一燈照隅

日本が好きな日本人です

とりあえず掲載しました。

2006年12月31日 | 朝聞暮改
今年記事に書こうと思っていて、記録していた本の抜粋が有ったのですが出来ず仕舞いでした。
そのままにしておくのも何か惜しいので、抜粋部分だけ掲載します。

 日本の頼りなさ
―ムードとムーヅ―
こんなことで一體日本はどうなつてゆくのだらうかとは、この頃いたる處でさゝやかれてゐる言葉である。それも口や筆では日本の繁榮を謳つてゐるが、この内心の不安は掩ひきれないものがあるのである。
第一餘り文化生活が奢侈になり、多忙になつて、ゆつくり物を考へる餘裕がない。そこにムードなるものが支配する様になる。氣分である、支配的雰園氣である。平和ムード、中共ムード等々、絶えずムードによつて動かされる。ムードといふものは、人々にとつて何の自主性もないお天氣の様なものであるから、こんな頼りないものはない。原語の moodも複数形になると、即ちムーヅ moods になると、むら氣といふ意味から、不機嫌、氣欝、肝癪といふ様な意味に使はれる。現代はムード時代、ムーヅ時代といつてよからう。
かういふ時は必ずスローガンを愛用する。萬事むつかしい理論より、簡輩なスローガンを掲げて、やつてゆかうとする。スローガンといふものは、なるほど分り易く、耳に留まり易いものであるが、それは複難で分りにくい現實の事態を、簡單にかたづけた標語にすぎないから、確乎とした内容がない。個々人の内面に何等の自立的な力を與へるものではない。イデオロギーなるものもさういふものである。自ら思索し信念を打立てゝ、始めてさういふものを理解し活用することもできる。自ら内に何にも持たないものが、その代りにかういふものでごまかすことほど危なかしいものはない。いつの時代でも優れた指導者は敦れもその當時の安價なムードやスローガンなどに動かされなかつた人々である。
民主的といふことも今や眞剣に反省されねばならない。日本の知識人にルソーを愛する人々が多い。主権在民を唱へた民主主義政治の偉大な先覚と言ふが、その實、一知半解の人々が多い。彼はその杜會契約論に於て、もし神々から成る人民があれば、その人民は民主政を採るであらう。そんな完全な政府は人間には適しないと云つてゐる。人間の民主政は非常に小さい國家で、そこでは人民を容易に集めることができ、その人民は相互によく相知ることができること、第二に、習俗がごく簡單で、多くの事務や面倒な論議を省けること、第三に、地位や財産がほぼ平等であること、でないと権利と権威に於る平等が永續することはありえない。最後に贅澤が極めて少いか、又は全く存在しないことである。そのわけは、贅澤といふものは、富の結果であるか、又は富を必要とするものだからである。贅澤は金持を財産によつて、貧乏人を物欲によつて、腐敗させる。贅澤は祀國を柔弱と虚榮とに賣渡す。贅澤は凡ての市民を國家から奪つて、ある市民を他の市民に從屬させ、又すべての市民を偏見の奴隷にする。民主政もしくは人民政治ほど内乱内紛の起り易い政治は無く、烈しくしかも絶えず政體が変わり易い。その存續の爲には常に警戒と勇氣とが要求される―と論じてゐる。
日本は人民を紳々ならしめる用意と努力とを一向にしなかつた。一億に近い大衆國家で、しかもその統制紀律が一向に出來てをらない。長い戦爭中の耐乏生活から急激に経濟復興を達成して、驚くべき奢侈贅澤に走つてしまつた。虚榮と惰弱は風を成し、内紛内爭は深刻を加へてゐる。知識階級はイデオロギーの甚だしい偏見に捕はれ、殆んど國家を他國に賣渡して恥ぢない情況である。これらの危機に臨んで、まるでさういふことに無關心な人々も指導階級にすら少くない。ムードとムーヅ、時代の狂躁、人間の無恥、共産革命勢力の横行等、アジアも、日本も、實に重大な危機てある。

 スローガンの流行
―もっと着實に―
世の中の萬事が大衆化し、問題が複雑となり、諸事忙しくなるにつれて、ますますスローガンが流行する。
スローガンといふものは、複雑でわかりにくい問題、精確に解明しにくい間題などを、簡單明瞭に標示するものである。それは目にとまり易く、耳に入り易いので、誰も一寸わかつた様な氣がするが、實は一向内容の無いもので、少し経験を積んだ人々、思慮の深い人々にとつては、つまらないものである。平和を守れ! これは誰も異存はない。軍備など以ての外だ。そんなものを持つと、使つてみたくなる奴が出る。安保条約など結んで、アメリカのお先棒に使はれることなど眞平御免だ。これなら誰にもよくわかる。
「確かに平和は戦爭の放棄を意味するが、同時に戦爭を放棄しない他國の儀牲になる意味も含まつてゐる。それは平和の願と共に始まり、禍が隣國を襲つただけで、誰も手を出さぬといふ事實と共に終る」「平和主義とは生來非平和主義者に支配を委ねることである」と嚴しい現實論者のO・シュペングラーも指摘してゐる。と言はれてみれば、その例はなるほど澤山ある。たとへば悲劇のハンガリー、あの十月反乱にソ連の戰車がブタペストを蹂躙した時、ラヂオは「ハンガリーを救つて下さい」と悲鳴哀訴を傳へた。然し「どこの國も國連も、ハンガリーを救ひに來てくれない。私共は見すてられた民族でせうか」と亡命作家セバスチァン・ジョルジが痛嘆したのに私は胸の痙くのを感じたことを忘れない。香港の時代評論誌は西藏避難民の惰報を採り上げて、中共が北京・西安・成都・蘭州等で洗脳訓練した西藏人を使つて、所謂民族主義・地方主義分子として良民に極端な弾壓を加へ、根を引抜け!といふスローガンで、十才以下の子供を隔離集結して共産教育を行ひ、女子には中國人との強制結婚を強ひ、掠奪結婚を許してゐると傳へた。
中共がチベット國境に十三、四ヵ師を動員した時、故ネール首相は、臨時議會を開いて、中共は今や世界の他の地域からは無くなつた侵略的帝國主義的路線を取つてゐる。我々はこの様な侵入を過去の遺物と考へ、過去五年間の中共の國境侵犯も、現在の様な大規模侵入に立至るとは豫想しなかつた。これは印度の歴史のみならず、アジア・世界の歴史に於ける轉回點であると演説した。
かういふなまなましい事實の前に、ただ平和・平和といふスローガンのいかに無力であり無内容であるかを實感せざるを得ない。それだから平和といふことを止めようといふのではない。平和の爲に、もつと眞劍に、現實に徹して考へねばならぬといふのである。
最近のタイム誌によると、南米全體にわたつて、各國出身の共産主義者が、キューバでテロやスパイ活動の訓練を受け、それぞれの国へ帰つて、ソ連のイタリア経由援助資金で破壊活動を行つてゐるといふ。中共もアジアで同じことを行つてゐる。
米FBI.のフーバー局長は過般下院の委員會に出て、米國に於けるソ連のスパイ活動について、ソ連スパイは外交官・科學者・學生などに紛れこみ、ソ連の派遣する文化代表團・貿易代表についても同様で、滞米中の新聞記者の半数以上がスパイであることを報告してゐる。中共についても同様である。どうしてこんなことをせねばならないのか。良民は解するに苦しむであらうが、現實はこの通りなのである。ヴェトナムが今やアメリカ攻撃の主因になつてゐるが、タイも亦北部に中共の操縦するタイ・コンが動いて、次のヴエトナムになりかけてゐるといふ惰報が頻りである。
道徳的氣魂の喪失、困難に向つて直面することを厭ふ氣風、相封抗する二つの勢力の間をできるだけ巧く渡らうといふ惰弱・狡猜・頽廃的享樂気分、さういふものを尤もらしいスローガンでごまかすやうなことは断乎として排脱せねばならぬ。


人間の四要素
人間をアトム化してしまひ、機械化・動物化してしまへば簡箪でありますが、人間は本來人格的存在である。萬物の霊長である。これが人の人たる特質であります。その意味において、人間といふものは、大體どういふ要素から成り立つてをるかといふことを、この際つきつめて考へてみますと大きく四種に分けることができます。
第一は、一番大事な人間たる本質、人格としての人間たる本質と申すべき徳性といふものであります。たとへば心の明かるさ、清さ、それから人として人を愛する、助ける、人に盡(つく)す、恩を知る、恩に報いる、正直、勇氣、忍耐等さういふ貴い心の働きであります。かういふものを徳性と申します。これらが一番大事な要素で、その次に知性。知能といふものがあります。これあるによつて、人が動物よりぬきん出ることができたのであります。その次に技能でありまして、人間が他動物よりも發達したのは、前足を手としたことからだと言うこともできます。
しかし、この知能とか技能とかいふものを、先ほど申しました徳性に比べたら、どつちが大切であるかといふことは、おのづから判明いたしませう。知識だの技術だのといふものは、有るに越したことはありません。これを發達させたから、偉大な今日の文明も生じたのであります。人類もいろいろの幸福を享受することができたのでありますが、しかしこれがなかつたからというて、つまり知識や技術が少々未開發であるからというて、人間たることに、さう根本的な價値の影響はありません。早い話が、我々の偉大な先輩が明治維新を断行して、世界の奇蹟といはれるやうな近代世界に大飛躍をとげた、その維新の人物を例にとりませう。西郷南洲とか、大久保利通とか、あるひはさかのぼつて吉田松陰とか、橋本左内とかいはれるやうな人が、太陽が東から上つて西に沈むんぢゃなしに、地球が西から東へ回りながら太陽の周圍を回つてをる。つまり自轉しつつ公轉してをるのだ。
これは今日、小學校の生徒でもよく知つてをることですけれども、さういふことを西郷・大久保も、松陰・左内もよく知らなかつた。しかし、さういふ今日の小學生でも知つてをることを、あの人々が知らなかつたからといつて、彼等をバカだと考へますか。絶封に考へないでせう。さういふことを考へるものがをつたら、その方がバカでありまして、賢い人ほどさやうなことは考へません。今日、中學校の生徒でも水はH2Oであるといふことぐらゐ常識であります。こんなことは弘法大師も日蓮上人も知りはしませんでした。しかし水がH2Oだくらいのことを知らんやうでは、日蓮も弘法もバカだと誰が言ひますか。そんなことは人間の偉さには關係のないことです。それはその時代の知識といふ文化的問題であつて、人間たる本質の問題ではありません。知つてをるに越したことはありませんが、知らなくてもいゝのです。娘や息子が、うちのお母さんは何もわからん。幾何も代敷もフランス語もドイツ語も知らない。だからうちのお母さんはバカだとは考へないのです。そんなことを考へる娘や息子があつたら、大バカでありまして、そんなことは母たる本質に一向關係がないのです。だから、いくら便利な價値のあるものであつても、知能だの技能だのといふものは、これは属性的價値しかないのです。本質的價値は今申しましたやうに徳性にある。知識や技術は少々未開發であらうが、低開發であらうが構ひませんが、人を愛することを知らない、人を助けることを知らない、人に報いることを知らない、勇氣がない、不潔である、暗い、陰惨であるなどといふことは、これは大變なことでありまして、これではどんなに知能や技能があつたつて、話になりません。だから同じ要素と申しましても、やはり徳性が第一、これが本質。それからいくら必要であつても、知性や技能(性は静的用語、能は動的用語)といふものは附属的なもの。
第四に、往々人が輕く見過すものですが、徳性に準じて非常に大切な意味のあるものがあるのです。これは慣習・習慣といふものであります。習慣は第二の天性であるといふ格言は周知のことです。スイスの美しい心の詩人・哲人であつたアミエルはその日記の中に、人生は習慣の織物であると書いてをります。人生といふものを一つの美しい織物とすれば、この織物は美しい習慣から織られてをるのです。これは第二の天性・徳性をなすものであります。よい習慣をつけるか、悪い習慣をつけるか、即ちしつけによつて、まつたく人間が變って参ります。
そこで人間といふものは、第一に徳性。これに基づく習慣、それから知能、技能。かういふものから成り立つてをるわけであります。ところでかういふものが、人と生まれて、どういふ風に發達してくるかといふ過程を、教育學、倫理學、心理學、社會學、醫學等いろいろ專門家の研究によつて、これらを綜合観察いたしますと、われわれの常識に比べまして、恐ろしい結論が出てをるのであります。人間從來の常識から申しますと、子供は幼稚であり、大人は成人であるから發達してをる。だから子供にはあまりいろいろなことを要求してはいけない。子供はそっとしておいて、自由にのびのびと育て、だんだん年をとるに從つて、教へればよい。かういふことに観念してをつたのであります。

をとるに從つて、教へればよい。かういふことに観念してをつたのであります。


日本の独立自衛

悪の力に対する根本的覚悟

講和条約の締結、主権と独立自由の回復につれて、安全保障・再軍備問題に関する論議が紛糾しております。こういう問題は根本を忘れて、枝葉末節に亘れば亘るほど解決はつくものではありません。
われわれはまず人間として暴力に対する根本的態度を決定して置かねばならない。これに五種を挙げることが出来ます。

第一は、自然界に行われている弱肉強食の現象で、この場合、弱者は唯泣き寝入り、敗北か敗死があるばかりであります。

第二に、一寸の虫にも五分の魂という諺がある。まして人間である。悪の力がいかに強大であっても、その言いなり次第になって泣き寝入り、あるいは敗死する羊や兎のようで済むものではない。それは良心と気概が許さない。これに基づいて、すなわち本能的に、暴力には暴力を以て返報しようとするもの。これは世間に最もありふれた復讐的態度です。しかしこの野性的精神行動は人間にいつまでも平和と向上とをもたらすものではありません。

第三、しかるに、ここに弱者であって、暴力に返報するだけの勇気も暴力も持たず、さりとて泣き寝入りするには忍びず。もっともらしい理屈を見つけて、自己の惰弱卑屈を飾り、自己の良心を偽り、人前の体裁を作ろうとする。欺購的態度とでもいいましょうか。そういう者が必ず引用するのは次の宗教的態度であります。

第四、宗教的態度。すなわち、孔子の仁とか、釈迦の慈悲とか、キリストの愛とか、ガンジーの無抵抗主義とか、宮本武蔵の丸腰の心境などです。講和後の再軍備について、知名の人々の間に、宮本武蔵やガンジーを引用して、日本の交戦権放棄、無抵抗主義を主張する者が少なくなかったが、無知よりもなお悪い浅見です。武蔵は自ら記している通り、生涯六十余度の勝負に一度も負けたことはなく、錬達の果てに五十過ぎから段々宗教的境地に進んでの丸腰で、青二才やヘロヘロ武士の丸腰とまるで違うことは言うまでもありません。日本を武蔵に擬するなら、日清・日露の戦から始めて、米英中ソ皆打ち負かした果てに戦争放棄を自発的に主張した場合でなければ当りません。ガンジイズムに至っては、無抵抗主義という俗訳を鵜呑みしたとんでもない誤解で、実は非暴力的徹底抵抗主義です。真のガンジイズムは不殺生 ahimsa の信念に基づく真理の体現 satya-graha を旨とし、
英国の支配に対する独立運動に発しては、スワラジ運動 swaraj となり、英国に対するあらゆる協カ、法令に対する服従、納税、通貨、教育、表彰等一切を拒否するものであり、そのためには投獄も死も意としない。そしてスワデシ運動 swadeshi すなわちインド人はインドの国産で生活しよう。英国の恩恵によっては一切生活しまいというのです。もし日本でガンジイズムを実行しようというのなら、ソ連が来ても中国が来ても、あらゆる妥協を斥け、一切の服従を拒み、そのためには国民皆死の覚悟でなければなりません。現代日本の平和主義者にそんな覚悟の片鱗でもあるでしょうか。
そこで結局、

第五、に存する尚武的態度であります。これは暴力的復讐的態度とちがって、あくまでも暴力を否認し、人間の平和と幸福とを願うが故に、どこまでもこれを妨げようとする暴力の罪を憎んで、その人を憎まず、むしろその人をも救う為に、その暴力を懲らしめて封じ去ろうとするものです。武という文字が即ち凶器を意味する「戎」と「止」めるの二字から成り立つものとするのが通解であります。だから本来武備とは他国を侵略する用意ではなくて、防衛の手段であります。武備の中には兵力・機械力・経済力・政治力・精神力がすべて含まれねばならない。その中兵力や機械力ばかりを重視して、経済力に比較し、日本の経済力では到底ろくな武備は出来ぬから、いっそせぬ方がましであるという無責任な説もあるが、経済力の許す範囲でする兵力や機械力の足らぬ所は政治力・精神力(教育力)で補うことが出来る。そこに友国との政策問題があり、さらにフィンランドやガンジー等の事実のあることを省察せねばなりませぬ。そして正しく全智全能を尽くして、なおかつ暴力の侵略を受け、いかなる抵抗も力及ばなかったなら、曽子が厳に断言した通り、「吾れ何をか求めんや。吾れ正を得て斃れなば斯に已まん」のみです。



大衆の堕落は国を亡ぼす
そういう意味で今や本当に革新の時期でありますが、然しまことの革新は厳しい問題で、殊に現代の日本人は、保守に辛く、革新に甘いようです。何か保守というとひけ目を感じ、革新というと善し悪しを問わず魅力を感じる、というのが民衆心理であります。革新派などというと、一応みんなが好意を持ちますが、保守派というと、何だか振いません。こうなるのには色々原因理由もありますが、一番大きな影響源は何と言ってもマスコミの左傾であります。
今年は参議院議員の選挙が行われるために、参議院選挙だけをとりあげて問題にしておりますが、実は全国で沢山な地方選挙が行われます。地方自治体の選挙は大事な選挙でありますのに関心が薄く、候補者をみておりますと、保守党の候補者が、自ら保守党を称することに何か二の足を踏んだり、おじけづいて、凡そ意気地がありません。幾つかの市長選挙、或は知事選挙で、自民党でありながら自民党を標榜したのでは損だというので、故意に無所属の看板をかけたり、中でも最もひどかったのは、この間の名古屋市長選挙であります。然も候補者は現職市長であります。田中総理も応援にかけつけて演説しておりますが、本人は、自分は自民党ではない、無所属だ、ということをしきりに陳弁これ努めております。まことにおかしな話で、このような考え方、態度というものは、ただ煮え切らぬとか遠慮だとかいう問題ではなく、卑屈・卑劣であります。人として信念や識見のないことを表しております。今日は、自民党か、革新野党かのどちらかなのですから、無所属などというのは甚だあいまいでよくありません。はっきりしなければなりません。こういうことが許されないということを本年の干支も教えておるわけですから、堂々と自分の所属を明らかにして、そうして幸いに当選の暁には、その所属する党を立派にするために情熱を傾けるべぎであります。
又今日は、革新ということが野党の独占、専売になっております。然るに野党の称する革新政党というものをみますと、これが甚だ甲寅の甲に犭偏をつけた犭狎の状態になっております。日本もそうですが、日本が何でもお手本とするヨーロッパ諸国を見ても明瞭であります。現にヨーロッパ各国に亘って労働党、社民党、社会党の衰退が顕著になっております。一時彼等の言う大衆の時代ということが世界の流行になっておりました。然しこの大衆が、堕落してしまって、とっくに新鮮な意義を失い、当局者ばかりでなく、野党もみな狎(な)れになって、寅(つゝし)みを失い、進歩がなく、スペインのオルテガの指摘しました通り、大衆的人間は旧来のものに何でも反対で、その上道徳も法律も秩序も無視し、所謂「四患」の偽・私・放・奢の第三の放になって、大衆政党を通じてゆすりの世の中にしてしまいました。所謂高福祉政策はその疲弊に堪えられなくなり、もう福祉国家というものは最近ヨーロッパではすっかり廃れてしまいました。
そして政治の偽善と、大衆の後に隠れた好民たちの横暴は目にあまるものがあります。時々みかける公害等の補償運動でも、本当の罹災者、患者は後へやられてしまって、前に立って頑張るのは殆んど専門の運動屋です。こういう大衆を利用する好民の横暴が大衆国家を破滅に駆りたてておるのです。韓非子に「乱弱は阿(おもねり)に生ず」と論じております。従って先づ、参議院選挙を始めとして二百近く行われる今年の選挙について、これを寅(つゝし)み清めることは至難であろうが、実際問題としてこれをやりませんと、急速に時局は乱れて、国民生活は混乱に陥り、国際間の問題も一層紛糾した難局にはいってゆくと考えられます。


世界はデモクラシーが政治屋に堕落させたそんな政治家にくたびれてゐる。
(ディスレーリ)

イギリスの大宰相であったディスレーリの名言であります。いかにも政界の長老、経験者らしい言葉です。
今日、我が国も議会制民主主義政治を採用しておりますが、これを一言にして言いますと、議会政治・選挙政治でありまして、その根抵は民主主義であります。然し議会制民主主義というものはどんなものであるかという少しく深い知識、自覚になると、民衆は殆んどこれを知りません。これは日本ばかりでなく、アメリカでも、更に最も先駆者であり、ヨーロッパにおける議会制民主主義政治の本山であるイギリスにおいても、識者はこの問題に悩んでおります。アメリカは最近選挙権者の年齢を十八歳に下げました。そのために二千五百万人という有権者がふえました。この連中に議会制民主主議政治(デモクラシー)とは何ぞや、政治の使命は如何、有権者の責任は等とたずねても、それこそナンセンスで一向に通じません。そこでこの若者達の票をいかにして集めるかという問題になりますと、次第に政治が堕落するわけであります。民主々義国家の政治の堕落をみこして共産主義国家は全体主義・権力支配主義・能率主義的迫力でもってこのデモクラシー国家の弱点をついて、積極攻勢に出ております。今後はこの両者の熾烈な戦いであって、既に階級やイデオロギー等は過去の物語となりました。そして現代世界の政治学者、社会学者の等しく肯定しておる結論は、この共産主義政権の攻勢に対して妥協するか、どこまでも非妥協でゆくか、という二つの問題に限られてきたということでありますが、日本人はこういう問題についても深く考えない。甘い。油断がある。従って非常に危険であります。
そこでいかにして日本の政治家を政治屋に堕落させずに、立派な政治家に育てるかということが日本を救う道であります。






大晦日

2006年12月31日 | 今日は何の日
今年も大晦日になりました。
大晦日のことは「おおつごもり」と言います。
“つごもり”とは、月末を「月隠り」(つきごもり)と言っていたのが、つまって“つごもり”と言うようになりました。
太陰暦では新月(朔)から始まって、満月をへて月が隠れる迄を一ヶ月に表しました。
月末は月が隠れて暗くなるので“晦日”(つごもり)となりました。
そして、一年の最後なので“大”をつけて「大晦日」となりました。
(「年中行事を科学する」永田久著 引用)

今年一年、当ブログをご訪問いただき有り難うございました。
平成19年(皇紀2667年)が皆様にとって良い年になるようにお祈り申し上げます。


12月8日、この日を忘れてはならない。
「特攻 最後の証言」



マスコミの異常な安倍叩き。

2006年12月30日 | 時事問題
「大衆というものは、心理学、社会学の上からいっても、見識だの、信念だの、道義だの、というものがない雑然たる多数であるから、どうしても堕落する。そこで大衆を放任すると、欲望が先に立って、生活が煩瑣になり、混乱して、文明も頽廃・堕落する。この文明と社会生活・人間生活の混乱、即ち枝葉末節の混乱をいかに剪定して、これを簡素化し、根元に復帰させるか、ということが文明と人類の運命を決する問題である」
オルテガ・イ・ガセット


今年ももう少しになりました。安倍内閣になって3ヶ月が過ぎました。
最近はタウンミーティング、本間前税調会長、佐田前大臣(6年も前のことですし既に時効です)といろいろ問題が出てきているようです。

タウンミーティングについては、やらせ質問よりも広告代理店の請求金額を問題にするべきではないでしょうか。
広告代理店には、マスコミも世話になっているので全く触れないのでしょうか。
アルバイト代やハイヤー代が表面に出たときは、取り上げていましたが、広告代理店の名前が出てきた途端、全く言わなくなってしまいました。
広告代理店の不正請求を有耶無耶にするために、やらせ質問を殊更大きく取り上げたように思えます。

本間前税調会長の辞任ですが、私は別に辞任する必要が有るのかなと思っていたのですが。
佐田前行革担当大臣の代わりに渡辺喜美氏が行革担当大臣になったのは、逆に良かったのではないかと思えます。

反日マスコミやコメンテーターは内閣の支持率が物凄く下がっているように言うが、はたしてそうなのだろうか。
小泉前総理をボロカスに言っていた反日マスコミやコメンテーターが、今はその舌の根が乾かないうちに安倍総理より良かったと持ち上げています。
その小泉前内閣ですが、けっして支持率が高かったのではありません。在任中の3分の2ぐらいは支持率が50%を切っています。
それを見れば安倍内閣は、まだ支持率が高いと言えます。

しかし、マスコミが連日支持率が低下と言えば、何も分からない人は“そんなに支持率が落ちたのか、安倍総理で大丈夫なのか”そう思い込んでしまうでしょう。
なかには来年5月退陣説まで言っているところも有る状態です。
これこそ反日マスコミとコメンテーターの手だと言えるでしょう。マスコミは国民のために、本来もっと他に報道しなければならない事があるだろう。しかし、その事は決してしません。身内で不祥事が起きたときの扱いの低さと同じです。
逆に言えばいかに安倍総理が反日勢力にとって脅威なのかと言うことなのでしょう。

安倍総理が行おうとしているのは、教育基本法を始め憲法改正など、木に例えれば根本に関わる事をしようとしています。
この事を考えれば、最近の安倍批判や、次々と出てくる問題が何か作為的な物を感じざるを得ません。

しかし、根本の改正を実現するためには、これからも出てくるであろう問題を安倍総理が乗り越えることが出来なければなりません。それが出来ないようでは憲法改正は不可能ですし、拉致問題も解決できないでしょう。
我々有権者は問題が出てきても、マスコミの批判がはたして本当はどうなのかを考えて、その語り口に乗らないようにしなければなりません。(成りすまし保守も注意ですね)

ちなみに小泉前内閣の支持率がどのようだったか、朝日新聞の調査を掲載します。


  





スパイ防止法の至急制定を。

2006年12月29日 | 時事問題
海自隊員が無断で北朝鮮に渡航 防衛庁「情報流出ない」

 相次ぐ無断渡航が問題になっている海上自衛隊で、3等海佐(42)が平成8年12月から9年1月にかけて統一教会のツアーに参加し、防衛庁に無断で北朝鮮に渡航していたことが28日、分かった。防衛庁は9年1月に3佐を減給処分にしていた。

 防衛庁海上幕僚監部は「3佐は現地でツアー参加者以外との接触はなく、情報漏えいはなかった。無断渡航については適正に処分した」としている。当時は1等海尉で、海自岩国基地(山口県)の航空隊で救難飛行艇のパイロットをしていた。現在は地上勤務という。

 ツアーは8年12月30日から9年1月4日の日程だった。これ以外に北朝鮮へ渡航したことはなかったが、8年8月に統一教会のツアーで韓国に、同年12月に別の用事でタイに無断渡航していた。

 海自では今年8月、対馬防備隊上対馬警備所(長崎県対馬市)の1等海曹が、中国に無断渡航を繰り返していたことが発覚した。防衛庁は自衛隊員ら約26万人に記名式アンケートを実施し、575人が「無断渡航したことがある」と回答。12月にこのうち事務官を含む79人を戒告-注意の処分とした。

(2006/12/28 13:58)産経新聞


最近自衛隊のこのような無断渡航など、規律が一番重要な組織で行われていることが出てきています。
軍規(日本は隊規かな)が緩んでいるのか、支那、韓国、北朝鮮への内通者がいるのか、どちらにしても大きな問題です。
特に日本はスパイ天国です。なにも国の情報だけでなく、産業スパイもいます。
その中でも国の情報や、自衛隊の情報は国の存亡にも関わる問題です。
これらを防ぐためにも「スパイ防止法」の制定を早急に行うべきです。
私も最近知ったのですが、スパイ防止法制定のために「日本戦後一新の会」の方がいろいろ活動されています。
日本戦後一新の会
http://mid.parfe.jp/kannyo/issinn/syomeiyousi.pdf




インターネットの人権擁護法案か。

2006年12月27日 | 時事問題
真の自由が保障されてきたインターネット言論に規制の危機が迫っています!!

【引用元ここから】
http://www.mainichi-msn.co.jp/today/news/20061226k0000m040135000c.html

発信者情報:同意なしで開示へネット被害で業界が新指針
インターネット上のプライバシー侵害や名誉棄損について総務省と業界団体は、情報を書き込んだ発信者の同意がなくても被害者に発信者の氏名や住所などを開示する方針を固めた。これまでは発信者が開示を拒否すれば、誰が悪質な情報を流したか被害者側には分からず、泣き寝入りするケースが多かった。業界団体は新たなガイドライン(指針)を年明けに作り、来春から導入する。【ネット社会取材班】

02年に施行されたプロバイダー責任制限法はプライバシー侵害など正当な理由があれば、被害者がプロバイダー(接続業者)に対し、書き込みをした発信者の情報開示を求める権利を初めて認めた。しかし、実際の運用では「どのような内容が侵害に当たるか明確な基準がなく、業者側で判断できない」(社団法人テレコムサービス協会)との理由で、発信者の同意が得られなければ事実上、開示できなかった。

このため、業界は総務省とも協力し、同法に基づく自主的な発信者情報開示のためのガイドラインを策定することを決めた。原案によると、他人の氏名や住所、電話番号など個人を特定する情報を掲示板などに勝手に書き込む行為を幅広く「プライバシー侵害」と認定。個人を名指しして病歴や前科を公開することも含まれる。

こうした場合にプロバイダーが被害者からの要請を受け、発信者の同意がなくても、その氏名や住所、電話番号、電子メールアドレスなどを開示できるようにする。

一方、名誉棄損については、プロバイダーによる任意の発信者情報開示をあまり広く認めると「政治家や企業経営者らの不正や問題点の内部告発までネット上からしめ出す懸念もある」(業界団体幹部)と判断。これまでの名誉棄損裁判の判例も踏まえ、公共性や公益性、真実性などが認められない個人への誹謗(ひぼう)や中傷に限って自主的な開示の対象とする。

被害者は裁判で発信者情報の開示を求めることが多かったが、悪質な書き込みをした発信者を早急に特定し、損害賠償請求できる可能性も高くなるとみられる。

業界と総務省は一般からの意見も募集したうえで、早ければ来年2月にも導入する方針。

英文を読む
毎日新聞2006年12月26日3時00分

【引用元ここまで】

Blog「極右評論」様(2006年12月27日付け)より

http://blog.livedoor.jp/the_radical_right/archives/2006-12.html#20061227

>>ネット規制が始まるのか。
>>ネットの“匿名”潰しが狙いか!

>>「人権擁護法案」の悪夢が再び

「FlighttoFreedom/神の国へ…」様(2006年12月27日付け)より

http://dandyroads.livedoor.biz/archives/50651651.html

>>★ネットの言論統制。
>>≪インターネットの言論弾圧か!?≫
>>~裏で操っているのはおそらく・・・~

こちら様にも無縁ではありません.何故なら↑引用先の極右評論様のBlogにも書かれていまずが,これは人権擁護法案のインターネット版になりかねないからです.例えば北朝鮮や総連批判→個人情報開示要求→開示→報復の懸念があり,言論が思うようにできなくなる危険があります.

インターネットまでもが左翼だけの自由の場にされることは断固阻止しなければなりません!!

引用先2Blog様のコメントともども,是非ご覧ください.


くちべた日本人さんからいただいたコメントを転載します。
ガイドラインの内容によっては、人権擁護法案と同じように成るでしょう。






日本が“心”という字に見える。

2006年12月25日 | Weblog
「韓国から日本をながめていると、日本が“心”という字に見える。北海道、本州、四国、九州と“心”という字に並んでいるのではないか。日本はすばらしい。

万世一系の御皇室(御をつけられる)を戴き、歴史に断絶がない。日本固有の神道が、現在に至るまで相続されており、国家全体が調和された形で形成されている。“八紘為宇”という考え方は、日本の大らかさの現れであって、これは積極的に世界に知らせる必要がある。

それに較べて韓国の歴史は、悲惨であって断層が深く、涙なくして見ることはできない。暗い場所から見れば、明るい所は余計にはっきりと判る。韓国は日本文化の豊かさの中から学ぶことによって、内面的支柱を確立するよう努力したい」

「第二次大戦後の日韓関係は、李承晩政権の影響もあって、共産主義以上に日本を憎む傾向があった。そのため日韓の氷山の一角を誇大に強調して、隠された部分を見落としていた。お互いの精神的歴史的豊かさを掘り起す努力をしようではないか。そのために日本は自信をとり戻して、おおらかに民族形成の原点に立ち返ってほしい」

「現在の日本人の自信喪失は敗戦に起因しているが、そもそも大東亜戦争は決して日本から仕掛けたものではなかった。平和的外交交渉によって事態を打開しようと最後までとり組んだ。それまでの日本はアジアのホープであり、誇り高き民族であった。最後はハル・ノートをつきつけられ、それを呑むことは屈辱を意味した。"事態ここに至る。坐して死を待つよりは、戦って死すべし〃というのが、開戦時の心境であった。それは日本の武士道の発露であった。

日本の武士道は、西欧の植民地勢力に捨身の一撃を与えた。それは大東亜戦争だけでなく、日露戦争もそうであった。日露戦争と大東亜戦争この二つの捨身の戦争が歴史を転換し、アジア諸民族の独立をもたらした。この意義はいくら強調しても強調し過ぎることはない」

「大東亜戦争で日本は敗れたというが、敗けたのはむしろイギリスを始めとする植民地を持った欧米諸国であった。彼らはこの戦争によって植民地をすべて失ったではないか。戦争に勝ったか敗けたかは、戦争目的を達成したかどうによって決まる、というのはクラウゼヴィツの戦争論である。

日本は戦争敗れて戦争目的を達成した。日本こそ勝ったのであり、日本の戦争こそ、“聖なる戦争”であった。ある人は敗戦によって日本の国土が破壊されたというが、こんなものはすぐに回復できたではないか。二百数十万の戦死者はたしかに帰ってこないが、しかし彼らは英霊として靖國神社や護国神社に永遠に生きて、国民尊崇の対象となるのである」
日韓共鳴二千年史より


これは昭和41年に、名越二荒之助氏が韓国に訪問したときに「韓日文化研究協会」の朴鉄柱氏が述べた言葉です。

この朴鉄柱氏は昭和天皇崩御の時も東京に来られています。
その時のことが以下のように書かれています。

「平成元年一月、先帝陛下の崩御の直後に重い足を引きずって彼は東京にやってきた。
先ず二重橋の砂利の上にひざまづいて、長い間頭を上げなかった。ご大葬の日には、雨の中を早朝から皇居の堵列に加わり、御見送り申し上げた。名も無き一韓国人が、瀕死の身を以て氷雨に濡れながら、泣いて先帝陛下にお別れしたその悲しい真心を、御神霊は必ずや御嘉納になったことであろう。」


朴鉄柱氏は、平成二年一月二十五日韓国の馬山で肺ガンで亡くなっています。
昭和天皇崩御の時、既に癌におかされていました。しかし、それでもご大葬のために我が国に来られました。

「天皇陛下のお誕生日をお祝いする府民の集い」

2006年12月23日 | Weblog
日本会議主催の「天皇陛下のお誕生日をお祝いする府民の集い」に行ってきました。
会場は満員でした。
第一部での、八尾市市会議員三宅氏の国旗国歌の教育現場での実情。腹が立ちます。学習指導要領では国旗国歌の教育を書いていますが、学校では日教組が強いため学習指導要綱に沿っていません。
解放同盟との戦いも話されていました。
第二部では、中山直也氏が講演されました。
『皇室と日本の伝統』となっていたのですが、教育基本法改正に関わっていたので、時間の半分は「教育基本法」改正についてやり取りを話されていました。
海外における愛国心教育や宗教教育の現実を説明されたり、日本が「美しい国」になるためには、公明党との連立を解消しなければ無理だと、暗に言われていました。
皇室については、昨年からの皇室典範改悪問題や、天皇陛下のお言葉やサイパン行幸先のホテルで、陛下が通られるとき日本会議の青年達が君が代斉唱したら、天皇陛下が足を止められ最後まで聞き入られたエピソードなどを語られました。
今大事なことは、宮家の事と言われていました。旧宮家の復活をするべきです。


~プログラム~

【第1部】奉祝式典(午後2時~2時半)

―、国家斉唱

一、主催者代表挨拶

一、ご来賓祝辞
  八尾市市会議員 三宅 博

一、「天長節」唱和

   天長節

  作詞・黒川真頼
  作曲・奥 好義
  編曲・田中館貢橘

  今日の吉き日は 大君の
  うまれたまいし 吉き日なり
  今日の吉き日は 御光の
  さし出たまいし 吉き日なり

  ひかり遍(あまね)き 君が代を
  祝え、諸人 もろともに
  恵み遍き 君が代を
  祝え、諸人 もろともに


一、聖寿万歳

【第2部】記念講演(2時40分~4時10分)

■演題『皇室と日本の伝統』
■講師 中山直也(なかやま・なおや)氏(日本会議国民運動推進局長)
[略歴]
昭和32年、福岡県北九州市生まれ。山口大学出身。昭和60年に日本会議の全身、日本を守る国民会議の活動に参加。以後、皇室、憲法、防衛、教育等、国家の基本問題に関わる活動に従事し、毎年夏には全国縦断キャラバン隊隊長として、全国キャンペーン活動を推進、平成9年の日本会議設立以後も天皇陛下御即位十年奉祝運動、国旗国歌法制定へ向けた活動、憲法改正運動等に携わり、現在は、目本会議の国民運動推進局局長として、皇室典範改定問題、教育改革問題等に取り組んでいる。

【第3部】日本の童謡唱和(4時10分~4時25分)

「冬景色」
「冬の夜」
「故郷」




天長節

2006年12月23日 | 皇室
天皇陛下 御誕生日おめでとう御座います。
これからも御皇室の弥栄をお祈り申し上げます。


□天皇陛下のお誕生日に際しての記者会見の内容
問1  
秋篠宮ご夫妻に,皇室にとって41年ぶりの親王となる悠仁様が誕生されました。紀子様のご懐妊を聞かれたときの陛下のお気持ちは,どのようなものだったでしょうか。また出産までの10か月間,紀子様をどのような思いで見守られたでしょうか。悠仁様と初めて対面されましたときのお気持ちや参内された際のご様子,男のお孫様としての教育のあり方についても,あわせてお聞かせください。

天皇陛下  
十分にお答えができないといけないと思いますので,書いてきたものを読みながらお答えしたいと思います。問に従って十分にお答えができるよう紙にまとめましたので,それに従ってお話したいと思います。

 懐妊の兆候があることは聞いていましたが,安心な状況というばかりの話ではなかったので,検査の結果順調に懐妊しているということを宮殿で侍従長から聞いた時には本当にうれしく感じました。その後,秋篠宮妃には,つわりや大出血の可能性のある前置胎盤の症状が生じましたが,それを乗り越え,無事悠仁を出産することができました。秋篠宮妃には喜びと共に心配や苦労の多い日々であったと思います。予定日より早い帝王切開での出産でしたが,初めて会った時には立派な新生児だと感じました。出産に携わった関係者の尽力に深く感謝しています。また,大勢の人々が悠仁の誕生を祝ってくれたことも心に残ることでした。悠仁の生まれたとき滞在していた北海道を始め,その後訪れた各地の道々で,多くの人々が笑顔でお祝いの言葉を述べてくれました。

 最近の悠仁の様子として目に浮かぶのは,私の近くでじっとこちらを見つめているときの顔です。

 教育の在り方についての質問ですが,今は秋篠宮,同妃,眞子,佳子の2人の姉に愛情深く育てられていくことが大切だと思います。15歳になった眞子は,今年1年非常に頼もしく成長したように感じています。きっと眞子,佳子が悠仁の良き姉として,両親を助けていくことと思います。



問2  
二つ目の質問をさせていただきます。皇太子ご一家はこの夏,雅子様のご療養を兼ねてオランダを訪問されました。陛下は海外でのご静養についてどのようにお考えでしょうか。また,その後の雅子様のご回復の様子や,幼稚園生活を始められた愛子様のご成長など,皇太子ご一家へ寄せられる思いも,あわせてお聞かせください。

天皇陛下  
この度のオランダでの静養については,医師団がそれを評価しており,皇太子夫妻も喜んでいたので,良かったと思っています。皇太子一家を丁重におもてなしいただいたベアトリックス女王陛下並びにウィレム・アレクサンダー皇太子,同妃両殿下に対し,深く感謝しています。

 最近の愛子の様子については,皇太子妃の誕生日の夕食後,愛子が皇后と秋篠宮妃と相撲の双六(すごろく)で遊びましたが,とても楽しそうで生き生きとしていたことが印象に残っています。ただ残念なことは,愛子は幼稚園生活を始めたばかりで,風邪を引くことも多く,私どもと会う機会が少ないことです。いずれは会う機会も増えて,うち解けて話をするようになることを楽しみにしています。

 皇太子妃の健康の速やかな回復を念じていますが,身近に接している皇太子の話から良い方向に向かっていると聞き,喜んでいます。健康を第一に考えて生活していくことを願っています。



問3  
今年は,いじめや自殺,虐待など,子供たちをとりまく環境の厳しさがクローズアップされ,夏には故富田朝彦・元宮内庁長官が残した昭和天皇の発言に関するメモが明らかになり,靖国神社をめぐって様々な議論が起きた年でした。子供たちを取り巻く環境についてと,戦没者追悼について,どのようにお考えかお聞かせください。

天皇陛下  
今年は子供のいじめや自殺,虐待など悲しい事件に多く接した年でした。子供を失った親の気持ち,いじめにあった子供の気持ちを察すると誠に心が痛みます。

 このようなことをできうる限り防ぐために,親,子,先生が互いに信頼し合う関係を築いていくことが大切であり,子供たちが自分の立場と共に他人の立場にも立って,物事を考える習慣を身につけて育つように,親や先生が助けていくことが重要と思います。近年,生徒が高齢者や障害者との交流やボランティア活動に取り組み,様々な立場の人々に対する理解を深める機会を作っている学校が多くなっていることは心強いことです。私はこういう面に今日の教育の明るい兆しを感じています。

 戦没者の追悼は極めて大切なことと考えています。先の大戦では310万人の日本人が亡くなりましたが,毎年8月15日にはこれらの戦陣に散り,戦禍に倒れた人々のことに思いを致し,全国戦没者追悼式に臨んでいます。戦闘に携わった人々も,戦闘に携わらなかった人々も,国や国民のことを思い,力を尽くして戦い,あるいは働き,亡くなった人々であり,今日の日本がその人々の犠牲の上に築かれていることを決して忘れてはならないと思います。

 私どもは今までに,軍人と民間人合わせて18万6千人以上の人々が亡くなった沖縄県や,2万2千人近くの軍人が亡くなった硫黄島,そして昨年の戦後60年に当たっては,軍人と民間人合わせて約5万5千人の人々が亡くなったサイパン島を追悼の気持ちを込めて訪れました。救援の手が及ばない孤立した状態で,食糧や水も欠乏し,死者や負傷者の続出する中で,特に硫黄島では地熱に悩まされつつ,敵の攻撃に耐えて戦ってきた人々の気持ちはいかばかりであったか,言葉に言い表せないものを感じています。また原子爆弾を受けた広島市と長崎市は,熱風と放射能により,広島市ではその年のうちに約14万人,長崎市では約7万人が亡くなりました。生き残った人々も後遺症に悩み,また受けた放射能により,いつ病に襲われるか分からない不安を抱いて過ごさねばなりませんでした。

 戦後に生まれた人々が年々多くなってくる今日,戦没者を追悼することは自分たちの生まれる前の世代の人々がいかなる世界,社会に生きてきたかを理解することになり,世界や日本の過去の歴史を顧みる一つの機会となることと思います。過去のような戦争の惨禍が二度と起こらないよう,戦争や戦没者のことが,戦争を直接知らない世代の人々に正しく伝えられていくことを心から願っています。



関連質問  
3問目の戦没者追悼についてのお話しに関連しまして,追悼の気持ちあるいは追悼の形について昭和天皇とお話し合いになったことで何か印象に残っていること,あるいは昭和天皇から伝えられたことといいますか,そのようなご記憶にありましたらお聞かせいただければ幸いです。

天皇陛下  
追悼のことについては伺ったことはありません。


天皇誕生日、天長節と言いました。


御誕生日も忙しい天皇陛下

2006年12月22日 | 皇室
明日12月23日は天皇誕生日です。
ところで、天皇陛下は御誕生日をどのように過ごされるか御存知でしょうか。
ご自身の誕生日も大変忙しようです。
午前は十時から宮中三殿御拝、一般参賀に出られます。
その後宮中で祝賀の儀が行われます。
祝賀の儀は、昭和天皇の式部官であった武田龍夫氏が「宮中物語 元式部官の回想」に書いています。

祝賀の宴と外交団茶会

さて宮殿における天皇誕生日祝賀の儀は、まず皇族方の千鳥、千草の間ご参集から始まる。皇太子殿下、同妃殿下はじめ、各皇族および旧皇族、ならびにご縁故の向き、あわせて約四十方の陛下に対する祝賀言上が行なわれるのであり、ついで皇后陛下に拝賀のうえ、祝膳をいただいて当日の前奏曲を終えるのである。

このあと内閣総理大臣、衆参両院議長、最高裁長官(いわゆる宮内庁部内でいう「四長官」)が順次、正殿松の間に参上して祝賀を言上する。前後して両院議員中の被招待者夫妻、各県知事、および認証官夫妻ら、.四百人以上の祝賀参内者が春秋大広間から豊明殿に参入する。

ここで祝賀の終った四長官と合流、ついで陛下のお出でを待って宴会の儀が始まるのである。この間雅楽が奏され、メーンテーブルには美々しく着飾った皇族ご一同がご着席になり、十二列に連なる長テーブルが櫛の歯のように並ぶ、「貴顕紳士淑女」約五百名の大宴会となるのである。

豊明殿のなかは高天井から垂れ下る三十二基のシャンデリアで、昼を欺くほどに明るく、四隅には桜、梨、すもも、つつじ、花菖蒲、百合、桃の花が大花瓶に盛られて豪華な香りを放っている。(ちなみに宮殿各間すべてに大きな花瓶や鉢が置かれ、松、連翹、雪柳、牡丹、霞草、つつじ、いたや楓などの花木が、盲同貴な香りを漂わせるのである)。そして豪華絢爛たる豊旗雲の壁画つづれ画を背にして、何十人という金釦黒制服に白手袋の給仕人たちが、食卓の間を忙しく縫うのである。

さて、このあと午後三時からは外交団の祝賀茶会である。各国大使、同夫人、および臨時代理大使、同夫人があいついで北車寄せに到着する。そしてふじ、黒松の盆栽が見事な枝ぶりを誇示している北溜から参入、東庭側廊下に信任状捧呈順に並び、次々に国名を呼び上げられて順次、春秋の間に入り、陛下に祝賀を言上、握手とお言葉を賜る。

次に皇族方にご挨拶をして、総理、外相と握手ののち、飲みもののグラスを手にして、順を追って増えてゆく大使たちとの歓談の場に入ってゆくという形式である。
式部官はもちろんのことであるが、当日は外務省の儀典官(兼任式部官でもある)まで応援にかけつけ、手分けしてお互いに各大使夫妻を春秋の間に誘引し、皇族方にご紹介しては、また次の大使夫妻をーと、堂々めぐりで一人当りほぽ十力国の大使夫妻をアテンドするのである。だからしまいにはもう足が痛くなってきて、疲労困慰といったことになってくる。

この間陛下の後ろには、これまた外務省から動員されてきた英語、スペイン語、ロシア語、中国語、フランス語の各通訳が控えていて、各夫妻ひとり一人に対して、律儀にご丁寧な謝意を述べられる陛下のお言葉を通訳するのである。何しろ全世界各国からの大使たちである。モーニングが正装であるが、色とりどりの民族衣裳も混じって、肌の色、目の色も、それぞれ違う国際色豊かな光景を繰り広げるのである。

こうして最後の臨時代理大使(夫妻)が終ると、静粛を求める合図とともに静まり返るなかを、外交団長が一歩前に出て陛下に祝賀を言上申しあげ、挙杯となる。そしてこのあと、過年度内に来日した国公賓の国からの各大使夫妻、何組かと順次お話を交されたあと、チャイムが鳴って、拍手の波を背に陛下のご退出となるのである。ちなみにある年の天皇誕生日に祝賀参上した外国大使数は八十一人、夫人六十六人、計百四十七人。臨時代理大使二十一人、夫人十三人、計三十四人。合計百八十一人であった(在本邦大使館数百三力国)。

なお陛下のご高齢によるお疲れを考えて、五十九年度より右のやりかたはかなり簡略化されることになった。もっともご自分のご健康より、つねに公務を優先にお考えになられる陛下としては、あるいはご不満かもしれない。しかし陛下は、いっさいお口出しはなさらない。陛下は側近の申しあげ、おすすめすることはすべて善であると信じられて、何ごとによらずすなおにお従いになられるのである。


冬至

2006年12月21日 | 今日は何の日
十二月二十二日は冬至です。
一年で最も昼間が短く、夜が長い日です。
ちなみに冬至から45日後が立春にあたります。
冬至に欠かせないものとして、柚子にカボチャがあります。
カボチャを食べてゆず湯に浸かる。いいですね~。
それ以外に小豆粥とコンニャクもあります。

冬至には小豆粥を炊いて食べる。
共工という凶暴な水神の息子が冬至の日に死んで疫鬼となり、人々に害を及ぼした。疫鬼は赤い小豆を恐れるので、冬至の日には小豆粥を食べ、病気にかからぬようにするのだという。
かゆ食うも 物知りらしき 冬至かな  (一茶)

冬至には「南瓜」を食べる風習がある。
南瓜がポルトガル人によって伝えられたときは、ポルトガル語のaboboraから「ボーブラ」と呼ばれた。江戸に伝わり、沢庵和尚が寛永年間に栽培をすすめたので、人々は「なんきん」といって珍しがって食べた。後に松原庄左衛門が、カンボジャ原産の瓜ということで「かぽちゃ」として売りだした。
天明の洪水で南瓜畑が水びたしになった後、古い種からつくった南瓜は「かぽちゃ」より味が良いととうなすいうので、人々はこれを「唐茄子」と呼んだ。現在では「かぽちゃ」と「唐茄子」は同じものをいうが、呼び名の履歴がおもしろい。
冬になると野菜が少なくなるので、珍しい、しかも長持ちする南瓜を冬至に食べると、中風予防のまじないになるという。これは黄色を魔除け災除けとする信仰で、南瓜が黄色いからでもある。大切な茶器や道具を包むのに黄色の布を用いたり、栗や楯子の黄色い御飯を食べたりするのも、黄色は五行の根本で邪を払い、疫を防ぐという五行説による信仰からである。

冬至には「蒟蒻(こんにゃく)」を食べる。
奈良時代に仏教とともに日本に渡ってきた蒟蒻は、「砂払い」といい、身体にたまった砂や毒物を吸収して排出する食物として、僧侶が好んで食べた。栄養価はなくとも整腸剤として有効なためでもあったのだろう。一年間たまった煩悩の砂を洗い流すという俗信である。

冬至には「柚子湯」に入る。
端午の節句に菖蒲湯につかり、土用に丑湯をあびるのと同じように、これも禊ぎである。黄色い柚子の実を入れた湯に入って邪気を払い、香りを楽しみながら、ひび、あかぎれを癒し、風邪の予防に効果があるという。また、冬至を「湯治」にかけて、柚子を「融通」をきかせて世を渡るという語呂合わせも、日本人好みな縁起である。
「桃栗三年、柿八年、柚子は九年でなりさがる」といわれ、実がなるまでに長い年月がかかるので、風雪に耐えぬいて成功するシンボルの一つとして、柚子が尊重されたのである。
年中行事を科学する 永田久著 



安倍総理記者会見。

2006年12月19日 | 時事問題
今日で臨時国会は閉会です。
6時から安倍総理の記者会見が行われましたが、NHK以外の放送局はニュースの時間にもかかわらず中継しませんでした。

普段から安倍総理の顔が見えないと言ってるくせに、記者会見を中継しない。
結局は顔が見えないのでなく、マスコミが隠しているだけです。

憲法改正を在任中に果たしたいと発言されました。

首相「憲法改正、在任中に」 次期国会で国民投票法を


防衛省昇格と自衛隊

2006年12月19日 | 自衛隊
防衛庁が防衛省に昇格することが決まりました。どこがどう違うのか、まだよく分からない点があると思います。
かく言う私もはっきりと理解していません。
そうしたら、タイミング良く、今朝の産経新聞「正論」で志方俊之氏が比較的分かりやすく書かれていました。


【正論】帝京大学教授・志方俊之 防衛省昇格を国家戦略に反映せよ 

 ■道路・港湾・環境にも安保意識を

 ≪置き去りだった省昇格≫

 防衛庁を省に昇格させる関連法案は、11月30日、自民、公明、民主、国民新党などの賛成多数で衆議院を通過し、参議院での審議を経て、12月15日、可決成立した。

 防衛庁の省昇格は、昭和39年、池田勇人内閣時代に閣議決定されたが、当時の政治情勢から国会に提出されることなく「お蔵入り」となった。

 その後平成10年の橋本龍太郎内閣時代、中央省庁等改革基本法が成立したときに大きいチャンスが訪れた。この時に環境庁を環境省に昇格させたが、防衛庁の省昇格は実現しなかった。

 当時の政治情勢を勘案し、防衛庁の省昇格に固執すれば、中央省庁の改革そのものが実現しないと「尻尾切り」の沙汰(さた)となったのだ。このとき25万自衛隊員の政治に対する失望は如何ばかりであったことか。

 環境庁が環境省になったことに不満を言っているわけではないが、わが国の独立と平和を守り、国民の生命と財産を守ることは、国民の生活環境を守ることと同じ程度に、国家、国民にとって重要なのは自明だ。

(略)

 ≪省になると何が違うか≫

 では「省」と「庁」とでは何処がどう違うのか。省昇格という言葉そのものがその辺の事情を物語っている。庁は省よりその任務や権限が制約されて国政への関与度が低いからこそ「昇格」という言葉が使われている。

 省の長たる「主任の大臣」は、行政事務を分担管理(内閣法第3条)し、案件の如何を問わず内閣総理大臣にそれを提出して閣議を求めることができる(内閣法第4条)。

 これに反し、庁の長たる防衛庁長官は国務大臣ではあるが、防衛行政を担当する主任の大臣ではなく閣議請議権がない。

 法律や政令の制定と改正、自衛隊の重要な活動についての閣議請求、予算の要求・執行などを長官名で行うことができないのだ。

 長官は防衛庁の「事務を統轄」しても、防衛戦略を練り、防衛政策を立案し、防衛力を整備して、部隊を訓練しておくといった防衛行政は、長官が直接外出しするのではなく、内閣府の長(総理大臣)に伺いをたて、閣議の場に持ち出してもらう。

 防衛省となれば、防衛相は「主任の大臣」だから、外交・国土交通・経済産業・農林水産など他の行政と対等のレベルで、総合的な国家の安全保障戦略形成に参画できる。これまでは、高速道路や港湾や空港の建設を決める際に、経済効果や環境への影響が問題にされても、防衛という視点からの検討はなされたことがなかった。食糧やエネルギーの確保についてさえ防衛は素通りが多かったのだ。

 省昇格が遅れに遅れてきた理由は大きく分けて3つある。第1は防衛庁が省でなくても何の不都合もなくやってきたのに、なぜ今さら「省昇格」のため政治的エネルギーを使うのか。もっと他にやることがあるという考え方だ。

 ≪官主導から政治主導へ≫

 第2は今回省昇格法案に反対した一部の野党が、日本を再び「戦争しやすい体制」に戻すキッカケをつくってはならないと、これを政争の具にしてきたことも大きい。

 第3は防衛庁が省になれば「対等な調整先」が1つ増え厄介なだけだと他の省庁が積極的に動かなかったことだ。

 文民統制が心配になると懸念する向きもあるが、防衛庁を省にして閣議請議権を与え、総合的な国家安全保障戦略形成の枠組みに入れておく方が文民統制がきくことは明らかだ。

 今回の省昇格の真の狙いは、「官僚主導」に過ぎたわが国の国家行政を「政治主導」とすることにあったからこそ野党の大部分が賛成に回ったのであろう。

 今回の法改正を機に、自衛隊の海外活動を「本来任務」に格上げすることも重要である。また「日米安全保障協議委員会(2+2)」における外交と防衛とのすり合わせが、従来より正しく行われるようになろう。

 日本版NSC(国家安全保障会議)を設置する動きと相まって、各省庁を横断した国家戦略をつくること、さらに海洋開発や国土開発をはじめ、国の基本的な政策のさまざまな場面に安全保障という視点を反映させることを「防衛省」に期待している。(しかた としゆき)

(2006/12/19 05:04)産経新聞


これからは、高速道路や空港、港湾施設や食糧の問題も防衛の観点から意見が言えるようになったと言うことでしょう。

それとは別に、防衛省になったのは良かったのですが、自衛隊の行動もキッチリと法整備をし直すべきべきでしょう。
よく言われることですが、敵が攻めてきているのに自衛隊車両は赤信号で止まらなければならないとか、高速料金を払わなければならないなど、馬鹿げた内容です。
これでは危機に対応できず、助かる命も見捨ててしまうことになりかねません。
戦争では対応する速度が大切です。

16日の「EXPRESS」に“自衛隊縛る「境界線」”として野口裕之氏が記事を書いています。
自衛隊が真の意味で活動できるようにしなければならないでしょう。

自衛隊縛る「境界線」
日本の安全保障・危機管理上の法律には「平時」と「有事」を分ける何本かの“境界線”が捏造されている。「専守防衛」などと同類の、戦後醸成された軍隊への拒否反応が生み出した虚構だ。自衛隊暴発を阻止する「安全装置」という名目で“境界線”をでっち上げたのが官僚と一部の政治家だった。だが、事実はまったく逆。“境界線”は自衛隊をがんじがらめに縛り、危急の際の行動を封じ込める足かせとなっている。

穴だらけの「出動」

朝鮮半島で紛争が起きれば、北朝鮮の特殊部隊が日本でテロを起こし、国民を震え上がらせ、日米同盟に亀裂を入れるという分析は説得力を持つ。例えば、交通機関などへの散発的爆破が起きたとする一。
自衛隊の武力行使には「防衛出動」下令は必須条件。ところが、「防衛出動」は「わが国に対する外部からの武力攻撃」に対し発せられる。その「外部からの武力攻撃」について、政府は「他国のわが国に対する計画的、組織的な武力による攻撃」と答弁してしまった。北朝鮮の特殊部隊が名乗るだろうか? 国家を持たないアラブ系原理主義者や日本の過激派の犯行も排除できず、防衛出動下令を即断できない懸念がある。
「防衛出動」下令以前にも問題がある。自衛隊にはテロに備え「警護出動」という行動規定が定められている。ところが、「国民に銃を向けるのか」との自民党左派の大物議員らの認識により、皇居や首相官邸、国会議事堂や原子力発電所は自衛隊の警備対象からはずされた。法律上、自衛隊は自らの基地と米軍基地だけしか警備できない。これ以外の地域や施設を守る場合は警察官や海上保安官に犠牲が出るなど、警察や海保では手に負えないレベルに陥って初めて「治安出動」命令により自衛隊の出番が回って来る。
参加している研究会でのシミュレーションで、警察から「自衛隊は何をやっている。早く出動を」などと、催促されるケースがあったが、実は自衛隊・警察合同訓練でも、同様の事例が出始めている。

「平時」と「有事」

国民の多くが、国家危急の際の自衛隊出動を期待し、法律でも担保されているものと信じている。それが常識であるからだ。むしろ、法律が非常識で、国民を裏切っている。
裏切りは、「平時=警察」と「有事=自衛隊」の間に、現実には存在しない架空の境界線を政府が捏造、「自衛隊は『有事』に限り軍事行動をとる」という虚構をでっち上げたことに端を発する。「『平時』は警察。自衛隊の出動は警察の後」「“境界線”上における自衛隊は、あくまで警察権限で活動」という、一見もっともらしいが、柔軟性を著しく欠いた“縄張り”の固定化であった。
特殊部隊や特殊工作員らによる攻撃は広範囲に多発、規模もまちまちであるかもしれない。しかも、徐々に危険度が増したり、一気に深刻化したり。いうなれば、「平時」「有事」はモザイク状に入り乱れ、変幻自在に推移。時間と地域によって「平時」「有事」が混在する事態が想定される。
日本の法律の欠陥を熟知した狡猾な工作員は、自衛隊の武力を投入させまいとして、“境界線”を越えないよう、悪知恵を絞るだろう。

「周辺事態」の対応

一方、「平時」でも「有事」でもない「グレーゾーン」の存在を、“境界線”ではもはや説明できなくなり、ハタと困った。例えば、「朝鮮半島有事」などでは、わが国にその戦火が飛び火することが予想されるが、当初は「日本有事」ではない。そこで、「周辺事態」なる概念を編み出した。
日本の「平時」と「有事」の間に“境界線”に代わって割り込んだ「周辺事態」。ここでは「平時」と「有事」という両隣に1本ずつ、合計2本もの“境界線”を生み出した。
周辺事態においては法律上、「後方地域」=「戦闘地域と一線を画する場所」であれば、自衛隊による米海軍艦艇への給油支援などが許される。同時に給油中、米艦艇が敵の攻撃を受けた場合、休止することもまた、法律でうたわれている。
これは曝境界線態を言い訳に、同盟国を裏切って“敵前逃亡”することを法律で担保しているに等しい。
実は、日本領域を含む「後方地域」こそ、特殊部隊によるテロの舞台。国民を脅して、後方支援から手を引かせる作戦は実に効果的だからだ。テロが予測される事態とは「周辺」ではなく、まさに「わが国」の問題。しかも、ミサイル技術の進歩が著しい今日、「後方地域」は瞬時に「戦闘地域」へと化す。日本が「一線」を画しても、北朝鮮は「一線」を越えてくる。前述の防衛・警護両出動時とはまさに逆パターンだ。
「防衛力を効率的に活かし切れる、現実・危機を直視した法的基盤」と「国家の意思決定メカニズム」は国家間の軍事力比較の要件。ところが、その2要件は、かくも難解な造語と“境界線”で塗り固められている。こうした劣悪な環境下で、自衛隊は現に存在し、半世紀以上もの間防衛力を運用してきた。
背景には「自衛隊にはギリギリまで軍事行動をさせない」という、軍隊に対する戦後の過剰な拒否体質を引きずる官僚と一部の政治家の考えが今なおまかり通り、立法に影響を与え続けている日本特有の病巣がある。
北朝鮮とは「戦う前に負けている」と言わざるを得ないし、「自衛隊が強いのか」と聞かれても、言葉に窮してしまう。

【軍事報告】国家危機に機能せぬ法的基盤





細菌兵器対策も考える必要がある。

2006年12月18日 | 時事問題
安倍首相がノロウイルス対策を指示

 安倍晋三首相は18日昼の政府与党連絡会議で、各地で感染被害が広がっているノロウイルス対策に強力に取り組むよう、柳沢伯夫厚生労働相に指示した。

 首相は「感染者数が過去最大となっている」と憂慮を示した上で、関係省庁が連携して、医療機関、社会福祉施設、食品事業、教育施設への予防対策の周知、指導を徹底するよう指示した。

 国立感染症研究所の集計によると、全国約3000の医療機関から11月27日-12月3日に報告された患者数は6万5638人に上り、過去最高となった。

(2006/12/18 13:42)産経新聞


今年はノロウイルスによる発病が異常に増えています。昨年までは、院内感染がほとんどだったと思うのですが、今年はいろんな所で発症しています。
予防対策を徹底するようですが、どこから感染しているかその特定をしっかり把握するべきではないだろうか。
考えようによっては、テロリストによる細菌兵器になりかねない状態です。
細菌兵器は何も人を殺さなくても、社会不安を起こすだけでもかなり有効です。
兵器を持って戦うだけが戦争でなく、相手の国内で社会不安を起こすのも戦争です。ようは武力を使わずして勝つということです。
来年になればインフルエンザも流行するだろう。今回のノロウイルスの流行は、改めて細菌兵器に対する対策を考えとくべきでしょう。

「特攻 最後の証言」

2006年12月17日 | たまには読書
以前記事にした「特攻 最後の証言」を読みました。
これは、特攻に志願したけどそれぞれの理由で生き残ることになった8人の元特攻隊員のインタビュー形式の証言集です。
それぞれの方が特攻隊に志願した時の気持ちや、特攻兵器での訓練。特攻隊でありながら命を絶対に粗末に考えなかったことなど(特攻隊だからこそ命を貴重に考えたのではないでしょうか。)貴重な証言が書かれています。

本書に書かれている特攻兵器も8種類の特攻方式です。人間爆弾、人間魚雷、人間機雷、特攻艇、特攻機と多種に渡ります。
島民が集団自決した渡嘉敷島の特攻隊員の証言も書かれています。(集団自決、軍命令を否定する証言)



鈴木 「今の時代、とても残念に思うのはアメリカが占領して進駐してきたと。アメリカとしては、日本という国が怖かったから、2度と戦争させちゃいけないということで、日本を骨抜きにしようというのが彼らの占領政策だったわけですよ。我々が復員してラジオ聞いても『真相はこうだ』とか『真相箱』とかいう放送を毎日やってました。これで洗脳する。大本営が嘘八百の発表をしたのと同じように、アメリカも嘘で固めた作り話で日本人を洗脳し始めたんです。この野郎! と思ったけど、世の中にはいろいろな人間がいて、アメリカの宣伝部が来ても、いろいろと彼らに迎合していけばいい格好になると考える人もいたわけです。阿片戦争にしてもイギリス軍が上陸して来たとき、人民は競って荷役をして金を貰い、それでイギリス軍はどんどん奥地に入って行った実績がある。自分の欲望のために隷属していく人間がいたことを今になって考えると、戦争が終わって骨のある人たちが虚脱状態になったということですね。今まで頑張ってきただけに反動で落ち込んだ。もう何をするのも嫌だと。そこにつけ込む形で尻尾を振る連中が、『俺は戦争に反対していた』とか『俺は戦争が嫌だった』とか、『やるべきじゃなかった』などと言い出して。戦争に協力したヤツはけしからんと。我々は反対したんだと。吊し上げを始めた。例えば、画家の藤田嗣治なんて、従軍画家だったことを吊し上げられて、もう日本には帰らないと宣言してパリに行ってしまった。この一つをとってもわかるように、あのとき(終戦)に日本人が引き裂かれたんだな。戦争に負けて一切が嫌になった人たちと、戦争に負けたんだから、ここぞとばかりに占領軍に迎合して、いい思いをしようとするオポチュニストたちとに」

このままでは三途の川を渡れない

―最後に若い人たちに伝えたいメッセージをお願いします。

鈴木 「いろいろありますが……とにかく教育が骨抜きにされていますね。おまけに付和雷同したおかしな政治家が、国を愛するなんていうのはとんでもないなどと平気で発言する。普通そんなことは通らないことです。愛国心をしっかり持って欲しい。愛国心がどこから出てくるのかといえば、自分の家族を大事にし、郷土を大事にし、日本の文化を大事にする、その先に象徴である日の丸の旗も大事にすると。その愛国心を持たなければいけないのに、その教育ができていない。むしろ愛国心を持つと戦争を起こすなんて馬鹿なことを言ってる。中国にあんなこと言われても、中国の言う通りにしようだって。土下座外交、媚中外交していることに気がつかないのかと言いたい。そういう世の中において、やはり若い人たちに良く見てもらって、これじゃいかんぜと、一人一人が国を愛することから始めて欲しいな。そして何でもいいから社会に奉仕しようと心がけて欲しい」

―若い人も、中国の反日が政治的であると気づき始めた人もいるようですが。

鈴木 「そうですね。まあ、でも、あなたたちのような人が、俺なんかの話を聞きに来てくれるのも、少しは世の中が変わりつつあるのかもしれない。そうだとありがたいけどね。この間、TVのインタビューでこう答えたんだよ。『今のような世の中だったらね、俺が死んで三途の川渡ったときに、戦友になんと言ったらいいか言葉がない』と。先に逝ったしゃば連中に『お前、娑婆で何やっとったか』と言われるよ。まあ、でも、ひょっとしたら、もう少し時間がたったらね、反動で少しは(世の中が)良くなってくれるんじゃないかとね、期待はしているよ。それには、俺は長生きしなきゃな。長生きしてね、もう少し(戦友に)報告できるとっかかりができた後に三途の川を渡りたいもんだよ。そんなところだな」
(「桜花」第七二一空桜花隊 鈴木英男海軍大尉)




拉致救出訴え御堂筋を行進

2006年12月16日 | 拉致
拉致救出訴え日米同時集会 有本さん夫妻ら御堂筋を行進
2006年12月16日(土)15:32産経新聞

 10日から始まった「北朝鮮人権週間」の最終日となった16日、全国各地の街頭や、米ワシントンのホワイトハウス前で午前10時(米現地時間15日午後8時)、一斉に拉致被害者らの写真を掲げる「日米同時集会」を開催。大阪市内では、有本恵子さん=拉致当時(23)=の父、明弘さん(78)と母、嘉代子さん(80)夫妻ら約100人が、御堂筋などを練り歩いた。

 先頭に立って行進した有本さん夫妻は「拉致事件の全面解決まで、私たちは訴え続けなければならない」と訴えた。

 また、拉致被害者の「家族会」メンバーらは同日、埼玉県朝霞市の陸上自衛隊広報センターで、北朝鮮向け短波放送「しおかぜ」の公開収録を行った。

 家族会代表で、横田めぐみさん=同(13)=の父、滋さん(74)は「めぐみちゃん、お父さんです。日本中の人が待っています。元気に帰ってきてください」と呼びかけた。

 収録には、家族会副代表で田口八重子さん=同(22)=の兄、飯塚繁雄さん(68)や、先月、政府が拉致認定した鳥取県米子市の松本京子さん=同(29)=の兄、孟さん(59)らも参加。集まった約100人の聴衆を前にメッセージを録音した。


日米同時 拉致救出・大阪御堂筋行進に参加してきました。
有本恵子さんのご両親他特定失踪者のご家族の方も何組か参加されていました。
拉致問題解決に特別何が出来るわけではありませんが、全員が一日も早く帰国できるように祈念したいですね。