一燈照隅

日本が好きな日本人です

奉祝!紀元節

2011年02月11日 | 今日は何の日
今日は「紀元節」(建国記念の日)です。
今日で紀元二千六百七十一年になります。
この長い年月培ってきた先人達の思いを新たに感じます。





歴史の深さ

つい最近、香港やフイリツピンの旅行から帰つてきた学生の話である。
「今度の旅で一番心に残つたことは、日本といふ国が、文字通り底の知れないほどの深い歴史をもつてゐるといふことでした。たしかに日本もフイリツピンも『国』といふ点では同じでせう。しかし歴史の深さといふ点から見てゆけぽ、その二つを同じ『国』と呼ぶのがためらはれるほどでした。深い深い歴史の中に生きてゐる日本人としての幸福をしみじみと感じました。見知らぬ国を訪ねて様々な経験もしましたが、結局僕の目に焼きついてはなれなかつたのは日本の国の姿でした。」

このあと学生は次のやうなことばをつけ加へた。
「今度の大戦が終るまで、日本は実にさまざまの誤ちを犯して来た、昭和二十年までの日本の歴史はみじめだつた、しかしその後日本は立ち直つた、新しい日本はここに誕生した―僕達は学校でこのやうに教はつてきました。戦後二十年の歴史、それが僕等の歴史でした。しかし今度の旅行でそれが間違ひだ、といふことがはつきりわかりました。僕等の過去には底知れぬ程の歴史がある、僕達はいまそれを本当に知りたいと思ふし、又その歴史に心から感謝したいと思ひます。」

この学生は、日本に帰つてくる船の中でテレビに映る安田講堂の惨状を見たさうであるが、その時の感想を「日本にはこんなに深い根がある筈なのに、その根に気付くことなく、それとは全く関係のないところで、的外れのエネルギーを爆発させてゐる学生の姿が、何か人形のやうに、みじめに見えた」と話してくれた。反体制思想の波が、狂ふが如くに全国の大学、高校に押し寄せてゐる現状を目にするとき、常に私の心にひびいてくるのは、この学生の言葉であり、私の心に映るものは、海原の彼方、遠く祖国を望んだに違ひない、その学生のまなざしである。
(昭和四十四年四月『高校と教育』第一号所載)
「戦後教育の中で」小柳陽太郎著より