一燈照隅

日本が好きな日本人です

自衛隊に栄誉を!

2008年11月30日 | 自衛隊
「私は必ずしも栄誉大権の復活によって"政治的天皇"が復活するとは信じません。問題は実に簡単なことで、現在の天皇も保持しておられる文官への栄誉授与権を武官へも横すべりさせるだけのことであり、又、自衛隊法の細則に規定されているとおり、天皇は儀仗を受けられるのが当然でありながら、一部宮内官僚の配慮によって、それすら忌避されているのを正道にもどすだけのことではありませんか。
いわゆるシヴィリアン・コントロールとは政府が軍事に対して財布の紐を締めるというだけの本旨にすぎないが、私は日本本来の姿は、文化(天皇)を以て軍事に栄誉を与えつつこれをコントロールすることであると考えます。」
「文化防衛論」三島由紀夫著


国民はいざという時、自衛隊にお世話になっているくせに普段は疎んじています。
このようなことで、テロによる襲撃や戦争になったとき自衛隊員は戦えるでしょうか。
しかしそれでも自衛隊員は戦うでしょう。
そのような自衛隊員を疎んじるのではなく、誇りを持ってもらうことが大切です。
国賓が来日された時、自衛隊への閲兵があります。これは何処の国でも国賓による軍隊の閲兵はあります。
しかし日本ではエスコート役の天皇陛下が閲兵をされません。国賓が一人で閲兵します。
普段から天皇陛下が自衛隊を閲兵する事を認めないような政治家やマスコミによってこのようなことになっています。
このような異常なことは早急に改める必要があります。
天皇陛下の閲兵や叙勲が行われれば自衛隊員の士気も全く違ったものになるでしょう。




内定取り消して悪いか。

2008年11月29日 | 時事問題
内定取り消しの学生「怒りより悲しみ」 日本綜合地所53人
2008.11.28 23:01

 来春卒業の学生が企業から内定を取り消された事例が厚生労働省の調査で300人を超えた問題で、東証1部上場のマンション販売「日本綜合地所」(東京都港区)が内定者53人の内定を取り消したことが28日、分かった。内定を取り消された学生は同日、記者会見し「怒りよりも悲しみが大きい」と話し、就職活動が振り出しに戻った“悪夢”に戸惑う表情を見せた。労働関係者からは調査の数字について「実際にはもっと多いのではないか」と指摘する声もある。

 28日、東京・霞が関の厚生労働省で記者会見したのは、全国一般東京東部労組に加入した都内の大学4年の男子学生(23)。学生は面接などの試験を受け、今年4月24日に日本総合地所から電話で内定の連絡を受けた。

 学生によると、10月1日に内定式があり、同社幹部が「マンション業界は不況だが、うちの会社は大丈夫」とあいさつしたという。だが、今月17日に同社総務部長から電話で「経済状況が悪化して、入社させても苦しめてしまう。後日、役員が自宅に行って説明をしたい」と、内定取り消しを告知された。

 学生は「6社の内定を断ってこの会社に決めた。働くことを心待ちにしていた。正直なところ、怒りよりも悲しみが大きい」と話した。同社は内定学生に宅建取得を求め、学生は専門学校で受講。学費は一部を同社が負担したものの、約10万円は自己負担したという。

 学生は「不動産業界はもう懲りました」と語り、雇用継続は求めず、現在は別の業界で就職活動を行っている。

 日本綜合地所経営企画部は「マンション分譲地を取得し、販売する営業社員が必要だった。昨今の経済・金融情勢の悪化で内定者53人の採用について、先行きが不透明になった」と説明している。法的な問題については「学生への説明が優先されるので、現段階でコメントできない」としている。

 厚生労働省は「合理的理由がない場合には取り消しが無効となる」(若年者雇用対策室)と指摘。舛添要一厚労相も28日の閣議後会見で内定取り消しの調査結果について「これ(内定取り消し)は違法で、企業、社会、大学に対して周知徹底する。学生諸君にはきちんと対応するので泣き寝入りするなと言う」と発言した。

 NPO法人、労働相談センターの石川源嗣理事長は「9月ごろから電話相談が増え、1日に10件前後もかかってくることがある。30年近く労働相談をしているが、このような形で相談が集中するのは初めて。厚労省の数字より、実際はもっと多いのではないか」と語る。企業が補償せず、電話1本で済ませるケースもあったといい、「人生設計の出だしでつまずくのは、ショックが大きい。内定の取り消しは解雇と同じ。企業が責任を取るべきだ」と話している。


企業の内定取り消しが報道されることが多くなっていますが、内定取り消してどこが悪いのか。
内定通知時と今では経済環境がはるかに違っています。
内定時から比べて企業の業績が悪く成れば、新たに雇うのを控えざるをえなくなるのも当然だろう。
もし無理に雇えば逆にリストラやボーナスカットがおきるだろう。
どの企業もリストラの対象は中高年です。もし中高年者がリストラになればもっと悲惨です。
政治家やマスコミはやたらと被害者的な者に迎合しすぎではないか。
厳しいことを言うが、学生なんだから内定取り消しされた会社とは縁がなかったと思って次を見つければいい。

それとこういう事が起こるのは今の就職活動が早すぎるからです。
なんで3年が就職活動をしなければならないのか。本来なら4年生の今頃で良いはずです。
結局大学生は3年の秋から勉強しなくなります。
こういったことを改めることの方が大事ではないだろうか。




ハル・ノート

2008年11月26日 | 大東亜戦争
「現代の歴史家でさえも、次のように考えることが出来るのである。すなわち、『今次戦争について言えば、真珠湾攻撃の直前に米国国務省が日本政府に送ったものと同じような通牒を受け取った場合、モナコ王国やルクセンブルク大公国でさえも、合衆国に対して戈を取って起ち上がったであろう』

現代の米国歴史家は次のように述べている。すなわち、
『…日本の歴史、制度と日本人の心理についてなんら深い知識を持たなくても、一九四一年十一月二十六日の覚書きについて二つの結論を下すことが出来た。
第一に日本の内閣は、たとい“自由主義的”な内閣であろうと、また、“反動的”なそれであろうと、内閣の即時倒壊の危険もしくはそれ以上の危険を冒すことなしには、その覚書きの規定する所を交渉妥結の基礎として受諾することは、できなかったであろう。
第二に米国国務省の高官、特に極東問題担当の高官はすべて、右の覚書きが作成されているときに、日本政府が、“太平洋の平和維持を目的”とする会議再開のプログラムとしては、この覚え書きをとうてい受諾しないであろうということを関知していたに相違ないのである。
同時にまた、ルーズベルト大統領とハル国務長官が、東京(の日本政府)はこの覚書きの条項を受諾するだろうとか、またこの文書を日本政府に交付する事が戦争の序幕になる事はあるまいと、一九四一年十一月二十六日(の遅きに至って)考えるほど、日本の実情に疎かったとは、とうてい考えられないのである』

ルーズベルト大統領とハル国務長官は、右の覚書きに含まれた提案を日本側が受諾しないものと思い込んでいたので、日本側の回答を待つことなく、右の文書が日本の代表に手交されたその翌日、米国の前哨地帯の諸指揮官に対して、戦争の警報を発する事を認可したのである」


十月十八日に首相になった東條英機は、戦争回避に努力をします。
その時に米国に提案したのが甲案、乙案でした。

 甲案、
(1)日本は、通商の無差別原則が全世界に適用されるという前提の下に、太平洋全域及び中国における通商の無差別原則の適用を求めること、
(2)日独伊三国同盟の解釈については、「自衛権」のみだりな拡大をしないことを明確化するとともに、従来通り日本政府独自の解釈に基づくこと、
(3)撤兵問題については、中国からの撤退では華北及びモンゴルの一部と海南島に関しては日本・中国間の平和条約成立後およそ25年を目処として駐屯するが、それ以外の地では2年以内の完全撤退を目指し、仏領インドシナからは日中戦争が解決するか極東の平和が確立ししだい直ちに撤退すること、が示されました。
 乙案、
(1)日本・アメリカ両国は仏領インドシナ以外の東南アジア及び南太平洋地域に武力的進出を行なわないこと、
(2)両国は蘭領インドシナにおいて物資獲得が保障されるように相互協力すること、
(3)両国は通商関係を在アメリカ日本資産凍結以前の状態に復帰させること、
(4)アメリカは日本・中国の和平の努力に支障を与える行動をしないこと、
の4点が成立すれば必要に応じて南部仏領インドシナに駐屯する日本軍は北部仏領インドシナに引き揚げることを示しています。


これは大幅に譲歩した内容でした。このどちらかでも米国が了承すれば戦争は回避できました。
しかし米国の回答は、パール判決文に書かれているような内容の「ハル・ノート」でした。

合衆国及び日本国間協定の基礎概略

第1項 政策に関する相互宣言案

合衆国政府及び日本政府は共に太平洋の平和を欲し其の国策は太平洋地域全般に亙(わた)る永続的且つ広汎なる平和を目的とし、 両国は右地域に於いて何等領土的企図を有せず、 他国を脅威し又は隣接国に対し侵略的に武力を行使するの意図なく又その国策に於いては相互間及び一切の他国政府との間の関係の基礎たる左記根本諸原則を積極的に支持し且つ之を実際的に適用すべき旨宣明す。

1 一切の国家の領土保全及び主権の不可侵原則
2 他の諸国の国内問題に対する不干与の原則
3 通商上の機会及び待遇の平等を含む平等原則
4 紛争の防止及び平和的解決並びに平和的方法および手続に依る国際情勢改善の為国際協力及び国際調停遵拠の原則

日本国政府及び合衆国政府は慢性的政治不安定の根絶、頻繁なる経済的崩壊の防止及び平和の基礎設定の為め、相互間並びに他国家及び他国民との間の経済関係に於いて左記諸原則を積極的に支持し、 且つ実際的に適用すべきことを合意せり

1 国際通商関係に於ける無差別待遇の原則
2 国際的経済協力及び過度の通商制限に現れたる極端なる国家主義撤廃の原則
3 一切の国家に依る無差別的なる原料物資獲得の原則
4 国際的商品協定の運用に関し消費国家及び民衆の利益の十分なる保護の原則
5 一切の国家の主要企業及び連続的発展に資し、且つ一切の国家の福祉に合致する貿易手続きによる支払いを許容せしむるが如き国際金融機構及び取極め樹立の原則

第2項

合衆国政府及び日本国政府の採るべき措置

合衆国政府及び日本国政府は左記の如き措置を採ることを提案す

1 合衆国政府及び日本国政府は英帝国支那、日本国、和蘭(オランダ)、蘇連邦、泰国、及び合衆国間多辺的不可侵条約の締結に努むべし
2 当国政府は米、英、支、日、蘭、及び泰政府間に各国政府が仏領印度支那の領土主権を尊重し、且つ印度支那の領土保全に対する脅威に対処するに必要且つ適当なりと看做(みな)さるべき措置を講ずるの目的を以って即時協議する旨誓約すべき協定の締結に努むべし
 斯かる協定は又協定締約国たる各国政府が印度支那との貿易若しくは経済関係に於いて特恵的待遇を求め、又は受けざるべく且つ各締約国の為仏領印度支那との貿易及び通商に於ける平等待遇を確保するが為尽力すべき旨規定すべきものとす
3 日本国政府は支那及び印度支那より一切の陸、海、空軍兵力及び警察力を撤収すべし
4 合衆国政府及び日本国政府は臨時に首都を重慶に置ける中華民国国民政府以外の支那に於ける如何なる政府、若しくは政権をも軍事的、経済的に支持せざるべし
5 両国政府は外国租界及び居留地内及び之に関連せる諸権益並びに1901年の団匪事件(義和団事件の事)議定書に依る諸権利を含む支那に在る一切の治外法権を放棄すべし
 両国政府は外国租界及び居留地に於ける諸権利並びに1901年の団匪事件議定書による諸権利を含む支那に於ける治外法権廃棄方に付き英国政府及び其の外の政府の同意を取り付くべく努力すべし
6 合衆国政府及び日本政府は互恵的最恵国待遇及び通障壁の低減並びに生糸を自由品目として据え置かんとする米側企図に基き合衆国及び日本国間に通商協定締結の為協議を開始すべし
7 合衆国政府及び日本国政府はそれぞれ合衆国に在る日本資金および日本国に在る米国資金に対する凍結措置を撤廃すべし
8 両国政府は円払い為替の安定に関する案に付き協定し右目的の為適当なる資金の割り当ては半額を日本国より半額を合衆国より給与せらるべきことを合意すべし
9 両国政府は其の何れかの一方が第三国と締結しおる如何なる協定も同国に依り本協定の根本目的即ち太平洋地域全般の平和確立及び保持に矛盾するが如く解釈せらるべきことを同意すべし
10 両国政府は他国政府をして本協定に規定せる基本的なる政治的経済的原則を遵守し、且つ之を実際的に適用せしむる為其の勢力を行使すべし


問題になったのは第2項です。
このハル・ノートが提示されたとき、外相の東郷茂徳は「自分は目もくらむばかりの失望に撃たれた。その内容の激しさには少なからず驚かされた。結局長年に渡る日本の犠牲を全然無視し、極東における大国の地位を捨てよ。これは国家的自殺に等しい。最早立ち上がる外ないということだった」と述べています。
ハルノートまでに、ルーズベルト大統領による隔離演説、資産凍結、石油や鉄鉱石の禁輸があり、結局ハル・ノートが米・英(蘭は蘭の方から日本に宣戦布告してきています)戦争の引き金を引かせたのが歴史です。



憂国

2008年11月25日 | Weblog
今日は三島由紀夫、森田必勝の命日です。
この日を「憂国忌」と言います。


「文化防衛論」 三島由紀夫
「天皇の起原」林房雄著 より抜粋

「ただ文化を守れということでは非常にわかりにくい。文化、文化というと、それがお前自身の金儲けにつながっているからだろう―といわれるかもしれない。文化とは特殊な才能を持った人間が特殊な文化を作り出しているのだから、われわれには関係がない。必要があれば金で買えばいい、守る必要なんかない―と考える者もいるだろう。
しかし、文化とはそういうものではない。昔流に表現すれば、一人一人の心の中にある日本精神を守るということだ。しかし、その純粋な日本精神は、目に見えないものであり、形として示すことができないので、これを守れと言っても非常にむずかしい。
だから私は、文化というものを、そのようには考えない。文化は目に見える、形になった結果から判断していいのではないかと思う。したがって日本精神というものを知るためには、目に見えない、形のない古くさいものと考えずに、形のあるもの、目にふれるもので、日本の精神の現れであると思えるものを並べてみろ、そしてそれを端から端まで目を通してみろ、そうすれば自ら明らかとなる。そしてそれをどうしたら守れるか、どうやって守ればいいかを考えろ、というのである」


「歌舞伎、文楽なら守ってもいいが、サイケデリックや“おらは死んじまっただ”などという頽廃的な文化は弾圧しなければならない―というのは政治家の考えることだ。私はそうは考えない。古いもの必ずしも良いものではなく、新しいもの必ずしも悪いものではない。
江戸末期の歌舞伎狂言などには、現代よりもっと頽廃的なものがたくさんある。それらをひっくるめたものが日本文化であり、日本人の特性がよく表れているのである。日本精神というものの規準はここにある。しかしこれから外れたものは違うんだという規準はない。良いも悪いも、あるいは古かろうが新しかろうが、そこに現れているものが日本精神なのである。
したがってどんなに文化と関係ないと思っている人でも、文化と関係のない人間はいない。歌謡曲であれ浪花節であれ、それらが頽廃的であっても、そこには日本人の魂が入っているのである」


「日本人の色々な行動(例えば特攻隊の行動)について、日本人が考えることと、西洋人の評価とはかなり違っている。彼らから見ればいかにばかげたことであろうとも、日本人が立派だと思い、美しいと思うことはたくさんある。
西洋人から見てばからしいものは一切やめよう、西洋人から見て蒙昧なもの、グロテスクなもの、美しくないもの、不道徳なものは全部やめようじゃないか―というのが文明開化主義である。西洋人から見て浪花節は下品であり、特攻隊はばからしいもの、切腹は野蛮である、神道は無知単純だ、とそういうものを全部否定していったら、日本には何が残るか―何も残るものはない。
日本文化というものは西洋人の目から見て進んでいるとかおくれているとか判断できるものではない。……西洋の後に追いつくことが文化だと思ってきた誤りが、もうわかっていい頃だと思う」


「この文化論から出発して、“何を守るか”ということを考えなければならない。私はどうしても第一に、天皇陛下のことを考える。天皇陛下のことを言うと、すぐ右翼だとか何だとか言う人が多いが、憲法第1条に掲げてありながら、なぜ天皇のことを云々してはいけないのかと反論したい。
天皇を政治権力とくっつけたところに弊害があったのであるが、それも形として政治権力とくっつけたことは過去の歴史の中で何度かあった。しかし、天皇が独裁者であったことは一度もないのである。それをどうして、われわれは陛下を守ってはいけないのか、陛下に忠誠を誓ってはいけないのか、私にはその点がどうしても理解できない。
ところが陛下に忠誠をつくすことが、民主主義を裏切り、われわれ国民が主権をもっている国家を裏切るのだという左翼的な考えの人が多い。しかし天皇は日本の象徴であり、われわれ日本人の歴史、太古から連続してきている文化の象徴である。そういうものに忠誠をつくすことと同意のものであると私は考えている。
なぜなら、日本文化の歴史性、統一性、全体性の象徴であり、体現者であられるのが天皇なのである。日本文化を守ることは、天皇を守ることに帰着するのであるが、この文化の全体性をのこりなく救出し、政治的偏見にまどわされずに、『菊と刀』の文化をすべて統一体として守るには、言論の自由を保障する政体が必要で、共産主義政体が言論の自由を最終的に保障しないのは自明のことである」


「政府は、最後の場合には民衆に阿諛する事しか考えないであろう。世論はいつも民主社会における神だからである。われわれは民主社会における神である世論を否定し、最終的には大衆社会の持っているその非人間性を否定しようとするのである。」
「では、その少数者意識の行動の根拠は何であるか。それこそは、天皇である。われわれは天皇ということをいうときには、むしろ国民が天皇を根拠にすることが反時代的であるというような時代思潮を知りつつ、まさにその時代思潮の故に天皇を支持するのである」


「なぜなら、われわれの考える天皇とは、いかなる政治権力の象徴でもなく、それは一つの鏡のように、日本の文化の全体性と、連続性を映し出すものであり、このような全体性と連続性を映し出す天皇制を、終局的には破壊するような勢力に対しては、われわれの日本文化伝統をかけて戦わなければならないと信じているからである。」

「われわれは自民党を守るために闘うのでもなければ、民主主義社会を守るために闘うのでもない。……終局目標は天皇の護持であり、その天皇を終局的に否定するような政治勢力を、粉砕し、撃破し去ることでなければならない」



理財論

2008年11月24日 | 朝聞暮改
江戸時代、藩の財政を立て直した人物として有名なのに上杉鷹山がいます。
ケネディー元大統領が尊敬する日本人の一人として挙げたこともあり、上杉鷹山の名前は世間に知られています。
また「なせば成る 為さねばならぬ何事も 成らぬは人の為さぬなりけり」の名言もよく知られています。

しかし、その上杉鷹山の何倍もの改革を短期間に成し遂げたのが、幕末備中松山・板倉藩の陽明学者・山田方谷です。
江戸にて佐藤一齋に学び、佐久間像山と毎夜激論を交わしたほどの人物です。
松山に帰藩してからは、当時貧乏板倉藩と言われていたのを立て直し、藩全体の雰囲気も一新させました。
越後長岡藩の河井継之助が傾倒したほどの人物でもあります。
この山田方谷が「理財論」と言われる名論を表しています。この「理財論」を安岡正篤氏が解説したのが有ります。


▼財にとらわれれば小さくなる

理財の密なる、今日より密なるは無し。而して邦家の窮せる、今日より窮せるはなし、畎畝の税、山海の入、關市舟車畜産の利は、毫糸も必ず増す。吏士の俸、貢武の供、祭祀賓客興馬宮室の費は、錙銖も必ず減ず。理財の密なる此の如し、且つ之を行うこと数十年、而も邦家の窮は益々救うべからず。府庫洞然として積債山の如し。豈(あ)に其の智未だ足らざるか。其の術未だ巧ならざるか。抑々所謂密なるが尚疎なるや。皆非なり。夫れ善く天下の事を制する者は、事の外に立つて、事の内に屈せず。しかるに今の財を理(おさ)むる者は、悉(ことごと)く財の内に屈す。蓋(けだ)し昇平已に久しく、四彊虞(おそれ)無し。列侯諸臣、坐して其の安を享(う)け、而して財用一途、独り目下の息と為る。是を以て上下の心、一に此に鍾(あつ)まる。日夜営々、其の息を救わんことを謀つて、而して其の他を知ること莫し。人心日に邪にして、而して正す能わざるなり。風俗日に薄くして、而して敦うする能わざるなり。官吏日に汚れ、民物日に弊れて、而して検する能わざるなり。文教日に廃れ、武備日に弛みて、而して之を興し之を張る能わざるなり。挙げて焉(これ)を問う者有れば、乃ち日く、財用足らず、奚の暇あつてか此に及ばんと。鳴呼此の数者は経国の大法にして、而も舎(お)いて修めず。綱紀是に於てか乱れ、政令是に於てか廃る。
財用の途、亦将に何に由つてか通ぜんとす。然り而して錙銖毫糸の末を較計増減す。
豈財の内に屈する者に非ずや。何ぞ其の理の愈々密にして、而て其の窮の愈々救うべからざるを怪しまんや。一个(こ)の士、蕭然赤貧、室・懸磬(けい)の如し。甑(そう)中塵を生ず。而も脱然高視、別に立つ所有り。而して富貴も従つて至る。財の外に立つ者なり。匹夫匹婦の希う所、数金に過ぎず。而も終歳齷齪(あくせく)、之を求めて得ず、饑餓困頓、卒に以て死するに至る。財の内に屈する者なり。今堂々たる侯国、富・邦土を有す。而も其の為す所は、一介の士に及ばず、匹夫匹婦と其の愚陋を同じうす。亦大に哀しむべからずや。三代の治は論無きのみ。管商富強の術に至つては、聖人の徒の言うを恥づる所。
然れども管子の斉に於ける、礼儀を尚んで、廉恥を重んず。商君の秦に於ける、約信を固くして刑賞を厳にす。此れ皆別に立つ所有り。而して未だ必ずしも財利に区々たらざるなり。唯だ後世興利の徒、瑣屑煩可、唯だ財をこれ務め、而も上下倶に困しみ、衰亡之に従う。此れ亦古今得失の迩昭々たる者なり。今明主賢相誠に能く此に省み、一日超然として財利の外に卓立し、出入盈縮、之を一二の有司に委ね、特に其の大数を会するに過ぎず。乃ち義理を明かにして以て人心を正し、浮華を芟(か)つて風俗を敦うし、貧賂を禁じて以て官吏を清くし、撫字を務めて以て民物を瞻(た)らし、古道を尚んで以て文教を興し、士気を奮つて以て武備を張れば、綱紀是に於てか整い、政令是に於てか明かに、経国大法修まらざるなし。而して財用の途亦従つて通ぜん。英明特達の人に非ざるよりは、其れ孰(たれ)か能く之を誠にせん。


これは山田方谷が三十歳頃に書いた名論であります。この理財論は単なる議論ではなく、板倉藩が非常に貧乏で、もうどうにも手がつけられないほど疲弊しておったのを徹底的に改革し、特に財政を豊かにして生産をあげ、風俗を正しましたので、旅人が一たび板倉藩にはいるとすぐ分かったというくらい治績をあげました。したがって、この理財論は単なる政治家や経済学者の論と違って、その人の実力が証した名論であり、権威のある議論であります。

理財について非常に緻密に調査をしておることは、板倉藩の歴史始まって以来今日が最高であって、口をひらくと金、金と言っておるのだから、少しは暮らしが楽になったかと思うと、相変わらず貧乏で疲弊のどん底にある。農民が納める税金、海や山からとれる産物、あるいは通行税・取引税などは必ずとれるだけとりたてている。

また支出の面では、徳川幕府から賦課される費用、外交祭礼の費用、その他乗り物、建築費等はできるだけ節約して数十年になるが、藩の貧乏はますますひどくなり、借金は増えるばかりで、米倉も空となり、救済することができない状態となってしまった。これは理財の運用にあたる人間の知能の不足が原因であるのか、それとも技術が未熟であるためか、あるいはどこかに手ぬかりや欠陥があるためだろうか。
いやそうではない。
天下の事件や問題を処理する者は、事件や問題の外に立って、事件の内にちぢこまらぬことが大切である―夫れ善く天下の事を制する者は、事の外に立って、事の内に屈せず―。
これが理財論の全編を通じて、方谷が言わんと欲する根本的見識であります。

ところが今の財政家は、皆財につかまって小さくなっている。これは平和が長く続いて敵国に対する心配がなくなったからで、そのために、殿さまも家臣も、皆太平に馴れてぜいたくになり、出費が増え、常に金のことばかりを考えて、人心は日に日にこうかつとなり、風俗はいよいよ薄くなるばかりで、もとのように敦(あつ)くすることが不可能となった。その上、役人は汚職をやり、人民は疲弊困憊(こんぱい)の極に達しておる。したがって文教はすたれ、武備はゆるんでしまって、これを興すこともむつかしくなった。そこでこの原因をたずねると、必ず「金がないから、何もできないのである」と答える。

思うに人心と風俗の問題、役人と庶民の生活問題、また文教と軍備の問題は国を治める上に最も大切な根本問題である。しかるにその大切な問題を忘れているから、規律は乱れて命令がとどこおるのが当然である。このような状態でどうして経済が発展するだろうか。
にもかかわらず枝葉末節の問題である金を増やすとか減らすとか等をやっておるのは、財の中に屈している証拠ではなかろうか。経済問題が非常にやかましく論じられ、調査されているのに、救い難いほどの貧乏をしている現実を不思議と思わないのか。

ここに一人の武士があって言語に絶する貧乏をして、家財道具をすっかり売りつくし、米櫃(びつ)は空で、中には塵(ちり)がたまっているというような生活を続けながらも、この苦しい生活を切りぬけようと、目標を高くかかげ、信念をもって貧乏に耐えたところ、何時しか貧乏の境遇から離脱して豊かになったという―こういう武士は、財にとらえられず、これを超越した人間であると申してよろしい。

思うに庶民の必要とする金はほんの僅かにすぎない。その僅かの金を手にいれんと、年中あくせくして疲労困態の末に死ぬ者もあるが、これは金にとらえられた人間である。広い国土と財産をもった堂々たる大国がこの貧乏な武士にも及ばず、金にとらえられた庶民のように汲々としておることはじつになげかわしいことである。

中国古代の代表的な帝王である、尭・舜・禹三代の理想政治は問題外として、管子・商鞍の富国強兵の手段は功利主義であると孔子から非難をうけているけれども、斉の宰相として管子が実施した政治の根本理念は、礼儀を重んじ、恥を知ることを第一としており、また秦の宰相として商君が実施したのは、信義を重んじて信賞必罰をやることであった。

管子も商君も経済には拘泥せず、しかも立派な政治を行ったので、春秋戦国時代の名宰相といわれている。ところが後世になると、為政者も庶民も金の奴隷となって、小さいそろばんをはじいて苦しみ、その上貧乏している。この事実を比較して考えると、その得失がきわめて明瞭である。そこで藩主も、藩主を補佐する役人たちも、深くこの事実を反省して、財の中に屈することなく、日常の簡単な経済問題は専門の役人にまかせて、時々大きくそろばんを合わすように点検すればよろしい。そして最も大切な問題である人間と仕事をいかにすべきかを考えて、まず人心を正し、華美な習慣を戒めて、風俗を取締り、賄賂を禁じて、役人の生活と姿勢を清くし、藩民を愛して物資を豊かに、古道を尚(たっと)んで、教学の興隆と武士の意気をたかめて、軍備を充実すると国家の大法はととのい、政府の発する命令は明確化されて、財政も自然によくなろう。

しかしこれを実践できる人は、よほど人間のできた偉い人であって、とうてい尋常の人では実行が不可能であろう。

▼善をなすが最良の道

ところがこれに対して次のような議論があります。
財の外に立つと財の内に屈するとは、すでに其の説を聞くを得たり。敢て問う、貧土弱国、上乏しく下困しむ。今綱紀を整え、政令を明かにせんと欲するも、而も饑寒死亡先ず已に之に迫る。其の患を免れんと欲すれば、則ち財に非ずんば可ならず。然るに尚其の外に立つて其の他を謀る。亦太だ迂ならずや。日く、此れ古の君子の、努めて義利の分を明かにする所以なり。夫れ綱紀を整え政令を明かにするは義なり。饑寒死亡を免れんと欲するは利なり。君子は其の義を明らかにして、其の利を計らず。唯だ綱紀を整え、政令を明らかにするを知るのみ。饑寒死亡の免るると免れざるとは天なり。夫れ蕞爾(さいじ)たる縢(とう)を以て、斉と楚とに介す。侵伐破滅の息日に迫る。しかも孟子之に教うるに彊(つと)めて善を為すを以てするのみ。侵伐破滅の息、饑寒死亡より甚だしきもの有り。しかも孟子教うる所は此の如きに過ぎず。則ち貧土弱国、其の自ら守る所以の者亦余法無し。しからば義利の分果して明らかにせざるべからざるなり。義利の分一たび明かにして、而して守る所のもの定まる。日月も明と為すに足らず。雷霆(らいてい)も威と為すに足らず。山嶽も重しと為すに足らず。河海も大と為すに足らず。天地を貫き、古今に度りて移易すべからず。又何の饑寒死亡かこれ患うるに足らん。しかるを区々(くく)財用をこれ言うに足らんや。然りと雖(いえど)も又利は義の和と言わずや。未だ綱紀整い政令明かにして、而も饑寒死亡を免れざる者有らざるなり。尚(なお)此の言を迂として、吾れ理財の道有り、饑寒死亡を免るべしと目わば、則ち之を行うこと数十年、邦家の窮益々救うべからざるは何ぞや。      孟子

問「財の外に立つと財の内に屈する―ということはよく理解できましたが、生産力の乏しい、勢力の弱い国が、上に立つ者も臣下も貧乏して苦しんでおるときに、国のおきてを整え、命令をはっきりさせたいと思っても、寒さと空腹のため死を招きます。これからのがれようとすれば金がなければなりません。それにもかかわらず財の外に立って方法を考えるということは迂遠な方法ではないでしょうか」

答「これは昔の為政者が、どうすることが義、―人間として履(ふ)むべき正しい道であり、どうすることが単なる利欲の満足であるか、という義と利をはっきりと分けた理由である。
綱紀を整え政令を明らかにすることには金はかからない。また古道を尚(たっと)び文教を振興することにも金は必要ではない。金がかかるなどという意見は世間の一般論であって、そのこと自体は金のかかるものではない。たしかに綱紀を整え政令を明らかにすることは義であり、饑寒死亡を免れようとするのは利であるが、為政者はその義を明らかにすることに努力して利を計ってはならない。また饑寒死亡を免れたり、これに遭うことは、これには天命ということもあって、人間の考えだけではどうにもならない問題である」

昔、縢(とう)という小国が、斉と楚という二つの大国の間に存在していた。一度戦乱がおこれば、縢はたちどころに大国の侵略をうけて滅亡するかも知れない。この危険な小国の縢に対して、孟子はつとめて善をなすように教えている。
侵伐破滅の苦しみは、饑寒死亡より大であるが、孟子はこのように善をなすことを教えている。縢のように小国で力が弱ければ弱いほど、善をなすことが最善の方法である。

国民の志気をさかんにして、政治を立派にすれば、自然に物質問題は解決するものである。何が義であり、何が利であるかが明確になると、各自の職分も決まる。これは天にかかる太陽や月よりも明瞭であり、雷よりもきびしく、山や海よりも重くて大きい。じつに天地を貫き、古今を通じて変わらない根本問題である。

この大事な問題をほったらかして、毎日金金とあくせくしながら、貧乏しておるのは、結局心がけが悪いからである。本当の利とは義の和、すなわち義をだんだん実践していくことによって成りたつ。これに活眼をひらけば財はいくらでも豊かになるものである。綱紀が整い、政令が明らかであるにもかかわらず、饑寒によって死亡したという例を聞かないのであるが、この言葉を迂遠と考えて、我れに他の理財の道があると言ってこれを行い、数十年になるのにかえってますます貧乏するのはなぜか。

山田方谷の理財に対する見識であります。彼はそのとおり貧乏板倉と言われて、どうにもならなかった板倉藩を数年にして立てなおし、風紀の整った、財政の豊かな藩として、明治九年七十三歳で亡くなりました。
この人を島津藩・前田藩のような大藩か、直接幕府の局面に立たせたならば、おそらくさらに偉大な治績をあげたことと思います。こういう立派な実際に権威のある理財家の結論が、財にとらえられてはいけない、財を超越してこれを駆使しなけれぱならないということであります。
経済的にゆきづまり、どうもお手あげだというときに、額をあつめて会議や議論をやってもよい考えは浮かびません。こういう際には山田方谷のような達人、実際家の研究・勉強をしてみると、案外窮境を脱することが容易であるかも知れません。
やはりわれわれはこういう達人の信念と論説を学ぶことが現代に大変参考となることであります。
「先哲講座」安岡正篤著より


利と義



新嘗祭(勤労感謝の日)

2008年11月22日 | 今日は何の日
11月23日(勤労感謝の日)は、以前は「新嘗祭」と言われました。
天皇陛下にとっては正月の「元旦祭」から大晦日の「大祓の儀」まで祭祀を行われることが一番の役割です。その中でも「新嘗祭」は天皇陛下にとって一番大切な祭祀です。
新嘗祭は天皇陛下がその年の新穀を聞食されるのにあたり、まず天照大御神を始め天神地祇に御親ら新穀をお供えになる祭儀です。


戦後11月23日は勤労感謝の日に変わりましたが、
それまで今日11月23日は「新嘗祭」でした。
新嘗祭は、天皇陛下がその年の新穀を諸々の神様に供え、天皇陛下自らも食される神人共食の感謝祭です。
新嘗祭は、天武天皇六年(678)十一月乙卯の日にとり行われたことが記載されています。

明治元年(1868)十一月十五日太政官布告第九六三号
皇国ノ稲穀ハ、天照大神顯見蒼生ノ食而可活モノナリト詔命アラセラレ、於天上狭田長田ニ令殖給ヒシ稲ヲ皇孫降臨ノ時下シ給ヘルモノナレハ、其神恩ヲ忘給ハス、且旱淋ノ憂無之様ニト、神武天皇以来世々ノ天皇、十一月中卯ノ日、當年ノ新穀ヲ天神地祇ニ供セラルル重礼ニテ、三千年ニ近ク被為行
當日ハ潔斎神祇ヲ拝シ、共ニ五穀豊熟天下太平ヲ神祇ニ祈奉ルヘシ




新嘗祭がどのように行われているか、一般の人は見ることが出来ませんが、元式部官であった竹田龍夫氏が「宮中物語・元式部官の回想」中央公論社の中に書かれていました。

よみがえる古代天皇の親祭

さて、新嘗の儀は夕の儀と暁の儀の二回にわたる。
まず午後七時二十五分、係員による呼び上げが始まり、内閣総理大臣、衆参両院議長、最高裁長官、宮内庁長官ら約三十名が神嘉殿前庭握舎に参進。つづいて皇族各殿下がご参進、着床の次第となる。休所より神嘉殿に至る道筋の松、榊の樹間には灯火の入った吊り提灯がかけられ、ほのかな円形の光をまわりに放っている。そのほかはただ黒く濃い闇のなかである。
前方で合図の手提灯が光の弧を描く。
先導の式部官の後ろにつづく総理大臣の足もとを、吊り提灯をもった係員が照らしながら併進する。

黒い儀式服はなかば闇に溶けこみ、白い手袋と金釦が鮮やかに浮かび上る。
総理以下一列になってつづく参進者たちの足音が、ザックザックと耳を打つ。
門を潜ると広い玉砂利の前庭である。その四隅で赤々と篝火が燃え、厳粛な空気が張りつめている。一同着床するうちに、私は握舎横の定位置に立つ。握舎のなか、椅子の列のところどころに炭火を入れた火鉢が置かれてある。前庭には四本の柱に木屋根をもった仮構築の火所がある。
そのなかで炎は小さくたゆたい、あるいはパチパチとはじけて猛々しく躍り上り、正座して薪をくべる白衣烏帽子の神官の横顔は、暗い陰影と明るい炎の照り返しを見せて、妖しく闇のなかに浮かび上る。

やがてぼうと見える向う側の天幕のなかから、絃楽音がひびき、同時に「おうーおうー」と低い神楽歌の朗唱が始まる。地底から湧き上る神秘な呪術の合唱のようである。私は握舎の前方に進み出て、一同起立の声をかける。
赤い庭瞭のたなびくなかにほの明るく浮かび上る殿上の廊下に、揺れる炎の脂燭を手に侍従が先行し後続し、やがて純白の祭服を召された陛下のお姿がおぼろげに神嘉殿の廊下を渡らせてこられる。そのあとに従うのは皇太子と思われる。
ついで恭々しく宝剣をいただく侍従、裾をもつ侍従が前後するが、その姿はもうろうとしてしかと見定めはつかない。そして拝殿の御簾の前で陛下の御拝礼が終るとともに、私は再び握舎の前に進み出て、「御着床を願いますー」の声をかけ、一同の着床を見届けてから定位置に戻る。

陛下は今、神嘉殿殿舎の御簾のなかに入られる。外側の廊下には掌典その他がかしずき、その間、生魚、干魚、菓子その他海の幸、山の幸を象徴する食物を、おん自ら祭主となって、新穀より醸造した白酒、黒酒とともに捧げて、神々と共飲共食されるのである。これを「御直会」と呼ぶ。陛下はこのあと拝礼とともに「お告げ文」を読み上げられ、五穀豊穣と国家の繁栄を祈願されるのであるが、右の儀式の模様は外部からは窺い知ることもできない。それは揺れる火影のなかで衣ずれの音も秘めやかに行なわれる天皇親祭の儀式であり、浄闇のうちなる、神々と天皇の秘儀であり、古代から現代まで天皇から天皇に口伝と所作をもって伝えられてきた、いわば呪術的な秘儀である(皇太子は陛下のあとにつづいて神殿内に入り、陛下の御直会の始終を見て、その秘儀を身につけるのである)。
そしてそこにはいろいろな作法があるらしい。たとえば三度の拍手、三度の静め(ご飯を三度舐めること)、あるいは白酒四度、黒酒四度の口づけなどのようにー。
しかしその辺のことはよくわからない。ただ天皇より次の天皇に黙示をもって伝えられるのみである。

今はただほのかに明るみのさす拝殿内の燭火のほむらの影の揺らめきに、かすかによぎるお姿らしき人影が時としてちらりと目に映るのみである。

木立ちを渡る夜風はいよいよ冷たく、深々と沈む夜の闇の底から再び「おうーおうー」と悲愁をおびた重々しい神楽歌の斉唱が、あたかも足下でうごめく地霊たちの叫びのごとく悲しげにひびきわたり、庭瞭の炎は躍り上り、火粉の飛沫をふり撒く。やがて陛下の白い祭服のお姿が現われ、神霊のささやきかとも思われる悲槍な絃の音のつづくなかを、夢幻のなかの舞台劇のように、脂燭の炎が流れ去る揺らめぎとともにご退出されてゆく。

今や新嘗の儀は終りに近い。係員が握舎の腰戸を開く。
すべては無言劇のようである。私は参進者たちの神殿前拝座での拝礼が終るのを見届け、諸員の列を誘導して休所に向う。黒い人びとの列は黙々として玉砂利を踏んで、おのがじし今しがた終えた厳粛な新嘗の祭儀のことを思い出しているのであろうか一同は休所で白酒、黒酒を土器の盃にていただき、箸を動かして「直会」、終ってあいつぎ退出、新嘗の夕の儀は終るのである。午後七時半より九時までである。

しかしこのあと深更に至って、さらに暁の儀が行なわれる。私たちはその時刻十二時に至るまで、多くは休所で小憩し待機するのである。暁の儀には陛下および皇太子はお出ましにならず、掌典長の代拝となるが、宮家の方々二、三に宮内庁長官、次長ほか関係者約二十人の再度の拝礼となるのである。それが終ると午前一時に近く、しんしんと冷えこむ寒気に手はかじかみ、五体は震えるほどの寒さである。


この「新嘗祭」の祭式で気づいたのですが、皇后陛下、皇太子妃殿下など女性皇族が参進されていないようです。
それと天皇陛下の行いを皇太子殿下だけがご覧になって伝えていくようになっていることです。
昨年から議論されいた皇室典範改定では、このような天皇陛下の祭祀について議論されていないことです。
また、天皇陛下の祭祀についてあまりにも知らなさすぎるようです。
皇室典範を改正するには祭祀を第一に考えるべきでしょう。

悠仁親王殿下のご誕生によって皇室典範改正は時間が与えられましたが、しかし20~30年と有るわけでは無いと思います。

天皇家の血筋を守るためにも、旧宮家の皇族復帰をなるべく早く実現するべきです。
旧宮家の方々は今も皇族方と繋がりをもたれています。
皇位継承は2666年も続いてきた事と、これからの世代へと繋いでいく大きなものです。


元厚生次官連続殺傷事件

2008年11月19日 | 時事問題
【元厚生次官ら連続殺傷事件】犯人像は?「恨みと逮捕辞さぬ不気味さ」
2008.11.19 20:11

 官僚のトップである元厚生次官らの連続殺傷事件では、2つの現場で家族まで刺された上、血の付いた足跡が付近に残される特異な展開に、専門家は「組織への強い恨みと、捕まることも辞さない気味悪さを感じる」と指摘。「どのテロ事件とも違う。最大級の危機レベルとみて対策をとらないといけない」と警告を発している。

 官僚を狙ったテロ・ゲリラ事件は少なくない。平成9年以降、成田空港建設に反対する過激派による運輸省幹部宅などを狙った爆破事件が相次いだ。11年には、但木敬一法務省官房長宅に洋弓銃の矢が撃ち込まれる事件があり、翌年、逮捕された男は「司法試験に失敗した腹いせ」と供述。男は10年に松尾邦弘最高検検事宅から脅迫状などが見つかった事件でも再逮捕された。

 左翼思想や個人的逆恨みが背景にあったこれらの事件に対し、今回の犯人像は犯行声明もなく、まだはっきりしない。危機管理コンサルタントの田中辰巳氏は「犯人は被害者に逃げる間を与えずトドメを刺している。とても素人の犯行とは思えない。ためらいが感じられず、足跡も残しており逮捕されることを恐れていない気味悪さがある。(家族4人が殺害された)世田谷一家殺害事件に近いものを感じる」と話す。

 今回の事件が特異なのは、国松孝次警察庁長官が平成7年3月に自宅マンション前で銃撃された事件に続き、事務方のトップが狙われた点だ。元次官は2人とも年金制度改革に深くかかわっており、田中さんは「組織に恐怖感を与えるだけなら、けがを負わせるだけでいい。同一犯の可能性が高く、それだけ組織に対して強い恨みがあるのだろう」と指摘した上で、「犯行前にあった手紙や電話などを洗い直すことが大事だ。最大級の危機レベルとして、職員に催涙スプレーを携帯させるなどの対策も検討する必要がある」と提唱している。


今回の事件で亡くなられた二人のご冥福をお祈りすると共に、傷を負わされた方の一日も早い回復を願います。

今回の事件犯人が捕まっていないので動機が分かりませんが、厚労省と言うことで年金に関する事での犯行とマスコミは言っています。
しかしこのような動機で犯行まで行くだろうか。
テロなら犯行声明がなければおかしいし、元厚生次官を狙うより年金不安の一番の元凶である社保庁職員が狙われるはずです。
何故元厚生次官なのか、このあたりの真相は犯人逮捕にかかっています。

しかし、もし年金が原因の一端だとすればマスコミにも責任があります。
消えた年金意外にも、現状だと年金が破綻すると言い広めていた。
先日発表された社会保障国民会議の最終報告やシミュレーションを見れば、現状の未納者数でも破綻はしない事が証明されています。
逆に基礎年金全額税方式に変えた方が負担が増え混乱が起きる結果が報告されています。
この事をマスコミで言ったとこがあるだろうか。
多くの国民は民主党長妻議員や多くのコメンテーターが主張している、基礎年金全額税方式に幻を見ているのではないだろうか。


批判のための批判。

2008年11月18日 | Weblog
もし大雑把な言ひ方が許されるなら、どの国も、どの民族も自分が生きてゆくためにすべて必死だった―さう言つていいと思ふのです。
特に日本はその間にあって、実に苦しい戦ひを戦ひぬいて生きてきた。東洋の民族が次々に植民地化されてゆく中にあって、日本だけは見事に独立を守りぬいた。最後は遂に悲惨な敗戦に終ったけれども、その間の私たちの父祖の足跡は、後世の史家に特筆されるべき栄光に満ちてゐたのです。
日の丸を忌はしい戦争を思ひ出させるといって日教組の人々は否定しようとしますが、むしろ日の丸は日本にとってだけではなく、東洋の民族全体にとっても西洋の侵略を防ぎとどめることが出来た、栄光のシンボルであったといってもいいのです。

しかし今の世の常識は過去の日本に限り、これを徹底的に責めて責めて、責めぬくのです。そしてこのやうな「国際情勢を生きぬいてきた日本」といふ視点をことさらに無視して、日本が戦争をしかけることさへなかつたら戦争もおこらず万事うまく事が運んだやうにいふのです。そしてすべてを軍国主義のせゐにしてしまふのです。
このやうな粗雑な、感情的な歴史に対する接し方では歴史は全くわからないといはなければなりません。しかも彼らがここで口にする軍国主義といふのは一体何をさすのか。人々は軍部によつて政治が勝手に動かされた過去の日本を軍国主義と呼んでゐるやうです。
たしかに軍部の独断と専権はあつた。しかしその場合でも、軍部は明確な一つのイズムとそれに見合ふ意志があって動いたのではなく、むしろ軍部内の意見の不統一が国家全体に統一を失はしめ、混迷の度を深めて行つたといふのが事実ではなかったか。
一体それをしも「軍国主義」と呼ぶことが出来るかどうか、いづれにせよ実体がまことに曖昧な「軍国主義」といふものにすべての責を負はせて過去を裁く、それでは歴史は全くわからなくなるのです。

くりかへし申し上げますが、私は過去の日本は過つてゐたといふ常識に対して、単にさうではない、正しかつたのだといつてゐるのではないのです。
私たちは間違ってゐたとか正しかつたといふやうな判断以前の、もつと厳粛な、近代日本に与へられた苛酷な運命そのものを直視しなければならない。そしていたづらに罪悪感にとらはれることなく、正確に歴史をかへりみなければならない、さうして日本民族としての活力を蘇らせなければいけない。私は痛切にさう思ふのです。
教室から消えた「物を見る目」、「歴史を見る目」 小柳陽太郎著


田母神論文を批判する人達に共通しているのは、「捏造」「いい加減」など内容に対して、ここはどうなのかとは言えない点で共通しています。
秦郁彦氏は「都合の良いところを抜き取っている」と言うが、殆どの作家や研究者はそうではないか。
田母神氏はこういう説があると書いています。
田母神発言を批判する勢力は、内容が広まっては困るので文民統制など理由を付けて押さえ込もうとしているのでしょう。
選挙前なので同じ事を麻生首相はしました。
この事と支持率の低下は関係していないとは言えないでしょう。


国籍法改正案、今国会で成立の公算

2008年11月14日 | 時事問題
国籍法改正案、民主が賛成へ 今国会で成立の公算
 民主党は11日の法務部門会議で、日本人男性と外国人女性の間に生まれ、父親が出生後に認知した子に両親が結婚していなくても日本国籍の取得を認める国籍法改正案への賛成方針を確認した。政府提出の同改正案は、両親の結婚を国籍取得の条件とする国籍法の規定を違憲とした最高裁判決を踏まえた措置。民主党の賛成方針により、今国会で成立する公算が大きくなった。(11日 19:46 nikkei net)


どうやら国籍法が改悪されようとしているようです。
今年6月の最高裁判決に関連して今回の法案が出てきたようですが、国籍は国家の全ての面に関係してくる問題です。
その割にはこの法案は杜撰な点があるようです。
こういった法律案は一時的情緒が絡んでくることが多々あります。
現行の国籍法でも偽装して日本国籍を取得しようとする事件が起きているのに、今より国籍を取得しやすくするようでは犯罪者に手を貸しているようなものです。

偽装結婚し子供に国籍=「定住者」資格取得目的か-中国人の女ら逮捕・警視庁
 日本人の男と偽装結婚したとして、警視庁に逮捕、起訴された中国人の女が、中国人の男との間に生まれた子供を日本人の男の実子として届け出て、日本国籍を取得させていたことが27日、分かった。
 同庁組織犯罪対策1課は、子供に日本国籍を取らせることで、「定住者」などの在留資格取得を容易にし、日本で働き続けようとしたとみて捜査。こうしたケースが確認されたのは初めてという。(2008/10/27-13:05 時事ドットコム)


改正して良くなるのだったら結構ですが、閣議決定された法案はまさに改悪と言えます。まして、日本国籍に関する法案です。

しかしマスコミは、このような法案を何故報道しないのでしょうか。
定額給付金については、朝から晩まで馬鹿みたいに報道しまくっているのですが。

この法案を推しているのが公明党と言うのも胡散臭さを感じます。
国籍法改正案を了承
大口部会長らは「改正案には、わが党の要望がしっかりと反映されている。成立を急ぎたい」と話した。

国籍法改正案について、日本政策研究所に6月に出された最高裁判決から詳しく書かれています。
「これでよいのか?国籍法改正」









知られては困る歴史。

2008年11月11日 | Weblog
田母神元空幕長の参議院参考人質疑が今日行われました。
今回のマスコミ騒動を見ていると、まるで戦後教育の村山談話を否定する「知られては困る歴史」を押さえ込もうとしているように見えます。村山談話を否定するような事を発言することさえも許さない強権的なものです。
田母上元空幕長は村山談話について自分の意見を述べたのであり、村山談話絶対視する者は田母上論文に意見を述べるのが当然でしょう。

今回の騒ぎは“反日ワクチン”さんが以前紹介した、若狭和朋氏の書いた「日本人が知ってはならない歴史」そのものです。



知ってはならない歴史 だれが、何を知られては困るのか?

知ってはならない歴史2 日本人が「知ってはならない」戦後の追撃戦

知ってはならない歴史3 韓国併合で知ってはならない歴史1

知ってはならない歴史4 韓国併合で知ってはならない歴史2

知ってはならない歴史5 韓国併合で知ってはならない歴史3

知ってはならない歴史6 劣情日本人に握られている歴史教科書

知ってはならない歴史7 日清戦争と三国干渉

知ってはならない歴史8 日露戦争直接の原因

知ってはならない歴史9 朝鮮植民地化のウソ

知ってはならない歴史10 歴史認識と国家の命運

知ってはならない歴史11 歴史の敗北者と国の衰滅

知ってはならない歴史12 日本嫌悪と村山談話

知ってはならない歴史13 支那事変の発端は「西安事件」

知ってはならない歴史14 日本の国家分裂と敗亡の道。

知ってはならない歴史15 桂・ハリマン協定破棄は日本の錯誤

知ってはならない歴史16 ハル・ノートはコミンテルン製

知ってはならない歴史17 マッカーサーの悔悟

知ってはならない歴史18 フランクフルト学派

知ってはならない歴史19 崇高な理想に秘められた悪意

知ってはならない歴史20 国民か人民か



国民目線や国民感情よりも政治家としての態度が大事です

2008年11月07日 | 時事問題
最近よく「国民から見て」や「国民感情」などと政治家から聞くが、政治は国民がやっているのでは無い。
国民の意見を聞くのもたまには良いでしょう。
しかし最近は何か決断したときの理由付けの為に発言しているように聞こえます。
悪く言えば責任逃れ。
それと声の利用。
このような状態だから政治家が堕落していくのです。

国民から選ばれた代表者が、国民に代わって政治を行うのが議会制民主主義です。
たとえ国民から批判があっても、やらなければならない事はやるのが政治家です。
「大衆の反逆」の中でオルテガは、
現代は大衆の時代と言われ、大衆がもてはやされておるが、大衆というものは大事なものではあるけれども、大衆が時代を創るということはできるものではない。

と言っています。
また、
大衆というものは、心理学、社会学の上からいっても、見識だの、道義だの、というものがない雑然たる多数であるから、どうしても堕落する。
そこで大衆を放任すると、欲望が先に立って、生活が煩瑣になり、混乱して、文明も頽廃・堕落する。
この文明と社会生活・人間生活の混乱、即ち枝葉末節の混乱をいかに剪定して、これを簡素化し、根本に復帰させるか、ということが文明と人類の運命を決する問題である。

選挙が近いからか、政治家が事勿れ主義に陥っている。

一物の是非を見て而して大體の是非を問わず。
一事の利害に拘はりて而して久遠の利害を察せず。
政を為す此の如くんば國危し。
佐藤一齋



メダカの日本

2008年11月05日 | 時事問題
清水馨八郎著「大東亜戦争の正体」に次のような事が書かれています。

数匹ほどメダカの入っている長方形の水槽の真ん中を、いきなりガラス板で仕切ると、今まで自由に泳いでいたメダカは向こうまで行けると思ってガラス板に衝突します。
暫くすると、メダカは衝突しないようにガラス板の手前で向きを変えてぶつからなくなります。
その状態からガラス板を取っみると、メダカは仕切りが無いのに水槽の半分でガラス板が有った時のように向きを変えて泳ぎ、水槽の反対側には行けなくなります。


今回、田母神俊雄前航空幕僚長論文に対する政府、野党、マスコミの対応はまさに水槽の中のメダカと同じです。
ガラス板が敗戦後の占領政策であり、それをガラス板が無くなった今も信じ込んでいる(信じ込もうとしている)のです。
占領軍の行ったウォー・ギルド・インフォメーションが、独立して57年過ぎた現在も生きているのです。

このメダカの話しには続きがあって、

水槽の半分しか泳げなくなったメダカの群れに1匹の新しいメダカを入れてみます。
新しいメダカは水槽を仕切っていたガラス板があったことを知りませんから、当然のように水槽全体を泳ぎ回ります。
そうすると、今まで半分でしか泳いでなかったメダカの群れも水槽の全体を泳げるようになりました。


田母神俊雄前航空幕僚長論文は1匹のメダカとは言えませんが、マスコミや政治家が騒げば騒ぐほどこの論文の意義が出てくるでしょう。
自分の父親や祖父を侵略者と言う国民がどこにいるでしょうか。

そして過去の事実に目覚め誇りを取り戻さなければ成りません。


童話「魔法の森」、忘れ物を思い出すのはいつ?

民主党の拉致問題追加経済政策

2008年11月04日 | 拉致
「日本独自にテロ支援国家指定」 民主党対策本部の北制裁原案が判明
2008.11.2 20:34

 民主党の拉致問題対策本部(本部長・中井洽元法相)が、北朝鮮による日本人の拉致問題や核・弾道ミサイル問題が一向に進展しない事態を受けてまとめた「追加経済制裁案」の原案が2日、明らかになった。日本独自の「テロ支援国家指定」や在日朝鮮人の再入国禁止、北朝鮮への輸出と送金の全面禁止、国内の北朝鮮関係団体の資産凍結-など北朝鮮に対して厳しい措置を盛り込んでいる。5日の拉致対策本部役員会で協議のうえ正式決定する。

 追加制裁案は中井氏の指示で対策本部の渡辺周事務局長、松原仁副本部長らがまとめた。「ヒト」「モノ」「カネ」「その他」の4分野14項目で構成しており、ほとんどが現行法の運用で実現可能なものになっている。

 特徴的なのは、北朝鮮を日本が独自に「テロ支援国家」として指定するという点。米政府がテロ支援国家指定を解除したことで、北朝鮮が日本を無視する姿勢を強めていることを受け、日本として厳しい姿勢をアピールする。同時に、北朝鮮当局職員の身分を持つ在日朝鮮人に限っている「再入国禁止措置」の対象を大幅に拡大する。


 また、ミサイルや大量破壊兵器計画に関するケースにのみ実施している金融に関する制裁措置を、(1)北朝鮮および関連金融機関・口座への送金禁止(2)国内金融機関の北朝鮮および関係団体との取引禁止(3)日本国内の北朝鮮および関係団体の資産凍結-などと全面的に規制する。北朝鮮と取引する外国金融機関と日本金融機関との取引も禁止し、北朝鮮を金融面で孤立させるのが狙いだ。

 現行では大量破壊兵器・贅沢(ぜいたく)品に限っている対北輸出についても全面禁止とする。北朝鮮籍船舶だけでなく、北朝鮮がチャーターした船舶も入港禁止とする。

 麻生内閣は10月10日、北朝鮮籍船舶の入港全面禁止など従来実施してきた対北制裁の半年間延長を決めている。だが民主党対策本部は「対話と圧力」に基づく対北交渉を進める上でさらに「圧力」もかけるべき時期だと判断した。

 同本部関係者は「麻生内閣は追加制裁を行うべきだが、われわれの案は、次期衆院選で生まれるであろう民主党政権でも活用できる」と指摘している。


米国が北朝鮮のテロ支援国家指定を解除して、日本政府はどう動くのか思っていた矢先に、民主党拉致問題対策本部が拉致問題の追加経済政策を発表しました。

拉致問題解決のために北朝鮮との話し合いや援助では全く進まないことが過去の例が示しています。
実力行使が出来ない日本の今では制裁するのが一番の有効な手立てに成ります。
政府はこの案を丸飲みしても良いくらいです。

テロ支援国家指定など、この案が出来たのは民主党としては画期的だが、民主党は野党として国会に提出することがはたして出来るかどうか大きな疑問です。

民主党内には、「日本国民は拉致問題に拉致され、自縄自縛に陥っている」と発言した議員や党の基本政策で外国人参政権の成立が有るなか、このような北朝鮮にとって厳しい政策は党内で賛同されるだろうか。
ハッキリ言って民主党には疑問に思っている。

民主党が選挙対策のためにこの案を公表したので無いなら、党として国会に速やかに提案すべきだろう。


特定失踪者問題調査会

明治節

2008年11月03日 | 今日は何の日
11月3日は敗戦によって祝日法が変えられ文化の日になりましたが、それまでは明治天皇の誕生日をお祝いする「明治節」と言われました。


五箇条御誓文
一、広ク会議ヲ興シ、万機公論ニ決スベシ
一、上下心ヲ一ニシテ、盛ニ経綸ヲ行フベシ
一、官武一途庶民ニ至ルマデ各其志ヲ遂ゲ、人心ヲシテ倦マザラシメンコトヲ要ス
一、旧来ノ陋習ヲ破リ、天地ノ公道ニ基クベシ
一、知識ヲ世界ニ求メ、大ニ皇基ヲ振起スベシ
我国未曾有ノ改革ヲ為ントシ 朕躬ヲ以テ衆ニ先シ 天地神明ニ誓ヒ 大ニ斯国是ヲ定メ万民保全ノ道ヲ立ントス 衆亦此旨趣ニ基キ共心努力セヨ


明治節   
作詞 堀沢周安  作曲 杉江  秀

アジアの東 日いずるところ
聖の君の 現れまして
古き天地 とざせる霧を
大御光に 隈なくはらい
教えあまねく 道ひらけく
治め給える 御代尊

恵みの波は 八州にあまり
御稜威の風は 海原越えて
紙の依させる 御業を弘め
民の栄ゆく 力を展ばし
外国国の 史にも著く
留め給える 御名畏

秋の空すみ 菊の香高き
今日のよき日を 皆ことほぎて
定めましける 御憲を崇め
諭しましける 詔勅を守り
代々木の森の 代々よこしえに
仰ぎまつらん おおみかど



沖縄集団自決冤罪訴訟控訴棄却

2008年11月02日 | 大東亜戦争
【主張】沖縄集団自決訴訟 判決と歴史の真実は別だ
2008.11.1 03:37

 沖縄戦で旧日本軍の隊長が集団自決を命じたとする大江健三郎氏の著書「沖縄ノート」などの記述をめぐり、大阪高裁も同地裁同様、大江氏側の主張をほぼ全面的に認める判決を言い渡した。

 訴訟は、大江氏らが沖縄県渡嘉敷・座間味両島での集団自決は隊長の命令によるものと断定的に書いて隊長を断罪した記述の信憑(しんぴょう)性が問われた。

 大阪高裁は「狭い意味での直接的な隊長命令」に限れば、大江氏らの記述に「真実性の証明があるとはいえない」としながら、出版当時(昭和40年代)は隊長命令説が学会の通説であり、不法行為にはあたらないとした。つまり、広い意味では、集団自決は日本軍の強制・命令とする見解もあるのだから、元隊長らの名誉を損ねていないという趣旨である。

 しかし、裁判で争われたのは、あくまで「直接的な隊長命令」の有無だったはずだ。判決は論理が飛躍しているように思える。

 大阪高裁は、産経新聞などが報じた隊長命令を否定する元防衛隊員や元援護担当者らの証言を「明らかに虚言」「全く信用できず」などと決めつけ、証拠採用しなかった。証拠に対する評価も、かなり一方的な判断といえる。

 この種の歴史的な叙述をめぐる名誉回復訴訟では、原告側は「一見して明白に虚偽である」ことを立証しなければ、勝訴できないといわれる。東京で争われた南京の“百人斬り”報道の信憑性をめぐる訴訟でも、原告側は敗訴し、朝日・毎日新聞に対する名誉棄損の訴えは認められなかった。

 だが、“百人斬り”が真実として認められたわけではない。報道に立ち会った元従軍カメラマンらの証言で、“百人斬り”はなかったことがほぼ証明されている。

 今回の沖縄戦集団自決をめぐる訴訟も、大江氏らに対する名誉棄損の法的な訴えが認められなかったに過ぎない。歴史的事実として集団自決が旧日本軍の隊長命令だったと確定したのではない。訴訟の勝ち負けと歴史の真実は、全く別の問題である。

 集団自決をめぐっては、作家の曽野綾子氏が渡嘉敷島などを取材してまとめたノンフィクション「ある神話の背景」で大江氏の記述に疑問を提起したほか、その後も、隊長命令説を否定する実証的な研究が進んでいる。これからも、地道な研究や調査が積み重ねられることを期待したい。


10月31日に大阪高裁で沖縄集団自決冤罪訴訟の判決で、控訴棄却の判決が出ました。

原告側が訴えていたのは、梅沢隊長、赤松隊長が集団自決で直接命令を下したように書いてあるのは事実に反すると主張していました。
しかし裁判官の判決理由によれば、「梅澤・赤松両隊長が直接命令した事を断定することは出来ない。」と書いてあるにも関わらず、言論の自由から控訴棄却の判決を下しました。
原告は直接命令の有無で訴えていたのに違う理由で退ける。最近は司法の崩壊と言われるが、裁判官の崩壊の何物でも無い。

沖縄集団自決冤罪訴訟を支援する会