一燈照隅

日本が好きな日本人です

安倍総理、所信表明演説。

2006年09月30日 | 時事問題
安倍総理の所信表明演説が行われました。
総理就任会見から一つ気になっていたのですが、横文字を使いすぎるところがあります。この事については「家族が一番」さんが「所信表明演説、論旨は素晴らしいがカタカナ多すぎ…」で書かれています。私も同じように思います。

日本国総理が日本国民に向かっての所信表明です。「美しい国」を目指すのなら、日本語から始めるべきではないでしょうか。特に最近の日本語の乱れは激しすぎます。言語・服装の乱れは国の乱れに繋がります。
日本には美しい日本語があるのですから、もう少し誰が見ても分かるように言って貰いたかったです。

内容的には初めてにしては良かったと思います。
特に外交で、「イラクにおいて、陸上自衛隊が一人の犠牲者も出すことなく人道復興支援活動を遂行したことは、歴史に残る偉業であり、厳しい環境の中、汗を流した自衛隊員を、心から誇りに思います」。
いままでの所信表明で自衛隊を誇りに思うと言った総理がいただろうか。

また、「アジアに存在する民主国家として、自由な社会の輪をアジア、そして世界に広げていくため、オーストラリアやインドなど、基本的な価値を共有する国々との首脳レベルでの戦略的な対話を展開します」。
この発言はアジアは支那だけではないとハッキリ言ったようなもんです。総裁選の時から「自由・民主主義・市場経済」で共通する国と言っています。支那はこのどれにも当てはまりません。

週明けから国会も活発化していきます。安倍総理の手腕をじっくりと拝見したいと思います。

美しい国は「まごころ」で。

2006年09月28日 | 時事問題
岡倉天心が書いた「茶の本」に次のような事が書かれています。

利休はその子紹安が露地を掃除し水をまくのを見ていた。紹安が掃除を終えた時利休は「まだ充分でない。」と言ってもう一度しなおすように命じた。いやいやながら一時間もかかってからむすこは父に向かって言った、「おとうさん、もう何もすることはありません。庭石は三度洗い石灯籠や庭木にはよく水をまき苔は生き生きした緑色に輝いています。地面には小枝一本も木の葉一枚もありません。」
「ばか者、露地の掃除はそんなふうにするものではない。」と言ってその茶人はしかった。こう言って利休は庭におり立ち一樹を揺すって、庭一面に秋の錦を片々と黄金、紅の木の葉を散りしかせた。利休の求めたものは清潔のみではなく美と自然とであった。


この話は日本人にしか分からない話だと思います。せっかく綺麗にしたのに、何故よごすのか。
日本人は桜の花びらが散ることを見て哀愁を感じます。自然の中にこそ美がある。それは何も華やかなだけの美ではありません。
汚すことによって美を表現する。美を表現するためにあえて美を隠す。そこに美を見つける。これは日本人だけの文化だと思います。
人間も同じ事です。
「奥ゆかしい」と言う言葉があります。今ではほとんど聞かなくなりましたが、

安倍総理が「美しい国」と言われています。私は安倍総理の書いた本を読んでいません。この事についてマスコミや野党は「美しい国」とはどのような国なのかと問います。
これは物質的な物もあり、精神的な物もあるがやはり精神が大切でしょう。
要するに、一言で言えば「まごころ」に尽きるのではないでしょうか。
「美しい国」と聞いてイメージすることができない日本人が増えているのでしょうか。これこそ日本人としての感性が鈍くなってきている証拠であり、教育の再生が必要ではないでしょうか。



「皇室の伝統を守る国会議員の会」を発足

2006年09月28日 | 時事問題
「皇室の伝統を守る国会議員の会」17日発足

 伝統的な皇位継承を尊重し、不備の多い皇室経済法改正を目指す超党派の議員連盟「皇室の伝統を守る国会議員の会」(仮称)が来月17日に発足することが27日、分かった。会長には、天皇陛下の同窓生である自民党の島村宜伸・元農水相が内定。民主党の渡部恒三・前国対委員長、無所属の平沼赳夫・元経済産業相ら30人以上が設立呼びかけ人になっている。

 同会は、これまで例外なく受け継がれてきた父方に天皇を持つ「男系」による皇位継承を将来にわたって安定的に続けるための皇室典範改正案策定や特別立法の検討を行う方向で調整している。

 具体的には、連合国軍総司令部(GHQ)の意向で昭和22年に皇籍離脱した旧皇族やその子孫の一部について、皇籍復帰・皇籍取得などの方策を検討。このほか、(1)基本的人権や私的経済行為を制限されている皇族は、一般国民と同様に住民税や相続税を支払うなどの義務を課せられている(2)皇位継承儀礼や皇室祭祀などに根拠法がなく、予算措置も不十分-などの諸問題に関しても議論を進める。

 また、今月30日に東京・日比谷公会堂で開かれる「悠仁親王殿下のご誕生をお祝いする集い」についても、同会準備委員会が共催者として参加する。

 皇室典範改正のあり方に関しては、安倍晋三首相も今月15日、フジテレビの番組で「ずっと男系できたこの伝統をすぐ変えるかどうか、慎重になるのは当然ではないか」と強調。男系維持の方法として、旧宮家の皇籍復帰や旧皇族による現在の宮家継承などを挙げている。 

(09/28 02:23)


昨日の、文部大臣による小学校による英語教育義務化の見直し発言、「皇室の伝統を守る国会議員の会」の発足。前政権のおかしな所が少しずつ修正されてきたようです。

民主党は人材が枯渇しているのか。

2006年09月27日 | 時事問題
小沢氏 代表質問見送り 鳩山氏「狭心症の兆候」
2006年 9月27日 (水) 03:42

 民主党は26日の両院議員総会で、新執行部人事と次の内閣(NC)を承認、2期目の小沢体制を発足させた。ただ、小沢一郎代表は体調不良で万全でなく、2日に行われる代表質問を見送り、鳩山由紀夫幹事長が代わりを務めることになるなど、国会戦略は出だしから微妙な狂いが生じている。

 菅直人代表代行は総会で、「民主党が政権を担当することが国民の生活のためになる。全員一丸となって全力を挙げてほしい」と強調した。

 25日の臨時党大会後、都内の病院に検査入院した小沢氏は、首相指名選挙を行う26日の衆院本会議に出席して健在をアピール。だが、本会議終了後は検査のため再び病院に戻った。自らの氏名を書く首相指名選挙への欠席は避けたいとの思いがあったのと、体調不良が与党の攻撃材料にされかねないと判断したとみられる。

 小沢氏は周辺に「昨日より体調はよくなった」と漏らしている。しかし、鳩山氏は、風邪気味という入院の理由について「10年前(に患った狭心症)の兆候らしきものがちらっと感じられた」としている。


民主党は国民を舐めている。
病気持ちで、午後の本会議もまともに出席できないような人間を何故代表にするのか。こんな事で政権を任すことなどとてもできない。
民主党にはよっぽど人材がいないと思える。代表選に出てくるのは何時も同じ顔ぶれ。せっかく前原前代表でまともになりかけていたのだが、小沢代表で旧来の政治に先祖返りしてしまったようだ。
無投票で選ばれた小沢代表がこのような体調では、民主党議員は一体何を見ていたのかと言いたい。
野党の党首でこの状態です。もし政権を取ったらどうなるのでしょうか。今の何倍も激務です。小渕元総理のこともあります。総理が毎回午後の本会議を欠席するわけにはいきません。サミットでも昼食後は会議を欠席するのでしょうか。このような総理は日本の恥です。
民主党もマスコミも小沢代表を持ち上げているが、何を期待しているのか全く分からない。過大評価しすぎのようだ。

安倍内閣布陣が決まる。

2006年09月26日 | 時事問題
安倍内閣の顔ぶれ 財務相に尾身氏
 
 安倍内閣の顔ぶれは次の通り(敬称略)。


【総理】安倍晋三 52
【総務・郵政民営化】菅義偉 57(丹羽・古賀)
【法務】長勢甚遠 62(森)
【外務】麻生太郎 66(河野)
【財務】尾身幸次 73(森)
【文部科学】伊吹文明 68(伊吹)
【厚生労働】柳沢伯夫 71(丹羽・古賀)
【農林水産】松岡利勝 61(伊吹)
【経済産業】甘利明 57(山崎)
【国土交通】観光立国=冬柴鉄三 70(公明)
【環境】地球環境問題=若林正俊 72(参院、森)
【官房・拉致問題】塩崎恭久 55(丹羽・古賀)
【国家公安・防災】溝手顕正 64(参院、丹羽・古賀)
【防衛】久間章生 65(津島)
【沖縄北方・少子化】科学技術政策、イノベーション、男女共同参画、食品安全=高市早苗 45(森)
【金融・再チャレンジ】山本有二 54(高村)
【経済財政】大田弘子 52(民間)
【規制改革・道州制】国・地方行革、公務員制度改革、地域活性化=佐田玄一郎 53(津島)
【官房副長官】下村博文 52(森)▽鈴木政二 58(参院、森)▽的場順三 72(民間)
【法制局長官】宮崎 礼壹 61
【総理大臣補佐官】
▽国家安全保障問題担当=小池百合子 54(森)
▽経済財政担当=根本匠 55(丹羽・古賀)
▽拉致問題担当=中山恭子 66(民間)
▽教育再生担当=山谷えり子 56(参院、森)
▽広報担当=世耕弘成 43(参院、森)

※数字は年齢、カッコ内は所属派閥など

(09/26 15:58)


安倍内閣の閣僚が決まりました。明日の新聞が見物です。人物を余りよく知らないですが、公明枠を無くせなかったのが仕方ありませんでしたが、私の感じですが2~3人不安な者も居ますが、主要なところは抑えているのではないかとも思います。
閣内に入れば、安倍総理も官房庁長官時代は自分の意見を言えなくなりました。それも考えているのでしょうか。
とにかく反日マスコミの批判が大きければ逆に期待できるのではないでしょうか。

明日の組閣人事を期待したい。

2006年09月25日 | 時事問題
自民党三役が決まりました。
なかなか良い人事ではないかと思います。批判しようと思えばいくらでもできます。言いたい奴には言わしておけばいいのです。

       
「朝日」が怖いのは「ぶれない」安倍氏

 総裁選挙の翌日、各紙は新総裁誕生に関する社説を一斉に掲げたが、そのなかで朝日新聞の社説はあまりに異様だった。
 タイトルは「安倍新総裁 不安いっぱいの船出」。「新鮮さがあまりわきあ
がってこない」などと精一杯ケチを付けつつ、国民的支持の高さについては「彼の人気の源泉は靖国や拉致問題で見せた、北朝鮮や中国などに対する強硬な言動だ。それが世の中に広まるナショナリズムの風潮にふわりと乗った」と揶揄し、「安倍人気」には「自民党の人材枯渇」とさえ嘆いてみせた。
 さらに、「駆け出し議員のころから歴史教科書や慰安婦、歴史認識問題などで政府や党の姿勢を批判してきた過去がある。/若い政治家が過激な発言で注目を集めることは珍しくない。だが、経験を重ねる中で、積み上げられた政府見解や外交の重さを学び、修正していく。それが自民党の政治家養成法でもあった」と書く。そのうえで「頼みの人気が陰った時、さらにナショナリズムのアクセルを踏み込みはしないか。冷戦後の複雑化する世界を冷静に、したたかに乗り切れるか。不安は募る」と結論づける、という具合である。
 いつもながらの「朝日らしさ」がぷんぷん臭う社説だが、朝日がこれまで散々批判してきた旧来型政治家を評価してまで、就任翌日に安倍新総裁を批判・牽制したところに朝日新聞の危機感が思わず出てしまったようにも思える。
 対北朝鮮・中国外交や靖国神社参拝問題、集団的自衛権の見直し、そして憲法改正……安倍新総裁の言動は、どれも朝日流の言説とはいわば対極にある。
そんな安倍氏が総理に就任するのだから、朝日が危機感を持つのも頷ける。
 しかし、勘違いしてもらっては困る。安倍氏への国民的支持がこれだけ続いてきたのは、朝日が説くように重要ポストに就くにつれ「修正」されてきたからではなく、逆に重要ポストに就いてもその発言がまったくぶれなかったからに他ならない(それは即ち、朝日流の言説が国民的支持を失ってきたということでもある)。そんな安倍氏が、ぶれないまま総理になって手腕をふるわれては困るというのが朝日の本音ではあるまいか。
 事実、朝日の思惑に真っ向から立ち向かってきたのも安倍氏だった。昨年、安倍氏と中川昭一両氏がNHK番組に圧力をかけたという朝日の記事を巡る、いわゆる「捏造」記事問題が起こった際、安倍氏はまったくたじろがなかった。
逆に、自らの信念をこう語っていた。「(朝日新聞の)こうした報道姿勢がいかに薄っぺらな、欺瞞に満ちたものであるかということを、もう国民は見抜いているんですね。私も随分、誹謗中傷にあいましたけれども、幸い私に対する支持は揺るがない。いままで朝日新聞が攻撃した人物の多くは政治的に抹殺されてきた経緯があり、みな朝日に対しては遠慮せざるを得なかった。しかし、私は言うべきことは言うべきと考え、朝日に対しても毅然とした態度をとります。自分は国家、国民のために行動しているんだという確信があれば決してたじろぐことはない」(『諸君!』平成17年3月号)と。
 そうした「戦う政治家」としての姿勢は総理になっても変わらないだろう。
「不安いっぱい」は朝日新聞の方ではあるまいか。
「立ち上がれ日本」より


教育問題は急を要す

2006年09月25日 | 日本の教育
国旗、国歌以前のもの
(略)
このやうに言へば、それは違ふ、今度の指導要領では国家意識の昂揚をねらつてゐるし、その端的な現れとして、特別活動の項目において、「国民の祝日などにおいて儀式を行ふ場合には……国旗を掲揚し、国歌を斉唱させることが望ましい」と述べてゐるではないか。

国旗及び国歌を尊重させるといふことを通して、国家意識に目ざめさせる教育を推進しようとしてゐるのだ、といふ反論がかへつてきさうである。勿論私も国旗及び国歌の尊重については双手をあげて敬意を表したいと思ふのだが、ただどうしても脇に落ちないのは、文教当局のねがふ国家意識の昂揚といふのは、一体どこまで本気なのだらうかといふ疑問である。このやうなことを言ふのは、折角の当局の国旗国歌重視の方針に対して水をかけるやうなことになりさうで躊躇されるのだが、例へば日本史の教科書などを開いてみると、どうしてもそのやうな疑問をぬぐひ去ることが出来ないのである。

ここでは教科書について感想を述べる余裕はないが、私達の父や祖父たちすべてが「日の丸」に祖国の栄光を仰いで生きてきた明治以後の歴史について、教科書の説くところはおしなべて侵略国家日本であり、戦争にあけくれた暗いイメージがこれでもか、これでもかと描かれてゐる。明治以後、日本が歩いた足どりが、よし完全なものではなかつたにせよ、あまりにも偏頗な見方で蔽はれた歴史を教へながら、一方で「日の丸」を大切にせよと言つても、土台無理な話ではあるまいか。

「君が代」にしても同じなので、天皇と国民が信頼と敬愛に結ばれてきた長い歴史、天皇と国民がよろこびとかなしみをともにし、いはば肉親の愛情ともいふべきものに結ばれてきた日本の国の、世界に類を見ない国柄を教へないで、どうして「君が代」を国歌であるとして指導できよう。天皇の存在を、専制君主とイクオールに見る見方が横行する現状で、今、一刻も早く対策を講ずべきは、天皇と国民のつながりのありのままの姿を、子供たちに教へていく道筋を明らかにすべきことだと思ふ。しかし日本史の教科書を見る限り、天皇について触れられた個所は実に僅かであり、しかも、そこに登場する天皇の姿には暗い、専制君主のイメージがある。この基本的な教育をないがしろにしながら、卒業式に「君が代」を歌ふ学校の数だけを問題にするといふことに、何か割り切れないおもひがするのは私だけだらうか。

勿論、指導要領に盛られた国旗、国歌の指導は更に強力におしすすめてほしいのだが、そのことは、このやうな教科書の誤りを正し、日本の歴史の真の姿を明らかにする動きを背景にして、はじめて所期の目的を達成することが出来るといふことに、是非とも気付いてほしいと思ふ。(略)


これを小柳陽太郎氏が書いたのが昭和五十四年です。それからほとんど変わっていないのではないだろうか。
国旗、国歌として「日の丸」「君が代」に敬意を払うのは当たり前ですが、反日思想に固められた教育を正さなければならない事も急を要することです。
安倍新総裁が教育問題を真っ先に取り上げているのは当然のことです。税金や年金も大事でしょう。しかし教育の荒廃した国になったら税金や年金どころの問題ではなくなるでしょう。それどころか反日的な教育を受けた大人だらけになったら、百年後日本が無くなっているかもしれません。
教育問題ではハードの面よりソフトの面が肝心です。

安倍総理へ 教育改革3つの要望
国際政治に翻弄される学校教育






歴史を裁くこと

2006年09月24日 | 時事問題

日本の今の状況を見れば、物で栄えて心が滅んで行っているように感じます。

昭和56年に発刊された小柳陽太郎の「戦後教育の中で」からいくらか抜粋してみたいと思います。
先日の東京高裁における裁判長の傍論と、此処に書かれたことを考えてみてください。
今の我々が生きているのは先人達のお陰だと言うことを忘れているようです。


テレビを見てゐたら次のやうな報道を耳にした。生活に疲れはてた母子三人が心中をはかり、Aといふ母親は子供二人を殺した上、最後に自殺しようとしたが死にきれない。もがき苦しんでゐたところを病院に収容されて命を助かる。その時アナウンサーは、その母親を「A」と呼び捨てにしたのである。子供二人を殺すといふ大罪を犯した母親といふつもりで呼び捨てにしたのだらうが、私の耳には、その「A」といふ呼びかたがまことに異様に聞こえた。想像をこえた母親のかなしみなど、全く問題にされないまま、報道者は母親を裁く、その安易極まりない裁き方、さらにさういふ判断について、全く鈍感になつてしまつてゐるジヤーナリズムの風潮を私は許しがたいと思ふ。

問題はこれに限らず、汚職の嫌疑をかけられる議員を呼び捨てにする心理にも及ぶ。報道者は常に正義の味方であり、次々に社会悪を摘発する。勿論悪を追及するきびしさは社会の木鐸としての報道者の身上であらうし、その点悪びれる必要はないのだが、最近の報道に見えるものは、そのやうにさはやかな正義感ではない。相手に悪者のレッテルを貼つてしまへば、後は何を言つても構はぬといふ居なほりめいた言論があまりに多くはないか。

自分達には常にジヤーナリズムといふ安全圏が用意されてゐる。いざといふ時にはそこに逃げこめばいい、さういふ安心感の中に、救ひやうのない頽廃の影がさしてゐることを、報道関係者は自ら厳しく戒めなければならない。「A」といふ呼び捨ての中に、私はこの頽廃の影をまざまざと見るおもひがした。

生徒の作文を読む。「西欧のこころと日本のこころ」といふ題だが、日本のことを論じる時の筆の粗さはどうにもならぬと思ふ。もつとも生徒たちの日本に対する愛情は、一般に言はれてゐるよりもはるかに深く、心あたたまるものがあるが、過去の日本の歴史像はあまりにもいびつにゆがめられてゐる。例へば天皇をピラミツドの頂点とした軍閥、財閥が一致結束して日本を戦争に追ひこんだといふやうな固定観念が、依然として多くの生徒の心を捉えてゐるやうである。だが、戦争がこのやうに悲惨な結末を迎へたのは、軍閥、財閥の結束どころか、むしろ軍自体の中枢神経が麻痺して、末端部に対する統制がきかなくなつたために外なるまい。関東軍の暴走を許したのも、国全体がその場その場の現象に追ひまはされて、本当の意味での、「国策」をもたなかつた、その結果だつた。まして天皇がピラミツドの頂点どころか、時の指導者たちの中には、明け暮れ平和を祈られる天皇の御心を偲ぶことなく、自己の権力意志達成のために天皇を手段として用ひた者の方がむしろ圧倒的に多かつた。かかる政治家、軍人の思ひ上がりが、戦争をはてしなく拡大せし
めて、かくの如き結果をもたらしたのではなかつたか。

今次大戦についての正確な反省なくしては、将来の建設はあり得ない。生徒の善意はわかるが、このやうないびつな歴史像からは、決して正しい将来の展望が生れないことを知らねばならぬ。

今、机の上には曾野綾子の『或る神話の背景』(角川文庫)、角田房子の『甘粕大尉』(中公文庫)、それに西南大学の西尾陽太郎教授の手になる『李容九小伝』(葦書房)があろことさら求めたわけではないが、偶然ここに揃つた三冊の書物に登場する人物は、いづれも極悪非道のレツテルを貼られた男たちである。

『或る神話の背景』に登場する人物は、沖縄本島の西、渡嘉敷島で無辜の住民三百数十名を集団自決せしめ、自分だけは、のうのうと戦後に生き残つてゐるといふ、それこそ冷酷無残の軍国主義の権化ともいふべき赤松大尉、「甘粕大尉」は周知の通り、関東大震災の折、無政府主義者の大杉栄他二名を虐殺したといふことで、稀に見る残虐な男といふ汚名を着せられた人物、「李容九」は朝鮮人でありながら日韓合併の御先棒をかついだとして売国奴と罵られてゐる人物、だが、かういふレツテルを剥ぎとつて、その歴史の局面にカメラを近づけてみると、いかに多くの誤解と偏見と独断が渦巻いてゐるか、その中からいかにして、曾野綾子氏のいふ「神話」が生み出されてくるか、見れば見るほど、興味のつきない人間模様が読みとられてくる。一つの殺人事件に三つの複眼を用意したのは、芥川竜之介の『藪の中』だが、複眼を通して史上の人物を見てゆくことの面白さを、この三冊の書物は文字通り堪能させてくれる。

現代の歴史では、さまざまなレツテルを貼られる人物をどのやうに組合はせるかといふことに興味の焦点があるやうだが、本当の歴史の面白さは、レツテルの奥にひそむ人物一人一人の複雑な、陰影に富む表情を読みとるところにある。あるいは、一人一人の心の深淵をのぞきこむところだと言つてもいい。ともかく、はりつめた氷に亀裂が入り、いつの間にか溶けてゆくやうに、既成の概念的な見方が崩れてゆくそのプロセスに、歴史の真実ははじめて自らの姿を現はしてくるのである。

生徒の作文には相も変らず、「今度のあの愚かな戦争」といふやうな言葉が続々登場する。現代の人々の心を支配するいびつな歴史像についての感想は前述の通りだが、一言補足しておく。

戦争はやるべきではなかつた、どうにかして避けるべき方途はなかつたか―さういふ反省がおこるのは当然であらう。しかし、私には、この「愚かな戦争」といふ、その「愚かな」といふ言葉だけは許せない。何故ならそこには、最初に述べたジヤーナリズムの思ひあがりと全く同質の、思想的に許しがたい頽廃があるからだ。歴史の歩みを結果から見れば、たしかに「愚か」だつたらう。人々は幕が下りた舞台について、観客席から勝手な批評を下すのだが、あの当時歴史の一コマ一コマを生きた人々の姿を、切迫した当時の情況の中に還元した時、一体誰がこれを愚かだときめつけることが出来よう。勿論、歴史の数々の局面において、判断の誤りもあつただらうし、例へば名誉心が先走つたための、それこそ「愚か」な策も生れたことだらう。その一つ一つを反省し、その誤りを厳しく指摘することは大切だが、その歴史全体を「愚か」と断ずることは、自己を神になぞらへ倨傲ではないか。西欧諸国の、たけりくるふ帝国主義の怒濤に耐へて、独立を維持しつつこの百年を生きてきた先人の苦闘は、まさに想像を絶したものがあつた筈だが、その苦しみに思ひを馳せることもなく、自分を高みにおいて歴史を裁く態度は、人間として許すことはできない。

「異端の教は、過ぎてこれを断ずるに及ぶ。是れ身にこころみ、庶人にこころむる処あらざる故なり」とは、『謫居童問』における山鹿素行の言葉だが、異端の徒は概念だけでものごとを考へ、論理ですべてを裁断してしまふために「過ぎてこれを断ずる」―事実以上に誇張して断定を下してしまふやうになるのだ。それは異端の徒が、具体的な、それ故にこそ複雑極まる人生の事実に、我が身をさらさうとしないからに他ならない―素行の指摘はきびしいが、まさしく「身に試み」ようとしないための、あるいは「庶人にこころみる」すなはち政治の現実に心をくだくことがないための独断と倨傲が、「愚かな戦争」といふ、その「愚かな」といふ言葉に凝縮してゐるのではあるまいか。もしも、自分があの時代に生きてゐたとするならば、あの場面、この場面で、一体どのやうな決断を下し得ただろうか。それを細かに点検することが、歴史を読む際のイロハでなければなるまい。
その作業をぬきにして、我々は歴史に接すべきではない。

歴史にきびしい反省を加へることと、歴史を裁くこととは、本質的に異なるのである。
(昭和五十五年一月『修猷』第百十一号所載)


集団自決、軍命令を否定する証言








国旗、国歌に敬意を表せないのは国民ではない。

2006年09月23日 | 時事問題
白地に赤く 日の丸染めて、
ああうつしや 日本の旗は。


高野達之作曲 岡野貞一作曲 文部省唱歌

子供の頃学校で習った歌です。

式での起立・斉唱定めた都教委通達は「違憲」 東京地裁 asahi.com


法律で決まっていようが、決まっていなかろうが、個人的にどんな信条を持っていようと国旗、国歌に敬意を表するのは常識以前の問題です。
子供達を教える先生がこのような体たらくでは、最近の親殺しや残虐な殺人が起きるのが納得できる。
裁判官も判決でない傍論に個人的思想を入れすぎです。
屁理屈を捏ねすぎです。


11日行われた鎌倉八幡宮の「やぶさめ」は、長い馬場をトンネルのようにおおうている木々の緑が、その下を埋める日米観衆の明るい服装に照りそい、その間をきらびやかな狩衣の騎手が馬を飛ばして矢を射る、と言ういかにも5月らしい壮快な催しであった。

特に独立回復後最初の本年の行事で、アメリカ側からも参加があり 横須賀基地からは軍楽隊もやってくるほどの盛況で、源氏の氏神であった八幡様が、ヘキ眼のサムライ達をどう照覧あったかはいざ知らず、日米両国の市民達はともに午後のひと時を「やぶさめ」に興じた物である。

定刻と同時に、八幡神社前にあった米軍軍楽隊は「君が代」を奏した。米国軍人はすべて挙手の礼、その家族達も、はやる子供達をおさえて直立不動のまま「君が代」に敬意を払った。

ところがどうであろう。当の日本側の観衆は、ただ物珍しげに軍楽隊や米人側の敬礼を見ているばかり。子供達は軍楽隊の周囲を群れをなして歩き回った。
一昨年の夏、日米対抗水泳大会の時も国旗掲揚に対するアメリカ側の厳粛な態度に引きくらべて、日本人観衆のだらしなさが批判されたことがあった。あのころはまだ占領下だったからと言うわけもあったかもしれないが、もう日本は独立した国である。いつまでもこんな態度でよいわけではない。

「君が代」のよしあしについては、いろいろ議論もあるようだ。しかし「君が代」 が国歌とされ、又各学校も文部省の勧告に従って祝祭日に歌うことになっているとすれば、国歌というものがどんな意味を持っているものか、従って「君が代」にたいする礼儀についても知らなければならない。学校でもこれを教えておいてもらいたい。「君が代」は歌うばかりが、そのすべてではないのである。

(今日の問題 「君が代と礼儀」 昭和27年5月13日付朝日新聞


国旗「日の丸」の制定

国歌「君が代」






皇室内廷費は少ない

2006年09月21日 | 皇室
秋篠宮悠仁親王殿下が誕生されてから、皇室費用についていろいろマスコミなどで取り上げられていました。
一番言われているのが秋篠宮家が東宮家と比べて、格段に費用が少ないとのことですが、各宮家は職員の給料も出しています。
それで見れば、職員数で費用を割れば東宮家も秋篠宮家もほぼ同じ数字になります。テレビでのキャスターやコメンテーターは、合計の数字だけを見て東宮家に比べて秋篠宮家は少なすぎると言っていますが、現実には皇室全体に少なすぎるのです。
秋篠宮家が少ないと言うなら、皇室全体を上げなければならないと言うべきでしょう。

天皇陛下に関わる皇室内廷費の少なさに関して、平成元年に平沼赳夫氏が「正論」に書いています。
全文を掲載します。




「皇室内廷費のあまりの少なさを憂う」
昭和二十五年度に比べ、わずか九.二倍の伸ぴ率の内廷費。
皇室祭祀の維持すら覚束ない現況を憂う
衆議院議員平沼剋夫

昭和六十四年一月七日午前六時三十三分、天皇陛下崩御。この日をもって昭和は終りを告げ、新しい時代「平成」がはじまった。

この劇的な歴史の転換点を振り返ってみて私の胸にまず浮かんでくるのは、六十四年にわたって国民の敬慕を一身に集められ、昭和というかつてない激動の時代を生きられた大行天皇陛下への深い敬意と哀悼の念である。それと同時に、天皇に対する国民の思いの素晴らしさにも大きな感動を覚える。

昨年九月の再度の御不例以降、年末までの三か月問に、御平癒の記帳をおこなった国民の数をここで確認しておきたい。宮内庁の十二施設でおよそ百四十万人、全国各地の自治体関係で四百五十万人、全国千数百の神社から寄せられた記帳者が二百五十万人、合せて八百四十万人にものぼる、また崩御の翌日八日の弔慰の記帳は、雨の皇居前にえんえんと長蛇の列が連なり、一日だけでなんと三十五万人、十六日までの全国での記帳者数は二百二十三万人に達した。これだけの数の人々がだれに命じられたわけでもなく、自らすすんで天皇へのひたむきな思いを表明したのである。記帳には行きたかったがさまざまな理由で行くことが出来ず、自分なりのやりかたで弔意をささげた人は、この数十倍にもあたるであろう。昨年の秋から全国各地に広まった自粛ムードも、このような国民の思いが自然な形で表れたものである。ごく一部の人々がどのようなブロパガンダにつとめようとも、ほとんどの日本人が、天皇の御心に副うようにとのひたむきな思いを抱いていることは否定しようもない事実なのである。

こうした状況を認識するとき、国政にたずさわる者として、何をなすべきかは国会議員のひとりひとりに与えられた責任といえよう。そこで私は、今にわかに注目を浴び、大きな請願運動にまで高まっているふたつの重要な間題、皇室内廷費の増額と、皇室への国民からの献金枠拡大の問題を、ここで提示したい。

皇室内廷費がなぜこれほど低額なのか次頁に掲げた皇室関係予算の表を御覧いただきたい。昭和二十五年と現在を比較してみると、予算の伸びに著しい差のあることがおわかりであろう。官内庁費という政府所管の経費は五十倍以上に上昇し、政府の公務員が経理する宮廷費も三十倍を越えている。これはその間の大幅な物価上昇と日本経済の発展を考えれぱ、当然の数字といえよう。

ところが、天皇に直接する内廷費のみが、比較を絶した低さに止めておかれている。



内廷費には、天皇陛下一家の日常の御生活のすべてと、諸活動の御経費、それに内廷に奉仕する多くの職員の人件費などが含まれるが、天皇陛下の最も尊い御使命である宮中三殿での御神事費、伊勢の神宮をはじめ二十社余りの神宮神社への勅幣、および古来からの四十に近い由緒ある仏教寺院などに対する御経費の支出も含まれている。

これら祭祀に関する御経費については、それぞれの細目は明らかではないが、わが国の精神的伝統文化を維持高揚し、国民の精神、気風の浄化に最も貴重なものである。

それが、日本経済が最極貧状況にあった昭和二十五年から、わずかに九.二倍しか伸びていない。この数字には多くの人が驚いたようだ。昨年十二月二日、皇室を敬愛する文化人や宗教者ら二百人余で組織する「日本を守る会」が〈皇室内廷費増額に関する請願〉を採択、国会請願や署名運動を展開することになったし、「日本を守る国民会議」(黛敏郎運営委員長)でも都道府県レベルで運動を展開することに決め、実践的な署名活動に入っている。この実態が昭和五十八年に宮内庁職員の告発によって明るみに出たときから増額を唱えてきた私としては、これは大いにうれしいことである。

皇室内廷費は他の諸経費とは異なり、旧憲法時代の皇室費と同じく、毎年度の予算によらずしてそ、の固定額が法律によって決められてきた。前期と同じレベルで、それに物件費、人件費の上昇を加味して計算するに止めてきたらしい。
が、この問に、物価は大きく上昇している。しかも、その計算の基礎となったのは、日本経済が極貧状況にあった時代の内廷経済であり、その後の日本経済の大発展をおよそ度外視している。

それがこのまま来てしまったのは、おそらく米軍占領時代の宗教政策に対する大行天皇陛下の御遠慮に端を発するのではないか、と推測される。占領軍も内廷経費の支出を禁じたりはしていないから、まさしく御遠慮なされたのであろう。陛下御自らは常に質素を貴ばれ、激しいインフレの時代にも国民のことを思われ、節約に努められて、増額を御遠慮になり、それがためにきつい抑制力が働いたと考えられるのである。

しかし、占領終結後四十年近くを経た今日、新天皇陛下が何者に御遠慮されるべき理由があろうか。もちろん、私は内廷の豪奢華美を望むものではなく、簡潔清浄なる御高風を尚ぶものである。それをあえて、内廷費の増額を切望してやまないのは、先に述べたような皇室の精神的行事の衰微が憂慮されるからにほかならない。左翼のいう政教分離の影響が宮中にまでおよび、皇室のお祭りの意義に無知な宮内官僚によって神事の扱いが軽んぜられ、神饌やその他施設にまでしわよせがあらわれるような状態は、なんとしても避けねばならないと考えるからである。

では妥当な額はいくらなのか、ということは政府内部で調査・論議すべき問題である。

ごく常識的な範囲で考えるならば、比較表によっても極端な低額であることは明らかなのだから、現在の三倍程度、宮廷費の伸びと並ぶ程度には引き上げて然るべきであろう。私個人としては、大企業の交際費が年間数十億ということを考えれば、月一億円以上確保して当然ではないか、と思っている。

事実上禁止に等しい国民献上金

つぎに、皇室への国民からの献金枠拡大の問題に移ろう。
一昨年九月、大行天皇の最初の御不例のときのこと。陛下の御病状に対して、全国的に御平癒祈願がおこなわれたが、日本人の慣習としてお見舞品を届ける人人がかなりいたそうである。だが、宮内庁はそれらを受け取れない理由を明らかにせず、すべて断った。お花やお見舞金を直接持参しても受け取ってもらえないので、今度はお金を郵送してくる人が沢山出てきた。これには宮内庁も困ったらしいが、結局みな送り返したという。法的には年問六百万円までは受け取ってもよいということになっているのに、なぜ受け取れないのか、各県への行幸に際しては地方物産などの献上は受けているではないか、といった疑間が各方面から出されて論議を呼び、なかには、こうした行政措置に対して、弁護士を立てて異議申し立てをした人もいるとの情報まである。

この問題が昨年の再度の御不例、御病状の悪化に伴つて表面化した。九月十九日以降、坂下門で記帳した人が花束や折鶴、写経、お見舞金を持参する光景がテレビで盛んに報道されていたことは記憶に新しい。千羽鶴の受け取りを拒否されて泣いていた女学生、皇居のお濠周辺に置き去りにされた花束……国民の純粋な思いを官僚的に扱っている情景には大いに腹が立ったものだ。お見舞金にしても、日本人の社会儀礼としての神社や寺院へのお賽銭を考えれぱ当然配慮しておくべき問題なのに、たんに扱いに困るからという発想で処理しようとする。反発を招くのも当然といえよう。

こうしたお見舞品やお見舞金は、天皇の御不例に際して、国民として何か微衷を表したい、と望む心の自然な発露である。それに対して宮内庁がこのような態度に出るのは、むろんそうしなけれぱならない理由があるからで、日本国憲法第八八条に「すべて皇室財産は国に属する」と銘記されているからである。

占領軍の指導下に影いて改正された憲法は、天皇をもって「国政に関する権能を有しない」と断定した。しかもGHQは、国政上の権能をなくしても、なお天皇に対する国民の精神的崇敬の強大なることを懸念し、天皇と日本国民との間の強い信頼関係の断絶をはかろうとした。しかし、天皇の社会活動までも法的に制約することはできないので、それが事実上不可能なように、憲法第八八条を設けて皇室財産の一切を廃した。

さらに、再び国民が皇室へ献上して、皇室が財力を有して社会的活動を回復されることが出来ないように、「皇室に財産を譲り渡し、又は皇室が、財産を譲り受け、若しくは賜与することは、国会の議決に基かなければならない」という憲法第八条を設けた。

このような憲法は世界のどの独立国にもない変則的なものである。文明諸国の王室は、いずれも必要な財力を確保して国内の社会事業を助け、国外に対しても人道的な寄付をおこない、国民の心理的統合と国際友好に努めている。それが王室として当然の姿である。たとえば、英国王室の世界各国を駆けめぐっての活躍ぶりはつとに名高いが、それはエリザベス女王が世界有数の財産家であられ、チャールズ王子でも日本円に換算して一千億円近い基礎財産をお持ちになられているからこそ可能なのである。

わが国の皇室も、戦前はその公の財産を有効に行使された。明治時代には文化・学術の奨励、天災地変に際しての難民救済、医術の普及をはじめとする諸般の社会事業などに御下賜があり、近代産業育成のための御援助もあり、それは遠く海外に及んでいる。一例をあげるならぱ、国際赤十字社に対する大きな御援助の功は、一世紀後の今日に至るまで関係国際人のよく銘記するところである。また、敗戦後の大行天皇陛下とマッカーサー元帥の会見の場で、、陛下が皇室財産目録を元帥に示し、これをもって国民の飢えを救ってほしいと依頼されたことも忘れてはなるまい。

人づてに聞いた話だが、昨年夏のバングラデシュの水害惨事の際、フランスはミッテラン大統領夫人が、飛行場が再開された第一号の飛行機で来られたそうである。戦前と同じ情況にあれぱ、日本の皇室も御援助を惜しまれなかったろう。先頃のアルメニア大地震にしても同様である。日本の政府が事務的に一定の援助金を送るのと比べ、当事国に与えるインパクトと重みも違うはずである。しかし、そういうことは不可能なのだ。日本の皇室は財力を持つことを許されていないのだから。
私はここで、憲法を改正し諸外国並みにせよ、と性急な主張をするつもりはない。憲法の改正は非常に重要な問題であり、さまざまな論議を経なければならない。現憲法ですら天皇からの御下賜、国民からの献上があることを規定しているのである。しかし、皇室経済法に定められたその献上金と御下賜金の限度額が、それぞれ年間六百万円、千八百万円という極めて僅少な額であることが問題なのだ。一般庶民が五万円十万円の熱意ある献金をしようと思っても、「受け取ったらきりがないから」と宮内庁の行政官の拒否するところとなり、事実上は献金禁止の状態になってしまっているのである。

もちろん、献金の道を安易に開くことに問題がないわけではない。心ない国民や一私企業などの「ウチは一億も寄付した」式の売名行為に利用されたりすることは断じて避けなければならない。そのためには、献金方法、窓口、手続き、などしっかりしたシステムを作らねばならないだろう。

一見したところ小さな問題のように見えるかもしれないが、皇室の伝統と文化、「日本国の象徴」としての天皇と国民との深いつながりを守っていくうえでは、非常に重要なことなのである。現在の皇室経済法施行法を改正し、献上金の枠をできるかぎり拡大して、一定限度の献上金ならば誰でも自由におこなえるように道を開かねばならないと考える次第である。

皇室問題の本質的な論議を

皇室内廷費の増額と、皇室への国民からの献金枠の拡大。この二つの請願運動は、咋年の後半から眼を見張るほどの勢いで浸透しつつある。「日本を守る会」と「日本を守る国民会議」の熱っぽい署名運動は先に述べた通りだが、請願書そのものもすでに昨年の九月十六日に国会に提出されているのである。衆議院では江口一雄、加藤卓二、園田博之、佐藤敬夫の四議員、参議院では大塚清次郎、藤井孝男、寺内弘子、板垣正の四議員が紹介議員となって両院議長に提出ということになったのだが、自民党としては党議として決定すべきものと考え、政調会長の預かりの形となってしまった。今後さらに署名運動が展開されて、地方の有志から地元議員を介して請願書が多く寄せられれぼ、自民党としてもこの問題に対して決断を迫られるはずである。

議席数で絶対多数を占める自民党がこんなにも煮えきらない対応を見せるのは、そこに「ことが皇室に関する問題だから」という躊躇があるからである。政教分離を金科玉条のごとく唱える一部イデオロギー勢力に気を使い、おもねっているからにほかならない。

左翼陣営は、昭和五十二年の三重県津の地鎮祭訴訟での最高裁判決の全面敗訴で危機感を抱いた。これはごく一部のキリスト教信者が中心で、その背後に社共勢力が存在したという形のものであった。彼らは、国家と宗教、特に神道との完全分離こそ憲法の政教分離の思想だと叫んできたのだが、それが退けられたのである。さらに昨年六月には、山口県護国神社の殉職自衛官の合祀取下げ訴訟の最高裁判決が下って、政治(国家)と宗教、政教分離の憲法解釈で決着がつき、敗北感を味わった。そこで今度は、御代替わりの大嘗祭を最大のターゲットとしてきた。それらを国家行事としておこなわせないように、皇室の御祭りは天皇の「私的な行為」であって、国家とは何も関係がないというプロパガンダに努めてきたわけである。

しかし、皇室の神事がはたして宗教だろうか。宗教には一定の要件が備わっていなければならない。教祖が存在し、教義経典があり、信者獲得のために組織だった活動がある、といった特徴を備えてこそ初めて宗教に分類できるのである。

日本の皇室に古来より伝えられてきた伝統的な神事が、どうして宗教に分類できるだろうか。

歴史が始まって以来、皇室は日本人の信望を一身に集めながら国を支えてきた。そして現在も、昔と変わらぬ圧倒的多数の日本人の熱烈な支持を受けている。それを考えるならば、皇室の最も重要な伝統的儀式、皇位継承の儀、朝見の儀、御大喪、大嘗祭までの一連の諸儀式を国事行為としておこなうのはしごく当然のことなのである。

福沢諭吉先生は、名著『帝室論』のなかで「帝室は政治社外のものなり」として「帝室の尊厳とその神聖とを濫用すべからず」と教えている。皇室問題を論じ決定していくために必要なのは、まさしくこういう姿勢であろう。内廷費増額、国民献金枠の拡大の具体的な問題とともに、皇室問題を本質から考えていきたいものである。
(「正論」1989年3月号)









美しい国へ、安倍新総裁誕生

2006年09月20日 | 時事問題
自民新総裁に安倍氏 全体の6割超える得票
2006年 9月20日 (水) 15:03 Asahi.com


 自民党総裁選は20日、投開票が行われ、安倍晋三官房長官(51)が全体の6割を超える得票を集めて圧勝し、第21代総裁に選出された。安倍氏は26日の臨時国会初日に首相指名を受け、戦後最年少、戦後生まれでは初の首相として新内閣を発足させる。

 投票は、党所属国会議員403人の投票と党員・党友による地方票300票の計703票で行われた。安倍氏が国会議員票で267票、地方票でも197票の計464票を獲得。麻生太郎外相(66)は69票と67票の計136票、谷垣禎一財務相(61)は66票と36票で計102票だった。

 安倍氏は25日に党三役人事を決め、公明党との党首会談を開いて連立政権維持を確認する。26日に第90代の首相に指名され、同日中に組閣を終える方針だ


安倍氏が自民党新総裁に成りました。まだ内閣もできていないのに、マスコミは何かと重箱の隅を突っつくようにケチをつけているが、かなりしたたかというか、策士のような感じがします。
参議院の擁立を見直すような、投票の直前に言うことでないのにあえて発言をした。何か考えがあるように思えます。
今後の党三役と組閣人事で誰がなるかである程度判るのではないだろうか。
とにかく安倍新総裁は少しでも「美しい国」へ戻るように尽力して貰いたい。

横田めぐみさんの写真展

2006年09月18日 | 拉致
横田めぐみさんの写真展始まる 大阪・豊中
2006年09月14日 asashi. com

 北朝鮮による拉致被害者、横田めぐみさん(不明当時13)の姿を107点の写真パネルなどで伝える「めぐみちゃんと家族のメッセージ 横田滋写真展」(主催・あさがおの会、共催・朝日新聞社、後援・外務省、大阪府)が14日、大阪府豊中市新千里東町1丁目の千里朝日阪急ビル4階、A&Hホールで始まった。20日まで。

幼いころの横田めぐみさんの写真を見る人たち=14日午前10時すぎ、大阪府豊中市で

 めぐみさんの初めての誕生日や家族でハイキングに出かけた様子など、北朝鮮に拉致されるまでの13年間、父・滋さんが撮り続けた写真を中心に展示されている。

 昨年11月から東京や北海道、福岡など全国を巡回。この日午前、これまでの累計入場者が15万人を超えた。滋さんは「足を運んでくださる方々に感謝しています」と話している。無料。入場時間は午前10時~午後7時半(最終日は午後4時まで)。問い合わせは、同ホール(06・6873・2607)へ。


横田めぐみさんの写真展を開催していたのを、「家族が一番」さんのブログで知り、私も昨日寄せて貰いましたがかなりの方が来場されていました。

このような写真展に行くことも北朝鮮に対する圧力の一つになることでしょう。
北朝鮮に拉致された方々が一日も早く帰国されることを祈ります。

尚、会場はモノレール千里中央駅の隣のビルなので地下鉄からでもすぐの場所でした。20日まで開催しています。






過去の事よりこれからの事

2006年09月17日 | 時事問題
自民党総裁候補の三氏がテレビに揃って出演していました。(私が見たのは「報道2001」です)
しかしもう少し内容のある番組に出来ないものだろうか。
質問が余りにも稚拙すぎます。題材にもう少し意味のある事をなぜ取り上げなかったのかと思います。

日本の外交は支那、韓国のような特定の国だけを相手にしているのではありません。
候補者個人の過去の歴史認識について時間を割きすぎです。これなど村山談話についての質問にしろ、支那政府が言っていることをそのままを候補者に繰り返し質問しているだけです。

過去のことばかり質問しても、そんな事よりもこれから総理になる人間なんだから、これからのことを聞き出すべきだろうと思うのです。
そんなに過去にこだわるなら、加藤紘一や小沢一郎の過去の発言と今の発言が変わったことを、本人が出演したときになぜ質さないのだろうか。

自分の国の総理大臣に、これからなる人の足を引っ張ろうとするのだろうか。自国のマスコミなら批判と同時に応援することも必要です。

今、急を要する案件として北朝鮮による拉致事件があります。
過去のことはこれでもかと言うくらいしつこく聞くのですが、現実に今同胞の命がかかっている事件についてなぜ一言も聞かないのか。

拉致事件以外にもまだあります。
何が大切なことなのか、何が急を要することなのか。
そのことを判断できないようではマスコミこそ批判されるべきだろう。


陳舜臣の書く「南京」

2006年09月16日 | 支那事変
作家の陳舜臣氏が「中国歴史の旅」と言うのを書いています。
この歴史の旅の中で南京についても書かれています。


南京は要害の地、だからここが昔から重要な拠点になったとかかれ、国民党政府が此処を首都としていた時期のことを次のように書いています。

現在、南京市には天王府の遺跡があります。また太平天国にかんする博物館が設けられています。しかし、革命の烈士の記念はこれだけではないのです。
鼓楼からまっすぐに南下しましょう。中山路から中華路にはいります。中華路の南の中華門をくぐって、さらに南へ行ったところに雨花台があります。
六世紀前半の梁の武帝の時代、雲光法師という僧侶が、この岡で経典を講じていたとき、天上から花が雨と降ったので、雨花台と名づけられています。この山だけにあるきれいな縞のはいった石は雨花石と呼ばれて、人びとに珍重されてきました。
雨花台はたしかに風光明媚の地です。けれども、中国人は雨花台という地名を耳にすると、悲痛な感じにうたれるのです。それというのは、国民党政府が南京を首都としていた時期、ここは政府に反対する愛国的な革命家を処刑する場所だったからにほかなりません。おおぜいの若者が、ここで恨みをのんで殺されました。
いまここは「雨花台烈士陵園」と呼ばれています。非命にたおれた烈士の墓前に記念碑が立てられ、そこには毛沢東の筆で、

―死難烈士万歳

と書かれています。その碑のまえには、供花のたえたときがありません。
陵園内の記念館には、烈士の遺品や写真やその経歴などがならべられています。参観する人たちは、息をのみ、胸を詰らせながら、重い足どりで歩むのです。
南京は江南のうるわしい山水に富んでいます。古都南京は私たちを六朝のいにしえ、明の建国などの歴史にひきこみます。歴史は流れて、アヘン戦争の南京条約から太平天国の悲劇に及びます。そして雨花台に立てば、悲しみの極に達するでしょう。けれども、人びとは南京長江大橋に象徴される、未来への希望に胸をふくらませるはずです。
南京は地形も起伏に富み、その歴史も起伏に富んでいます。
多感な旅人は、南京を訪ねると、去りがたいおもいがするでしょう。
「中国歴史の旅」陳舜臣より南京



これを読まれて不思議に思われなかったでしょうか。
現支那政府は南京と言えば、日本軍による所謂大虐殺が行われたと言って記念館まで作って宣伝しています。
なぜ、陳舜臣はこの事を一言も書いていないのでしょうか。この文が書かれたのは所謂虐殺記念館がまだ建っていない時ですが大虐殺です。
知らなかったのでしょうか。そんなはずはないでしょう。支那政府が述べている30万人もの人間が殺されているのなら、南京でそのようなことが語り伝えられているはずです。本田勝一の「中国の旅」は1971年に朝日新聞に連載してましたし、所謂虐殺記念館が出来たのが出版から4年しか経っていない1985年です。

それどころか国民党政府によって共産勢力の人間が処刑されたことは、陳舜臣は毛沢東の揮毫までキッチリと書いています。
毛沢東も同じような虐殺なら日本軍がやったとされる虐殺の碑文はなぜ書かなかったのでしょうか。
普通に考えれば所謂虐殺は有ったけど毛沢東は知らなかった。しかしそれは考えられない事です。では知っていたけど書かなかったのか。それも考えられない事です。支那は政権を取っている者が歴史を新たに書く国です。
考えられるのは所謂虐殺自体がなかったので書きようがないことです。

雨花台烈士陵園の記念碑に次のような碑文が書かれているそうです。
「曾て国民党政府は中国共産党の烈士三十万人を捕えて南京に送り、此の雨花台刑場において悉くした。それ等烈士の霊を慰めるためにこの陵園を建設した」
(「南京虐殺の徹底検証」より)
支那政府が言っている、南京虐殺30万人の犠牲者と数字がぴったり合います。

南京新聞報道

南京 昭和12年12月16日付朝日新聞

「南京、日本軍の入城によって治安が確保される」



天満天神繁昌亭、こけら落とし。

2006年09月16日 | 日本の文化
落語の繁昌亭こけら落とし 大阪に戦後初の定席
2006年 9月15日 (金) 11:36(共同通信)

 笑いの本場、大阪に落語専用の定席が戦後初めて復活-。上方落語界が総力を挙げて建設に取り組んだ天満天神繁昌亭が15日、大阪市北区の大阪天満宮敷地内でにぎやかに幕開けした。

同日から10日間に及ぶこけら落とし公演は、旗振り役となった上方落語協会会長の桂三枝さんや、重鎮の3代目桂春団治さんをはじめ約200人の落語家が登場。年中無休で、関西の新名所を目指す。

建設資金は市民や企業からの寄付。1年半余りで約2億円が集まった。「100年使う」を目標に、舞台はヒノキづくり。正面には人間国宝の桂米朝さんが筆書きした「楽」という字の額が掲げられた。マイクなしで声が届く客席は1、2階で計256人収容できる。


昨日、天満の天神さんに上方落語の寄席「天満天神繁昌亭」が出来ました。
大阪は笑いの町とも言われますが、松竹新喜劇、吉本新喜劇や漫才の劇場は有ったのですが、落語の寄席は残念ながら有りませんでした。
最近は漫才ブームなのか、テレビでも落語を聞くことが少なくなっています。
上方落語と言えば人間国宝の桂米朝が有名です。私の学生時代は、笑福亭仁鶴、桂三枝、林家小染、桂朝丸(現ざこば)、桂文珍、桂きん枝、月亭八方などそれぞれ特徴のある噺家をテレビで見ることが出来ました。
「天満天神繁昌亭」が出来たことにより、上方落語が再びテレビでも脚光を浴びるようになって貰いたいです。

天満天神繁昌亭

上方落語協会