一燈照隅

日本が好きな日本人です

支那のミサイル駆逐艦が入港。反戦平和団体は?

2007年11月29日 | 時事問題
中国駆逐艦が初来日
2007.11.28 13:15 sankeiweb

 中国海軍のミサイル駆逐艦「深セン(土へんに川)」(指揮官・肖新年海軍少将、6100トン)が28日午前、日中防衛交流の一環として東京・晴海埠頭(ふとう)に入港した。防衛省によると、中国軍艦艇の来日は昭和9年以来で、24年の中華人民共和国建国後では初めて。

 防衛省も海上自衛隊の護衛艦を中国に派遣する日程を詰めており、日中両政府は艦艇往来を機に安全保障面の信頼醸成を図る方針だ。

 午前10時前、東京湾内で海自護衛艦「いかづち」の出迎えを受けた深センは報道陣や在日中国人数百人が待つ晴海埠頭にゆっくりと接岸。続く歓迎式典で吉川栄治海上幕僚長が「熱烈歓迎」と中国語であいさつを切り出すと、大きな拍手がわいた。吉川氏は「船乗りたちが固い友情で結ばれ、将来の日中防衛交流の力強い担い手になるよう願っている」と期待を込め、崔天凱駐日中国大使は「防衛交流の新たな一ページを開いた。両国が安全保障分野で友好交流を進化させることは戦略的互恵関係に重要な意義を持つ」と強調した。

 日中艦艇相互訪問は平成12年10月、当時の森喜朗首相と中国の朱鎔基首相の会談で合意したが、小泉内閣から日中関係の悪化で凍結状態となっていた。今年8月の日中防衛相会談で再合意し、今月の福田康夫首相と温家宝首相の会談でも防衛交流促進を確認した。


支那のミサイル駆逐艦が東京の晴海埠頭に入港しました。
いつも米国軍艦が入港するときに、入港反対の抗議活動をする反戦平和団体は何処に行ったのだろうか。
米国艦艇の時は艦の周りを船で囲んで、入港を阻止しようとまでしていたのだが。
これらの船も人も何処に行ったのだろうか。
まして佐世保や横須賀といった自衛隊の港ではなく、皇居の近くの東京湾です。
反戦平和団体と言うのがどのような団体か、特定国のための反戦平和団体だと言うことがこの事から理解できるでしょう。
それと、東京湾の奥まで支那のミサイル駆逐艦を入れるような政府では、いざという時に心配です。


北の核実験、出番ですよ。



野口健氏と靖国神社

2007年11月25日 | Weblog
「死の世界」と慰霊と
先日、靖国神社に行ってきた。靖国神社の参拝については、さまざまな意見があるのは当然だが、私はヒマラヤ遠征の前には必ず、先の大戦で亡くなられた方々に祈りをささげに訪れる。両手を合わせて目を閉じると、さまざまな思いが去来する。

以前、チョモランマに挑戦したとき、アタック前に悪天候のため上部キャンプで足止めされた。夢破れた登山家の遺体があちらこちらにある「死」の世界。テントを吹き飛ばさんばかりの強風にさらされる恐怖の中、紙切れやマットに遺言を書いたことは前回紹介したが、死を受け入れる心の準備をするのはいつも孤独な作業だ。

死は覚悟の上で、ヒマラヤにきているというのに、「たとえ亡きがらになっても日本に帰りたい」と心の中で叫んでいる自分がいた。その経験から、チョモランマでの清掃活動のときは、可能な限り、遺体の収容も行っている。彼らもきっと故国に帰りたかったはずだからだ。

テントの中で死の恐怖と闘いながら、ふと戦争で亡くなった方々のことが頭をよぎった。私は自らの意志でヒマラヤに挑んでいる。しかし、彼らは日本のため、国民のため、愛する家族のために、自分の意志にはかかわらず戦地へ向かった。中には飢えや病気、ケガなどにより、徐々に死を迎えた方も多かったに違いない。薄れゆく意識の中で一体、何を思ったのだろうか。

帰国後、先の大戦に関する資料を調べ、いまだに放置されたままの遺骨が数多くあると知った。
ジャングルや洞窟(どうくつ)の中などにひっそりと取り残されている遺骨は、残酷な現実をつきつける。
白骨化した英霊は「おれらを忘れないでくれよ」と訴えかけているようだった。こうした事実を知らずにいた自分を強く恥じた。
以来私は、靖国神社の参拝も大事だが、それ以前に戦争で日本のために亡くなられた方々の遺骨を収集し、弔うことが必要だと強く感じた。
来年の三月、最も多くの遺骨が放置されているというフィリピンのセブ・レイテ方面に、遺骨の収集に行く予定だ。今ある日本の平和や繁栄は、戦争で亡くなった方々のおかげであるということを忘れずにいたい。
11月24日日経新聞夕刊



日経新聞土曜日夕刊に「野口健のガイア礼賛」と言う連載があります。昨日の夕刊に掲載されていたのが上のコラムです。
実は連載されていることを知らなくて、たまたま靖国神社に参拝している写真が目に付いたので何だろうと思い読んでみました。
野口健さんは登山家でヒマラヤなど、清掃のため登山にも行かれていることでも有名ですね。
その野口さんがヒマラヤに行く前に必ず靖国神社に参拝している事を始めて知りました。
最近テレビに良く出ていてヒマラヤ登山の話をされますが、ヒマラヤ登山は死と隣り合わせでいつ死んでも不思議ではないようです。
登山は登るのも大事ですが、無事に帰ってくることはもっと大事なことです。
まさに戦場で戦った兵士と通ずる物を感じるのだと思います。


相手の嫌がることはしない、では困る。

2007年11月23日 | 時事問題
東シナ海 ガス田試掘先送り 首相、対中関係を重視
2007.11.23 01:19 sankeiweb

 共同開発の対象海域などをめぐり日中の主張が対立する東シナ海のガス田開発で、試掘の前提となる漁業関係者との漁業補償交渉にただちに入ることにしていた安倍内閣の方針が福田内閣の発足に伴って先送りされていたことが22日、分かった。首相官邸の意向で方針が転換されたという。安倍内閣は今秋までに日中協議に進展がなかった場合、補償交渉に入ることを決めていた。

 関係省庁は補償交渉の準備を進めていたが、方針転換は、対中関係を重視する福田康夫首相の外交方針を改めて浮き彫りにしたといえる。

 ガス田の共同開発をめぐっては、安倍晋三前首相と中国の温家宝首相が4月の会談で、今年秋までに具体的方策を示すことで合意している。しかし、日中中間線付近での共同開発を求める日本側と、「係争海域は中間線と(中国が主張する境界線である)沖縄トラフの間だ」と主張する中国側の隔たりは埋まらず、ガス田開発を話し合う局長級協議も進展していない。

 このため安倍内閣は、今秋までに中国側に歩み寄りがみられない場合には、長崎県や沖縄県の漁業・水産業者など、試掘を開始した場合に影響を受ける関係者との「迷惑料」交渉を開始すると決定。試掘に向けた具体的な手順を踏むことで、日本側の強い意志を示し、対中交渉のテコとする考えだった。

 これに対して、福田内閣が、当面は補償交渉に入るべきではないと判断したのは参院選の自民党大敗で衆参「ねじれ国会」となったことで、新テロ対策特別措置法案の成否に見通しが立たないなど、国内政治に専念せざるを得なくなったことが背景にある。政府内からは「とても外交問題までは対応できず、中国とことを構える余裕はないのだろう」との指摘も出ている。

 また、中国側は局長級協議で日本が試掘した場合は「そうなれば(中国海軍は)軍艦を出す」と複数回発言していることも影を落としているとみられる。

 東シナ海では平成16年5月、中国がガス採掘施設「白樺」の建設を始めたことが発覚し、以後も中国は、中間線付近に計4つの試掘施設を建設している。これに対し、日本側は17年4月、中川昭一経済産業相(当時)が、中間線の東側海域に鉱業権を申請していた帝国石油に試掘権を付与。ところが、後任の二階俊博経産相(現自民党総務会長)が「私は試掘の道をとらない」とストップをかけ、その後動きが止まった経緯がある。


福田首相は就任早々「相手のいやがることはやらない」と発言しました。
外交は常に仲よく行くとは限りません。対立するときも多々あります。
特に隣国であれば尚のことです。
その時に、相手が嫌がるからと言って妥協していては、我が国の国益が損なわれていきます。
竹島が良い例でしょう。日本が手出ししないうちに韓国軍に不法占拠されています。
ここで又福田首相が何もしないで先延ばしにするようなことになれば、東シナ海ガス田や尖閣諸島は支那に乗っ取られるでしょう。
この事は支那だけの問題でなく、日本は強く出れば自国領も譲る国だと世界に舐められる事になります。
オランダや欧州議会で所謂従軍慰安婦が問題になっているのが良い例です。
我が国の首相が“のび太康夫”と言われていること自体舐められています。


新嘗祭(勤労感謝の日)

2007年11月23日 | 今日は何の日
今日は新嘗祭(勤労感謝の日)です。
農耕民族の日本人にとって、新穀を祝う日は重要な日ですね。


「宮中歳時記」入江相政著より。
新嘗祭

新嘗祭前一日鎮魂の儀
鎮魂祭は、天皇陛下、皇后陛下、皇太子殿下、皇太子妃殿下の御魂を鎮め奉り、ご寿命のご安泰と長久とを祈願する祭儀である。十一月二十二日、賢所構内の綾綺殿において行なわれる。天皇陛下の出御はない。

鎮魂祭の起源については、『古語拾遺』に「凡そ鎮魂之儀者、天鈿女命之遺跡」とあり、天岩戸の故事を起源とする。その後、大宝令に「仲冬下ノ卯大嘗祭寅ノ日鎮魂祭」とあり、それから永久の制度と定められた。この日は、新嘗祭(当時は大嘗、新嘗について区別はなかった)前一日にあたる。このように連綿として行なわれたが、中世戦乱の時代に中絶し、ようやく光格天皇の寛政九年(一七九七)に再興され、新嘗祭の前夜、白川神祇伯家において行なわれた。
明治二年には束京神祇官において、同五年からは宮内省または宮殿等で行なわれてきたが、同二十九年からは新造された綾綺殿において行なうと定められて現在にいたっている。

新嘗祭
新嘗祭は、天皇陛下が神嘉殿において、その年に収穫された新穀のお初穂を天照大神をはじめ八百万の神々にお供えになり、また自らも召しあがる行事で、最も古くまた最も大事にされてきた祭儀である。皇太子殿下も神嘉殿にご出席になりご拝礼になる。この祭儀を新嘗祭神嘉殿の儀と称する。

また伊勢神宮にも勅使を差し遣わされ、内宮、外宮に幣物をお供えになる。これを神宮新嘗祭奉幣の儀と称する。また当日午後二時、宮中三殿に神饒、幣物を奉り、天皇陛下のご代拝がある。これを新嘗祭賢所、皇霊殿、神殿の儀と称する。

新嘗祭神嘉殿の儀は、夜中のご祭典であって、「タの儀」(午後六時から八時まで)と「暁の儀」(午後十一時から午前一時まで)からなり、同様な儀式が二回行なわれる。
陛下は、お告文を奏上される。五穀の豊饒を神々に感謝され、国家の繁栄と国民の福祉をご祈願になるのである。お告文が終わると、神々にお供えしたものとまったく同じ米のご飯、粟のご飯、白酒、黒酒などを陛下自らも神々と向かい合って召しあがる。いわゆる「御直会」である。この問、皇太子殿下は南庇の間の中央の拝座に着いてご拝礼になる。庭上の幄舎におつきになっていた各皇族はじめ参列者は、神嘉殿正面木階下に参進し拝礼する。この間神楽歌は絶え問なく演奏され、庭煉は赤々と焚かれている。

この新嘗の祭儀は後土御門天皇が文正元年(一四六六)にご即位の大嘗会を行なわれてから長い間止されていたが、桜町天皇の元文五年(一七四〇)に新嘗祭の旧儀が再興された。光格天皇の寛政三年(一七九一)には神嘉殿を再建され、古代そのままの新嘗祭の祭儀が行なわれ、それ以来毎年の例とされた。明治元年の新嘗祭には、とくに布告してその趣旨を一般に周知せしめられ、同四年十一月十七日には皇屠吹上御苑内に悠紀、主基のご殿を建て、御代一度の大嘗会を行なわれた。この祭儀は古来、十一月下旬の卯の日に行なわれる例であったが、改暦ののちは明治六年に行なわれた新嘗祭の日、十一月二十三日をもって今後の祭日と定められた。宮中の祭儀のうち、神代から続いているもののなかで新嘗祭は最も古いものであり、古来のしきたりが今によく維持されている。


11月23日は「新嘗祭」











インド洋から帰港

2007年11月22日 | 自衛隊
インド洋派遣の護衛艦「きりさめ」帰港
2007.11.22 13:53 sankeiweb

 テロ対策特別措置法の期限切れに伴い、インド洋での給油活動警備を終えた海上自衛隊の護衛艦きりさめ(4550トン、乗組員約200人)が22日、長崎県佐世保市の海自佐世保基地に帰港した。

 桟橋には乗組員の家族や海自隊員ら約520人が出迎えた。夫が乗船していた西田美香さん(33)は「無事帰ってきてほっとしてます」と笑顔を見せたが「できればこのような形(法の失効)ではなく、最後まで任務を遂げてほしかった」。娘の夫を迎えた中野竹徳さん(67)は「現場で命を懸けて頑張っている隊員のことを考えて、新たな法整備を進めてほしい」と話していた。

 下船した西田敏志副艦長(37)は「テロとの戦いが続く中でこれで終わるのかという思い。無念だ」と記者団に語った。

 きりさめは7月から派遣され、補給艦ときわを護衛していた。

 海自の洋上給油は2001年12月から始まり、米国、英国、フランス、パキスタンなど11カ国の艦船に、計794回、約49万キロリットルを給油した。


テロ特措法が失効したため、インド洋に派遣されていた自衛艦が帰港しました。
明日には給油艦も帰港します。
皆さんお疲れ様でした。

帰国早々なんですが、新テロ特がどうなるか分かりませんが、成立したらその時は改めてインド洋へご苦労様です。

明日防衛大臣が出席し、帰国行事が行われます。
できるなら福田首相も出席するべきです。内閣総理大臣は自衛隊の最高指揮官です。
自衛隊員の士気を大切に考えて貰いたい。


インフルエンザ予防接種は保険の適用を。

2007年11月20日 | Weblog
今年もインフルエンザの予防接種を受けてきました。
今年は例年に比べてインフルエンザの流行が早いようです。
先月から学級閉鎖のクラスが出ている学校も有ります。インフルエンザは伝染病です。
できることなら、以前のように学校で予防接種を受けるように戻した方が良いでしょう。
毎年インフルエンザに罹って亡くなっているのは、ほとんどがお年寄りと子供です。
それと、インフルエンザの予防接種は今年受けたら数年大丈夫でなく、毎年受ける必要があります。
それなら保険が適用できるようにするべきです。保険が適用できないので予防接種を受けない人がかなりいます。
インフルエンザの流行に注意するように言うのなら、簡単に予防接種を受けられるようにするのが先だろう。
まして新型インフルエンザの危険性も囁かれている昨今、国民の安全を守る事をもう少し考えて貰いたい。


インフルエンザ 早くも流行の兆し
2007.11.17 21:07 sankeiweb

 全国的にインフルエンザの患者数が増加していることが国立感染症研究所のまとめで分かった。10月下旬に全国の定点医療機関から報告された患者数は、同時期としては過去10年で最多。早くも12月並みの水準になっており、同研究所などは「今年は流行のスタートが早い」と注意を呼びかけている。

 同研究所の感染症発生動向調査によると、10月22~28日の1週間で報告のあったインフルエンザ患者数は、過去10年で最多となる1医療機関当たり0・2人。同29日~今月4日の1週間も0・26人と上昇している。

 大阪府内では10月18日に大阪市西淀川区の民間保育所の園児から、府内における今シーズン初のインフルエンザを検出。府感染症情報センターの調査によると、今月10日までに府内のインフルエンザによる学級・学年閉鎖は、大阪市北区や泉南市などの4校・園で実施された。

 岡山県では今月5~11日の1医療機関当たりの患者数は0・65人。昨年同時期の報告はゼロだった。同県では10月16日に、岡山市立東(ひがし)畦(うね)小学校で3年生1クラスが学級閉鎖となったのを皮切りに、同市や倉敷市を中心に、これまで延べ6校・園が学級・学年閉鎖に追い込まれている。

 同県健康対策課は「例年に比べ、流行のはじまりが早い。急に寒くなれば、さらに患者が増える恐れもある。規則正しい日常生活を送り、ウイルスへの抵抗をつけるとともに、インフルエンザワクチンも活用してほしい」と語った。

 一方、沖縄県は様相が異なる。同県では5年ほど前から、冬に加えて夏場にもインフルエンザが流行している。同県健康増進課によると、今年7月9~15日の1医療機関当たりの患者数は13・5人で、同県が定める注意報レベルを超えた。9、10月も高い水準で流行が続いたという。今月に入ってからも、一医療機関あたりの患者数は全都道府県で最多となっている。


党益より国益を。

2007年11月18日 | 時事問題
平成9年に日米両国で合意した「日米防衛協力の指針」(ガイドライン)があります。
この中に「日本は、防衛計画の大綱にのっとり、自衛のために必要な範囲内で防衛力を保持する。米国は、そのコミットメントを達成するため、核抑止力を保持するとともに、アジア太平洋地域における前方展開兵力を維持し、かつ、来援し得るその他の兵力を保持する。」と書かれています。
このように核抑止力がハッキリと書かれています。

核抑止力とは、核攻撃してきたら核で反撃するということです。
日本が安全でいられるのは、この米国による核抑止力があるからです。
米国が日本が核攻撃を受けたとき、ガイドライン通り本当に反撃するかは分かりません。
何故なら、米国が反撃すれば今度は米国が核攻撃を受けることになるからです。
しかし、やられたらやり返すぞと言う構えを見せていなければなりません。そうであれば核攻撃を仕掛け難いでしょう。

もし日本が米国無くして防衛するのであれば、日本独自で核を含む強力な反撃力を持つことが必要になってきます。
ところが、通常兵器でも攻撃力を持つことを最初から否定されています。
昨年敵基地攻撃論が話題になりましたが、自民党内でも頭から反対するような意見が出るような状態で、議論することも反対と言う物まで現れました。(非核四原則)
また日本が独自で核兵器を持つことを一番懼れているのは米国です。猛反対するでしょう。
核兵器を持てない以上、それに変わる強力な兵力が必要ですがそれもなかなかできない状況です。身を守るための核シェルターでさえ作ることに反対する勢力が多くいます。
日本は自分で自分の国を守る戦力を保持できない以上、いざという時米国が必ず反撃するような関係でなければなりません。

しかし米国に限らずどの国もいつまでも信用はできません。何処の国も自国の国益を考えて行動します。
米国の核の傘で守られている日本が、過剰な米国批判を重ねれば、米国内でも日本を守る必要が有るのかと言う考えが大きくなるでしょう。

テロ特措法も期限切れになり、給油活動をしていた自衛艦がインド洋から帰ることになりました。テロ特措法に変わる物が今後がどうなるか不明の状態です。

また米国から見てテロとの戦いの一部であるインド洋から日本が撤退しのに、北朝鮮をテロ支援指定国家から解除するのを、なんで日本に言われなければならないのかと思っても不思議ではないでしょう。
民主党のやっていることは、米国がテロ支援指定国家を解除するように動いているのと同じです。拉致被害者の救出と言いながら逆のことをしています。

またその隙に支那が米国にすり寄ったらどうなるか。ましてインド洋に海軍を派遣する可能性もあります。
そうなると米国議会が益々支那寄りになってしまうでしょう。
人権問題に厳しいと言われる民主党ですが、来年の大統領選挙で、支那系から多大な献金を受けているクリントンが勝てば、四年後に日米関係は戦後最悪となるかもしれません。
その事を考えないで日本国内だけの政局に動くのは日本国民にとって悲劇でしょう。






素直な心

2007年11月15日 | 朝聞暮改
「すなほなるをさな心をいつとなく忘れはつるが惜しくもあるかな」
                             明治天皇


「素直」と言うことが最近は言われなくなってきているように感じます。
最近は「素直」さよりも、「抜け目なさ」「賢さ」などが言われるのではないでしょうか。
最近のクイズ問題も、ひねくれた解答が多いように見えます。
そのような番組が、子供に見せたい番組の上位にランクされるのは私はよいとは思えません。

人間、大人になってくると子供の頃の素直な気持ちを忘れてしまいがちです。
特に社会に出れば、騙されないようにしよう、正直者は馬鹿を見ることのないようにどこか構えたようになりがちです。
間違いをしたら、それを認めたくないため、取り繕うために嘘に嘘を重ねることもあるかもしれません。

しかし、大人になっても素直な心を忘れていない人は、たとえ出世していなくてもどこか魅力を感じる事があると思います。
素直な心で見れば、今まで見えていなかったものが見えてくるかもしれません。

再チャレンジ

2007年11月14日 | 時事問題
安倍前首相が活動再開 対テロ新法案採決で投票
2007.11.13 sankeiweb

 安倍晋三前首相は13日午後、新テロ対策特別措置法案を採決する衆院本会議に出席した。安倍氏が国会に姿を見せるのは、福田康夫首相の指名選挙が実施された9月25日の衆院本会議以来。首相退陣のきっかけにもなった海上自衛隊の給油活動の再開に強いこだわりを見せた形だ。

 退陣の最大要因とされた体調は順調に回復し、安倍氏は13日から政治活動を再開する意向。これに関し町村信孝官房長官は記者会見で「まだまだ活躍していただかねばならない大切な人材だ。フル稼働してほしい」とエールを送った。

 安倍氏は憲法改正や教育、外交などをめぐり「保守再生」の理念を共有する麻生太郎前幹事長や中川昭一元政調会長らと連絡を取っており、以前所属していた町村派には当面復帰しない見通し。


安倍前首相が入院以来久しぶりに国会に出席しました。
テレビで見る感じでは、快方に向かっているように見えました。

福田首相の次の首相によっては今回の首相の経験を生かせば、数年後位には再度首相の可能性が出てくるでしょう。
完全に体調を戻されて再び活躍されることを期待します。



議会制選挙政治をいつまでするのか。

2007年11月12日 | 時事問題
最近の政治家の発言を聞いていると、与野党関係なく「世論の動向を見て」「世論はこうだ」と、世論世論と簡単に言いすぎです。
国会議員としての責任を、世論の責任に転嫁しているように見えます。

独裁社会と違って民主主義社会においては、世論の動向は確かに大きな意味を持っています。
しかし、常に世論が正しいとは限りません。
世論はその時の空気で右にでも左にでも動きます。
そのようなときに喩え世論と違った考えでも、これからの国のために必要ならば断固として行う、そういう政治家でなければなりません。

最近政治家が世論と言っているのは、選挙を気にしているような発言でしかありません。
今の政治は議会制民主主義でなく議会制選挙政治に成り下がっています。
特に酷いのが小沢代表でしょう。国政よりも選挙だけです。
与野党共にもう少し骨のある政治を見せて貰いたい。


世界はデモクラシーが政治屋に堕落させたそんな政治屋にくたびれている。
ディスレーリ



沖縄集団自決冤罪訴訟

2007年11月09日 | Weblog
大阪地裁で沖縄集団自決冤罪訴訟の証人尋問が行われた。
今回は被告人大江健三郎の証人尋問が行われました。
大江健三郎は現地に行って調査して書いたのではないと証言しています。
この証言を見れば矛盾点がかなりあります。

【沖縄集団自決訴訟の詳報(1)】梅沢さん「とんでもないこと言うな」と拒絶
【沖縄集団自決訴訟の詳報(2)】「(軍令)出していない。兵も配置してない」
【沖縄集団自決訴訟の詳報(3)】赤松さん「タブーのような状態」
【沖縄集団自決訴訟の詳報(4)】大江氏「隊長が命令と書いていない。日本軍の命令だ」
【沖縄集団自決訴訟の詳報(5)完】大江氏「責任をとるとはどういうことなのか」
sankei web


それから、裁判を伝えるニュースを見れば、この裁判によって教科書から集団自決に軍の関与が削除されたと言っているが、嘘をニュースで言うのはいい加減にして貰いたい。
検定後でも、依然軍の関与が記述されたままです。
「沖縄集団自決訴訟」ではなく「沖縄集団自決冤罪訴訟」です。


集団自決、教科書訂正。

リンカーン大統領、戦死者慰霊演説

2007年11月06日 | 朝聞暮改
米国最初の共和党所属大統領になったリンカーンの有名な言葉で「人民の、人民による、人民のための政治」が有ります。
この言葉は日本でも必ずと言っていいくらい教えられます。
世界史の先生によっては、これこそが民主主義の基本ですと教える人もいるくらいです。
ところが、このリンカーンのこの言葉、この部分は知っていても、全文を教えている先生は居るでしょうか。
「人民の~」だけを都合よく抜き取って言うと正しくないことを教えてしまいます。
このリンカーン大統領の演説はけっして民主主義の理想だけを述べたのではありません。

この言葉が言われたのは、南北戦争当時の激戦地ゲティスバーグで戦死者慰霊の演説の中で言われた言葉です。
全文を読めば戦死者の慰霊と、後に生きている者は戦死者の死を無駄にしないために、意志を継いで行く決意を述べた内容です。


ゲティスバーグ國有墓地の奉献式場で述べた演説

八十七年前、われわれの父祖たちは、自由の精神にはぐくまれ、すべての人は平等につくられているという信条に献げられた、新しい国家を、この大陸に打ち建てました。
現在われわれは一大国内戦争のさなかにあり、これによりこの国家が、あるいはまた、このような精神にはぐくまれ、このように献げられたあらゆる国家が、永続できるか否かの試練を受けているわけであります。
われわれはこの戦争の一大激戦の地で相い会しています。われわれはこの国家が永らえるようにと、ここでその生命を投げ出した人々の最後の安息の場所として、この戦場の一部を献げるために来たのであります。われわれがこのことをするのはまことに適切であり適当であります。
しかし、更に大きな意味において、われわれはこの土地を献げることはできません ― 聖め献げることができません ― 聖別することができません。生き残っている者と戦死した者とを問わず、ここで戦った勇敢な人々こそ、この場所を聖め献げたのでありまして、われわれの微力をもってしては、それに寸毫の増減も企てがたいのであります。われわれがここで述べることは、世界はさして注意を払わないでありましょう、また永く記憶することもないでしょう。しかし彼らがここでなしたことは、決して忘れられることはないのであります。ここで戦った人々が、これまでかくも立派にすすめて来た未完の事業に、ここで身を捧げるべきは、むしろ生きているわれわれ自信であります。われわれの前に残されている大事業に、ここで身を捧げるべきは、むしろわれわれ自身であります - それは、これらの名誉の戦死者が最後の全力を尽くして身命を捧げた、偉大な主義に対して、彼らの後をうけ継いで、われわれが一層の献身を決意するため、これら戦死者の死をむだに終らしめないように、われわれがここで堅く決心するため、またこの国家をして、神のもとに、新しく自由の誕生をなさしめるため、そして人民の、人民による、人民のための、政治を地上から絶滅させないため、であります。

1863年11月19日

エイブラハム リンカーン
(高木八尺・斉藤光訳 岩波文庫)


この演説を日本で喩えるなら、首相が靖国神社で述べるようなものではないでしょうか。

小沢代表辞任表明

2007年11月05日 | 時事問題
小沢代表が辞任を表明しました。
突然で驚きましたが、時系列的に見ていくと、守屋喚問の翌日に党首討論をして、2日に二回目の党首討論、そして昨日に辞任表明。
こう見ていくと、守屋喚問に何かあるのだろうかと思えてきます。
事実、小沢事務所が山田洋行から献金を受けていて、それを返却しました。

しかし、小沢代表の辞任会見の発言は見苦しい感じがしました。
マスコミ批判はないだろう。
参議院選挙の時マスコミは反安倍で、どれだけ小沢民主を応援していたことか。
先の参議院選挙で民主党に投票した人も少しは分かったのではないでしょうか。

ところで、民主党執行部は小沢代表の辞任を慰留するようだが、代表が辞任表明し記者会見までしたのだから慰留するより次のことを考えるべきだろう。
これから民主党がどうなるかはまだ分かりませんが分裂するべきでしょう。

それと今回のことが福田政権に与える影響が不安にします。


辞任表明の小沢氏 異例のマスコミ批判
2007.11.4 23:03 sankei web
このニュースのトピックス:小沢一郎

 民主党の小沢一郎代表は4日の辞任表明会見の際、福田康夫首相との党首会談や連立構想を持ちかけたのは小沢氏側とする一部報道に対し、「まったく事実に反する。私を政治的に抹殺し、民主党のイメージをダウンさせることを意図した明白な誹謗(ひぼう)中傷だ」と異例のマスコミ批判を展開した。小沢氏は「中傷報道がなされていくなら、私が(代表に)いることが党のためにならない」と述べ、小沢氏をめぐる報道が辞任の一因となったとも主張した。

 小沢氏は党首会談に関する報道を「報道、論評、批判の域を大きく逸脱している」と指摘し、「報道機関が政府・自民党の情報を垂れ流し、世論操作の一翼を担っている」と厳しく批判した。

 さらに小沢氏は「報道機関が政府・与党の宣伝機関と化したときの恐ろしさは、亡国の戦争へ突き進んだ昭和前半の歴史を見れば明らかだ」と気色ばんだ。民主党は記者会見後、小沢氏の会見内容を記した「中傷報道に厳重に抗議する」と題するFAXを報道各社に送付した。

 10月30日と今月2日の二度による党首会談の大半は、首相と小沢氏との2人だけで行われ、何が話し合われたのかについて民主党内でも疑心暗鬼が広がっていた。

 小沢氏が4日の記者会見までに党首会談の詳細な内容を所属議員らに説明した形跡はなく、代表辞任の責任の一端をマスコミに転嫁するかのような形となった。




文化の日

2007年11月03日 | 今日は何の日
今日は明治天皇の誕生日です。
以前は「明治節」と言いました。
戦後占領政策によって祝日法が改定され、「文化の日」と変えさせられました。 
文化の日 十一月三日
 自由と平和を愛し、文化をすすめる。

文化の日に“自由と平和”を入れる必要があるだろうか。

日本人にとってはやはり「明治節」の方がふさわしいでしょう。

「よもの海みなはらからと思ふ世になど波風のたちさわぐらむ」
                       明治天皇   

明治神宮
http://www.meijijingu.or.jp/