脱農薬! 無肥料・無農薬栽培をすすめよう
本稿は、残留農薬の害を主眼にしていますが、それに関しては後半に述べることとし、まずは無肥料・無農薬による野菜づくりについて思うところを記すこととします。
無肥料・無農薬栽培、これを通常「自然栽培」というのですが、そうして作られた野菜は若干生育が遅くなり、色は薄く、妙にアクっぽい(場合によっては、これがうまいと感ずる)ということは全くなく、なかには最初は物足りないと感ずる人もいらっしゃるようです。でも、自然栽培した野菜を食べ続ければ、誰もが“こんなおいしいものはない!”と、はまってしまいます。これが自然の味というものです。
草むらで草を食む牛は、色の濃い草を避け、色の薄い草しか食べないと言います。なぜならば、色の濃い草は糞尿がかかった草で肥料を吸って育ったからです。牛は、そうした草は、まずいと思うのか毒があると思うのか、そのいずれか、あるいは両方でもって、“自然に育った草”を求めるのです。
無肥料・無農薬の野菜づくりをすすめておられる河名秀郎さんが、そのようなことを言っておられます。それにしても後段の話には驚きました。
小生は専業農家の生まれで、社会人になった年に親父が起業して薬屋を始め、今はその2代目をやっております。よって、農業にはどれだけかは携わってきましたし、最近は半農半商生活をしており、別立てブログ「ファーマー・ファーマシーの日記」で主として野菜づくりについて、その悪戦苦闘ぶりを記事にしています。
そのブログ記事を一部手直しし、以下に、現時点での無肥料・無農薬野菜づくりについて自分なりの考えや取り組み状況をまず紹介しましょう。
最初に、有機肥料栽培について。
各種有機肥料を上手に組み合わせ、化学肥料は苦土石灰程度にして栽培すると、味が濃厚で甘味が増した野菜が取れます。(もっとも、牛はこれをマズイと思うでしょうが、現代人、小生を含めて、これをおいしいと感じます。)
ところが、市場に出回っているものは、化成肥料などの即効性化学肥料中心の施肥ですから、成育が早く、大きく成長し、見た目にもいいです。でも、有機肥料栽培に比べ、ビタミン・ミネラル含有量が落ちますし、甘味・うまみも減ります。本来の野菜とは似ても似つかない、姿形だけが似せられた、まがいものと化してしまっています。
ひどいものになると、窒素肥料過剰で苦味があるものまで売られています。肥料がまだそのまま葉っぱや根っこに残ったままの状態にあるのです。ホウレンソウ、大根、キャベツ、ハクサイで苦味を感じたら、まず肥料過剰だと思って間違いないでしょう。もっとも、昔からの品種で原種の性質を引き継いでいるもののなかには初めから苦味があるものもありますが、まずこうしたものは一般の市場に出回っていません。
なお、ネギの場合ですが、最後の追肥を多めにすると、葉っぱの折れが減りますし、青々してきて見た目が良くなりますから、そうしたものが市場に流通します。これは、当地特産の「徳田ねぎ」でも同様で、葉も白根も硬くなりますし、甘味・うまみも減ります。
こうしたことから、うちでは化学肥料は基本的に使うことはなく、なるべく穏やかな有機肥料を何種類か組み合わせて栽培してきました。こうした有機肥料の欠点は、値が張ることと施肥が面倒なことです。よって、利益を上げるには適しませんが、うちでは自家消費分のほかは当店のお客様に差し上げたり、親類に送るだけですから、おいしさ第一の栽培法をとっているのです。
次に、農薬についての小生の基本的な捉え方について。
農薬の残留については国産のものであれば、一部のアレルギー体質の方を除き、今のところは通常さほど気にすることはないと思われます。大産地であっても、自主規制でもって、毒性が弱く、残留性の少ないものを使っていますからね。といっても、虫が付いたものは一部の消費者が心因的拒絶反応を示しますから、残留なしとはまいらず、どれだけかは農薬が残っていると考えねばなりません。現に、農水省の基準では一定濃度以下の残留であれば出荷が認められています。(これは将来的にはだんだん問題が出てきそうで、そのことについては最後のほうで述べます。)
農家が生産した野菜は、大半が農協指定の箱に梱包されて農協から出荷され、それが大手スーパーマーケットに渡り、各店に配送され、箱から出されて店頭に並びます。その最終作業のときに虫が1匹でも発見されれば、その箱に入っている野菜のみならず、同一入荷先の全部が返品対象となるようです。ここまで厳しい扱いを受けるとなると農協もたまったものではありませんから、農家にしっかり農薬散布するよう指導します。
ここのところは“虫がいれば残留農薬はほんのわずかなんだろうから安心”というふうに消費者が考えを改めてくれれば、随分と減農薬が進むんですがね。日本人の過度の清潔感、不潔恐怖症とも言えるものが大きくわざわいしています。
農家の立場から物申せば、畑を飛び交うモンシロチョウ、農薬使用がために滅多に見かけなくなりましたが、消費者がそれを“綺麗だね”と言うのであれば、キャベツについた“そのイモムシも愛おしいね”と言ってほしいものです。
なお、都市近郊の直売場で売られているもののほうが、場合によっては農薬がきついのではないでしょうか。人の往来、車の往来が多いほど害虫や病原菌の拡散がひどくなり、都市近郊では何種類もの農薬を多用せねばならない傾向にあるからです。その農家は、たいていは“畑のここの部分ははうちで食べる分だから、多少虫がついてもいいので農薬散布は控え目に”と、売るものと自家消費のものと分けておられます。
うちは都市近郊にあり、無農薬でいくとハクサイ、キャベツなどは虫食いだらけ、虫の糞まみれになることが多いですし、トマトは最盛期を過ぎるとヘタに虫が入ることがけっこうあるのですが、最近は農薬使用を我慢しています。よって、キャベツやハクサイは当店のお客様に差し上げることは、まずできません。
虫害を少なくするための方法として、うちでは促成栽培しないことにしています。作付けを少々遅らせたり、成長があまり早くない品種を選択すれば、虫がつきにくくなりますからね。そして、このほうが本来の旬を味わうことができるというものです。
そして、無肥料栽培への挑戦について。
これについては、先駆者の事例を2、3参考にし、自分なりに昨秋から本格的に取り組みを始め、冬野菜の作付けはその多くを「無肥料・無農薬」としましたが、残留肥料がけっこうあったようで、どれもこれもまともに育ち、実質上は「“減”肥料・無農薬」栽培であったことでしょう。今年の夏野菜も同様に施肥を全くせずに栽培することにしていますが、まだまだ残留肥料があることでしょうし、どれほどの収穫量になるのか、いずれにしろ当面は減収になることを覚悟しつつ、あきらめずに挑戦し続けていこうと考えています。
その詳細は、別立てブログ「チャレンジ自然農法」で書くことにしております。
ここまで、小生の野菜づくりの取り組みを中心に述べてきましたが、今日、市場に出回っている農産物(うちの野菜も含めて)は、本質的に、同一品種のものであっても自然栽培のものとは異質なものと言わざるを得ません。
その端的な例を紹介しましょう。
自然食料理人、船越康弘さんの講演録(みやざき中央新聞2018.1.28とそれ以降数回)からの抜粋ですが、次のように船越さんは言っておられます。
私は1986年に民宿「百姓屋敷わら」を作り、米、麦、大豆、そばを自分で作ることにしました。無肥料・無農薬の完全な自然栽培で、作物の乾燥もすべて天日干しです。
小麦アレルギーはなぜ起こるのでしょう。一般的に小麦は、高い温度で製粉されると「異形たんぱく」が形成されます。これがアレルギーを引き起こすと言われています。
私たちは小麦を天日で干し、石臼で挽いています。そうやって作ったうどんやパンは、アレルギーやアトピーの子たちがいくら食べても反応は出ません。(引用ここまで)
このお話では製粉過程が一番の問題のようですが、無肥料・無農薬も大きな関わりを持っているのではないでしょうか。
無肥料栽培の一番の特徴は、根張りがものすごいことのようです。それによって、土壌細菌との共生が進み、土壌細菌が鉱物から溶かし出した各種ミネラルを主体に、土壌細菌の手による有用物を吸収して、本来の、自然の育ち方をしてくれるようです。
よって、味が違うのですし、天然の栄養素ではない濃厚な肥料成分(有機肥料にしろ化学肥料にしろ)が植物体に取り込まれたり残留したりすることもないのです。
これは、自然の状態で放し飼いして育てた鶏の卵と類似していましょう。何年か前に、そうして育てた鶏の卵をいただいたことがあるのですが、黄身は薄かったですし、非常にサッパリした味でした。冒頭で紹介した、河名秀郎さんがおっしゃるように、まさに「最初は物足りないと感ずる人もいらっしゃる」そのままでした。
このように、無肥料・無農薬栽培作物は、冒頭でも紹介したように、慣行農法(通常の現代農法)で栽培したものと、まるで違うものになってしまうのです。
そして、「最初は物足りないと感ずる」ということからして、当然のことながら無肥料・無農薬栽培作物は「ヒトの体にやさしい」ものとなることでしょう。
加えて、自然栽培することによって、作物本来のたくましさが出てきて、つまり免疫力が高まり、病害虫の被害を受けにくくなることです。よって、無肥料栽培の成功は、無農薬栽培を自動的に可能にしてくれるのです。ここが、自然栽培の興味深いところです。
さて、ここから本題に入ります。
無肥料・無農薬栽培作物がアレルギーやアトピーの子どもたちにどれほどの効果があるか、これは子どもたちに限らず大人についても言えることですが、特に化学物質過敏症の方々にとっては、やはり優れた効果があるのではないでしょうか。
現に、ここまでで紹介した河名秀郎さん、船越康弘さんの例では、そうした効果が確認されているようです。また、うちの近くでは岐阜市の山田克己さん(㈱レンゲの里岐阜:主に米・豆類の栽培と販売)がそうです。
まず、アレルギーとはなんぞや、ということになるのですが、大ざっぱに言って、体内に入ってきた異物(自分の体には存在しない化学物質、たんぱく質など)に対する異常防御反応、過敏防御反応と言っていいでしょう。
健常な人にあっては、通常これらの異物は穏やかな無害化なり、穏やかな排出でもって何事もなく処理されるでしょうから、アレルギー反応は示さないのです。
また、恒常的にこれらの異物にさらされ続けると、場合によっては、これを無害なものとして受け入れてしまうという能力さえ獲得することがあります。生物は基本的にそうした性質、何もかも受け入れてしまうという性質を有していると思われるのです。
例えば、蚊に刺されたとき、蚊はまず唾液を皮下に注入しますから、それに含まれる異物にヒトは誰しも防御反応を示し、赤く腫れて痒みも引き起こします。しかし、これが恒常化すると、無反応になるのです。東南アジアでは子供時代にその能力を身に付けますし、日本人であっても毎日蚊に刺され続けていると、だんだんその能力を身に付けてくるようです。百姓仕事を毎日していた亡きおふくろがそうでしたし、時折畑仕事をする小生も高齢者の仲間入りをした頃からほとんど無反応になりました。
これを免疫寛容というのですが、痒み止め剤を用いていると免疫寛容は成立しないようです。小生は、何か所も蚊に刺されてあまりに痒いときは農作業後にタワシで擦るだけにしていましたから、免疫寛容になってきたのでしょう。
この免疫寛容に着目して、アトピーなどのアレルギーを完治させておられる医師もいらっしゃいますが、相当長期間、ひどい症状を呈しますから、覚悟してかからねばなりません。当然のことながら、専門医の観察の下で経過を見ながらの治療となります。
(参考)その医師のサイト 医療法人聖仁会 漢方科 松本医院
アレルギー改善の基本は、自然界ではこうした免疫寛容(動物が蚊に刺されて腫れることはない現実からしても明らか)でもって行われているのですが、高度文明社会では、もはやこれは、とても万人に受け入れられる治療法ではないです。
軽い症状(文明前にあっては何でもない症状)であっても大げさに受け止めてしまう世の中になり、“最新科学の力でもって一刻も早く不快な症状を取り去ってくれ”と要求するのが現代人であり、また、そうしなければならないのがご時世というものでしょう。
そこで、やむなく対応せねばならない要素として上がってくるのが、近代文明で作りだされた様々な化学物質の排除ということになります。住宅建材、家具調度品、衣類といった工業製品においては、かなり対応が進んでいるようです。
しかし、食べ物については、大きな限界があります。加工食品は腐敗防止のために防腐剤や漂白剤が不可欠なものとなっていますし、生鮮野菜のみならず、穀物や豆類、そして果物から茶葉までもが、その栽培過程で農薬散布が不可欠になっていますから、いかんともしがたいわけです。
加えて、ジャガイモにあっては、選別場のラインを転がるときに皮がむけやすく、見映えが悪くなる、消費者が嫌うからといって、それを防ぐ便法として「収獲直前に除草剤でもって枯らす」なんて方法を取っていますから、これまた考えものです。ジャガイモは床の間に飾って眺めるもの、なんでしょうかね。
これら化学薬品のうち、特に農薬は、その多くが昆虫という同じ動物を殺す毒薬ですから、ヒトが持ち合わせていない酵素(正しくは、ヒトの遠い祖先は持っていたが、不必要なものとなり、その遺伝子に傷が付いても放置され続け、今は働きを失った状態にある)を阻害するだけだと言われても、けだし、ヒトが持ち備えているその防御機構からして、農薬は尋常ではない化学物質として捉え、機敏に防御反応を示すのが健常というものでしょう。そう易々と免疫寛容する体質に変換できるとは考えにくい性質のものです。
特に、アレルギー体質になっておられる方は、その過敏性ゆえに、ごく微量の農薬に対しても格別に異常防御反応を示すことになるのは必然です。
農薬を使用した農産物は、たとえ高精度の農薬検知機器でもって検出限界以下とされるものにあっても、決して農薬ゼロではないでしょう。機器が感知しない濃度であっても、必ずどれだけかは残留していると考えるしかなく、その農薬はヒトの体内にある検知器に必ず引っ掛かる性質のものであるからです。
もっとも、農薬に対しても免疫寛容の出番はあります。しかし、毒のある葉っぱばかりを食べていそうなコアラやナマケモノの、そのノソノソと動く姿を見ていると、彼らはまだまだ順応途中に見えてしまい、ヒトという動物が農薬という毒に慣れるには、この先100万年待っても無理なんじゃないでしょうか。
なお、現代人は、江戸時代の人々と比べると、その動きは、機敏に動き回る犬や猫の姿から、今やコアラやナマケモノのような状態になっており、これは食生活が様変わりしてしまったことが大きな要因になっているに違いないのですが、近代になって新たに出現した様々な毒素にさらされ続けていることも原因しているのではないでしょうか。
こうしたことから、今後ますます(無肥料栽培の帰結としての)無農薬栽培、つまり自然栽培した農産物が大きな重要性を持ってくると小生は捉えています。
今のところ健常に見える人であっても、何らかの切っ掛けで農薬に異常防御反応、過敏防御反応を呈するような体質に変換するやもしれません。そうした人は少数かもしれませんが、誰しもが少しずつ少しずつ心身が蝕まれていく(農薬には神経毒のものも多いから心も蝕まれる)、これは誰も気づかない性質のものですが、その恐れは多分にあるのではないでしょうか。我々は、ポンペイの悲劇(※)の教訓を忘れてはならないのです。
こと、農薬問題、つまり脱農薬は、遠き遠き道とはなりましょうが、将来において無肥料・無農薬による自然栽培が大きく広まっていくことを期待したいです。小生もファーマー・ファーマシーとして、微力ながらその取り組みに力を入れてまいる所存です。
(※)紀元前の都市国家ポンペイの悲劇は、ベスビオス火山の大噴火による火砕流で一瞬にして消滅したことで有名ですが、実は、もう一つ知られざる悲劇を抱えていました。
それは、都市住民が皆、鉛中毒になっていたことです。
ポンペイでは、公共施設のみならず、各家庭へも水道が網の目のように張り巡らされており、その水道管が何と鉛で作られていたものですから、いたしかたありません。
でも、皆が皆、そうした健康状態になってしまうと、高度文明都市…当時のポンペイは群を抜いて発達していた都市であったようです…では、それが当たり前となり、そうであっても健康だと錯覚してしまうのです。
ポンペイの都市住民は背が低く、短命であったと言われていますが、彼らは、高度文明社会に暮らすがゆえの生活習慣病としか考えていなかったことでしょう。
(脚注は、このブログ2011.11.11 『元祖「公害」は奈良の大仏、すさまじかった水銀汚染。今はマグロで水銀が体内蓄積。』から、その一部を再掲しました。)