久代の日記

音楽、矯正治療のこと、日々のこと等

戦争。

2024-08-21 14:49:33 | 日記
サイパンでの虐殺戦争を、アメリカ人が現場の声を残していたんですね。今の戦争犯罪になると思うのです。小さい子供達を保護してキャンデーをあげていたようです。親が殺された子供達だと思います。日本人が民間人をたてにしていっしょにいるので、捕虜として、穴から吊り上げる時に、爆弾を投げられたりして、アメリカ人が犠牲になっていたので、どこに日本兵が潜んでいるのか分からないのです。戦争のルールが全くない状態です。民間人をどこかの安全な島に、避難させるとかすればいいのにと思うのですが、民間人は軍人ではないので、関係ないのですが、民間人も軍人も関係なしの戦争でした。民間人が軍人に使われていたのです。めちゃくちゃな戦争でした。戦争末期になるとこうなるんですね。2万人いた島は1万人が亡くなっています。軍がかたくなに投稿を許さなかったのです。命は保証すると言うビラまで配っていたので、投稿すれば助かっていた命がたくさんあると思いました。日本の軍人はすべて殺されました。武器が足りないからです。みんなやせ細っていたようです。誤って、子供を殺してしまったと帰国前に自殺したアメリカ人がいたそうです。戦争体験して生き残ったとしても、帰国後PTSDが残ると思います。精神的にやられ、神経がやられます。心安らぐ事はないと思います。人に言えない事だと思いますが、人に話して行く事が、大事なんではないかと思うのです。それで心の重荷が少しでも軽くなるならです。でも本当に恐ろしい事を経験すると人に、話したくなくなるのかも知れないのです。何にもならない戦争は起こさない事です。みんな一人一人体と心を持った人間です。それがいとも簡単に、全部にぎりつぶされるのです。
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一億特攻への道。

2024-08-18 10:04:32 | 日記
NHK放送です。全国各地で4千人以上が特攻で亡くなっていました。先生が加担しているので、みんな戦争に方棒をかつがされていました。軍に統治されて、いやだとも言えず、また反対する人もいず、国民全体が戦争に加担していったのです。1944年から1945年8月まで特攻続けていました。飛行機の特攻も練習があまり出来ず、飛び立っていくのです。特攻に行く事を熱望しているか、書かされるのです。行くたくなくても熱望とかかなければならない、現実もありました。飛行機専門でやってきている腕のある人達は外されるのです。本当に腕のある人達は生き残れて、話を聞く事が出来ました。勝てる戦争ではないので、もっと早くに降伏していたら、あのような原爆投下にもならなかったと思っています。1945年5月位から戦争終結に向けた話が出ているのですが、進まず原爆投下の日を迎えてしまうのです。国民をこれ以上犠牲にしたくないので、私達はどうなってもいいので、降伏しますと軍または天皇陛下は、言えなかったのでしょうか。国民総犠牲になっても良いと考えている国家です。テレビでは戦争に熱狂していた時代と言っていました。間違った道を行っているのに、誰も違うとは言えない時代だったと思います。体当たりする特攻の方々を、まるで部品の一部のように考えていたんですね。夢も希望も奪われました。どのような気持ちで行ったかと思うと、また今はアメリカから映像を取り寄せて、アメリカの空母めがけて突っ込んでいく映像を見れるので、凄まじい光景になっています。映画のワンシーンを見るようです。映画のワンシーンならよいのですが、これが現実に起きている事なんだと思うと切なくなってきます。
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従軍写真が託した1千枚の写真。

2024-08-17 20:20:47 | 日記
全部NHKの放送です。オランダ人の方が、日本の硫黄島での戦争写真を撮り続けていました。子供には見せられないような、むごい写真もありました。戦国時代のようでした。敵、味方に加担した取りかたではなく、事実を映していました。その方のお孫さんに託されて、80年ぶりに写真が公開されたのです。敗戦直後の写真もあります。慰安婦施設を政府が作りアメリカ人と姓交渉をさせていたのです。その写真もありました。日本全国に慰安婦施設が出来たのです。お金に困っていた女性に手をさしのべたような感じですが、もっと違うやり方で女性を救って欲しかったです。ロシア人にも女性を、差し出して、女性が我慢して犠牲になっていた事は聞いた事があります。性病が蔓延して、廃止になっていく所が多くありました。でもこの写真が撮れていたおかげで、真実が次々と明らかになってきたのです。アメリカ人ではなくてオランダ人の方だったので、公平な見方が出来たのではないかと思っています。これからまたNHKの放送がありますので、見ます。特攻隊で戦死した方々の放送を見ていると、私が歌にした伊達千恵子さんと穴沢少尉さんの事が出てきます。知覧の特攻隊の展示施設に手紙があるようです。二人の事を歌った「婚約者の残したもの」この曲を歌いたくなってくるのです。
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特攻訓練の基地となった島。

2024-08-17 08:39:17 | 日記
NHKで放送されていました。瀬戸内海に浮かぶ島、大津島が特攻訓練の基地となっていました。人間魚雷なんです。前に飛行機の特攻の他にも潜水の魚雷があったんだとは聞いていましたが、本当だったんだとお思いました。飛行機の特攻と同じで、体当たりして自決すると言う悲しい事を海の中でも行っていたのです。島民には気づかれないように2メートル位の高さの防波堤を作って、練習していたようです。日本は島国であの当時、今のようなパソコンがある訳ではないので、情報が入らないので、国の言われたとうりになっていますが、ヨーロッパであれば地続きなんで、情報も入ってくるだろうし、他の国にも逃げやすいのではないかと思ってしまいます。島国の為、終戦後、東京湾浅瀬に、金塊を隠していました。貧乏で、何もお金がないんだろうと思っていたら、金塊を隠していました。数兆円になると言っていました。そしてその他にも、宝石類を隠していたようなんです。アメリカ人が持ち逃げして12人が捕まっています。何もお金がなかった訳ではなかったのです。島国の為輸入が困難だったのではないかと思っています。撃沈されたりする可能性が高い為です。だからものが輸入出来ず、ためていたのではないかと思ってくるのです。東京湾浅瀬に金塊を隠していた事を、知っている日本人軍関係者が教えて、罪を軽くして貰っているようなんです。
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絶望の空の下で。

2024-08-16 21:22:43 | 日記
NHKで放送されていました。戦争当時女学生が飛行機の製造をさせられていました。12時間労働や、深夜労働までさせて寝る事が出来なくなっていました。覚せい剤のヒロポンまで飲ませられて、仕事をさせられていました。体調崩していました。その工場めがけて飛行機から爆弾を落としていました。敵にはみんなどこに何があるかは分かられていました。女学生達がたくさん亡くなっていました。サイパンが国防権の要衝だった為、沖縄戦の前にアメリカ軍に制覇されていました。グアム島の近くの島で沖縄の10分の一位の島だそうです。日本兵は中国に取られていて、誰も助けに来なく、軍は女、子供は玉砕して貰いたいと思っていました。自決の事です。捕虜には絶対なるなと軍から言われ、最後まで逃げなさい、自分の命を大事にしなさいなんて言う人は誰もいない国になっていました。捕虜になると、アメリカ人に強姦されて、ブルトザーに牽かれて、亡くなる運命だと聞かされていました。だから誰も捕虜にならなかったのです。アメリカ軍も、日本語のビラを配り、投稿を呼び掛けていました。命は保証すると言うのです。両親と3人でジャングルに逃げていた14歳の中学生は、両親を目の前で殺されていました。でも投稿した事で助かっていました。みんな自決して、波打ち際には死体がたくさん押し寄せて、夜になると黒光りする遺体を眺めて、自分も時間の問題でそうなると思っていたそうです。今回は本人が、日記や手紙に残して、書いてあって、本当の事が知れました。14歳の中学生は日本に帰って来れて良かったです。今年93歳で亡くなったていました。孫やひ孫もいました。戦争になったら、この国は守ってくれない所か、死んで貰いたいと思っていた事が良く分かりました。女、子供が足手まといなんですわね。玉砕して貰いたいと軍の幹部が言っていました。末恐ろしい国になっていたのです。これがこの国の実態なんで、戦争は絶対起こしてはならない事です。みんなアメリカ軍に、投稿すれば良かったのに、命は助かっていたと思うのです。こんなにもたくさんの人達が軍の命令が正しいと思って、それに従い、命を落とさなくても良かったのにと思うのです。集団心理が働くのでしょうか。集団心理に逆らうと言う選択もあるのです。戦争がいったん起こるとこのような地獄の結果になってしまいます。サイパンには今もなお遺骨がたくさん眠っています。遺骨をまだ持ってきていないのです。
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