久代の日記

音楽、矯正治療のこと、日々のこと等

ありがとうございました。

2017-12-31 11:22:11 | 日記
本年も私の歌を聴いて下さってありがとうございました。来年もよろしくお願い致します。年賀状をやっと書いて出してきました。6枚です。高校の同級生がほとんどです。私は働きに行っているのですが、家族が働いていなくずっと家にいる為、灯油代がかかり過ぎて、私も家にいる時は倹約していなければならないのです。温度の設定を15度にしてフアンヒーターの前にいます。温度を20度にしていると燃費が早いのです。冬は灯油代に苦しめられています。私以外家にいるからです。みんなが働いていれば、こんなにかからないのにと思ってしまいます。
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ドキュメント。

2017-12-25 16:24:20 | 日記
似顔絵セラピーを放送していました。闘病中の病院に出向いて行って、その方の好きな事を聞いたり、引き出したりして、絵の中にも盛り込んでいました。色がとても綺麗な、色彩を使うので、明るく綺麗なものに仕上がっていました。自分が書かれている絵をみて癒されたり、なごんだりしていました。退院した方もみんな家に飾ってありました。病気で闘病中の自分の似顔絵を見る事にも勇気が入りますが、健康な時を想像して書かれていました。みんな素敵に仕上がっていました。入院はしたくありませんが、私も書いて貰いたくなってきました。
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えん罪。

2017-12-22 21:06:12 | 日記
NHKで放送されていました。20年獄中で過ごしえん罪だった女性でした。車からの火災で女性の子供が亡くなっていました。子供に学資保険をかけていて保険金目的での放火だと言われていましたが、確か、内縁の夫がいて夫と共謀したのではないかと疑われて二人で捕まっていたと思います。火災の状況の実験をしていて、それで故意ではなかったと分かったようです。自分の娘を殺したと言われて20年も刑務所に入ってきているので、20年間の時を奪われているので、この世界に戻ってきてもすぐ適応出来なくなっています。時が止まっていると言う感じです。えん罪で罪のない人が20年も囚われている事も事実です。20年間と娘を返してくれと言う感じになってきます。内縁の夫がいなかったならまた違っていたのではないかと思ってしまいます。亡くなった子供が好きだった色の服を着ていました。子供を失ったショックと獄中がセットで来る事も厳しいですね。
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キンスマ。

2017-12-18 16:32:43 | 日記
山中教授が日野原先生の事をお話になっていました。医学会の神様のような人だと言われていました。東京オリンピックが見たいと言われていましたが、105歳で召されてしまいました。日野原先生が亡くなる寸前に最後の言葉を残されていきまして、それが本になって25万枚のベストセラーになっているそうです。山中教授はみんなに読んで貰いたいと言われていました。3ケの言葉を残されています。迷ったら遠くを見つめる、人の為に尽くす、前を見つめて進むと言う内容でした。聖路加国際病院を立て直す時、大分反対に合われていました。広い待合室と礼拝同があって、壁には酸素と吸引が設備されているのです。だから地下鉄サリン事件の時多くの傷ついた人々を受け入れる事が出来たのです。その日のすべての外来を中止にして、すべての職員を動員していました。640人を受け入れて治療していました。カルテがなくて、手作りのものを、患者さんの首にかけていたそうです。休みの職員も来てくれて、1200人態勢であたっていたそうです。この時日野原先生が、陣頭指揮を執っていたそうです。東京の大空襲で病院に入れなく亡くなっていった人達を見ているからこそ、広くして受け入れる人を多くしたいと言う思いが込められていて、ほんとうに大きく作っていて良かったんだと思います。聖路加国際病院見てみたいものです。日野原先生は心が広くて、人類愛に満ちた人だと思いました。赤軍派によるよど号事件でも飛行機に乗っていて、事件に合われていました。一回死んだ命だと言われていました。冥福をお祈りしています。
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ミスターサンデー。

2017-12-07 17:34:50 | 日記
平成版永山則夫のような事件でした。子供を育てられない母親で、学校にまったく行かせず、ホームレスに近いような状態になっていて、子供を置いてかけ事に行っているような母親でした。その内同居している男との間に女の子が生まれるんです。男の子が妹の世話をしていました。男の子は図書館で生活保護の事を知るのです。母親に伝え生活保護になりました。その時市が動いて男の子を育てられない母親とみなされて、児童相談所が動くのですが、母親に断られて、引き離す事が出来なかったのです。法律を変えないと、事件がふたたび起きてしまいます。児童相談所が判断した場合、母親から引き離すと言う形の法律に変えない限り、このような悲しい事件は何度でも起こるんだと思います。一緒に暮していた男の人も、母親の金の使い方がはんぱではないと家を出て行きました。パチンコをしたりで、働かないのです。男の子を働きに出していました。親戚中にお金を借りて、遊んでいるのでは、お金がいくらあっても足りません。男の子に自分の両親を殺させてお金を奪っていたのです。母親からの指示でやったと言っていました。17歳の時です。友達も一人もいなく、母親しかいなかったのです。せめて学校に行けていたなら、先生に相談すると言う手もあったでしょうが、まったく行っていないので、人との関わりがないのです。誰か相談出来る相手が一人でもいたなら違っていたんだと思います。懲役15年の判決が出て、母親は4年と6ケ月の判決でした。納得出来ない判決になっていました。でも普通の祖父母ならこんな生活をしている娘から子供を連れてきて育てると言う考えにならなかったのでしょうか。そこの所は何も触れていませんでした。母親が子供を育てないと言う事はその両親からも育てられていなかったではないかと思っています。この子には嘆願書でも出して刑を軽くしてあげたいです。母親の刑をもっと重くしないと、納得出来ない判決となっていました。でも小学生に上がる時、学校に行かなければならない子が行っていない場合学校側も探すはずですよね。そこの所が良く分からないのですが、出生届を出していないんですかね。
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