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一燈照隅

日本が好きな日本人です

こどもの日は母の日でもあります。

2017年05月05日 | 今日は何の日
5月5日。端午の節句。
祝日法では「こどもの日」です。
「こどもの人格を重んじ、こどもの幸福をはかるとともに、母に感謝する。」
母の日と言えば5月の第2日曜ですが、祝日法にでは5月5日が「母の日」でもあります。
母が子供を産んでくれたから世の中に存在します。
こどもの日を祝うと同時に母にも感謝しましょう。


夏越しの大祓

2013年06月30日 | 今日は何の日




6月30日は「夏越しの大祓」です。


夏越の大祓(なごしのおおはらい)
> 神社では、6月末と12月末に、半年の間に 知らず知らずに犯した罪や心身の穢れを祓い清めて、正常な本来の姿に戻るた めの「大祓」が行われます。6月を夏越しの祓、12月を年越しの祓とも呼びます。

平安時代に制定された法律書の「延喜式」には、この大祓の祝詞が載せられており、 古くから行われていたことがわかります。
人形(ひとがた)・形代に自らの罪穢れをうつし、神社で神事のあと、川や海にそれらを 流し 罪穢れを祓います。
また穢れを祓う茅を輪にしてくぐったり、身につけたりもします。

茅輪(ちのわ)神事について


茅輪をくぐり越えて罪穢れを除き、心身の清浄ならんことを祈請するので 「輪越(わごし)祭」「茅輪くぐり」ともいわれます。
茅とは、ち、かや、ちがや、 で、菅(すが)、薄(すすき)などの多年生草木のことです。


ー茅輪の由来ー

神代の昔、武塔(ぶとう)神”素戔嗚尊(すさのおのみこと)”が、南海の方へお出になる途中、 ある所でお泊まりになろうとして、土民の蘇民将来(そみんしょうらい)、巨旦将来 (こたんしょうらい)という兄弟に宿を求められた。その時、弟の巨旦将来は 裕福な身であったにも拘わらず宿を拒んだのに対し、兄の蘇民将来は、貧しい身であったが 尊(みこと)をお泊めし、栗柄(がら)を以って座を設け、栗飯を饗して御待遇申し上げた。 その後、年を経て尊は再び蘇民将来の家を訪れ、「もし天下に悪疫が流行した祭には、ちがやを 以って輪を作り、これを腰に付けておれば免れるであろう。」と教え給うた。

この故事に基ずき、蘇民将来 と書いて、これを門口に張れば、災厄を免れるという信仰が生じ、また祓の神事に茅輪を作ってこれを くぐり越えるようになったのである。


今年は休みが重なったので私は家の近くの氏神様で祓いを受けてきました。
私自身は初めてのことでしたが、30~40分ぐらいかけて宮司さんから一つ一つ丁寧に説明をしていただき、最後に茅の輪くぐりをして終わりました。
貴重な体験でした。





主権回復の日。

2013年04月28日 | 今日は何の日


60年前の今日約7年にも及ぶ米軍による占領が終わり、我が国の主権が回復し戦争が終結した日です。

先人達がこの日の為どれだけ苦労を重ねたか、記念すべき日を祝うことは大変喜ばしいことです。

翌日29日が昭和天皇の御誕生日であり、下世話ながらこれほどの誕生日プレゼントは無かったことと思います。


ところが一部地域の人が28日を「屈辱の日」と騒いでいる輩がいます。
よく考えてもらいたい。この日が無ければ騒いでいる人達の地域は日本に復帰できたでしょうか。
もしそれらの地域も一緒に復帰できないなら講和条約を批准しないとしたら、日本国はさらに長い間米軍に占領されていたことになります。
その間日本の国柄はどうなったでしょうか。

それでも良いのでしょうか。

28日を「屈辱の日」と騒いでいる人達は米国に占領されることを望んでいるのです。


*60年前と書きましたが61年前に訂正します。


成人の日。

2013年01月14日 | 今日は何の日

新たに成人になられた方に御祝い申し上げます。

社会人として既に働かれている方もいるでしょうが、多くの方はまだ学生です。

戦時中多くの若者が特攻隊として二十歳を迎えること無く散華していきました。

その事を思えば、今日成人式を迎えたあなた方は非常に恵まれています。

あなた方はこれから国の威厳を守る気概を持って日本人として恥じない行動を心がけてください。

そして日本人として生まれたことを誇りを持って生きてください。



終戦の日。

2012年08月15日 | 今日は何の日
天皇訪韓には「謝罪が必要」 韓国大統領
2012.8.14 16:59 [韓国]

韓国の李明博大統領(共同)

 【ソウル=加藤達也】韓国の李(イ)明(ミョン)博(バク)大統領は14日、天皇陛下の訪韓に言及し「(天皇陛下が)韓国を訪問したいのなら、独立運動で亡くなった方々に対し心からの謝罪をする必要があると(日本側に)伝えた」と述べた。韓国大統領が公の場で、直接的な表現で天皇陛下に謝罪を求めたのは初めて。

 中部・忠清北道での教育関係の会合で、竹島(韓国名・独島)上陸の感想を尋ねられた李大統領は、天皇訪韓に触れ「(天皇陛下が過去に表明した)『痛惜の念』などという単語ひとつを言いに来るのなら、訪韓の必要はない」と述べた。

 また、竹島上陸については「2、3年前から考えていた。思い付きで行ったのではない」と強調。国賓としての訪日は実現していないとし「日本の国会で言いたいことを言わせてくれるなら行く」とも述べた。

 李大統領は2008年の就任の前から「(日本に過去をめぐる)謝罪や反省は求めない」と言明。2008年4月の訪日の際は、天皇、皇后両陛下と会見し、韓国訪問を直接招請した。

 しかし、昨年12月に韓国の市民団体がソウルの在韓日本大使館の路上に「慰安婦」を象徴する碑を建立し反日世論が高まるや、直後の日韓首脳会談で野田佳彦首相に慰安婦問題について「誠意ある措置」や「解決策」をとるよう求めた。

 韓国では昨年末以降、李大統領の実兄や親族などが不祥事で逮捕され、大統領の求心力は低下している。今回の発言の背景には、竹島上陸に続き対日強硬姿勢を見せ“愛国的大統領”として任期を終えたいとの考えがちらつくが、天皇陛下への謝罪要求により日韓関係は一層冷え込みそうだ。



竹島不法上陸の後は、畏れ多くも天皇陛下に韓国に行くなら謝罪しろと暴言。

来日時に天皇陛下に来てくださいと言っていた大統領が、来るなら謝罪しろと暴言を吐きました。

李大統領は自ら世界中に恥をさらしたのだが、天皇陛下への暴言は日本国民として断じて許せません。

度重なる我が国に対する非礼に武力も辞さない断固とした対応が求められます。

今日は終戦の日。護国神社に参拝してきました。

英霊達は日本の対応に激怒している事と思います。


今日は世界の歴史を変えた日。

2012年05月27日 | 今日は何の日

日本国民として今日 五月二十七日は世界に誇れる記念日です。

東郷元帥率いる連合艦隊と、ロシアのロジェストウェンスキー中将率いるバルチック艦隊との間で、日本の運命のかかった日本海海戦が行われ、連合艦隊がバルチック艦隊を見事に撃滅しました。

この結果は日本だけでなく、世界中に衝撃が走りました。
当時の大国ロシアが東洋のちっぽけな国日本に負けたのです。
白人による植民地支配全盛で、白人が有色人種に負ける事などありえないと世界で思われていた時代に、日本がロシアを負かしたのです。

この事件は植民地にされていた人々に独立への大きな希望を与えました。

もし、日本が日本海開戦に敗れていたら日本も植民地となり、私は今この世に生を受けていなかったかもしれません。
そして、多くの植民地が今も白人に搾取されていたかもしれません。

今日、五月二十七日は世界の歴史の転換点となった日として今も記すべきです。
ところが、今朝の新聞(産経)には一言も触れていませんでした。

敗戦後この日を教えることをしなくなり、多くの日本人が海軍記念日を知りません。
自分の国の偉大な歴史をを知らない。
これほど不幸なことはないでしょう。


小泉信三はかつて「徳教は目より入り耳より入る」と題して以下の文を書かれています。

……近代日本の歴史において、真にわが国の独立がおびやかされた日といえば、一九〇五年(明治三十八年)五月二十七日はまさしくそれであった。この日早暁、遠く本国から地球を半周して来攻したロシアの大艦隊は、未明の日本海にその姿を現わした。そうして、海軍大将東郷平八郎の率いたわが連合艦隊によって完全に撃滅されたのである。

七百年前、元軍の全艦覆没をきいて、われわれの祖先があげた歓呼の声はきくよしもないが、六十年前連合艦隊の公報に接して、狂呼乱舞したその日のことは、今なおわれわれの記憶に新しい。日本国民が、子供のときから心にとどめるべき人名として東郷平八郎の名は逸してはなるまい。

英国民は、トラファルガー・スクエアを設け、巨柱の頂にネルソンの像を立てた。フランス人はベルダン要塞死守の戦闘を誇り、ロシア人は好んでスターリングラードの攻防について語るという。日本国民自ら自国の栄誉を忘れ、却って心ある他国人をして、かわって赤面させるようなことは、あらせてはなるまい(産経新聞昭和三十九年二月十日付朝刊)。
「日本海海戦と明治人の気概」扶桑社より



日本海海戦!





主権回復の日は本当の「終戦の日」。

2012年05月06日 | 今日は何の日
四月二十八日は大東亜戦争に敗れた我が国に対する米国による異常な占領期間が終わって主権を回復した日です。


風さゆるみ冬は過ぎてまちまちし八重桜咲く春となりけり
昭和天皇 御製


主権回復の時に詠まれた昭和天皇御製です。

今年は主権回復から六十年になります。
終戦の日が近づくと反戦特集をこれでもかと組むマスコミも四月二十八日は静かなものです。
事実上の終戦は主権が回復した日です。
だからこの日が本当の終戦となります。

今を生きる若者達で四月二十八日の事を知っている人がどれくらい居るでしょうか。
学校でも教えていないか、さっと話して終わっているのがほとんどでは無いでしょうか。
たった六十年前の自分の国のことを知らないのは、これからの国を支えていく者立ちにとって不幸なことです。

極東軍事裁判(東京裁判)でインド代表判事であった、ラダ・ビノード・パール博士は講和条約に対して次のように言われました。

「独立国には四つの条件が具備されなければならぬ。

 ①国家の基本法である憲法は自分達の手で書く。
 ②自分の国土(領土)は自分達が守る。
 ③国家の祭祀・信仰は何びとからも干渉を受けない。
 ④師弟に対する教育も同様に、他国からの干渉を排除して、自分達の意思に基づく。

ところが日本の実情はどうか。
いまだアメリカから与えられた憲法の許で、日米安保条約に依存し、自国の防衛はアメリカにまかせている。
宗教も教育も干渉を受けている。
東京裁判史観という歪められた自虐史観や、アメリカナイズされたものの見方や、考え方が少しも直っていない。

日本人よ、日本に帰れ!とわたしは言いたい」


パール博士の言われた四つの条件、六十年前から何一つ変わっていません。

憲法は全くそのまま。領土は依然米国頼み。天皇陛下の靖国参拝は途絶え。教育には近隣諸国条項なる馬鹿げたものまでできる始末です。
良くなるどころか六十年前より悪くしていると言えます。

先の戦争で自らの命を特攻隊として国のため、郷里のため、家族のため散華した二十歳前後の若者達は今の日本をどう思われているでしょうか。
平和惚けしたままでは国がつぶれてしまうでしょう。

まずは基本法である憲法を改正することが早急に必要です。
ただ、最近は国民の間にも憲法改正の空気が以前よりも増してきていると思います。自主憲法の草案を発表する政党も出てきました。
これが一時的なもので終わらずに、真に憲法改正へと繋がるようでなければなりません。

次期総選挙の争点は、消費税増税でも原発問題でもありません。
憲法改正を問うべきです。





兄弟で「成人の日」が違うことを異常と思わないのだろうか。

2012年01月09日 | 今日は何の日
新成人に成られた皆さんおめでとうございます。
これからは一人前の大人として社会で活躍されることを望みます。

ところで、ハッピーマンデー法が施行されてから「成人の日」「海の日」「敬老の日」「体育の日」が毎年違う日になりました。
祝祭日、記念日にはそれぞれその日に意味が有るから決められました。
それを、三連休にすればお金を使ってもらえて経済が良くなるだろうとの単純な考えで祝日法を改悪しました。
その結果、兄弟で「成人の日」が違うような状態になりました。
「成人の日」は生涯に一度だけです。

このような馬鹿げた法を通すから自民党は野党になったのです。
再び政権政党になりたいなら、ハッピーマンデー法を廃止し、祝日を元の日に戻すところからすべきです。


日本海海戦!

2011年05月27日 | 今日は何の日
再掲
明治三十八年五月二十七日午前四時四十五分、五島列島沖で警戒していた仮装巡洋艦「信濃丸」から、「敵艦隊らしき煤煙見ゆ」との第一報が打電されました。

これが、後の世界の歴史を大きく変えることになった「日本海海戦」の始まりでした。
この信濃丸がバルチック艦隊を発見した位置が、海図を碁盤の目のように区分けした中の、偶然にも旅順要塞攻略の要となった二百三高地と同じ「203」地区でした。

バルチック艦隊発見の報に接し、出撃する連合艦隊は、
「敵艦見ゆとの警報に接し連合艦隊は直ちに出撃、之を撃滅せんとす。
  本日天気晴朗なれども波高し」と大本営に打電しました。

午後一時五十五分、旗艦三笠の檣上にZ旗が翻りました。
「興国の荒廃この一戦に在り。各員一層奮励努力せよ」

戦闘は世界の海戦史に残る、連合艦隊の一方的勝利に終わりました。

この時ロシアに負けていたら日本はおろか朝鮮半島はどうなっていたでしょうか。
当時、満州は既にロシアに占領されていた事実を忘れていないでしょうか。

白人に劣ると思われていた有色人種が白人に勝った。この事は世界の植民地に勇気を与えました。

胡錦濤主席が来日した折、孫文縁のレストランに行きましたが、その孫文も日本の勝利に次のように発言しています。
「アジア人とヨーロッパ人とを比べるのに、以前は世界で優秀なのは白人だけだと考え、何事も白人の独占となっていた。われわれアジア人は、白人にはおよびがたきものと諦め、中国人だけでなく、アジアのすべての民族が、絶望していた。
そこへ日本が忽然としておこり、世界の一等国となったのを見て、アジアの民族に、無限の希望が輝き始めた。白人のやることは日本人にもやれた。皮膚の色の違いは、知力や才能の優劣とは関係ない。そういうことが、わかったのだ」

エジプトのサダト元大統領は、
「私は近く日本を訪問するが、その時は真っ先に明治神宮を参拝するつもりだ。今日エジプトが独立し、このような繁栄をきたしたのも、その根源をたどれば明治天皇様の率いる日本軍が、白人帝国主義のチャンピオンたるロシア帝国を敗ったことに起因する。エジプトで今なお愛唱されている『日本の娘さん』という歌は、日露戦争に従軍看護婦として出征する日本の女性を讃えた詩なのです」

トルコには東郷通り、乃木通りが命名されています。
フィンランドには「東郷ビール」が有ります。

私達の先人が命を賭して護った物は、非常に大きな物だったと誇れるものです。

海軍記念日
海軍記念日に軍艦行進曲
記念艦三笠とニミッツ提督

連合艦隊解散の辞
「二十閲月(えつげつ)の征戦已(すで)に往時と過ぎ、連合艦隊は今や其の隊務を結了(けつりょう)して茲(ここ)に解散する事となれり。然れども我等海軍軍人に責務は決して之が為に軽減せるものにあらず、此戦役の収果を永遠に全くし、尚ほ益々国運の隆昌(りゅうしょう)を扶持(ふうじ)せんには時の平戦を問はず、先づ外衝(がいしょう)に立つべき海軍が常に其武力を海洋に保全し、一朝緩急に応ずるの覚悟あるを要す。而(しこう)して、武力なるものは艦船兵器のみにあらずして、之を活用する無形の実力にあり。百発百中の一砲能(よ)く百発一中の敵砲百門に対抗し得るを覚(さと)らば我等軍人は主として武力を形而上に求めざるべからず。近く我海軍の勝利を得たる所以(ゆえん)も至尊霊徳に由る処多しと雖(いえど)も抑(そもそも)亦(また)平素の練磨其因を成し、果を戦役に結びたるものして若し既往を以って将来を推すときは征戦息(や)むと雖(いえど)も安んじて休憩す可らざきものあるを覚ゆ。惟(おも)ふに武人の一生は連綿不断の戦争にして時の平戦に依り其責務に軽重あるの理(ことわり)無し。事有らば武力を発揮し、事無かれば之を修養し、終始一貫其本分を尽さんのみ。過去一年有余半彼(か)の波濤(はとう)と戦い、寒暑に抗し、屡(しばしば)頑敵(がんてき)と対して生死の間に出入(しゅつにゅう)せし事、固(もと)より容易の業(わざ)ならざりし、観ずれば是亦(これまた)長期の一大演習にして之に参加し幾多啓発するを得たる武人の幸福比するに物無く豈(あに)之を征戦の労苦とするに足らんや。

 苟(いや)しくも武人にして治平に偸安(ゆうあん)せんか兵備の外観巍然(ぎぜん)たるも宛も沙上(さじょう)の楼閣の如く暴風一過忽ち崩倒するに至らん。洵(まこと)に戒むべきなり。

 昔者(むかし)神功皇后三韓を征服し給ひし以来、韓国は四百余年間我統理の下にありしも一度(ひとたび)海軍の廃頽(はいたい)するや忽ち之を失ひ又近世に入り徳川幕府治平に狃(な)れて兵備を懈(おこた)れば挙国米船数隻の応対に苦しみ露艦亦(また)千島樺太を覬覦(きゆ)するも之に抗争する能(あた)はざるに至れり。翻って之を西史に見るに十九世紀の初めに当たり、ナイル及びトラファルガー等に勝ちたる英国海軍は祖国を泰山の安きに置きたるのみならず爾来後進相襲(あいつい)で能(よ)く其武力を保有し世運の進歩に後れざりしかば今に至る迄永く其(その)国利(こくり)を擁護し、国権を伸張するを得たり。蓋(けだ)し此の如き古今東西の殷鑑(いんかん)は為政の然らしむるものありしと雖も主として武人が治に居いて乱を忘れざると否とに基づける自然の結果たらざるは無し。我等戦後の軍人は深く此等(これら)の事例に鑑(かんが)み既有の練磨に加ふるに戦役の実験を以ってし、更に将来の進歩を図りて時勢の発展に遅れざるを期せざるべからず。若し夫(そ)れ常に聖諭(せいゆ)を奉戴(ほうたい)して孜孜奮励し、実力の満を持して放つべき時節を待たば庶幾(こいねがわ)くは以って永遠に護国の大任を全うする事を得ん。神明は唯(ただ)平素の鍛練に力(つと)め、戦はずして既に勝てる者に勝利の栄冠を授くると同時に一勝に満足して治平に安(やすん)ずる者より直(ただち)に之を奪ふ。

 古人曰く勝て兜の緒を締めよ・・・と

明治三十八年十二月二十一日 連合艦隊司令長官 東郷 平八郎」




奉祝!紀元節

2011年02月11日 | 今日は何の日
今日は「紀元節」(建国記念の日)です。
今日で紀元二千六百七十一年になります。
この長い年月培ってきた先人達の思いを新たに感じます。





歴史の深さ

つい最近、香港やフイリツピンの旅行から帰つてきた学生の話である。
「今度の旅で一番心に残つたことは、日本といふ国が、文字通り底の知れないほどの深い歴史をもつてゐるといふことでした。たしかに日本もフイリツピンも『国』といふ点では同じでせう。しかし歴史の深さといふ点から見てゆけぽ、その二つを同じ『国』と呼ぶのがためらはれるほどでした。深い深い歴史の中に生きてゐる日本人としての幸福をしみじみと感じました。見知らぬ国を訪ねて様々な経験もしましたが、結局僕の目に焼きついてはなれなかつたのは日本の国の姿でした。」

このあと学生は次のやうなことばをつけ加へた。
「今度の大戦が終るまで、日本は実にさまざまの誤ちを犯して来た、昭和二十年までの日本の歴史はみじめだつた、しかしその後日本は立ち直つた、新しい日本はここに誕生した―僕達は学校でこのやうに教はつてきました。戦後二十年の歴史、それが僕等の歴史でした。しかし今度の旅行でそれが間違ひだ、といふことがはつきりわかりました。僕等の過去には底知れぬ程の歴史がある、僕達はいまそれを本当に知りたいと思ふし、又その歴史に心から感謝したいと思ひます。」

この学生は、日本に帰つてくる船の中でテレビに映る安田講堂の惨状を見たさうであるが、その時の感想を「日本にはこんなに深い根がある筈なのに、その根に気付くことなく、それとは全く関係のないところで、的外れのエネルギーを爆発させてゐる学生の姿が、何か人形のやうに、みじめに見えた」と話してくれた。反体制思想の波が、狂ふが如くに全国の大学、高校に押し寄せてゐる現状を目にするとき、常に私の心にひびいてくるのは、この学生の言葉であり、私の心に映るものは、海原の彼方、遠く祖国を望んだに違ひない、その学生のまなざしである。
(昭和四十四年四月『高校と教育』第一号所載)
「戦後教育の中で」小柳陽太郎著より





成人の日

2011年01月10日 | 今日は何の日
今日は新たに成人となる人を祝う「成人の日」です。
すでに働いている人もいれば学生の人もいます。
マスコミ報道では毎年成人式で馬鹿騒ぎをする者ばかり流しますが、ほとんどの人たちは真面目にしている人たちです。

成人式を迎えこれからは、あなた達には責任が伴うことを知ってください。

「祖国があなたに何をしてくれるかを問うのではなくではなく、あなたが祖国のために何をできるか考えて欲しい」
ケネディー元大統領のこの言葉を送りたいと思います。


祝 「新嘗祭」

2010年11月23日 | 今日は何の日
十一月二十三日は天皇陛下の祭祀で一番大切な「新嘗祭」です。

新嘗祭は天皇陛下がその年の新穀を聞食されるのにあたり、まず天照大御神を始め天神地祇に御親ら新穀をお供えになる祭儀です。
全国の神社でもこれにならって御神前に新穀を奉る新嘗祭がおこなわれ、下鴨神社では午前9時から特に本殿の御扉をお開き申し上げて祭儀をおこないます。

宮中の親嘗祭は23日午後6時から8時までの「夕の儀」と、午後11時から24日午前1時までの「暁の儀」の2度にわたっての祭儀がおこなわれます。皇居内の神嘉殿において「夕の儀」では夕食を「暁の儀」では朝食を天皇陛下御手ずから神々にお取り分けになり食事を共にされ、私ども国民の平安をお祈り下さいます。

23日は戦前「新嘗祭」という祭日でしたが、戦後は「勤労感謝の日」と改称され休日の一つとなってその意義も忘れられてしまいました。

私達が夕食をしている頃に天皇陛下は神々と夕食をともにされ、そして私達が寝静まる頃には再び神々と朝食を共にしておられます。暖房の設備もない神嘉殿において、尊き御身ながら2時間もの長い時間を正座の御姿勢をおとりになりお祀りを遊ばします御姿は誠に恐れ多いことであります。昔御所が京都あった頃には京都の人は新嘗祭の日は一日中家で慎み、宮中での神事が終わるまで寝床に入らなかったといいます。私達も先人にならい11月23日新嘗祭は心静かに過ごしたいものです。
下鴨神社ホームページより


天皇陛下は常に国民の平安を祈られています。
新嘗祭もその一つです。
私たち国民は天皇陛下のご健康と皇室の弥栄をお祈りします。







奉祝 紀元節!

2010年02月11日 | 今日は何の日
辛酉年春正月庚辰朔。天皇即帝位於橿原宮。是歳為天皇元年。
辛酉の年春一月一日、天皇は橿原の宮にご即位になった。この年を天皇の元年とする。
日本書記より


どの国にも建国を記念した日があります。
我が国は日本書記の記述から、神武天皇の即位の日を建国記念日としています。
天皇陛下を中心として成り立つ日本に相応しい日にあたります。
紀元二千六百七十年の紀元節を迎え御祝い申し上げます。



雲に聳ゆる高千穂の 高根おろしに、草も木も なびき伏しけん大御代を 仰ぐ今日こそ 楽しけれ

海原なせる埴安の 池のおもより猶広き 恵みの波に浴みし世を 仰ぐ今日こそ楽しけれ

天津日嗣の高御座 千代万代に動きなき 基定めしそのかみを 仰ぐ今日こそ楽しけれ

空に輝く日のもとの よろずの国にたぐいなき 国の御柱立てし世を 仰ぐ今日こそ楽しけれ
「紀元節」