久代の日記

音楽、矯正治療のこと、日々のこと等

ドキュメンタリー。

2024-08-09 16:46:53 | 日記
広島での原爆の日を、学校の先生が先生の単独判断で学校を休みにしていた為、家にいて助かった人のお話しでした。夏休みのはずが、中学生達がが学校に行き、倒壊した木造の家をみんなの力で運んでいたんですね。先生は広島は軍事施設が多いのにあまり被害がない事に不安を感じ、何か起こるのではないかと感が働いたようなんです。8月6日の前後休みにしていました。他の先生と言い争いになっていたようなんですが、非国民と言われてもいいと言われ、中学2年生達を休みにしていました。広島の記念館に先生が書いた手帳が残されてあり、みんな書かれてありました。学校にいた1年生達300人位はほとんど亡くなっていました。学校にいたら亡くなっていたんですね。先生のおかげで生きていると言われていました。子供達を守った先生です。1年生で一人助かっている人がいました。みんな校舎の下敷きになり、身動き取れず、煙の臭いで死を悟り、校歌を合唱していたとの事でした。生き残った方はその事を語り部として話していたそうなんでが、亡くなっています。今92歳にして家にいて助かったその方は、最後語り部として話しています。いままでは原爆ドームをみる事もいやで、崩れてくれればいいのにと思っていたそうです。そして原爆資料館に行っても気分が悪くなって出てきたと言われていました。当時の事思い出すと辛いものがあるんでしょうね。92歳でも合唱部に入っていて、とても綺麗な声の方なんです。亡くなった人達の思いが声に込められているような感じがしました。
コメント
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