一燈照隅

日本が好きな日本人です

今日は世界の歴史を変えた日。

2012年05月27日 | 今日は何の日

日本国民として今日 五月二十七日は世界に誇れる記念日です。

東郷元帥率いる連合艦隊と、ロシアのロジェストウェンスキー中将率いるバルチック艦隊との間で、日本の運命のかかった日本海海戦が行われ、連合艦隊がバルチック艦隊を見事に撃滅しました。

この結果は日本だけでなく、世界中に衝撃が走りました。
当時の大国ロシアが東洋のちっぽけな国日本に負けたのです。
白人による植民地支配全盛で、白人が有色人種に負ける事などありえないと世界で思われていた時代に、日本がロシアを負かしたのです。

この事件は植民地にされていた人々に独立への大きな希望を与えました。

もし、日本が日本海開戦に敗れていたら日本も植民地となり、私は今この世に生を受けていなかったかもしれません。
そして、多くの植民地が今も白人に搾取されていたかもしれません。

今日、五月二十七日は世界の歴史の転換点となった日として今も記すべきです。
ところが、今朝の新聞(産経)には一言も触れていませんでした。

敗戦後この日を教えることをしなくなり、多くの日本人が海軍記念日を知りません。
自分の国の偉大な歴史をを知らない。
これほど不幸なことはないでしょう。


小泉信三はかつて「徳教は目より入り耳より入る」と題して以下の文を書かれています。

……近代日本の歴史において、真にわが国の独立がおびやかされた日といえば、一九〇五年(明治三十八年)五月二十七日はまさしくそれであった。この日早暁、遠く本国から地球を半周して来攻したロシアの大艦隊は、未明の日本海にその姿を現わした。そうして、海軍大将東郷平八郎の率いたわが連合艦隊によって完全に撃滅されたのである。

七百年前、元軍の全艦覆没をきいて、われわれの祖先があげた歓呼の声はきくよしもないが、六十年前連合艦隊の公報に接して、狂呼乱舞したその日のことは、今なおわれわれの記憶に新しい。日本国民が、子供のときから心にとどめるべき人名として東郷平八郎の名は逸してはなるまい。

英国民は、トラファルガー・スクエアを設け、巨柱の頂にネルソンの像を立てた。フランス人はベルダン要塞死守の戦闘を誇り、ロシア人は好んでスターリングラードの攻防について語るという。日本国民自ら自国の栄誉を忘れ、却って心ある他国人をして、かわって赤面させるようなことは、あらせてはなるまい(産経新聞昭和三十九年二月十日付朝刊)。
「日本海海戦と明治人の気概」扶桑社より



日本海海戦!





会いたい。 話したい。

2012年05月20日 | 大東亜戦争
六十七年前のこの時期、沖縄を巡って最大の戦いが行われていました。

沖縄の戦闘では多くの二十歳前後の若者が特攻隊員として散華していきました。
その中の一人の遺書を紹介したいと思います。
陸軍第二十振武隊の隊員として、昭和二十年四月十二日知覧から飛び立った穴沢利夫少尉です。

穴沢少尉には許されぬ婚約者がいました。
その婚約者に宛てた遺書です。

『二人で力を合せて努めて来たが、終に実を結ばずに終った。
希望を持ちながらも、心の一隅であんなにも恐れていた"時期を失する"と言うことが実現してしまったのである。
去月十日、楽しみの日を胸に描きながら、池袋の駅で別れてあったのだが、帰隊直後、我が隊を直接取り巻く情況は急転した。

発信は当分禁止された。(勿論、今は解除)

転々と処を変えつつ、多忙の毎日を送った。
そして今、晴れの出撃の日を迎えたのである。
便りを書きたい。
書くことはうんとある。
しかし、そのどれもが今までのあなたの厚情にお礼を言う言葉以外の何物でもないことを知る。
あなたのご両親様。兄様。姉様。妹様。弟様。
みんな、いい人でした。
至らぬ自分にかけて下さった御親切、まったく月並みのお礼の言葉では済み切れぬけれど「ありがとうございました」と、最期の純一なる心底から言って置きます。
今はいたずらに過去における長い交際のあとをたどりたくない。
問題は今後にあるのだから。
常に正しい判断をあなたの頭脳は与えて進ませてくれることと信ずる。
しかし、それとは別個に、婚約をしてあった男性として、散って行く男子として、女性であるあなたに少し言って征きたい。

「あなたの幸を希う以外に何物もない」
「いたずらに過去の小義にかかわるなかれ。あなたは過去に生きるのではない」
「勇気を持って、過去を忘れ、将来に新活面を見出すこと」
「あなたは、今後の一時々々の現実の中に生きるのだ。穴沢は現実の世界には、もう存在しない」

極めて抽象的に流れたかも知れぬが、将来生起する具体的な場面々々に活かしてくれる様、自分勝手な、一方的な言葉ではないつもりである。
純客観的な立場に立って言うのである。
当地は既に桜も散り果てた。
大好きな嫩葉(わかば)の候がここへは直きに訪れることだろう。
今更、何を言うか、と自分でも考えるが、ちょっぴり慾を言ってみたい。

一 読みたい本
  「万葉」「句集」「道程」「一点鐘」「故郷」

二 観たい画
  ラファエル「聖母子像」芳崖「悲母観音」

三 智恵子 会いたい、話したい、無性に。

今後は明るく朗らかに。
自分も負けずに、朗らかに笑って征く』
                     利夫
智恵子様



この遺書を読んだとき涙が溢れてきました。
軍人であるが故に愛する女性を残して(守るため)、特攻隊として散華していきました。
穴沢少尉の婚約は反対があり解消になりました。
それでも愛する人への思いを手紙にしたためていました。
それを最後に記したいと思います。

あの人があつたが為に純情一路に生き抜けたことを嬉しく思ひ乍ら征ける幸福者であることも。

最後に強く伝へて頂きたいことは、自己の意志一つで生きてゆくこと。
如何なることでも自己を幸福にする道と信ずる場合は恐れず進むこと。
要すれば、過去の利夫をきれいに忘れ去るべきこと。
賢明なる女性は良き妻となり良き母となるのを最上の道と利夫は考へ居ること。
将来の為には過去の一切を忘れ得るのが真に強き者であること。
以上呉々もおねがひします。

智恵子よ、幸福であれ。真に他人を愛し得た人問ほど幸福なものはない。
自分の将来は、自分にとつて最も尊い気持であるところの、あなたの多幸を祈る気持のみによつて満たされるだらう。


「知覧からの手紙」水口文乃著 、「若き特攻隊員と太平洋戦争」森岡清美著より。
 






主権回復の日は本当の「終戦の日」。

2012年05月06日 | 今日は何の日
四月二十八日は大東亜戦争に敗れた我が国に対する米国による異常な占領期間が終わって主権を回復した日です。


風さゆるみ冬は過ぎてまちまちし八重桜咲く春となりけり
昭和天皇 御製


主権回復の時に詠まれた昭和天皇御製です。

今年は主権回復から六十年になります。
終戦の日が近づくと反戦特集をこれでもかと組むマスコミも四月二十八日は静かなものです。
事実上の終戦は主権が回復した日です。
だからこの日が本当の終戦となります。

今を生きる若者達で四月二十八日の事を知っている人がどれくらい居るでしょうか。
学校でも教えていないか、さっと話して終わっているのがほとんどでは無いでしょうか。
たった六十年前の自分の国のことを知らないのは、これからの国を支えていく者立ちにとって不幸なことです。

極東軍事裁判(東京裁判)でインド代表判事であった、ラダ・ビノード・パール博士は講和条約に対して次のように言われました。

「独立国には四つの条件が具備されなければならぬ。

 ①国家の基本法である憲法は自分達の手で書く。
 ②自分の国土(領土)は自分達が守る。
 ③国家の祭祀・信仰は何びとからも干渉を受けない。
 ④師弟に対する教育も同様に、他国からの干渉を排除して、自分達の意思に基づく。

ところが日本の実情はどうか。
いまだアメリカから与えられた憲法の許で、日米安保条約に依存し、自国の防衛はアメリカにまかせている。
宗教も教育も干渉を受けている。
東京裁判史観という歪められた自虐史観や、アメリカナイズされたものの見方や、考え方が少しも直っていない。

日本人よ、日本に帰れ!とわたしは言いたい」


パール博士の言われた四つの条件、六十年前から何一つ変わっていません。

憲法は全くそのまま。領土は依然米国頼み。天皇陛下の靖国参拝は途絶え。教育には近隣諸国条項なる馬鹿げたものまでできる始末です。
良くなるどころか六十年前より悪くしていると言えます。

先の戦争で自らの命を特攻隊として国のため、郷里のため、家族のため散華した二十歳前後の若者達は今の日本をどう思われているでしょうか。
平和惚けしたままでは国がつぶれてしまうでしょう。

まずは基本法である憲法を改正することが早急に必要です。
ただ、最近は国民の間にも憲法改正の空気が以前よりも増してきていると思います。自主憲法の草案を発表する政党も出てきました。
これが一時的なもので終わらずに、真に憲法改正へと繋がるようでなければなりません。

次期総選挙の争点は、消費税増税でも原発問題でもありません。
憲法改正を問うべきです。