久代の日記

音楽、矯正治療のこと、日々のこと等

1万人の被爆者が運ばれた島。

2024-08-10 08:38:52 | 日記
NHKで放送されていました。広島から9キロ離れた所に似島があるのです。軍の検疫所でした。病原菌の拡散を防ぐ為、帰還する将兵を検査する施設でした。戦況が悪化すると1944年4月からはほとんど将兵が来なくなっていました。5千人ほどの衛生材料があり、150人ほどが駐在していました。医者も衛生兵もいたそうです。広島に原子爆弾が落ちたその日、軍より連絡あって船で負傷した人達を迎えに行って、似島まで連れてきて治療していました。船と言っても、つり船を広くした屋根なしの船です。1万人位来ています。みんな瀕死の状態で、1日~2日で亡くなって行く人がほとんどでした。ガス壊疽になっている人が多く、切断した手や足を窓に捨てていたと言うのです。しまいには一杯になり、まど枠の上にまで積み重ねられていたそうなんです。当時の絵が残っているのです。地獄絵ですね。みんなやけただれていて服は焼け肉は焼かれて、体で男女の区別がつく位だったそうです。そしてみんな水を下さいと言うのです。衛生兵が生き残れる人には水をやらないで下さいと島民に行っていたそうです。当時10歳だった人がそう証言しています。水をやるとありがとうと言って亡くなっていくそうです。死んだ軍馬を焼く焼却炉があってそこで、遺体を焼いていたそうですが、あまりにもたくさんの人達なので、間にあわず穴を掘って焼いたり、戦後ご遺体の骨がたくさん出てきていました。20日間、似島にいて、広島に戻れた人は500人だったそうです。初めて知れた事でした。昨日は長崎に原爆が落とされて日でした。二度と同じ過ちを、起こさないようにと祈るばかりです。
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