6月30日の中日新聞朝刊記事からです。名古屋城天守閣の木造復元問題、市長は2020年7月までの復元再建を断念しましたが、6月議会でのこの木造復元基本設計費などの関連予算案を継続審査として、計画は事実上の白紙となったとのこと。
記事。
テレビの夕方ニュースでは、議会側と市長とが歩み寄り、という表現をしているところもありましたが、とりあえず対立の構図だけは解消したわけですね。
この記事にもありましたが、名古屋城における諸費用は、天守閣だけではなく、石垣の調査、さらに補修部分が見つかった場合のその工費もねん出しなければなりません。
天守閣木造復元再建は賛意があっても慎重論が根強いです。
まずは水入りで、2026年もしくは2027年の目標としようとするもの。
この目標年というものは、アジア大会とリニア中央新幹線開通。
関連する弊ブログ記事にコメントを頂きましたが、木造復元にそんな「〇〇に合わせる」という発想は必要なのか、という疑問が呈されました。
全くその通りで、天守閣木造復元が必要なら、粛々と行うがよろしいです。
何かしらの言い訳を付けるのは、辞任された前東京都知事のようです。
天守閣は、現在の昭和34年完工のコンクリート天守閣も、建物自体が老朽化で、耐震補強工事が必要です。
ですので、小規模な修繕を行ってもこの先大規模な修繕、もしくは建て直しが必要になってきます。
どこかで費用がかかるものであれば、この際、建築当時の姿のまま、木造で建て直そう、というもの。
徳川時代の天守閣は、建築以来340年風雪に耐え、現代に伝わってきました。
しかし、昭和20年5月、米軍の空襲により炎上してしまい、天守閣は失われてしまいました。
歴史に「もしも」は禁物ですが、仮に天守閣がそのまま残っておれば、大きな名所になっていたことかと思います。
犬山城を見ているとそんな感じがひしひしと。
記事。
テレビの夕方ニュースでは、議会側と市長とが歩み寄り、という表現をしているところもありましたが、とりあえず対立の構図だけは解消したわけですね。
この記事にもありましたが、名古屋城における諸費用は、天守閣だけではなく、石垣の調査、さらに補修部分が見つかった場合のその工費もねん出しなければなりません。
天守閣木造復元再建は賛意があっても慎重論が根強いです。
まずは水入りで、2026年もしくは2027年の目標としようとするもの。
この目標年というものは、アジア大会とリニア中央新幹線開通。
関連する弊ブログ記事にコメントを頂きましたが、木造復元にそんな「〇〇に合わせる」という発想は必要なのか、という疑問が呈されました。
全くその通りで、天守閣木造復元が必要なら、粛々と行うがよろしいです。
何かしらの言い訳を付けるのは、辞任された前東京都知事のようです。
天守閣は、現在の昭和34年完工のコンクリート天守閣も、建物自体が老朽化で、耐震補強工事が必要です。
ですので、小規模な修繕を行ってもこの先大規模な修繕、もしくは建て直しが必要になってきます。
どこかで費用がかかるものであれば、この際、建築当時の姿のまま、木造で建て直そう、というもの。
徳川時代の天守閣は、建築以来340年風雪に耐え、現代に伝わってきました。
しかし、昭和20年5月、米軍の空襲により炎上してしまい、天守閣は失われてしまいました。
歴史に「もしも」は禁物ですが、仮に天守閣がそのまま残っておれば、大きな名所になっていたことかと思います。
犬山城を見ているとそんな感じがひしひしと。
そうですね、明治維新で各地のお城が取り壊され、「〇〇城跡」というものがありますので、戦争で焼けました、でも通用しそうですが、お城というものは、ゼニカネでは測れない大きな心の拠り所です。
名古屋城天守閣は、戦争で失われましたが、戦争も戦争ですが、失った名古屋市民のショックは大きく、民間からの寄付を募ってできたのが今の天守閣。
熊本地震で大変な姿になった熊本城も、大変な姿ながら夜のライトアップが再開され、復興への大きな力になった、との知人の熊本市民のお話です。
天守閣だけが城ではないと思いますので