一燈照隅

日本が好きな日本人です

不安の解消。

2008年10月31日 | 時事問題
日経平均株価のバブル後最安値更新について

平成20年10月27日
社団法人 関西経済同友会
代表幹事 齊 藤 紀 彦

○株価下落と円高が相互に悪影響を与えつつ進む現下の状況は、わが国実体経済を反映したものとは言い難く、まずは冷静な受け止めが必要である。しかしながら、世界経済の混乱がわが国経済に確実に影響を与えつつあるのも事実であり、的確な対応をしていく必要がある。

○政府・日銀には、先般成立した補正予算案に含まれる総合経済対策の早期実施や、さらなる追加対策の打ち出しなど、引き続き国民の不安解消と経済の混乱回避に向けた万全の対策を講じることを望む。なお、政治的空白は作るべきではなく、衆議院の解散・総選挙については、慎重になるべきである。
以 上

追加経済対策について

平成20年10月30日
社団法人 関西経済同友会
代表幹事 齊 藤 紀 彦

○本日発表された追加経済対策は、先の経済対策を上回る規模で、景気減速の影響を真っ先に受ける生活者や中小企業に対する手厚い措置が盛り込まれており、米国発の金融危機の実体経済への波及を最小限に食い止めるための景気対策としてはおおむね妥当である。

○また、与野党から衆議院解散を求める声が高まっている中にあっても、経済対策を優先して、素早く対策をまとめあげられたことも評価できる。

○今後与野党には、今の切迫した事態をしっかり認識した上で足並みを揃えて、追加経済対策の早期成立、早期実施に向けて取り組んでいただきたい。
以 上


景気の回復には不安を解消することが一番です。
そう言う意味では、マスコミも民主党も不安を煽るような悲観的なことばかり言うのは改めるべきです。
昨日発表された経済対策もいろんな意見があるだろう。しかしこれも批判的な意見ばかり述べるのではなく、プラスの面も述べなければならない。
定額減税は殆どのマスコミが“ばらまき”と言っています。確かに私もそう思います。
しかし別の面では、低所得者にとっては助かります。
年収500万以上有る人にとっては屁の突っ張りにもならないかもしれませんが、低所得者やリストラになった人や会社が倒産した人にとっても意味がないと言えるでしょうか。
普段“国民の生活が第一”と言っている政党が批判しかしないのが不思議です。

非常事態には普段と同じ事をやっていては対応できません。非常事態には違うことも必要です。

消費税を3年後には上げたいと言ったのも大きな発言です。
今まで選挙前になると不利になるからとの理由で、消費税を上げるなど禁句でした。
それを選挙前に敢えて言ったことに意味があります。



以下の提言は今回の経済対策と直接関係はありませんが、日本の生命線であるシーレーンの安全確保を考える意味でリンクしました。
「続」新世紀の日本の安全保障を考える
~世界の金融経済情勢激変の中にあっても、日米関係の再活性化をはじめとした日本の安全保障政策の真剣な議論を求む~




Qちゃん笑顔の引退会見。

2008年10月29日 | スポーツ
【Qちゃん引退】完全燃焼 笑顔と涙のゴール
 「自分の中で完全燃焼しました。陸上人生に悔い無しです」-。シドニー五輪で日本女子陸上初の金メダルに輝いてから8年。「Qちゃん」の愛称で親しまれたマラソンの高橋尚子選手(36)が28日、現役引退を表明した。全力を出し切った晴れ晴れとした表情で、最後までさわやかなQちゃんスマイルを振りまいた。

 同日午後5時。会見場となった東京・紀尾井町のホテルには、約200人の報道陣が詰めかけた。白いシャツに黒のスーツ姿で登場したQちゃんは冒頭、「ファンの人におわび申し上げます」と、自らの力不足を謝罪した後、今の心境について「さわやかな気分」と笑顔で話した。

 質問する記者から、「お疲れさまでした」とねぎらいの言葉をかけられるたびに頭をさげては回答。引退については「練習をするなかで精神的にも肉体的にも限界を感じたが、いつ周囲に伝えるべきか悩んだ」と、引退表明までの葛藤(かっとう)を説明。第二の人生については「多くの人に陸上の楽しさを伝え、恩返しをしたい」。

 北京五輪の女子マラソンで野口みずき選手が欠場したことについての質問では、「野口選手に応援のメールを送ろうとしたら、メールアドレスが変わっていて送れなかった」とのエピソードを披露。会場の記者の笑いを誘った。

 だが、会見終了後、記者からねぎらいの拍手が送られると、気丈に振る舞っていた高橋選手の目に涙が。

Qちゃんは両手で顔を覆い、会場を後にした。


突然の引退報道に驚きましたが、引退記者会見は素晴らしかった。
高橋選手らしく笑顔でマラソンに対する思いや記者の質問に丁寧に答えていました。
引退する選手が笑顔で会見するのもなかなか有りません。
高橋選手の人柄がよく出た会見でもありました。お疲れ様でした。
特に私が感心したのは、最後の質問で「ファンの皆さんに一言」との質問に対する発言です。




 
「長年にわたって多くの方から声援を頂き、支えてもらいました。本当に心から感謝致します。ありがとうございました。
私は今、陸上選手で良かったなと心から思います。マラソンを振り返ると、私は走り終わるといろいろな方から『頑張ったね』『勇気をもらったよ』など多くの言葉をかけていただきました。
しかし、マラマラソン選手は1人で走れるわけではありません。
チームを支えてくださるスポンサーももちろんですが、TVや報道、沿道で応援してくれる方、沿道を整理してくれる方、警察など多くの人が支えてくださってマラソンは成り立っています。
もっと深く言えば道路を造って下さる人、道路を整備して下さる人など本当に多くの人がいてこのスポーツは成り立っています。
しかし、そういう方が日々の仕事が終わって『頑張ったね』などと声をかけられるかといえば、なかなかそういうことはないと思います。なので、私はこの場で多くのみなさんにお礼を言うとともに、みなさん、日々の仕事の中で頑張ってくださいとエールを送りたいと思います。本当に今までありがとうございましたソン選手は1人で走れるわけではありません。
チームを支えてくださるスポンサーももちろんですが、TVや報道、沿道で応援してくれる方、沿道を整理してくれる方、警察など多くの人が支えてくださってマラソンは成り立っています。
もっと深く言えば道路を造って下さる人、道路を整備して下さる人など本当に多くの人がいてこのスポーツは成り立っています。
しかし、そういう方が日々の仕事が終わって『頑張ったね』などと声をかけられるかといえば、なかなかそういうことはないと思います。なので、私はこの場で多くのみなさんにお礼を言うとともに、みなさん、日々の仕事の中で頑張ってくださいとエールを送りたいと思います。本当に今までありがとうございました」


最後に自分を支えてくれた人に礼を述べることはよくありますが、それ以外にも競技が出来る環境を作ってくれた普段は気付かない多くの人達にも礼を述べたこと、このような発言は聞いたことがありません。
この発言を聞いて改めて感動しました。
これからの高橋選手は、Qちゃんらしく楽しんでマラソンの発展のために力を尽くしてください。



党首討論はいつ?

2008年10月28日 | 時事問題
党首討論、29日も見送り

 衆院の二田孝治(自民)、参院の山下八洲夫(民主)両国家基本政策委員長は27日、麻生太郎首相と民主党の小沢一郎代表の党首討論について、自民党が求めていた29日の開催を見送ることを決めた。
 党首討論をめぐっては、与党が首相と小沢氏の「党首対決」に持ち込む狙いから再三にわたって開催を要求。民主党は「衆院を解散すればいい」などと主張し、難色を示している。 (了)
(2008/10/27-23:40)


残念ですね。党首討論はいつ行われるのでしょうか。
選挙が近いというのなら、本来野党から挑むものだと思うのですが。
ところが民主党と言うか、小沢代表は何故か逃げているようです。これで3回目です。
体調が悪くても地方回りは出来て、外国の政府代表者との会見予定を入れていても突然キャンセルする。
このような人に国を任すことは出来ない。

日中友好はお題目。

2008年10月25日 | 時事問題
首相、初の日中首脳会談
外交でも、本音の「麻生流」
「友好はお題目」中国に警戒感も


 【北京24日時事】麻生太郎首相は二十四日、外遊先の中国でも、本音をオブラートで包まずにぶつける「麻生流」を披露した。胡錦濤国家主席らの前で、日中両国が競い合いながら「共益」を目指すという考え方を打ち出し、「親中派」の福田康夫前首相の外交路線とは一線を画した。

 「友好というお題目のために互いに遠慮するような関係ではなく、両国が切磋琢磨(せっさたくま)して協力していくことが真の『戦略的互恵関係』だ」。首相は北京で開かれた「日中平和友好条約締結三十周年記念レセプション」で、両国の指導者がこれまで腐心してきた「日中友好」を「お題目」と言い切り、日中は「ライバル関係」にあると位置付けた。

 発言の背景には、中国が経済的にも外交的にも存在感を高める中で、今後は日本と対等の条件で競争し、国際社会での責任も負うべきだとの思いがある。中国製冷凍ギョーザ事件などの懸案でも注文を付けていく姿勢を鮮明にしたもので、首相同行筋は「言うべきことは指摘し、大局も見て現実的、建設的な関係を築く麻生スタイルだ」と絶賛。外務省筋も「中国指導部は現実的だ。靖国神社に参拝さえしなければ『共益』路線はうまくいく」と楽観的だ。

 中国側にも「首相は外相当時、日中の難局打開に努力した」との評価がある。金融危機が深刻化する中で両国の連携強化が求められており、とりあえずは首相の訪中を歓迎するムードが強い。胡主席は首脳会談で「中日関係をずっと重視され、両国関係の発展と改善に力を入れてきた」と首相を持ち上げた。

 ただ、タカ派的な言動が目立ち、「親台派」のイメージが強い首相に対し、中国側に警戒感がないわけではない。「日本の政局の混乱が気になる」(外交筋)と、首相がリーダーシップを発揮できるか疑問視する声もある。

 「共益」をキーワードにした首相の対中外交が中国側とかみ合っていくのか、今後の展開はなお不透明だ。

日中平和友好条約締結30周年記念レセプション
麻生総理挨拶
~日中関係についての、私の所信表明~


麻生首相が昨日行われた、日中平和友好条約締結30周年記念レセプションでの挨拶で、この発言は殆どのマスコミが取り上げていなかったようです。
親中派と言うよりも、屈中派だった福田前首相から麻生首相に代わって初めての首脳会合だったが、「日中友好」をお題目と言いきったことで前首相と違うことをはっきりと表明したことは良いことです。
今まで政治家以外経済界においても、「日中友好」と言われれば日本側が折れるところが有り、国益を損ねてきたところがあります。
それを最初に、これからは「日中友好」と言っても効きませんよと支那側に言ったことは大きいだろう。

それと、『日中関係について、「過去」を謙虚に振り返り、共に「未来」を築いていくことこそ、「現在」を生きる私たちの次の世代への使命である、そのように考えております。』との発言は、過去のことをいつまでも言ってくるな。これからのことが大事やぞ。と言ったようなものでしょう。

外交交渉では下手に出る事の多い日本ですが、麻生首相も安倍元首相のようにはっきりと主張するべき時は主張する外交を期待します。


ねたみ根性は見苦しい。

2008年10月25日 | Weblog
景気が悪いときは金が動きません。
金が動かなければ景気は良くなりません。
物を作っても買ってくれなければ何もなりません。
金の有る人が使ってくれることです。
金の有る人が使うのを止めたら、物を作っている人やサービスしている人の仕事が無くなることになります。
ところが景気の悪い時に金の有る人が金を使うと、妬む人が出てきます。
この事は、けっして良い影響を与えません。
金の有る人が金を使うことに対して妬み感情を持つのは、その人にとってもマイナスにしか成りません。

ところが最近のマスコミ報道は妬み根性丸出しとしか思えません。
国民にとってどうでも良い資産公開もいい加減止めて貰いたい。

常軌を逸している民主党。

2008年10月24日 | 時事問題
小沢代表、印首相との会談欠席「体の具合が悪ければしようがない」
2008.10.24 19:18

 民主党の小沢一郎代表は24日、青森市内で記者会見し、体調不良を理由にインドのシン首相との会談を欠席したことについて、「体調は良くない。体が悪くて休ませてくれといっているのに何で(衆院選に)マイナスになるのか。具合が悪ければ仕方がないではないか」と語った。

 小沢氏はこの日、衆院選の候補者調整のため青森市訪れているが、この点については「選挙に関する約束ははってでも出ないといけない。衆院選のための日程を最優先するのが野党党首の役目だ」と述べた。

 ただ、首相のような激務をこなせないのではないかとの指摘が出ていることには、「首相になって首脳会談ということであれば、多少体調が悪くても欠席することはない」と反論。さらに、「からだが悪い時、それでも新聞社に出ていくか?」と記者への“逆質問”まで飛び出した。


早期解散ないなら「金融機能強化法案は徹底審議」 民主・輿石参院議員会長


小沢代表が首相に成ったらいかに駄目かを自らが示している事に気づかないようである。
自分以外の人を見下した態度をよく取る。
インド政府代表と会うより、選挙応援の方が大事と言うようでは。選挙しか頭にない小沢代表では政治は出来ません。
「生活が第一」より「選挙が第一」とキャッチフレーズを変更したらどうか。

以前にも書きましたが、今非常事態です。
このようなときに選挙選挙と馬鹿の一つ覚えのようにしか言えない。
政治家の仕事は選挙だと思い込んでいる。

株価が下がる一つの要因は政治を不安定にしようとしている民主党にもある。
「こう言う時だからこそ与野党関係なく対応していこう」と言えば民主党は支持されるだろう。
国民生活を政局に利用する民主党です。
批判ばかりしてないで現状に対応する政策を先ず出せ。

挙げ句の果てには「政権が変わるのが最大の景気対策になる」と馬鹿げたことを言い出す始末です。
民主党は選挙という覚醒剤に汚染されている中毒患者です。

被害者にも責任がある。

2008年10月22日 | Weblog
男性3キロ引きずられ死亡 大阪・キタでひき逃げ
2008.10.21 09:24 samkeiweb

 21日午前4時22分ごろ、大阪市北区梅田の阪神百貨店前路上で東から走行してきた車が道路を横断していた男性歩行者と接触、車は男性を引きずったまま逃走した。現場を目撃した男性の同僚が「男性が車にはねられた」と近くの交番に届け出。約5分後に、約3キロ離れた同市福島区吉野の路上で、この男性が放置され死亡しているのが見つかった。

 大阪府警曽根崎署は梅田の現場から引きずられたあと路上に放置されたとみて、道交法違反(ひき逃げ)容疑で捜査している。

 調べでは、死亡した男性は持っていた身分証明書などから、堺市に住む30歳。同署は身元の確認を急いでいる。

 調べでは、逃げた車はステーションワゴンという。


昨日大阪で車のはねられ、3キロも引きずられて亡くなると言う惨い事件が起きました。
車は逃走したまま犯人はまだ見つかっていません。
一日も早く犯人が逮捕されることを願います。
それと轢き逃げに対する刑罰を今より重くすることも必要でしょう。

ただ一言言わせて貰えば、マスコミは被害者に同情するだけですがこの事件は被害者にも責任があります。
東京の人は知らないかも知れないが、梅田の阪神と阪急の間の交差点はとてもじゃないが横断できるような場所ではありません。
東西に10車線、南北に6車線有ります。
テレビ映像を見れば東西の車線上で轢かれ、その後3キロ引きずられたようです。
このような場所を横断するのは無謀としか言いようがありません。
その上ここには陸橋も地下道もあります。
どちらかを利用すればこのような事故は起きませんでした。
今回の事故は轢き逃げした犯人が一番悪いが、横断するべきではない場所を横断しようとした被害者にも落ち度があります。


奉祝「地久節」。

2008年10月20日 | 皇室
皇后陛下の御誕生日を迎えお祝い申し上げます。

皇后陛下には国民の幸福を願っておられ、「皇室は祈りでありたい」とのお言葉を常に御発言なされています。
「皇室は祈りでありたい」当に日本人の気持ちを表しています。
皇后陛下の慈しみの御心を有難く感じます。
これからも皇后陛下が御健康に過ごされることをお祈り申し上げます。

民主党とマスコミは癒着しているのか?

2008年10月19日 | 時事問題
衆議院の解散総選挙が何時なのか、さかんに情報が取りざたされています。
しかし、どれも単なる憶測記事でしかありません。衆議院を解散できるのは内閣総理大臣だけであって、“解散!解散!”と叫んでい民主党やマスコミではありません。
マスコミが言うべき事は、今国民にとって解散のタイミングが正しいかどうかを言わなければ成りません。
しかし、マスコミから出て来るのは民主党に迎合したように、解散は何時かだけで、中には解散しないのが悪いように言うマスコミもあります。
確かに解散は近いかも知れませんが、それならマスコミとしては選挙時に国民が選択できるように、与野党フェアーに報じなければなりません。
フェアーでないのなら自社はどの政党を支持しているかをはっきりする必要があります。
しかし、マスコミ報道は民主党に都合の悪いことは報道しないか報道しても申し訳程度で、自民党の場合は重箱の隅を突っつくようにこれでもかと報道します。

このようなことで国民が正しく判断できるでしょうか。

小沢代表の体調についての報道の仕方も同じです。
風邪を引いただけで入院する人が首相の激務に耐えられるでしょうか。
首相になれば世界中の大統領や首相に会わなければなりません。国会を欠席するような訳にはいきません。

NHKの世論調査の結果を見れば、民主党の政策を検証するべきでしょう。
 税金の使い方を全面的に変えることなどで財源を確保し、年金制度の抜本改革や子ども手当ての支給を行うなどとする民主党の政権構想について、説得力があるかどうか聞いたところ、「大いに説得力がある」が4%、「ある程度説得力がある」が28%だったのに対し、「あまり説得力はない」が44%、「まったく説得力はない」が18%でした。



改革はマスコミにこそ必要です。



橋下知事が反発「朝日新聞のような大人が増えれば日本はだめになる」

「民主党とマルチ商法」外交と安全保障をクロフネが考えてみた。
 

後期高齢者医療制度は本当に悪い制度なのか。

2008年10月16日 | 時事問題
後期医療廃止で共同声明=4野党

 民主、共産、社民、国民新の野党4党は15日、後期高齢者医療制度(長寿医療制度)の4回目の保険料天引きが実施されたことを受け、同制度の廃止を訴える共同声明を発表した。
 声明は、「(年金からの)天引きによって(高齢者を扶養している)世帯主の社会保険料控除が減り、税負担が増える『天引き増税』が生じる」と指摘。与党に対し、衆院で継続審議となっている野党の同制度廃止法案を直ちに成立させるよう求めている。(了)
(2008/10/15-21:04)


後期高齢者医療制度を廃止すると、保険料が安くなった人は高くなるがそれで良いと言うことか。
天引きが無くなると一々払い込みしなければならなくなるのでめんどうだし、その分経費が増えることになる。
これから若者が減り高齢者が増えていく状況で、高齢者の医療を見直さなければならないのは確かな事です。

後期高齢者医療制度でマスコミが取り上げるのは制度そのものの必要性よりも、天引きや督促状などの方法の不備に関してであり、感情論ばかりで本来議論しなければならない必要な事は言わない。

日本の医療は先進諸国と比べて低い自己負担で医療を受けることが出来る。

一般会計予算80兆円の中で30兆を超える医療費の内、65歳以上の医療費は約12兆円(36%)

高齢化社会になっていく日本で医療費はこれからも増え続けることは確実で無視できない。

増えていく老人医療費は結局誰かが負担しなければならない。しかし、自分が負担するのはしたくないと言うのが本音。

誰がコストを払うのか。(一番の大きな問題点)
この事を抜きにして議論は成立しない。

老人医療費に戻すという話しもあるが、これも年齢で区切っている。
老人医療費も老人の年齢定義が年々変わってきた。
2002年は70歳以上、03年は71歳以上、04年は72歳以上、06年は75歳以上。毎年基準年齢が上がっている。

医療で大きな問題の一つは、風邪を引いた程度でも病院に行くことです。
その事によって医者の負担が増え、急病患者がなかなか見て貰えない事が起こる。
本来は掛かり付け医が居てそこで見て貰うべきなんです。
後期高齢者医療はこの事も考えています。

政府は簡単に見直すというのではなく、完璧な制度など世の中に有るはずもなく、先ず解りやすく何故必要なのか説明をすることが必要です。

消費税導入したときも物凄い反発がありました。
しかし今は消費税率を上げるのもやむを得ないと考えている人もかなり居るのも事実です。

後期高齢者医療制度を廃止するのならそれに変わる制度が必要になるでしょう。

「あえて言う“後期高齢者医療制度”は絶対に必要だ」櫻井よしこブログより一部引用





マルチ業界擁護の民主党

2008年10月13日 | 時事問題
民主・前田衆院議員、マルチ業界から1100万円受領
asahi.com
民主党の前田雄吉衆院議員(48)=比例東海=が代表を務める二つの政治団体が04~07年、多数のマルチ商法業者らから少なくとも1156万円の講演料と献金を受け取っていたことがわかった。業界が資金提供した4年間、前田議員は毎年、業界を擁護する国会質問を重ねており、業界との密着ぶりが浮かび上がった。

 提供資金のうち996万円は講演料で、1回につき30万円を中心に10万~130万円が支払われたと政治資金収支報告書に記載。政治家個人への企業献金は禁じられており、「講演料」は形を変えた企業献金と指摘する専門家もいる。

 マルチ商法はネットワークビジネスとも呼ばれる。購入者が販売員にもなって販路を拡大するため、末端の販売員が在庫を抱えて行き詰まるなどのトラブルも起きている。

 同商法を支援する議員連盟の事務局長を務める前田議員は04年3月から4年連続で、衆院予算委員会分科会で質問していた。

 質問では「一部の悪徳なマルチ企業によりまして、多くのまじめな業者が迷惑している」と発言。政府の産業構造審議会小委員会に業界側委員を加えるべきだと持論を述べるなど業界擁護の質問を続けてきた。

 業界で組織する政治団体「ネットワークビジネス推進連盟」によると、前田議員は初めて質問する際、連盟幹部と事前に打ち合わせたという。内山公太郎副理事長は「業界への偏見がひどく、『何とかして下さい』とお願いした」と話した。

 初質問の翌05年、同連盟は、前田議員の資金管理団体「未来政策研究会」に50万円を献金した。また、別のマルチ業者は06~07年に計110万円を前田議員が代表を務める民主党愛知県第6区総支部に献金した

講演料を合算すると、04年は3社から290万円、05年は5社から260万円、06年は4社・1団体から170万円、07年は7社から276万円にのぼる。費目はいずれも「講演会開催事業」で、約45%は「未来政策研究会」、残りの約55%は第6区総支部の収入になっていた。

 4年間で計150万円の講演料を払った「ドリーム・オブ・トータル・コミュニケーション」(東京都港区)は、「絶対にもうかるから」などと勧誘したとして、07年11月に経済産業省から3カ月間の業務停止命令を受けた。

 朝日新聞は今月8~12日に再三、前田議員に文書や電話で取材を申し入れたが、議員側は応じていない。

 前田議員は愛知県出身で当選3回。小沢一郎・民主党代表を支持する党内の政策グループ「一新会」の事務局長も務めている。同党が9月12日に発表した次期衆院選の第1次公認候補の1人で、愛知6区の総支部長に就いている。

この話、週刊新潮が掲載していたことですね。
民主党の不利になることに殆どに目を瞑ってきたマスコミ(特に朝日)が記事にするとは、よほどほっとけない問題なんでしょう。

しかし、この問題は5月に参議院で取り上げられています。
それが今まで表に出てこなかったのも如何にマスコミが民主党寄りかが分かる。
その上、鳩山幹事長は最近知ったようなコメントをだしている。
民主、前田議員から事情聴く マルチ業界擁護の国会質問

2008年10月13日11時55分
 民主党の前田雄吉衆院議員=比例東海=がマルチ商法業者から講演料と献金を受け取り、業界擁護の国会質問を続けてきた問題で、同党の鳩山由紀夫幹事長は13日、仙台市内で記者会見し、すでに党として本人の事情聴取を進めていることを明らかにした。鳩山氏は「献金の問題には違法性はないと感じているが、国会の質問の中身などもよく精査して、我々としてもきちんと対処したい」と述べた。

 さらに、前田議員が事務局長を務めるマルチ商法支援の議員連盟については、「議連はすでに解消させてもらっている。もう今は存在していない」と説明した。「(衆院選や民主党への)ダメージを最小限に食い止めていくべく努力したい」とも語った


民主党は次期政権に付くかも知れないと言われています。
それなら選挙前に民主党の実態を国民に見せるのがマスコミの義務だろう。
昨年の参議院選挙(相原久美子)と同じ事は国民を騙すことです。


[001/001] 169 - 参 - 決算委員会 - 10号
平成20年05月26日
○大門実紀史君 是非よろしくお願いしたいと思います。
 このマルチ商法ネットワークビジネスが毎年二万件も相談が来ているというときに、看過できない問題が国会の中で起きているので指摘をさせていただきたいと思います。
 この業界、アメリカの企業が多いわけですけれども、〇二年十一月に流通ビジネス推進政治連盟というのをつくりました。NPUと言います。Nはネットワークビジネスですから、まさにもうマルチ商法推進政治連盟と。年会費が法人が五十万円で、ただし加盟企業は非公開というふうな政治連盟でございます。この政治連盟の国会のパイプ役としてネットワークビジネス推進議員連盟というのができております。事もあろうに、マルチ商法を推進しようという国会の議員連盟でございます。しかも、自民党ではなくて野党の政党の中で、人数は少ないですけれどもつくられていると。
 野党共闘が大事な時期ですので、この問題は私、ずっと取り上げるのを熟慮してまいりましたけれども、もう四年にわたって政治的ないろいろ働きかけされているということで、消費者保護問題をずっとやってきた私としては看過できないということで、むしろ事が大きくならないうちに注意された方がいいという、まあ友情を込めて取り上げているというわけでございます。
 会長は、その党の最高顧問をやっていらっしゃいます藤井裕久さんです。(発言する者あり)与党のために質問しているのではありませんので、静かにしてもらえますか。前の会長、そして今の顧問が現国対委員長でございます。ほかの方はもう実名は今日は伏せておきますが、どうしても実名を出さなきゃいけないのは前田雄吉衆議院議員という方でございます。
 前田議員は、毎年のようにこのマルチ商法ネットワークビジネス業界の意向を代弁して国会で質問をされてまいりました。ずっと見てまいりましたけれども、もうちょっと目に余るということで取り上げさせていただきますけれども、前田議員の論理は、悪質な業者はけしからぬが合法的なものは擁護、育成せよと、そういうような論理でずっと取り上げてこられたわけですけれども、そういう擁護してきた、先ほどあったニューウエイズそのものが処分されたわけですから、何を考えていらっしゃるのかと。これは、そういう違法は取り締まれと、合法なところはいいんだと、擁護しろというのは、実はサラ金のときもクレジット被害のときも使われた論理なんですね。業界がそれを一生懸命言った論理なんですけれども、そうではないということで、構造的な仕組みを正そうということで貸金業法も割賦販売法も特商法も改正になったと、そういう流れをこの方御存じないんじゃないかと思います。
 しかも、前田議員が国会で質問するたびに業界誌ではもう拍手喝采という状況でなっておりまして、具体的にどんな質問をしたのかと申し上げますと、国民生活センターの、後で具体的に申し上げますが、パンフレットの書き方を批判するということ、あるいは国民生活センターの苦情相談件数のカウントの仕方を直せというふうなことを質問されてきました。私は、消費者保護のために頑張っている国民生活センターへの、これはもう政治的圧力だと私は判断せざるを得ないと思います。
 もう一つ申し上げたいのは、今、国会議員がある業界のために国会で質問したら受託収賄に問われかねない時代なので、本当に注意をされた方がいいと私は思っております。政治資金も今調べている最中でございます。
 問題は、今日申し上げたいのは、こういう政治家の圧力に対して国民生活センターがどう対応したかということですが、配付資料の三枚目が前田雄吉議員が問題にした国民生活センターのパンフレットでございます。これは、〇七年の二月二十八日の衆議院予算委員会第七分科会で、国民生活センター、被害を食い止めようと、なくそうと思って一生懸命こういうパンフレットを作っているにもかかわらず、この中に、左下の方にネットワークビジネスという名前が入っていることがけしからぬと、ネットワークビジネス全部を否定するものだと、このパンフを消せと、ここの文言を消せということで執拗に迫られました。
 当時、今日も来てもらっていますが、国民生活センター理事の田口さんは何回か抵抗されましたけれども、結局は、マルチ全部が悪いと誤解されないように配慮してまいりたいというふうなことを言われたわけですね。私の立場はマルチ商法全体が問題だと思っていますので、そんなこと言う必要ないんですけれども。しかも、このパンフレット、何もネットワークビジネス、MLM、これはアメリカ式のマルチなんですけれども、これをかたって友達を勧誘しと言っているだけで、何も攻撃しているわけじゃないんですね。こんなものまで消せというふうな質問をされたわけでございます。
 このパンフレットを、国民生活センターに聞きますけれども、その後どうなったんですか。



テロ支援指定国家解除

2008年10月13日 | 拉致
【対北テロ支援指定解除】北朝鮮、20年来の足かせ外れる 
2008.10.12 00:54

 【ソウル=水沼啓子】北朝鮮にとって、米国のテロ支援国家指定解除は、大韓航空機爆破事件の翌1988年に指定されて以来、20年に及んだ米国の「対北敵視政策」が終了し、米国から「普通の国」として認められたことを意味する。指定解除により、北朝鮮は国際金融機関の支援を受けることも可能となり、経済的な効果も期待できることになった。

 北朝鮮は1990年代に大量の餓死者を出すなど慢性的な食糧難と経済難に苦しんできた。北朝鮮にとって、金融・経済支援を阻んできたテロ支援国家指定の解除は長年の念願であったはずだ。

 北朝鮮はこれまでにテロ反対の立場を表明するなど、指定解除に向けた地固めを進めてきた。そして北朝鮮の核をめぐる6カ国協議に、この問題をリンクさせ、巧みな戦術を展開して指定解除を勝ち取った。

 しかしテロ支援国家指定が解除されたからといって、これが直ちに経済再建に結びつくとする見方は少ない。世界銀行やアジア開発銀行から低金利の融資を受けるには、まず国際通貨基金(IMF)への加盟が必要となるからだ。IMFに加盟するには透明性・開放性が求められる。

 一方で北朝鮮は「普通の国家」としての責任も負わなければならない。まず03年に脱退した核拡散防止条約(NPT)に復帰し、国際原子力機関(IAEA)の核査察を無条件で受け入れるという義務を果たす必要がある。

 しかしそもそも北朝鮮は今後、本当に非核化の道を歩むのか。北朝鮮が非核化を達成すれば、そのときには米国との取引材料を失うことになる。今回のテロ支援国家指定解除で、米国との関係改善の足場は築かれたといえそうだが、非核化問題だけをみても米朝関係は曲折が予想される。


米国が北朝鮮の「テロ支援指定国家」の指定を解除しました。
この事で拉致事件がどのようになるのかが一番心配されます。
しかしこれで日本の対応の仕方ははっきりしました。
今までの日本の交渉の仕方では北朝鮮に足下を見られていました。
その為に北朝鮮は強く出ていました。
軍事力を行使できないのななら、経済制裁を強化して六ヶ国協議でも北朝鮮の支援を言ってきても一切しない態度で望めばいい。
逆に北朝鮮から言ってくるようにしなければいけません。その時がチャンスです。
経済制裁を強化すれば日本は孤立すると言う人が居ますが、この人達は安倍元首相の時も日本はアジアで孤立すると言ってなかったか。
日本は強くなければなりません。

それと民主党では拉致問題は解決しないでしょう。


小沢氏に外交・安保政策は任せられない②


駄々をこねるな。

2008年10月11日 | 時事問題
民主党が現在の経済状況を考え、「ここは日頃の対立を置いといて政府に全面的に協力する」と言えば株価も変わるだろう。
このような状態になっても、解散しか言うことの出来ない政党に政権を任すことなど出来ません。
今は非常事態になって来ています。
こう言う時は自民も民主も関係なく、一丸となってこの危機に当たらなければ成りません。
このようなときに解散などしていたら、株価はもっと下がるでしょう。
たとえ総選挙をしても、自民も民主も単独で過半数を取れなければ、結局政治は不安定のままです。
今民主党は解散を言うのではなく、一致協力して危機に対応すると言えば多くの支持を得るだろう。
民主党の態度を見ていると、玩具を買って貰えない子供が駄々をこねている姿に見えます。

「国民の生活が第一」など全く思っていなくて「政局が第一」の民主党では金融危機に対応できないでしょう。


アジアで初めての五輪開催。

2008年10月10日 | 今日は何の日
今年も晴天で夜が明けました。
今日10月10日は東京五輪の開会式が行われた日です。
今東京に五輪を再び開催しようとしていますが、当時アジアで初めての東京五輪を開催するには大変な苦労がありました。


再掲
祝日はその日に意味がある。
ハッピーマンデー法により、「体育の日」が10月の第2月曜日になりました。
祝日は日々にも意味があるので、それが毎年変わるようでは祝日の意味が薄れてしまいます。
「体育の日」も、戦後の焼け野原から復興した日本の姿を改めて世界に示した東京オリンピックの開催を記念して作られたものです。
しかも、連合国(国連)からすれば旧敵国と言うことで、スポーツの世界でも対等に扱って貰えない時期もありました。
東京オリンピックのもう一つの大きな意味は、西欧以外のアジアの国で初めて開催された事です。
そう言う意味でも、この10月10日は人々の心に大きく残っていることでしょう。
祝日は祝日となる日に意味があるからその日に決めます。それを忘れることをしては文化の破壊にも繋がるでしょう。
「体育の日」から「東京五輪の日」に変えても良いのではないだろうか。


Japan On the Globe(182) 国際派日本人養成講座----------
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_/ 人物探訪:フレッド和田~二つの祖国
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_/ _/_/_/ 敗戦後、肩身の狭い思いをしてきた日系人たちは、
_/ _/_/ 祖国日本から来た水泳チームに熱い期待を抱いた。


■1.日系人たちの期待■
 昭和24年8月13日早朝、選手8名からなる日本水泳チームがロサンゼルスに到着した。18日からの全米水泳大会に出場するスポーツ界戦後初の海外遠征である。

 当時、日本はいまだ占領下にあり、保有外貨はゼロ。民間人の海外渡航は難しい時代だった。それを可能としたのが在米日系人の支援であった。飛行機代と滞在費で2千ドルが必要なところ、日系人たちの寄付は3千ドル以上も集まった。
 ロスを中心とする西海岸だけで10万人以上の日系人が住んでいたが、彼らは日本の敗戦で肩身の狭いをし、白人から「ジャップ」と蔑まれてきただけに、祖国日本の選手たちに熱い期待をかけていたのである。
 選手たちは出迎えたフレッド和田の車で、彼の自宅に向かった。和田は野菜や果実を中心としたファーマー・フレッズ・マーケット10店舗の経営者で、巨額のローンで2百坪の邸宅を購入したばかりだった。和田はそこで選手たちの宿泊から食事まですべて自費で面倒見ようと申し出ていたのである。

■2.身を立てる■
 フレッド・和田勇の父、和田善兵衛は明治25(1892)年に和歌山県からカナダのバンクーバーへ出稼ぎ漁師として移住、その後、同郷の玉江と結婚し、1907(明治40)年にフレッドが生まれた時には、カナダ国境に近い米国ワシントン州ベリングハムで小さな食堂を経営していた。
 しかし生活苦のため、フレッドは4歳の時に和歌山の母方の祖父母に預けられた。9歳で米国に戻ったが、弟たちが次々と生まれ、居場所がなくなって、12歳の時からシアトル郊外の農園に住み込んで、雑役夫をしながら学校に通った。(略)  

■6.和田夫妻の思い入れ■
 前年にロンドンで戦後初のオリンピックが開かれていたが、日本は参加できず、日本選手権を同時期に開催して記録の上で競うことにした。1500メートル自由形決勝で、1位の古橋と2位の橋爪が出した記録は、ロンドンの金メダリストより40秒以上も速い世界新記録だったが、公認されなかった。

 日本のプールは短いに違いないとか、日本のストップウォッチは壊れているとか書き立てるアメリカの新聞に和田らは悔しい思いをしていた。そこで日本の選手たちに良い環境を提供して万全の体調で臨んで貰おうと和田は考えたのである。妻正子は、茄子のみそ汁や牛肉の照り焼きなど、おいしく、栄養のつく日本食でもてなした。
日本で貧しい食事しかしていなかった選手たちは、正子のごちそうに大喜びし、広いベッドで十分な睡眠をとった。選手の一人の橋爪は、フレッドや正子と同じ和歌山出身であり、故郷の茶粥に舌鼓を打った。練習のためのオリンピック・プールへの送り迎えはフレッドが担当した。

 選手達は、日系人達の思いに、深く期する所があった。

■7.再建日本の姿■
 8月16日の大会初日、1500メートル自由形予選A組に橋爪が出場した。橋爪は最初から飛ばし、200メートルで早くも2位以下の米国勢に完全に水をあけた。飛ばしすぎではないか、途中で息切れするのではないか、と和田は心配した。

 しかし橋爪はそのまま2位を150メートル以上も引き離してゴールインした。タイムは18分35秒。それまでの記録を一気に20秒以上も短縮した世界新記録である。
 続くB組ではライバルの古橋が好スタートを切った。1000メートルを過ぎたころから記者席がざわつき始めた。最後の100メートルでは腕でぐいぐい引っ張る泳法に変わった。疲労しきって、最後の力を振りしぼって頑張るときに見せる古橋独特の泳法である。和田は、必死に泳ぐ古橋の姿に胸を打たれた。
 18分19秒。橋爪が出したばかりの世界新をさらに16秒も縮める大記録である。スタンドのアメリカの選手たちは、全員ボーと眺めているのみであった。古橋と橋爪をたちまち50人ほどの白人が取り囲んで、「グレート・スイマー!」「フライング・フィッシュ・オブ・フジヤマ!」と賞賛した。

 両選手の大記録には日本でも号外騒ぎだった。読売新聞はこう報じた。

 両選手の世界新レコードが場内にアナウンスされた瞬間こそ再建日本の姿がスポーツを通じて全世界に認識された瞬間であり、われわれは改めて両選手の功績に対して深い感謝の意を表するものである。

■8.一夜にしてジャパニーズ■
 翌日の決勝は古橋と橋爪のデッドヒートとなった。結局1位古橋、2位橋爪、3位田中と日本勢が独占した。観衆は総立ちで選手を讃え、そこここで日系人たちのバンザイの声がわき起こった。フレッドも正子もバンザイをしながら、止めどなく涙があふれた。
 結局日本チームは3日間で自由形6種目中5種目に優勝、9つの世界新記録を樹立し、個人では古橋が1位、橋爪が3位、さらに団体対抗戦でも圧倒的な得点で優勝を飾った。

 日本選手団がスタジアムを出ると、興奮さめやらぬ大勢の日系人が玄関で待ち受けていた。その中から年老いた一世の老婆が一団に近づき、「ありがとうございました」と拝むようなポーズをとって、ハラハラと涙を流した。会釈を返す選手たちも涙を誘われた。和田は再び胸が熱くなった。

 和田邸での内輪の祝賀パーティーて、乾杯のあとでフレッドは、涙を浮かべつつ、次のように挨拶した。
 さきほど監督さんが新聞社との電話で、在留邦人が理解してくれたおかげだと言うてくださいました。しかし本当にお礼を申し上げなければならないのは、私たち日系人なんです。古橋さんたちの活躍によって、ジャップと呼ばれておったのが、一夜にしてジャパニーズになり、みんな胸を張って街を歩けるようになりました。さっき一世のお婆さんが皆さんに手を合わせて感謝しておりましたが、拝みたくなる気持ちはよう分かります。

■9.東京にオリンピックを■
 全米水泳大会以来、和田は日本からやってくる各種競技選手団の面倒を見続けたが、1964(昭和39)年のオリンピックを東京に誘致することになり、岸首相から日系人でただ一人、東京オリンピック準備委員会委員を委嘱された。
 オリンピックを契機に、産業道路が整備され、それによって自動車産業が発展するなど、経済基盤、社会基盤の強化が進み、またアジアで最初のオリンピックを日本で開くことで、国民の精神作興も期待できる。和田は燃えた。

 僕は東京でオリンピックが開けるのなら、店のことなどどうなってもええ思うとる。東京でオリンピックやれば、日本は大きくジャンプできるのや。日本人に勇気と自信を持たせることができるやろう。
 しかし、デトロイトや、ウィーン、ブリュッセルなども立候補するという情報が入っていた。和田は中南米諸国の票がカギを握っていると考え、自費で各国のオリンピック委員を自ら説得して回ろうと提案した。
 首相からの親書と、外務大臣の手配で、和田は特命移動大使級の権限を与えられた。昭和34(1959)年3月29日、フレッドは、正子と共に、プロペラ機に乗り込んで、10カ国を一ヶ月以上かけて廻る旅に出発した。

■1.ムチャス グラーシャス■
 東京でのオリンピック開催への支持を訴えるべく、和田夫妻が最初に訪れたのは、メキシコのオリンピック委員クラーク将軍だった。フレッドは、いきなりスペイン語で挨拶し、スペイン語の名刺を渡した。

 クラーク将軍が頬をゆるめて、「スペイン語ができるのですか?」と聞くと、「ロスの店ではメキシカンをおおぜい雇っているので、挨拶ぐらいは自然にできるようになりました。」と答えた。将軍は一層気をよくした。
 フレッドがメキシコからは野菜や果物を沢山仕入れており、自分は大のメキシコびいきだと言うと、将軍も「私は親日家です。改めて握手しましょう」と応える。そして和田が東京オリンピックへの支持を訴えると、将軍はこう言った。

 和田さんの熱意には感服しました。ロペス大統領は私が責任を持って説得します。五輪大会と称されながら、アジアで一度も開催されていない点に重きを置くべきですよ。アジアで最初にオリンピック大会を開催できる国は日本をおいてほかにはないでしょう。
 将軍はその場で中南米諸国のオリンピック委員全員に対して、東京開催を支持するよう依頼する書状を書いてくれた。和田は天にも昇る気持ちで「ムチャス グラーシャス ヘネラル クラーク(ありがとうございます。クラーク将軍)」とうわずった声を上げた。

■2.革命直後のキューバ■
 メキシコで首尾良く支援の確約をとりつけてから、二人はキューバに赴いた。革命直後でまだ戒厳令下にあり、空港の至る所で兵士達が銃を構えている。オリンピック委員のモインク氏は、二人を危険な目に会わせてはならないと、ホテルまで出向いてきた。
 革命直後のキューバにお出かけいただいただけでも、感謝しなければなりません。和田さんご夫妻は、ラテンアメリカを1ヶ月以上もかけて回るそうですね。祖国のためとはいえ、そこまでなさる熱意に頭が下がります。
 正子が答えた。
 フレッドは、「東京オリンピック」に限らず、祖国のことになりますと、夢中になってしまうんです。

 和田の祖国愛に胸を打たれたモインクは、東京への投票を確約してくれた。

■3.ブラジル日系人の思い■
 ブラジルの委員からは、東京開催を支持するが、総会の開かれるミュンヘンまでの旅費2千ドルを援助していただけないか、と依頼された。和田は「結構です」と即答した。ブラジルには日系人もいるし、もし寄付が集まらなかったら自分で出そうと思ったのだ。それを聞いたブラジルの日系人会幹部は言った。
 和田さんご夫妻がこんなにご苦労されているのに、われわれが手を拱いているとしたら、ブラジル日系人の恥ですよ。2千ドルぐらい何とでもしますから、われわれにまかせてください。
 それを聞いて和田は胸が熱くなった。祖国日本に思いを寄せている日系人は、ブラジルにも大勢いるのだ。
 チリでは、オリンピック委員が総出で、空港まで和田を出迎えた。祖国のために自費で歴訪している和田の姿は、各国に感動の渦を巻き起こしていた。

■4.圧勝■
 5月初めにようやく長旅を終えて、ロスに帰った和田は、その月末には国際オリンピック委員会総会の開かれるミュンヘンに飛んだ。店の方を心配する正子を、5日間だけと、なんとかなだめて出てきたのだった。和田は中南米の委員達と食事を付き合いながら、それとなく東京への投票の念押しをした。

 投票の結果は、1回目で東京が58票中34票の過半数を獲得して、招致を決めた。2位のデトロイトが10票で、文字通りの圧勝だった。アジアと中南米の票が決め手だった。

 日本からのオリンピック委員はホテルで結果を待つ和田に一刻も早く知らせようと、会場を出た。駆けつけてきた和田を見つけると、バンザイでもするように両手を高く掲げて、こう言った。
 和田さん、決まったよ。34票もとった。驚いたよ。こ
んなにとれるとは思わなかった。和田さんのお陰だ。ほん
とうにありがとう。
 二人は抱き合って喜んだ。和田が中南米の委員達の所にお礼
に行くと、みなが東京開催を祝福してくれた。

 和田は日本オリンピック委員会の名誉委員に任命され、引き続き、東京オリンピック成功に向けての助力が要請された。さらに同行した東龍太郎・東京都知事が、和田へのお礼として名誉都民の称号を与えたいので、このまま一緒に東京に行ってもらえないか、と聞いた。しかし、正子に電話すると、「男なら帰ってらっしゃい。子供が褒美をもらいに行くようでおかしいですよ。」と一喝されて諦めた。

■5.日本はこれで一等国になったのや■
 昭和39(1964)年10月10日、東京オリンピック開会式。
フレッドと正子は、ロイヤルボックスの前方シートに座っていた。やがて全観客が起立して、天皇皇后両陛下、続いてアベリイ・ブランデージ国際オリンピック委員会会長を迎えた。メーンポールに五輪旗、日章旗、東京都旗がはためく中で、君が代が吹奏された。フレッドも正子も、君が代を聴くと、いつもながら粛然とした思いと、熱い思いがないまじった身の震えるような感動を覚える。

 続いて選手団の入場。和田夫妻が東京誘致を働きかけた国の 一つ、キューバの選手団は、ロイヤルボックスの前で、内ポケットから日の丸の小旗を取り出し、一斉に振りながら行進していく。拍手と歓声がスタンドにこだました。フレッドはキューバのモインク委員の親日的な態度を思い出した。

 続いて、ブランデージ会長が挨拶で「オリンピック大会は全世界のものである証左として、ついにここ東洋で行われようとしています。」と述べた。引き続き、天皇陛下が開会宣言をされると、聖火台の下でファンファーレが鳴り渡った。フレッドは涙がこぼれてならなかった。

 日本はこれで一等国になったのや。戦争に敗れて四等国になったが、よう立ち直った。日本人は皆よう頑張った。

 天皇陛下とマッカーサー元帥の並んでる写真は忘れられませんねえ。新聞で見たときパパが悔し涙を流したのを覚えていますか?
 あたりまえや。あんなショックは生まれて初めてやった。マッカーサーはノータイで、シリのポケットに両手をつっこんどった。天皇陛下はモーニング姿の正装だったのに、、天皇さんがオリンピックの開会を宣言したことは、日本が一等国になった証やと僕は思う。ほんまよかった。
(略)

「誠実、勤勉、奉公」など戦前の日本人が大切にしていた生き方を台湾では「日本精神」と呼ぶが、和田に代表される日系人たちは、その生き方で北米や中南米の地に受け入れられ、しっかりと根をおろしたのである。
(文責:伊勢雅臣)
http://www2s.biglobe.ne.jp/~nippon/jogbd_h13/jog183.html


第1日 開会式 10月10日

「第18回近代オリンピアードを祝い、ここにオリンピック東京大会の開会を宣言します」
一10月10日午後2時58分、天皇陛下は、特徴ある抑揚をつけて開会を宣せられた。澄み切った日本晴れの国立競技場は秋の光がスタンドいっぱいにあふれていた。30のファンファーレ・トランペットが、聖火台の真下から、日本の調べを吹いた。94力国から7000余の若ものがフィールドの芝生に並んだ。両わきは、緑をはみ出ている。ポールというポールに、110本の旗がなびいた。
入場行進は午後2時にはじまった。まず、ギリシャ。オリンピック発祥の栄誉をになって、必ず先頭だ。旗手ゲオルゲ・マルセロス選手(28歳)は、オリンピアから東京への聖火リレーを最初に走った。ローヤル・ボックスの前で、ブルーに白い十字の旗をさしあげた。選手団が、いっせいに敬礼する。
天皇陛下は、お立ちになってこたえられた。
南側スタンドからおこった拍手が、あっと思う間にひろまり、行進につれて動いた。
アルファベットの順で国がつづいた。アフガニスタン、アルジェリア……。アルゼンチンの女性旗手ジャネット・キャンベルさんが新しい拍手の波をよんだ。
人びとは、すべての国に応援を惜しまなかった。知っている国の人にも、はじめて見る国の選手にも……。黒い、大きい、アベベでわき、ヘーシンクの姿をみつけてどよめいていた。カウボーイ・ハットのカナダ。クリ色の小さな帽子に白い長衣はチャド。カメルーン、リベリア、モナコなど、選手はたった1人しかいない。小さな選手団が大きな拍手、歓声につつまれ、胸を張って行進した。
叫ぶ、ハンカチを振る。真赤なスーツのブルガリア女子選手が笑い、手を振ってこたえる。
キューバはローヤル・ボックス前でいっせいに日の丸の小旗をうち振った。これまた、拍手の渦。

金髪、飛込みのエンゲル夫人が五輪を染めた旗を立てて入ってきた。東西ドイツが壁をこえ、ひとつになっての行進である。ナイジェリアのあとにつづくはずだった北朝鮮の姿がインドネシアとともにない。政治がオリンピックに投げた暗い影だろう。6億の人口をもつ中共も、東京に加わることはしなかった。
サリーをまとったインドチームただ1人の女子選手が、濃紺のターバンに囲まれている。アイボリーコースト(コートジボアール)、ジヤマイカ、ケニアがつらなって黒の集団をなした。
マリ、ナイジェリア、タンガニーカ……ローマからの4年間につぎつぎと生れた黒人国家の大量参加は、東京大会を特徴づけた。ウガンダは、きのう、9日で満2歳になったばかりだ。
新参加国が15並んだ。
次期開催国メキシコが日本とそっくりの赤・白のユニホームで笛を鳴らし、整然としてあいさつを送った。ノルウェーの青年皇太子ハラルド殿下が、みずから旗をもち、端正に歩かれた。
終り近く、アメリカ、ソ連が入場した。世界を2つに分けるこの両大国が、Uという頭文字の符号でつづく。大きい。ソ連選手団は赤い小切れをかざして歩く。両大選手団の行進に、ほかの選手団まで目を見張って列をみだす。
最後に、400人をやや欠けた日本選手団がアンツーカーを踏みしめた。依田・飯島らの顔はみえない。ブレザーは真赤、下は白。みんな、緊張の面持ち。福井誠選手のかかげる日の丸が見えないうちに、7万5000人が、つぎになにをすべきかを、さとっていた。巨大なスリバチ全体が、行進曲をかき消すほどの拍手、拍手、歓声となった。
世界には、まったく、さまざまな人間がいた。
その人びとが、歩いた。一様に同じテンポで歩いていた。
整列後、IOCブランデージ会長が英語と日本語で天皇陛下に開会宣言を要請した。宣言。屈強の海上自衛隊員によって大五輪旗が運ばれ、かかげられた。小学生の鼓隊が、ローマから五輪旗を導いてはいった。4年前、ローマにひるがえった旗が、アメリゴ・ペトルッチ市長から東知事へ、東京の手に渡った。
太鼓の響きが、全観衆の目をひきつけスタンドの下に消える。と、反対の入ロから煙を長く、薄紫にひいて聖火がかけ込んできた。と、菊の香が場内に流れ、ただよう。坂井義則君は流れるように走りぬけた。
戦争の悲惨を知らないこの終戦っ子は、ほおを赤らめて一気に急階段を登った。バックスタンドを真二つに分け、黄菊でふちどられた緑のじゅうたんの坂をかけ上る若者の姿に、大観衆はただ息をのみ、魅せられる。
若者は、聖火台の頂点に立った。右手をかざした。1つ、2つ、3つ……火が点じられた。大拍手ウォーとどよめき、そして拍手に戻った。大太鼓が鳴り、賛歌が流れた。
張りつめた空気がとけた。半円形に進み出た93の国旗を背に、体操の小野喬選手がローヤル・ボックス正面の式台に進み出た。全競技者の名においてスポーツマン精神を誓った。
君が代が歌われた。雲ひとつない大空に、豆粒ほどのジェット機が、5色の大輪を描いて飛去った。電子音楽の鐘の音が、天皇ご退場を告げた。
秒をきざむ演出だった。全観衆が酔っていた。手を鳴らしつづけ、ざわめき、涙さえも浮かべていた。演出もなければ、演技も必要としない。言葉、人種、風俗、政治、宗教、なにもかもが異る大集団である。が、そのひとりの表情を見ているだけで、なにかが伝わってくる人間劇であった。底抜けに明るかった空気も、フィールドに咲いた人のかたまりも。長く伸びたスタンドの影の中を、選手たちは南と北、2つの出ロヘ。
アジアで初のオリンピックは、ここにはじまったのだ。
「'64東京オリンピック」朝日新聞社より

国会を開けと言っていたのが、急に解散しろと言いだしたのは何故。

2008年10月09日 | 時事問題
民主党が自民党総裁選挙の時は「国会を開け」と言い、総裁選を政治空白とっていたのが、国会を開いたら解散しろと言うのは政局だけのことだろうか。
民主党にとって都合の悪い裏があるのではないだろうか。
民主党の支持母体は官公労、自治労、日教組など組合が多いです。
長妻議員が焚き火と思って火を付けた年金問題が、今は山火事に拡がってしまい、このまま騒げば火元である社保庁組合員を、あぶり出す結果になりかねなくなってきたと焦ってきたのではないだろうか。
民主党議員の中に改ざんに関係していた議員がいるのかも知れないし。
マスコミが報道していない民主党のボロが出てくるのでは無かろうか。


年金改ざんで直属チーム=社保庁職員の関与調査-舛添厚労相

 舛添要一厚生労働相は6日午前の衆院予算委員会で、厚生年金の算定基礎となる標準報酬月額の改ざん問題を調査する特別チームを同日付で設置することを明らかにした。チームは同相直属で、弁護士らで構成。改ざんにかかわった社会保険庁職員について、刑事告発を含めて対応を検討する。葉梨康弘衆院議員(自民)への答弁。
 同相は「職員をはじめ、上司についても問題があれば厳正なる処分をやりたい」と述べた。(2008/10/06-12:17)