薬屋のおやじのボヤキ

公的健康情報にはあまりにも嘘が多くて、それがためにストレスを抱え、ボヤキながら真の健康情報をつかみ取り、発信しています。

今月の笑い話ベスト5<チャイナ版>(9月)

2012年09月30日 | 笑い話&回文物語

 ブログ「一日一笑:おもしろ情報館」から毎日のように発信されている中国笑話です。
 その中から小生が「今月の笑い話ベスト5」を選定して毎月紹介していたのですが、管理人の林舜氏が今月下旬まで中国視察旅行に出かけていて、29日まで中国笑話の発信がありませんでした。
 よって、
申し訳ありませんが今月は中止させていただきます。
 その代わりに、何か面白い笑い話はないかとネット検索していたら、次のものを見つけました。ご存知の方も多いかと思いますが、小生初耳の部分がありましたので、紹介させていただきます。(一部を省略しました。)

 世界各国の国民性

ある船で火災が発生しました。船長は乗客に海に逃げるよう指示しました。

イギリス人には「紳士はこういうときに飛び込むものです。」

ドイツ人には「規則では海に飛び込むことになっています。」

イタリア人には「さっき美女が飛び込みました。」

アメリカ人には「海に飛び込んだらヒーローになれますよ。」

中国人には「おいしそうな魚が泳いでいますよ。」

北朝鮮人には「共和国に帰らなくて済みますよ。」

日本人には「みんなもう飛び込みました。」

大阪人には「阪神が優勝しました。」

 大阪人には、思わず笑ってしまいましたが、まっとうな大阪人はこんなこと絶対にしないでしょうけどね。大阪の方、変な笑い話を紹介してごめんなさい。

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「歩く」とは、本来は「小走り」することなのです

2012年09月27日 | 健康体操・呼吸法

「歩く」とは、本来は「小走り」することなのです

 本多勝一著「極限の民族」の中の第2部「ニューギニア高地人」に次の記述があります。
(これは、ニューギニアの奥まった高地に住み、文明からかけ離れた生活をしている原住民の1963年朝日新聞社調査隊の記録です。)
 …4人のアヤニ族は、…サツマイモを…それぞれの巨大なオンボ(網袋)に入れた。オンボの中に…一人はブタの子も1匹入れている。
 「これがサンガへの道だ」と、アヤニ族は言った。なるほど「道」といえばいえる。だが、日本の山だったら、いわゆるケモノ道と区別がつかないだろう。…その道を、しかも登り坂を、3人(1人は仲間の1人を呼ぶために先発)のアヤニ族たちが大変な猛スピードで走るように登りだしたとき、これは前途容易ならんものがありそうだと私たちは思った。人力車の車夫くらいの早さで、ジャングルの登り坂をぶっとばす。
 …アヤニ族は、私たちがポーターに雇ったのではない。私たちの方で勝手についてゆくのだから、相手の歩調にこちらが合わすほかはない。…これは大変なことになった。
 午前10時近く。…3人のアヤニ族はここでようやく荷をおろして一休み。いや、かれらは休んだのではない。…仲間2人を待っているだけだ。
 まもなく…2人もやってきて、5人のアヤニ族がそろった。とたんに出発。猛スピード。…アヤニの一人が藤木さんのリュックをかついだ。かれらの荷物は、平均30キロに近い。そのすべてをヒタイにかけて背負い、ハダシで身軽にすっとんでゆく様子は、うしろから見ると黒いダチョウのようだ。…かれらのペースを追うだけで必死。
 ヒマラヤを含めて、これまでのあらゆる登山で、こんなメチャクチャなペースは初めてだ。…この恐るべきエネルギーは、イモばかり食べているかれらの、どこから出てくるのか。この「イモぢから」は。…

 次に、国分拓著「ヤノマミ」に、ヤノマミ族に関する次の記述があります。
(これは、アマゾンの奥地に住み、文明からかけ離れた生活をしている原住民の2007~8年NHK調査隊の記録です。)
 …ワトリキからハナナリまでは直線で30キロ弱。森の道は蛇行しているので、実際の距離は4、50キロというところだ。
 聞くと、男と女・子どもは別々に行くという。森を歩く速さが違うからだった。僕たちは長老の一人に頼み込み、女たちと一緒に行きたいと伝えた。男たちのスピードについていく自信がないからだ。僕たちの申し出は了承されたが、女たちとナプ(外人の蔑称)だけにするわけにはいかないのか、「警護役」として2人の男が加わることになった。
 夜明けとともに僕たちはシャボノを発ち、…先頭の男は女のペースで歩いているはずだったが、それでも凄まじい速さだった。僕たちは足がもつれたり、地面を這う蔓に足を引っ掛けたりして、何度も転んだ。
 途中、女たちが「男なら先頭を歩け」と言った。冷やかしているようだった。…
 2、3時間も歩き続けると、僕らの足取りは重くなっていった。先頭を歩けないばかりか、女たちからも離されるようになった。女たちは30キロ近い荷物を担いでいるのに、僕たちの荷物はせいぜい7、8キロ。それでも離されるのだ。僕たちは何度も<ワイハ!(待ってくれ)>と懇願し、休憩を求めた。その度に、女たちがけたたましく笑った。…
(後から出発した男たちが追いつく) 僕らの後方から男たちが歩いてきて、颯爽と抜かしていった。…男たちは4、50キロの道を5、6時間で歩いてきたのだ。

 いかがでしょうか。ニューギニア高地人のアヤニ族もアマゾン奥地のヤノマミ族も、彼らが「歩く」というのは、我々現代人が「小走り」することなのです。
 それも、延々と何十キロも休憩なしで、女・子どもでさえ「歩く」ことができるのです。
 これは、さながらスポーツ競技の「競歩」のごときです。
 文明からかけ離れた未開の地に住む彼らは、これほどまでに健脚なのですが、明治初期の日本人も、けっこう健脚でした。開国によって入ってきた外国人が、日本人の健脚さに感心し、日光東照宮見物に出かけたとき、人力車と馬とどちらが早い乗り物か競走させたところ、何と人力車が勝ってしまったのですからね。

 明治初期の外国人も健脚でなかったし、現代の日本人も健脚さは全くないです。文明度と健脚さは逆比例すると考えて良いでしょうね。
 20年ほど前のフランスでの調査では、郊外では70m以上離れた所へ買い物に行くとなると自動車を使うという結果がでていますし、今の日本人も同様でしょう。すぐ便利な乗り物に頼ってしまい、30キロもの荷物を背負って歩くなんてことは絶対にありえません。
 もし、そんな真似をしたら、歩き過ぎてへたばる前に
、膝をやられて松葉杖のお世話にならねばならなくなること必至です。

 このように、現代の日本人は、あまりにもひ弱です。足を使わないから、膝が悪くなりますし、骨が細くなって骨折しやすくなります。どちらも寝たきりになる大きな要因です。
 加えて、「歩く」(「小走り」でなくても)ことをサボるから、メタボになってしまい、2、30キロの脂タンクを体に巻いて動くことになります。“そんな荷物は捨てた方がいい”と、アヤニ族やヤノマミ族の人たちは言うでしょうね。

 さあ、スポーツの秋です。膝と骨を元気にし、脂タンクを少しでも軽くするため、つとめて「歩く」(ここは「小走り」です)ことを考えましょう。

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紀元前の中国は既に生活習慣病が蔓延していた。その昔の人は百歳になっても元気だった。

2012年09月23日 | 漢方の基礎

紀元前の中国は既に生活習慣病が蔓延していた。その昔の人は百歳になっても元気だった。

 古代中国の医学大百科事典に「黄帝内経素問」というのがあります。前漢時代(紀元前206年~紀元8年)に編纂された基本古典医学書ですが、原本は存在せず、唐代(762年)に書き改められたものが残っており、これが今でも中医学の基本となっています。
 その「黄帝内経素問」は、黄帝(伝説上の初代帝)が問いかけ、上医(お側付きの名医)の岐伯が返答する形式になっていますから、前漢時代よりもだいぶ前に古典医学は完成をみていたことでしょう。
 その当時においては、大多数の人々は農民であり、粗食に耐え、よく体を動かしていたことでしょうが、一部支配階層は、グルメを満喫し、体をあまり動かすことはなかったに違いありません。そうした生活習慣の中から様々な生活習慣病が発生し、それの治療のために、中医学が発達したと思われます。
 生活習慣病は、高度文明病と言ってよいのですが、紀元前の中国において、既に高度文明病が充満していたのには驚かされます。
 そして、今の日本は、世界の最先端の高度文明社会にあり、全国民が何らかの生活習慣病を抱えていることでしょうから、古代中国の医学大百科事典である「黄帝内経素問」が、今に通用するのですし、これを元にして発達してきた中医学は、生活習慣病を改善し治癒するのに最も適した医学であると言えるのです。
 一方の、戦争に明け暮れ、その中から発達してきた“野戦病院の医学”である西洋医学とは大違いです。質実剛健な若者(男)を戦士として復活させるために施す“手術と投薬”を発達させてきたのが西洋医学の特質であり、それを生活習慣病に応用しようとしているのですから、どだい無理があるのです。

 さて、漢方にうとい小生も「黄帝内経素問」の勉強を始め、先日「初めて読む人のための素問ハンドブック」(池田政一著、医道の日本社刊)を入手しました。
 その中で、特に興味深く思った箇所を抜粋して紹介させていただきます。
 なお、文中「である体」表現は翻訳文、「ます体」表現は著者の解説文ですので、それをご承知置きください。また、細字は小生の注釈です。

 第1編 上古天真論(養生法)
 昔黄帝あり、生まれながらにして神霊云々。
 こんな書き出しで素問は始まります。単なる読み物としても面白そうです。
 その黄帝が岐伯先生に問うのです。
 「昔の人は百歳になっても元気だった。今時の人は50歳になるともうヨボヨボだ。その理由を聞かせてくれ」
(帝国の初代や2代目は元気だったことでしょうが、世情が安定した3代目当たりからは、支配階層は飽食と運動をしないことによって生活習慣病が蔓延しだしたのでしょう。)
 
 岐伯先生は次のように答えています。
(1) 飲食に過不足がないようにすること。
 現代にも通じる解答です。好きだからといって食べ過ぎてはだめです。もっとも食欲のない時は、まず好きで食べたいと思う物から食べさすと、食欲がわいてくることがあります。
(2) 心身共の過労を戒める。
 俗に言うストレスでしょう。最近西洋医学でもその重要性に着目してきた心身医学がこの時代にあったのです。怒りすぎてイライラするとのぼせます。のぼせると頭痛、不眠などになります。…
 古典医学ではこのような精神的動揺を病気の原因の一つにかぞえます。
(3) 酒に酔ってのセックスはよくない。
 …セックスは活動的なものです。陽気を多く使います。酒の勢いで陽気を使うと、セックスで消耗し、酔いが醒めて消耗します。二重に陽気を奪われます。…
(4) 春夏秋冬の自然の状態に調和した生活をするのがよい。
 …春夏は気温が高く陽気も多くあります。それに合わせて、人間も活動的なのがいいのです。ことに夏は適当に汗を流すと涼しくなります。逆に秋冬は陽気の少ない時期です。静かにしているのがいいのです。
 このように自然の状態に調和して生きることが養生法の基本です。これをよく守ると、真人、仙人、聖人、賢人と言われるような人間になり、不老不死も夢ではないそうです。
 本論では年齢と成長過程との関係も記されています。…(以下省略)…
(ちょっと寄り道。養命酒のテレビCMで「男は8の倍数、女は7の倍数で体調が変化する」と言っていますが、それがここに記されています。例えば次のようです。生殖能力が備わるのは男16歳、女は14歳で月経が始まる。顔にしわが寄り、抜け毛が始まるのは男40歳、女35歳。男は56歳で体全体が老化し、女は49歳で閉経する。)

第12編 異法方宜論(治療法の種類)
 
黄帝。「同じ病気だと思っていても患者によって治療法が異なる。それでいてよく治るのはなぜか。」
 岐伯。「聖人は各種の療法の長所を活かし、病気によって使い分ける。また、同じように見える病気でも原因が違うから、その原因によっても使い分けるのだ。」
 …岐伯先生が説明した各地の療法を次に列記してみます。
(1) 東方の国は海岸が近い。魚や塩分の多い物を多食する。塩分が多いと血が粘り、皮膚が荒れ、顔色は黒くなる。血が粘ると腫物ができやすい。この時はヘン石(メスの一種)で切開してやる。切開術、シャ血療法は東方の国で発達した。
(シャ血とは、血をくだすことで、切開したり吸引したりして血を出すことのようです。)
(2) 西方の国は砂漠地帯で丘陵が多い。獣肉を常食しているので脂肪太りになっている。風邪などになることなく、肉食による内の病気が多い。この時は漢方薬を服用させて治す。漢方薬は西方の国で発達した。
(3) 北方の国は高原地帯で寒い。遊牧民が多いので乳製品を多食し内臓を冷やす。この時は灸療法で治す。灸療法は北方の国で発達した。
(4) 南方の国は高温多湿の土地である。果物や酸味の物を多食する。酸味が強いと筋の麻痺や引きつる病気になる。この時はゴウ針(細い針)で治療する。ゴウ針治療は南方で発達した。
(5) 中央の国は平地で気温も適当である。何でも産出されるから、何でも食べることができる。肉体労働をすることもないから、冷えのぼせや手足に力のなくなる病気になる。この時は導引や按嬌(あんま)で治療してやる。
(中央の国とは、当時の都が長安の辺りでしたから、そうした地域を言うのでしょう。また、肉体労働をすることもないと言っていますから、これは支配階層についての記述と考えられます。)

第13編 移精変気論(診断法)
 黄帝が「昔の人は病気は、精神療法で治せたが、今の人は色々な療法を用い、しかも治ったり治らなかったりする。これはなぜか」
 岐伯は、「今時の人はストレスが多いから治りにくいのだ。また、生活状態がでたらめだから」とも答えています。
 簡単に記されていますが、今から2千年も前に、心と身体の関係が論じられていたとは驚嘆に値します。
 黄帝はなかなか熱心な質問をしています。
 「患者の状態をはっきり知るための要領を教えてくれ」
 岐伯先生は、顔色をみる望診と脈診が最も大切だ、と答えています。
 …ところが黄帝はしつこく「その2つは知っている。要点を端的に言え」と迫ります。
 岐伯先生は「要点は1つ」と答えています。それは病因を問うことだ、と言うのです。
  望診、脈診、問診により、まず第一に病因を知ること。

第14編 湯益??論(治療法)
 本編には薬用酒のことが記されています。
 薬用酒は栄養が完備しているとして、うるち米を用います。
(1) 上古は用いることなし。
 大昔は薬用酒を作るだけで、病人に用いることがなかったそうです。病人が少なかったのです。心労がなかったからです。
(2) 中古は薬用酒を服しただけで万全であった。
 中古の時代になると少しく病人が出たけれど、
薬用酒を服しただけで完治したそうです。
(3) 今の時代は
薬用酒だけでは治せない。漢方薬を服して内を治し、針灸で外を治療してやっと治す。
 それでも治らない者があるそうです。
岐伯先生は次のように述べています。
 病気は最初浅いものである。浅い時なら針灸や薬で治せる。ところが今時の医者は病気が浅い時には気がつかず、深くなってから治そうとする。病気が深くなると患者の精神状態も乱れ、わがままになって医者の注意を守らなくなる。このような時期になると、患者の心と医師の心、言い換えると病気と治療法がピッタリ一致しないために、いくら治療をしても治らないのだ。

 以上、小生が興味深く読んだ所を紹介させていただきました。いかがでしたか。
 なお、「黄帝内経素問」は第81編まであり、2編は忘失したままで、7編は唐代に他書から編入したようです。そして、針灸法に多くが割かれていて、その部分は小生はお手上げですが、それ以外の部分について、これからじっくり勉強しようと思っているところです。
 ところで、ここには紹介しませんでしたが、1日の食事回数と病気に関して興味ある記述が第40編にあります。これについては、小生の別立てブログで取り上げましたので、そちらをご覧になってください。→ http://miyake-2.blog.so-net.ne.jp/2012-09-20

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お釈迦様の教えの解釈=現世は、何も修行しなくても解脱し、涅槃に入れる極楽だ!

2012年09月19日 | 心に安らぎを

お釈迦様の教えの解釈=現世は、何も修行しなくても解脱し、涅槃に入れる極楽だ!

 今日は9月19日「彼岸の入り」です。中日(ちゅうにち)が22日で、彼岸明けが25日。
 ところで、「彼岸」とは仏教用語で、煩悩を脱した悟りの境地のことを言い、煩悩や迷いに満ちたこの世を「此岸(しがん)=こちらの岸」と言うのに対して、向こう岸を「彼岸」と言うのです。
 俗に「お彼岸」というのは、「彼岸会(え)」のことで、春分・秋分を中日とし、前後各3日の計7日間のことを言い、また、この期間に行われる仏事を言います。
 そして、中日に先祖に感謝し、あとの6日は悟りの境地に達するのに必要な6つの徳目を1日に1つずつ修めることとされています。
 これがちゃんとできれば、「彼岸」に渡れるというものでしょう。

 さて、人は「彼岸」に渡ることができるのか否か。
 これに関連したものとして、5年前になりますが、当店「生涯現役新聞」に、次の記事を書きましたので再掲します。ご一読ください。

 あなたは何歳ですかと聞かれることがあります。小生は、いつも48歳と答えることにしていますが、年が明ければ還暦です。
 はるか彼方にあった棺桶がゆっくり近づいて来る気配がします。
 そんなわけで、宗教も少しは勉強しておかなくてはと、お釈迦様が何をおっしゃっているのか調べました。
 紀元前5世紀の大昔のことでもあり、お釈迦様が説いた内容は口伝えで、正確性はないようですが、根本的な教義(正しくは倫理・道徳)は、そのまま伝承されたようです。

 それは、「四諦(したい)」と呼ばれ、4つの理(ことわり=真理)である「苦・集・滅・道」から成り立っています。
  まず、人生は「苦」であることを知ることにあるという。「生(うまれる)・老・病・死」を「四苦」と言い、次の4つの「苦」と併せて「四苦八苦」という。
  1 愛する人との別離の苦
  2 怨念や憎しみを抱いた人とも会わなければならない苦
  3 求めても得られない苦
  4 もって、生きていること自体が苦
 何もかも暗く、空しいイメージの説明から始まります。楽しいことは何もないという世界観であり、これは当時の人々がいかに苦しかったかを物語っています。
 この背景には、当時の西北インドでは、地球の寒冷化で乾燥し、ひどい飢饉が長期化していたことがあるようです。
  これは原因のことです。「苦」には原因、つまり「煩悩」があり、それを捜し、それを理解することにあるといいます。自分自身をよく観察し、物事への執着、欲望を持っていないかどうかを考えよというものです。
  煩悩の理解を通し、心の持ち方で、「苦」は消滅し、悟りの境地に至るといいます。
 そして、物事への執着、欲望が捨て去られれば、解脱でき、涅槃となるというのです。
  「苦」を消滅する方法は、「八正道(はっしょうどう)」といいます。8つの心構えを説いたもので、内容は省略しますが、その行動規範が次の「四無量心」です。
 これは「慈悲」ともいい、次の内容です。
  あらゆる人に対しての、友情のような優しさ(慈しみという意味ではない)
  人の苦しみや悲しみをなくしてあげたいという優しさ
  人の幸せを共に喜んであげようとする優しさ
  差別感を捨てて広々とした平等の心でいる優しさ
 いつもこの気持ちを持って行動しなさいというのが、お釈迦様の教えの基本なのです。

 さて、小生が奇異に感じたのは、「四苦八苦」の最初の「生まれる苦」と最後の「生きていること自体が苦」の2つです。今の日本では考えられないことです。
 お釈迦様が現れた当時、西北インドでは既に輪廻転生の世界観が定着していましたから、人は死んでも直ぐに何かに生まれ変わると信じていました。だから、生まれること自体が苦、その後は飢餓に苦しめられるから、全部が「苦」と理解したのでしょう。
 今の日本は、全く正反対です。
 飢餓とは逆の飽食によるメタボで苦しんでいるのですから。
 お釈迦様がタイムマシーンで現世にやって来られたら、「何も修行しなくても解脱し、涅槃に入れる極楽があった!」とびっくりされることでしょう。
 平和で豊かな日本に生まれて、感謝、感謝、感謝。この気持ちを忘れてはならないと思うのです。そして、お客様に、感謝、感謝、感謝。
                                                店主 合掌

 いかがでしょうか。このように、そもそも仏教とは、自己の心との戦いを説くものであって、手を合わせて仏に救いを求めるものではないのです。お彼岸の1週間、自己の心にある煩悩と戦ってみませんか。

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各種ミネラルの相互関係は人間社会と同じ。元素の周期律表を見てみましょう。

2012年09月17日 | ミネラルが最重要

各種ミネラルの相互関係は人間社会と同じ。元素の周期律表を見てみましょう。

 同族であっても良きライバル関係にあったり、犬猿の仲であったりするのがミネラル
 
人間社会において、兄弟揃って仲良しというわけにはなかなか参りません。せいぜい良きライバルになるくらいのもので、中には犬猿の仲というケースも少なくないです。
 こうした人間社会と同様にミネラル(元素)の関係も、そうですから、また面白いです。
 高校の化学で元素の周期律表を勉強しましたよね。この周期律表は、集合住宅のようなもので、お隣とはほとんど無縁ですが、なぜか上下の階は似たもの同士の同族で兄弟の関係にあります。
           
 例えば、一番左端の縦の階、第1族は、電子を1つ放出して1価のプラスイオンになります。水素、ナトリウム、カリウムがそうです。そのお隣の縦の階、第2族は、電子を2つ放出して2価のプラスイオンになります。マグネシウムとカルシウムがそうです。真ん中当たりは、両隣とも金属という縁で結ばれていますが、縦の階はやはり強い同族関係にあり、亜鉛、カドミウム、水銀が3兄弟の関係にあります。

 この予備知識を元にして、これよりミネラルの関係をお話しましょう。
 ミネラルとは、人の体を構成する主要な元素(水素、炭素、窒素、酸素)、これらで有機物を作るのですが、これら以外の元素を言い、主要4元素に比べて、桁違いに少量を摂取するだけで十分な元素のことです。
 ミネラルの最大の役割は、生体内での化学反応です。たんぱく質を合成したり、プラスイオンをたんぱく質に順次受け渡して電気信号に変換し、情報を伝えたりします。

 ここで、代表的な3つの例を紹介しましょう。
 まずは、同族で兄弟のナトリウム
とカリウムです。両者は良きライバルです。水に非常に溶けやすく1価のプラスイオンになり、脳の神経細胞のスイッチをオン・オフさせる重要な役割をしています。細胞外液にナトリウムが、細胞内にカリウムが、極端に偏在する形をとってバランスを取っています。ですから、ナトリウムとカリウムは、一定の比率、濃度を保っていないと、脳の回路のみならず全身の細胞の働きに支障が生じます。
 塩っ辛い物が好きで、野菜や果物が嫌いな方は、ナトリウムが多くなり過ぎ、カリウムが不足してしまい、大変厄介なことになりますし、血圧も高くなります。高血圧の方は、野菜や果物でカリウムを補給する必要が、ここにあるのです。

 次に、マグネシウムとカルシウム。これも、同族の兄弟で、両者は良きライバルです。水にある程度溶けて2価のプラスイオンになり、筋肉を収縮・弛緩させる重要な働きを持っています。細胞外液にカルシウムが、細胞内にマグネシウムが、極端に偏在する形をとってバランスを取っています。ですから、マグネシウムとカルシウムは、一定の比率、濃度を保っていないと、筋肉のみならず全身の細胞の働きに支障が生じます。 特に、マグネシウムが不足すると、筋肉の弛緩に支障をきたして、足がつる大きな原因になります。また、マグネシウムは細胞内に偏在して様々な生合成に関わるのですから、絶対に不足させてはならないミネラルです。日本人はカルシウム不足だからカルシウムを毎日補給しなさいと声高に言われていますが、過去記事で書きましたように通常の食事でカルシウムは十分に摂取できています。心配せねばならないのはマグネシウムの方で、こちらは摂取不足ですから、カルシウムじゃなくてマグネシウムを毎日補給しなさいと言いたいところです。

 最後に、亜鉛、カドミウム、水銀の3兄弟。カドミウムと水銀は、“チョーワル”の悪友で、亜鉛とは犬猿の仲。亜鉛が進めようとする細胞の新陳代謝を阻止しようとする、困り者の兄貴分たちです。日本の農地がカドミウムと水銀に汚染されており、必要量の亜鉛を摂取しても、亜鉛欠乏と同じ状態になってしまいます。亜鉛は、牡蠣(かき)に濃厚に含まれていますが、海洋汚染でカドミウムと水銀も多いですから、それを差し引いて計算しなければいけないでしょうね。

 このように周期律表からミネラルを眺めてみると、面白いものです。
 人間、兄弟は、お互いに助けあい、良きライバルになりたいものですね。

(この記事は、当店「生涯現役新聞」2009年10月号に一部補足して再掲したものです。)

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(旧版)コレステロール降下剤は毒薬。更年期すぎの女性は飲んじゃダメ!

2012年09月15日 | 脂質異常症

 このブログで2番目にアクセスが多いのが本稿ですが、追記を何度も行っていますので、たいへん読みずらくなっています。そこで、最近立ち上げたホームページで、「高血圧のコーナー」として編集し直しました。それと同じものをこのブログに「改訂版」として従前と同じタイトルで掲載することとしました。
コレステロール降下剤は毒薬。更年期すぎの女性は飲んじゃダメ!(改訂版)
(2015.10.24投稿)
 お読みいただくとすれば、上をクリックして改訂版ページをご覧ください。
 本稿へのコメントは受け付けを停止しました。コメントは「改訂版」へお願いします。

<以下は、旧版です。>

コレステロール降下剤は毒薬。更年期すぎの女性は飲んじゃダメ!

 コレステロール降下剤は飲まないようにと、過去記事で書きましたが、新たな問題も出てきましたので、再び取り上げることにします。
 先ずは、最近入手したビックリするニュース。それは奥村康:順天堂大学医学部教授があるブログに登載されたものですが、その抜粋を紹介しましょう。

 コレステロールの抑制は危険
 医者に行くと、総コレステロール値220以上で異常だといってコレステロール降下剤を飲まされる。すると、まずいことに鬱(うつ)になるんですね。非常に多弁だった人が無口になったりする。そういう人が電車に飛び込むんだという話をしていたら、実際に帝京大学の精神科の先生とJR東日本が協力して、JR中央線で自殺した人を調べたんです。その結果、9割が55~60歳で、ほとんどが男だった。それが見事に全員、コレステロール降下剤を飲んでいたという。

 このニュースの詳細を知りたくてネット検索を重ねたのですが、残念ながら、ヒットしませんでした。そこで、推測するに、次のようなことになるのではないでしょうか。
 
いったい何人の飛び込み自殺があったのか不明ですが、そう何人もないと思われ、「9割」という数値が出てきますから、ここは10人と考えてよいでしょうね。そして、「ほとんどが男」と表現されていますから、「飛び込み自殺した55~60歳の男7、8人は、皆、コレステロール降下剤を飲んでいた。」といったことになりそうです。
 標本数が少ないですから、飛び込み自殺とコレステロール降下剤の間に有意な相関があるとは断定できないものの、「全員がコレステロール降下剤を飲んでいた」という事実は重いです。
 そして、降下剤で低コレステロールになると鬱(うつ)症状が出やすくなるのも事実ですし、鬱病者の自殺が多いというのも事実ですから、コレステロール降下剤と飛び込み自殺との間には、かなりの因果関係があるとなります。
 実に恐ろしいことです。

 コレステロール降下剤の危険性は、言われて久しいものがあります。
 それにもかかわらず、日本の医療業界
は、高コレステロールの判定基準を低め設定することによって、高脂血症(今は脂質異常症)の患者を作為的に作り出し、コレステロール降下剤を野放図に投与させて、稼ぎまくってきたのです。
 その薬の市場規模は3000億円とも5000億円とも言われていますし、その薬の全世界生産量の6、7割をも日本人だけで“消費”しているとのことです。
 そして、その“ユーザー”は圧倒的に閉経後の女性です。女性は閉経によって総コレステロール値が280(LDLは180)を超えることが珍しくなく、米国では閉経後の女性にコレステロール降下剤を投与してはいけないと言われています。
 日本人は他民族と違って異常に高コレステロール体質であるというなら分かりますが、そのような実態は全くありませんから、“薬の異常投与”以外の何物でもありません。

 ところで、コレステロールは、悪玉と善玉があって、悪玉のLDLが目の仇にされ、善玉のHDLを増やしましょうと言われていますが、決してそうではないです。単に肝臓から末梢へ運ばれるのがLDLであり、単に逆輸送されるのがHDLで、両者ともに欠くことができないものであって、そのバランスが取られて生命活動がなされているのです。
 両者の適正濃度というものは、個人差があるのが当たり前のことでして、それらの濃度が普段より異常に高まってきたのであれば、その原因は、特殊な病気を除いては、出入りのバランス、つまり、栄養の過剰摂取以外に原因は求めようがなく、“即刻断食しなさい。そうしないと血管が詰まって死ぬぞ!”と、叱責し、断食道場でも紹介すれば一件落着するのです。これが、お医者さんが本来取るべき道でしょう。

 これでは、低額の初診料とわずかばかりの検査料しかお医者さんの懐に入りませんから、コレステロール降下剤の処方箋を書き続けて安定した収入を図っているのです。これは、日本の医療制度に本質的な欠陥があるからですが、簡単に変えられるものではなく、生活習慣病をターゲットにした医療ビジネスが大流行りになってしまっています。
 また、良心的なお医者さんにあっても、総コレステロール値が280(LDLは180)もあるような患者さんに“飲まなくていいよ”と指導した後に、万一脳梗塞や心筋梗塞で倒れたりして医療過誤で訴えられたら完全に敗訴してしまいますから、“飲まなきゃいかん”と言わざるを得ないのです。

 さて、コレステロールについては、近年、個別の学会など医師サイドからも、基準値が低すぎ、これは問題だという声も出ています。これは、幾つもの大規模な疫学調査で総コレステロール値が基準値より高い方が長生きしているという実態や高い値でも脳梗塞や心筋梗塞の危険性が高まることはほとんどないという調査結果が出ているからです。また、患者も、その副作用がけっこうあったりしてコレステロール降下剤は危険だという情報をときどき耳にするようになり、不安を持つに至りました。
 そこで、開業医が発言権を握っている日本医師会がどう動いたかというと、基準値の根本的見直しです。従前は、総コレステロール値を基準にしていたのですが、2007年4月に、高脂血症を脂質異常症に改めるとともに、LDLとHDLに分けて、それぞれについて判定するという、複雑怪奇な物差しにし、患者をペテンに巻いて不安感を消し去るとともに、今まで総コレステロール値でもって今の基準が厳しすぎるという批判を見事にかわしてしまったのです。
 定められ
た新基準は次のとおりです。
  高LDLコレステロール血症 140mg/dl以上
  低HDLコレステロール血症  40mg/dl未満
 ところがしかし、これに止まらず、年齢や高血圧などの危険因子の数で、高LDLコレステロール血症の基準値は、120にも、100にも下げられてしまうのです。
 何とも恐ろしい改悪です。

 ここで、困った問題が出てきました。女性のお年寄りで高血圧の方です。年齢と高血圧で危険因子の数は「2」となり、あと何か一つ危険因子が加わって「3」になると…往々にしてあるのですが…基準が120に下げられてしまうことです。
 女性は閉経に伴ってLDLコレステロール値が30~40は上がります。よって、米国では中高年女性にはコレステロール降下剤は不用と言われているのですが、日本の場合は、老いも若きも基準値は一緒で、中高年女性は容易に高LDLコレステロール血症と判定されてしまい、毒であるコレステロール降下剤を飲まされる羽目に陥るのです。
 まず、血圧降下剤を飲むことによって、血の巡りが悪くなり、全身の細胞への酸素供給が滞りますから、エネルギー代謝が落ちます。そこへコレステロール降下剤を飲むことによって、エネルギー代謝が更に一段と落ち込みます。
 このことは、あまり知られていないようですが、エネルギー代謝を高めてくれることで有名になったコエンザイムQ10はご存知でしょう。これは体内で十分に合成されるのですが、コレステロール降下剤は、そのコエンザイムQ10を作るのを阻害するのです。
 こうして、血圧降下剤とコレステロール降下剤の複合作用で、“体は冷えるし、重だるいし、とにかく体の調子が悪い”となってしまいます。お医者様に相談しても“年だから”で済まされてしまいます。
 当店のお客様でそうした方が何人かいらっしゃって、血流促進や低体温解消に良い健康食品や漢方薬を飲んでいただき、更に滋養強壮薬もお求めいただいて、何とか元気を取り戻していただけないかと頑張っているのですが、残念ながら、毎月、1万円、2万円をお支払いいただいても、どれだけも改善効果が得られず、からきし駄目なのです。
 ベテランの漢方薬局の方に、どうしたものかとお尋ねしたら、“まず医者の薬を止めていただいてからでないと、効くものも効かないから、お客様には出直していただいている。”とのことでした。それを聞いて、小生も、これからはそうすることにした次第です。
 お客様に対して冷たい応対となってしまいますが、そうでもして血圧降下剤やコレステロール降下剤、特にコレステロール降下剤を止めていただかないことには、健康の回復は全くもって不可能な現実が目の前にあるからです。
 しかしながら悲しいことに、女性のお年寄りとなると、自分で判断するのを避けられる傾向が強く、お医者様に頼りっきりになり、登録販売者の資格しかない小生のアドバイスを採択される方は数少ないです。でも、うちの店は、お医者様の薬を飲むのを止めるお客様の数は多い方のようです。これは、処方箋調剤をやっていないからです。それをやっておられる薬局さんが、お客様に対してお医者様の薬を止めた方がよいとアドバイスしたらどうなるかを考えれば明らかなことです。言いたくても言えない立場にありますからね。

 このように、医者の好き放題にされてしまうという、悲しい現実が女性のお年寄りにのしかかっていて、こうした薬を飲まされている多くの方が、やがて認知症となり、寝たきりとなり、ご自身もそして家族も、悲劇をみることになるのです。
 先に厚生労働省から発表された健康寿命と平均寿命の差が、男よりも女の方がうんと大きいのも、原因はここにありそうです。

 最後に、このブログをご覧になった方にお願いですが、血圧降下剤とコレステロール降下剤をお飲みになっておられる女性のお年寄りのご家族の方は、特殊な病気でない限り、両方とも飲むのを一度止めるようにお話いただき、血圧測定だけ自宅で行って、その数値が180を下回るなら全く大丈夫ですから、医者に行く必要はないとアドバイスしていただきたいです。そうすれば、体がよく動くようになり、イキイキ元気が取り戻せます。
 なお、その説得には、このブログの左サイドバーのカテゴリー「高血圧」と「脂質異常症」の記事を参考になさってください。よろしくお願いします。
 全部の記事を読んでいただくのも大変ですから、まずは次の記事をお読みください。
 高くても安心。コレステロール値(その1)

<2013.12.12記事修正:この記事へのアクセスが大変多く、また、メールや電話での相談も多いですから、当初の記事(2012.9.15投稿)に補記したり、一部書き改めました。>

(2013.9.3 追記)
 
高血圧やコレステロールの検査の基準値を誤解なさっておられる方が大半ですので、次の記事もご覧なさってください。
 東海大学の大櫛教授が各種検査データから解析なさったもので、
本来の基準値は驚くほど高いですし、また、基準値を超えても健康な方が多いという事実をまずご理解なさってください。
 2013.7.25 健康診断の“検査”は“病人”を作り出すだけ
 

(2014.5.5 再追記)
 2014.4.4、日本人間ドック学会などが「新たな検査基準値」の元になるものを中間報告的に発表しました。これは2年間にわたって人間ドック受診者の膨大な検査データを解析したもので、追記の東海大学大櫛教授が示されたものと非常に類似しています。
 参考までに、日本人間ドック学会などが発表した値を下に示します。
             男            女
           (全年齢平均) 30∼44歳 45∼64歳 65∼80歳
総コレステロール(上限値) 254  238 273  280
LDLコレステロール(〃) 178  152 183  190

(2015.2.9 再々追記)
 再追記しました日本人間ドック学会などによる「新たな検査基準値」に関する発表を契機に、2014年8月、日本脂質栄養学会の元会長ら主要メンバー5名の方が日本動脈硬化学会へ「コレステロール低下医療に関する緊急提言」を発せられました。
 その中で、スタチン(=コレステロール合成阻害薬)の無効性と有毒性を強く訴えかけるとともに、「高LDL-C値は長寿の指標」であり、「各種疾患予防にLDL-C値の低下を目標としない」とするよう、確たる根拠を示して強く主張されています。( C値:コレステロール値)
 これは要するに、『コレステロール値が高ければ長寿になる。コレステロール値の検査は不要である。ましてやスタチンを投与するとは何事ぞ。』と、コレステロール値設定・投薬ガイドライン作成の元締めである動脈硬化学会に対して、考え方を早急に改めるよう強く迫ったものです。
 いずれにしましても、最初のほうで申しましたが、コレステロール降下剤の全世界生産量の6、7割をも日本人だけで“消費”し、その“ユーザー”は圧倒的に閉経後の女性というのですから、こんなひどい薬漬けが許されていいのか、ということです。

 長文を最後までお読みいただき、お疲れ様でした。

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たばこは害より益が大きい? 嫌煙家に物申す!

2012年09月13日 | たばこと健康

たばこは害より益が大きい? 嫌煙家に物申す!
(最新更新 2018.7.12)

 このことについては、過去記事「たばこの大幅値上げ! こたえるわぁ。」(2010.10.27)で、益の方が大きいことを、概略次のように書きました。

 手持ちぶさたでイライラしたり、デスクワークで行き詰ったときのストレス解消に、一服するのは、ストレスをこまめに吐き出すのにもってこいのすぐれもの。
 
小生の子供の頃は家にかまどがあって、家の中が煙もうもう。風呂焚きは子供の仕事で、煙でむせてゴホンゴホン。今でも、白川郷の合掌造りは、年中、囲炉裏に薪をくべていてキナ臭い。そのお陰で、ノミもダニもわかず、病原菌も殺菌されてしまう。子供の頃から煙で鍛えれば、たばこなんてどってことない。肺ガンになるのは、アルミサッシで締め切った、悪い空気を吸ってるからじゃねえの?

 肺ガンの原因をアルミサッシにしてしまったのは、少々乱暴ではありますが、世の中には愛煙家が少なからずいらっしゃって、小生も1日に40本、中程度のタール値のたばこを吸う、そのお仲間なのですが、“たばこは害より益が大きい”とおっしゃる方が何人もみえます。一方、嫌煙家の方は、“たばこは百害あって一利なし”と声高におっしゃいます。

 どちらも、調査研究データを示して、そう言っておられるのですが、いずれも自分の主張に都合の良い結果が得られた調査研究を発表しておられるだけのことで、どれもこれも信用が置けそうなものは少ないのではないかと思えます。
 小生がそう思うのは、特に肺ガンとの関係ですが、喫煙率が大きく変化(女性は変わりませんが、男性は80%から40%へ半減)したにもかかわらず、肺ガンは鰻登りに増え続けているからです。男性の多くが禁煙しても肺がんは増え続けているのですから、大局的には、“たばこと肺ガンの間には因果関係はない”と、解するしかないからです。

 ところで、たばこを全く吸っていない方で、“たばこは害より益が大きい”とおっしゃる方がいらっしゃいます。第三者的立場で物をおっしゃるのですから、耳を傾けたくなります。その方は、中部大学教授(経歴は東大工学部卒、民間経験を経て名大教授:材料工学)の武田邦彦氏。様々な分野で、“真逆が正しい”と理論展開されていて、何かと煙たがられている御仁のようですが、けっこう、これは正しいのでは、といった発言が多いです。小生は、その子分のような存在でして、その真似をしてということではありませんが、このブログで、ときどき“真逆が正しい”と理論展開しております。
 その武田氏のブログを読んでいて、次の1節を見つけました。

 …3万人を超える自殺者に対して2000人を対象に生活習慣を調べた結果によると、喫煙者は一人もいなかったということです。確かに、左手でタバコ、右手におちょこという人が人生に悩んで自殺するということもないように思います。
 実は、タバコの成分(おそらくニコチン)は頭の活動を司るドーパミン、セロトニンのような活性物質と反応し、その量を調整するのではないかと言われています。頭が混乱したとき、なにかの拍子で思い込んだとき、タバコで一服してスッキリさせるということはごく常識なことです。
 「禁煙活動は人を自殺に追い込んだ」という表現は少し言い過ぎな感じはしますが、タバコの効用や、自殺者の生活習慣について、もう少し真剣に取り組むべきと思います。…

 ところで、この喫煙と自殺についての調査結果は、どう考えたっておかしいと考えざるを得ません。“たばこを吸ってりゃ、絶対に自殺することはないぞ!”なんてね。
 
これを誰が発表したのかと検索したら、順天堂大学医学部教授の奥村康氏と分かりました。して、その詳細は、となると、いくら検索しても見つかりません。次に、奥村康氏とはどんな人物かを検索したら、喫煙文化研究会に、養老猛司氏、畑正憲氏、黒鉄ヒロシ氏らとともに名を連ねてみえる愛煙家であることが分かりました。
 “これじゃあ、はなから信頼のおけるものではなさそうだ。”と、なった次第です。

 検索を重ねる中で、興味深い調査結果を発見しました。それを紹介しましょう。国立がん研究センターの報告、多目的コホート研究の中の「たばこと自殺について」です。
 平成2年と平成5年に全国9保健所管内で把握した40~69歳の男性4万5千人を平成12年まで追跡調査した結果が、平成17年に発表されています。
 4万5千人のうち確認された自殺者は173人で、“たばこを吸わない人に比べて、たばこを吸う人は30%自殺リスクが高い”という結果が出ました。でも、これには断り書きが付いていまして、“しかし、この値は偶然に得られた可能性を否定できない”と、統計学的には有意ではないとしています。つまり、喫煙と自殺の間に相関関係があるとは断定できないというものです。ただし、ヘビースモーカーについては、2つの指標ともに2倍前後の自殺率になっており、“統計学的に明らかに自殺リスクが高い”という相関関係があるという結果が出ています。もっとも、ヘビースモークと自殺の間に因果関係がありやなしやについては、“鬱病の発症を介して関係がありそうだが確かなことは言えない”と言うにとどまっています。
 ここで留意していただきたいのは、相関関係と因果関係は全く異なった性質のものですから、両者を混同して、相関関係があれば因果関係もあると、早とちりしてはならないということです。これについては、先に登場していただいた武田氏が、分かりやすく次のように説明してみえます。
 「武田の年齢を横軸にとり、地球の平均気温を縦軸にとって、グラブを作ると、武田が齢を重ねると地球の気温が上がるという相関関係が読み取れる。しかし、武田には歳とともに神の力が強まって地球をより温めるようになったのだ、とは誰も考えない。相関関係というものは、そういうものであって、両者の間に、因果が生ずるものではない。」

 少々横道に外れましたが、この国立がん研究センターの報告は、“喫煙は肺ガンの原因”と主張する機関によるものですが、相関関係と因果関係そして統計学的有意性の有無について科学的に論述していますから、額面どおりに受けとめて良いでしょう。

 よって、「禁煙活動は人を自殺に追い込んだ」というのは明らかな誤りであり、喫煙と自殺の間には「一般的な相関関係は認められないし、因果関係も不明である」としか言えないことになります。統計的な処理をしたものは、こうした読み取り方が重要になります。

 さて、「たばこの害」とは何でしょうか。嫌煙家の正直な気持ちは、愛煙家が撒き散らす「煙の臭い」でしょう。“煙によって、喉がおかしくなるし、目もヒリヒリするし、自分の衣服にも嫌な臭いが着いてしまうわ。”というものです。
 これは、なにも、たばこに限りません。野焼きでもそうです。何であれ、“植物を燻す”ことは我慢ならないという風潮の高まりが、“禁煙運動”にもなっているとしか思えません。
 野焼きについては、ダイオキシンを神経質に持ち出して廃棄物処理法を改正までさせて、ほぼ禁止の状態にしてしまいましたからね。そのダイオキシンは、その当時
に言われていたほどの有害性は全然ないことが、その後に分かったのですが、残念ながら野焼きの規制が緩められることはありません。
 それと同様に、受動喫煙が肺ガンになると騒がれて、これが元で、人込みでは“たばこを吸ってはいかん”と禁煙条例が都市の繁華街に適用され、また、公共施設は禁煙となってしまいましたし、民間企業でも全館禁煙化が進んでいます。
 愛煙家の小生としては、現代は白川郷の合掌造りの家とは全く違うのだから、室内や人込みで“燻す”のは確かに良くないから、そうした所では十分な換気設備がある下で吸うなり、そうでなければ吸わないことにしているのですが、“あんた、何でたばこを吸っているの!体に悪いから止めなさいよ!肺ガンになっちゃうよ!”と言われるのには腹が立ちます。“余計なお世話だ!自分の健康は自分で考えてるわ!たばこにはストレスを発散する効果があるんよ。晩酌するのとおんなじだ!俺は両方ともやって、健康を維持してんだ!あんたも、俺の真似してみい。健康になれるぞ!”と、言い返してやりたくもなります。

 いずれにしても、喫煙については、健康問題を持ち出して禁煙を無理強いしようとするのは乱暴すぎます。第1に、たばこが健康に悪いという確たる証拠はないですし、第2に、そもそも喫煙は嗜好であって、他人がとやかく物申すことではないからです。
 愛煙家からすれば、嫌煙家の
“植物の燻し”が嫌いというのも嗜好の一種であろうから、そうした人になるべく迷惑をかけない所で一服させていただく、ということで、“喫煙はどうぞご自由に”と、お認めいただきたいものです。JTのCMの分煙です。
 ところで、同居するようになった我が娘は嫌煙家の最右翼の御仁でして、小生は、ついに居室での喫煙ができなくなり、やむなく炊事場の換気扇の下で一服しているのですが、これではあまりにもわびしく、従前は夜に10本近く吸っていたのですが、今では風呂上りの1本に止めています。
 そのわびしさと長時間のニコチン切れで、ストレスがたまりにたまります。そのストレスでもって、小生は将来、肺ガンになるかも。

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“一日一楽”日記の書き始め。落ち込みから脱却し、喜びの毎日に。

2012年09月02日 | 心の病から脱却

“一日一楽”日記の書き始め。落ち込みから脱却し、喜びの毎日に。

 ブログを何本か建てている小生です。最近、また1本建てました。
 so-netブログの“一日一楽”日記です。(追記:その後改題していますが)

 毎日何か楽しい出来事が少なくとも1つはあったはず。それを書き綴っていけば落ち込みから脱却できると言われます。それを確かめるために私も。

 ということで、8月29日から“一日一楽”日記を書き始めました。
 三日坊主で終わりはしないかと少々心配でしたが、難なく続けられています。
 毎日、朝から“楽しいこと探し”をせねばなりませんが、これがまた楽しいです。
 ときに、1日に2つ書きたくなる日もありますが、そこはググッとこらえて1本にしています。2本立てにしてもいいでしょうが、そこは表題にちゃんと従うことにしました。

 さて、こうした日記の効用はいかに。
 良い例があります。文筆家の五木寛之さんが、一時気分が落ち込んで物書きができなくなったことがあったそうで、そのときに毎日楽しかったことを書き綴ったことによって落ち込みから脱却でき、文筆活動が再開できたとのことです。

 また、歌人:齋藤茂吉の長男の齋藤茂太さん(故人:精神科医・文筆家)も、次のように言っておられます。
(著:「あなたと合うと元気になる」といわれる人の共通点[ぶんか社文庫])
 日々の生活の「積み重ね」
から生まれるもの
 嫌なことは「悪口日記」に記し、普段の日記には楽しいこと、うれしい発見などを記すようにしよう。嫌な思いを書き並べると、あとで日記を見るのがつらくなるものだ。いい思い出も書いてある日記なのに封印したくなり、結局捨てる……そうならないためにも、別々の日記にしておくのがいい。
 さて、「普段の日記」には、おいしい物を食べたとか、季節の花が咲いたとか、日々の出来事の他に、うれしかったことをひとつ書いてみる。
 「うれしいことなんか、ない」という人は、道を歩いていたら、「おでんの匂いがして冬が近いと思った」でもいい。日々の「気づき」を書いていく。これが喜びになっていく。
 (その後の話は、いい笑顔を持っている人が他の人にどんな印象を与えるかについて展開され、最後は、次のように締めくくられている。)
 笑顔がいい人は、人から大事にされるのだから、もっと「自分の顔をつくる」という気持ちになって欲しい。
 さて、あなたはどんな顔になりたいか。顔だけは、日記のように「別々」というわけにはいかないのである。

 これを読んで、最後の部分は、思わず「アハハ!」と笑ってしまいました。
 ところで、「悪口日記」は、うっぷんを晴らし、ストレスを吐き出すために良いでしょうが、小生は、そうしたことは一刻も早く忘れるようにするため、努めて楽しいことを探しまくり、思い浮かべるようにしています。よって、「悪口日記」なるものは書こうとは思いませんが、このブログでときどき「ボヤキ」を書いていますから、読者の皆さんには多少迷惑をかけているかもしれませんね。あしからず、お許しください。

(2014.10.05追記)
 文末で、“「悪口日記」なるものは書こうとは思いません”と書きましたが、その後、心変わりして書くことにしました。そして、皆さんに見本を示すために「腹立ち日記」なるものを1年前にブログアップしました。
 その経緯は次の記事をご覧ください。
 2013.10.2 怒りは「紙に書いて」しっかり解消しよう!

 

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