一燈照隅

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神戸空港開港!?

2006年02月16日 | 時事問題
神戸空港が開港しました。
この空港は計画段階から反対の声が多くありました。
私が神戸担当していた頃は連日駅前で反対署名活動を見かけました。
環境の問題もありましたが一番の問題はやはり安全の問題です。

近くに関西国際空港と伊丹空港が有るなか三ノ宮沖に空港が出来て衝突が起きないのかと思います。
元々は関空が開港したら空港周辺の住民の航空騒音問題のため伊丹空港は廃港になるはずでした。地元もそれで納得していたはずです。 しかし、いざ関空の開港が近づくと伊丹空港を廃港にしたら地域の経済が落ち込むので今度は空港の存続を言い始めました。

関空だけなら神戸空港は有れば便利です。関空と伊丹空港が有るなら、神戸空港は要りません。そもそも今回のような空港が三つも出来たのはそれぞれの自治体と住民のエゴ によるところがあると思います。
神戸空港が開港してしまった以上航空事故だけは絶対に起きないように努力してほしいです。


関西3空港時代、開く 旅客や見物客らで活気 神戸空港開港
2006年 2月16日 (木) 16:22  産経新聞  

真新しい滑走路から一番機が飛び立ち、関西三空港時代の幕が開けた。十六日朝、開港した神戸空港。神戸と全国七都市とを結ぶフレッシュな空の玄関口は、午前中から旅客や見物客らで活気にあふれた。華々しい開港記念式典の傍らでは、構想から実に四十年を費やした歳月の重さをかみしめる関係者も。関西国際、大阪国際(伊丹)の両空港とのすみわけも課題となる中、新空港は、さまざまな思いを乗せた旅立ちとなった。


≪逆風続きの「40年」≫  
まだ高度経済成長期だった昭和四十一年に「関西新空港」の構想として飛び出した神戸空港の青写真。以降は、断念、再燃、さらには震災、反対運動と、地方空港として四十年後の開港に至るまでには文字通り紆余(うよ)曲折の歴史を踏んできた。  

騒音問題が深刻化していた大阪国際(伊丹)空港に代わる新空港の建設が模索された昭和四十年代、「神戸沖」は常に最有力と目されてきた。が、四十八年、当時の神戸市長選での対立構造を背景に、宮崎辰雄市長(故人)が「空港建設反対」を表明。後に宮崎氏は「一生の不覚」と悔いた。  

ところが、地元財界などからの強い要望を受ける形で、五十年代中ごろから空港建設への動きが再燃。旧運輸省は、空港建設を一度“袖にした”神戸に冷ややかだったが、平成三年になって、ようやく国の第六次空港整備五カ年計画で「予定事業」に組み入れられた。  

さらに、七年の阪神大震災をへて、空港の必要性を疑問視する反対運動が高まり、十年九月には、市民団体などが建設の是非を問う住民投票条例制定に向けた有効数約三十万人分もの署名を提出。条例案は市議会で否決されたが、神戸空港建設は、まさに逆風にさらされ続けた歴史だった。

≪神戸空港開港までの経緯≫  
昭和  41年5月 兵庫県、神戸市が淡路島北部に関西新空港構想を発表  
48年3月 宮崎辰雄神戸市長(当時)が10月の市長選をにらんで空港反対を表明  
49年8月 航空審議会が関西新空港について、泉州沖が最適と答申  
57年3月 兵庫県議会総務委員会が新空港建設促進の請願を採択  
平成  2年5月  神戸市が神戸空港基本計画を策定  
3年11月 第6次空港整備5カ年計画で予定事業に組み入れられる  
6年12月 国予算に「着工準備予算費」計上  
7年1月  阪神大震災  
9年2月  運輸相が飛行場設置許可  
10年9月 市民団体などが空港建設の是非を問う住民投票実現に向けて住民投票条例制定を求める署名簿を提出    
11月 神戸市議会が住民投票条例案を否決  
11年9月 着工  
18年2月 開港