暑い夏の日の朝
(体調を崩されている小原二郎先生が、早く元気になられて、日本の木造建築に、どんどんと命を吹き込んでいただきたいのです・・・・。世界一の木造建築を、世界に広めていくのです・・・・。)
2009年7月3日 、この日は、私にとって生涯忘れられない、記念すべき何物にも代えがたい宝の日となったのです。
私の建築士としての心の中に、魂を打ち込んで頂いた最も尊敬する、もの創りの師匠・小原二郎先生(今年・九五歳)に、はじめてお目にかかった日なのです。
(どんな人間にも寿命があります・・・・。当然私にも、生には限りがあります・・・・。しかし、師弟の心と技は、良い弟子を蓄えれば、未来永遠に発展していくと、仏法では教えられています・・・・。人類の素晴らしい英知と技は、未来へしっかりと伝えるべき使命が、私たちにはあるのです・・・・。)
それも、先生の東京の善福寺の自宅へ、何の連絡もせずに朝早く、勝手に押しかけ、あって頂いた日なのです・・・・・・。
今思えば、何と失礼な、また突拍子もない非常識な行動を、よくできたものだと思いますが・・・・。一方で、もし、あの時そうした行動をとっていなければ、・・・・。その後の結果は、また違っていたでしょう・・・・・・。
(木造建築の素晴らしさを、世界に証明をしている法隆寺です・・・・。その法隆寺を調査研究されて、木材のすごさを、世界に証明をされたのが小原二郎先生なのです・・・・。日本の伝統文化を 、・・いや世界の木の文化のすごさを、証明をされた大先生です・・・・。)
その朝は、小原二郎先生は、千葉工業大学へ出勤のために、お家の玄関を奥様のお見送りのもと出られたところに、私が、入り口の門に、たどり着いたところでした・・・・。・・・・鉢合せでした・・・・。
怪訝な顔をして、先生は『 どなたですか?』と、声をかけてくださり、私は、心の中で『しまった!ご迷惑をかけてしまった。』と思いつつも、『先生すみません突然に・・・・・。私は高知県の片岡といいます・・・・。先生お出かけのようで、すみません!また改めて出直します・・・・。』…自らの非礼を詫び、早々に立ち去ろうとしたその時に、先生の後ろから出てきた奥様が、『あなた、あの高知の、いつも美味しいものを送ってくれる方ですよ。あなた!まあ家に入って頂いたら・・・。』と 言って先生を呼びとめられ、バス出勤を一便遅らせていただいて、迎え入れてくれたのです・・・・・。・…本当に、失礼な訪問でした・・・・。
何を話したのか、支離滅裂で、小原先生の建築家として、人間としての生き方に、大共鳴をして、是非一度会いたいと思ったこと、そして私の人生の師である池田先生を是非小原先生にも知っていただきたかった(二十一世紀の対話贈呈)こと・・・。そして池田先生と小原先生が、どことなく二重写しに思えること、そして、その小原先生に是非応援して頂きたいこと等、思いのたけをお伝えさせて頂いたのです・・・・・。・・・・小原先生は、私の話を聞きながら、唖然とした表情でした・・・・・。
しかし先生は、静かに私の話を聞いてくださり、『それだけでの事で、高知からここまでわざわざ来たのかね・・・。』そう何度も言われて、驚いていました・・・・。そして、『本を差し上げよう!』といって、小原二郎先生が書かれた「インテリアの人間工学」という本をいただいたのです・・・・・。奥様からも丁重に、お声掛けをしていただき、お礼の言葉までいただきました。…本当に感激でした。
そして、先生に、これからどうするのかと、聞かれたので、『いやもうこれから高知に帰ります。』というと、登校するので、途中まで送っていってくださるというのです・・・・。途中バスと電車を乗り継いで、三十分近く、先生とご一緒させていただき、いろんな話を聞かせていただいたのです・・・・・。乗り継ぎの途中の駅で、近くにいた見知らぬ女性の方にお願いをして、先生とツーショットで、カメラのシャッターを切って頂いて写した写真が、この写真です・・・・。
この日の出来事は、私自身の生涯の宝物となっています・・・・。九十二歳のご高齢の身で、学も極められている先生が、質素で庶民感覚で、素晴らしく機転のきく心やさしい奥様と、生活をされている姿・・・・。
そして、誠実で謙虚な生き方は、行動や振る舞いに出ているのです・・・・。そして、何よりも、現役の常任理事として、後継の若い方々を、庶民の交通機関を使って通勤せられ、育てられている姿には、本当に大感動 いたしました。
よくぞこのような素晴らしい大先生に、言葉を交わして頂けたものだと、私の誇りとしています。また、そのような人生を何としても歩んでいけるような人間に成長してまいりたいと心に誓っている毎日です。
忘れえぬ師との出会いの黄金の日の、誉れ高き七月三日となったのです・・・・。