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一燈照隅

日本が好きな日本人です

日本がなぜ外国から好かれているのか。

2012年11月23日 | たまには読書

人生に悩んだら「日本史」に聞こう
ひすいこたろう 白駒妃登美 著 祥伝社


我が国民の多くは、日本及び日本人は海外の多くの国から好かれていることを知りません。
このことは若い人達にとってものすごく残念なことです。

そんな日本のことを知らない人に、是非この本を読んでもらいたいです。

この本を書かれた白駒妃登美さんは航空会社でキャビンアテンダントとしていろいろな国に行って、今まで自分が知らなかった「先人達はこんなにすごいんだ」と改めて感動したことを本にされました。
一つの物語が簡潔に纏められていて読みやすいです。
そして先人達のことを知り、日本人であることに誇りを持ってほしいです。

私はなかでもポーランドとの話に一番感動しました。





関大尉を知っていますか。

2009年01月25日 | たまには読書
「関大尉を知っていますか」ジャネット妙禅デルポート著 光人社

関大尉とは今更説明する必要もないでしょうが、昭和十九年十月二十五日フィリピンのマバラカット基地から飛び立ち、神風特別攻撃隊敷島隊の隊長として始めて米空母に体当たり攻撃を敢行しました。享年二十四歳

著者は南アフリカ生まれ23歳に日本の仏門で僧籍に入られた女性です。
特攻隊についてはこれまでも外人の著書がありますが、この本は著者が関大尉自身として爆弾を抱いて最後の突入までを表している内容で、これまでの特攻の本と少し違います。
関大尉の生家の有る愛媛県伊予西条や伊予三島にも伺い、子供時代から関大尉に話しかけるように書かれています。

いくら仏門に入ったと言っても、南アフリカ出身の女性がここまで特攻隊のことや日本人の精神を書いていることが凄い事と思います。
と同時に、戦後60年以上過ぎて、英霊達の思いが忘れ去られた日本になってしまってるのではないでしょうか。

プロローグに「失敗の高貴ー日本史における悲劇の英雄」から以下の引用が書かれています。


「戦闘における戦士の心理を説明したり、納得したりしようとする際によく言われる、敵愾心(てきがいしん)や戦死した戦友の仇討ちをしたいという願望は、特攻隊員の心の中に重きをなしていなかったように思われる。
彼らはしばしば、神聖な祖国の土を外敵に踏みにじられないための国防の義務とか、親族を守るために自らの命を捧げることとかを語ってはいる。しかし、これらのことは敵軍兵士にたいする心底からの嫌悪感や西洋人にたいする人種的な敵愾心のような形にまではなっていないようである。
むしろ彼らの言葉は、日本人として生まれてこのかた受けた恩恵にたいして、報恩をしなければならないという気持ちを表現しているのではないだろうか。恩恵を受けてきた、今も受けているという気持ちと、いざという時に必要とあればどのような犠牲を払っても、その恩に報いたいという気持ちが、平戦時を問わず何世紀にもわたって、日本人のモラルの力強い底流をなしていたと思うのである。
太平洋戦争中、報恩の気持ちは特攻隊員にだけ特有のものではなかったかもしれないが、『恩』の意識こそは特攻隊員の心を強力にかりたて、彼らに自己犠牲を、報恩のための究極の道と確信させたものであったと言えよう」


上記の文のようにこの本では分かりやすく書かれていますが、原文はアイヴァン・モリス著「高貴なる敗北ー日本史の悲劇の英雄達」中央公論社 に以下のように書かれていました。

カミカゼ攻撃隊員の心理を覆うものの中に、敵への憎悪、復讐欲―戦友の死を見て復讐心を起こすという動機が、しばしば、戦時の兵士たちの憎悪の激情を説明、もしくは容認する際に言及される―は、ほとんど現われてこない。
彼らは、外国がもたらす汚れから日本の清らかな土地を守るため、また家族を防衛するため生命を捧げる義務があると、しばしば書いている。ところが、ここから敵兵に対する憤怒の情が生まれることがない。また、西洋人に対する人種的敵意が出てこない。むしろ、義務感、すなわち誕生以来彼らの上に与えられた数々の好意に報いなければならないという責任感が強く前面に押し出されているのである。
感謝の負目を認識するというこのような意識を、「恩」の感覚と言う。その「恩」に報いるためにいかなる犠牲をも惜しみたくないという断固とした態度が、日本人の道徳観の基礎を成しているものである。「恩」を知ること、および報恩の決意は、数世紀にわたって、平和時においても戦時においても日本人の心に強力な反応を喚び起こすものであった。太平洋戦争の期間、この恩の動機は特にカミカゼ攻撃隊員に強く働いていたようである。もちろん、これは彼らのみに限られるものでないことは確かだ。しかし彼らが熟慮の結果集団的自己犠牲の道へ進んで行ったことは、報恩の意識の強さを量る尺度になる。





「南京大虐殺の真実」

2008年01月30日 | たまには読書
昨年の暮れ、WACより出版された[漫画で読む昭和史「南京大虐殺の真実」]です。
今年は南京攻略70周年に当たります。
ところが殆どの日本人は、支那が作った所謂南京大虐殺が事実のように思い込んでいます。
しかし、私達の父親や祖父達にこのような残虐なことができるだろうか。本当ならこのように考えるのではないでしょうか。
この本はその事を、漫画に描くことによって青少年にもわかりやすく説明されています。
ぜひ、より多くの方に一読を勧めます。
尚、この本には「南京大虐殺の真実」だけでなく、「百人斬り」で処刑された野田少尉、向井少尉の事と(一昨日の1月28日は野田・向井少尉の命日にあたります)、支那の侵略によるチベットの悲劇も掲載されています。

著者のメッセージを下に記します。

日本の青少年に伝えたいメッセージ

あとがき

日本の未来を担う青少年の皆さん!この漫画を手に取って下さって、有難うございます。
〈黙ってられるか〉
私がこの漫画を描こうと思ったのは、こんなニュースを聞いたからでした―。
アメリカが、中国から資金をもらって「日本が南京で、罪なき中国市民を三十万人も虐殺した!」というハリウツド映画を作っている!更に、それに倣って、世界で十数本の「日本軍による南京大虐殺」の映画が作られている!―というのです。
「これはとんでもない事態になる!自分の国が、戦争犯罪国家の烙印を押されてしまう!」
私は、いても立つてもいられなくなつたのです。

〈真実を調べたら…〉
日本は、本当に戦争犯罪国家なのか?
日本に原爆を落として、罪なき一般市民を殺戮したアメリカに責められるような大罪を日本は犯したのか?
私は信じられなかったのです。私は日本人の名誉にかけて、中国やアメリカが言うような「南京大虐殺」なるものが起きたのかどうかを調べました。でも、どう調べても、虐殺なんて起きてないのです。証拠が何一つないのです。これは一体、どういうわけなの?調べれば調べるほど、まったく逆の事実が分かってくる。

〈これは”美談“だ!〉
私は日本軍の南京攻略戦を見て「これは”美談“だ」と思いました。とても道義的な戦い方だつたのです。
例えば、日本軍の最高司令官・松井石根大将は、部下全員に訓令を出し「中国市民にも、中国の文化財にも、絶対に手を出すな!一発の砲弾も撃ち込むな!」と厳しく指導し、徹底させていました。
また、中国軍の戦死者に対しても、日本軍は「中国軍無名戦士の墓」を建てて、夜通しお経をあげ、奮闘を讃え、ねんごろに弔っていたのです。
南京が陥落した後の、日本軍の占領の仕方も、とても和やかな雰囲気で、中国市民は嬉しそうに笑い、日本の兵隊さんは子供達に囲まれて遊び、中国人に散髪までしてもらっていました。
中国市民の手で南京を治めさせるため、新しい南京自治政府の成立にも日本軍はカを発揮したのです。手と手を取り合い、日中和平の姿を実現させていたのです。まさに「平和よみがえる南京」の風景でした。

〈本当の戦争犯罪国家は、どこだ!〉
他の国は、このような道義的な占領の仕方はしません。
アメリカは、日本を占領した時、国際ルールを無視してまで、自らが作った占領基本法を憲法として押し付けてきました(今の日本国憲法がそれです)。
また、国際法を無視してまで「裁判」という名で、日本を「リンチ」にかけました。その「国際リンチ」の結果、一〇六八人もの日本の指導者が私刑(リンチ)にかけられました。
無辜の東京都民に対して、まず東京都の周りをぐるりと絨毯爆撃し、都民の逃げ道を塞いでから、逃げ惑う都民を生きたまま焼き殺すという残忍極まりない殺し方をしました。
原爆投下を命令したアメリカ大統領トルーマンは、日本を野蛮な野獣と罵り「野獣を野獣として扱っただけ。良心の咎めは感じない」と平然と語っています。
どちらが戦争犯罪を犯したのでしょう。どちらが残虐国家なのでしょう。

〈「キジも鳴かずば撃たれまい」〉
私はアメリカに言いたい、「あなた方こそ、世界史上、最大の戦争犯罪国だ」と…
日本が原爆を楯にアメリカの残虐非道な戦争犯罪を一切責め立てたりしないのは、戦争終結の講和条約を結んだからです。それが武士の国・日本の戦争の仕方なのです。それを知ってか知らいでか、アメリカは中国の策略にまんまと乗せられて、日本を世界一の戦争犯罪国に仕立て上げようとしています。
アメリカよ!「キジも鳴かずば撃たれまい」という日本の諺の意味を教えてやろうじやないか。自らの戦争犯罪を隠すためために「南京大虐殺」をデッチ上げた事を、世界に知らしめようじやないか。謝るべきは、アメリカさんよ!貴国の方です。反省すべきはアメリカの方なのです。

〈日本の青少年たちへ〉
日本は悪い国なんかじやありません。世界のリーダーとなるべき道義的な立派な国だと私は思います。
アメリカの思惑にやられて自信がなくなっている大人が今の日本にはたくさんいます。自分の国の良さを見つけられない・感じ取れない大人が、いっぱいいます。そんな大人があなた方に教える事といったら「日本は悪い事をした」とか「中国に謝らなきゃいけない」とか、全く夢も希望もない事ばかり。
私は日本の未来を担うあなた方に、誇りと自信を持ってもらいたいのです!日本人として生まれた事は、本当にスゴイ事です。どうスゴイのかは、これからたくさん知るチャンスがあると思いますが、まず信じて下さい。
「ボクら日本人は、すげえ!」って。
私は、日本の素晴らしさを、人生かけて、あなた方に伝えたいと思っています。
平成十九年十二月十七日   畠奈津子








「一度も植民地になったことがない日本」

2007年09月19日 | たまには読書
「一度も植民地になったことがない日本」デュラン・れい子著 講談社

スウェーデン人と結婚し、スウェーデン・オランダ・ブラジルに住み、現在プロヴァンス在住。
夫や他のヨーロッパ人からみた日本やヨーロッパ人の考え方が、自身の体験を通して書かれています。
ヨーロッパはユーロで一つのようですが、それぞれ自分の国が一番で他国の悪口を言ったりしているのが現実のようです。

自衛隊のことが書かれていました。1974年に夫が初めて日本に来たとき、日本には軍隊が無いと説明されたそうです。
「日本人は頭がいいなぁ! 世界中の国々は莫大な金を軍隊に遣っている。だが軍隊がない日本は軍事費に予算をまわす必要がないから、こんなに経済発展ができるんだ」と思ったようです。
しかし、ある日新聞を見て日本にも自衛隊という軍隊が有ることを知って。
「彼らは口をそろえて『日本は平和憲法だから軍隊はない』と言ったんだぞ。だが自衛隊は結局、軍隊と同じじゃないか! なぜ『軍隊はないが、自衛隊がある』と言ってくれなかったんだろう」

一時『自衛隊は軍隊じゃない』と言われることがありました。しかし、世界の常識からすればどう見ても軍隊です。
名前や呼び方で誤魔化そうとするやり方は、ヨーロッパに限らず世界からみれば奇妙にしか見えません。

一つ雑学で、自衛隊の戦車には方向指示器が付いてるそうです。世界中の戦車で方向指示器が付いているのは日本だけです。
これは市街地を走ることを想定しているそうで、戦車に道路交通法が適用されるようです。
と言うことは、攻撃を受けている地域に応援に行くときに信号が赤になったら停車しなければならないと言うおかしな事がおきるのだろうかとも思ってしまいます。

マスターズ・カントリー(ご主人様の国)、ゲスト・ワーカー(外国人労働者おもに旧植民地)
スリナムの女性が著者に「あなたのマスターズ・カントリーだった国は何処?」と聞きます。
もちろん日本は一度も植民地になったことがないので、マスターズ・カントリーが無い事を言うとこの女性は驚きます。
つい最近までアジア・アフリカのほとんどの国は西洋諸国の植民地だったので、アジアの国で植民地になっていないことに驚くのですね。

著者の夫が「日本は、運がいい。いや、運がいいのでなく頭がよかったのだろう。だって織田信長のころ宣教師が来日したときや、徳川時代の終わりに西欧の国々が日本に開国をせまったときも、植民地になる危機があったわけだろ?」(このあたり日本人以上によく知っています)
歴史教育で戦国時代の頃や明治維新の頃に、対応を間違えれば日本も植民地になったかもしれないということを教えていません。
豊臣秀吉の切支丹追放令、徳川幕府の鎖国令は植民地になるのを防いだと言えます。こう言ったことをちゃんと歴史教育で教えるべきですね。

著者の夫が終身雇用についても発言しています。
「日本は昔からのいいものを捨てようとしていると僕には見えるね」。
この言葉、他のことにも当てはまる事が多々あります。

この本には他にも、子供のしつけの違いなど書かれています。
また、西洋人から見た日本や、西洋人に会う時の注意なども書かれています。
外国の人と結婚して海外在住者では、クライン孝子さんが有名ですが、このデュラン・れい子さんの著書も読まれてみてはいかがでしょうか。









ヒゲの隊長、イラク自衛隊「戦闘記」

2007年04月03日 | たまには読書
イラク復興支援先遣隊長のヒゲの隊長こと、佐藤正久元一等陸佐がイラクにおける活動を語った「イラク自衛隊 戦闘記」が出版されています。
イラクに行くまでの心境から、現地サマーワでの現地の人達とのふれ合いや、ゴラン高原、イラクの経験からの自衛隊が復興支援する問題点などマスコミ報道では知ることの出来なかった真実が書かれています。

殉職された奥大使との入念な打ち合わせ、その中で給水支援は手を出すと大変だと意見が一致していたことや、現地に入ってから各部族長との付き合い、決して妥協するのでないが相手の顔が立つようにする。
三人の日本人の人質事件が起きたとき、サマーワでは「日本の自衛隊に今、帰られては困る。テロリストの要求などに負けず残ってもらいたい」との趣旨でデモが行われたなど、日本国内では報道されていないことなど、現地の人達のために自衛隊員が一丸で頑張ったことが書かれています。
また、佐藤隊長がユーモアのセンスもなかなかなもので、これが部族長達と円滑に接することが出来た面もあるようです。

これらイラクでの自衛隊の活躍は、これからも多くの人の記憶に留めておくべきではないかと思います。

佐藤正久氏は今夏の参議院選挙に立候補されます。ぜひ当選されることを期待します。

私の決意

「強い責任感を持って専心その職務の遂行にあたり、事に臨んでは危険を顧みず、身をもって責務の完遂に努め、もって国民の負託に応える」この自衛隊員の服務の宣誓の言葉どおりに私は生きたいと願い、行動してきました。イラク・サマーワでは、日本がいかに世界から期待されているかを肌で感じました。
同じ思いを持った仲間たちが、陸に、海に、空に、国内で、そして海外で祖国日本の独立と平和を守るため、世界の人々の幸せのため、歯を食いしばり、汗を流しています。そしてこれを支える家族や、地域の人々がいます。私はその心を国政に届けたいと、このたび決意を致しました。
「現場を知る者こそが平和の尊さがわかる」その信念のもと、さとう正久は全力を尽くすことを誓います。
さとう正久

さとう正久オフィシャルページ







私たちは、かわいそうな人でもなんでもありません。

2007年03月14日 | たまには読書
昨年「特攻最後の証言」を記事にしたところ、先日この本の、陸軍航空特攻の写真を提供された方からコメントをいただきました。
陸軍航空隊と言えば「加藤隼戦闘隊」が有名ですね。
この本に書かれている特攻隊は、八紘第六隊石腸隊でフィリピン各地を転戦し台湾で敗戦を迎えました。
吉武登志夫陸軍少尉のインタビュー証言です。

私たちは、かわいそうな人でもなんでもありません。
今の時代から見れば、そう考えるのかもしれませんが、
当時は国のために命を捧げることに大いなる価値があった。
やはり物事を正しく見るには、
当時の状況を前提に考えないと当事者の気持ちまで理解するのは難しい。
その時代の雰囲気、戦況、そういうものの中にあって初めて生まれる心境です。
平和な時代とは前提が違う。
今の若い世代の皆さんも、もしあの時代に生きていれば、
我々と同じ心境になったと私は思います。


―では、若者に対するメッセージがございましたらお願いします。
吉武:メッセージですか(笑)…。やはり日本国民としてのプライドをいつも持ってもらいたい気がします。プライドがないとは言いませんが、今の世の中、声の大きい者が勝ちますから。とかく少数(派)の意見を持った者の方が声が大きいじゃないですか。一般的な意見を持つ人の声が掻き消されている気がします。まだ日本人の大部分は、声なき声の中にじっとしているんじゃないですか。やはり日本人としてのプライドを持ってもらいたいですね。
「特攻最後の証言」より。


銚子下志津教導飛行師団

筍子の人妖論

2007年01月13日 | たまには読書
筍子の人妖論
このような思想が近頃特に盛んになって参りましたが、文明というものは高度の発達をしますと、頽廃して、時には異常性を帯びてくる。この状態を東洋の哲学用語では「妖」という字で表現しております。今日、世界はもとより、日本の文明も著しく妖性を帯びて参りまして、由由しい一大事となっております。

ところがこういうことも歴史を調べておりますと、近代の哲学者、思想家ばかりでなく、はるか昔の東洋の哲学者も遣憾なく論じておるのであります。その代表は孔子、孟子でありますが、孔子の歿後、孟子と並び称せられて、時にはこちらの方が権威者であったといわれる人に荀子があります。この筍子に「人妖の論」というものがありますので、本日はこれについて解明をいたします。


筍子・人妖の論
禮義不修。内外無別。男女淫亂。父子相疑。則上下乖離。寇難拉至。(天論)

禮義修まらず、内外別無く、男女淫乱にして、父子相疑へば、則ち上下乖離(くわいり)し、寇難並び至る。

苛子は天論篇の中に人妖を説いて、以上の六つをそのままにしておくと、必ず国は滅びると痛論しております。

礼義不修
「礼義不修」。礼義は礼と義にわけると、礼とは調和で、つまり社会生活、国家生活における組織・秩序であり、その中にあって人間がいかになすべきかという思想・行動の原則が義であります。従って礼義修まらずとは私達の国家生活、或は社会生活の組織・秩序とそれに即した思想・行動がおさまらないということです。ちょうど現代の日本がこれにあてはまりましょう。

内外無別
「内外無別」とは、内と外との区別がつかぬ、自分の心内と心外、家庭の内と家庭の外、国内と国外の区別がないということです。今日の日本は正にその通りですね。「兄弟内に牆に閲(せめ)げども、外その侮を防ぐ」と申しますが、その意味で幕末維新の日本人は偉かったと思います。アメリカは勿論のこと、イギリス、フランス、オランダ、ロシアに至るまで、それぞれ国内の佐幕派、勤皇派に働きかけて誘惑しました。然し感心なことに両派とも外国に頼ることを厳として拒否しました。これは大変立派です。ヨーロッパの歴史を見ますと、外国の政策に乗ぜられておるか、或はそれを悪用して事態が一層紛糾しておる、といった例が殆んどであります。これをよく実証しておるのがフランス革命です。ルイ十六世が宮殿を逃げ出したのが辛亥の年であり、これを捕えてギロチンにかけ、あの惨澹たる恐怖政治を始めたのは癸丑の年からでありますが、彼等は目的のためには手段を選ばず、外国勢力でも何でも利用しておる。利用するというよりは、むしろ外国勢力によって操縦されております。

これはひとりフランス革命ばかりではありません。日本も今後これを最も警戒しなけれぽなりません。大にしては国家間のことかち、小にしては家庭のことに至る迄、すべてが然りであります。家庭というものは国民生活の核心でありますから、家庭から内外の別がなくなるということは重大な問題です。ところが昨今の新聞を見ておりますと、その家庭の乱れは実に目にあまるものがあります。どんなに外の生活が混乱しておっても、むしろ混乱しておればおるほど、われわれは家内―家庭生活だけは清く正しく堅持しなければなりません。

男女淫乱
「男女淫乱」。男女関係が乱れるということは民族滅亡の一番の近道です、ところが昨今日本もこれが非常に乱れまして、週刊誌等は挙ってこの種の記事を面白おかしく書いておりますが、大変なことになったものであります。

父子相疑
「父子相疑」。これは今日最も深刻にして根本的な問題であります。父子相疑とは何ぞや。母子相疑でなくて父子相疑と書いたところに萄子の見識があります。教育ママという言葉が表現するように終戦後子供の教育は専ら母親がこれにあたり、父親はその責任から解除されました。これが現在日本の一つの大きな失敗であります。子供の教育について考えますと、父と母とは非常に違い、父の任務は子供の人格を決定する教育を擔当することにあります。そこで父は子供の「敬」の対象にならなければなりません。子供は愛だけでは駄目であります。愛は犬や猫でももっておりますが、特に人の子は生れてもの心づく頃から「敬」することを知って、始めて「恥」づるということを知ります。言いかえると人格というものができるのです。

この敬―恥の原理から、道徳とか信仰等という世界がひらげて、民族が進歩してゆくのであります。
その国民道徳の基盤である父子―親子が相疑うようになる。おやじのいうことがどうも信用出来ぬ、あんなことでおやじはいいのだろうか、等と子供が父に疑をもつ。また父も、どうせ時世が違うのだ、おれの言うことなど聞かないし、聞いてもわかるまい。一体子供は何を考えておるのだろうか、というわけで子供を疑うわけです。そうなると子供は父にそむき離れます。

上下乖離
それが「上下乖離」ということです。乖離ということはただ離れるだけではありません。ただ離れるだけですと、又結合することができますが、これは再び元にもどすことができないという決着の言葉です。いま日本は各方面において「上下乖離」しております。その最たるものが政府即ち内閣に対する乖離であります。大阪弁で「頼みまっせ」、「頼りにしてまっせ」と言いますが、父親とか為政者というものは国民大衆から頼りにされ、尊敬されなければいけません。これが行われぬということはそもそも為政者の責任ですけれども、又為政者に対してそういう国民の反感を煽るような議論にも責任があります。これは言論機関にある者の第一に慎むべきことです。さて、上下が乖離するようになると最後は、

寇難並至
「寇難並至」、いろいろ寇難が並び起って来る。「寇」は外敵、外国からの攻撃。「難」は国内のむつかしい問題です。つまり国の内外を問わずいろいろ厄介な問題が並び起って来るわけです。

これが筍子・人妖の名論といわれておるものであって、歴史的にも間違いのない原理・原則です。これを何とかしてもう少し常識的・良心的に健康にもどさなければ、日本は正に歴史の教える通り寇難並び至ることをわれわれは覚悟しなければなりません。いかすればよいかということはこれらの古典が十分に教えておりますから・問題はこれを今日の時世にいかに適用するかということであります。

幸か不幸か今年は時局が一層悪化して、所謂危局になるということは免れ得ないと思います。その代りこれに善処すれば日本は一段と躍進するでしょう。その重大な岐路が本年でありまして、これは指導者、指導層の責任であります。政府でいうならば総理大臣を始め各省大臣、会社でいうならば社長を始め各重役、こういう人達は「揆」におる人ですから、この人達の責任としなければなりません。世の中が世の中だから、マスコミが騒ぎ立てるから、等というのは逃げ口上でありまして、今まではそれですみましたが、これからはそれではすまなくなりました。もうそういう逃げ口上、憶病な引っ込思案、卑屈な回避は許されないのであります。

いつも申し上げますように、日本ぐらい国際政治学上微妙な位置に存在する国はありません。西と北には共産義象の中共、ソ連、それに北鮮が並び、また海を隔て、東にはアメリカがあります。アメリカは現在一番の友好国でありますが、ついこの間までは大戦争をやった敵国です。ということは率直に言うて、日本がしっかりとしておって始めて友好国であるということで、一度弱体を暴露いたしますと、どうなるかわかりません。だから若し日本が揆を誤るようなことになると、恐らく世界のどこの国にもないような国難、混乱、悲劇が始まることは明らかであります。

われゝゝはどうしてもこれを避けなければなりません。勿論それにはやはりそれだけの国民的自覚が必要であります。これは少くとも心ある人々が意識し始めている問題でありまして、事業の経営なども今後はますます変化が激しくなってむつかしくなると思います。従って皆さんは文字通り揆を一にして、大いに事業を確立し、堅実に発展するよう努力されることが肝腎であります。現在多くの人々がそういうお手本を待ち望んでおります。どこかによい手本がないかと皆考えているときでありますから、非常な共鳴力がありましょう。それ以外に今日の日本を救う道はないと信じます。(昭和四十八年二月二十三日)
「時世と活学」安岡正篤著より





「特攻 最後の証言」

2006年12月17日 | たまには読書
以前記事にした「特攻 最後の証言」を読みました。
これは、特攻に志願したけどそれぞれの理由で生き残ることになった8人の元特攻隊員のインタビュー形式の証言集です。
それぞれの方が特攻隊に志願した時の気持ちや、特攻兵器での訓練。特攻隊でありながら命を絶対に粗末に考えなかったことなど(特攻隊だからこそ命を貴重に考えたのではないでしょうか。)貴重な証言が書かれています。

本書に書かれている特攻兵器も8種類の特攻方式です。人間爆弾、人間魚雷、人間機雷、特攻艇、特攻機と多種に渡ります。
島民が集団自決した渡嘉敷島の特攻隊員の証言も書かれています。(集団自決、軍命令を否定する証言)



鈴木 「今の時代、とても残念に思うのはアメリカが占領して進駐してきたと。アメリカとしては、日本という国が怖かったから、2度と戦争させちゃいけないということで、日本を骨抜きにしようというのが彼らの占領政策だったわけですよ。我々が復員してラジオ聞いても『真相はこうだ』とか『真相箱』とかいう放送を毎日やってました。これで洗脳する。大本営が嘘八百の発表をしたのと同じように、アメリカも嘘で固めた作り話で日本人を洗脳し始めたんです。この野郎! と思ったけど、世の中にはいろいろな人間がいて、アメリカの宣伝部が来ても、いろいろと彼らに迎合していけばいい格好になると考える人もいたわけです。阿片戦争にしてもイギリス軍が上陸して来たとき、人民は競って荷役をして金を貰い、それでイギリス軍はどんどん奥地に入って行った実績がある。自分の欲望のために隷属していく人間がいたことを今になって考えると、戦争が終わって骨のある人たちが虚脱状態になったということですね。今まで頑張ってきただけに反動で落ち込んだ。もう何をするのも嫌だと。そこにつけ込む形で尻尾を振る連中が、『俺は戦争に反対していた』とか『俺は戦争が嫌だった』とか、『やるべきじゃなかった』などと言い出して。戦争に協力したヤツはけしからんと。我々は反対したんだと。吊し上げを始めた。例えば、画家の藤田嗣治なんて、従軍画家だったことを吊し上げられて、もう日本には帰らないと宣言してパリに行ってしまった。この一つをとってもわかるように、あのとき(終戦)に日本人が引き裂かれたんだな。戦争に負けて一切が嫌になった人たちと、戦争に負けたんだから、ここぞとばかりに占領軍に迎合して、いい思いをしようとするオポチュニストたちとに」

このままでは三途の川を渡れない

―最後に若い人たちに伝えたいメッセージをお願いします。

鈴木 「いろいろありますが……とにかく教育が骨抜きにされていますね。おまけに付和雷同したおかしな政治家が、国を愛するなんていうのはとんでもないなどと平気で発言する。普通そんなことは通らないことです。愛国心をしっかり持って欲しい。愛国心がどこから出てくるのかといえば、自分の家族を大事にし、郷土を大事にし、日本の文化を大事にする、その先に象徴である日の丸の旗も大事にすると。その愛国心を持たなければいけないのに、その教育ができていない。むしろ愛国心を持つと戦争を起こすなんて馬鹿なことを言ってる。中国にあんなこと言われても、中国の言う通りにしようだって。土下座外交、媚中外交していることに気がつかないのかと言いたい。そういう世の中において、やはり若い人たちに良く見てもらって、これじゃいかんぜと、一人一人が国を愛することから始めて欲しいな。そして何でもいいから社会に奉仕しようと心がけて欲しい」

―若い人も、中国の反日が政治的であると気づき始めた人もいるようですが。

鈴木 「そうですね。まあ、でも、あなたたちのような人が、俺なんかの話を聞きに来てくれるのも、少しは世の中が変わりつつあるのかもしれない。そうだとありがたいけどね。この間、TVのインタビューでこう答えたんだよ。『今のような世の中だったらね、俺が死んで三途の川渡ったときに、戦友になんと言ったらいいか言葉がない』と。先に逝ったしゃば連中に『お前、娑婆で何やっとったか』と言われるよ。まあ、でも、ひょっとしたら、もう少し時間がたったらね、反動で少しは(世の中が)良くなってくれるんじゃないかとね、期待はしているよ。それには、俺は長生きしなきゃな。長生きしてね、もう少し(戦友に)報告できるとっかかりができた後に三途の川を渡りたいもんだよ。そんなところだな」
(「桜花」第七二一空桜花隊 鈴木英男海軍大尉)




「従軍看護婦達の大東亜戦争」

2006年08月12日 | たまには読書
皇后さま、日赤慰霊祭にご出席
 皇后さまは11日、日本赤十字社(東京都港区)で催された殉職救護員慰霊祭に出席し、戦争や災害で救護中に死亡した看護婦らの慰霊碑に供花された。

 慰霊碑は昭和52年に同社創立100周年を記念して建てられ、第二次大戦や関東大震災などで死亡した看護婦ら1326人の名簿などが納められている。

【2006/08/12 東京朝刊から】


「従軍看護婦達の大東亜戦争」を読みました。
大東亜戦争における兵士の活躍などは、いろんな戦記物が出て知っていたのですが。看護婦さんの活躍や苦労などこの本を読んで始めて知りました。
南方での食糧もなく長距離に渡る異動、内地での空襲や原爆による患者への手当て、満州でのソ連によるシベリア抑留など、読んでいて涙が出てきました。
看護婦と言う仕事柄、兵士以上に人の死を見てきたのではないでしょうか。
薬も不足して傷口に蛆の湧いた患者、伝染病に自ら罹って亡くなる看護婦…

今だからこそ、読んでほしい一冊      櫻井よしこ

大東亜戦争は一体どんな戦争だったのか。私たち日本人は、戦後そのことについてほとんど語ってこなかった。家庭では戦争世代の大人たちが口をつぐみ、学校では日本を批判する歴史が教えられてきた。

その結果、戦争という国家の命運をかけた全国民挙げての戦いの場面で、一人一人の国民がどのように熱い想いで日々を過ごしたか、または、冷静な事実認識に基いてこの国の未来をどれほど深く憂えたか、それでもなお眼前の状況の中でどれほどの力を振りしぼって祖国のためにつくしたことか。こうした一人一人の深い心を私たちは聞かされることなく過ごしてきた。

本書にまとめられた従軍看護婦の方々の体験は、日本の足跡に関する戦後日本人の空白を埋めてくれるものである。彼女たちの体験と想いから、私たちは多くのことを知り、学ぶことが出来るはずである。

戦後六十年を過ぎた今だからこそ、どうしても読んでほしい一冊である。






「大東亜戦争はアメリカが悪い」

2006年07月29日 | たまには読書



「大東亜戦争はアメリカが悪い」
鈴木敏明著 碧天舎

第一章 「砲艦外交」による日本の開港

第二章 明治維新
    第一節 明治新政府の改革政策
      一・大政奉還と王政復古
      二・明治政府成立と五箇条の御誓文
      三・版籍奉還
      四・廃藩置県と岩倉使節団の欧米視察
      五・学制の公布
      六・徴兵令
      七・廃刀令
    第二節 明治維新成功の原因
  
第三章 日清戦争

第四章 日露戦争
    第一節 西洋の草刈場になった中国
    第二節 義和団の乱
    第三節 ロシアの満州占領
    第四節 日英同盟の成立
    第五節 日露戦争勃発
    第六節 日本勝利の原因
      一・下瀬火薬
      二・機関銃
      三・日本兵の律儀さ
    第七節ポーツマス条約
    第八節日本勝利の世界史的意義

第五章 アメリカD村日曽悪と村日敢蜆
    第一節 人種偏見による「人種的憎悪」
    第二節 白船事件
    第三節 アメリカが最初に日本を仮想敵国にした

第六章 アメリカの侵略主義
    第一節 インディアンとの戦争
    第二節 「モンロー宣言」と「明白なる天命」
    第三節 アメリカ・メキシコ戦争(一八四六年~一八四八年)
    第四節 南北戦争(一八六一年~一八六五年)
    第五節 一八六五年~一八八〇年代
    第六節 一八九〇年代
      一・サモアの分割
      二・ハワイ併合
      三・アメリカ・スペイン戦争
      四・アメリカ・フィリピン戦争
      五・門戸開放宣言
      六・パナマ運河開通

第七章 明治天皇の存在意義

第八章 明治時代の問題点
    第一節 満州問題
      一・アメリカの鉄道王、ハリマン工作の失敗
      二・満州に関する日清条約
      三・日本軍の撤兵問題
      四・全満州鉄道の中立化案
      五・満蒙独立運動
    第二節 統帥権
    第三節 日英同盟と日露協約

第九章 中華民国の成立

第十章 第一次世界大戦
    第一節 日本の参戦
    第二節 「二十一か条要求」
    第三節 西原借款
    第四節 アメリカの参戦
    第五節 石井・ランシング協定
    第六節 日本のシベリア出兵
      一・尼満(ニコラエフスク)事件
      二・シベリア出兵の評価

第十一章 パリ講和会議と国際連盟
第一節 日本の人種差別撤廃案
第二節 人種差別撤廃案否決の影響
第三節 ヴェルサイユ条約
      第四節 人種主義と植民地主義を容認した国際連盟

第十二章 大東亜戦争への道になったワシントン会議
     第一節 ワシントン会議は日本外交の敗北
       一・海軍軍縮会議
       二・日英同盟の廃止と四力国条約
       三・日本の譲歩を強いた九力国条約
     第二節 なぜ日本は外交べたなのか
     第三節「人種的憎悪」から生まれた排日移民法 
       一・中国人移民の歴史
       二・日本人移民排斥の歴史
       三・一九二四年(大正十三)の排日移民法
     第四節 「人種的偏見」と「人種的憎悪」

第十三章 対日経済封鎖
     第一節 日本製品に対する不当な差別
     第二節 ブロック経済化

第十四章 ロンドン軍縮会議
     第一節 軍縮交渉
     第二節 統帥権干犯問題
     第三節 明治憲法の欠陥が日本を滅ぼした

第十五章 満州事変に関する予備知識
     第一節 満州地方とはどこか
     第二節 満州の歴史
       一・満州民族王朝の出現
       二・満州は中国の領土だったのか
       三・関東軍の登場と日本の満州経営
     第三節 ワシントン会議から満州事変までの十年間に何が起きたのか
       一・なぜ国際協調主義に破綻をきたしたのか
       二・マクマリーのメモランダム(外交報告書)
       三・中国の条約違反
     第四節 満州事変までに中国で起きた主な事件
       一・一九二四年(大正十三)九月、第二次奉直戦争
       二・一九二四年(大正十三)十一月、郭松齢の反乱謝
       三・一九二五年(大正十四)五月三十日(五・三〇)事件
       四・一九二六年(大正十五)七月、蒋介石の北伐開始
       五・一九二七年(昭和二)の事件-一月(漢口、九江の英国租界接         収事件)、三月(南京事件)、四月(漢口事件)、(蒋介石の上         海クーデター)、五月(日本軍の第一次山東出兵)
       六・一九二八年(昭和三)の事件-四月(第二次山東出兵)、五月          (済南事件と第三次山東出兵)、六月(張作霧爆殺事件)七月         (張学良、全満州に青天白日旗掲揚決定)
       七・一九三〇年(昭和五)間島事件

第十六章 満州事変
     第一節 満州事変への序曲
       一・中国の排日侮日運動
       ニ・中国の革命外交
       三・中村震太郎大尉事件
       四・万宝山事件
     第二節 満州事変勃発
       一・満鉄爆破の真相
       二・事変の拡大
     第三節 国際連盟とリットン調査団
       一・満州事変に対する国際社会の反響
       二・リットン調査団
     第四節 「満州国」建国
       一・なぜごく短期間で独立国を設立できたのか?
       二・「満州国」建国宣言
       三・満州国の経済発展
       四・日本の「満州国」承認
     第五節 満州事変を非難するアメリカヘの反論
       一・ラテンアメリカ侵略
       二・「物欲」と「国家の安全保障」
     第六節 日本の国際連盟脱退
       一・連盟脱退は最悪の外交政策
       二・松岡演説失敗の原因
     第七節 満州事変の決着、塘沽停戦協定
     第八節 満州事変成功の問題点

第十七章 支那事変(日中戦争)
     第一節 北支・内蒙工作
     第二節 盧溝橋事件
       一・近衛首相の登場
       二・盧溝橋事件の原因
       三・盧溝橋事件の展開
       四・通州事件0
       五・盧溝橋事件の本質を見抜けなかった日本
     第三節 支那事変解決への模索
       一・南京虐殺事件
       二・黄河決壊事件

第十八章 アメリカの中国観

第十九章 支那事変の泥沼化とアメリカの反応
     第一節 支那事変の泥沼化
     第二節 アメリカの反応

弟二十章 日独伊三国同盟
     第一節 日独伊三国同盟の締結晒
     第二節 日独伊三国同盟は正しい選択であったか

第二十一章 大東亜戦争勃発
      第一節 日米交渉開始
        一・「日米了解案」の誤解
        二・日米首脳会談流れる
        三・東条内閣と日米交渉
      第二節ハル・ノート
      第三節アメリカの日本挑発計画
        一・なぜ日本を挑発しなければならなかったのか
        二・日本挑発計画の内容
      第四節 真珠湾攻撃
        一・最後通告は出す必要がなかった
        二・奇襲攻撃でもなければだまし討ちでもない
        三・アメリカは、真珠湾攻撃以前に参戦していた

第二十二章 大東亜戦争に勝者なし
      第一節 「自存自衛」の戦争
      第二節 大東亜共同宣言

終章 大東亜戦争の意義


この本は黒船来航から、大東亜戦争敗戦までの日本、アメリカの関係を詳細に亘って読みやすく書かれています。
今、小林よしのり氏の「靖国神社」「いわゆるA級戦犯」が売れています。それを読まれた方もそれ以外の方も、ぜひ一読の価値は有る本です。
700ページと量的には多くなっていますが(その割には1575円とお得です)、ここまでよく調べていると思えるぐらい内容は豊富です。




「だから日本人よ、靖国へ行こう」

2006年04月15日 | たまには読書

「だから日本人よ、靖国へ行こう」
小野田寛郎、中條高徳  WAC


今日書店で見つけた本でまだ読んでいません。
小野田さんと中條さんの対談形式になっています。
まえがきの一部を紹介します。


前略
そもそも、上坂冬子さんもおっしゃっているように、中国、韓国は昭和二十七年に平和条約を結んだ時の当事国ではないのですから、A級戦犯云々を言う資格もないのです。靖国に祀られている人は、自分の欲得で死んだのではありません。国が戦争をしたから死んだのです。国が永代供養するのは当然なのです。

A級戦犯と言われた人たちにも恩給が出ています。社会党の堤ツルヨ代議士らの尽力で、昭和二十八年には戦犯の遺族たちへも遺族年金および弔慰金が支給されることになったし、昭和二十九年の恩給法の改正によって、拘禁中獄死や刑死したものの遺族に対しても扶助料が支給されることになりました。あの頃は与野党を問わず立派な日本人がいました。よほど物の道理がわかっていた。どこでどう間違ってこんなことになってしまったのか。帰ってからの靖国をめぐるゴタゴタで、僕はつくづく日本が嫌になってブラジルへ行きました。

僕が見たところ若い人のほうが靖国神社に対する理解があるように思います。何も教わっていない真っ白な状態で、戦前を美化するのではなく、事実を事実として教えれば、人間として判断してくれます。誰だって死ぬのは嬉しくないし、プライドがあるから他国に馬鹿にされるのも嬉しくありません。そこから考えればあの戦争の意味も自ずからわかるものだと思います。食べるものがなければ死ぬのですから。

戦争体験のある人の中には過度の反戦主義で凝り固まっている人たちがいます。特に、戦争体験のある作家などは困りものです。文学というのは悲劇でないと売れないから、そういう人の書いたものは、事実と異なるところを美化するのです。



戦闘は強い者を前に出すから強い者から犠牲者が出ます。自然界では弱い者や、老いた者から、つまり後ろから死んでいきます。幹部候補生の将校などは、第一戦で戦うからキリの先のように減っていく。戦争は人間が人間を殺すという元来やってはいけないことをやっているのですから始まったら最後、規則もなにもありません。自分が死ぬか生きるかの時に、他のことなんて考えていられない。だから、戦争はするな、絶対にしてはいけないということなのです。

国のために死んだ人たちを祀らなくては国としての体をなしません。繰り返しますが、素直な気持ちでお参りすればいいのです。

誰も好き好んで戦争に行く人もいませんし、好き好んで死んだ人もいません。


第一部
第一章 戦友たちは靖国神社に眠っている
靖国の落第生
小泉首相は好機を失った
「心ならずも」とは何事か
法治国家に「A級戦犯」はいない
靖国に納めた百万円
摩擦を怖がる外務省
戦友は靖国にいる
将来実を結ぶコミュニケーション
朝日は日本の新聞か
財界人よ、国益を誤るな
真の国際化とは
英霊の気持ち

第2章 いい加減に戦争を始めたわけじゃない
陸軍を抑えるための東條首相
軍人は一番割に合わない
従軍慰安婦なんていなかった
昭和二十年八月十五日の朝日新聞
ハリマンの満鉄構想
中野学校と天皇観
軍規は日本のCI活動
国も国民も天皇も一つ
東亜を安定させることが大切だった
なぜ天皇は開戦を止められなかったか
戦時の命令系統とは
女帝論はいったん元に戻って考えるべき

第3章 日本人は外交下手すぎる
戦争は政治の一形態
テロと「戦争の現実」
島と半島の重要性
中国とどうつきあうか
日本民族を警戒したアメリカ

第4章 家庭のしつけが問題だ
小野田自然塾
個の尊厳は公のバランスの上で説くべき
アメリカに骨抜きにされた日本
家庭で行うべき「しつけ」
男の子には守るべきものがある
便所掃除の大切さ
日本人は誇りを持て

第2部
第5章 靖国にお祀りするのは戦友との約束だ
中国に弱味を見せるな
処刑された人は「受難者」だ
戦友への礼が軍国主義か
「心ならずも」ではない
カネ、カネ、カネの世の中
「あやまち」はアメリカだ
誇りを失った日本人

第6章 勝者がつくり出した「A級戦犯」
靖国は国家そのもの
根拠のない「A級戦犯」
日本人は魂を喪った
団塊の世代の病は重い



小野田寛郎の30年戦争




「討論 “天皇”」里見岸雄 

2006年01月26日 | たまには読書
昭和37年に刊行された「討論 “天皇”」里見岸雄 

この本は、高校生から大学生、新聞記者、教師、組合員、美容師、主婦、元軍人、神職、僧侶といろんな職業や考えの人が講師の大内山護を交えて10回に渡りおこなわれた討論会を速記録したものを出版した本です。
最近の皇室典範改定の動きを見るうえで、天皇陛下は日本人にとってどのような位置にあるのか、また昔からどのように思われてきたかを知ることができるかなり貴重な本だと思います。討論形式なので誰でもが分かりやすく話されています。
もし、古書店で見かけられたら是非購入されることを勧めます。


天皇国の世界に果す役割

大内山 
日本はいま非常に重大な国運の瀬戸際に立っていると思います。皇統連綿万世一系の天皇を奉じて長い歴史を成してきたんですが、この間に、すくなくも三回の大きな革新が行なわれました。

大化の改新と、明治維新、そしていま進行中の昭和の大維新がそれです。民主革命などという者がおりますが、やたらに革命なんていうべきものではありません。革命とは、正しい意味は、易姓革命といって、王室がその天命を失い亡び去り、全然別個の支配者が登場することなのです。フランス革命とか、ロシア革命とか、清朝が革命されて中華民国になったとか、そういうものは文字通り革命です。

しかし、目本は民主主義になったといったところで天皇が無くなったわけではありません。「周ハ旧邦ト雖モソノ命維レ新ナリ」というが、二千年、三千年の歴史を貫いて万世一系の天皇が君臨なされているのです。古い国、古い皇室だが、つねにその命維れ新なりで、時代の進運につれ、新しい意義を帯びて天皇は国民の光明となって歴史の先頭にお立ちになっておられるのです。だから、維新とか、革新とかはいえるが、革命というものは日本に無いのです。歴史上、革命というものは存在しなかったのです。

日本国憲法になって民主革命が行なわれたなどというのは、革命という言葉を知らずに使っている んです。もっとも共産党は、革命ということが商売だ。なんでもかでも日本を天皇のない国にしようと考え、その目的を達成しようと努力しているわけですが、その革命を許すか、許さないかが国運の岐れ目だと思います。共産党の直接革命はいまのところとうてい不可能ですが、恐ろしいのは間接革命ですこの間接革命は、次第にその翼をひろげ、いたるところに、その毒素をばらまいております。共産党というレッテルをはってあると、まだ多くの日本人は一応も二応も警戒するのですが、レッテルをはりかえると、すぐ日本人はゴマかされるお人好しのところがあるのです。民主主義科学というレッテルがはってあると、それは民主主義科学であって、共産主義ではないと思うのです。進歩的民主主義者といっても安心するのです。これが実に危険なのです。共産党の直接革命はいまのところ心配はなくても、その間接革命は実に巧みに、水が低いところへ浸入するように政治、労働運動、教育、映画、テレビ、ラジオ、新聞、雑誌、ありとあらゆる分野をおかしているのです。そして国民が、それに気ずかずにいるということが何より危険なのです。

最近、各地に日教組に対し批判的な教員がふえてきて、日教組を脱退して新しい教員組合を結成するものが増加してきているのは、少し遅い憾みがありはするが、それでも何より喜ぶべきことです。日教組なんかこそ一日も早く革命してしまわなければ、日本はどうなるかわかりません。毎日々々朝から晩まで、幼い頭に、変な天皇論や歴史論を吹きこまれていたんじゃたまったものではないと思います。

教育の粛正にはなんといっても国民がその気にならなければダメです。子供に変な教育をしているようだったら、お父さんでも、お母さんでも、遠慮せずに、どんどん学校へ、ねじこんでいくべきですよ。受持教員でも校長でもつかまえて、そういう教育をされては困る。あなた方は日教組の幹部のケライではないのだから、国民の意志を尊重しなければいかんといって、どしどしいけないところをなおさせるんです。

それからもう一つ大切なことはジャーナリズムの批判です。新聞なんか、まるで自分が民主主義の取締りのような顔をしていますから、どしどし投書して、浮薄な点や、皇室に対する不遜などを批判して改善を要求すべきだと思います。場合によっては不売同盟もやろうし、広告掲載中止の運動もやろうし、批判演説会もやろうし、いろいろな手を使って、巨大な国民の意志を知らさなければいけないと思う。正しい国民が尊皇護国の精神をもって団結したら、国内に、これに対抗し得る勢力はないのです。日教組五十万といったところで、たかが五十万ではありませんか。朝日、毎日、読売が、何百万部と号したところで、たかが何百万なのです。一億国民の巨大な勢力の前には、いかなる大新聞だって屈伏せざるを得ないのです。

私は、日本を、ほんとうの日本らしい日本に再建するためには、どこまでも、天皇を中心にした民族の体系化を要すると思います。労働者だの、教員だのだけが体系化しても、それは彼らの利益にはなるだろうが、日本民族によっては甚だ有害危険なものを含んでおるのであります。私は、大権絶対主義の昭和前期、脳震盪民主主義の昭和後期といろいろ貴重な体験を反省して新しい自覚の下に、真実の天皇中心的団結を促進する以外に、日本の正しい再建はありえないということを確信いたすのであります。いまや世界は、核戦争の危険と恐怖をめぐって、人類歴史の竿頭に立っております。世界は必ず近い将来に、絶対平和の世界秩序を確立して、人類の前史を終わるものと思うのですが、この世界秩序の建設に当たって天皇国日本がいかなる道義的、文化的役割を果すべきであるかという事を考えることは、わたくしたち日本人にとって最大の歴史的意義だろうと思うのですが、それにつけても国内が、今日のような、てんでんわれわれで、四分五裂して国内闘争に明けくれているのでは全くもって話になりません。わたくしどもは一人々たとしては微力でありますが、同志が結束すれば一つの体系化力を発揮できます.その体系化力をもって不断に強烈な運動を展開すれば、所期の目的を達することも決して望みなきものではないと存じます。天皇を仰いで正義の同志は団結しましょう。これが私の終講の辞であります。


「討論 “天皇”」里見岸雄 より 





皇室を愛することは、おのずから世界に通じる人道的精神の大いなる発露である

2006年01月19日 | たまには読書
「皇室を愛することが出来ないような国民は、少なくともその点において、民主主義を実現する能力に欠けたところのあることを示すものである。そうしてまたかくのごとく皇室を愛することは、おのずから世界に通じる人道的精神の大いなる発露である」

この文は誰の言葉か分かるでしょうか。
これは戦後、左翼学者として有名な津田左右吉が雑誌世界に書いた論文の抜粋です。


「日本への警告」に“逆臣学者”の再評価 として津田左右吉と美濃部達吉が書かれている。 二人とも言わずとしれた左翼が信奉する学者です。美濃部達吉は「天皇機関説」津田左右吉は「古事記の原典批判」といかにも左翼が喜びそうな事を言っている。

その津田左右吉が天皇について書いた論文の一部が掲載されている。
敗戦の翌年昭和21年の1月に、岩波書店の左翼雑誌「世界」が創刊され、その4月号に津田博士の「建国の事情と万世一系の思想」という論文がのった。編集者は博士が、「天皇否定論」を書いてくれると思っていたようだ。ところがそうではなかった。博士の論文は日本国家成立の事情と皇室の特殊性を述べ、天皇廃止を主張するどころか、

「皇室を愛することが出来ないような国民は、少なくともその点において、民主主義を実現する能力に欠けたところのあることを示すものである。そうしてまたかくのごとく皇室を愛することは、おのずから世界に通じる人道的精神の大いなる発露である」

と結論したので、当時の論壇は大騒ぎとなった。編集長吉野源三郎氏もおどろいて博士の論文を掲載したことの弁明のような文章を発表せざるを得なかった。

つい最近になって私は津田博士の『日本の皇室』を読んだ。敗戦直後から27年にかけて発表した天皇論を集めた論文集であるが、そんな本のあることも実は知らなかった。うかつすぎて恥ずかしい話だ。大きな口はきけない。


津田左右吉の天皇論は他にも掲載されている。

マッカーサー憲法の“象徴”と言う言葉については「天皇は神の性質を失って人になられたとか、要するに天皇の地位が格下げされた、というふうに言われているのであります。しかし、何れも曲解か誤解か、故意に天皇を軽視しようとするのかである」と博士は言う。

「天皇はその実生活においては、昔から今まで、神の地位にいられたことも、神とせられたこともなく、どこまでも人であられ、もともと人であられたのであります。…象徴という点について申しますと、天皇は昔から国家の象徴であられたのであります。

日本の天皇は昔から権力を以て国民に臨まれたことはなく、自ら政治の局に当たられたこともほとんどありません。…その点においては旧(明治)憲法の下における天皇も、昔からの天皇と同じでありました。日本の政治は天皇絶対(専制)制であったなどと言うものがありますが、大間違いであります

「憲法で象徴という言葉を使ったのは、誰の考えから出たことか知りませんが、私はよい言葉を使ったものだと思います。…私は皇室は国民的精神の象徴、または国民的結合の象徴であるということを、三十何年も前に公にした著書の中にも明白に書いております」







「日本への警告」林房雄著より Ⅱ  

2006年01月13日 | たまには読書
日本のマスコミなどはよく、皇室とイギリスの王室を比べてものを言うことがある。しかし皇室とイギリス王室は歴史からしてまったく違う。
たしかにそうだ、以前、昭和天皇がヨーロッパご訪問に行かれたときイギリスから衛星中継があったが、エリザベス女王が駅で昭和天皇、香淳皇后が乗車された列車が着くまでの女王の大変緊張している様子が流れていたのを思い出す。 日本の皇室を海外の王室と同じように考えて、開かれた皇室などと言うのは単なる覗き見精神と言えよう。


「日本への警告」林房雄著より
歴史についてみれば、すべて王朝は、洋の東西を問わず、二百年、又は三百年毎に移り変わり、興り滅びている。例えばシナを見ても、秦、漢、唐、宋、をはじめ多くの王朝が興亡しており、同じくヨーロッパの歴史でも実に目まぐるしいほどの王朝が交替して来ている。従って国家への忠誠という点においても、ある時は唐王朝に、ある時は明王朝に、ある時はルイ王朝に、ある時はハップスブルグ王朝にと言う風に、忠誠の対象が異なる。

イギリスという国だけを見ても、この変遷は目まぐるしい。エリザベス王朝、その前はスコットランド系の君主たち、更にはノルマン人による征服王朝という風に、支配者の国家と、イングランドという国土の間に明かな断絶がある。マルクス流の階級国家学説も、この歴史現実の中からおのずから生まれたものだ。

しかし、日本の場合は全く違っている。日本という国土は、文献に表れただけでも1400年、「日本書記」の記載をそのまま信ずるならば、2600年の間、天皇をいただいていた。これは否定しようとしても否定できない歴史的事実である。もちろん日本の歴史にも政治権力の交替と興亡がなかったのではない。藤原氏の貴族政治、鎌倉以来の武家政治の時代はあった。しかしその間にも、天皇は支配せざる支配者として存在していたのである。

故に日本では国に対する忠誠と、天皇に対する忠誠が分離していない。三島由紀夫氏は天皇を愛し天皇を守ることが、国を愛し国を守ることと一致すると言っているが、その通りである。これは日本だけに通用することであり、他のいかなる国家理論を持ってきても、日本にはあてはまらないことの証明にもなる。特に階級的圧政の機関としての国家という理論は、日本の歴史を知れば知るほど受け入れられない。ということは、日本人の国家観と天皇観は他国民には理解できないものだということにもなる。


三島由紀夫はこう言っています。
「我々は日本を守ると言うが、一体、日本の何を守るというのか。国土を守るなどという一般論は通用しない。つまるところ、文化を守らなければならないということになるが、文化というのは生活と行動様式まで含んだものである。その文化を集約代表しているのが天皇であり、天皇を守ることが日本を守ることになる」

「日本への警告」より。

2006年01月12日 | たまには読書
「日本への警告」林房雄著 日本教文社から昭和44年出版された本です。今は絶版になっています。
古本屋で見つけて今読んでいます。なかなか面白いので内容の一部をブログに掲載してみます。


まず林房雄ですが、略歴から
明治36年大分市に生まれる。本名後藤寿夫。東大法学部政治学科中退。学生時代「新人会」にて活躍。プロレタリア文学運動に参加、のち転向。昭和7年「青年」を発表、以来、日本主義的傾向の作品、評論を発表している。昭和50年10月9日没、72歳。
主な著書:「青年」「西郷隆盛」「息子の青春」「大東亜戦争肯定論」「対話日本人論(三島由紀夫)」「緑の日本列島」「随筆池田勇人」「日本への直言」「天皇の起源」


まずは表紙の見返りに書かれたこのほんの紹介文から。

タブーに挑戦する論壇の雄
明治百年論議、安保闘争、神話論争、そして野放しの左翼学生運動。これらの難問題をかかえた戦後日本は、常に国論の統一を欠いたまま騒然たる様相を呈している。

著者はその透徹せる史眼をもって、戦後タブーとされてきた天皇、神話、愛国心、特に憲法問題に真っ向から取り組み、“半国家”の現状に警告を発し、読者の前にその是非を問う。

タブーを避けて通る思想家たちに対する失意。世論を恐れて、言うべき事も言えずに責任を逃れようとする政治家への怒り。胎動の兆しを見せ始めた新民族派学生運動によせる期待。

…国を愛し国を憂う一作家の誠と情熱が、行間にあふれ燃えたぎる。 イデオロギーの違い、好悪を抜きに、一日本人として傾聴すべき今日の重要問題!!




◇日本への警告 
 8月15日の傷痕 -東京裁判の本質-
 維新と革命
 学生共産主義運動について
 神話について -建国記念の日の理解のために-

◇現代史への証言
 西郷隆盛と武士の精神
 福沢諭吉と皇室
 トインビー教授と“占領憲法”

◇論壇時評
 トインビーとの対話
 国家論のスタート
 国家と民族
 左翼学生運動の限界
 天皇論の再形成
 “反体制神話”の崩壊
 極左ナショナリズム
 沖縄返還問題
 天皇論争の継続

◇宅間谷閑語
 箱根早春  倉石事件の効果  共産主義と民族主義はちがう
 イデオロギーは生きている  ハト派は政権を取れない  法廷無政府主義の登  場  仙石原のホトトギス  野依秀市翁のこと  本居宣長のこと
 右翼学生運動について  各政党の学生運動  自民党は学生運動に本腰になれ  人民裁判か万国博か  佐藤総理の涙  私の明治百年

◇対談
 日本とイデオロギー (今日出海氏との対談)
 明治百年の精神 (柳内達雄氏との対談)