昨日の信濃毎日新聞、並びに本日の中日新聞長野版、いずれもweb版記事からです。長野県松本市の有名な観光地「上高地」。ここの途中にある沢渡(さわんど)にナショナルパークゲートを設け、ここで環境へのレクチャーを受け、上高地へのバスに乗り換える施設が19日、本格開所したそうです。
信毎→http://www.shinmai.co.jp/news/20130419/KT130419ASI000001000.php
中日→http://www.chunichi.co.jp/article/nagano/20130420/CK2013042002000005.html
大正池で立ち枯れとなった景色など、自然が宝庫のこの場所は、環境保護のために自家用車の乗り入れ禁止となっています。しかし観光客に着いてくる外来植物の種などが上高地の生態系を変化させてもおり、また相変わらず高山植物を採取して持ち帰る人もいて、マナーの低下が叫ばれています。
そのために、国立公園であるこの場に入るのに、何らかのレクチャーが必要とのことで、そして外来種の持ち込み防止で、上高地行きバスに乗る前に、消毒マットの上を通るのだそうで、そういった施設が昨日19日に開所したという事です。
建物は国産材90%の木造平屋約1000平米。ここに上記の自然・環境を訴えるパネルの他、約3分間の映像、そしてバス乗る前の消毒マットを設置。施設自体は昨年完成していて試験運用を経て、今年から本格運用です。
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上高地へはマイカーではこの沢渡に駐車場が設けられ、以降はシャトルバスに乗るようになっています。今回のこのナショナルゲートもマイカー対策かと思いきや、なんと路線バスのお客も対象とのこと。ここを通る路線バスは、松本~新島々~上高地間の路線があります。中日記事では「原則的に、路線バスや自家用車の利用者は施設で下車し、シャトルバスやタクシーに乗り換えて上高地に入る。」とあり、路線バスでは通しでは乗れなくなりそうです。
何か不便やなぁ。趣旨は分かりますが、バスの運行をここで終え、そして環境レクチャーを受けて消毒マットを通り、そしてシャトルバスに乗るのは、どんなものだろう。私は面倒です。
何かこうして書くと自然を軽んじているように読み取れますが、そもそも自然保護というものは優しいものではないことを知っているからです。上高地は焼岳の火山活動で出来た大正池、穂高岳から崩れ落ちた扇状地のなだらかな地形。そして高山性の植物が織り成す素晴らしいところです。しかしこれらは火山活動なり造山運動なり、一度起これば大きな自然災害を伴うもの。
そうした自然の活動を承知の上で、今の綺麗な上高地があることを知ってほしいものです。外来種だのというのは人が出入りすれば当然起きるもので、沢渡に設けず、上高地内の各バス停に置けば宜しい。それでも外来種が気になれば、尾瀬沼のように交通機関を一切無い状態にして、登山装備が出来る人のみに入山を許す考え方もあります。
交通機関が発達し、道路が発達して自動車で気軽に来られるようになれば、不心得者も多くなります。今でこそ上高地はマイカーの乗り入れが禁止されていますが、それまではペット同伴で来ていた方が多かったそうですね。ペット同伴はマイカーだからこそ出来るもので、高速道路のSAではよく見かけます。
それ自体は微笑ましいですけど、目的毎の場所柄をわきまえたいものです。
私、上高地へは行った事がないですが、釜トンネルが改良されたのですか。
地図を見るのは大好きで、新たに長いトンネル記号がありますね。
1980年代から観光バスの高床化が図られる中、標準床、そして屋根も低いままの仕様も根強い需要があります。
通称「上高地仕様」とも言われ、中部縦貫道開通前の安房峠・平湯峠越など、あちら方面でも走れるほどのWBが短い車両が、結構需要があったようです。
道路が改良された今、却ってそこを通る自動車の増大ゆえ、マイカー規制とは皮肉な話です。
もう30年以上前、小学生の頃に家族旅行で行ったのが唯一です。
松本まで行き、松本電鉄に乗りかえ、新島々で松電バスに乗りかえて、どのくらい時間がかかったかなあ。
そのくらい遠い場所という印象がありました、
両親の若いころは、名古屋方面からだと薮原からのバスで行っていたとか。
環境問題とまるで関係のない話で失礼しました。
本文で松本からのバスと書いてしまいましたけど、正確には新島々駅からのバスですね。
松電(現:あるピコ)は電車並行区間のバス路線は設定しませんでした。
御両親が乗られたという、薮原からのバスは、おんたけ交通ですね。
実は、上高地へ至る路線バスは、木曽福島駅からのおんたけ交通が一番最初でした。
おんたけ交通の社史にそのような記述があった記憶で、次第に首都圏からの乗り込みに便利な、松本からのルートが多くなったそうです。
おんたけ交通の上高地線は、木曽福島駅午前3時台発もありました。
名古屋・大阪からの夜行列車接続で、上高地へ着くと朝6時頃で、登山に便利でした。
わが青春時代の1ページだ。
薮原からガードをくぐり抜けて、野麦のほうに行くと山また山の中を行くが、こんな細い山道をよく走ったものだ。
あのころのおんたけ交通には、襟持というかプライドがあったように思う。