mitakeつれづれなる抄

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西村同門会研究能

2009年03月31日 | 能楽

 3月29日は名古屋能楽堂で、能ワキ方高安流の西村同門会研究能があり、拝見致しました。「研究能」というのは、能楽の演者側から普段は上演の機会が訪れにくい稀曲や習い物といった曲を上演し、自らの研鑚を高めるという趣旨で行われる能です。

 今回の西村同門会は、ワキ高安流、故西村欽也先生門下の飯富先生が主宰する会で、現在の高安流宗家は故西村欽也先生の甥にあたり、西村先生も現宗家もこの名古屋を地盤として活動していることから、この名古屋能楽堂での上演ということでしょうか。

 さて、今回の西村同門会研究能は第四回目。ワキ方が活躍したりワキの習い物となっている曲のほか、大鼓の大倉流筧先生が主宰する、伝統文化こども能楽教室の発表会や学生仕舞と狂言も交えての能会でした。いわゆる玄人による曲は次の通り。

 能:咸陽宮(シテ方・宝生流)
 仕舞:羅生門
 仕舞:蟻通
 素謡:羽衣
 能:松山鏡(シテ方・喜多流)

 咸陽宮は泰時代の王宮のことで、始皇帝を討とうと諮る燕の国刺客二人は咸陽宮へ辿りつき、隠し持った刃で皇帝を討ったものの、皇帝は最後に琴の音が聞きたいと言い、その琴の音で二人の刺客は気を許した隙に、皇帝は逃げ出して刺客二人も逆に捕らえられる、というお話です。

 登場人物が多いですね。シテの皇帝、ツレは琴の音を聴かす花陽夫人に待女二人、ワキは刺客の一人荊軻とワキツレで秦舞陽、そしてさらにワキツレで皇帝側近の大臣三人で、合計9人です。確かにこれ稀にしか上演しない稀曲で、これを拝見出来て良かったです。

 羅生門は珍しくシテの謡が無い曲で、しかもワキとしては習い物となっている曲です。蟻通は・・・すみません、勉強不足です。

 素謡羽衣は説明は要りませんね。シテとワキが共に高安流の先生で、地謡だけの二名と共に四名での地謡でした。ワキ方もしての方々と同様、普段の稽古では基礎をしっかりさせる為に謡や仕舞をやっているのですが、中々発表の場が無くて、そう言う意味でもこの研究能の意義は大変大きいですし、見者として私も大きな勉強です。

 松山鏡は、越後の国で娘(子方)が母の形見である鏡に映る姿を、亡くなった母が映っているのだと信じて追慕し、父(ワキ)は哀れになったある日、夢に母の亡霊(ツレ)が現れ話しているところへ地獄の閻魔の使い(シテ)が来て、母を地獄へと導こうとするものの、娘の功徳があって鏡に映る母の姿は菩薩さんであった、という内容です。

 シテの登場が非常に遅く最後の方です。ワキが活躍する能ですし、また子方(子供)の役が大変に重い、まさに稀曲の稀曲です。シテの登場時間が上演時間約1時間のうち最後の方10分もありませんので、多分この先、お素人さんの発表会では出されないと思います。(笑)

***
 今回の西村同門会研究能では、能の前に解説と共に装束を着ける様子が舞台上で紹介されました。咸陽宮の前ではワキツレの大臣を、松山鏡の前には子方とシテの喜多流長田先生の装束着けが紹介されました。

 松山鏡の前は実は一番狂言があり、その狂言の前に装束着けの実演が行われました。長田驍先生、楽しい方ですしサービス精神いっぱい。自ら能舞台から降りて、装束の重さを実際にお客さんに持ってもらって、重さを実感してもらおうと客席を廻られました。また装束着けでは特殊な糸を用いまして、これは能楽師の修行で実際に糸を撚るのだそうです。これが出来るようになるまで四年はかかるといいます。また松山鏡で用いられる能面も実際に見てもらい、顔にもかけて頂いて視野の狭さを実感していただきました。能面は絶対に表面を触ってはいけないので、これは本当に珍しいくらいのサービスでした。

 私はいつもの通り中正面でして、こんなことなら正面席に座れば良かったと、今回に限っては中正面に座った事を悔いています。

 この西村同門会研究能は今回でもって最後との事です。今後は別の形で主宰する能を会際したいという、松山鏡を終えた後に飯富先生からの挨拶がありました。


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