一燈照隅

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韓国の地位をもっとも高めた歴代大統領は朴正熙

2005年11月30日 | 時事問題
「韓国の地位をもっとも高めた歴代大統領は朴正熙」 朝鮮日報  
国民10人のうち6人は、国際社会における韓国の地位を高めるうえでもっとも貢献した歴代大統領として、朴正熙(パク・ジョンヒ)元大統領を選んでいることが分かった。  
首相室傘下の「光復(独立)60周年記念事業・推進委員会」(委員長:韓相震(ハン・サンジン))が、韓国ギャラップ社に依頼して先月17日から来月4日まで1006人を対象に実施した「先進韓国の国民意識調査」の結果、「国際社会で韓国の地位向上にもっとも貢献した歴代大統領」(現大統領除外)として、全体回答者の58.7%が朴元大統領を選び、金大中(キム・デジュン)前大統領が37.6%と2位になった。  
全斗煥(チョン・ドゥファン/1.4%)、李承晩(イ・スンマン/1.1%)、盧泰愚(ノ・テウ)・金泳三(キム・ヨンサム/それぞれ0.3%)、尹普善(0.2%)元大統領は低い評価を受けた。  

分野別で、もっとも大きな業績を残した歴代大統領を質問する項目では、金大中前大統領が北朝鮮との関係改善(90.7%)、人権の改善(56.7%)、政治民主化(46.8%)、社会福祉(45.1%)など4つの分野で、朴正煕元大統領が、経済(87.1%)、国家安保(72.4%)の2分野で、もっとも高い評価を受けた。


韓国の地位をもっとも高めた大統領に朴正熙元大統領が選ばれました。 韓国の経済成長を表した「漢江の奇跡」の大統領です。
朴元大統領は日本統治時代は「高木正雄」と創氏改名し、日本の陸軍士官学校で学んで、戦時中は満州国軍少尉として八路軍(中国共産軍)討伐の指揮を執っていました。
1995年朝鮮日報が今回と同じ世論調査を行っています。 その時の結果が
1位 朴正熙大統領  67.3%
2位 金永三大統領   2.3%
3位 李承晩大統領   2.3%
4位 全斗煥大統領   1.2%


また朴大統領の業績として、55.9%が「経済発展」をあげています。
この経済発展に関して、朴大統領の軍事クーデターにソウル突入部隊の指揮官として参加、その後、軍事政権に参加した金潤根将軍が書いた本の中で次のように述べています。
「日本との国交再開と同時に、日本の中小企業が馬山とソウル九老洞の輸出工業団地にどっと移入し、工場を建設し生産活動を始め、雇用が増大すると共に、各種輸出商品の生産技術や生産管理技術を見習うことができた。
いまは漁船の乗り手がいなくなり衰退してしまったが、一時は韓国の遠洋漁船900余隻が世界5大洋に出漁していたものであった。これが出来たのは、日本の商社が中古漁船を延べ払い(販売代金を一定期間猶予すること)で提供してくれたからである。
60年代、韓国の企業が技術者の訓練を要請すれば、日本の企業は喜んで訓練させてくれたものだった。米国の技術者よりも、日本の技術の方が韓国人には習いやすかった。日本の技術がなかったならば、韓国の経済成長はもっと遅くなったであろう
「日韓共鳴二千年史」名越二荒助編 より


韓国政府は反日をすればするほど韓国にとってはマイナスになる事に気がつくべきでしょう。

偽造大国中国!

2005年11月30日 | Weblog
日本と中国との関係間マスコミの言葉を借りれば「政冷、経熱」と言われています。 経済界は生産工場や販売地を中国に求めているのと、中国が日本製品を求めているのと合致しているからです。 しかし経済界は、中国進出におけるリスクをもう少し考えるべきです。今の中国に進出してはたして国益になるのか。

偽造大国「中国」にどう対処すべきか?
~米国に倣って直ちに強硬策に出ないと手遅れに~
取り締まりを本気で実施した気配すらない“偽造天国”  

中国での偽造品の横行というのは、いやはや、とてつもない規模である。映画や音楽のビデオ、DVDから電動工具、計測器、医薬品、酒、種子まで、とにかくなにからなにまで偽物が出回っているのだ。私が北京に駐在した二年間にも、あらゆる製品の偽造、模造、変造のものすごい実態をいやというほど知らされた。  
私が中国在勤を終えて、ワシントンにもどったのが2001年だからそれから4年余りが過ぎた。だがそれ以後、中国での偽造品横行はますます勢いを強めていることをまた改めて知らされた。私が中国に住んでいるころから、この偽造品問題、つまり中国の知的財産所有権侵害は全世界的な関心を集め、中国政府へのごうごうたる非難がわきあがっていた。知的所有権侵害とは他者の持つ特許、商標、意匠、著作権などを勝手に盗む行為である。日本企業も当然、莫大な損害を受けることとなる。2000年ごろでも日本企業が受ける損失は年間8500億円とも推定されていた。  
しかも偽造品は人間の命をも危うくする。人間の体内に入る医薬品の偽物や、人間の安全にかかわる自動車の部品の偽物が出回るからである。  
当時、中国当局も国際的な非難に対応する形で新たな法律や規則を設けて、取り締まりを強めることを誓約した。しかしそれから4年以上、その取り締まりなるものの効果はなにもあがらず、中国ではあいかわらず、偽造品、模造品が大手を振って横行していることが報告されたのである。

以後の記事は下記アドレスからご覧下さい。


“外交弱小国”日本の安全保障を考える
~ワシントンからの報告~ 古森義久
http://nikkeibp.jp/sj2005/column/i/11/

靖国問題8つの常識

2005年11月29日 | 靖国神社
靖国問題8つの常識
定期購読しているメルマガ「国際派日本人養成講座」があります。
先日「靖国問題8つの常識」と言うタイトルで送られてきました。
以下に転載します。


■1.靖国問題の幕引き■  
10月17日、靖国神社の秋季例大祭に小泉首相が参拝し、中国・韓国からの批判が再燃したが、従来と比べてだいぶトーンダウンしている。岡崎久彦元駐タイ大使は、参拝直後にこう語っているが、事態はほぼ氏の予測通りに推移している。
もう少し重く、公式参拝、または公式参拝に近い形でも、日中関係、日韓関係に言葉による批判以上の実害はないという点では同じだと思う。・・・

言葉以上に何ができるかというと、若干の無害な交流の停止くらいはあるかもしれないが、大衆デモは到底できないと思う。そうであるなら、今後は毎年、参拝しても日中関係、日韓関係に言葉の批判以上の実害はなくなることが確定するはずだ。小泉首相でなくても誰でも参拝できる状況になるだろう。それが確定し、靖国問題の幕引きになれば、小泉首相の功績になるだろう。[1]

靖国参拝が中韓に実害を与えているわけではなく、単なる外交カードとして使っているだけなので、カードが無力である事が分かれば、この問題は自然に消滅する。しかし、外交問題としてはそれで良いが、靖国問題の根底には日本国民が歴史と文化の常識を喪失している、という重大な問題が横たわっている。

この点を、超速シリーズ50万部突破の超人気予備校講師・竹内睦泰氏が『日本・中国・韓国の歴史と問題点80』で説いている。氏がベストセラー受験参考書で見せた「超速」の語り口と、「誇りのもてる日本史を伝えたい」という志が結合して、およそ中韓との歴史・外交問題に関しては、この薄い一冊で用が足りてしまうという本が出来上がった。[2]


■2.常識その1:靖国参拝批判は世界で3カ国のみ■
第一の常識は、靖国参拝を公式に非難している国は、中国、韓国、北朝鮮の「反日3兄弟」だけだという点である。
実際のところ、「靖国神社参拝」に反対しているのは、世界でたった3カ国にすぎません。マスコミの「諸外国の反発」という書き方が国民を惑わせているのです。
外国の要人が靖国神社に参拝するのは珍しいことではありません。それどころかむしろその数は多いといえます。

「A級戦犯」合祀後に、靖国神社に参拝した要人がいる国は、世界で30数カ国に上ります。ロシアのエリツィン元 大統領(1990年参拝)をはじめとして、チベットのダライ・ラマ14世など、異教徒の方も参拝しています。

「アジア諸国は靖国神社参拝に反対」と報道されています が、2005年にインドネシアのユドヨノ大統領は「国のために戦った兵士をお参りするのは当然のことだと思う」と安倍晋三自民党元幹事長に語っています。[2,p36] このユドヨノ大統領の言葉が国際常識である。


■3.常識その2:国際社会は「A級戦犯」にはこだわっていない■
中韓の批判は靖国神社には「A級戦犯」が祀られている、と いう所にあるが、今時「A級戦犯」を云々しているのも中韓だけである。
「A級戦犯」の一人に重光葵がいる。東条内閣で外務大臣を務めたが、それ以前は駐ソ大使として張鼓峰事件の処理などを巡ってソ連外務省と激しいやりとりをし、東京裁判ではソ連が重光の起訴を最も強硬に要求したと言われている。
東京裁判で禁固7年の判決を受けて服役。昭和26(1951)年 に出獄後、昭和29(1954)年からの第一次鳩山一郎内閣では外務大臣を務め、昭和31(1956)年の日本の国連加盟の際には、外相として国連総会での演説も行っている。
「A級戦犯」が服役後、外務大臣となり、国連で演説した、という一事を持ってしても、国際社会が「A級戦犯」などにこだ わっていない事は明らかである。
そもそも近代の法理論から言えば、「刑は執行した時点で終了。死者を裁く法はない!」のである。[2,p50]


■4.常識その3:法なくして裁かれた「A級戦犯」■
「A級戦犯」というと本当の犯罪者のように考えてしまうが、これは誤りである。
A級とは「平和に関する罪」ということで、通常の捕虜虐待、民間人殺害などの戦争犯罪とは異なる。しかし、平和の罪とは何かを定めた法律などは、なかった。
[a] 近代法には「どのような行為が犯罪であり、その犯罪にどのような刑罰が加えられるかはあらかじめ法律によって明確に定められていなければならない」という「罪刑法定 主義」と呼ばれる原則があります。[2,p26]
たとえば、スピード制限表示のない道路をあなたが走っていていて、急に警察官に止められ、罰金を取られたとする。「この道路はスピード制限がないじゃないか」と抗議をして、警察官が「制限はないが、今のスピードはあきらかに交通安全を脅 かすもので、罰金ものだ」と答えたら、誰でもおかしいと思うだろう。スピード違反で罰金をとるには、制限速度は50キロで、10キロ超過したら5万円の罰金、などという法があらかじめなければならない、というのが「罪刑法定主義」である。
ちなみにサンフランシスコ講和会議でメキシコ代表は次のように東京裁判そのものに同意しない旨の発言を行っている。[b]
「われわれは、できることなら、本条項[講和条約第11条]が、連合国の戦争犯罪裁判の結果を正当化しつづけることを避けたかった。あの裁判の結果は、法の諸原則と必ずしも調和せず、特に法なければ罪なく、法なければ罰なしという近代文明の最も重要な原則、世界の全文明諸国の刑法典に採用されている原則と調和しないと、われわれは信ずる。」


■5.常識その4:国内法上、「A級戦犯」は存在しない■
さらに日本の国内法上は、「戦犯」は存在しない。
一部のマスコミは、1951年のサンフランシスコ平和条約において日本が「東京裁判」を認めたかのように報道しているようですが、これは間違っています。[2,p32] 条約第11条には東京裁判や連合国での「戦争犯罪法廷の裁判を受諾し、・・・これらの法廷が課した刑を執行するものとする」とある。
しかしこの「裁判を受諾し」というのは日本語原文のみの表現であり、英語原文では受諾したのは"Judgements"、すなわち「判決」である。仏語、スペイン語原文でも同様の表現になっている。これは日本政府が判決にしたがって、刑の執行を継続することであり、「裁判」全体、すなわちそのプロセスや判決理由についてまで同意したという意味ではない。[b]
昭和27年4月28日に平和条約が発効し、日本が独立を恢復すると、昭和30年にかけて、遺族援護法が成立し、敵国の 戦争裁判で刑死、獄死した人々の遺族にも、遺族年金や弔慰金が支給されるようになった。
その中心となったのは、堤テルヨという社会党の衆議院議員であった。堤議員は衆議院厚生委員会で「その英霊は靖国神社の中にさえも入れてもらえない」と遺族の嘆きを訴えた。堤議員の活躍が大きく貢献して、「占領中の敵国による軍事裁判で有罪と判決された人も、国内法的には罪人と見なさない」、という判断基準を含んだ法改正が与野党をあげて全会一致で可決された。[c]


本年11月25日にも、民主党の野田佳彦国対委員長が質問主意書で、極東国際軍事裁判に言及したサンフランシスコ講和条約 第十一条ならびにそれに基づいて行われた衆参合わせ四回に及ぶ国会決議と関係諸国の対応によって、A級・B級・C級すべての「戦犯」の名誉は法的に回復されている。
すなわち、「A級戦犯」と呼ばれた人たちは戦争犯罪人ではないのであって、戦争犯罪人が合祀されていることを理由に内閣総理大臣の靖国神社参拝に反対する論理はすでに破綻していると解釈できる。と述べ、これに対する政府答弁書でも「国内法上は戦犯は存在しない」と確認されている。[d]

※この政府答弁書は巧妙に書かれていて、処刑された人や刑死した人と釈放された人を分けています。これについては拙ブログを参照してください。
http://blog.goo.ne.jp/misky730/d/20051026


■6.常識その5:分祀しても、神様は増えるだけ■
中韓の批判を避けるために、「A級戦犯」を分祀(ぶんし)すべきだ、という主張があるが、これは神道を理解していない説だ。
祭神が新しい神社に祀られたとしても、元の神社にもしっかりと残るのが分祀。分祀すればするほど、東条英機が神様として増幅していきます。つまり、近隣諸国に配慮しよ うとしても、逆の結果を引き起こすことにしかならないわけです。
ちなみに、完全に引っ越すことは遷座(せんざ)といいますが、これもあくまで靖国神社が引っ越すだけで祭神は変わりません。第一、政教分離を唱えるのなら、政治家が宗教法人に意見をするべきではないでしょう。これは単なる政治の宗教介入であって、分祀を唱えている政治家こそが、政教分離に反していることになります。[2,p48]

■7.常識その6:靖国参拝は政教分離の原則に抵触しない■
政教分離の原則から、首相の靖国参拝に反対する議論がある。
ベストセラーになった『靖国問題』の著者・東京大学教授の高橋哲哉氏は「政経分離の原則からいえば、A級戦犯に関係なく首相が靖国に参拝することが問題だと思います」 と語っているが、アメリカの作った憲法に込められた「幻想」である政教分離をもって、日本人が日本の神社に参拝するのを否定するのはおかしいと思います。
アメリカ大統領は聖書に手を置いて宣誓します。英国女王はイギリス国教会の長です。政教分離を唱えるのなら、まずは憲法を押しつけたアメリカ・イギリスに疑問をなげかけるべきでしょう。[2,p23]
ちなみに以下に述べる「無宗教の国立追悼施設の建立」に関して、次のような注釈がある。
よくモデルとしてアメリカのアーリントン墓地が挙げられるが、これは無宗教ではなく、多宗教である。キリスト教、ユダヤ教、仏教、イスラム教、さらには天理教や金光教、生長の家の墓まである。[2,p46]
アーリントン国立墓地は約6万人の戦死軍人と無名戦死者および政府高官が埋葬されており、その入り口には、
Our Nations Most Sacrid Shrine
我が国でもっとも崇高な廟
とある。まさしく靖国神社と同じである。そこにアメリカ大統領が参拝しても、「政教分離の原則に反する」などとは誰も言わない。これが国際常識である。


■8.常識その7:国立追悼施設でも「A級戦犯」を除外できない■
朝日新聞の社説が、「無宗教の国立追悼施設の建立」を主張しています。
この提案は、靖国問題反対派が唱える対応策の一つ。靖国神社をつくって、「A級戦犯以外の英霊」を追悼すべきだという論です。[2,p46]
しかし、政府が国立の追悼施設を作って「A級戦犯」をはずすためには、すでに述べた「国内法的には罪人と見なさない」という法律が障害になる。罪人でないので、他の戦死者と分けて、追悼からはずす事はできない。
追悼からはずすためには、やはり「A級戦犯」は罪人である、という法を今更ながら、作りなおさねばならない。4千万人もの署名を集め、国会が全会一致で作った法律を、中韓が批判するから、という理由だけで変更するのだろうか? それでは民主政治とは言えないだろう。
さらに、それは国際法的にも批判されている東京裁判を、我が国が認めることになるのである。


■9.常識その8:靖国には全世界の戦没者を祀る鎮霊社がある■
靖国の境内には「鎮霊社」という神社があります。
あまり知られていませんが、ここでは国籍を問わず全世界のすべての戦没者を祀っています。つまり靖国神社とは、戦争によって命を奪われた人すべての魂を鎮めるために建 てられた社なのです。
戦争の悲惨さを知り、そして戦争の悲しみを一番知って いるからこそ、靖国神社は敷地内に鎮霊社を祀っています。これこそ、平和を希求している靖国神社の懐の深さであり、そこでは、死ねばみな「神」とされます。その「神」に「A級」だの「B級」だのという、人間世界での基準をあてはめること自体がおかしいのです。[1,p51]
こういう美しい日本人の死生観を守るためにも、中韓の「死者に鞭打つ」文化の干渉を許してはならないのである。 (文責:伊勢雅臣)






張作霖爆殺はソ連がやった?

2005年11月28日 | 大東亜戦争
昨日書店で春頃から話題になっていた「マオ・誰も知らなかった毛沢東」ユン・チアン著を見かけたので思わず立ち読みしてしまいました。(最近の書店にはちゃんとイスが用意してあって本を読めるようになってるので座り読みかな)

読んだのは上巻だけなのですが、立ち読みなのでうろ覚えですが、その中でエッ!と思うのがあって、それは、1928年(昭和3年)6月4日、張作霖爆殺事件はソ連がやって日本の仕業にしたと書いてあったところです。

ソ連情報機関の資料からスターリンの命令で、名前は忘れましたがその者が日本軍がやったように工作したと書いてありました。 張作霖爆殺事件は日本軍がやったと今も思われています。しかしこの本にはそのようには書いてなかったのです。

日本軍が行ったと言われるいわゆる南京虐殺事件ははっきりと30万人も虐殺したと書いてあったのに。(ただ著者は毛沢東が死ぬまで南京虐殺事件のことを一言も言わなかったのを不思議に思っていました) もしこの事が本当なら大変大きな発見になります。

「紅葉」日本の四季

2005年11月27日 | 日記
京都嵐山の天竜寺塔頭宝巖院 に行ってきました。 普段は公開していなくてこの季節だけの特別拝観です。
http://www.hogonin.jp/
嵐山は紅葉が綺麗です。また宝厳院の紅葉も見事でした。



渡月橋から


宝厳院 三尊石


すすきが逆行で綺麗だったので。




紅葉と苔の緑が綺麗でした。








紅葉のトンネルです。



人が多くて人を入れないで紅葉だけを写すのに苦労しました。
























自民党「人権擁護法案」通常国会に提出難しい。

2005年11月27日 | 人権擁護法案、外国人参政権
人権擁護法案が足踏み 来年国会提出も見通せず
2005年11月27日 (日) 17:23  

政府が今年の通常国会で提出を断念した人権擁護法案をめぐる政府、与党内の調整作業が足踏みしている。自民党内推進派の古賀誠元幹事長が党人権問題等調査会長を退いて「調整役」を失った上、杉浦正健法相が法案の大幅見直しの可能性を示唆、来年の通常国会への提出も見通せない状況だ。

同法案を推進する公明党は「次の国会で成立させるよう、自民党は意見集約を急ぐべきだ」と強く要求。しかし、自民党内では古賀氏が郵政民営化関連法案の7月衆院本会議採決で棄権し、その後党内での影響力を低下させた。衆院選後に古賀氏は調査会長を退き、後任には人権擁護法案とかかわりの薄かった鈴木俊一前環境相が就いた。


記事からすれば通常国会での提出は現時点では難しいというところでしょうか。
しかし今後どう動くか分かりません。自民党が提出しなくても、民主党の仙石由人が国会に提出するかもしれません。
逆差別や言論弾圧になる人権擁護法案の動きには注意していきましょう。

「週刊誌的天皇制」三島由紀夫

2005年11月26日 | Weblog
「週刊誌的天皇制」
「天皇と国民を現代感覚で結びつけようと言うことは小泉信三がやろうとして間違っちゃった。小泉信三は結局天皇制を民主化しようとしてやりすぎて週刊誌的天皇制にしちゃったわけですよ。そして結局国民と天皇との関係を論理的に作らなかった。というのは、ディグニティ(威厳)をなくすることによって国民とつなぐという考えが間違っているということを小泉さんは死ぬまで気がつかなかった。それでアメリカから変な女を呼んできて皇太子教育をさせたり・・・」

「小泉さんは、美智子さんのようなロマンティック・イメージで売り込めば人気がまた出るだろうというお考えだったようですが、あれは非常に禍根を残している。日本の天皇には、文化の全体を映す鏡としての大きな高いディグニティと誇りと崇高さが非常に失われてしまった。
…この点についても日本はまだまだ革新しなきゃならんことがある。天皇をただ政治概念としての天皇にもどして、戦前のように天皇制を利用した軍閥政治を復活するということじゃなしに、天皇を文化的概念の中心としてもう一度ディグニティを復活する方法はいろいろと考えられると私は思っている。一番具体的なことは宮内庁の役人の頭をかえることです。この役人たちは毎週週刊誌を見ちゃ、また美智子さまが載っていた、まだ国民は皇室を愛している、よかったと、胸をなでおろしている。これが宮内庁の役人です。」



皇太子妃殿下や敬宮内親王殿下に関する報道は野次馬的週刊誌報道です。皇太子妃殿下も皇室に入ったという自覚が足りないように思えます。

日本の技術はすごい!

2005年11月26日 | Weblog
“世界初”歓声上がる はやぶさ、岩石持ち帰り期待 JAXA

岩石標本採取のための弾丸発射が確認でき、ほっとした表情を見せる川口淳一郎教授(中央こちら向き)ら管制室のスタッフ=午前8時45分、神奈川県相模原市のJAXA宇宙科学研究本部(代表撮影)  

二十六日朝、小惑星の岩石採取という世界初のミッションに成功したとみられる「はやぶさ」。打ち上げから二年半、この日を待ちわびた宇宙航空研究開発機構(JAXA)職員の間からは、大きな歓声が上がった。  
岩石採取のための金属球が発射されたのが分かった午前八時四十分ごろ、JAXAの相模原キャンパス(神奈川県相模原市)の三階にある運用室では、はやぶさから送られてくるデータの解析作業が慎重に進められていた。  
JAXAの職員によると、金属球発射が確認された瞬間、職員からは「ワーッ」という歓声のような声が上がり、緊張した表情が崩れ、笑みがこぼれたという。  
続いて、プロジェクト責任者の川口淳一郎教授が「もう一度チャレンジできるぞ」と声を上げると、運用室は再び喜びの空気に包まれた。  世界初の快挙に専門家からも喜びや称賛の声が相次いだ。  
中村栄三・岡山大地球物質科学研究センター長(分析地球・宇宙化学)は「本当にすごい。はやぶさのチームは問題が生じても学習し解決しながら確実に前に進んだ。『よくここまでやった』と言いたい」と話す。  
「岩石試料を地球に持ち帰るのも大丈夫だろう。これまでに撮影した画像からみて、小惑星イトカワは表面がごつごつしており、衝突を繰り返してできた可能性がある。岩石を分析すれば小惑星ができた原因や衝突の年代などさまざまなことが分かるだろう」  
また、東京大学大学院の中須賀真一教授(宇宙工学)は「世界に誇れる画期的な大成功と思う。いくつかの難しい技術がすべて成功しないと実現できなかった。限られた予算、人員の中で、イオン噴射エンジンの長期間推進とスイングバイとの組み合わせや画像を使った自律航法による小惑星への接近など、難しい技術をやり遂げた。岩石試料が地球に届き、科学的な成果が得られることを祈る」と話していた。
【2005/11/26 大阪夕刊から】 (11/26 16:24)
JAXAはやぶさミッション
http://www.jaxa.jp/news_topics/vision_missions/solar/pages/hayabusa3_j.html

素晴らしい!
日本の技術はすごい!
イトカワに衛星を着陸させるのは、日本からブラジルを飛んでいるハエを撃ち落とすのと同じくらい難しいそうです。しかも2年間飛んでまた2年かけて地球に戻ってくる。無事帰って来ることを期待します。


「文化防衛論」三島由紀夫

2005年11月25日 | 日本の心
「文化防衛論」 三島由紀夫
「天皇の起原」林房雄著 より抜粋

「ただ文化を守れということでは非常にわかりにくい。文化、文化というと、それがお前自身の金儲けにつながっているからだろう―といわれるかもしれない。文化とは特殊な才能を持った人間が特殊な文化を作り出しているのだから、われわれには関係がない。必要があれば金で買えばいい、守る必要なんかない―と考える者もいるだろう。
しかし、文化とはそういうものではない。昔流に表現すれば、一人一人の心の中にある日本精神を守るということだ。しかし、その純粋な日本精神は、目に見えないものであり、形として示すことができないので、これを守れと言っても非常にむずかしい。
だから私は、文化というものを、そのようには考えない。文化は目に見える、形になった結果から判断していいのではないかと思う。したがって日本精神というものを知るためには、目に見えない、形のない古くさいものと考えずに、形のあるもの、目にふれるもので、日本の精神の現れであると思えるものを並べてみろ、そしてそれを端から端まで目を通してみろ、そうすれば自ら明らかとなる。そしてそれをどうしたら守れるか、どうやって守ればいいかを考えろ、というのである」


「歌舞伎、文楽なら守ってもいいが、サイケデリックや“おらは死んじまっただ”などという頽廃的な文化は弾圧しなければならない―というのは政治家の考えることだ。私はそうは考えない。古いもの必ずしも良いものではなく、新しいもの必ずしも悪いものではない。
江戸末期の歌舞伎狂言などには、現代よりもっと頽廃的なものがたくさんある。それらをひっくるめたものが日本文化であり、日本人の特性がよく表れているのである。日本精神というものの規準はここにある。しかしこれから外れたものは違うんだという規準はない。良いも悪いも、あるいは古かろうが新しかろうが、そこに現れているものが日本精神なのである。
したがってどんなに文化と関係ないと思っている人でも、文化と関係のない人間はいない。歌謡曲であれ浪花節であれ、それらが頽廃的であっても、そこには日本人の魂が入っているのである」


「日本人の色々な行動(例えば特攻隊の行動)について、日本人が考えることと、西洋人の評価とはかなり違っている。彼らから見ればいかにばかげたことであろうとも、日本人が立派だと思い、美しいと思うことはたくさんある。
西洋人から見てばからしいものは一切やめよう、西洋人から見て蒙昧なもの、グロテスクなもの、美しくないもの、不道徳なものは全部やめようじゃないか―というのが文明開化主義である。西洋人から見て浪花節は下品であり、特攻隊はばからしいもの、切腹は野蛮である、神道は無知単純だ、とそういうものを全部否定していったら、日本には何が残るか―何も残るものはない。
日本文化というものは西洋人の目から見て進んでいるとかおくれているとか判断できるものではない。……西洋の後に追いつくことが文化だと思ってきた誤りが、もうわかっていい頃だと思う」


「この文化論から出発して、“何を守るか”ということを考えなければならない。私はどうしても第一に、天皇陛下のことを考える。天皇陛下のことを言うと、すぐ右翼だとか何だとか言う人が多いが、憲法第1条に掲げてありながら、なぜ天皇のことを云々してはいけないのかと反論したい。
天皇を政治権力とくっつけたところに弊害があったのであるが、それも形として政治権力とくっつけたことは過去の歴史の中で何度かあった。しかし、天皇が独裁者であったことは一度もないのである。それをどうして、われわれは陛下を守ってはいけないのか、陛下に忠誠を誓ってはいけないのか、私にはその点がどうしても理解できない。
ところが陛下に忠誠をつくすことが、民主主義を裏切り、われわれ国民が主権をもっている国家を裏切るのだという左翼的な考えの人が多い。しかし天皇は日本の象徴であり、われわれ日本人の歴史、太古から連続してきている文化の象徴である。そういうものに忠誠をつくすことと同意のものであると私は考えている。
なぜなら、日本文化の歴史性、統一性、全体性の象徴であり、体現者であられるのが天皇なのである。日本文化を守ることは、天皇を守ることに帰着するのであるが、この文化の全体性をのこりなく救出し、政治的偏見にまどわされずに、『菊と刀』の文化をすべて統一体として守るには、言論の自由を保障する政体が必要で、共産主義政体が言論の自由を最終的に保障しないのは自明のことである」


「政府は、最後の場合には民衆に阿諛する事しか考えないであろう。世論はいつも民主社会における神だからである。われわれは民主社会における神である世論を否定し、最終的には大衆社会の持っているその非人間性を否定しようとするのである。」
「では、その少数者意識の行動の根拠は何であるか。それこそは、天皇である。われわれは天皇ということをいうときには、むしろ国民が天皇を根拠にすることが反時代的であるというような時代思潮を知りつつ、まさにその時代思潮の故に天皇を支持するのである」


「なぜなら、われわれの考える天皇とは、いかなる政治権力の象徴でもなく、それは一つの鏡のように、日本の文化の全体性と、連続性を映し出すものであり、このような全体性と連続性を映し出す天皇制を、終局的には破壊するような勢力に対しては、われわれの日本文化伝統をかけて戦わなければならないと信じているからである。」

「われわれは自民党を守るために闘うのでもなければ、民主主義社会を守るために闘うのでもない。……終局目標は天皇の護持であり、その天皇を終局的に否定するような政治勢力を、粉砕し、撃破し去ることでなければならない」




「憂国忌」

2005年11月25日 | 今日は何の日
今日11月25日は 昭和45年11月25日に市ヶ谷の自衛隊東部方面総監部で三島由紀夫と森田必勝が割腹自殺した日です。今年は35周年にあたります。今11月25日は「憂国忌」としています。
当時テレビのニュースで三島由紀夫が自衛隊員に向かって演説をしていたのを憶えています。この年は万博があり、連合赤軍による「よど号ハイジャック事件」もあり、今も記憶に残っています。


憂国忌趣意書  
三島由紀夫の思想と行動の意義は、日本人の心に静かに浸透し、理解されつつある。特に、戦後育ちの青年層への影響の強さには驚くべきものがある。 「憂国」とは何か?愛なきところには憂いはない。自己を、家族肉親を、国を、世界を、人類を愛し、その危機を予感する時、憂いは生れる。    

我々は人類を愛し、世界の危機を憂うる。ただし、この危機に対処するためには、諸国民はひとま ず国境の内側で立ち止まらなければならぬ。世界と人類は今日ではまだ具体としては存在せず、未来 に属する概念であり理想である。我々はおのれの生れ育った国の危機を解決して初めて世界と人類の 未来に通じる道を開くことができる。    

日本人にとっては、日本という国は生きた伝統と道統を持つ生きた統一体である。この国が亡びた ら、日本人の世界と人類への道は閉される、敗戦以来二十六年、日本の伝統・道徳・教育・思想・風 俗はひたすら亡びへの一路をたどりつつある。この頽落を見ぬいて、日本を愛するが故に日本を憂う る三島由紀夫の「憂国の思想と行動」が生れた。    

憂国の精神は、自己愛と肉親愛を超える。三島由紀夫はそれを行動で示した。この捨身と献身は日 本の誇るべき道統である。彼は生前、「自分の行動は二、三百年後でなければ理解されないだろう」 と書いたが、理解はすでに始まっている。理解者は日本人だけにかぎらず、外国人の中にもいる。そ れが世界と人類の未来への道を開く行動であるからだ。    

まず少数の理解者が彼の精神を想起し拡大する「憂国忌」に集まろう、「二、三百年後」という嘆 きを、五十年、十年後にちぢめて、三島由紀夫の魂を微笑せしめるために。  

事件直後の罵倒や中傷は、もはや口にする人もいなくなった。現在の日本が立たされている苦境のなかで、いったい祖国はどこへ行こうとしているのか、心ある人々は真剣に考えている。乱極まって治到る。事件当時に、ただ驚き混乱した人々も、三島由紀夫の行動が持つ深い意図を、自分の問題として考え直すようになってきた。    

三島君と森田青年は見事に留魂の行為を敢行した。彼らの魂はまさしく残って、日本を守っている。留魂は、三島君自身の言葉のとδリ、百年を単位に考えられなければならぬ。私共は百年後の日本を思いつつ、毎年この日に、神となった両君の志をしのぶ。  

彼らの志こそ、日本歴史を護リとδした多くの英霊の志に直結していることを知リ、自らの魂をきびしく鞭打つことによって日本の不滅を知る。  
現象と風俗の泡沫の彼方に日本の正しき進路を求め、行動の指針を探くさることが私共が年々憂国忌をくりかえすことの真目標である。

「日中記者交換協定」

2005年11月25日 | 時事問題
「台湾の声」から転載します。

件名:「台湾の声」【読者便り】日本のメディアが台湾を軽視する理由
          
「台湾の声」読者
「日中記者交換協定」というものがあります。
これは、事実上中国による検閲を認めるというものです。 中国が「敵視している」と言えば、日本のマスコミを封じ込める事ができます。中国に不利なあらゆる内容を報道させないようにする事が可能です。

台湾に対する中国の姿勢や、チベット、東トルキスタンにおける民族浄化など、一切の不都合な内容を報道しないのは、この協定があるからのようです。 また、この協定の存在を報道することもできないような姑息な内容となっています。この協定をなくさない限り、日本のマスコミが台湾のことを独立国として扱う事はないでしょう。

どうか、皆さんも世に知らしめて下さい。

「1964年4月19日の新聞記者交換会談メモ修正に関する取り決め事項と題する文書に調印した。これにより日中双方が新聞記者を交換するにあたり、日本側のマスメディアの報道に制約が課されることになった。三原則とは以下の三か条。

一、中国を敵視しない
二、二つの中国を造る陰謀に加わらない
三、日中国交正常化を妨げない


この政治三原則と政経不可分の原則に基づいて日中記者交換を維持しようとするもので、全くの中国ペースで決められた。日本側は記者を北京に派遣するにあたって、中国の意に反する報道を行わないことを約束したものであり、当時北京に常駐記者をおいていた朝日新聞など4社や今後北京に常駐を希望する報道各社にもこの文書を承認することが要求された。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E4%B8%AD%E8%A8%98%E8%80%85%E4%BA%A4%E6%8F%9B%E5%8D%94%E5%AE%9A


【参考】
日中記者交換協定 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
日中記者交換協定(にっちゅうこうかんきしゃきょうてい、日中双方の新聞記者の交換に関するメモ)とは、日中国交正常化前の1964年4月19日、LT貿易の為に訪中していた日本の自民党衆議院議員(当時。以下、肩書きは全て当時のもの)の松村謙三と、中日友好協会会長であった中国の廖承志との間に結ばれた協定。

この協定を基に高碕達之助、廖承志両事務所の代表者間で記者交換に関しての会談が行われ妥結された。協定は以下の通り。

1. 交換事務はLT両事務所(高碕、廖事務所)を窓口として連絡、処理する
2. 交換記者数は8名
3. 記者の安全保護
4. 取材活動の便宜供与
5. 通信自由の保証

1968年3月6日、LT貿易に替わり覚書貿易が制度化され、記者交換の実施につき、従来の9名からの5名への減員が取り決められ、1958年8月に訪中した社会党の佐多忠隆参議院議員に廖承志が周恩来総理、陳毅外交部長の代理として発言した公式見解
「日中関係の政治三原則」の適用が行なわれることになり、自民党の古井喜美衆議院議員と田川誠一衆議院議員が日中覚書貿易事務所代表として、中国側の中日備忘録貿易弁事処代表との間で「1964年4月19日の新聞記者交換会談メモ修正に関する取り決め事項」と題する文書に調印した。

これにより日中双方が新聞記者を交換するにあたり、日本側のマスメディアの報道に制約が課されることになった。三原則とは以下の三か条。

1. 中国を敵視しない
2. 二つの中国を造る陰謀に加わらない
3. 日中国交正常化を妨げない

この政治三原則と政経不可分の原則に基づいて日中記者交換を維持しようとするもので、当時日本新聞協会と中国新聞工作者協会との間で交渉が進められているにも関わらず、対中関係を改善しようとする政府・自民党によって頭ごなしに決められたという側面がある。

日本側は記者を北京に派遣するにあたって、中国の意に反する報道を行わないことを約束したものであり、当時北京に常駐記者をおいていた朝日新聞、読売新聞、毎日新聞、NHKなどや今後北京に常駐を希望する報道各社にもこの文書を承認することが要求された。以上の条文を厳守しない場合は中国に支社を置き記者を常駐させることを禁じられた。

『台湾の声』  http://www.emaga.com/info/3407.html
『日本之声』  http://groups.yahoo.com/group/nihonnokoe  


産経新聞以外、支那について事実であっても批判的記事をなぜ書かないのか。
記事のためなら魂も売るようです。
支那のマスコミにも同じ条件を出さなかったのか。

皇室典範に関する有識者会議報告書

2005年11月24日 | 皇室典範
皇室典範に関する有識者会議の報告書が総理に提出されました。 これはホームページで公開されているので読んでみようと思いましたが、最初からおかしな事を書いていたので途中で止めてしまいました。続きは明日読みます。

皇室典範に関する有識者会議報告書
http://www.kantei.go.jp/jp/singi/kousitu/houkoku/houkoku.html

〔皇 統〕 ・ 「皇統」とは歴代の天皇からつながる血統のこと。
血統とは何ですか。犬や猫と違います。人間は血筋と言うべきでしょう。

将来にわたり皇位継承を安定的に維持するための皇位継承制度
将来にわたり皇位継承を安定的に維持するのでなく、皇太子殿下の次の御代をどのようにすれば良いのかを検討する会議です。その先の将来のことまで決めるのは間違いです。

CPUクーラー交換

2005年11月24日 | 日記
今のパソコンに変えて約2年になりますが、 CPUクーラーの騒音が大きくうるさかったので昨日新しいのに変えました。

交換するときクーラーがCPUにくっついていて外れなくて、力任せに引っ張ったらクーラーにくっついたままCPUも一緒にはずれてしまったのです。またCPUとクーラーを外す時CPUを落としてしまい、CPUのピンが2本いがんでしまって一瞬顔面から血の気が引いてしまいました。・・・

しかし指の爪で何とか真っ直ぐにして新しいクーラーに付け替えてパソコンを元にして、祈るような気持ちでスイッチON!。

動かなかったら新しく買わなアカンと思っていたのですが、デスクトップの画面が出てきた時はホッとしました。
新しいCPUクーラーも今までと比べて物凄く静かで良い感じです。



「新嘗祭」

2005年11月23日 | 日本の文化
戦後11月23日は勤労感謝の日に変わりましたが、
それまで今日11月23日は「新嘗祭」でした。
新嘗祭は、天皇陛下がその年の新穀を諸々の神様に供え、天皇陛下自らも食される神人共食の感謝祭です。
新嘗祭は、天武天皇六年(678)十一月乙卯の日にとり行われたことが記載されています。

明治元年(1868)十一月十五日太政官布告第九六三号
皇国ノ稲穀ハ、天照大神顯見蒼生ノ食而可活モノナリト詔命アラセラレ、於天上狭田長田ニ令殖給ヒシ稲ヲ皇孫降臨ノ時下シ給ヘルモノナレハ、其神恩ヲ忘給ハス、且旱淋ノ憂無之様ニト、神武天皇以来世々ノ天皇、十一月中卯ノ日、當年ノ新穀ヲ天神地祇ニ供セラルル重礼ニテ、三千年ニ近ク被為行
當日ハ潔斎神祇ヲ拝シ、共ニ五穀豊熟天下太平ヲ神祇ニ祈奉ルヘシ



新嘗祭について下鴨神社のホームページを転載します。
11月23日 午前9時 新嘗祭 新嘗祭は天皇陛下がその年の新穀を聞食されるのにあたり、まず天照大御神を始め天神地祇に御親ら新穀をお供えになる祭儀です。

全国の神社でもこれにならって御神前に新穀を奉る新嘗祭がおこなわれ、下鴨神社では午前9時から特に本殿の御扉をお開き申し上げて祭儀をおこないます。

宮中の親嘗祭は23日午後6時から8時までの「夕の儀」と、午後11時から24日午前1時までの「暁の儀」の2度にわたっての祭儀がおこなわれます。皇居内の神嘉殿において「夕の儀」では夕食を「暁の儀」では朝食を天皇陛下御手ずから神々にお取り分けになり食事を共にされ、私ども国民の平安をお祈り下さいます
23日は戦前「新嘗祭」という祭日でしたが、戦後は「勤労感謝の日」と改称され休日の一つとなってその意義も忘れられてしまいました。

私達が夕食をしている頃に天皇陛下は神々と夕食をともにされ、そして私達が寝静まる頃には再び神々と朝食を共にしておられます。暖房の設備もない神嘉殿において、尊き御身ながら2時間もの長い時間を正座の御姿勢をおとりになりお祀りを遊ばします御姿は誠に恐れ多いことであります。

昔御所が京都あった頃には京都の人は新嘗祭の日は一日中家で慎み、宮中での神事が終わるまで寝床に入らなかったといいます。

私達も先人にならい11月23日新嘗祭は心静かに過ごしたいものです。




伝統を壊すのは簡単。

2005年11月22日 | 皇室典範
伝統を壊すのは簡単です。しかし伝統を守っていくことは大変な努力と叡知が要ります。
例えば京都の三代祭りの一つ「祇園祭」は八百六十九年から始まって、途中応仁の乱で一時途絶えたとはいえ千年以上も続いています。

皇室も日本の伝統であり、その伝統を守って次代へつなげていくのが今を生きる人間の責任でもあると思います。その為に行われるべきなのが有識者会議ではないでしょうか。

皇室の伝統である男系男子の継承をどのようにしたら守ることが出来るか、そのためにはどのようにしなければならないのか、そうすれば他への影響はどうなのか、その事にまず叡知を傾けなければならないはずです。

今回の有識者会議の答申は最初からそのようなことを考えることをしていません。伝統を破壊しようとしています。これでは有識者ではありません。