一燈照隅

日本が好きな日本人です

皇太子殿下、ポリープ除去手術

2007年05月31日 | 皇室
皇太子さま、6日にポリープ切除手術

 宮内庁は31日、十二指腸にポリープが見つかった皇太子さまが6月5日に東大病院に入院、翌6日に内視鏡を使った切除手術を受けられる、と発表した。

 手術後も約2週間の入院と静養が必要という。

 記者会見した金沢一郎・皇室医務主管によると、皇太子さまは3月24日の定期健康診断でポリープが一つ見つかり、5月12日には内視鏡で組織片を採取、顕微鏡で検査したところ、ポリープは良性と診断された。

 十二指腸のポリープ切除手術は胃などと違って切除部位が傷付きやすく、皇太子さまのポリープは非常に珍しい場所にあるという。金沢医務主管は「万全を期すため、東大病院で手術することにした」と述べた。

 手術後は同病院で約1週間の入院、退院後もお住まいの東宮御所で約1週間の静養が必要という。
(2007年5月31日19時53分 読売新聞)


宮内庁がポリープ除去と言っているのだからポリープなのだろう。
皇太子殿下におかれては心労も多いのだろう。
手術が無事に終わり、一日も早くご健康なお体に戻られることをお祈りいたします。




信なれども理に当たらず

2007年05月31日 | 朝聞暮改
「信なれども理に当らず」
例えば平和ということは大切である、尊いこと、望ましいことである。しかし平和平和と言って、何でも政府の施策に反対をする。これは理に当らない。ご承知のように中共は対日工作に非常に力こぶを入れておる。レーニン以来、アジアを支配するものは世界を支配する、というのが共産党の信念である。そのアジアを支配する一番の近道は日本を支配することである、ということも明々白々である。しかしだんだん戦争の性質・政治の性質が変化して、今日は日本を支配するためには、もう昔のように武力で占領する必要はない。中共の自由に操縦することのできる偲偏団体をつくって、それに政権を握らせぱ万事解決する。
彼等はそのためにあらゆる方法を研究し、あらゆる機会を捉えて、日本に手を打ってきておるのであります。平和も、友好・親善もみなそのためである。
平和ということ、友好・親善ということは、成る程善いことには違いない、人間としては信、誠である。けれどもそれだからと言って何でも仲良くする、附合う、ということは理ではない、道理には当らない。人と仲良くする、原則的には誠に結構である。だが泥棒や犯罪人、性格異常者、というような危険性を持った人間とわれわれは迂闊に交際するわけにはいかぬ。個人も国家も同じことであります。そのことだけを抽象的に言えば信であるが、理に当らずということが世の中にはいくらでもある。


今から40年前、昭和42年に出版され「東洋思想の一淵源」の中の一節です。


天皇皇后両陛下ご帰国

2007年05月30日 | 皇室
両陛下が欧州5か国歴訪から帰国
2007年5月30日(水)22:24 Yomiuri Online

 欧州5か国を歴訪していた天皇、皇后両陛下は30日夕、羽田空港着の政府専用機で帰国された。

 両陛下は、皇太子ご夫妻、秋篠宮ご夫妻ら皇族方や安倍首相夫妻らの出迎えを受けられた。皇太子さまが「お帰りなさいませ。お疲れではないですか」と声をかけられると、天皇陛下はにこやかに「ご苦労さまでした」とあいさつ、国事行為を臨時代行していた皇太子さまを気遣われた。


天皇皇后両陛下が欧州歴訪から無事にご帰国されました。
今回の欧州歴訪は強行日程だったので、天皇皇后両陛下のご体調が心配でしたが、御元気に帰国されたことを嬉しく思います。
しかし、今回の欧州歴訪では、NHK以外はほとんどマスコミ報道が有りませんでした。

誠に情けなく残念なことです。


六通の遺書

2007年05月28日 | 時事問題
永田町に衝撃、松岡農水相自殺図る

 松岡利勝農水相が自殺を図り、意識不明の重体となったニュースは28日昼、東京・永田町を駆けめぐり、政府・与党は強い衝撃を受け、事実関係の確認や情報収集を急ぐとともに、問い合わせへの対応に追われた。

 国会に隣接した衆院議員宿舎内での松岡事務所では、秘書3人が詰めかけた記者団の質問には答えず、ひっきりなしにかかってくる問い合わせの電話への対応に「代議士は今日は事務所に来ていない。何も聞いていない」などと答えていた。事務所内を撮影しようとするテレビカメラを国会衛視が制止し、記者たちを排除した。

 28日午後、国会内で記者会見していた石原伸晃幹事長代理は記者団に事実関係を問われ、「ええっ」と絶句。「まったく聞いていないので事実関係は分からない」とだけ述べた。坂本剛二国対筆頭副委員長も国会内で記者団に「意識不明らしいが、詳しくは分からない」と答えた。

 自民党本部では中川秀直幹事長と丹羽雄哉総務会長が会談。丹羽氏は会談後、記者団に「ショックですね。お話しすることはありません」と短く述べた。また、政府筋は同日午後、産経新聞の取材に「報道に接しただけで、他に何も情報はない」と話した。

(2007/05/28 13:51 産経新聞)
http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/politics/dompolicy/54029/


ニュースを聞いたとき「えっ!」と思いました。松岡大臣と自殺は結びつかなかったからです。
現役閣僚の自殺は。昭和20年東久邇宮内閣の国務大臣近衛文麿以来になります。現役閣僚の自殺、色々あったのでしょう。
遺書を六通それぞれに書いているところを見れば、数日前から自殺を考えていたのだと思います。
マスコミは自殺の原因をいろいろ面白く報道するでしょうが、週刊誌的ネタだけでなく大臣期間中の政策も同じように批評してもらいたい。
政治家にとっては国家の政策が本分です。

松岡農林水産大臣のご冥福を祈ります。

追記
ニュースを見て思ったのですが、慶応大学病院は死者に失礼な病院ですね。
松岡大臣の遺体を治療室から霊安室に移すのに、マスコミの前を通るような事をしています。普通ならば遺体の載ったストレッチャーは人目に触れないように移動しなければなりません。このへん無神経ではないだろうか。





海軍記念日に軍艦行進曲

2007年05月27日 | Weblog
守るも攻めるも黒鉄(くろがね)の
浮べる城ぞ頼みなる
浮べるその城日の本の
皇国(みくに)の四方(よも)を守るべし
真鉄(まがね)のその艦(ふね)日の本に
仇なす国をせめよかし

石炭(いわき)の煙は大洋(わだつみ)の
竜(たつ)かとばかり靡(なび)くなり
弾丸(たま)撃つ響きは雷(いかづち)の
声かとばかりどよむなり
万里の波濤(はとう)を乗り越えて
皇国(みくに)の光輝かせ


【正論】新保祐司 観艦式の「軍艦マーチ」に思う
産経新聞

先日産経新聞正論に軍艦マーチについて書かれていました。

子供の頃は、パチンコ屋の前を通ると必ずと言っていいほど流れていました。
最初は行進曲でなく、「軍艦」という題で小学唱歌だったようです。
その後明治33年に行進曲風に曲を付け替えて現在の感じになったようです。
「軍艦行進曲」はミャンマーの国軍記念日の最初に演奏されるそうです。

今日は日露戦争での、日本海海戦の勝利を記念した「海軍記念日」です。
この日露戦争が、世界に与えた衝撃は産業革命以上のものがあったでしょう。
その事を抜きにして世界の歴史は語れません。
日本国民は今日の日を誇るべき日です。

昭和27年10月7日付朝日新聞「声」欄に読者投稿で「軍艦マーチ」のことが掲載されていました。
「軍艦マーチ」反論
講和条約も調印された今日、そろそろ独立した批判力と、あらゆる追従を排除した自主性とが要求される。このときさる二十九日付夕刊投書欄に出た中川君の投書を読んで、いささか不安な点があった。一体「軍艦マーチ」が軍国主義的全体主義的傾向を助長するとは、何を理由にいわれるのか。曲名にしても「軍隊行進曲」や「ポロネーズ」と並べて何の不都合もない。
また祖国を守る海軍をたたえた曲の中には、何ら侵略的軍国主義的全体主義的な要素は存在しない。「軍隊」すなわち「軍国主義」と見るならば、軍備あるすべての国を軍国主義とみなすのであろうか。何物ともしれぬものへのヘツライから、芸術作品であれ社会慣習であれ、それを曲げねばならぬような考え方こそ、植民地的奴隷的根性である。国民に愛され親しまれてきたもの、特に「軍艦マーチ」のごとき世界的な名曲を排斥しようという考えには、どうしても賛成できない。










祝祭日の日を変える愚かさ。

2007年05月24日 | 時事問題
秋のGW 2日に祝日法適用も 自公3連休案、体育の日は11月1日

 自民、公明両党が参院選の“目玉政策”として検討している「秋のゴールデンウイーク(GW)」構想をめぐり23日、「体育の日」(10月第2月曜日)を11月1日に移し、「文化の日」(同月3日)まで3連休とする案が新たに浮上した。「祝日法」の規定を利用し、2日を休日とする。

 自公両党は23日朝、国会内で幹事長、政調会長、国対委員長による会談を開催。公明党側は「秋は日本で一番良い季節なので連休が取れるようにすべきだ」として、秋のGW創設を正式に要請した。会談後、自民党の二階俊博国対委員長は記者団に「公明党からの熱心な要請で検討することになった。3連休なら1日は子供と遊ぶ親もいる」と前向きに検討する考えを示した。

 秋のGW構想は、公明党が今月中旬、自民党側に打診した。当初は「体育の日」を11月2日、「勤労感謝の日」(11月23日)を11月4日に移し、3連休とする案だった。しかし、「勤労感謝の日」は皇室神事の新嘗祭(にいなめさい)にあたるため、自民党から「祝日には祝日の意味があり、簡単に変えるべきではない」(閣僚級)と反発が相次ぎ、立ち消えとなった。

 このため、公明党は「体育の日」を「文化の日」の前日の11月2日に移す2連休案を検討したが、これでは経済波及効果が期待できず、今回の新たな3連休構想が浮上した。ただ、自民党内では「安易に祝日は変えるべきではなく、体育の日も元の10月10日に戻すべきだ」(中堅)との声は根強く、与党の合意が成立するかどうかなお微妙だ。

 祝日法には、祝日と祝日の間を休日とする規定がある。これにより「憲法記念日」(5月3日)と「子供の日」(同月5日)の間の4日が休日となったが、今年から4月29日を「みどりの日」から「昭和の日」に変え、5月4日は「みどりの日」となった。(sankei web)


公明党は何故に秋のゴールデンウィーク作りにこだわるのか全く解らない。
経済効果は口実で日本の文化を破壊しようとしているのではないだろうか。
何度も拙ブログでも取り上げましたが、祝祭日は日にちそのものに意味があります。それを馬鹿げた理由で変更するなど以ての外です。
自民党もこんな事検討するに値しないことです。
それよりも祝日の意味を再確認したらどうか。
亀井静香議員が自民党は公明党と早く手を切れと何度も言ってるがその通りだ。


祝日を本来の日に戻そう。
今日が「体育の日」!?

安宅コレクション

2007年05月20日 | Weblog
中之島にある「東洋陶磁美術館」に行ってきました。
今開館25周年記念として「安宅英一の眼」として安宅コレクションを展示しています。
昭和57年に開館以来何度も見に行っているのですが、安宅コレクションは常設されているので、ほとんどが以前に鑑賞した物ですが、今回の特別展では展示の仕方を変えたり、商品購入にまつわるエピソードなどが展示品と一緒に書かれていたりで、以前に鑑賞した展示品が違って見えました。
特に、「油滴天目茶碗」「飛青磁花生」が並んで展示していたのには圧巻でした。今まで何度も見ているのですが、二つが並んで展示されていることはなく思わず鳥肌が立ちました。
安宅コレクションは何回見ても飽きの来ない素晴らしい物が多くあります。あらためて安宅英一の眼力のすごさ、美術品を購入する決断力に圧倒されます。

東洋陶磁美術館は、フラッシュやシャッター音など鑑賞している人の迷惑にならなければ写真を撮ることができるので、今日も写真を撮っている人も見かけました。

「安宅英一の眼」は東京、福岡、金沢と巡回するので機会が有ればぜひご覧になってみてください。



安宅コレクションとは、旧安宅産業株式会社が収集した東洋陶磁を中心とするコレクションである。1975年12月、旧安宅産業株式会社が、経営危機と信用不安に陥り、それまでコレクションの一部をなしていた近代日本画家速水御舟の作品、87件・106点が、1976年8月、一括して財団法人・山種美術財団に売却されるに及んで、コレクションの主体である965件の東洋陶磁の行方が、その文化遺産的価値に鑑み、大きな社会的関心を呼ぶところとなった。ことに、1977年9月、コレクションの所有権が清算会社であるエーシー産業株式会社に移ってからは、その動向は各方面で話題になり、国会でも論議の対象となった。文化庁からも、管理責任者である住友銀行に対し、安宅コレクションの処分については、分散、或いは海外流出することのないよう異例の要望がなされた。不安定な状況は続いたが、1980年1月に至って、住友グループ21社が、安宅コレクションの東洋陶磁を一括して大阪市へ寄贈する方針を固めたとの新聞報道がなされ、古美術愛好家はもとより、この問題に関心を示していた人達は一様に安堵の胸を撫で下ろした。
1980年3月、住友グループ代表から大阪市に対して正式に寄贈の申し入れがなされた。総額151億9,175万円にのぼる巨額の寄付金を、住友グープ21社が大阪市の文化振興基金に積み立て、寄付金が満額に達し、これを収蔵する美術館が完成した時点で大阪市が買い取るという方式で、安宅コレクションは最も理想的な形で、安住の地を見出すこととなった。大阪市はこれを受けて、コレクションを末永く保存し、ひろく公開するため、速やかに専門美術館を建設する計画を発表した。17ケ月の工期を経て、1982年ll月、世界でも数少ない東洋陶磁の専門美術館として、ここに当館が誕生するに至ったのである。


追記
東京:三井記念美術館    平成19年10月13日~12月16日
福岡:福岡市美術館     平成20年1月5日~2月17日
金沢:金沢21世紀市美術館 平成20年2月29日~3月20日




愛知県長久手立てこもり事件解決

2007年05月18日 | 時事問題
殺人未遂の疑いで逮捕 愛知・発砲立てこもり

警察官ら4人が死傷した愛知県長久手町の発砲立てこもり事件で、愛知県警は18日午後8時48分ごろ、指定暴力団山口組系の元組員、大林久人容疑者(50)の身柄を確保。愛知署に連行し、殺人未遂の疑いで逮捕した。事件は発生から29時間ぶりに解決した。

 県警が繰り返し拡声器で投降を説得。大林容疑者は午後8時半すぎ、ペットボトルを持ち、自宅から外に出てきた。県警は「持ってる物を置きなさい」などと呼び掛け、車両で近づいた捜査員らが一斉に取り押さえた。

 人質になっていた元妻の森三智子さん(50)は18日午後2時50分ごろ、大林容疑者が電話をしているすきに、トイレの高窓から自力で脱出、無事保護された。

 17日午後3時50分ごろ、大林容疑者宅から「父親が拳銃(けんじゅう)を持って暴れている」と110番があった。約20分後に駆け付けた愛知署の木本明史巡査部長(54)が銃撃され、首の右側を銃弾が貫通し重傷。その場に倒れたままだった木本巡査部長が約5時間後に救出された際、現場に待機していた機動隊の林一歩巡査部長(23)が左鎖骨付近を撃たれ、18日未明、病院で死亡した。県警は18日付で林巡査部長の2階級特進(警部)を決めた。

(2007/05/18 22:24)sankei web


愛知長久手の立てこもり事件が解決しました。
今回の事件マスコミ情報しか判断するすべのない者は、家の側で倒れている警官の映像を見て、早く何とかならないのかと思ったことだろう。またマスコミもなぜ早く助けないのかと、警察を批判するようなコメントを言う者もいます。
しかし人質が取られ、拳銃を発砲している犯人のすぐ側に倒れているので、簡単にはいかないだろう。犯人が拳銃以外の武器を持っていないとは限らないし、トカレフのような軍用拳銃だと、至近距離で撃たれれば防弾チョッキも貫通するだろう。
それよりこの巡査部長を一番助けたかったのは周りにいた警官だろう。
結果として若き警官が不幸にも殉職する事になりましたが、今回の警察の解決までの行動は正しかったと思います。
ただし、今回の事件は人質が自力で脱出できたので1日で解決したが、まだ人質となっていたらどうしたか、また、犯人が爆発物を所持していたらどうなるか、防弾チョッキはなど、いろいろ今後に考える点もありました。
一番の問題点は国内に有る銃器をどのように取り締まるかです。その為には多少の裏金も必要だと思います。

今は、林警部のご冥福を祈ります。

天皇陛下お田植え

2007年05月16日 | 皇室
天皇陛下が恒例の田植え
皇居の水田で

 天皇陛下は15日、皇居内の生物学御研究所脇にある水田で、田植えをされた。

 茶色の開襟シャツに茶色のズボン、黒い長靴姿の陛下は、苗を左手に持って水田に入り、右手で1株ずつ丁寧に植えた。

 4月には自ら種もみをまいて苗を栽培。この日は、うるち米のニホンマサリと、もち米のマンゲツモチの2品種計100株を植えた。
 田植えは昭和天皇から引き継いだ春の恒例行事。秋には稲刈りをして、収穫したコメは皇室の神事などに使われる。(共同通信)


豊葦原の千五百秋の瑞穂国は、是れ吾が子孫の王たるべき地なり。宜しく爾皇孫、就きて治せ。行矣。宝祚のさかえまさんこと、まさに天壌と窮りなかるべし。

と、お言葉を与えられました。また、天と地の続く限り、瑞穂の国が栄え行くために、天照大神は高天原でご自身がおつくりになっている田の「稲の種」を手渡されました。米をつくるくらしが、この国の繁栄と平和をもたらすとお教えになられたのです。(内宮)

5.15事件が起こった昨日、異常な事件がおきました。このような事件は昔から起こっていました。しかし以前と違うのは、マスコミが発達し各テレビ局が時間を割いて取り上げるため、多くの人の記憶に残ってしまいます。サブリミナル効果のようなものです。

昨日は、京都三大祭りの一つである「葵祭」や日本の伝統行事も行われていますが、ほとんどのマスコミが小さくしか扱っていません。
その中でも、瑞穂の国日本にとって大事な天皇陛下自らお田植えをされたニュースがありました。







『再び、誇りの持てる国へ』関西経済同友会の提言

2007年05月13日 | Weblog
昨年、北朝鮮のミサイル発射事件で当たり障りのない発言をした経済同友会に対して、厳しく批判した関西経済同友会(関経同)がこのほど、10年後のビジョン-目指すべき国の姿-として『再び、誇りの持てる国へ』と題した提言を発表しました。
「誇りと志」「成熟と調和」「美と絆」「関西州と大阪都」の四つを柱として、未来の子供達へ忘れられた日本の文化や伝統の良さ、世界でこれから果たしていかなければならない事を提言しています。
提言要約のみ転載


はじめに ~子供たちに守り伝えたいもの~

日本は、戦後の荒廃の中から立ち上がり、「東洋の奇跡」と称される高度成長を成し遂げ、世界第2位の経済大国となった。今や、諸外国からも羨望される経済的な豊かさを実現したものの、多くの日本人は、真の豊かさを実感できていないばかりか、将来に対する漠たる不安の中にいる。

日本のこれまでの経済成長を支えてきた中央集権の官僚主導型システムは、グローバル化の進展など急速な環境変化に対応できず、弊害を生じている。それは、巨額の財政赤字であり、東京への一極集中と地方の疲弊であり、少子高齢化と人口減少が進む中での社会保障制度の持続性に対する大きな不信である。また、経済成長がもたらした物質的な豊かさと、戦前の持つ良い面をも否定する教育とが相俟って、日本人の精神性に変化を生じさせている。家族や地域のつながりが薄れ、ただ個人の自由が幅を利かせており、他者や公への配慮と関心を失った人々が、政官民を問わず倫理観を欠いた不祥事を引き起こしている。

本来、私たち日本人は、豊かさと厳しさの両面を持つ自然に対する感謝と畏敬の念を併せ持ち、四季折々の変化によって育まれた特有の美意識や感性を有している。また、自然の森羅万象に神の存在を感じる多神教的な考え方を基礎に、和を重んじる心根を有する国民である。

こうした日本人が創り上げる社会は、互いに配慮し合う、自助と共助の精神にあふれるものであったが、現在の日本においては、相互の信頼関係が薄れており、人々が明るい未来を思い描くことは困難である。日本がこのままの道を辿った先に、亡国の未来がある訳ではなかろうが、瑞穂の国があるとも思えない。私たちは、美しい日本と日本人を後世に守り伝えることができるのだろうか。

私たちが、将来への不安を感じることなく真の豊かさを実感するためには、相互の信頼関係に基づく国際社会の平和と安定が大前提となる。現在の経済的な繁栄も、戦後日本が平和国家としての道を歩むことを決意し、世界の平和と安定に対する相応の貢献により、国際社会との厚い信頼関係を築いてきた上に成り立っている。

しかし今、世界の情勢は大きく変化しており、軍備の拡張や核開発を進める近隣諸国、世界中で横行するテロリズム、民族や宗教的な対立から続発する地域紛争など、新たな「不安定な時代」へと進んでいる。そして、こうした問題の抑止力として期待される国際連合は、力の限界を露呈し機能不全に陥っている。

かつて「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した」日本が描く理想の国際社会は、戦後60年を経た今も実現されることのない理想に過ぎず、「不安定化する世界」こそが私たちの生きる現実である。

こうした現実に対峙せざるを得ない今、地政学上のリスクの高い北東アジアに位置する日本は、これまでの一国平和主義を唱え続けることだけで自国と自国民を守ることができるのだろうか。また、世界の平和と安定に自ら責任ある役割を担わずして、将来の世代へと平和な日本と世界を守り伝えることができるのだろうか。

こうした日本と世界の平和や繁栄は、すべて地球という惑星の存在の上に成り立つものである。しかし現実には、46億年と言われる地球の歴史の中で、ほんのわずかな時間しか存在していない私たち人類が、地球に対し過度な負担をかけ続けている。地球規模で温暖化ガスの排出削減が声高に叫ばれるものの、日本自身も含め京都議定書による削減目標の達成は不確実であり、その枠組みに与しない大国も存在する。その中には、かつての日本と同様に、環境との調和を図ることよりも自国経済の高度成長を優先するかのような国もあり、地球そのものの持続性が損なわれつつある。

この状況を放置することは、人類全体にとって取り返しのつかない結末につながるおそれがあり、そもそもの価値観や生活様式を転換する必要がある。その際、自然の中で「生かされている」と感じながら自然と共生してきた日本人特有の考え方や、技術立国である日本が有する高い環境技術を活かし、国際社会に対し大いに貢献できることがあるだろう。私たちは、地球そのものの危機を乗り越え、水と緑にあふれる美しい地球を後世へと守り伝えることができるのだろうか。

私たちには、未来の子供たちへと守り伝えたい大切なものがある。それは、美しい日本と日本人の心であり、平和な国際社会と豊かな地球である。こうした価値あるものの喪失は、急激に進むものではないが、私たちの目に触れにくいところで徐々にかつ確実に進行している。厳しい構造改革を経て、経済の先行きに明るさが見えるようになった今、子供たちの将来にも目をやり、価値あるものを守り伝える取り組みを始めるべきである。その第一歩は、国民全体が、将来に対する危機感を共有することであり、そして新しい日本のビジョンをしっかりと思い描くことである。

10年後のビジョン-目指すべき国の姿-『再び、誇りの持てる国へ』
国家像 その1 『誇りと志』
1-1 国民が誇りを持てる国家
    自主憲法の制定
1-2 自分の国は自分で守る国家
    日米同盟の強化
1-3 世界のために汗をかく国家
    国連安保理常任理事国入り

国家像 その2 『成熟と調和』
2-1 地球を癒す国家
    自然とともに生きる
    新エネルギーフロンティアの創造
2-2 世界をソフトに変革する国家
    日本のソフトパワーを拡げる
2-3 活力出づる国家
    ニュージャパニーズドリームの実現

国家像 その3 『美と絆』
3-1 美しい道徳を掲げる国家
    現代版教育勅語の制定
3-2 自助と共助の精神を回復する国家
    地域社会の要を回復

地域像 『関西州と大阪都』
4-1 技術と知恵の泉:阪神(大阪・兵庫)
    先端産業の創出圏域
4-2 地球環境保全の鑑:京滋(京都・滋賀)
    環境リーディング・クラスターの形成
    水資源ODA
4-3 伝統と文化の弧:京奈和(京都・奈良・和歌山)
    伝統と革新の圏域












進歩のないものはけっして勝たない

2007年05月12日 | 日本の戦後
「進歩のないものはけっして勝たない。負けて目ざめることが最上の道だ。日本がいま目ざめずして、いつ救われるか。おれたちはその先導になるのだ。われわれは日本の新生にさきがけて散る。まさに本望じゃないか」
「ドキュメント神風」徳間文庫より


昭和20年4月6日、天一号作戦で沖縄へ出撃したときに臼淵盤大尉がつぶやいたとされる言葉です。
この言葉、映画「男たちの大和」の中で長嶋一茂が述べていたので知っている方も多いと思います。

“負けて目覚める”
順調にいってるときは気づきませんが、負けたとき、失敗したときに何が間違っていたのか、何が足らなかったのかを理解することができます。
病気になって健康の有り難みが解るのと似ています。
“われわれは日本の新生にさきがけて散る”
敗戦後日本は再び戦争が起こることなく、高度経済成長を達成し世界でも豊かな国になりました。
しかし今の日本は彼等英霊の言った日本だろうか。決してそうではないだろう。


山岡荘八の回想


米国下院議員も支那に警告、北京五輪ボイコットも。

2007年05月10日 | Weblog
ダルフールで中国は直ちに行動を=米下院議員が胡主席に連名の書簡
2007年5月10日(木)12:25
(時事通信)

【ワシントン9日】米下院外交委員会のラントス委員長(民主)ら100人以上の下院議員は9日、中国の胡錦濤国家主席に対し、スーダン西部ダルフール地方の流血の惨事をやめさせるため直ちに行動するよう求める書簡に署名した。ラントス委員長は同地域で残虐行為が続いていることに重大な懸念を表明するとともに、中国はスーダンに対する最大の投資国として、影響力を行使できると注意を喚起した。

同書簡は「国際社会は責任を強化しているが、もし中国が、最良かつ最も妥当な和平への道をスーダン政府が受け入れるよう自国の役割を果たさなければ、歴史は貴国がジェノサイド(大量虐殺)を支援したと判断するだろう」と述べている。書簡はさらに、「もし中国がスーダンを抑えるためさらに行動しなければ、2008年の北京オリンピックに先立って、中国のイメージは損なわれよう」と警告している。

ラントス委員長は、もし中国が自国の役割を果たさなければ、「ジェノサイド・オリンピック」の主催国として永遠に知られる危険を冒すことになると述べた。今月になって米上院も、中国に対して同様の警告をしている。この中で上院は胡主席に対し、ダルフールでの軍事活動の停止をバシル・スーダン大統領に促すよう求めている。〔AFP=時事〕


この前はフランス大統領候補だったロワイヤル氏が、北京オリンピックボイコットもあり得る発言をしていたら、米国下院議員が同じくスーダンの問題で北京オリンピックボイコットの手紙を胡錦涛主席に送りました。
支那では自国民を殺すのは、文革や天安門事件のように別に大したことではないことです。まして民族浄化はチベットで今も進行中です。
支那は共産党政権が各民族を押さえつけている状態です。
このような国の五輪に超党派で支援する必要が何処にあるのか。

日本のマスコミは海外のニュース、特に支那にとって不利な事は余り報道をしないところがあります。時事通信の報道も世界日報と比べれば内容を柔らかくしています。
ダルフール問題の北京五輪への影響を警告―米下院議員(世界日報)

北京五輪ボイコット、ロワイヤル候補





日本はアジアの希望の光

2007年05月10日 | Weblog
先日、安倍首相は訪米の後アジア外交で中東諸国を訪問し成果を上げたようです。中東もアジアの国々です。
マスコミ報道や左翼コメンテーターから見れば、アジア諸国とは支那・韓国・北朝鮮だけのようです。
しかもこれらの国が日本批判をすると、殊更大きく取り上げてアジア諸国で孤立するように言います。しかしこれら特定三国以外のアジア諸国は違う考えを持っていることを国民も知るべきでしょう。


ASEANから見た日韓関係

欠落しているASEANの視点戦後日本は言論の自由を謳歌しているように見えて、視野が実に狭い。特に歴史を見る視点に至っては、アメリカからの視点、反日アジアからの視点しか存在せず、熱烈に日本を応援しているアジア、特にASEAN(東南アジア諸国連合)の親日家たちの視点は全く欠落している。このため、アジアの声が日本には反映されていない。
残念なことに、アジアのマスコミはほとんど全部アジアの反日家(華僑や容共グループ)にコントロールされ、日本でもその兄弟分の朝日新聞だとか赤旗だとかが共同歩調をとっている。
つまり正しい情報が日本にはほとんど伝わってきていないわけだ。そのため未だに外国は正しく日本は悪い、日本は加害者でアジアは被害者だ、世界の模範は欧米で、日本もアジアも欧米に従うべきだーそうした「公式」が日本ではまかり通っている。
近年の首相たちが先の大戦を「侵略戦争だ」と断罪したのも、マスコミなどの反日宣伝に引っ掛かったからだろう。しかし、いい加減に目を覚ました方がいい。日本人はいまだに敗戦コンプレックスに囚われているが、早く目を覚ますためにも、アジアとりわけASEANの政治家たちの声に耳を傾けるべきではないだろうか。

日本はアジアの希望の光
今から十五年ほど前(昭和57年頃)、アジア各国の軍部代表がマニラに集まった時のことだ。例によってフィリピンと韓国の代表が、延々と戦争当時の日本軍と日本民族と現在の日本企業を罵倒する演説を打った。列席のアジアの親日家たちは、「韓国代表の演説は痛烈無残で聞くに耐えなかった。だが、列席の日本代表(自衛官)は一言も発しなかった」と悔しがった。
そこで、列席していたインドネシアのアリ・ムルトポ准将(後に中将)は韓国の軍人に向かって次のように日本を擁護した。アリ・ムルトポ将軍はASEAN結成の仕掛け人であり、当時、内外政治担当の大統領特別補佐官で、インドネシアのCIAといわれる情報庁(バッキン)の副長官であった。
〈日本はアジアの光である。大東亜戦争は欧米人にアジア人の勇敢さを示したもので、チンギス・ハーンとともに、アジア人の誇りである。我々は軍人だから、人類は絶滅する日まで戦争は続くと考えて、日本の軍人から、ハワイ空襲戦やシンガポール攻略戦を聞こうではないか。私はシンガポールのリー・クワンユー首相の「日本に学べ」運動は素晴らしい政治戦略だと思っている。
ここで、インドネシアの日本民族の価値についての見方を申し上げる。
今、忽然として日本民族がこの地球上から消えたら、アジアとアフリカは非常に困る。その時に韓国が一番困ると思う。韓国は工業大国の日本と競争したから、立派な工業国になれたのである。近くに強力な競争相手がいるということは素晴らしいものだ。世界は韓国と日本を同民族で同能力の持ち主と見ている。
ベトナム戦争当時に「韓国軍は(大東亜戦争当時の)日本軍と同じで勇猛果敢だ」と評判が立ち、中ソ連合軍が緊張したことがある。もし日本がシンガポールの地点にあったら、インドネシア人は少なくとも百万人が日本に住み、日本人と同等の教育を受けるから、その人間関係から日本の技術、市場、金融、スタッフ等を活用することができる。だから企業の成功は容易である。つまり日本の近いところに位置していることは幸運なのだ。経済的支援を連続的に受けていると言ってもよいぐらいだ。
インドネシアが日本に近ければ、今のような貧弱なインドネシアではない。
ロッテのような韓国の大実業家は、顔も日本人と同じ、日本語も日本人と同じ、発想法も日本人と同じ、一切が同じだから羨ましい。
つまり、我々インドネシア人は「日本は何もしてくれなくてもよい」と考えている。日本は欧米と肩を並べて進歩しているだけで十分アジア・アフリカに尽している。日本は存在するだけで十分にアジア・アフリカに尽している、と考えている。だから、我々アジア人は外交面に弱い日本を支援したいと思っている。
日本から援助をもらうだけで応援しないのでは運命共同体の一員とは言えないし、対等のパートナーとも言えないのではないか。〉
ASEANの中に、日韓関係をこのように見ている識者がいることを私たち日本人も韓国人も知っておいた方がいいのではないだろうか。【中島】
「日韓共鳴二千年史」名越二荒之助編 明成社より




東條由布子さん参議院選挙出馬

2007年05月08日 | 時事問題
東條英機元首相の孫 由布子氏、参院選出馬へ

 東條英機元首相の孫で、民間非営利団体理事長の東條由布子(ゆうこ)氏(67)が、今夏の参院選に出馬する意向を固めたことが7日、分かった。東京選挙区に無所属出馬する可能性が高い。

 由布子氏は保守派論客として、靖国神社のいわゆる「A級戦犯」分祠(ぶんし)に否定的な立場で活動。東京裁判の違法性や天皇の靖国神社参拝の実現、高齢者福祉の充実などを主張している。著書に「祖父東條英機『一切語るなかれ』」などがある。

(2007/05/07 16:37)


東條由布子さんの参議院選挙出馬、年齢から考えて何故今という感じもしないが、最近の国立追悼施設や分祀論、今年になって突然出てきた元侍従長のメモ書き。
外国の追悼施設には参拝するのに靖国神社には参拝しない首相。
これらのことに忸怩たる気持ちでいた事であろうと思います。その事も今回の出馬になったのだろうと思います。
ここはぜひ東條由布子さんに当選してもらいたい。

遺書


神風特攻隊全戦没者の碑

2007年05月05日 | 大東亜戦争
碑文(原文は英語)

神風特攻隊全戦没者の碑

ここは第二次世界大戦当時最初のカミカゼ基地、マバラカット東飛行場跡です。

カミカゼ特攻隊は昭和十九年十月二十五日大西海軍中将によってマバラカットで編成された。最初の志願者は当地に進駐していた帝國海軍第一航空艦隊第二〇一航空隊所属の搭乗員二十四人でした。最初のカミカゼ隊指揮官は、大尉関行男で「神風特別攻撃隊」と呼ばれ敷島隊、大和隊、朝日隊、山桜隊の四隊に分かれていた。昭和十九年十月二十五日敷島隊は関大尉指揮のもとに午前七時二十五分ここを飛び立った。部下隊員は一等飛行兵曹中野磐雄、一等飛行兵曹谷暢夫、飛行兵長永峰肇、上等飛行兵大黒繁男でした。同日午前十時四十五分レイテ近海にて米海軍空母群を発見。先ず関大尉機が米艦セイントローに体当り爆破二十分後に沈没させ隊員機は米艦カリニンベイ同キトカンベイ同サンガモン同サンテイ同スワニー同ホワイ
トプレンズを攻撃した。戦果では関行男大尉を「世界最初の正式人間爆弾」としている。

第二次世界大戦終了までのカミカゼ特攻の戦果は米艦隊の撃沈又は大破合計三二二隻兵員に与えた損害九〇〇〇人以上であった。そしてカミカゼ隊員五〇〇〇人の内四六〇〇人が戦死した。

カミカゼ特攻はすべての世界史に記録の例のない壮挙であり又歴史のあきらかにするところによればその背後にあった理念は正に凡ての国が相互尊重と機会均等の原則に従って共存共栄を偕にする世界の秩序と平和の確立をひたむきに願いその実現のため散華したことです。

この碑は、神風特攻隊戦没者全員と米国および連合国の犠牲者のために建立されたものである。訪問者はこれら英霊の永遠の鎮魂と世界の恒久平和のために、祈りを捧げてください

http://www.asahi-net.or.jp/~un3k-mn/sinpu-seki.htm


昭和49年5月7日、フィリピン人 ダニエル・H・デイゾン氏によってマバラカットの海軍201空基地跡に「第二次世界大戦に於いて日本神風特別攻撃隊が最初に飛び立った飛行場」の碑が建立されました。

大東亜戦争末期不利になっていく戦況の中、国や両親や兄弟、妻、子供達を守るために自らの命を捧げた多くの人々がいたことを、我々はけっして忘れてはならないだろう。

山岡荘八の回想