど良い状態を見出してきたのです。
 そのときに発揮される最大の物差しは何と言っても味覚でしょう。現代においては、栄養があるとか、体にいいとかといった科学的根拠でもって語られることが多いのですが、科学的根拠なるものは往々にして覆される性質のものであり、あてになりません。
 動物の舌は鋭い味覚感覚を持っています。主に毒か否かを見極めるために使っていますが、ヒトという種は不思議なことに多くの毒に耐性を持っていて、その味覚感覚は今ではもっぱら美味しいかどうかを判断するために使われていますが、その昔は体にいいかどうかを無意識的に発揮していたように思われます。
 ですから、昔ながらの日本料理、家庭料理ではおふくろの味と言われるものが、日本人にとって最善の健康料理となるのでしょう。
 そして、戦後の獣肉の大幅な普及にあたっては、これもヒトが本来持ち備えている味覚感覚でもって、生野菜を一緒に摂る、という食習慣が定着してきていると思われます。

 焼き肉屋へはここ20年来とんと行ったことがない小生ですが、焼き肉をぱくぱく食べるのであれば、駐韓日本人が一昔前に編み出した食文化「焼き肉にチマサンチュ(サラダ菜)を巻いて食べる」のがよろしいのではないでしょうか。
 ひょっとして我が家でも焼き肉をやることもあろうと、毎年畑にチマサンチュを1畝作付けしているのですが、本来の食べ方は年に1回程度しかなく、多くはゆでて味噌和えにしたりおひたしにしたりという火食の和風料理仕立てにしてしまう我家です。肉はほんの少々使うだけで、それも野菜と一緒に炒め物や煮物にしてしまいますから、そうした料理に生のチマサンチュを添えても全く合わない、かえって生のチマサンチュのアクが体に良くない、そう味覚が教えてくれているような気がします。

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年中減塩、ただし夏は熱中症予防に塩分補給って正しい?

2017年07月31日 | 食養

年中減塩、ただし夏は熱中症予防に塩分補給って正しい?
(最新追記 2020.1.27)

 塩分摂取について、あるサイトによれば、次のように書かれています。
 「塩分は控えめに」「塩分の摂りすぎは、高血圧、心臓病や脳卒中の原因」という注意は、常識になってきましたよね。
 世界保健機関(WHO)は、世界中の人の食塩摂取目標を1日5グラムとしています。そして、厚生労働省の「食事摂取基準」では、18歳以上の男性は1日当たり8グラム未満、18歳以上の女性は1日当たり7グラム未満という目標量が定められています。
 ちなみに、厚労省「平成25年度
国民健康・栄養調査」では日本の成人1日あたりの食塩平均摂取量は、男性で11.3グラム、女性で9.6グラムでした。

 つくづく思うのですが、日本人は、なんて真面目で正直な民族なんでしょうね。
 “WHOという権威ある機関が5グラムと言っているんだから、少なくとも厚労省が目標とする8グラムなり7グラムに抑えなくっちゃ。11グラム強とか10グラム弱では、いかにも多すぎるわ。料理を工夫しましょう。”と、なってしまい、外食ではラーメンのスープ(鶏がら・豚骨のコラーゲンいっぱい!)を飲まなかったり、家庭では味噌汁を作らず、梅干や塩漬けの漬物を食卓に置かず、薄味で何ともまずいおかずで我慢していらっしゃる、そんな主婦が多いのではないでしょうか。ご主人もご主人で、“こんな塩っ辛い物は血圧が上がるぞ!薄味にしてくれ。”と文句を言われることでしょう。
 このように、皆さん、減塩しなきゃと考えておられます。お医者さんもそう言いますから、なおさら減塩、減塩となってしまっています。

 さて、諸外国では、どの程度の塩分を摂っていて、どう対処しているのでしょうか。
 “塩分摂取量のデータがまるでない”というのが実情です。各国政府とも日本の厚労省のような調査を全くしていないのです。
 “どうして、そんな重要なことを調査しないの?”と、不思議に思う日本人。
 一方、世界中の人々は皆、“塩分摂取ぐらいで、どうのこうの言うことないわ。おいしい塩味を楽しみましょうよ。”というスタンスに立っていて、ほとんど気にしていないようです。加えて、“政府の言うことは何事も信用できない”という捉え方がまずあって、“事の良し悪しは自分で判断する”という風潮がとても強いです。
 政府に言われて塩分摂取で大騒ぎしているのは日本人だけ、といったところです。

 とはいうものの、小生も数字を意識し、数字に振り回されやすい、根っからの日本人ですから、欧米の塩分摂取量が気になります。探してみたところ、統計学的にあまり有意なものではありませんが、1993年 橋本壽夫「海外の塩分摂取量と保健政策」の各国比較がありました。これによると、欧州各国は(男)10~11グラム台(女)7~9グラム台、米国は男女平均で8グラム前後となっています。それに対して、日本は男女平均で12.4グラムです。今から30年前のデータでして、妥当なところかなと思わせられますが、当時の別の調査によれば、これも橋本壽夫によるものですが、欧州各国は男女平均で9~12グラム台、米国は同14.5グラムとなっていて、“日本は欧州より気持ち高めか。ところで米国の数値はどうなってんの?”となってしまいます。これらの数値はやはり統計学的に有意性があまりなく、日本以外は実際とは合致していない可能性が大きいです。

 こうなると、自分で味比べするなり、他の人の評判を聞いたりするしかありません。このほうがきっと正確でしょう。もっとも、外食産業においてはという条件付きですが。
 小生の海外旅行経験は大したことありませんが、欧米は4回で、延べ約30日。塩味のほどは日本と比べて大差ない感がしましたが、ストックホルム(スウェーデン)では塩漬魚の塩っ辛さには往生しました。また、ウィーンではソーセージはとてもうまかったですが、うまいことで有名な岐阜県郡上市の明宝ハム(防腐剤不使用につき多少塩分が強い)並みの塩辛さだなと感じたところです。
 女房は小生より海外に多く出かけており、そのなかで先月行ったドイツの食事には塩っ辛さで閉口したと言います。ツアーの同行者、皆、そう感じておられたとのことです。なお、米国やカナダは、日本と変わらない印象だったとのこと。
 ドイツの評判は最近、他からも聞こえてきているのですが、極端に塩っ辛いものがけっこう多いようです。その原因は何かというと、彼らはジャガイモが主食ですから、おかずに塩をたっぷり使わないことには食事がおいしくならないからでしょう。これは日本人の主食が白米で、塩分の利いた味噌汁がよく合うのと同じです。昔の日本人の塩分摂取量が多かったのは、白米の多食と毎食味噌汁を飲んでいたことと大いに関係がありそうです。
 ドイツ人の塩分摂取量が多い、もう一つの理由は主なアルコール飲料はビールであることも関係していましょう。ビールをがぶがぶ飲むには塩っ辛いつまみが必須ですからね。これは、現代の日本人の嗜好”“真夏はビールに限る”にも当てはまりましょう。
 こうしたことからして、先進国のなかでは、塩分摂取の横綱はドイツ、大関は日本といったことになるのではないでしょうか。

 もう一つ、塩分摂取の多い少ないは気候との関係もありそうです。寒い地域ほど塩分摂取が多くなる傾向にあると考えていいのではないでしょうか。小生の経験で例示したストックホルムがそうですし、女房が経験したドイツもアルプス以北であって寒い地域です。
 一方、フランス南部やイタリアとなると地中海性気候で暖かく、小生の印象では、何を食べても塩っ辛さはなく、パッとしないおかずには塩を振りたくもなりました。

 これは日本でも言え、一昔前までは東北地方が有名で、実に塩っ辛い漬物を冬に食べていたようです。時々、その解説として「東北地方では冬は雪で野菜が採れないから長期保存が利く塩漬けにしていた。」というのを見かけるのですが、憶測でもっていいかげんなことを言うのは止めてほしいものです。雪を跳ね除ければ天然冷蔵庫から新鮮そのものの野菜が取り出せますし、寒けりゃ薄味の漬物も腐りませんからね。
 そして、関東に比べ関西は薄味なのも、寒さの程度の違いによるものでしょう。なお、京料理がより薄味になるのは、高級料理ですから良い素材を使い、素材そのものの味を楽しむために各種調味料を控えめに使っているからではないかと思われます。

 では、なぜ寒い地方では塩分摂取が多くなるのでしょうか。
 これは、漢方の栄養学から説明がつきます。食品には体を温めるものと冷やすものがあり、その程度は食品によって大きな違いが出てきます。体を温める食品の両横綱は肉と塩です。ですから、寒い地方では自然とこれらを求めるのです。極寒の地、北極圏ではエスキモーがほぼ完全な肉食ですし、欧州大陸北部(ドイツを含む)では冬には塩漬肉を食べるのです。そして、ほとんど肉食しない日本では、冬に塩っ辛い漬物を食べるのです。こうすることによって体が温まり、たいした暖房なくしても寒さに耐えられるのです。
 漢方には五味というものがあって、季節毎に特に必要とする味として「冬には塩味」となっているのも、これによるものです。逆に、夏は「塩味を控えよ」となっています。
(参照)2016.3.4 漢方「五行論」に学ぶ味付け法

 現代人の感覚として、季節ごとの塩分摂取は漢方で言うところと逆になります。
 冬は汗をかかないから、塩分損失は少なく、減塩しないことには、それこそ血圧が上がってしまい、まずいんじゃないか? 
夏は汗をかくと塩分が流れ出てしまうから、積極的に塩分を取る必要があるし、特に熱中症予防となると単なる水ではだめで電解質が入ったものでなきゃダメだ。全身痙攣や足がつるのもミネラル損失によるものだから。
 ということになって、冬は減塩、夏は積極的摂取が勧められることになります。

 高度文明社会になって世の中が大きく変わり、そこらじゅうに冷暖房が行き届いたものですから、このようなことになってしまうのですが、ヒトの体の生理機構は原始時代の季節対応にまだまだ順応した状態にあり、暖房への順応はどれだけかできているものの冷房への順応は全くできていません。
 よって、冬にあっては暖房生活にあまりにも慣れきっていますと、皮膚の収縮能力が衰えた状態になっていますから、屋外の冷気に当たりすぎると体熱放散で体内温度が下がりすぎ、体調を壊すことにもなります。そんなときは、やはり塩分の積極的摂取が求められましょう。ただし、おいしいと思える程度の濃さとし、塩っ辛さを我慢して食べるのは考えものですが。
 一昔前の人は、冬に寒さが厳しくなると、きつめの醤油で味付けした牛肉のすき焼きを食べ、塩と肉で体を温めたのですし、山間地では猪肉の味噌鍋を食べたのです。これで体がグーンと温まります。現代人も、体が冷え切った晩には、こうした塩分多めの肉鍋としたいものです。なお、冬野菜は体を温め、夏野菜は体を冷やしますから、冬には冬野菜となります。参考までに、最も体を温めてくれる肉はマトン(※)です。羊は寒い地域が生息地だけあって、その肉を食せばヒトの体をグーンと温めてくれるのです。
(※)漢方では「夏に羊」となっていますが、これは「大汗をかいて体内の毒素を抜く」という薬効を期待しての位置付けとなっています。参照記事:2017.7.25 真夏は肉を食って大汗をかく(三宅薬品発行の生涯現役新聞N0.270)

 一方、夏はといいますと、昔の人は絶えず汗をかいていましたから、汗のかき方が上手で、汗からのミナラル損失はほとんどないし、体に熱がこもることもなく、熱中症になる危険性も少なかったです。そして、体を強く温めてしまう塩分は控えめにしていたのです。
 加えて、暑いさなかに行う百姓仕事は、冷たい物ではなく生温い(場合によっては日に当たって熱い)お茶で水分補給するようにしていました。こんなものを飲んでいたら熱中症になってしまうのではないかと心配にもなるのですが、これは、上手に汗がかけることと胃腸のトラブルが避けられることによるものです。生活の知恵です。小生も、夏に畑に行くときは、
水道水をペットボトルに入れたものを持っていき、けっこう熱い水をチビチビ飲みながら百姓仕事をしているのですが、胃がとても気持ちいいです。
 現代人はどうすればいいかとなると、上手に汗をかける人はまれですから、ミネラル損失(特にマグネシウム)で痙攣や足がつることになり、ミネラル補給が必須で、マグネシウムを意識して摂りたいものです。夏に塩分といえば、一般に言われるのは電解質のナトリウムとカリウムということになりますが、それより重要なのがマグネシウムであると心得てください。マグネシウムをしっかり取ろうとすると過食になりますし、夏はあっさりしたものを体が欲しますから、慢性的に摂取不足のマグネシウムがますます欠乏してしまいます。ここは、総合ミネラル剤を毎日お飲みになっていただきたいです。そうすれば、汗をかいてもミネラル欠乏になる危険性は大きく減ずるでしょうし、塩分摂取過多で体に熱がこもる心配もありません。
 参考までに申しておきますが、血圧を上昇(ただし、日本人の半数以下)させたり、体を温める塩分とは「塩化ナトリウム(いわゆる食塩)」であって、その他のミネラル(マグネシウム他)にはその作用はなく、逆の作用さえ持ち備えています。
 やはり夏は、塩分を控えめにしないことには何かと不都合なことが生じましょう。
 なお、熱中症は脱水症が起因して起こることが多いですから、昔のお百姓さんのように温かいお茶でチビチビ水分補給するに限ります。猛烈に暑いアラブ諸国の人たちは熱いお茶をチビチビ飲んで熱中症にならないようにしているとのこと。間違っても氷を浮かべた冷たい物をがぶ飲みしてはなりませぬぞ。

 ということで、表題にしました「年中減塩、ただし夏は熱中症予防に塩分補給」は間違っている、ということになります。
 (注:食塩摂取量と高血圧の相関については、1988年インターソルト・スタディーの結果でほぼ完全に否定されています。よって、心臓病や脳卒中については高血圧との相関があれども、食塩摂取量との相関はないことになります。それも、昔の血管が切れる疾患についてであって、現代の血管が詰まる疾患については高血圧との相関は弱く、逆相関もあると言われたりしています。なお、多量に塩分摂取すると、人によっては「食塩感受性」高血圧になることが知られています。これらに関しては、文末の過去記事を参照ください。)
 ヒトの体の生理機構は、まだまだ原始時代の状態を色濃く残していますから、自分の味覚に素直に従ったほうが無難です。
 こと塩味については、欧米人のように”おいしけりゃ、いいじゃん”といきましょうや。

 ただし、近年、気になるのは外食産業の味付けです。安値競争が激烈になっていますから、悪い素材をいかにして誤魔化すかとなると、濃い目の塩味にすれば難なくクリアでき、その傾向が強まっています。
 これに慣れてしまうと、きつい塩味がへっちゃらになり、腎臓に負荷が掛かりすぎますし、やたらと水分摂取するようになり、温かいものならまだしも夏はギンギン
に冷えたものを飲む傾向にありますから、胃腸のみならず全身を蝕むことになってしまいます。
 自分は塩味に鈍感か否かは、同じものを一緒に食べた周りの人、ただし食生活が異なる人に、塩味の感想を聞いてみるしかないでしょうね。

(参考)このブログの塩分摂取に関する記事です。
 2020.1.27 それでもまだ減塩を続けますか
 2014.1.20 減塩ではなく、1か月に1日「塩断ち」して「塩持ちの良い体質」に改善
 2012.8.17 減塩は大間違い!塩味を楽しんでイキイキ元気!
 2012.8.15
減塩しすぎるとどうなる?やる気が失せて元気がなくなります。 
 2012.8.14 塩を摂りすぎると高血圧になる?心配ご無用!でも、食塩感受性が高い人は注意すべきでしょう
 2012.8.13 塩を取りすぎると胃がんになる?そんなことは有り得ません。

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牛乳は飲んでいいのか悪いのか、その答は明らかです

2017年03月08日 | 食養

牛乳は飲んでいいのか悪いのか、その答は明らかです
(澱粉消化酵素に関する動物種の記述に一部誤りがあり、2022.5.17訂正)

 このブログにおいて、牛乳の良し悪しについては、幾つかの記事で断片的に取り上げただけですが、小生は、「ヨーグルトは体にいいのか悪いのか、その答えは明らかです」 のなかで乳製品を全否定したのと同じく、牛乳を全否定する立場にいます。
 牛乳については、ヒトの体にいいか悪いか、という以前の問題があって、小生の場合は、半分宗教的にもなっており、牛乳を口にすることは決してありません。
 これは、鶏を家族のために屠殺した経験のある年配者で鶏肉が食べられない方がけっこういらっしゃるのと同質のものでして、小生には、牛乳を口にすることも殺生だと思えてしかたないからです。
 こうしたことから、このブログで本稿を投稿することは今まで避けてきたのですが、けだし食と宗教は密接な関係にあり、切り離して語れるものではないと、最近、強く思うようになりました。これは、小生が今年、数えで70歳という年寄りになったからかもしれません。そこで、あえて宗教性を前面に打ち出すことになってしまってもかまわないと、これは年寄りの横着かもしれませんが、本稿を投稿することにした次第です。
 なお、本稿の後半では、ヒトの食性の観点から少々論理的に語ることとします。

 世界の宗教の中には、理解に苦しむ理由により禁忌とされる食べ物がけっこうありますが、そのなかで小生がすんなり納得できるものがあります。
 それは、アフリカ大陸のけっこう広い範囲で禁忌となっている鶏卵です。彼の地では架空の鳥ではありますが、その鳥が最高位の神となっていることから、たとえ鶏であっても神の子である卵を食べるのは避けるべし、とするものです。
 小生の親父は先に紹介した鶏肉が食べられない者の一人でしたが、小生は幼少の頃、うちで食べる鶏卵を得るために数羽の鶏を飼っており、その世話役は小生に任されていたのですが、鶏が産んだ卵を片っ端から奪い取ることに少々抵抗感を感じていました。餌を持っていけば近づいて来る愛らしい鶏ですからね。そして、卵を産まなくなった鶏は親父がつぶして家族で食うのですから、どうしても鶏に対して申し訳なさを感じてしまうのです。でも、卵はおいしいし、鶏肉もうまい。申し訳なさ半分、食欲煩悩半分、というより後者の方が勝っていましたが、今では先に申しましたように宗教的になってきて、卵はだんだん食べられなくなってきました。

 鶏卵に関するこうした宗教性は小生だけのものでしょうが、こと牛乳に関して昔の日本人はどうだったでしょうか。
 奈良時代から平安時代に貴族のグルメ文化のなかで珍味としてチーズづくりのために牛乳が献上されたようですが、その量はわずかであって、また、運搬・保存性からして牛乳はあまり飲まれなかったようです。その後、いったん廃れたものの、江戸時代になって将軍吉宗の時代以降、これまたチーズをごく一部の高位な方の肺結核などの病気治療に使うことがあったようですが、牛乳は飲まれなかったようです。
 そして、幕末を迎えます。開国によって、欧米人が定住し、牛乳を求めます。そこで、江戸幕府はどういう態度を取ったかというと、実に
興味深い逸話が残っています。
 以下、それを紹介します。
 米国が下田に領事館を置き、初代領事ハリスが幕府に牛乳の提供を申し出たのですが、幕府は、「牛は、農耕、運搬のためにのみ飼い置いており、養殖は全くしておらず、まれには子牛が生まれるが、乳汁は全て子牛に与え、成育させるがため故」と理由を説明し、「牛乳を給し候儀一切相成りがたく候間、断りおよび候」と拒否し、ならば雌牛を提供してくれという申し出に対しても、同様に断固として拒否しています。
 ところが、その1年半後、ハリスが重い病に臥したため、幕府は、何としてもハリスを死なせてはならぬと、あれほど望んだ牛乳であるから、どれだけかの効果はあろうと牛乳を差し出し、それ以降、各国領事館へも牛乳が販売されるようになったとのことです。
(紹介ここまで)
 このように、人が牛乳を飲むという行為は、生を受けたばかりの子牛を“飢え死に”に至らせる“かすめ取り”以外の何物でもなく、これは“鬼畜の行い”であると、当時の日本人は捉えたのでしょう。ここに強い宗教性が出ています。ただし、人の病気治療の薬としてなら、子牛に支障のない範囲で乳を搾るのはよし、というものです。
 この宗教性は、江戸時代に将軍綱吉が発した生類憐みの令の精神を汲むものでしょうが、ガチガチにその令が守られていたわけではありません。例えば、犬を食うのはご法度になっていましたが、野犬を薬として食べていたのも稀でなかったといいます。そして、イノシシの肉ともなると、これまた薬として大ぴらに食べていました。
 “行く人を 皿でまねくや 薬食い”(小林一茶)の“薬”とは? 何と“肉”なのです!
 中医学(漢方)では、肉は薬であり、犬肉は肝に、猪肉は腎に効くとされていますからね。これで、肉ではなく薬を食べているのだ、と言えます。チーズも同様に薬です。

 ここで、いったん話を牛乳から離れて、食べ物全体についての宗教性について、これは現代の日本人が皆、よくよく考えねばならないことと思い、紹介します。
 甲田光雄著「あなたの少食が世界を救う」(春秋社)より
 食べ物を単なる栄養として捉える人間独尊の考え方をこのまま続けていいものでしょうか。食われるものの身になって考え、なるべく殺生しないで生きていくという、愛と慈悲の心を持つことが必要なのではないでしょうか。
 「すべてのいのちとの共生」を前提とした生き方が問われている時代です。
 私たちは、毎日いただく食べ物、肉や魚、米や野菜などなど、これらすべてのいろいろな動植物を無慈悲に殺生し、天からいただいた「いのち」の数々を単なる栄養物として捉え、飽食しています。
 このように「いのち」を粗末にしている無慈悲な行為を天は許すはずがありません。様々な生活習慣病を引き起こし、苦しめられるのです。
 それは「いのち」を粗末にしてきた人間に対する天の警告であります。
 これに気づけば、なるべく動植物の「いのち」を殺生しないでやっていく食生活を本気で考える、つまり少食の道へ進んでいけることになりましょう。
 天は少食という「いのち」に対する愛と慈悲を実行する者にのみ、すこやかに老いるという幸せを与え給うということになりましょう。(要約引用ここまで)

 いかがでしょうか。引用のなかで、甲田氏が“天からいただいた「いのち」の数々”とおっしゃっていますが、今の日本人の多くが食事のとき「いただきます。ごちそうさまでした。」と言葉を発します。この言葉は、数多くの動植物たちの「いのち」をいただき、いただいた、人と同じ生き物である動植物への感謝の言葉以外の何物でもないのです。
 そして、あるとき、誰かが、日本国民皆に、あえて「いただきます。ごちそうさまでした。」と言わせるようにしたと考えられます。といいますのは、食べ物に投げかけるこの言葉は明治時代になってから生まれた言葉で、日本独特のものです。開国によって、欧米人の異文化が数多く流入してきたなかで、食に関する彼らの文化は「食べ物は単なる栄養物」であって「生き物は勝手に殺して食えばよい」というものです。これは、人間というものは、あらゆる生き物の一段上に立つ優れた存在であるとする思想から出てくる感情で、一神教の信仰が背景にあるのは明らかなことです。
 文明開化の嵐によって、この殺伐とした食文化が日本人に広まってはいかん、という危機意識がまずあったことでしょう。人も動物であり、生き物であり、人は人以外の生き物と同列にあって、人は彼らと共存させていただいている。間違っても、“人は人以外の生き物の一段上にあり、彼らを自由に殺し、支配してよい”という“人間独尊の考え方”はキッパリと捨てなければならぬ。こうした日本人の多神教を信ずる心から生ずる思いが明治初期の人々に強くあり、軍隊なり学校教育を通して瞬く間に日本国中に「いただきます。ごちそうさまでした。」が広まっていったようです。この誇り高き、美しい日本の食事作法、まずはこれをしっかり心に抱いて食事をせねばいかんでしょう。

 もう一つ宗教的な食習慣として肉食禁忌は仏教の影響があると言われ、たしかにそうした一面もありましょうが、日本人は神仏習合の宗教感が強かったですから、どちらかというと自然崇拝の多神教の影響のほうが強かったと考えられます。
 ですから、お上から仏教の教義に基づき肉食禁止令が出されると、おおっぴらには行えませんが、多神教に基づく自然との共生観念のなかから、目の前にいる野生動物を必要の折に「敬って捕って食べるだけにする」という道を選んだのでしょうし、「積極的に動物を飼育して肉をどんどん食おう」などという気にはなれず、畜産業と言えるような業態が生じなかったと思われるのです。なお、鹿と猪は増えすぎると農林産被害が多発しますので、その狩猟は禁止されなかったり、黙認されたりしたようです。

 ここからは、いったん宗教から離れて、ヒトの食性の観点から論ずることとします。
 そもそもヒトは類人猿の仲間でして完全な植食性の動物であり、植物の葉・芽・果物にわずかに含まれる必須アミノ酸や必須脂肪酸を得て事足りていたのですし、ヒトともなると腸内細菌が活発に働けば必須アミノ酸は十分に得られるのです。
 ですから、肉・乳のみならず穀類(たんぱく質と脂肪が多い)、これらは非常に新しいヒトの食糧ですが、単なる代替食糧に過ぎないのです。これらを一切必要としないのがヒト本来の食性であることは間違いのないことです。
 な
お、ヒトは皆、でんぷん消化酵素の出が非常によいですから、かなり古い時代に芋を代替食糧にしたことでしょう。これは類人猿にはない特徴で、今やヒト本来の食性になってしまっていると考えられます。
 人類学においては、人類誕生とともに狩猟時代に入ったというのが定説になっていますが、これは、今日の文明社会の先頭を走っている西欧人が、歴史時代以降、ずっと肉食中心の食生活をしていたから、原始人もそのようだったと勝手に決め付けてしまった、大いなる過ちと言えます。
 大型類人猿のうちチンパンジーは時々、オランウータンはまれに狩猟しますが、動物性タンパク質を摂取するのが目的ではなく、これは過去にあった(チンパンジーは今でも)大人オスによる悲惨な子殺し&子食いの延長線上にあると小生は捉えています。
 人類誕生後においてはヒトは子殺しもせず、ゴリラと同様に(ただしヒトは芋を食べ始める)完全な植食性であったと考えられます。
そして肉食はしなかったに違いありません。
 というのは、原始時代に人類の出アフリカは度々繰り返されたのですが、その理由は食べ物が得られなくなったからと考えるしかないのですが、原始人が住んでいたアフリカのサバンナには草食動物がずっとそれこそウジャウジャ生息していたのは間違いないことですから、人が肉食性であれば狩猟して食べ物を得ればいのであって、何もわざわざ草食動物が希薄にしか生息していない地域へ移住する必要はどこにもないのです。
 彼の地から移住をはじめたのは芋を求めの旅立ちと考えざるを得ないのです。
 今日の狩猟採集民(近年はその大半が採集中心であることから「採集狩猟民」ということが多くなりました)も、主食は芋でして、芋が得られればまず芋を採って食べ、芋が豊富に得られる地域では芋ばかり食べていると言っていいくらいです。
 でんぷん消化酵素を唾液腺からたっぷり分泌することができる動物は、小型動物に穀類はじめ植物の種を主食とするネズミがいる他は、ヒトとイノシシ(そして豚)だけで、その共通する食べ物は芋ですから、ヒトは芋食動物に進化したと言ってもいいでしょう。
 そして、ヒトは芋をよく噛んで食べるなかから、唾液腺にでんぷん消化酵素を獲得したと思われます。なお、霊長類のなかでは珍しく犬歯を退化させたヒトは、咀嚼するときには上下の歯を前後左右に擦り合わせ、硬い物でもきれいにすり潰すことができるのです。牛や馬と同様なこの特技を持つ霊長類はヒトだけで、チンパンジーは犬歯が邪魔して残念ながらこの真似ができず、単に上下の歯をぶつけ合って叩き潰すことしかできませんからね。
(澱粉消化酵素に関する動物種の記述に一部誤りがあり、2022.5.17訂正)
 アフリカ・ユーラシア大陸全体に本格的に現世人類が広がったのは、せいぜい4万年前のことで、それ以降は、急激な気候変動による寒冷化や人口密度の高まりにより、代替食糧の獲得に迫られ、一部地域で狩猟が始まったと小生は捉えています。
 なお、人類の肉食習慣は、火の利用を体得し、あらゆるものが火食できることを知ったなかから発生し、まれに小動物を焼いて食べるという食習慣を持つに至ったと思われます。
 そして、魚介類を代替食糧としたのは十数年前の遺跡があり、海縁で先行したようですが、これは湿地帯を本拠とするボノボ(チンパンジーの近種)がまれに小さな魚を口にするという習性の延長線上にありましょう。
 以上、人類進化の歴史を趣味的にいろいろ研究している小生ですが、これでほぼ間違いなかろうと思っています。

 さて、ここからは動物の乳を飲む習慣の発生について論ずることとします。
 これについては人類学者の間で概ねオーソライズされているのですが、出アフリカした一部の現世人類がたどり着いた半砂漠地帯、今の中東ですが、ここでは水を求めてオアシスに定住します。そのオアシスには羊が群れを成して生息しています。ここへヒトが大量に入り込んでくるものですから、羊たちはオアシスから離れ、わずかばかりの草が生えている荒れ地で過ごすしかありません。そうしたなかで、旱魃が長く続けば羊たちはヒトがいっぱいいるオアシスへやってくるしかなく、このとき群ごと一気に家畜化されてしまったのです。羊の習性からしてそのように考えられています。
 こうなると、羊は肉食動物に襲われることがなくなって数が増えすぎてしまいますから、羊の乳を母乳不足の幼児に飲ませ、食糧不足も相まって、その後は子供が、そして大人もが羊の乳を飲むようになったと考えられるのです。もっとも、最初は、子供はいざ知らず大人の場合は乳糖不耐性ですから、搾り置いて自然とヨーグルト化したものを少々飲むといったところであったことでしょう。そして、必要頭数以上の羊は屠殺して、これも代替食糧ですが、かなりの肉食をするようになったことでしょう。
 オアシスに定住したヒトたちも、本来なら柔らかそうな植物の葉・芽・果物そして芋を食べたかったのでしょうが、そうしたものは恒常的に不十分にしか手に入らず、やむを得ず、代替食糧として動物の乳を飲むしかなかったのですし、動物を殺して食べるしかなかったのです。
 人類はオアシス以外の中東の地域にも拡散していき、羊が家畜化されれば、山羊(やぎ)も同様に簡単に家畜化できますし、やがて牛も家畜化され、牛乳が飲まれるようになります。これらは全て降雨量が少なくて牧畜に頼らざるを得ない地域、つまり遊牧民がとらざるを得なかった代替食糧の食文化なのです。

 加えて、穀物を代替食糧にしたのも同時期に中東においてと考えられます。中東においては小麦が自生しており、ヒト本来の食性である植物の葉・芽・果物そして芋が不十分だったでしょうから、今までは見向きもしなかった穀類も食べるしかなかったのです。
 面倒でも小麦の穂を拾い集め、苦労して脱穀を行い、手間暇かけて粉にし
、それをこねてから炉で焼くという、幾つもの工程をくぐらせねばならない手の込んだこの作業は、当時のヒトにとって、たいそう苦痛な大仕事だったことでしょう。
 そして、この穀物食が人口爆発を引き起こしたと小生は考えています。なぜならば、穀物は芋に比べてあまりにも脂肪とたんぱく質が多く含まれ栄養が豊富すぎ、これが元で過栄養になってしまうからです。

 こうして、中東での前史時代の食は、人口の増大もあって、ヒト本来の植物の葉・芽・果物はわずかばかりとなり、代替食糧としての穀類、肉、乳が主なものになったと考えられるのです。なお、残念ながら当地には芋はほとんど自生していなかったようです。
 ついでながら、彼の地の宗教についても触れておきます。
 当初は日本とどれだけも変わらぬ多神教であったと考えられるのですが、度重なる旱魃など、あまりの自然環境の厳しさを経験するなかで、日本のような大自然に抱かれるという観念は生ぜず、人口の増大に伴う食糧不足も相まって、大自然は人間を苦しめるものであって、人間は大自然と闘わねばならぬという立場にだんだん置かされるようになり、古代文明の誕生の頃から神々の数は減り続け、最後には、唯一
の超越者を崇めるという一神教の誕生をみたのです。日本的多神教の観点からすれば、この間、次々と神殺しが行われたということになり、ゾッとさせられます。

 代替食糧としての穀類、肉、乳を主食とする食文化は、中東を皮切りにして、湿潤地帯を除く世界各地に広まっていき、今日を迎えているのですが、その多くの地域では、その食文化は1万年、少なくとも数千年にはなろうとしています。
 5千年であれば約200世代前からとなり、これだけの繰り返しを行えば、不完全ながらもいろいろと獲得形質が生まれ出てこようというものです。
 容易には消化できない肉を食べ続けることによって脂肪・たんぱく質の分解酵素の出が良くなりますし、その消化を半分受け持つ胃袋も丈夫なものに形質変化します。
 そして、本来は哺乳類の赤ちゃんにしか出ない乳糖分解酵素なのですが、離乳後においても動物の乳を飲み続けることによって、大人になってもその酵素が出続けるという形質を大なり小なり持つようになってきたのです。これを乳糖耐性といいます。 
 現代においては、こうした食生活に急激に近づいた日本人ですが、まだせいぜい2世代前からのことですから、とても新しい食性に適合できるものではありません。
 日本人は、つい最近まで長くヒト本来の食性にけっこう近い食生活をしていましたから、中東から欧州にかけての異民族と同じ食事には決して馴染めないのです。
 そして、日本人には乳糖耐性の方は極めて少なく、大方が乳糖不耐性で、乳児以外は牛乳の主成分である乳糖をほとんど分解することができないのです。
 よって、牛乳は便を柔らかくする下剤の役割しか持たないと言っても過言ではないでしょう。カルシウムだって現行の摂取基準に何ら根拠がなく、もっと少なくても不足することがないのは戦前の摂取量からして明らかなことですしね。

 さて、日本人の先祖はどのような食生活をしてきたのでしょうか。
 
日本列島に本格的にヒトが渡ってきたのは2万年ほど前(当時は氷河期で大陸とほとんど陸続き)のことのようで、これが縄文人となったようですが、その後にも大きな渡来が2回ほどあったようです。大ざっぱに捉えれば、地域によって程度の差はありますが、それら3グループがけっこう混血して今日の日本人となったようです。
 3グループの出自は狩猟中心であったり、採集中心であったり、農耕中心であったりしたようですが、日本列島に定住した初期は極端な寒冷期にあって狩猟中心の食生活と思われ、その後は採集中心となり、狩猟は気候が寒冷・温暖の繰り返しのなかで、寒冷で狩猟が増え、温暖で狩猟が減る、というものになったと思われます。温暖になれば植生が豊かになるからそのように食性が変化すると思われるのですが、日本列島の特色は周囲を海で囲まれていますから、大陸とは違って地球の気候変動の影響は随分と小さかったと思われ、肉食中心の食生活は長くは続かなったと思われます。
 
なお、魚貝類を食べるという習性は、古代日本人にもけっこうあったようで、日本列島の地形的性状からしてそうなり、狩猟よりも漁労中心であったように思われます。

 日本列島は、極端な寒冷期はさておき、温帯にあって年中十分な雨量があり、世界一と言ってもいいほどに植生が豊かなことです。よって、ヒト本来の食性である植物の葉・芽・果物(ただし、熱帯ではないので果物は少し)がけっこう得られたことでしょう。
 今日においても、各種野草が野山に自生しており、堅果類や穀類のように遺跡に十分な証拠が残るものではありませんから不明ですが、けっこう食べていたと思われます。
 芋はどうかというと、日本列島で自生していたのは山芋だけで、これがどの程度得られたのか、野草と同様に証拠がほとんどなくて不明ですが、地上部に幾つも生ったであろうむかごをばら撒いておけば2年先には十分な大きさの芋が取れるのですから、けっこう食べていたかもしれません。
 でも、これだけではとうてい賄えず、現生チンパンジーでサバンナに住む者たちは乾期には大木に実を付ける硬い豆類を食べているのですが、それと同様に縄文人は堅果
類を食べ始めたと思われます。日本列島で特筆すべきは、地域的に偏りが生ずるものの、ブナ、ナラ、クリ、トチノキなどの落葉性堅果類が極めて豊富に得られることです。
 初期は生で食べていたかもしれませんが、土器の出土は1万3千年前で、その頃から煮て食べたことでしょう。当初はドングリが主、次第に食べやすいクリの植栽、縄文後期(4千年前から)の寒冷化で小粒のトチが主、という変遷を示しています。
 また、縄文後期の寒冷化によって、新たな代替食糧が求められ、蕎麦(そば)をはじめとする雑穀や小豆などの豆類もけっこう食べるようになり、また、南方から伝わった米を焼畑稲作の形態で作り始めています。大豆もこの頃に入ってきています。
 そして、米については、弥生時代の始まり(2千5百年前)とともに新たに大陸から水稲耕作技術が伝わり、別品種による水稲栽培が増えていきましたが、1日当たりの米の摂取量は先進地帯でも弥生前期は1勺程度、中期で6勺〜1合程度、後期でも2合を超えることはなかったようで、まだまだ堅果類や雑穀、豆類で補っていたようです。
 時代はこの後、古墳、飛鳥、奈良と小刻みに移り変わっていくのですが、弥生時代以降、人口爆発を起こし、奈良時代になってやっとまずまずの落ち着きをみせたようです。その人口増加の最大の原因は、中東における小麦と同様に、米作が進んで穀物が主食となったことによる過栄養でしょう。
 それと時を同じくして、日本でも豪族が誕生し、戦乱の世が始まり、富が権力層に集中しだします。その結果、食の変化が生じてきます。概ね2千年前から、一般庶民はだんだん水稲耕作の米の多くを租税として巻き上げられるようになって、わずかばかりの米が入った雑穀が主食となり、不足分を堅果類・豆類と縄文後期に渡来した里芋で補い、人口過密もあって肉・魚・貝の類はだんだん口に入りにくくなったことでしょう。
 なお、ここまでの時代における野菜の摂取はというと、詳細は不明ですが、自生していた野草のほかに、縄文時代に入ってきたウリ、レンコン、弥生時代に入ってきたダイコン、ネギ、ニラ、ショウガ、古墳時代に入ってきたカブが順次広まりをみせたことでしょう。
 その後、庶民の食生活はどれだけも変化せずに江戸時代を迎えることになったと思われます。そして、江戸時代も元禄時代になると、平和で安定した社会となって経済も発展し、庶民層の中でも江戸・大坂の町人は一般武士階級と並んで比較的豊かな食生活ができるようになります。こうした階層は、ここで雑穀混じりの玄米食から美味しい白米食に変わったのですが、そのツケが江戸患いと呼ばれる脚気の発症です。

 ここで、一気に現代に飛びますが、世界一理想的な食として世界的に有名になったのが、日本の江戸・元禄時代以前の「玄米菜食」です。1977年に生活習慣病を克服するために発表された「マクガバン報告」(米国議会上院が世界中から学者を集め、7年かけて詳細に調査研究された結果報告)の中で非常に高く評価されています。
 元禄以前の玄米菜食とは、雑穀米を主食とし、副食として1、2菜(野菜の煮物なり、魚の煮物か焼き物)、具沢山の味噌汁、そして漬物です。なお、雑穀米の米は玄米ですし、これに大根や芋を混ぜることも多かったようです。

 ここまで、ざっと日本人の食生活を紹介してきましたが、縄文初期は肉食性であったものが、1万3千年前から今日の一般的な採集狩猟民の食生活(動物性食品摂取率が約3割。ただし日本の場合は温暖期は野草が豊富で摂取率低下)となり、弥生時代半ば(約2千年前)以降、急激な人口増加によって庶民は動物性食品摂取率がガクンと落ち、たぶん1割を大きく切るようになり、それが長く続き、江戸・元禄時代以降に若干増えたものの、どれほどのこともなかったと言えましょう。
 となると、その昔、1万3千年前まで肉食に十分慣れていたであろう消化能力も、その後の1万年強の期間は概ね高度成長期頃の日本人並みの動物食となって随分と衰えをみせ、直近の2千年間はわずかばかりの動物食であったがために、今、急に2千年前以前の採集狩猟民並みの食性に戻しても消化が追いついていかない、といったところではないでしょうか。
 獲得形質は得るのに時間がかかるが失うのは早い、といったところでしょう。

 日本人の食生活の変遷を見て、最も貧相であったのが弥生時代半ば以降、元禄時代以前のおおよそ1千7百年間と思われるのですが、この粗末な食事で健康でいられたのかと心配される向きが多いのですが、現実は真逆で、驚きです。それを紹介しましょう。
  約4百年前の戦国時代。戦の場面がテレビドラマでよく映し出されます。これは絵巻物などに基づき忠実に再現されていると思われるのですが、馬にまたがった武将の周りを足軽が並走していきます。実戦ではけっこうな距離を走ることになると思われるのですが、彼らは、いざ敵軍と会い交えても息が上がることは決してなかったことでしょう。史実としては1583年の賤ヶ岳の戦いにおける羽柴秀吉の「美濃返し」が有名ですが、このとき、秀吉軍は大垣から木之本までの丘陵地帯を含む52キロメートルを5時間で移動しています。足軽たちは、鎧を纏い、刀や槍を持って、丘陵を上ったり下ったりしながら平均時速10キロで5時間も小走りしたのですから、その体力には驚愕させられます。
 こうした日本人の丈夫さ、健康さに関する驚きは、キリスト教宣教師の本国への報告文によく出てくるところです。
 また、江戸末期の日本人の健康度も格段に良かったと思われます。開国によって日本を訪れた外国人が皆、日本人の丈夫さ、健康さに驚いています。そうしたことから、これは史実にあるのですが、ある外国人は、東京から日光へ行くのに、馬に乗っていった方が速いか、人力車が速いかを競争をさせたら、何と人力車の方が勝ってしまったというから驚きです。その外国人は、さらに人力車夫は普段は肉を食べていないから、彼に肉を食わせればもっと速く走るだろうと、車夫に肉を食わせたところ、車夫は“肉を食うと力が出ないから肉は止めにして欲しい”と訴えた、とあります。
 ところで、この車夫はたぶん江戸町人であって、白米を常食していたと思われるのですが、雑穀入り玄米食ならもっとスゴイことになっていたかもしれません。

 いかがでしょうか。今日の厚生労働省はじめ政府機関は、最重要の栄養素である動物性たんぱく質はしっかり取れだの、子供の背を高くし、年寄りの骨粗鬆症を防ぐために骨にいい牛乳を飲めだの、盛んに代替食糧の摂取を啓蒙していますが、どれもこれも的外れなことばかりです。ここ約2千年間続いた粗食で十分に健康でいられるし、逆に、そうした粗食であって、はじめて健康でいられるのです。
 ちなみに日本人が一番背が高かった時期は古墳時代と言われます。背を高くする栄養素はたんぱく質で、これがコラーゲン繊維となり、これにカルシウムなどが貼り付いて骨が成長するのです。当時は、人口過密がまだ限界までは来ておらず、肉・魚・貝の摂取が減っても、水稲耕作が大きく展開されて、庶民も雑穀米をけっこう食べることができたからと思われます。雑穀米ほどバランスが取れ、ぎっしりと栄養が詰まった食品は他になく、これによってたんぱく質やカルシウムも十分に摂取できるからです。

 ますます平和で豊かになった日本人です。巷にはグルメがあふれかえっています。
 美味なるものには毒があるのですが、あまりにも食欲煩悩が強すぎるがゆえに、その誘惑に、とても勝てっこありません。小生とてそうです。
 奈良・平安貴族はチーズを珍味として時折たしなむ程度に食べていたようですが、我々現代人も「美味なる珍味を時折少々いただく」というスタンスで
牛乳・乳製品を取るにとどめ、肉については江戸時代の人々のように「これは肉ではなく薬だ」と捉えて時折ほどほどに食する、というふうな食生活にしたいものですね。なかなか難しいことですが
 そして、主食については、玄米少な目の雑穀米にすることによって、頭脳明晰、質実剛健、心身ともに超健康な身体づくりができるのは歴史を振り返ってみて明らかなことですが、これもなかなか難しいことです。
 うちでは以前、大麦を少々加えた胚芽米をずっと食べていたのですが、あるとき、有機農法で作られた米を精米した銀シャリ
に変えたところ、あまりの美味しさでその虜になってしまい、もう元には戻せません。せいぜいその食べる量を制限し、代わりに芋類で腹を満たすといった程度の悪あがきしかできないでいます。
 なお、小生の少食の実行としては、1日1食(夕食のみ)としているところです。

 本稿は非常に長文となり、また、主題から大きく外れる部分が大半となってしまい、申し訳ありません。最後までお付き合いいただきました読者の皆様に感謝申し上げます。
 本稿がどれだけかでも皆様の食生活の参考になれば幸いです。

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食養の基本は「食べたいものを食べる」に行きついてしまう?

2017年02月02日 | 食養

食養の基本は「食べたいものを食べる」に行きついてしまう?

 このブログで一番重点を置いているのは「食養」でして、小生の生涯研究課題でもあります。何が正しいか、何が間違っているか、様々な角度から、これを論じ、健康で長生きし、生涯現役を通し、ピンピンコロリと逝くことができる食養法を極めたいと。

 さて、小生の今までの努力を完全に無にする食養法が目に飛び込んできました。
 最近発売された週刊現代に<「逆さま健康法」 これで元気に100歳だ>が載っていて、そのなかに「食べたいものを食べる」と題して、イシハラクリニックの石原結實氏ほかの話があったのです。まず、それを紹介しましょう。
(注:丸数字とアンダーラインは、のちほど解説するために小生が付したものです。)
 (石原氏)「現在、世界一の長寿は117歳のイタリア人(2017.4.15死去)ですが、小さい頃から毎日卵を3個食べてきたそうです。コレステロールなんか気にしていないんですね。史上最高の長寿者であるジャンヌ・カルマンさんは、野菜が大嫌いでした。その代わりに週に1kgものチョコレートと赤ワイン、肉などを好んだそうです。それで122歳まで生きてしまった。
 そもそも食べ物の好みは体質によって決まっているんですよ。冷え性の人は生野菜やビールよりも体を温める肉や赤ワインを好むのです。」
 つまり、自分の体が欲しいと感じているものを食べることこそ一番健康にいいのである。ホスメック・クリニック院長の三好基晴氏も食べ物にガマンは禁物という。
「腹八分目と言いますが、目の前にある食べ物を残してまでダイエットするのはかえってストレスになる。よく噛んで食べろとも言いますが、30回も噛んでいたら食事は楽しみではなくストレスになってしまいます
 巷で体にいいと言われている食べ物にも、本当は効果がないものがたくさんあります。例えばブルーベリーは目にいいとよく言われますが、これは第二次世界大戦中に暗がりでも目が利くパイロットの食生活を調べたら、ブルーベリーをよく食べていたというだけの話。科学的にはまったく根拠がありません。あふれる健康情報に惑わされないで、自分の五感で判断すべきです。自分が好きな食べ物はそもそも五感で選んでいるものなので、健康につながるはず
 最近流行しているダイエット法に糖質制限がある。しかし、高齢者がこれをするとリスクが大きい。前出の石原氏が語る。
「血糖が下がって、倒れる危険性が増します。100歳以上の高齢者に好きなものを聞くと『甘いもの』と答える人が非常に多いですよ。増えすぎた体重を落とすためには有効かもしれませんが、高齢者が真似する必要はありません。…」
 前出の伊達氏(?)も高齢者の糖質制限に反対だ。
「糖質の摂取をあまり制限してしまうと、たんぱく質が筋肉にならずに、エネルギーとして燃焼するために使われてしまうのです。ですから、極度の糖質制限は筋肉量を減らしてしまうことになりかねない。
 一方、高齢者が良質のたんぱく質を取ることは大切です。健康志向の人は鶏肉をよく食べますが、これは必ずしも正しくない。豚肉や牛肉のほうが鉄分などのミネラルやビタミンが豊富です。牛や豚の赤身は効率よく必要な栄養素が取れるのです。鶏肉も地鶏であれば運動をしますが、ブロイラーはほとんど運動しないメタボな肉なので、一般にイメージされているほどヘルシーではありません」
 栄養のことを難しく考えず、美味しいと思うものを好きなだけ食べる。それが健康長寿への近道だった。(引用ここまで)

 いやーあ、まいりました。言う人は言うもんだ。それぞれ一理あるものの、これ皆、現代の日本人全てに適用できるものではありません。
 今回の週刊現代の記事<「逆さま健康法」 これで元気に100歳だ>は、8テーマ取り上げられていて、概ね万人に適用できるのですが、このテーマ「食べたいものを食べる」だけは、高齢者、それも後期高齢者に限って、それも部分的に言えるだけのことでしょう。
 若い方や中年の方が真似されたら、いろいろと問題が起きてしまいそうです。
 そこらあたりを順次解説することにします。その前に「…」と省略した箇所がありますが、あまりにも幼稚で間違った理由付けになっていましたから、引用を削除しました。

①記事のとおり高コレステロール食品を取っても問題なしです。コレステロールが多すぎるから食べるのを控えるようにずっと言われ続けていた卵ですが、最近、厚労省もこれを言わなくなりました。というのは、摂取する量の数倍も体内生産されますから、摂取制限に全く意味がないからです。
 ちなみに20年以上前の面白い調査研究があります。台湾で行われたもので、対象者は大学生。毎日卵を3個食べる群と卵を全く食べない群に分け、その後にコレステロール値を比較したら、卵を3個食べる群のほうが値が低くなったというものです。
 卵を全く食べない群は、きっと肉中心の中華料理で腹を膨らかしたことでしょうから、高カロリーとなり、それでもって高コレステロールになったのではないでしょうか。
 肉の代わりに卵にすれば、脂肪分が少なくヘルシーで、どうやら長生きできそうです。もっとも、動物性たんぱく質はそうそう多く取る必要はないですけどね。

②野菜が嫌いで、チョコレート・ワイン・肉が大好きで長生きとは恐れ入りました。このジャンヌ・カルマンさん(フランス人)についてネット検索しましたが、詳細は判明しなかったものの、次のことが言えましょう。
 野菜嫌いであっても、フランスの料理には野菜をよく煮込んだスープやソースがふんだんに使われますから、生野菜なり野菜の煮物を全く食べなくても問題はそれほどないのではないでしょうか。ワインはアルコール量が問題になりますが、フランス人は日本人に比べてアルコール消化酵素が格段によく出ますから、肝臓への負担は少ないことでしょう。肉も西欧人は体がまずまず慣れていましょう。
 チョコレートの多食にはビックリさせられますが、フランスのチョコレートは甘味を抑えたものが多そうで、豆を多食していた、と捉えてもいいのではないでしょうか。
 ところで、彼女は愛煙家でもあったようで、亡くなる数年前までタバコを吸っていたとのことです。それでも122歳まで生きられたとは、ほんとオバケのような人ですね。

③基本的には、そのとおりですが、少し付け加えて解説しましょう。
 ビールは体を冷やす食品ですし、冷たくしてがぶ飲みすることが多いですから、より体を冷やします。ワインは体を温める食品で、冷たくしたところでチビチビと飲みますから、酒好きの冷え体質の方にはもってこいでしょう。
 肉は全般に体を大きく温める食品で、年を食って低体温傾向になってくると、胃が丈夫であれば肉を求めるように体質変化するのが一般的です。
 ところが、生野菜については、少量食べるだけの食生活ですと体を冷やす方向に働きますが、生菜食中心の食生活に切り替えると、最初は極度に体が冷えてきますが、慣れてしまえば腸内環境の変化によりグンと体が温まるようになり、若い方の抜本的な冷え症改善はこれしかないようです。つまり、体質は食生活の変化によって大きく変わるものなのです。このことについては、「生菜食の是非について考える。完全生菜食で信じられない健康体に!」で解説しましたので、ご覧になってください。

④30回噛んで食べる、については小生も実行しているのですが、ストレスは全く感じていません。さらに、新谷式食事法で有名な新谷弘実医師によりますと、50~70回くらい噛みましょう、と言っておられ、ご本人も実行されているようです。ここまでは小生もとても真似できませんが。
 現代人はますます忙しくなり、食事もゆっくり食べていられないから、三好基晴氏がおっしゃるようなことになるのでしょうが、夕食ぐらいはゆっくり食べたいものです。ゆっくり味わって食事を楽しむ、これくらいの余裕は持ちましょうよ。すると、一日の疲れも取れます。特に、食事をしながら楽しく家族団らんとなれば、幸せ感が満喫でき、知らず知らず一日のストレスも霧散するというものです。

⑤中高年ともなると、体温低下や胃腸の働きが弱くなることもあって、食べ物の趣向が変わってきますから、若い頃に偏食傾向になかった方は好きなものを食べる、ということでもいいのでしょが、若い人の偏食はいただけません。
 何でも食べる、という中から、特に何々が好きだ、という程度に留め置くべきでしょう。
 極度な偏食は五感を狂わせていますからね。狂った物差しで判断しては体を壊しかねません。ヨーグルトなりアイスクリームが好きで好きで毎日大量に食べている方、けっこういらっしゃるようですが、これは物差しが狂っているいい例です。喉が渇いたら砂糖入り清涼飲料水なり缶コーヒーを1日に何本も飲むという方も同様です。

⑥偏食していない高齢者は何を食べたらいいかをまずまず五感で判断できましょうから、良質のたんぱく質(ここでの例示は豚肉・牛肉)なるものをあえて取る必要はないです。魚だっていいですし、大豆や豆腐好きなら、それだけでも十分です。また、豆類にとどまらず穀類にだってたんぱく質は思いのほか多く含まれていますし、各種野菜もたんぱく質は決してゼロではありません。
 高齢者が良質のたんぱく質にこだわるとすれば、それは羊肉です。体内エネルギーを円滑に生み出し、そしてボケ防止になるカルニチンをたっぷり含むのが羊肉ですからね。漢方でも羊肉は一番体を温める食品になっています。
 次の別立てブログで、それを紹介していますのでご覧ください。
 http://kmiyake.blog.fc2.com/blog-entry-122.html

⑦「食べたいものを食べる」、これがこの記事の本題になっているのですが、偏食せずにまずまず理想的な食生活をなさっている方には、そう言えないこともないでしょうが、さて理想的な食生活とはどんなものかとなると、これはなかなか難しいです。
 理想的な食生活として極端な例では、肉・魚・脂なしの完全生菜食というものがあり、これをずっと続けていると、すこぶる健康になって、それぞれの生野菜の味が格段に美味しくなり、たまに付き合いで懐石料理を食べようなら、魚を食べただけでも体調が悪くなるといいますからね。そのように体質が大きく変化してしまっているのです。これはヒトと祖先を同じくするチンパンジーやゴリラの食生活に近いものです。
 現代における理想的な食生活として世界的に有名なのが、1977年に米国で発表された「マクガバン報告」の中で示されている日本の江戸・元禄時代以前の「玄米菜食」です。ここら辺りの食生活に馴染んだ体質でもって「食べたいものを食べる」というのが無難な食べ方かもしれませんね。下記ブログ記事を参照なさってください。
 
健康な食生活の原点は“朝食抜きの玄米菜食”=元禄時代以前の食生活

 以上、週刊現代の<「逆さま健康法」 これで元気に100歳だ>に掲げられていた「食べたいものを食べる」についての反論、“逆さまの逆さま”になってしまった箇所がけっこう多くなりましたが、小生の見解を述べさせていただきました。
 この世の中、何が正しいのか、政府・医学会あげて意図的に間違った情報が流されたりしていますから、ご自身で的確に判断することが求められます。
 特に食に関しては正反対のものであふれかえっています。ここは、古の知恵、太古の昔の食生活はどうだったのか、という観点から考察するのが基本となりましょう。
 このブログでは、そうした情報を中心にして発信してまいりたいと考えています。
 どれだけかでも皆様の食生活の参考になれば幸いです。

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ヨーグルトは体にいいのか悪いのか、その答えは明らかです

2015年02月28日 | 食養

ヨーグルトは体にいいのか悪いのか、その答えは明らかです

 このことについては、日本人には少量ならいいが勧められるものではないと、過去記事(2013.12.15「酵素は誇大広告、でも発酵生成物は体にいい。人に一番やさしい栄養です。」)の中で次のように書きました。
…最後に、発酵乳製品であるチーズとヨーグルトについて触れておきます。
 ともに乳酸発酵を主体としていますが、熟成させるには酵母菌を加えることがあります。
 ただし、フレッシュチーズは単に乳を固まらせただけのもので発酵食品ではないです。
 発酵乳製品は、発酵生成物が含まれる点では体にいいと言えますが、牛乳と同様の理由で、あまりお勧めできない代物です。
 一つは、たんぱく質と脂肪があまりにも多すぎるという点です。どちらも摂取量を極力抑える必要がある代替栄養(日本人の食生活からすれば、これらは単にエネルギー源になるだけ)であって、特に日本人には、その消化と代謝に負担が掛かりすぎます。
 もう一つは、乳糖が多く残っていたり、それが2分解されたガラクトースが残っていたりすることです。日本人の大半(除く赤ちゃん)は、乳糖不耐症で乳糖がほとんど消化されず、乳糖は下痢の原因になり、腸内環境を悪化させる恐れがあります。また、ガラクトースは吸収されて多くがブドウ糖に変換されるのですが、日本人はその機能が弱いようで、牛乳の多飲や乳製品の多食は白内障の原因になるなど害になる恐れがあります。
 よって、発酵乳製品は、良い面より悪い面が多く、少量の摂取であれば乳糖が消化されたりガラクトースが利用されて問題ないでしょうが、大半が乳糖耐性の欧米人並みに大量にパクパク食べるのは禁物です。
 概ね1万年前から動物性たんぱく質と脂肪という極端な代替食糧を摂るしかなかった欧米人は、それなりに消化や代謝機能が適合してきているのですが、つい数十年前まで植物性食品がほとんどであった日本人がその真似をすれば、体を壊しかねません。
(再掲ここまで)

 このように考えている小生ですから、ヨーグルトは夏場の風呂上りに喉もとの涼をとりたいがために小さなカップ入りのものを食べるに止めていたのですが、どうやらこれさえ良くないようです。
 といいますのは、新谷弘実医師が2005年(当時70歳)に著された「病気にならない生き方」の中で、ヨーグルトを全否定されているからです。氏は超ベテランの医師であり、長年にわたる自らの食生活改善や患者への食生活指導を通して、このことに自信をもっておられます。なんせ、新谷氏は内視鏡外科の先駆者であり、世界一の臨床例(その当時で日本人・米国人合計30万例)をお持ちの名医ですから、信用がおけます。
 早速、その部分を抜粋して紹介しましょう。

 「ヨーグルト神話」に疑問を感じるこれだけの理由
 最近「カスピ海ヨーグルト」や「アロエヨーグルト」など、各種のヨーグルトが健康効果をうたってブームになっています。しかし、ヨーグルトを毎日食べると腸によいというのは「ウソ」だと、私は考えています。
 ヨーグルトを食べつづけている人に話を聞くと、「胃腸の調子がよくなった」「便秘が治った」「ウエストがスッキリした」というようなことをいいます。そして、こうした効果があるのは、すべてヨーグルトに含まれている「乳酸菌」のおかげだと信じているのです。
 ところが、この「乳酸菌のおかげ」というのが、そもそも怪しいのです。人間の腸にはもともと乳酸菌がいます。こうしたもともといる菌を「常在菌」といいます。人間の体は、外から入ってくる菌やウイルスに対するセキュリティシステムができあがっているので、たとえそれが体によい乳酸菌であったとしても、常在菌でないものは、このセキュリティシステムに引っかかり殺菌されてしまうようになっているからです。
 まず最初に働くのが「胃酸」です。ヨーグルトの乳酸菌は、胃に入った時点でほとんどが胃酸によって殺されます。そのため、最近では特別な工夫を施して「腸まで届く乳酸菌」を売りにしたヨーグルトも登場しています。しかし、腸まで届いたとしても、はたして常在菌と手を取り合って働くことが本当に可能なのでしょうか。たしかにシャーレの中では生きたまま腸に届くことが確認されているようですが、実際の胃腸の中は実験室とは違います。
 私がこうした「ヨーグルト神話」に疑問を感じるのは、臨床現場では、ヨーグルトを常食している人の腸相(※腸相に関しては30行ほど下に引用文あり)がけっしてよいものではないからです。
<別の箇所からの引用を挿入>事実、私は毎日ヨーグルトを食べているという人で、よい腸相の持ち主に会ったことがありません。<別の箇所からの引用挿入ここまで>
 
ですから、私はヨーグルトに含まれる乳酸菌が生きたまま腸に届いたとしても、そこで腸内バランスをよくする働きがなされることはないと考えています。
 では、なぜヨーグルトに「効果」を感じる人が多いのでしょうか。その理由の一つに「乳糖」を分解するエンザイム(酵素)の不足が考えられます。…
 …そのため、ヨーグルトを食べると、エンザイム不足から乳糖をきちんと消化しきれず、その結果として消化不良を起こします。つまり、ヨーグルトを食べると、軽い下痢を起こす人が多いということです。この軽い下痢によってそれまで腸内に停滞していた便が排出されたのを「乳酸菌のおかげで便秘が治った」と勘違いしてしまっているというわけです。
 ヨーグルトを常食していると、腸相は悪くなっていきます。これは30万例の臨床結果から自信をもっていえます。もしあなたがヨーグルトを常食しているなら、便やガスのにおいが強くなっているはずです。これは腸内環境が悪くなってきている証拠だと思ってください。くさいのは、毒素が腸内で発生しているからです。
 このように、一般的にも健康効果がうたわれ、企業などがいかにわが社の商品がすぐれているかを訴えているもののなかにも、実際には体にとってよくないものはたくさんあるのです。
 (本書の)冒頭でも述べましたが、これからは自分の健康は自分で守っていかなければならない時代です。相手から出される情報を鵜呑みにするのではなく、自分の体で確かめ、真実を見極めることが必要なのです。自分の体で確かめるというのは、ただたんに食べてみる、やってみるということではありません。なぜなら、先ほどのヨーグルトの例のように、「便秘が治ったからよい」と勘違いしてしまうこともあるからです。
 自分の体で確かめるというのは、きちんと選び、実践し、そのうえで、定期的に「胃相」「腸相」を信頼できる医師に診てもらうなど、客観的な結果を確認する努力をするということです。本書で紹介する新谷食事健康法も、実践してくださるなら、私のところでなくても結構ですから、ぜひ実践する前と後で内視鏡検査を受けてみてください。きっと胃相・腸相の劇的な変化を実感していただけることと思います。
 健康で長生きするためには、外から聞えてくる声に翻弄されるのではなく、自分の体の中から聞えてくる声にもっと耳を傾けることが必要なのです。
(引用文中の※に関して別の箇所から引用)
 人間の顔に人相のよしあしがあるように、胃腸にも「胃相」「腸相」のよしあしがあります。人相はその人の性格が表れるといいますが、胃相・腸相にはその人の健康状態が表れます。
 健康な人の胃相・腸相はとても美しいものです。胃であれば、粘膜が均一のピンク色で、表面にでこぼこがなく、粘膜下の血管が透けて見えることもありません。また、健康な人の粘膜は透明なので、内視鏡が照らす光に粘液が反射し、キラキラ輝いて見えます。健康な人の腸も、胃の場合と同じようにきれいなピンク色をしています。さらに非常にやわらかく、大きくて均等性のあるひだが見られます。
 人間は誰でも子供のころはきれいな胃相・腸相をもっています。それが日々の食事や生活習慣によって変化していくのです。
 不健康な人の胃は、粘膜の色がまだらで局所的に赤くなっていたり、はれたりしています。また日本人に多い萎縮性胃炎になると、胃粘膜が薄くなるので、粘膜下の血管が透けて見えるようになります。さらに、胃の粘膜が萎縮すると、それを補うために表面細胞が部分的に増殖するため、胃壁がでこぼこになってきます。ここまでくると、もうガンの一歩手前です。そして不健康な腸は、腸壁の筋肉が厚くかたくなるため、不均衡なひだが生じたり、ところどころに輪ゴムをはめたようなくびれができています。
 体に痛みや不調が生じていない「未病」の人に、「腸相が悪くなるから動物食は控えてください」といっても、素直に忠告に従って実践する人はあまり多くありません。そこには動物食がおいしいからという理由もありますが、いちばんの理由は「見えないから」だと思います。
 体の表面に生じた変化には、人は比較的敏感に反応します。たとえば、髪の毛が抜けたり、顔にシワができたりすれば、大騒ぎでお金も時間もかけて対処します。しかし、自分では見えない腸の中の変化となると、「まあ、痛くなければいいか」と、驚くほどいいかげんな対処で終ってしまうのです。そして病気になってしまってから、後悔することになるのです。目で「見えない」と、その変化が意味する怖さも見えなくなってしまうのかもしれません。
 しかし、私のように腸の中を知りつくしてしまうと、体の表面の変化よりも中の変化のほうが気になります。それは、その変化が自分の健康状態に直結していることがわかっているからです。
(著書からの引用ここまで)

 いかがでしょうか。
 なお、新谷医師は、日米両国人(主として米国人)患者の胃腸の内視鏡検査や手術にあたっては「食歴」もしっかりカルテに記入され、また、患者の食事指導の結果を踏まえて以上のように言っておられるのです。
 よって、乳糖を分解するエンザイム(酵素)を十分に持ち合わせている多くの米国人(あるいは少数の日本人)であったとしても、ヨーグルトの常食は健康に良くないとなります。
 ところで、世界3大長寿地域として有名なグルジアのコーカサス地方では、カスピ海ヨーグルトを常食しているから健康だと言われています。
 しかし、この常識も新谷氏によって否定されてしまいます。
 なぜに彼の地の人たちが長寿かと言えば、食においては、日常的に食べている穀類は精白されていない穀物で作ったパンやナンですし、野菜といえば自生している野草を生の状態で食べることが多いようですし、動物性食品の摂取は少ないようですから、こうしたことがきっと健康で長寿になれる秘訣になっていることでしょう。
 ちなみに「新谷食事健康法」の基本もここに重点が置かれています。機会をとらえて「新谷食事健康法」を紹介したいと思っています。
( → 2017.3.14投稿「新谷食事健康法のすすめ」)
 ところで、夏場の風呂上りに喉もとの涼をとるために小さなカップ入りのヨーグルト&寒天を食べていた小生、これを機に今夏からは寒天だけで我慢することにします。ヨーグルトを食べるのは、まれに料亭に行ったときに、出ることがよくあるデザートだけとします。
(2017.4.18追記

 ここまで2013.12.15投稿の記事の一部分に新谷医師の著「病気にならない生き方」の中のヨーグルトの記述を紹介し、2015.2.28本稿を投稿したのですが、その後、このページへのアクセスが多くなり、また、コメントもたくさんいただきましたので、本稿の内容について今一度精査すべきと考え、どれだけかネット検索を重ねてまいりました。
 そうしたところ、これは当然のことではありましょうが、“ヨーグルトの少々の摂取は害になるものではない”という、一応の結論めいたものに行き当たりました。よって、最後の段落は行き過ぎの面があり、削除することにしました。失礼の段、お許しください。
 かかる訂正をしましたのは、日本人の大半は離乳後には乳糖消化酵素がほとんど出なくなるものの、本稿で紹介した新谷医師の弁「エンザイム不足から乳糖をきちんと消化しきれず」という言葉からしても、乳糖消化酵素の出は決してゼロではなさそうだからです。料亭で最後に出るデザート程度の量であれば何ら問題なしと言えましょう。
 では、どの程度までなら大丈夫なのか。これについては残念ながらネット検索では何ら知見が得られませんでした。これは、個人差がある(乳糖消化酵素がよく出る日本人もいる)からということにもなってしまうでしょうが、小生の力不足もあり、申し訳ありません。
 いずれにしましても、やはりヨーグルトの多食はいろいろな面で慎重に対処したいものと思われます。例えば、下記の追記などもその一例です。

(2017.1.20追記)
 ヨーグルトの多食は別の面からも体に良くありません。特に冬季においてはです。
 と言いますのは、
漢方ではヨーグルトは体を冷やす食品に分類されます。現代の日本人はあまりにも体を冷やす食品を、それも年中摂り過ぎており、低体温傾向にあって、それがために花粉症、アトピーなどアレルギー症を引き起こしやすくなっています。また、低体温は風邪やインフルエンザのウイルスを拾いやすいですし、がん患者はきまって低体温であるなど、体を冷やすことは何一ついいことないです。
 昨日、同業者の勉強会でヨーグルトが話題になり、治験例など情報交換しました。そのなかで特筆すべきは次の事例です。
 毎日大量にヨーグルトを食べて続けていて便秘症であった方に、お腹が冷たくないかとお聞きしたら、そのとおりとのことで、その日以降ヨーグルトを断ったら、お腹が温かくなり便秘症も改善した。通常は下痢気味になるケースが多いものの便秘もあり得る。
 このことについて、医師、薬剤師の解説記事(ブログ)を下に示しておきます。
 乳製品は体に良いか?(よろず漢方薬局)
 毎日のヨーグルトはおなかに良くない?(漢方診療所 玉嶋貞宏 院長)
 ヨーグルトを冬季にも毎日召し上がっておられる方は、一度ヨーグルトを断ち、体調の変化を観察されてはいかがでしょうか。そして、代わりの発酵食品を摂るとすれば、日本人なら先ず第1に漬物でしょうし、第2にナットウです。

 (2016.11.17追記)
 コメントが多くなりすぎましたので、論点がヨーグルトに無関係なものは削除させていただきました。あしからずご了承ください。
 なお、牛乳も全否定されている新谷医師です。これについては、コメントを寄せてくださった方が牛乳乳製品健康科学会議との論争を苦労して検索してくださり、コメント中に示していただきましたので、紹介します。
<牛乳乳製品健康科学会議>
 「病気にならない生き方」の著者 新谷弘実氏への「公開質問状」について
  平成19年12月18日(火)東京・大手町のサンケイプラザにおいて、新谷弘実医師の回答書の内容等について牛乳乳製品健康科学会議による記者発表が行われました。
 当日の配布資料を公開いたします。
  
http://www.zennyuren.or.jp/news/kaitou/kaitou.pdf
 なお、この中で、乳製品についての論争は少なく、唯一「腸まで届く乳酸菌」についてだけですが、ここでも両者の見解の相違が生じています。

(関連記事)
 2017.3.8
牛乳は飲んでいいのか悪いのか、その答は明らかです

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果物は体にいいのか?人の健康を害するのか?いい点が多々あり、悪い点も多々ありそう…

2014年02月23日 | 食養

果物は体にいいのか?人の健康を害するのか?いい点が多々あり、悪い点も多々ありそう…

 果物好きの小生ですから、毎日何らか果物を食べており、一日たりとも欠かせません。女房は反対に果物を好まず、果物なしが1か月2か月続いてもどってことないです。
 このように、果物の嗜好は個人差がかなりありそうです。
 小生が果物好きである原因は、今はそうではありませんが、以前はかなりの陽性体質であって、夕食後2、3時間すると体の芯から大きく熱が発生して、それを冷やさんとして果物を求めていたように思われます。還暦を過ぎてからは少々陰性体質になったものの従前から持っている果物嗜好は食欲煩悩から消えることはない、といったところです。
 一方の女房はかなりの冷え症で陰性体質です。そうしたことから総じて体を冷やす果物全般を生理的に受け付けないように思われます。もっとも、体に熱がこもる真夏になると、メロンなどをおいしい、おいしいと言って毎日けっこう食べていますが。
 こうしたことは、漢方の陰陽論からも言えることですから、あながち間違ってはいないことでしょう。体が陽であれば陰の食品を求め、体が陰であれば陽の食品を求めるのですし、治療も陰陽調和をもって行うというものです。
 ところが、果物というものは怖いものでして、あまりにもその嗜好が強いとなると、強度な冷え症で陰性体質であっても、貪り食ってしまう例がけっこうあるようです。甘いお菓子好きの方と同じで、どうにも止められないといったところです。

 さて、ヒト本来の食性は何かと言いますと、ヒトは数百万年前にチンパンジーから地理的分離によって分かれた後においてもチンパンジーと同様に熱帯で暮らしていたのですから、現生チンパンジーと同様に果物が主食であったのは確かでしょう。
 現生チンパンジーのうち熱帯雨林で暮らしている者たちは、ある調査によると123
種類、別の調査では100種類もの果物を食糧にしており、果物が豊富に手に入るようなら毎日がほとんど果物ばかりという食生活のようです。
 熱帯の果物というとマンゴウ、パパイア、アボガドと言ったものを我々は想像しますが、市場に出回っているこうした果物は品種改良され、果肉たっぷり、柔らかく、甘い、といった商品価値の高いものばかりで、彼らが食べている果物とはまるで違います。
 熱帯雨林で手に入る果物は原種のものばかりですから、市場に出回るような商品価値の高いものは全くなく、ほんの数種類が地元の市場に出るだけで、それも果肉は申しわけ程度にしか付いていないようです。よって、チンパンジーは果物が主食と言っても、我々が想像する果物とは全然異なった性状のものを食べています。
 彼らが食べる果物は大きく分けて2種類あり、一つは、細かい種がいっぱい入っているイチジクの仲間などです。数多くの種類がありますが、我々が目にするような大きなものはなく、皆、小さくて甘味が少ないものばかりのようです。
 もう一つは、中心に大きな種が入っていて果肉がはがれにくくなっているもので、スモモの種のような状態です。そして、果肉の層はせいぜい5mm程度といった極めて薄いもののようです。その味はと言うと、なかにはかなり甘いものが幾種類かあり、これが地元の市場に出回ることがあるようですが、大半のものは少し甘いだけであったり、酸っぱいだけであったり、両方の味が混ざっていたりするようです。そうした果物らしい味のするもの以外に、全く無味であったり、なかには渋くって人にはとても食べられないものであっても彼らはけっこう食べているようです。加えて、皮が分厚い上に硬くて、これを齧りとってからでないと食べられないものも多いようです。
 こうしてみると、果物であっても、我々が口にする果物の栄養主成分である果糖(甘味成分)はどれだけも摂取できておらず、種も一緒に飲み込んでいますから、種に付着した繊維質の一部も栄養源になっていることでしょう。なお、霊長類学者は、チンパンジーは果物が主食と言えども、かなり繊維質の多いものを食べているとおっしゃっています。
 つまり、チンパンジーは、完全生菜食している人と同様に、繊維質をけっこう後腸発酵させているのではないかと思われます。そして、彼らのエネルギー源は、果物に含有する果糖と有機酸(酸味物質)、後腸発酵により腸内細菌が作ってくれた各種有機酸の両方でもって賄われていることでしょう。
 前置きが随分と長くなりましたが、ヒト本来の食性は果物食であると言われることが多く、それによって短絡的に“ヒトの祖先は果糖を主たるエネルギー源としていた”と誤解される向きがありますので、決してそうではないことを説明させていただいたところです。

 これより本題に入りますが、我々が食べている果物、多くは熱帯原産であり、また、果糖がたっぷり含まれたものが多いのですが、こうしたものを食べると、ヒトの体にどういう影響を与えるかについて論じたいと思います。
 なお、本稿については、現時点では、小生の乏しい知識から論ずるものとなり、新たな知見が得られたら加筆訂正したいと思っていますので、その点ご了承ください。

 果糖はブドウ糖の類似物質で、たいていはブドウ糖に変換されてから利用され、砂糖はこの2つの糖が結合したものです。よって、果糖の過剰摂取は砂糖の過剰摂取とほぼ同じことになりますが、その詳細については、このブログの「砂糖の害…」で書きましたとおりで、ここでは説明を省略します。

 果物について漢方の陰陽論からすれば、冒頭で少し触れましたが、一部のものを除いて陰性の強いもの、つまり体を強く冷やしてしまうものとなります。(果物の種類によっての、その程度の違いは、本稿の終わりの方で目安を示しました。)
 よって、果物一般に多食すれば体に変調をきたす恐れが危惧されます。
 特に果物好きの方は、これくらいの量だから大したことないと思っておられても、実際にはかなりの量になっていることが多いですし、かつ、甘党でケーキなどを食べられることも多く、毎日が果糖や砂糖の完全な取りすぎでカロリーオーバーになっています。たとえ通常の食事を腹八分に抑えたとしても、果物は別腹に入れますし、ケーキなども別腹です。
 そして、砂糖は体を冷やしますし、過食も冷えの元ですから、これらが果物と相まって、極度の冷え症にしてしまうことが往々にしてあるのです。

 次に、果物はミネラルバランスが悪い点が上げられます。
 果物の特徴はカリウムが極端に多く、ナトリウムが極端に少ないことです。
 これは、高血圧の方には効果を発揮することがあります。食塩の摂りすぎでミネラルバランスが崩れている方です。ナトリウムが過剰でカリウムが不足すると、むくみが生じ、血圧を上げることがけっこうありますから、逆バランスの果物でもって打ち消します。
 高血圧でない方でも野菜嫌いで食塩を摂りすぎておられる方は、果物でもってミネラルバランスを整えられるといいでしょうね。
 ところで、塩持ちの良い体質とそうでない体質とがあります。このことについては過去記事「…塩持ちの良い体質に改善」で詳述しましたが、塩持ちの良い体質とは、薄味であってもおいしく感じられ、元気があり、汗をかいても倦怠感が生じないという、塩を体外流出させない機能に長けた方で、陽性体質の大変健康な方です。
 こうした方は、同時に過剰なカリウムをスムーズに排出する能力を持ち備えており、ミネラルバランスの悪い果物を食べてもカリウムをどんどん排出してしまい、体内ミネラルバランスを正常に保つことができます。
 一方、塩持ちの悪い体質の方、多くの方がそのようですが、そうした方が無理な減塩をしつつ果物を多く摂ると、単に余分なカリウムが排出されるだけでなく、不足しているナトリウムの排出まで促進してしまいます。こうなると、決定的な塩分不足となり、食欲不振、膨満感、倦怠感が生じて体調を大きく崩す元になります。
 そこで、生活の知恵として、多食しがちな果物の代表格であるスイカを例にして、“スイカには塩を振って食べよ”というものがありますが、果物の多食は、こうしたことで塩分不足になるから、果物を食べるときは塩を足す必要がある、というものです。
 ついでながら、甘味のある食品に少し塩を振ると甘味が引き立ち、隠し味として塩は使われます。よって、甘党の方が甘い物の食べ過ぎを防ぐ一法として、これは有効ですし、また、梅干を毎日食べるなどして塩分補給することによっても、甘い物の食べ過ぎを防ぐことができるようです。

 果物というと、ビタミンやミネラルそしてフィトケミカル(ポリフェノールやカロチノイドなど)といった微量栄養素が話題に取り上げられることが多いのですが、確かにそれぞれにそれなりの効果が期待されるものの、通常の食事で事足りていたり、代替が利くものが大半ですから、個々のフィトケミカルをことさら重要視するのは行き過ぎの感がします。
 加えて、特定の果物が、あれにいい、これにいい、といって毎日食べるとなると、先に言いましたように別腹にしまい込むことになり、果糖の摂りすぎと過食を引き起こし、かえって体を害することになるケースの方が多くなります。
 何か健康不安があって、それを改善するために特定の果物を毎日食べるとなれば、過食になることは必至で、それに見合う分の食品、特に肉や油脂を思い切って減らすさないことには、決して健康増進効果は期待できないと考えねばなりません。
 ついでながら、
あれこれ色々な物をバランス良く食べないと健康は維持できないと言われますが、毎日の食事ごとにバランスを整えようとすると、どうしても過食になります。今日の飽食の時代にあっては、体内に各種栄養素が十二分に備蓄されていますから、長期的バランスが整えば良く、毎回の食事内容は偏食になってかまわないのです。
 ただし、炭水化物だけとか動物性たんぱく質だけという偏食は、これらを過剰摂取している現状を鑑みると、避けるべきものですし、摂るとすればごく少量に止めるべきものです。

 果物は生で食べることが多く、この前記事にしました「完全生菜食ではなく、一部生野菜とした場合の効果はいかに」との関連ですが、生野菜の代わりに生の果物を摂るということの是非について考えてみましょう。
 基本的な違いは、果糖が野菜にはほとんど含まれないのに対し、果物には多く含まれており、即吸収されてエネルギー源になるというものです。また、果物には酸味があることも多く、これは有機酸ですから、これも即吸収されてエネルギー源になります。
 類似点は、各種のビタミンやミネラルそしてフィトケミカルが豊富に含まれていることです。また、火を通さないことによる、生ならではの何か未知の効果も期待できます。
 こうしたことから、準断食に果物が利用されることがあります。水だけの本断食では倦怠感が付き物ですし、思わぬトラブルが発生することも多々あります。よって、少量の果物を摂取するという準断食とし、本断食とほぼ同様な効果を出しながら、そうした危険を回避しつつ、かなり楽に毎日が過ごせる断食法です。
 一例を挙げれば、故・甲田光雄氏が長年の経験から編み出された果汁断食がそうで、中ぐらいのリンゴ1個半(約300g、約150キロカロリー、昼と晩の2回)をおろし器ですりおろしてそのまま食べる、あるいはジューサーでリンゴジュースにして飲む、というものです。果物はリンゴに限らず季節折々のものでよく、ミックスでもいいです。
 この方法なら、倦怠感が大いに軽減され、断食が1週間程度なら楽にできるとのことです。ビタミンなどの補給ができ、少ないとはいえエネルギー源がダイレクトに得られるからです。これでも倦怠感が生ずる人は、食塩を少々足せば改善するとのことで、これは先に述べた“スイカに塩”の理屈です。
 もっとも、準断食は生野菜で作った青汁断食の方が効果が大きいようです。その違いはカロリーのあるなしも多少は影響するようですが、主な効果の差は、胃壁・腸壁に対する食物繊維の物理的作用の違いと思われ、果物には青汁に多く含まれるザラザラした食物繊維破片が少ないからでしょう。排便促進に違いが出るようです。

 最後に、果物を食べるときの注意点を幾つか挙げておきます。
1 冷えすぎたものは避けること
 果物は冷蔵庫で保管されることが多く、過度に冷えています。これをいきなり食べるとなると、胃腸を急激に冷やしてしまい、様々なトラブルを発生させます。花粉症やアトピーなどのアレルギー疾患が代表的なもので、その発症メカニズムは「アトピーの本質的な原因について考える」をご覧ください。
 昔は果物は常温保管ですし、真夏でも井戸水で冷やしただけのものでした。くれぐれも冷たすぎるものにはご注意ください。
2 朝は果物を摂るのは避けたいです
 朝は体温が最も低くなっています。胃も冷えています。一日の活動を始めるに当たっては暖機運転が必要ですから、冷たい物や体を冷やす食品は避けるべきです。
 よって、果物は昼なり晩に体が温まった状態のときに食べるのが望ましいでしょう。
3 果物の皮は食べるべきか否か
 微量栄養素は皮に濃厚に存在します。特にフィトケミカルのうち抗酸化物質がそうです。直射日光で生ずる活性酸素を消すために必然的にそうなります。
 また、皮は硬い食物繊維でできていますから、生野菜と同等の物理的作用を胃壁・腸壁に働かせてくれます。
 こうしたことから、食べられるものなら皮も一緒に食べたいところです。
 ただし、難点は農薬の害です。国内産のものは出荷前の一定期間は農薬噴霧しないことになっているようですから比較的安全と思われますが、輸入果物は防疫管理で殺虫剤が使われることもあり、避けた方がいいでしょうね。
 これに付け加え、出荷段階で果物に艶を出すためにワックスがけしたりするものもありますから、そうした皮はとても食べられたものではありません。
 農薬などの実態や問題点については、聞きかじり程度の知識しかなくて、これ以上のことは分からず、申し訳ありません。
4 リンゴは体を冷やす食品?
 たいていの果物は体を冷やす食品に分類されますが、巷に出回っている様々な温冷食品表では、リンゴは体を冷やす食品に分類されたり、温める食品に分類されたり、はたまた中庸であったりと、どれが本当なのかよく分かりません。
 ただ、青森県弘前のリンゴ農家に花粉症が多いという地元医師会の報告があり、花粉症患者はまず間違いなく低体温であって、リンゴ農家であれば屑リンゴを多食すると思われることから、その相関関係によって、リンゴは体を冷やす食品に分類していいのではないかと、小生は思っています。
5 季節によってどんな果物を摂ればいいのか
 基本的には旬のものを摂ると良いことになりますが、果物の種類によって体を冷やす度合いが異なりますから、下記の例を頭に置いておかれると良いでしょう。
 特に、輸入品の熱帯産のものは体を強く冷やす傾向にありますから、真夏に体に熱がこもったときに食べるに止めたいものです。
 なお、果物の大半は、熱処理すれば体を冷やす力が減じるようです。
(出典:日本CI協会ホームページ簡易版<食べ物の陰陽表>
 温めるでもなし冷やすでもなし  リンゴ
 少し冷やし気味
         イチゴ、ミカン
 冷やす             スイカ、柿
 強く冷やす     
      ブドウ、梨、メロン
                 バナナ・パイナップルなど熱帯産

(追記)本稿で、チンパンジーは果物の種も一緒に飲み込んでいると紹介しました。ヒトの場合、イチジクやイチゴなどの細かい種はそうですが、スイカほどの種になると吐き出します。じゃあ、ヒトがスイカの種、もっと大きい柿の種、さらに大きい桃の種を飲み込んだらどうなるでしょうか。このことについては、機会を捉えて記事にすることとしましょう。
 →2018.8.1投稿
  スイカの種を飲み込んで便通促進?梅干の種なら胃潰瘍や酒の飲みすぎにも? 

2016.11.23追記)
 7年間も果物(トマトなどの果菜類を含む)だけしか食べない食研究者が、先日テレビに登場されていました。
 参考までに、ネット記事とご本人のブログを貼り付けておきます。
 なお、ご本人は丸っきり完全な果物食ではなく、塩は摂っておられるようですし、冬季は激痩せ防止のためにナッツ類(最近は栗)を少々摂っておられるとのことです。
 http://news.livedoor.com/article/detail/12044728/
 http://ameblo.jp/fruit-mizuki/

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完全生菜食ではなく、一部生菜食とした場合の効果はいかに

2014年01月31日 | 食養

完全生菜食ではなく、一部生菜食とした場合の効果はいかに

 2014.1.13に「生菜食の是非について考える」と題して記事にしました。
 そこでは、部分的に生菜食を取り入れた場合の効果の有無については全く触れることができませんでした。よって、本稿において、それを説明したいと思います。
 しかし、これをどう評価して良いのやら、実はあまり自信がありません。小生が現在持ち合わせている乏しい知識から推測するしかありませんので、その点ご容赦ください。

 先ずは類人猿の食性からアプローチを試みます。
 ヒトはチンパンジーやゴリラと非常に近い種ですから、ヒト本来の食性は類人猿と同じと考えて良いのですが、チンパンジーは非常に興味ある肉食行動を取ります。
 彼らは時折オスたちが集団で狩猟し、捕らえた獲物を分捕りあって食べます。群によって頻度は異なるようですが、年間十数回にもなることがあるようです。
 これは、彼らが社会生活する中で積もり積もったストレスを解消するために行うようでして、腹が減ったから狩猟しようというものでは決してないです。また、食糧不足のときよりも食糧が豊富なときの方が頻発するとのことですから、代替食糧ではありません。そして、近縁のゴリラは狩猟をしませんから、動物性たんぱく質の補給目的でもありません。
 チンパンジーの主食は果物で、それが十分に手に入れば木の葉は食べないのですが、果物が欠乏すると木の葉もどれだけか食べるようです。それが、狩猟して動物の肉や内臓などを食べるときには、必ず木の葉も食べます。これは大変特徴的なことです。
 一方、ヒトの場合、欧米人は肉が主食と言っていいくらい肉をたくさん食べますが、肉を食べるときは生野菜も随分な量を摂るのが一般的です。その肉は日本人が好むものとは違って生肉に近いものです。チンパンジーの肉食時と同じ食文化です。
 日本人も肉をもりもり食べる場合は、よく焼けた肉であっても生野菜を欲します。その一例が、焼いたカルビをサラダ菜で包んで食べるという食文化です。これは、30年以上前に韓国を訪れたときに聞いた話ですが、日本人の旅行者か駐在員が
カルビ料理にサラダ菜を求め、これが日本人の間で先ず広まり、これは食べやすいとの評判が立ち、韓国人の間にも広まったとのことです。小生も、そうして食べたのですが、これならどれだけでも食べられ、もう一皿追加して食べたいと思ったほどです。

 このように、生肉かよく焼けた肉かは別にして、肉に生野菜という取り合わせは、チンパンジーにしろ肉食人種にしろ菜食人種にしろ、必須のものと考えて良いでしょう。
 煮たり茹でたりした野菜ではなく、生野菜でないと肉に合わない。これを体が欲するということですから、生野菜に何か大きな効果があると考えるしかないです。
 “肉には毒があり、それを打ち消してくれるのは生野菜の毒で、毒が毒を消す”とも言えます。これは、チンパンジーの場合は一面当たっていましょう。なぜならば、彼らは本来は肉食をしない草食性のゴリラと同様に純粋な植食性(※)ですから、肉は毒になりますし、また、彼らが暮らす熱帯の樹木の葉にはどれも皆、大なり小なり毒があるからです。
(※チンパンジーもゴリラも、
蟻(アリ)を好んで口にしますが、これは食と言うよりも薬(関節の消炎剤)として摂っていると思われますし、量的にもたかがしれていますから、昆虫食とは考えないことにします。)
 でも、人が食べる生野菜は品種改良されていて毒らしい毒は含まれていませんから、“これはちょっとどうか?”ということになります。しかし、小生は、ここに何か隠されているような気がするのですが、ただ単にそう思うだけで何ら科学的根拠はありません。

 次に、漢方の陰陽論から説明を試みましょう。
 大半の肉は、塩とともに体を温める食品の横綱と言えます。文明社会においては、肉の味付けに必須の塩ですから、調理した肉を食べれば、体はグーンと陽性に傾きます。
 いたって健康な人は陽性傾向にありますから、肉に塩という陽に陽では極陽になってしまい、体に熱がこもってしまいます。それでは具合が悪いですから、肉を食べるときには、体を冷やしてくれる生野菜
を自然と欲することになるのです。
 このように、肉に生野菜の取り合わせは、漢方の陰陽論で、うまく説明できます。

 先日書いた「生菜食の是非について考える」の中で、故・甲田光雄氏の長年の臨床経験から、年がら年中、毎日煮たり茹でたりした食品(陽性食品)ばかり摂っていると、体質はどんどん陰性に傾いてしまい、これはよくないことを述べました。このことからも、誰もが、大半が陰性食品である生野菜を意識して摂る必要がありましょう。
 かといって、年がら年中、毎日のように生野菜を摂る必要があるというものではないと思われます。真冬には外気によって体の芯まで冷えていることが多いですから、そうした場合の食事は、野菜であっても陽の陽(煮たり茹でたりし、かつ、熱いもの)が求められ、鍋料理や汁物が適しています。そして、春になり暖かくなってから、生野菜のサラダなどをいただくことにすればいいでしょう。また、真夏には陰性傾向にある人でも体に熱がこもりがちになりますから、夏野菜を生でパクパク食べて体を冷やさねばなりません。
 こうしたことは、意識しなくても体が自然と欲することですが、漢方の陰陽調和の理論からも言えることです。

 さて、これより表題に掲げました「一部生菜食とした場合の効果」について、小生が今現在思っている最大の効能を述べさせていただきます。
 限度を超えない範囲であれば、体は動かせば動かすほどに筋肉が鍛えられ、
体はよく動くようになります。同様に、頭も使えば使うほど頭の働きがよくなります。
 これと一緒で、胃や腸も限度を超えない範囲で鍛えてやれば丈夫になりましょう。ただし、過食、飽食は胃腸にとっては限度を超えたものとなりますから、これはだめです。
 胃や腸を鍛える最高の方法は、食事の質であり、何よりも胃壁や腸壁を刺激してあげることです。煮たり茹でたりした野菜は柔らかくなっており、刺激することは期待できませんが、生野菜はすり潰したものであっても、小さいながら硬い組織片がそのまま残っており、これが胃壁や腸壁を擦り、突き刺しもします。
 突き刺しの一例が山芋のとろろです。とろろが口の回りに付いたりすると痒みが生じたりしますが、これはシュウ酸カルシウムの針状結晶が皮膚に突き刺さることによるもので、これは同様に胃壁・腸壁にも突き刺さり、刺激することになりましょう。
 よって、生野菜を毎日食べれば、胃壁や腸壁が刺激され、それがために胃腸の蠕動運動が盛んになろうというものです。これによって、胃腸は鍛えられてだんだん元気になり、本来の役割を果たすようになってくれることでしょう。
 このことは、胃潰瘍の方、重い胃下垂の方などが、生野菜を生理的に受け付けないことからも推し量られます。胃がひどく荒れていたり、胃が極単に弱ければ、生野菜の刺激に耐えられませんから、吐き戻したり、停滞させる(膨満感が生ずる)しかなくなるのです。
 なお、極度の冷え症の方が生野菜を受け付けないのは、これ以上に低体温になっては生命維持に支障が生ずるとして胃腸が受入れを拒否するからでしょう。
 以上のことは、故・甲田光雄氏の著書「冷え症は生野菜で治る」及び「断食療法の科学」に書かれていることの要点を、小生なりに解釈して述べさせていただいたものです。ただし、とろろに関する説明の部分は小生の私見です。

 生野菜の効能については、この他に「植物酵素やビタミン・フィトケミカルなどが熱で壊されることがない」といったことが強調して挙げられることが多いのですが、小生はこれについては否定的に捉えています。植物酵素については2013.12.15の記事「酵素は誇大広告、でも発酵生成物は体にいい」で詳述しましたし、ビタミン・フィトケミカルが熱で壊されるとしても大したことはないと考えられるからです。
 その他の効能として、生野菜は多食できないから過食にならない点が挙げられます。これは確かなことですが、往々にして生野菜は体にいいからといって、通常の食事にオンして食べてしまい、その効果が発揮されるのはまれなものとなりましょう。

 いずれにしましても、生野菜が体にいいことは経験的に確かなことですから、大いにすすめられることになります。
 でも、長く続けてきた今までの食事に胃腸はそれなりに慣れ親しんでいますから、急激な変化には着いていけません。いきなり量多く生菜食を始めると、胃腸を壊す恐れがあります。甲田氏によれば、どんな場合も少しずつ食事内容を変えていって、胃腸を慣らしてやらねばならないとのことです。
 生菜食を始めるにあたって最も失敗するケースは、手作りの青汁とのこと。
 生野菜をあまり食べていなかった人が青汁が体にいいからといって、ミキサーやジューサーで大量に作ってそのまま飲むと、胃が丈夫だと思っている人でも胃を荒らすことが多いようです。最大の原因は、生の葉緑素が胃壁を過剰に刺激するからだそうです。
 よって、手作りする青汁は、青葉が主体であれば3倍量ぐらいになるよう水で薄め、かつ、ほんの少しの量から飲むようにせねばならないし、胃腸が青汁に慣れても、水で3倍量ぐらいに薄める必要があるこのことです。
 できれば、安全策を取って青汁を始める前に、大根や人参などの根菜のおろしで慣らし運転をするとよいとのことです。
 なお、青汁が飲みにくい場合は、最初のうちは、布で粗い部分(胃壁・腸壁への刺激が強すぎる)をこしとったり、塩を適量加える(陰性に陽性を加えて中庸にする)と、飲みやすくなり、胃腸への負担(もたれなど)も少なくなるようです。
 また、刻んだ生野菜をいきなりバリバリと食べ始めると、胃腸を壊す方がけっこう多いようです。これも、胃壁や腸壁への刺激過剰によるものです。
 そして、順々に生野菜の量を多く摂るようにしていくのですが、必ずそれに見合う分の他の食材、特に動物性食品や油物を思い切って減らしていくという食事へ切り替えていかないことには、生菜食の効能が十分には発揮されないことを、よく承知しておいていただきたいとのことです。

 ここからは小生の見解ですが、青汁にしろ、刻んだ生野菜にしろ、冷蔵庫でかなり冷やされたものを直ぐに胃に入れがちですから、胃腸を極端に冷やしてしまいます。
 胃腸を冷やすことほど健康に悪いものはないと言えますから、青汁なら常温にしてからゆっくり飲む必要がありますし、サラダや一夜漬けなどはよく噛んで口の中で温めてから胃に送り込んであげる必要がありましょう。
 また、生野菜を食べる時刻というのも重要です。朝食時に摂られる方が多いように思いますが、これは避けたいです。朝は体温が低く、胃の温度も低いです。その胃をさらに冷やしますから、胃への負担が大きすぎます。
 なお、胃にやさしい食事であっても、食後すぐに活動を強いられる朝ですから、胃への血流が細ってしまい、胃が十分に活動することができません。
 できれば、甲田氏も言っておられるように、朝食は抜くべしとなります。
 こうしたことから、生野菜は、胃の温度が上がってきていて、かつ、食後にたっぷり休憩が取れ、胃が十分に活動できる昼食なり夕食時に摂るべきものでしょう。
 最後に、肉ばっかり食べて生野菜をちっとも食べない方へ一言申し上げます。
 ヒトの親戚であるチンパンジーを少しは見習ってください。
 野生動物の食というものは、実に理にかなったものとなっていますからね。

 十分な説明ができないまま長々と書き綴ってしまい、読者の皆様には申し訳ありませんでした。なお、本稿は未定稿です。新たな知見が得られれば…いつになるか分かりませんが…追記したいと思っています。
 また、チンパンジーの主食は果物ですから、これがヒトにどのような効果を及ぼすかについて、記事を起こしたいと考えています。(追記:これについては、2014.2.23 「 果物は体にいいのか?人の健康を害するのか? 」と題して記事にしましたので、ご覧ください。)

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生菜食の是非について考える。完全生菜食で信じられない健康体に!

2014年01月13日 | 食養

生菜食の是非について考える。完全生菜食で信じられない健康体に!

 新鮮な野菜は生きているが、煮炊きすると死んでしまい、生命力のないものを食べても意味がない。野菜は生(なま)で食べて、はじめて本来の効果が得られる。

 このように言われることが多いのですが、観念的には、そのとおりだろうと思われるものの、果たして、どこまで本当なのでしょうか。
 このことについては、いまだ科学的に解明されておらず、これは永久に解明されないようにも思われますが、経験則として、どれだけかのことが分かっています。
 本稿においては、小生が今までに知り得たことについて、その概略を述べつつ、逆に、煮炊きすることによって得られる効能についても論ずることにします。

 ヒト以外の動物は、火食(煮炊きしたり、焼いた物を食べること)をしません。ヒトも遠い祖先にあっては火食をしていなかったことは間違いありません。
 ヒトが火の利用を体得したのは約150万年前とも言われますが、その確たる証拠はなく、遺跡調査によれば最古の焚き火跡は約80万年前のもののようです。それ以降、盛んに火食するようになったかというと、これも怪しいです。
 その当時の原人の主食は芋類と思われるのですが、今日、未開な地で行われているような、焼いた石でもって芋を蒸し焼きにする方法、あるいは芋を焚き火の灰の中へ入れて焼く方法
を既に採っていたのか、そうした面倒なことをせずに生で齧っていたのかどうか、これがよく分からないのです。
 なお、ヒトが穀類を食べるようになったのは、どう考えても、ごく最近のことでして、麦をすり潰してパンを焼いた最古の遺跡が約2万3千年前のものですから、たぶんそれ以降のことだと思われます。
 そして、ヒトが盛んに穀類(地域により麦または米)を食べ始めたのは、人口密度が高まり、食糧不足になって面倒でも農耕を始めざるを得なくなり、新石器時代に至った、高々約1万年前からと思われ、この時点から火食が主体になったものと思われます。穀類は生で噛むのは難儀ですから、面倒でも手を加えて調理するしかなく、脱穀した上で、麦は製粉し焼いてパンにし、米は蒸したり煮たりして食べたに違いありません。

 ところで、芋類も穀類も主成分はでんぷんで、生はベータでんぷんの状態になっていますから、ヒトの消化酵素では少ししか消化されませんが、水を加えて熱することによってアルファでんぷんに変性し、これでもって格段に消化されやすくなります。
 このことからすると、火の利用を体得した原始人は、これを知っていて、古くから芋の火食を始めていた可能性も捨て切れません。
 熱帯、特にアジアでは、各種芋類の自生地がいたる所にあり、株分けして幾らでも増やせますから食糧難になりにくく、米の栽培は大幅に遅れましたし、現在でも芋類しか栽培していない地域もあります。そして、ニューギニア高地民族となると、芋類と少々の野草以外はほとんど食べない(飼っている豚は年に数回の祭礼時などに食べる)のですが、芋類は
生食ではなくて火食です。その彼らは、すこぶる健康で、持久力は抜群、裸でも寒さにめっぽう強いです。穀類に無縁の彼らは何万年か前にアジア大陸からニューギニアへ移住してきたと思われますから、それ以前から行っていた芋類の火食を今日までずっと続けているとも考えられるのです。
 こうしたことからすると、原人時代の焚き火跡の遺跡がほとんど発見されていないものの、芋類の火食は随分古くから常態化していた可能性があります。
 そして、焼いた石でもって蒸し焼きするには芋類の他に野草や硬い果物
も一緒に入れていたことでしょう。さらには、祭礼時などには捕獲した動物も加わったと思われます。

 ここで、火食の有利性について概説しておきましょう。
 最大の効能は、でんぷんが熱変性してアルファ化し、ヒトの消化酵素で格段に消化が進むようになることです。唾液でかなり消化でき、そして小腸でほぼ完全に消化され、エネルギー源となるブドウ糖が容易に得られます。
 次に、たいていの物が軟らかくなって、咀嚼しやすくなり、胃腸への負担を大幅に減ずることができます。また、コロイド状になりやすく、消化効率が上がります。これによって量多く食べることができる利点がありますが、過食へ走らせる欠点を併せ持っています。
 3つ目が、植物が有する有害成分の無毒化です。煮汁にアクが溶け出し、それを捨てることによって無毒化(弱毒化)するのですが、熱で無毒化するものもあります。
 以上のことは、一般常識として知られていることで、おさらいの意味で紹介しました。

 火食については、中医学(漢方)で、これをかなり重視しているようです。
 その一つが、冷え症の改善です。
 中医学の陰陽論からすると、冷え症=陰性体質と考えてよいです。一方、体がポカポカして真冬でも薄着でいられる方、これは陽性体質と考えてよいです。
 一昔前までは“子供は風の子”と言い、子供は陽性体質でした。それに比べ、お年寄りは寒がりになり着込んでコタツに入るというふうに陰性体質に変化していきます。
 文明社会では、これが普通なのですが、一部の子供そして若い大人であっても陰性体質であるがゆえに、その程度の差にもよりますが、様々な疾患を抱えて苦しむというケースが少なからずあります。そして、近年、これが非常に多くなってきています。
 この陰性体質を改善するための食養生として、体を冷やす食品を避け、体を温める食品を摂ることがすすめられます。ことわざに“秋ナスは嫁に食わすな”とあるのは、子を授かるであろう嫁の体を冷やしてしまっては妊娠できなかったり流産する恐れがあろうというものです。そして、夏野菜は体を冷やして体に熱がこもらないようにしてくれ、冬が旬の根菜類は一般的に体を温めてくれる、というものです。
 中医学では、あらゆる食品を「熱、温、平、涼、寒」の5区分(一般的には「温、平、冷」に3区分)し、食養生の参考にしています。そして、体を冷やす食品であっても、熱処理することによって体を温める食品に変わるということが経験的に分かっていますから、陰性体質の方には、これがすすめられます。ただし、食品によって変化の程度に差があり、中には変化が認められないものもあったりするようです。
 いずれにしましても、陰性体質の改善には火食が望ましいものとされます。こうした食生活にすると、陰性体質に起因する様々な症状を緩和することが期待できるのです。陰には陽でもって陰陽のバランスを整えるというものです。

 ところで、火食による食養生法とは本質的にどういう療法かと言いますと、それは対症療法です。冷えるから温めるという、症状そのものに短絡的に直接対処する療法です。
 しかし、これは中医学の本道ではありません。中医学では、症状即療法が本道であり、例えば、風邪を引いて熱が出てきたら体を温めて熱を逃がさないようにし、これでもって自然治癒力を高め、治りを早くし完治させるのです。風邪を引いて熱が出てきたら解熱剤で熱を下げる、という対症療法では自然治癒力が発揮できず、風邪は長引くばかりです。
 これと同じで、体を温める食品で冷え症が一時的に良くなっても、それは見かけ上の“疑似陽性体質”であって、実際には陽性体質に変わっていないのです。
 そして、年がら年中体を温める食品ばかりを摂り続けていると、体質はますます陰性化してしまいます。温室育ちがひ弱な体になるのと同じことです。
 その冷え症を根治するには、中医学の基本に立ち返れば、「冷え症は体を冷やして治す」という症状即療法が本道でしょうから、これを適切に行えば、陰性体質が
陽性体質に変換する、つまり真に体質改善できて健康体になろうというものです。

 その症状即療法の一つが長期断食と言えましょう。
 長期断食すれば、その間は体は冷え続け、様々な症状が悪化しますが、それを乗り切ることによって、陰性体質が劇的に陽性体質に変換することが期待できます。もっとも1回ではだめで、何度か長期断食を繰り返す必要がある場合が多いようです。
 この療法は、元々は陽性体質の方が暴食を続け、特に甘い物好きで冷え症になってしまった場合に効果的な方法のようです。
 ただし、長期断食による様々な症状の悪化は“症状即病気”となる恐れがあり、生死に関わることになりかねませんから、決して独断では実行なさらないでください。
 もっとも、単なる冷え症だけでは、長期断食などという苦行はできませんが、各種の難病は冷え症と密接な関係にありますから、難病の治療にはかなり効果的なようです。

 もう一つの症状即療法が、本稿がテーマとする「生菜食」です。
 これには、数多くの治験例があります。特に、故・甲田光雄医師による60年にわたる様々な臨床の積み重ねから素晴らしい結果が出ています。
 基本的には、肉を断ち、火食を全くせず、数種類の生野菜を中心に、穀類は生の玄米を少々といったものです。生野菜は多くのものが体を冷やす食品ですから、これによって体は冷え続けます。また、生野菜や生玄米はたくさんは食べられませんから、カロリー摂取量は通常1000キロカロリー以下となり、カロリー不足が輪をかけて体は冷え続けます。これを少なくとも3か月、半年、そして1年2年と続け、場合によっては一生続けるというものです。
 ただし、極度の冷え症の場合は、生野菜を受け付けない体質になっていて、まずは皮膚への寒冷刺激で冷え症を少々改善させてからでないと生野菜は食べられないようです。
 
(なお、健康が取り戻せたからといって、生菜食を止めて以前の食生活に戻すと、元の木阿弥になってしまう恐れもあるとのことです。)
 その治験例については、著「生菜食健康法」(春秋社)、「冷え症は生野菜で治る」(文理書院)などで数多く紹介されていますが、先日記事にした「人はどれだけ食べれば生きていけるか(2013.10.17)」の中で紹介した森美智代さんもその1例です。
 この場合も、断食と同様に、生菜食を始めた当初は様々な症状が悪化することが多く、個人差があるようですが、3か月、半年と経って、「宿便」の排泄を切っ掛けにして、はじめて
陽性体質に体質変換し、病症も消えるようです。

 ところで、甲田氏は幾冊かの著で、その治験例から、体質変換は「宿便」を排泄することによって起きる、と主張されています。よって、いかにして「宿便」を排泄させるか、これに重点を置き、その食事療法を断食を含めて研究してこられました。
 こうしたことから、冷え症の抜本的改善には、生菜食だけではだめで、生菜食期間中にときどき断食を挟む必要があるようです。また、併せて皮膚の鍛錬や腸に良い刺激を与える運動も毎日行う必要があるようです。

 いずれにしても、生菜食に劇的な効果があることが経験的に分かったのですが、甲田氏は、その科学的解析に関しては、次のようにおっしゃっておられます。
 …私たちの祖先は…全て生のものをそのまま食べていた…、私たちの体は元来、生のものを消化分解するのに都合のよいように適応してきたのです。…「生の食材」は、体内に入ってからその人の生命力を高めてくれる力を秘めている…。
 (甲田光雄監修<奇跡が起こる「超少食」>(マキノ出版)より引用)
 なお、甲田氏の幾冊かの著から、氏の知見として、次のことが言えるとのことです。
 完全な生菜食を続けていると、腸内細菌がそれに適した、ヒト本来の腸内細菌にだんだん変わっていくようで、その腸内細菌の働きによって、ヒトの消化酵素では消化できないものが、発酵という別の形でもって有機酸(酢酸、酪酸、吉草酸、プロピオン酸などの短鎖脂肪酸=エネルギー源)やアミノ酸に分解生成され、これがヒトの栄養となる。

 生菜食する食材の全てを火食しては、陰陽論や症状即療法の所で述べましたように、体質改善の効果が得られないようです。実際、先に紹介した森美智代さんは、少しばかりの大根おろしさえ受け付けない体質であったがために、完全火食による玄米菜食の少食を長く実行するも、症状は悪化するばかりでした。
 このように、玄米菜食の少食であっても、生食か火食かで極端な相違が出るのです。

 ここからは、小生の推測になります。
 そうなってしまうのは、生の食材に含まれる何かの有用物が直接ヒトの体に吸収されて効果を発揮するとも考えられますが、生菜食の効果は通常かなりの遅効性であることから、どうも直接的効果ということではなさそうです。
 ちなみに、生菜食を始めると、やたらとおならが出るようになりますが、これは植物に含まれる酵素による発酵が原因であろうと、甲田氏は言っておられ、そして長期間生菜食を続けて体が生菜食に馴染んでくると、おならが少なくなると言っておられます。
 こうしたことからすると、腸内細菌の関わりが大きいのではなかろうかと思われます。
 つまり、生の食材でないとヒト本来の腸内細菌群が育たないか、あるいは適正な発酵を行うことができず、腸内細菌によるヒトに有用な有機酸やアミノ酸さらにはビタミン類の生成がなかなか進まない、と考えた方が良いように思われます。
 そして、生菜食を続けていると、それに適した腸内細菌群がだんだん勢力を伸ばしていき、ついには速やかに発酵を行うようになるのではないでしょうか。
 このことは、おならの出方から推測されます。つまり、生菜食の初期においては、腸内細菌による発酵力が弱く、植物の自己融解(植物に含まれる酵素による自己細胞の消化)に伴うガス発生が多いのに対し、腸内細菌群が生菜食に適したものに代わることにより、植物が自己融解する前に腸内細菌による発酵が行われ、この発酵によるガス発生は少ないと解してよいのではないでしょうか。

 小生思うに、ヒトは進化の歴史の中で、火食に適応した体質をまずまず獲得していて、栄養源の多く(特にエネルギー源)を自力で消化吸収するようになり、その結果、腸内細菌による発酵という助けを借りなくなってしまった、ということではないでしょうか。
 しかしながら、元来のヒトは、近種のゴリラと同様に後腸発酵動物であって、自らの消化酵素でもって栄養を賄いきれるも
のではなく、主として腸内細菌が作り出してくれる発酵生成物を栄養源としていたものと考えられますから、まだまだこちらの方がヒトに適した食性であると言えましょう。
 さらには、腸内細菌の活発な活動に伴って、かなりの発酵熱が生産されるでしょうから、これによって内から体温が高まり、つまり陽性体質を維持できようというものです。
 現に陰性体質の人が生菜食を半年、1年と続けていると、初めは冷えを強く感ずるものの、やがて真冬でも素足・薄着で過ごせ、寒さを感じなくなることが多いと言います。
 これは、腸内細菌による後腸発酵で生じた発酵熱に起因するとしか考えられないのではないでしょうか。これには類例があります。孫悟空のモデルになった小猿「キンシコウ」はチベットの極寒の地に住んでいますが、彼らは木の葉や皮などの食物繊維食であって、これを前胃発酵させ、その発酵熱でもって、小さな体であっても極寒に耐えられるのではないかと考えられています。

 ヒトの進化の歴史をたどっていくと、様々な面でいまだ進化途上にある感がし、その食性においても安定した状態には至っていないと考えられます。
 と言いますのは、個人差があるようですが、完全な生菜食に切り替えれば、何か月かすればそれに適応できてしまい、全ての方が驚くほどの健康体になるようですから、ヒト本来の食性を、少なくとも日本人は誰しもがまだ失っていないことでしょう。
 ところで、ヒトが代替食とした芋類、こればかりを生で食べる食生活をするとどうなるかについては、小生の不勉強で全く分かりませんが、ほとんど芋類ばかりの火食生活であっても、ニューギニア高地民族のようにすこぶる健康に暮らせる例があります。 
 となると、穀類・野菜など様々なもののほとんどを火食しても、同様に健康体でいられてもいいはずです。現代人にはそうした方は少ない感がしますが、江戸時代の庶民はかなりの健康体であったようですから、そのようにも思われます。
 こうしたことから、ヒトは進化の過程で、野草、芋類、穀類と順々に食材を広げていき、それに対応できる能力を順次身に付け、さらには火食にも対応できる能力さえも身に付けてしまっている、とも考えられます。
 ただし、ヒトのあまりの進化の速さに、その生体機能が十分に着いて行けているかとなると、これには疑問符が付きましょう。やはり、芋類や穀類は完全には体に順応できておらず、まだまだ代替食の域を出ていないように思われますし、火食についても同様に完全には対応できていないのではないでしょうか。
 ましてや動物食となると、これは代替食としても未完成で、イヌイット(エスキモー)だけが辛うじて代替食として対応できているだけでしょう。

 ここまで、食の質的な面から人の健康を考察してきましたが、人の健康は生活環境の良し悪し、毎日体を十分に動かしているか、絶えず寒冷刺激を受けているか、といったことと関係が深いですから、人の健康を食だけで論ずることはできません。
 また、食の面において、忘れてならないのが、食べる量と食事の時刻・回数でして、これらが健康に思いのほか大きく影響するようです。
 今や飽食時代。故・甲田光雄氏は、正しい食生活とはどんなものかを考えたとき、何よりもまず少食にせねばならないと言っておられます。

 本稿は、非常に長文となり、かつ、とりとめもない話となってしまい、申し訳ありませんでした。また、部分的に生菜食を取り入れた場合の効果の有無について論ずることできず、このことについては後日記事を起こしたいと思っています。
(追記)2014.1.31 それを記事にしましたので、よろしかったら下記をご覧ください。
  → 「完全生菜食ではなく、一部生菜食とした場合の効果はいかに
(再追記)2014.2.23 関連して次の記事を起こしましたのでご覧ください。
  → 「果物は体にいいのか?人の健康を害するのか? 」

(追記2)2014.3.4
 ほぼ完全生菜食を実行されている方のブログを見つけましたので、ここに紹介します。
 → 「日々花家 西式健康法食養指導士のブログ

追記3)2016.11.23
 7年間も果物(トマトなどの果菜類を含む)だけしか食べない食研究者が、先日テレビに登場されていました。
 参考までに、ネット記事とご本人のブログを貼り付けておきます。
 なお、ご本人は丸っきり完全な果物食ではなく、塩は摂っておられるようですし、冬季は激痩せ防止のためにナッツ類(最近は栗)を少々摂っておられるとのことです。
 http://news.livedoor.com/article/detail/12044728/
 http://ameblo.jp/fruit-mizuki/

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家畜・養殖魚への抗生物質・ホルモン剤の投与について考える。知れば知るほど恐ろしくて食べられませんね。

2013年11月02日 | 食養

家畜・養殖魚への抗生物質・ホルモン剤の投与について考える。知れば知るほど恐ろしくて食べられませんね。

 「食品中の残留農薬、防腐剤等の添加物、遺伝子組み換え食品について思う」と題して2013.10.29に記事を投稿しましたが、その中で書ききれなかった、家畜(養殖魚を含む、以下同じ)への抗生物質・ホルモン剤の投与について、ここで考えてみましょう。

 漢方の基礎を学ぶと、その中で必ず「薬食同源」という言葉が出てきます。俗に「医食同源」と言われますが、これは戦後の高度成長期に改変された用語です。その当時、効き目が強い欧米の医薬品が普及してきて、薬と言えば「化学物質であって毒と隣合せのもの」という意識が生まれたものですから、「薬食同源」という従前の言葉に抵抗感が生じてしまい、それがために「医療=食事」とこじつけて「医食同源」としてしまったのです。
 でも、従前から料理に「薬膳」というものがあるとおり「食=薬」ということは古来より経験的にもはっきりと分かっていましたから、「薬膳料理」がブームになってきた今日、「医食同源」という言葉は本来の使い方である「薬食同源」に戻していただきたいものです。
 「命は食にあり、食誤れば病いたり、食正しければ病自ずと癒える」
 これが、「薬食同源」の言わんとするところです。
 特に、がんを含めて各種の生活習慣病に関しては、ドンピシャリと当てはまります。

 これほどまでに「食」というものは人の健康を確保する上で重要なものなのですから、我々が毎日口にする食べ物は、例えば、野菜であれば無農薬・有機栽培で生命力あふれるものを、畜産物(養殖魚を含む、以下同じ)であれば抗生物質・ホルモン剤非投与のものを、加工食品であれば防腐剤等の添加物が入っていないものを、といったものが求められます。
 しかしながら、こうしたものがますます入手困難になってきているのが現実です。

 畜産物に残留する抗生物質・ホルモン剤は大変厄介な問題を抱えています。
 まず、抗生物質ですが、これは本来は家畜の病気の蔓延を防ぐために発病が発見されたときに短期間集中的に使うべきものです。でも、病気は一気に広がることも多く、それでは手遅れになってしまうので、かなり予防的に使われているようです。
(なお、日本では、人に対しても抗生物質はかなり予防的に使われています。その実体は →「 風邪に抗生物質って必要?(その1) (その2)」を参照ください。) 
 また、驚くことに、一部の抗生物質は、何と家畜の成長を促進させるために使用されています。それぞれの抗生物質は、それぞれに特定の細菌の増殖を抑える働きがあり、これを家畜に投与すると、当然にして家畜の胃腸内に常在する細菌の一部もダメージを受けて増殖が抑制されます。すると、与えた抗生物質の種類によっては、常在細菌による栄養消費が減り、その分宿主の家畜に栄養が回って飼料効率が上がり、成長を促進させることになるのです。また、家畜の飼料も現代人の食糧と同様に家畜本来の食から大きく逸脱していますから、胃腸内で有害細菌が繁殖しがちであり、抗生物質投与によって、それを抑えて有害な発酵物の生成を減らすことによっても成長促進に資することができのです。
 とんでもない抗生物質の使われ方ですが、少ない飼料で大きく成長させることができるのですから、効率が上がり、多用されるのです。
 なお、家畜への抗生物質の使用量は、日本の場合、人用の約2.5倍にもなっています。(農林水産省2001年データによる)

 家畜への抗生物質の乱用は、多剤耐性菌を生み出す元になり、これが人に悪影響を与える細菌についても生じていて、問題になってきています。
 そうしたことから、農林水産省は、産卵中の鶏や搾乳中の牛そして前7日間は抗生物質を与えてはならないといった規制をし、人体への抗生物質の移行
を極力減らすように配慮していますが、これは本質的な解決にはなっていません。
 なお、欧州では、近年、成長促進のために使う抗生物質は使用禁止とし、それに伴う飼料代の増加分に見合う金額を別途補助する形で農業保護政策を取っているようです。

 次に、ホルモン剤(成長ホルモン、女性ホルモン)ですが、これが認められている米国では、各種のホルモン剤を使い分けて、牛の早期育成、肉質向上、乳の出を良くするために利用されています。
 ピアス状のものを耳に埋め込んでホルモン剤が少しずつ洩れ出るようにし、成長を促進させます。また、肉牛の場合、女性ホルモンで脂肪を赤身肉に変えさせます。そして、乳牛の場合、成長ホルモンで搾乳量を2割程度アップさせます。
 牛以外には、鶏(ブロイラー)にも以前は使われていたようですが、今は使われていないようです。

 さて、こうしたホルモン剤の利用は、肉や牛乳に微量のホルモン剤が移行し、人がこれを摂取したとき、人のホルモンバランスを大きく崩す恐れがあります。ごく微量であっても、もともとホルモンは微量で大きな働きをするものですから、危険性を無視できません。

 こうしたことから、欧州では消費者団体の排除運動もあって、家畜へのホルモン剤使用は認められていません。そして、ホルモン剤を使用した畜産物の輸入も禁止しています。つまり、米国産畜産物の輸入禁止です。
 
遺伝子組み換え食品と同様に、ここでも米国と欧州で激しく対立しています。
 日本はどうかというと、何もかも米国に追従する半独立国ですから、自ずと米国寄りになってしまい、国内産の畜産物は欧州同様ホルモン剤の使用は禁止されているものの、これを利用した米国産畜産物は輸入を認めています。もっとも規制値以下とされていますが、その値で果たして安全かどうかは定かでないでしょう。

 ところで、欧州と米国で、食品の安全性について、これほどまでに対立するのはなぜでしょうか。その原因も、人の健康というよりは食糧安保が根っこにあります。
 これは、農畜産物の生産の仕方とも深く関係していると思われます。
 欧州は比較的小規模な家族経営が主体ですから、伝統的な方式(野菜は基本的に有機肥料を使い、牛は基本的に牧草を飼料とする)を取ろうとするのに対し、米国は大規模経営で農場主が労働者を採用して事業展開しますから、採算性を重視して効率的な方式(野菜は化学肥料と農薬を使い、牛は配合飼料も使う)をどんどん取り入れ、農産物を限りなく工業的生産に近づけたいと考えていることでしょう。
 そうしたことから、米国では遺伝子組み換えにしろ抗生物質・ホルモン剤投与にしろ何のためらいもなく積極的に取り入れるという方向に走ることになってしまうと思われます。
 今後、日本はどうなるかと申しますと、TPP交渉の中で、このことについても秘密裏に行われ、米国はしつこくアメリカン・スタンダードを強要してくるでしょうから、家畜への抗生物質・ホルモン剤投与は欧州寄りから米国寄りへと順次移行していくのではないでしょうか。

 さて、残留農薬や防腐剤等の添加物については、先に投稿した記事の中で申しましたように、肝臓の解毒作用や断食を行うことによって、かなり消滅させることができると考えられるのですが、抗生物質やホルモン剤は類似物質を体内に持っていますから、解毒はされず、断食による体外排出も期待できそうにありません。
 よって、これらが体内に入ってきても対策の取りようがなく、お手上げ状態になります。
 でも、簡単かつ最善の方法があります。
 そうした畜産物を食べなければよいのです。しかし、ホルモン剤は避けられても、抗生物質は全ての畜産物に大なり小なり混入しています。
 じゃあ、どうするかと言えば、「ご飯に味噌汁、芋の煮っころがしに旬の路地野菜、そして漬物。ときどき天然の小魚を少々。」という昔の食事に戻せば全て解決します。
 どうですか、皆さん、週に何回かは、こうした食事をしてみませんか。
 これが「薬食同源」であり「薬膳料理」なのです。(ただし、ご飯は玄米とし、全てが無農薬栽培のものでなければ本来の「薬膳料理」とはなりませんが。)

 なお、参考までに、以前にも紹介しましたが料理のメニューをあげておきましょう。
 “おかあさんだいすき”(お母さん大好き)
   お  おから料理
   か  かぼちゃの煮付け
   あ  和え物
   さん さんまの塩焼き
   だ  大根の煮物
   い  芋の煮っころがし
   す  酢の物
   き  きんぴら
 これが、まさに「おふくろの味」というもので、かつ、「薬膳料理」でもあるのです。
 お年寄りのボケ防止のためにも、ここは、“お母さん大好き”と、お婆さんをおだてあげて家庭料理を毎日作ってもらうといいでしょうね。そして、それを伝授することです。

 間違っても次のメニューはお止めください。
 “カーチャン ヤスメ ハハキトク”(母ちゃん休め、母危篤)
   
カー   カレーライス
   チャン  チャーハン
   ヤ    ヤキソバ
   ス    スパゲティ
   メ    メダマヤキ
   ハ    ハンバーグ
   ハ    ハムエッグ
   キ    ギョーザ
   ト     トースト
   ク    クリームシチュー
 これらの料理は畜産物が多く入っていますし、何よりもよく噛まずに飲み込むことになりますから、特にお子様にはお勧めできないメニューとなります。
 こんな料理ばかり子供さんに食べさせていると、その女の子は大人になっても同じメニューで食事を作り続けて、若くして“母ちゃん休め、母危篤”となってしまいますよ。

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食品中の残留農薬、防腐剤等の添加物、そして遺伝子組み換え食品について思う。断食しか対応策なし。

2013年10月28日 | 食養

食品中の残留農薬、防腐剤等の添加物、そして遺伝子組み換え食品について思う。断食しか対応策なし。

 人の健康を考えた場合、先ずもって食が第一に重要なものとなりましょう。
 よって、安全な食品が容易に求められなければなりません。できることなら、皆が安心して食べられる食品しか流通しないようにしてもらわねばならないのです。
 食品中に残留農薬が全くない、食品には防腐剤等の添加物が入っていない、そして遺伝子組み換え食品ではない、といったものが求められます。
 こうしたものにアレルギー症状が出るなど健康を害する方が少なからずおみえで、そうした方々には大変切実な問題となります。
 しかしながら、そうした安全・安心な各種食品を入手するのは至難の技です。

 科学がどんどん発達しているのですから、その技術でもって、より安全・安心な食品へと変わってきてよさそうなものですが、逆に、科学の発達とともに、より危険でより健康を害する食品が氾濫するようになってきました。
 そうしたことに関して知識を深めれば深めるほど、何も食べられなくなってしまいます。
 なぜにそのような望ましくないものが氾濫するようになったのか、それを突き詰めていくと、本元は、“高度に発達した資本主義経済社会”であるから、ということになってしまいます。“市場経済”がそれを求めているから、と言い換えることもできましょう。
 例えば、イモムシが入っているキャベツなんぞ売ったらどうなる、ちゃんと農薬散布して虫が付かないようにしておけ! 葉っぱが齧られているだけでも売れないんだから。
 もし、そんなキャベツをケースから出したときに発見したら、それが入っていたケースのみならず入荷した全ケースは返品可能という条件付きで契約される、というのが今日情勢でしょうね。買い手が大手スーパーや大手食品加工会社など大口の取引が増えてきましたから、それが顕著になってきています。
 これは、消費者がそうしたものを嫌うから、というのが最大の原因になっています。イモムシを見たら“キャー”と悲鳴を上げる、といった消費者の存在、これによって販売者は消費者の信用を失い、場合によっては訴えられる、という現実があるのです。
 小生は専業農家の生まれですから、そうしたものを嫌うどころか、その方が農薬を控えている証明になるから、そちらを求めたいと思うのですが、これは少数派でしょう。
 キャベツ畑にはモンシロチョウが付きものだ。イモムシはモンシロチョウの幼虫であり、キャベツがイモムシだらけになっていたら、そのイモムシを拾い集めて佃煮にでもすれば、これまた食べられる(ただし、小生は食べたことはありませんが)。キャベツが糞だらけになっていても、糞は無害であり、いやな臭いがするものでもなく、簡単に洗い流せて、ちゃんと食べられる。葉っぱが齧られていても、葉っぱは眺めるものではなくて刻んで食べるものだから、何ら支障ないじゃないか。
 これが本当のところなのですが、これを全部の消費者が認めてしまうと、また、困った問題も発生します。イモムシの入ったキャベツを冷蔵庫で保存しておいても、イモムシはそのくらいの低温では活動を停止することはなく、どんどん葉っぱを食い荒らし、食べられる葉っぱが半減してしまうことでしょう。小生とて、やっぱりイモムシが入っていないキャベツがいいわ、ということになってしまいます。
 昔と違って近年は核家族化し、また1回の食事でキャベツをどっさり食べることはなくなり、1個のキャベツを食べ終えるのに1週間も10日も要する時代になりましたからね。
 つまるところ、定期的にキャベツに農薬散布するしかないのです。無農薬でイモムシ無しにしようと思ったら、毎日早朝に畑へ行き、見つけたイモムシを一つ一つ手で摘み取るしかなく、家庭菜園ならそれができましょうが、産地ではどだい無理な話です。(イモムシは日が昇れば見えない所に隠れてしまいますから、短時間勝負になります。)よって、うちの畑の50株ほどのキャベツ類は収穫までに3、4回農薬散布しています。それでも、かなり虫食い状態になってしまいます。
 ただし、まれに有機農法で無農薬栽培し出荷されておられる農家がありますが、今日現在、相当な苦労をなさっておられることと思います。その実情を小生は知りませんが、それが省力化できる技術開発がなされることを願ってやみません。科学の発達は、こうした方面で盛んになってほしいものです。

 ここまで、キャベツを例に挙げて農薬のことを取り上げましたが、大産地になればなるほど農薬散布はしっかりなされていることでしょう。これは野菜のみならず、果物やお茶とてそうです。ただし、無用な農薬散布は大産地の方がかえって少ないと思われます。農薬使用実験がちゃんと行われ、残留農薬が極力少なくなるように配慮されていることでしょうからね。
 でも、何年か前に真夏の夜に訪れた一面の大豆畑には恐れ入りました。そのほぼ中央にある街路灯に虫がほとんど寄ってこないのです。まれに飛んでくるのが見つかる程度で、虫はほぼ全滅状態。余りの異様さに気味が悪かったです。晩秋に収穫する大豆ですから、真夏に散布した農薬は残留することはないでしょうが、これほどまでに徹底的に(過剰散布ではないでしょうが)農薬を散布しなくてもよいのに、と感じたところです。

 もう一つ農薬散布が欠かせなくなった原因があります。それは、品種改良が進むほどに植物の免疫力が落ちる傾向にあるからです。
 品種改良は、①高収穫・高品質かつ均一品質、②早期成育、③病害虫に強い、といった観点からなされるのですが、①が重視されて③が犠牲になりがちです。なぜならば、③は農薬で対処できるからです。こうして、野菜栽培は農薬漬けにされてしまいます。
 なお、果樹の場合は、年に何回も農薬散布を繰り返して行うことにより、病害虫に対処する必要がなくなったがためか、あるいは農薬に痛めつけられたがためか…たぶん後者だと思われるのですが…突然農薬を全く使わなくすると、実が全く生らない、生っても熟す前に実が全部落ちてしまう、といった被害が出ることが多いようです。これも、免疫力が低下していて病害虫に対応できなくなってしまっているからと言えましょう。

 でも、何とかして無農薬なり、それに近い減農薬でいきたい、というのが、半農半商生活をしている小生でして、それなりに取り組んでいます。
 一つは早期成育をさせないこと。野菜は旬のものに限りますから、それぞれの野菜に最も適した時期(できれば少し遅め)に種蒔きし、初物の収穫を最適期に持っていくのです。そして、有機肥料をふんだんに使い化成肥料は使わないことです。そうすると、野菜は元気に生育してくれ、免疫力を発揮してくれると思われます。
 もう一つは在来品種を使うこと。上にあげました①の「高収穫・高品質かつ均一品質」は期待できないのですが、免疫力は高い感じがしています。これは、種を自家採取することができ、次世代も親と同じ品質のものが収穫できます。近年出回っている種は、交配種(F1種)が圧倒的に多くなり、これは1代限りのもので、次世代は親と違った品質になったり、品質にばらつきが出たり、出来が悪くなったりします。
 ところで、小生のような方法を取りますと、全く採算が合いません。値段が落ちてからの収穫ですし、大きさが不揃い、形が悪い、などなど消費者にそっぽを向かれます。でも、自家消費と当店のお客様に差し上げるだけですから、味で勝負しています。
 正しい旬に収穫する在来品種のものは、昔の野菜の味がするのです。濃厚な野菜臭がします。もっとも、若い方は淡白な味の流通野菜に慣れていますから、逆に嫌がられる傾向にありますが、味が淡白ということはビタミンもミネラルも少ないということになり、栄養価がガクンと落ちてしまいます。ここにも品種改良の行き過ぎが問題になります。

 農薬そのものは人畜にも有害なものが多く、収穫期には農薬が残留していないように散布時期を考えねばなりません。そして、当然に残留農薬の規制が行われています。
 しかし、残留農薬はゼロにはなっていないのではないでしょうか。どれだけかの残留は我慢せねばならないのが現状でしょう。
 ところで、収穫間際に使われる農薬があります。それはジャガイモの収穫が近付いたときに使われる除草剤です。除草剤でもってジャガイモは枯れるとともに芋の表皮が丈夫になるから使われているのです。そうしないと、選別場で芋が転がったり箱詰めするときに薄皮が所々めくれてしまい見た目が大変悪くなるからです。
 我々が口にするジャガイモの除草剤の残留濃度は、当然に規制値以下ではありましょうが、なにやら気持ち悪い気分にさせられます。
 ジャガイモは見て楽しむものではなく、皮をむいて調理するものですから、除草剤を直前使用していない見てくれの悪いものを求めたいのですが、市場に出回っているものは、しっかり薄皮が張っています。これも消費者がそうしたものを選択するからでしょうね。

 農薬問題はこれくらいにして、防腐剤等の食品添加物について取り上げましょう。
 小生の子どもの頃、半世紀前になりますが、梅雨時から早秋にかけて食中毒はよくありました。防腐剤をあまり使っていなかったですし、冷蔵庫もありませんでしたからね。
 その後、冷蔵庫が普及したのですから、防腐剤を少なくしても良さそうなのですが、逆に防腐剤の使用量が増えてきたのが現実です。近年はそれがより顕著になっています。
 昔であれば、臭いを嗅いでみて、“ちょっと腐りかけたかな、でも今直ぐ食べれば大丈夫だ”とか、“ちょっと酸っぱいな、でも今日中なら大丈夫”と言って食べたものです。
 多少の雑菌なら胃液で殺せますし、殺しきれなかった雑菌は腸内細菌が殺してくれて、まずこれで食中毒になることはなかったです。もっとも、ときどき失敗して下痢することがあったものの、その経験の積み重ねで、食べて良いかどうか十分判断できるようになり、概ねクリアできました。
 今日では、家庭料理以外は、どれもこれも防腐剤等の食品添加物が何種類も入っていると覚悟せねばなりません。特に、大手スーパー・コンビニ、大手食品加工会社はそうせざるを得ないからです。万一食中毒が出たら、マスコミは大騒ぎしますから、企業の信用はがた落ちになり、回復できないほどのダメージを受けることになりますからね。

 さて、防腐剤とは細菌の増殖を止めるためのものですが、細菌の立場に立てば猛毒となりとなります。そして、食品を腐敗させる細菌と生命維持現象が酷似している腸内細菌ですから、彼らにとっても防腐剤は猛毒になります。
 人の腸内環境の悪化が嘆かれて久しいですが、これは食事が洋風化して肉食が多くなったからだけではなく、防腐剤の多用による腸内細菌の増殖阻害も大きな原因になっていることでしょう。
 これを裏付ける資料があります。それは、2004年スマトラ島沖地震で起きた大津波で現地人の他に観光客も数多く犠牲になりました。死体は腐乱を始めますが、現地人はその程度が早いのに対し、欧米人や日本人(特に女性)は腐乱速度が遅かったことが確認されています。これは、体内に残留している防腐剤による細菌増殖阻害効果であり、そして化粧品に配合されている防腐剤の上乗せ効果以外に考えられないことです。
 
 防腐剤の悪影響は、何も腸内細菌に止まりません。人の1つ1つの細胞も基本的な生命維持現象は腸内細菌と同じですから、その働きを阻害していると考えねばなりません。
 防腐剤によって、まれにアレルギー症状を起こさせたり、既存のアレルギーを悪化させたりすることがありますが、そうでない人も知らず知らず何らかのダメージを受けていると考えた方がよさそうです。
 なお、体内に入った防腐剤は、肝臓の解毒作用でやがて無毒化されますが、速やかに完全に行われるものではないことは、スマトラ島沖地震による犠牲者の死体腐乱速度の違いから明らかなことです。

 防腐剤以外の食品添加物も盛んに使われています。発色剤、着色料、酸化防止剤、漂白剤、膨張剤、乳化剤、合成甘味料などなど、食品の見た目の良さ、食感の良さ、味の良さを人工的に作り出すために多用されます。
 これらも、防腐剤と同様に、急性毒性を起こさない限度以下に抑えて配合されるのですが、単品での毒性試験しかなく、複合的な毒性試験はまれですから、急性毒性によるアレルギー発症は避けられないですし、慢性毒性については試験もされていません。
 各種食品添加物も防腐剤と同様に人の生命維持現象に何らかの悪影響を与えていると考えた方がいいです。なお、添加物の多くは肝臓で解毒されると考えられますが、これも防腐剤と同様に、速やかに完全にとは参らぬものであると心得えなばなりません。
 ここで付言しておきますが、肝臓は、通常体内に存在しないものは毒物と捉えて解毒(代謝=分解・合成)し、通常体内に存在するものに作り変えようとするのですが、これに要する労力は大変なものになり、肝臓が疲労困ぱいする大きな原因になっていると考えねばなりません。

 最後に遺伝子組み換え食品について考えてみましょう。
 このことについては、別立てブログの中で詳細に小生の見解を述べていますので、興味がお有りの方は下記をご覧ください。
 2013.6.27 遺伝子組み換え作物って、なぜ悪いの?
  http://ameblo.jp/nagatukitouka/entry-11561135679.html
 ここでは、その要旨を記すことにします。
 今日、世界的に大きな問題になっているのはトウモロコシと大豆です。
 遺伝子組み換えによって除草剤ラウンドアップに耐性を持たせたトウモロコシと大豆の登場です。米国ではほとんどがそうなっています。ラウンドアップは、植物が必要とするアミノ酸(3種類)を合成する特定の酵素の働きを阻害しますが、ある種の細菌が持っているその酵素はラウンドアップ耐性がありますから、その細菌の酵素遺伝子を植物に組み換えたものです。あるいは、別のある種の細菌はラウンドアップを分解する酵素を持っていますから、その遺伝子を組み込んでやれば、植物が速やかにラウンドアップを解毒しますので枯れることがなくなります。これも実用化されています。
 次に、トウモロコシに導入されていますが、土壌細菌の中には、ある種の結晶性タンパク質を作り、これを昆虫が食べると消化の段階で毒素が発生して昆虫が死ぬというもので、このタンパク質を作る遺伝子を組み込んだものです。この毒素は特定の昆虫に効果を発揮し、人畜には無害とされています。
 これらの遺伝子組み換えにより、除草の手間が格段に効率化しますし、農薬散布がほとんど不要になりますから、米国政府はこれを認め、ラウンドアップそして遺伝子組み換え技術の両方を開発したモンサント社(米国)の「除草剤&遺伝子組み換え作物種子セット」が寡占的に広まっているのです。
 さて、こうして作られたトウモロコシと大豆は人畜無害かどうか。理論上は無害と言えますが、思わぬものが付随的に産生されたりする恐れもあって、アレルギーなどを引き起こす原因になりかねず、動物実験そして人の臨床データを積み上げねばなりません。
 その結果について、米国では無害、欧州では有害、と論争になっているのですが、小生にはどちらのデータも信頼性がないように思われてなりません。
 なぜならば、米国は食糧供給についてモンサント社による世界的寡占を狙っていますし、欧州はそれを阻止せんとしているからです。遺伝子組み換え作物については、健康問題より食糧安保問題になっているのが、今日の世界情勢なんですからね。
 また、後日取り上げたいと思っています「家畜への抗生物質・ホルモン剤投与」=これも人の健康に影響するもの=に関しても、米国と欧州の対立があり、根っこは同じ所にあります。

 以上、長々と「農薬、防腐剤等の食品添加物、遺伝子組み換え食品」について、小生の見解を述べてまいりましたが、冒頭で言いましたように、「科学がどんどん発達しているから、より安全・安心な食品へと変わってきてよさそうなものが、逆に、科学の発達とともに、より危険でより健康を害する食品が氾濫する」という悲しい現実をまざまざと見せ付けらる思いです。
 さて、この現実にどう対処したらよいのかということになりますが、食品の選択権がますます狭められている現状を鑑みると、残念ながら、もはやあきらめるしかなさそうです。
 我々が唯一取り得る方法としては、断食によるデトックス(解毒)しかないでしょうね。
 ちなみに、「カネミ油症事件」(PCB)と「森永ヒ素ミルク事件」(ヒ素)の患者さんは、断食療法によって顕著なデトックス効果が認められています。
 こうしたことから、様々な有害物質は断食によって体外排出されると思われます。
 ただし、素人断食は体を壊す元ですから、勝手にはなさらないでください。
 断食によるデトックスの方法については、機会をとらえて紹介したいと思っています。

 なお、本稿で書けなかった、家畜などへの抗生物質・ホルモン剤投与に関する健康問題は、別途、次の記事で述べていますので、よろしかったらご覧ください。
 「家畜・養殖魚への抗生物質・ホルモン剤の投与について考える

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食生活は“油断”が一番です。食事から油を断ち、米国式食文化からの決別を!

2013年07月05日 | 食養

食生活は“油断”が一番です。食事から油を断ち、米国式食文化からの決別を!

 消化力が落ちる梅雨時が”油断”(食事から油を断つ)を始める好機です

 下手な料理人がお客の味覚をごまかす簡単な方法があります。油と塩と砂糖の3種類を濃い目に使うのです。最近、飲食業界の安値競争が進んだこともあって、こうした飲食店が多くなった感がします。
 実は、これ、世界一貧相な米国食文化の特徴です。つい最近まで、西部開拓に明け暮れていたお国ですから致し方ありませんが。
 彼の国では、重労働の毎日でしたから、高カロリー食品が求められ、料理に油は欠かせませんし、汗をかくから塩分の補給も必要です。そして、食べたら直ぐにエネルギー源になる砂糖が求められます。
 加えて、皆、忙しく一日中働きますから、手っ取り早く料理ができて、かつ、立ち食いが可能なファスト・フード(ファースト・フード)が主流にならざるを得ないのです。

 戦後、この米国式食文化が洪水のごとく日本に流入してきました。
 日本が戦争に負けたのは、体が小さかったからだ。米国人のように背が高く、筋肉マンにならなくちゃいかん。米国の食文化を見習おう、というわけです。
 終戦後、緊急に必要とされたことは、カロリー不足の解消です。
 脂肪は炭水化物と同じ重量であっても何倍ものカロリーがあり、脂肪を積極的に取るべしと、「油炒め運動」なる栄養改善が婦人会を通して急速に普及しました。
 今日では、油炒めや揚げ物、そしてドレッシングがかけられた物が毎日の食卓にのぼるようになり、油の消費量は戦前の19倍にもなっています。
 その昔、マグロのトロは「猫またぎ」と言われ、人はもとより猫も食べないほどに油が多く、貧乏学生が食べる以外は捨てられていたようですが、今日に至るや、トロは貧乏学生には高嶺の花と化し、庶民の口にも滅多に入らない高級食品に!

 こうして、現代の日本人は油に馴れてしまい、油まみれの食生活に急変しました。若者は何とか脂肪消化酵素が出て対応可能ですが、中高年ともなると無理です。消化不良と便秘が急増し、腸内環境を悪化させます。

 戦後しばらくして、カロリー不足の緊急課題を乗り切ったら、本題の体づくりのための肉食がすすめられました。
 先ずは、牛肉のすき焼きで始まり、そして、高度成長によってステーキなるものが普及し、今日では焼肉が全盛の時代となりました。
 肉食にも馴らされた日本人は、今日では戦前の16倍の肉(魚も2倍)を取っています。

 こうして、油まみれの上に肉食中心の食生活になってしまったのですが、冒頭で述べましたとおり、味にごまかしが利きますから、美味しい、美味しい、と満腹に食べて、米国式食文化に大満足しています。

 こうなれば、自ずと生活習慣病が蔓延します。既に、20数年前には肥満、高血糖、高脂血症(脂質異常症)、高血圧が重なれば「死の四重奏」と恐れられ、近年ではメタボリックシンドローム(通称:メタボ)と名前を変えて騒がれています。

 最大の原因は、何と言っても油(脂肪)の取りすぎです。これが直接的に脂質異常症を引き起こし、過剰な脂肪が血管壁に沈着し動脈硬化を引き起こして高血圧にしてしまいます。また、油でカロリー過剰となり、摂取した炭水化物から作られるブドウ糖は引き取り手がなくなり、血液中を漂って高血糖にします。

 日本人が米国人並みの食生活になれば、日本も米国と対等になれると皆が思い、ここに大いなる油断(本来の意味の油断)があったから、そうなったのでしょう。
 米国人は米国式食生活でもまだ良いでしょうが、しかし、日本人がそうでは体を壊します。日本人が健康を取り戻すには、食生活において、先ずは“油断”しなければならないのです。「油を断つ」しか方法はないのです。

 戦前の食生活に戻せば、日本人が米国人と対等になれるのです。
 何とも皮肉な話ですね。
 
そうそう、“皮肉”と言えば、獣や鶏の「皮や肉」も断たねばいかんですね。魚を戦前の2倍も取っているのですから、それで十分です。
 しかし、しかし、
            

(本稿は、当店「生涯現役新聞」2008年7月号外をほぼそのまま掲載したものです。)

追記:
 先日の製薬会社セミナーの帰りには参りました。セミナーの後で懇親会があったのですが、簡単な食事しか出ませんでしたので、解散後に、とあるラーメン店に入り、ラーメンを注文したのですが、油ギラギラのうえに塩っ辛いといったらこの上なし!
 半分も口にできず、退散。よくも皆さん、こんなごまかし料理が食べられるものだと感心させられました。きっと、ごまかしに馴らされてしまっているのでしょうね。
 よって、バックナバーを引っ張り出して記事にした次第です。
 なお、家に帰ってから、早速に油の消化薬をしっかり飲みました。梅雨時ということもあり、油の消化力がガクンと落ちてしまった還暦過ぎの薬屋のおやじのボヤキ。おそまつ。

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