聖書通読日記 2

2001年ペンテコステに受洗、プロテスタントのキリスト者

エレミヤ書3章 悔い改めの呼びかけ・シオンへの帰還・悔い改めへの招き その3

2010年01月29日 | 旧約聖書日記
つづき


旧約聖書注解 日本基督教団出版局 を、まとめて。

『3章1節~13節 悔い改めの呼びかけ
この箇所は、三つの単元に区切られる。
第一は1~5節、第二は6~11節、第三は12~13節である。
ここでも、神とイスラエルは夫と妻の関係になぞらえられている。
これはホセア書の一章から三章にかけて見られたことであり、エレミヤ書の二章の預言の基底に流れている見方である。
人がその妻を離縁して、その女が他人の妻となり、さらにその男が死ぬか、その女を離縁した場合、前の男はその女を再び妻とすることはできない。
この通りの律法が、申命記24・1~4に記されている。そのような行為は、いとうべきことであり、土地を罪で汚すことだという。
イスラエルがアッシリア帝国に滅ぼされたのは、背信のイスラエルに神が離縁状を与えたことである。このように八節にも記されている。
エレミヤは、北イスラエルに向かって悔い改めの呼びかけをするのであるが、それは、イスラエルが、多くの男と淫行をした、すなわち、多くの国々と政治的取り引きしたことを、全く不問に付すことではない。
三節には、干ばつも、イスラエルの淫行に対する罰だとされている。
神に対する背信の罰で、最大のものは外敵の攻撃であるが、次は飢饉であり、疫病である。
イスラエルの神への悔い改めは徹底を欠いている。
「主はいつまでも憤り限りなく怒り続けるだろうか」と言いながら、悪を重ねている。

次の単元6~11節は、散文であり、事柄を図式的に扱っている。
また「ヨシヤ王の時代に」という日付が入っている。
「背信の女イスラエル」と「裏切りの女ユダ」を対比している。
そして「裏切りの女ユダ」の罪は、「背信の女イスラエル」の罪に勝るとも劣らないとしている。
ヨシヤ王の宗教改革は、全イスラエルの改革を問題にしていた。
ヨシヤ王の改革運動の性格を図式化して述べたのが、この単元の性格である。
申命記学派的な立場からヨシヤ王の時代のエレミヤの預言を要約する意味で、ここに加えられたのであろう。

第三単元12~13節は、一つ前の単元1~5節に繋がっている。
ここでは明確に、「行け、これらの言葉をもって北に呼びかけよ」と言われている。
「これらの言葉」とは、赦しと招きの言葉である。
さきに五節で、偽りの悔い改めを批判した言葉の中に、神は限りなく怒り続けることはないというイスラエルの安易な言葉が指摘されていたが、主自身が「とこしえに怒り続ける者ではない」と明言する。
また、「どこにでも茂る木があれば、その下で、他国の男たちと乱れた行いをし」たということを、ただ、率直に認めようというのであろう。
神の慈しみを知りながら、あるいは神の慈しみを知るゆえに、悪の中にとどまることは赦し難い罪である。』


3・14~18シオンへの帰還、3・19~悔い改めへの招きに、つづく


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