木曽三川。広い濃尾平野は東よりも西の方は土地が低く、大きな川が三本も同じ様なところを流れています。木曽川を代表とする故に木曽三川と呼ばれ、かつては水害の常襲地帯である反面、肥沃な土地で農地にはうってつけ、古くから人の暮らしがありました。
暮らしがあり、そこを大河が流れているということは、渡し舟があったわけで、中日新聞2月2日付夕刊記事社会面、及び2月8日付朝刊県内版記事からです。
愛知県と岐阜県の県境を流れる木曽川と長良川、ここにある渡し舟四箇所が、今年3月末で廃止されることとなりました。四箇所といっても木曽川と長良川が中州を隔てて並行して流れており、一つの渡しで木曽川と長良川を渡りこれで二箇所、それが二つあるため合計四箇所というわけ。その四箇所の渡船。
- 日原渡船(木曽川) 愛知県愛西市塩田(旧八開村)~中州
- 日原渡船(長良川) 中州~岐阜県海津市海津町日原
- 葛木渡船(木曽川) 愛知県愛西市葛木町(旧立田村)~中州
- 森下渡船(長良川) 中州~岐阜県海津市海津町古中島
木曽川の日原渡船と葛木渡船は愛知県営長良川の日原渡船と森下渡船は岐阜県営。渡し舟という性格上、道路の一部とされ、日原渡船は愛知県道120号、岐阜県道117号の津島海津線、葛木渡船と森下渡船は愛知県道、岐阜県道いずれも119号の津島海津立田線の河川部分になります。
どこの渡し舟もそうですが、自動車交通が発達し、自動車が渡れる橋が架かれば当然そちらへ回ります。そして徒歩による交通も少なくなり、渡し舟は一つ又一つと消え、愛知県営の木曽川渡船は、この2箇所の他、一宮市と羽島市の間の中野渡船の合計3箇所のみとなりました。
愛知県営の日原と葛木の両渡船は今でも年間1000人ほどが利用しているとのことですが、その目的は岐阜県側との交通ではなく、殆どが観光ということだそうです。中州への生物観察が多いのだそうで。そのため昨年から運航日を水・土・日・祝日に限定したものの、昨秋に監査委員から支出に見合った効果が無いとされ、運航の継続が危ぶまれていました。
長良川の、つまり岐阜県側の二つの渡船はもっと深刻で、というより今まで情報が無かったのですが、年間で数十人らしい。年間で数十人!。実は岐阜県側の渡船は予約制で、予約がないと渡船場へ行っても船は待っていないのだそうだ。
つまり愛知県から岐阜県へ、又はその逆をこの渡し舟で渡ろうと思うなら、事前に予約が必要なのです。飛行機に乗るわけでなし、予約制になった時点で、事実上の渡し舟としての役割は終えたとみて宜しいのではないかと考えます。
2月2日夕刊の新聞記事。(クリックで拡大)
この愛知県営の日原渡船と葛木渡船が廃止されることで、愛西市の歴史名所をめぐるツアーが開催されるそうです。2月8日新聞記事。
上の新聞記事に渡し舟が写っていまして、その後ろは大きな堤防が。この堤防はこの辺り繰り返される水害で、明治20年代からヨハネス・デ・レーケによる近代的な治水対策が始まりました。そして昭和の工事で小山のような堤防が築かれました。そのため水面に下りても、遠くの高い養老の山が見えるだけで、細長い山の谷間にいるような感じです。以前はもっと低いところも見えたという話です。
そんな近代治水工事が始まる前はこの辺り、木曽川と長良川が同じ流れで、しかも支流が幾重にも流れ、渡し舟や徒歩(かち)渡りも各所にあったそうです。やがて人々の暮らしが変わり、風土も変わり、景色も変わる。時の移ろいと言えばその通りですが、歌にも詠われる機会の多い渡し舟、何処か寂しさを感じております。
4月以降は、木曽川は上で少し触れた、愛知県一宮市西中野~岐阜県羽島市下中町の「中野渡船」、長良川は岐阜県岐阜市鏡島~同県同市一日市場の「小紅渡船」がそれぞれ唯一の渡船となります。
葛木渡船、日原渡船の記事を書くにあたり参考にさせていただきました。日原渡船の記事に貴記事を紹介させていただきました。事後になってしまいましたがご承知いただきたく存じます。またお邪魔させていただきたく存じます。どうぞよろしくお願いいたします。
少し古い記事ですが、この程度の内容で、参考になればどうぞ。