靖国神社参拝に所謂A級戦犯が合祀されているからとして支那が文句を言ってくるが、所謂A戦犯合祀が報道されたのが昭和54年(この時国会でも取り上げられています)。中曽根参拝で文句を言ってきたのが昭和60年、この間首相が靖国神社参拝しても、支那は文句を言ってきていません。
では、なぜ中曽根の時になって支那は文句を言ってきたのでしょうか。 その事について、日中友好議員連盟会長の元外相高村正彦が書いています。
ようするに、靖国参拝を中曽根政権の政治問題にするために日本側から支那政府を焚き付けたと言うのが真相のようです。
このお節介な政治家ですが、この人はその後も北朝鮮への謝罪文や南京虐殺記念館の建設に関わったようです。
教科書問題と同じで日本人が支那に言って問題化しているのが現実です。 また、中曽根が参拝を止めた為に支那は利用できると学習したのです。
国内の政治を外国に広めるようなことをするのは以ての外です。
では、なぜ中曽根の時になって支那は文句を言ってきたのでしょうか。 その事について、日中友好議員連盟会長の元外相高村正彦が書いています。
江沢民主席はどちらかといえば抗日戦争勝利、共産党の歴史に重きを置いた人だろう。かつて胡耀邦という総書記がいたが、彼はどちらかといえば経済をよくすることに重きを置いた人だった。中曽根元総理が靖国神社を公式参拝された。その時の胡耀邦総書記は、経済に重きを置いていたから、中曽根総理の靖国参拝にたいへん抑制的な対応をした。
日本人のお節介な人が北京に行って、胡耀邦総書記に「なんてもっと怒らないのか」と言った。
それでも胡耀邦総書記は抑制的だった。そしたらその人たちが、旧満州に行き、またそういうことを言った。それで中国全土に広がり、胡耀邦総書記は政治運営が難しくなった。胡耀邦が危ないぞというので、中曽根さんは靖国公式参拝をやめた
ようするに、靖国参拝を中曽根政権の政治問題にするために日本側から支那政府を焚き付けたと言うのが真相のようです。
このお節介な政治家ですが、この人はその後も北朝鮮への謝罪文や南京虐殺記念館の建設に関わったようです。
教科書問題と同じで日本人が支那に言って問題化しているのが現実です。 また、中曽根が参拝を止めた為に支那は利用できると学習したのです。
国内の政治を外国に広めるようなことをするのは以ての外です。