一燈照隅

日本が好きな日本人です

どうする 鳩山首相。

2010年01月24日 | 時事問題
【名護市長選】移設反対派の稲嶺氏が当選確実


名護市長選挙で米軍基地移設反対派の稲嶺氏が当選確実になりました。
このことに一番頭を悩ましているのが他ならぬ鳩山首相ではないでしょうか。

本来なら自分達が推薦した候補者が当選確実なので喜ぶことでしょうが今回は違います。
地元の意志を尊重すると言っていたことで、名護への米軍基地移設は今まで以上に難しくなったといえます。

現職の島袋氏が当選していたら、現行通り鳩山首相が名護への移設をしたとしても、地元の意志を尊重したと言い訳ができました。
しかし民主党が推薦した移設反対の候補者が勝ったのでどんな言い訳も通らなくなりました。

この選挙の結果で五月末までの移設先決定は不可能になったのではないでしょうか。
今後鳩山首相がどうするのか見てみたい。



「友愛」の正体見えたり。

2010年01月17日 | 時事問題
鳩山首相が政権についてから何度も「友愛」を発言しています。
この「友愛」とはどう言うことなのか、漠然としていて多くの国民が理解に苦しみます。
しかし今回の小沢幹事長の政治団体における事件ではっきりと分かりました。

鳩山首相の言う「友愛」とは小沢幹事長一人に対する事だと。

ハイチでは大地震が発生し、多くの人が亡くなったり行方不明になっています。
この災害に鳩山首相のコメントや国としての救援策がほとんど示されていません。
「友愛」はどこに行ったのでしょうか。

鳩山首相は小沢幹事長と会談し「小沢氏を信じています。どうぞ戦ってください」と発言しています。
検察庁は内閣の一部です。と言うことは最終トップは内閣総理大臣になります。
その首相が小沢幹事長に「どうぞ戦ってください」と言うのは、あまりにも無責任な行政権を踏み外した行為です。

鳩山首相にとって法よりも何よりも小沢幹事長が一番大事なのでしょう。



I have done my duty.  二十歳の君へ。

2010年01月11日 | 朝聞暮改
正月休みに本棚に有った「經世と人間學」を読んでみました。

この本は安岡正篤氏が昭和四十四年から四十七年まで講演された内容を昭和四十七年に関西師友協会から出版された本です。

安岡氏の本を読むと何時も思うのですが、今の時代に当てはまる事ばかりです。

このことは何時の時代にも同じような問題を抱え、そしてそれを乗り越えていこうとしていたと言えます。

今日は「成人の日」です。
新しく成人に成ったことを祝われた皆さんおめでとうございます。

タイトルの「I have done my duty. 」は、有名なトラファルガーの海戦でイギリス軍がナポレオン軍(仏軍)に勝利を確実にした後、負傷していたネルソン提督が死の間際に発した言葉です。

私は義務を果たした。

ネルソン提督にとってナポレオン海軍に勝つことが一番大切な命題でした。
そのナポレオン海軍自ら負傷しながら勝利し、まさに軍人として大きな義務を果たしたのです。

昨今、権利を主張する人を多く見かけます。(派遣村他)
しかし、権利には義務が伴います。
権利は主張するが後は知らないでは社会として成り立ちません。
今年成人式を迎えた皆さんに、ネルソン提督の「I have done my duty. 」を送りたいと思います。



五、我々は自由を愛し、その爲におのづから規律と責任と、相互の美しい禮儀を重んずるものであります。

自由には必ず規律というものがなければなりません。おのずから責任が伴ないます。そして礼儀を重んじなければなりません。

日本では第一人称に自分という言葉を使っておりますが、これは非常にすぐれた言葉でありまして、どこの国をさがしても、第一人称にこれだけの言葉はありません。自分というのは、自由と分限・分際というものを結んだ言葉でありまして、我々は自として同時に分として存在しておるのであります。つまり自治、自律、自由と同時に全体の部分として存在しておるのであります。これを統一して自分と言う。実によい言葉です。これは学問上から申しましても世界に類のない、日本文化の優秀性の例証と申してよろしい。

たいてい自分というと自分を意味しておって、分を忘れております。近頃は特にその分を忘れた、自己をほしいままにする放埒(ほうらつ)なわがままな思想・行動が実に多い。これは皆分を忘れることの弊害であります。

私が明治史を調べて意外に思ったことの一つは、文部大臣をやり、非命に亡くなりました、森有礼という人が、憲法草案を起草する会議で、伊藤博文に対して「臣民の権利義務という文字はよくない」と申しておることであります。そして「権利だの、義務だのというのは日本的でない。ヨーロッパの国家の焼きなおし、翻訳では、日本の国情にあわないと自分は信ずる」と申しました。
すると伊藤公は「そりゃそうだが、それじゃ何と言えばよいのか」。森有礼「いや、自分にもよい言葉が浮ばぬが、たとえば臣民の分際とでもしたらどうか」と答えました。この場合の「際」の字はしきりですから、分も際も同じ意味であります。ところが他の出席者から「臣民の分際では何だか落ちつぎがない」という発言があり、審議の結果権利義務ということにとうとう帰着したということであります。

私はこの事実を承知して森有礼を見直しました。今日権利に対する考え方が非常に発達しましたが、分という思想は反対に乏しくなりました。イギリスでは、有名なトラファルガルの海戦で戦死したネルソン将軍が、息をひきとるとき有名な I have done duty と言って瞑目した。これはイギリスの心ある人々が感動する言葉ですが、向こうではライト・アンド・デユーティーと言い、権利といえば必ず義務が伴なう。自のあるところ必ず分というものがなければならない。ところが、どうも昨今の日本では権利の主張ばかりが多くて、分をつくすということが次第にすさんでくるようになりました。このような有様では混乱を増すばかりです。
「經世と人間學」安岡正篤先生講演録より。


事業仕分け?中身は…

2010年01月09日 | 時事問題
昨年一時下がりかけた民主党支持率が事業仕分けよって一時上がりました。
この「事業仕分け」見せ物としては大成功でしたが、中身を知ったら国民を馬鹿にすらなと思うのではないでしょうか。

民主党の行った事業仕分けには、有名コメンテーターや自民党議員までもが目を奪われました。
まるで勧善懲悪の時代劇を見ているような感じに陥ったのではないでしょうか。

しかしこの事業仕分け、民主党による客寄せの自作自演の見せ物でしかなかったことが高市早苗議員のホームページを見ればよくわかります。


事業仕分けは「税金の無駄遣いを省く」作業として、国民から拍手喝采の支持を集めました。

 民主党の国会議員や各省の副大臣・政務官が「仕分け人席」に座って、「説明者席」に座った各省庁の官僚を罵倒しながら、バッサバッサと予算を切り捨てる様子は、面白い「官僚叩きショー」として人気を集めました。

まるで、官僚が「無駄な予算を要求した悪者」で、民主党国会議員や各省の副大臣・政務官が「無駄を見つける正義の味方」といった見せ方でした。



しかし、ご留意いただきたいのは、あの仕分け作業の対象となっていた来年度予算事業費目は、自民党政権が作ったものではありません。
また、各省庁の官僚が勝手に作ったものでもありません。





鳩山内閣発足後、前麻生内閣が組んでいた平成22年度予算概算要求は全て白紙に戻され、「各省の閣僚はじめ政務3役のリーダーシップ」で、「脱・官僚主義」「政治主導」を合言葉に、彼ら自身がゼロから作った概算要求です。

鳩山内閣の閣僚と副大臣と政務官が、自ら「必要性」を認めて「要求すべき金額」を決めた事業を、自分たちで仕分けしていただけなのです。



 先日来、掲載した答弁書でも「平成22年度予算の概算要求については、それぞれの事業の必要性、緊要性等を精査し、必要と考える規模の概算要求額を盛り込んだところである」という答弁が返ってきています。



ところが、事業仕分けに際しては、そもそも来年度概算要求見直しの責任者であったはずの政務3役は、当該予算の必要性を説明する「説明者」とはならず、局長または審議官クラスの官僚が「説明者」とされ、そればかりか、予算要求を行った張本人である副大臣や大臣政務官が、「評価者」(仕分け人)となっていたのです。


予算要求など各府省の意思決定プロセスにおいては、最高責任者としての「権限」をアピールしながら、既に外部に表明された各府省の意思に対する批判を受ける段になると、意思決定者としての「説明責任」を果たそうとせず、その役割を官僚に丸投げする政務3役の姿勢には、大いに疑問を感じます。



 ここ数日連続でアップしました「各省別の仕分け対象事業に関する質問主意書」に対する答弁書には、事業仕分け当日に、自らが要求したはずの予算にケチをつける為に「仕分け人席」に座っていた副大臣・政務官の名前と、彼らが仕分けで担当した事業名が記載されています。

 事業が廃止や縮小に追い込まれたことで困っておられる方々には、是非ともこの部分を読んでいただきたいと思います。



 自らが責任者を務める役所が要求した予算の「仕分け人」になっていた某副大臣は、インターネットやテレビで公開される仕分け現場では発言せず、副大臣自身も必要だと考えていた予算がメッタ切りにされるのを黙認した挙句、仕分けが終わった後で、担当課長に謝っていたそうですから、どうしょうもないですね。

 

 本来は、大臣や副大臣などが「説明者席」に座って、堂々と自らが要求した予算の必要性を、「仕分け人」に対して説明するべきでした。

仕分けが終わった後で、閣僚たちが思い思いに文句を言っているのを見ると、多額の費用をかけて事業仕分けパフォーマンスをした理由がさっぱり分かりません。



別の答弁書では、仕分けで使った「論点メモ」を作成したのが財務省主計局であったことも明記されていました。

結局、「必殺仕分け人」となった民主党国会議員たちも、官僚が作ったメモを台本にパフォーマンスをしていたのですから、何が「政治主導」なのか…と呆れるばかりです。



昨年の総選挙、一昨年の参議院選挙を見れば多くの有権者テレビで情報を得ている事が分かります。
このような民主党の馬鹿げた政治劇の内幕を報道するマスコミが皆無なのもマスコミがどこを向いているかが分かります。

何時もブーメラン政党である民主党は、事業仕分けは近いうち自業自得に繋がるでしょう。

あけまして おめでとうございます。

2010年01月04日 | Weblog
新年 明けまして おめでとうございます

今年は皆様にとって良い年でありますように。


昨年からパソコンの機嫌が悪く、今日になってやっと新年の挨拶をすることが出来ました。

ニュースで小沢邸に集まる民主党議員を見ていると、田中、竹下時代のように見えました。(文字が全部見えなかったのですが掛け軸も気になりました)
今年は昨年以上に問題が山積していますが、18日まで国会が開かれません。
この政権は日本国民のことを真剣に考えていない事が分かります。

今年は日本国民として現政権に毅然と臨みましょう。