ちびサウルスの住むところⅡ

ちびサウルスに妹ミニラが加わり、母もパワーアップ!? 二児の母が子育てから政治・教育までを考えます。

久しぶりに…

2018年01月14日 | その他

 前回更新してから、毎日が目まぐるしく過ぎ、そして年末年始を迎え、漸くほっとしたというこの頃。気が付けば2ヶ月以上も経っていました。その間もいろいろありましたね。まぁ毎日大相撲関連の話題でどっぷりだったワイドショー、慰安婦問題を蒸し返し訳のわからないことをまたも言い出した韓国、そう言えば一連の「モリカケ報道」で朝日新聞が何やら受賞したのだとか…、笑っちゃいますね。まっ、身内でやってて下さい。ますます新聞報道への信頼度が薄らぐだけですけどね。朝日新聞は支持者に阿る記事を書くことで、それでまた購読数を減らし、ますます偏った購読者の為の記事を書くということで延命を図っているのでしょうか。毎日新聞も相変わらずのようですし。或る意味安定してますね。

 さて、久しぶりの更新なので雑感を。

 まずは、久々にはまっている役者さんについて。NHK『アシガール』で若君役を演じた健太郎さん(20歳)、すごく良い演技をされます。ちょっとした表情にもちゃんと感情が表現されていて、滑舌も良く、目力もあり、逸材です。『相棒元日スペシャル』にも重要な役どころで出演し、ますます活躍が期待されます。小栗旬さん以来久々に役者さんとして好きかも。(健太郎さんは、映画『ミュージアム』で小栗旬さん演じる主演の沢村久志の高校生時代を演じてもいます) 『アシガール』は主演の黒島結菜さん(20歳)もすっごく可愛くて、ホントこの二人良かったんです。DVD出たら絶対買うんですけど、今のところ出ないみたいでガックリ。

 で、小栗旬さんというと、ライバルとして名前の挙がる藤原竜也さん、たしかに高い評価を得ておられるだけあると思うのですが、ドラマやCMで見ると、私個人の素人感想としては「演技がちょっと重い」と言いますか、自然な感じがしないんですよね。舞台向きの方なのかなぁって。

 でもって、「重い」ということに関連して言えば、「歌唱王2017(1/3放送)」で、審査員から995点という高得点を得ながら優勝できなかった草ヶ谷遥海さん、彼女の歌ったビヨンセの「Listen」は圧巻でした。迫力のある歌声と声量、上手いっ!と思いましたが、でも、多分その時点で最高得点を出していた宇都直樹さん(優勝者)の得点は超えられないだろうなとも、聴きながら思っていたのです。これも個人の感想ですが、技術的なことではなく、聴いていて「お腹いっぱい」になってしまうのです。腹八分目で満足させられる位が心地良いと言いますか…。少し余裕があった方が聴いている方も「聴ける」と言いますか…。彼女は歌い終え審査員の得点を見て優勝を確信したのでしょうが、視聴者からの投票がそれほど伸びず、最終得点を見て「Oh my God!…」とつぶやいていました。人の心を動かすには、上手なだけではない「何か」が必要なんでしょうね。一緒に聴いていたうちの主人は「英語じゃなく日本語の歌で聴いてみないと(評価は)よくわからない。英語って“音”に聞こえちゃって…」と言っていました。昔何かで、所謂「熱唱系」は日本人好みじゃないと読んだことがあります。いっぱいいっぱいではなく、聴き手の気持ちがちょっと入り込む「隙間」のようなものがあると良いのかもしれません。
 決勝に残った方々は皆さんとても上手で聞き応えがありましたが、評価となると個々の好みもあるので、結果に対しての感想はそれぞれあるでしょう。どうしても主観が入ってしまう審査は全員が納得というわけにはいかず、プロの審査員でも点数にバラつきは出ます。それならば、機械に数字的に判断してもらうしかありません。でも、そういうものではないでしょう。

 次に大相撲関連、いやはや何が何だかという感じ。いろいろなことが明らかになるにつれて、汚い部分が表に出てきていますが、ドロドロですね。貴ノ岩関に対し、リンチに近いことが行われたように思いますが、その背景は…?喧嘩両成敗というには処罰に偏りがあり、協会側は「組織の論理」で押し通した感じ。どちらにも言い分はあるのでしょうが、貴乃花親方も頑なに過ぎると思います。正しいと思っていても、それを通すにはきちんと主張することも必要です。八角理事長側にも多々問題はあるようですし、白鵬率いるモンゴル勢がこのままでも良いのかどうかにも疑問ですが、根本的に変わるのは無理かもしれません。「権力は腐敗する」し、組織も腐敗していくのです。

 この先、柔道が「JUDO」になってしまったように、大相撲が「SUMO」になってしまうのか、「勝つことに意義がある」のか「品格を求める」のか、モンゴル勢に飲み込まれてしまうのか、日本人の判断が求められているのでしょう。

 最後に、もう既にいろんなところで語られているウーマンラッシュアワーの村本氏、見ましたよ『朝生元旦スペシャル』。最初に出演者の中に村本氏がいた時に、正直“もう出すなよ…”と思いましたが、案の定(詳しい中身については省きますが)、今まで以上のバ○っぷりに呆れました。しかもちゃんと自分の席に座ってもいられず(椅子の上で立ち膝状態)、持論を押し付ける様子は醜悪でした。自分の「非武装中立」持論がどれだけ非現実的なことか理解できず、井上達夫東大教授にたしなめられていましたが、多分わかっていない。井上教授の「村本君の発言の裏に、ある種の愚民観を感じる」には(同意の意味で)笑ってしまいました。普段の井上教授の持論には同意できない部分も多いのですが、村本氏への意見には納得、でも、井上教授もこの手の人への説明は難しいと思いますよ。いくら説明しても「暖簾に腕押し」、徒労感しか残らないことでしょう。 

 ツィッターでも物議を醸し出しているようですが、村本氏、一体何がしたいのかわかりません。あちこちに喧嘩売って、或る意味無知を武器にしている感もありますが、いいように自分の発言が利用されていることに責任が持てるのでしょうか。無知というより「考えが足りない」と思います。知識が足りないのではなく、知恵が働かないというか。

 でも、面白いなと思うのは、村本氏を擁護する記事、“そっかぁ、この手の人たちにとっては村本氏の主張もそう取れるんだぁ…”という私にはない発想。私としては、元旦朝生での落合陽一氏の発言は結構共感できる部分が多かったのですが、その手の擁護記事では、三浦瑠璃氏と共にバ○扱いされていました。立ち位置によって評価が真逆になるんですね。相容れないことがすごくよくわかります。

 あっともう一つ、慰安婦問題、日韓合意の再検証はしないけれども、日本の自発的行動を求めるって、散々引っ掻き回しておいて結局それ?「自発的行動」って結局新たな要求なんですけど。まっ、ほっといていいってことですね、「自発」なんですから。「タスクフォース」なんて大層なものをおいて結果これ、どうせなら「破棄するっ!」って位な方が韓国らしいのに。

 (余談:タスクフォースと言えば、松岡圭祐氏の『水鏡推理シリーズ』は文科省内に設置されたタスクフォースが舞台で、面白いですよ、お勧め)


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ったくグダグダと…

2017年10月24日 | 政治

 選挙が終わって昨晩の報道番組。

 「野党の票を集めると、自民党の得票数よりも多い。所謂死に票が多い。野党一党で闘っていれば…」的な論調が目立つ。そこで、我がノンポリの主人の一言。

 「野党一党になれなかったんだろ」

で終了~~~。「~だったら」の話をしても意味はない。何故ならそうならなかったんだから。かつて、私も悔しかったが、民主党への政権交代にグダグダ言わなかった。中川昭一氏が小選挙区で破れ、比例復活も叶わなかったが涙を呑んだ。なってきたことにグダグダ言うのは嫌いだ。反省や分析はする。でも、いつまでも未練がましくグダグダ言っても仕方がない。「野党は一党になれなかったし、これからもなれない」それで話は終わり。たとえ、数を求めて野合しても、その後が続かない。今回唯一枝野氏の発言で同意できることと言えば、「数にこだわるのではなく」の部分。反自民の旗の下、数を求めて理念の違う者の野合集団であった民主党(民進党)への反省ならば納得できる。(でも、信用はしていない) 民主党政権が発足した時、多くの人が「自民党にお灸をすえる」と言ったが、結局お灸をすえられたのは国民自身であった。確かに一強の弊害はある。だが、あまりにも野党のレベルが現実的でない。

 ったく、いつまでグダグダ言ってんだかっ!

という感じ。悔しいのはわかるが、民意は自民党を選んだ。

 

 投票日の夜中、テレ朝「選挙ステーション・第2部」はまるで「朝生」。お笑い芸人のウーマンラッシュアワー・村本氏が2回目の出演。素人目線が欲しいのだろうけれども、何だか嫌な感じ。食い入るような目線(どうしてもダメ)と、一般人「代表」的な物言いが、1回目同様鼻につく。

 特に地震の被災地・益城町の件に関して、仮設住宅に入っている人の数を、村本氏が知っていて政治家が答えられないことに、鬼の首を取ったが如くドヤ顔で何度も「知らないんですか?」と言っていたが、そこだけの話しを聞いた位で全てがわかったかのような口振りが腹立たしかった。被災地にもいろんな意見の人がいる。それらの意見を集約して、できるだけ多くの人に良いようにすることは、一朝一夕にはできない。いろんなケースがあるのだ。他にも、ちょっと話を聞いて(今回は乗ったタクシーの運転手さんの話をしていたが、タクシーの運転手さんの意見だけで全てをわかっているように言われてもねぇ)、「どうなんだよ」的な質問をされてもね。大体選挙にも行かないらしい人に政治を語って欲しくない。白票でも投じてから物を言ってよね。

 そして田原総一朗氏、相変わらずの「モリカケ」連呼、あの位のお年頃の方は、一度インプットされると修正が利かないので、これからもこだわるんだろうなぁ。いつまであの位置に座り続けるつもりなのかな。

 (田原氏は自分の番組に出ない政治家を非難しますが、何様のつもりなんでしょ)

 そして今日も最後にどうでもいい一言。参議院議員ながらもいち早く(目敏くと言うべきか)民進党から立憲に入った福山哲郎氏、どうしても「タラちゃんカット」にしか見えなくて、ついつい髪型に目が行ってしまう。


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選挙が終わって

2017年10月23日 | 政治

 衆議院選挙終わりました。で、結果新潟は1区~4区が残念な結果に。先ずは1区西村智奈美氏(立憲)に早々と当確が出、2区は鷲尾英一郎氏(無所属)、3区は終わってみれば黒岩宇洋氏(無所属)、4区は菊田真紀子氏(無所属)、6区中4人も元民主党…、新潟~っ…。3人は無所属でしたので、ここで負ければ議員じゃなくなるのにと思っていたのですが、これも選挙、仕方がありません。

 そして、北海道11区、因縁の対決。小沢一郎氏の元秘書で政治資金規正法違反により公民権停止中の石川知裕氏の妻・石川香織氏が代理出馬、故中川昭一氏の妻・中川郁子氏と一騎打ちの結果、石川氏が当選。新潟4区の金子恵美vs菊田真紀子といい、女性候補の一騎打ちは中身が「何だかなぁ」という感じ。もっと他に候補者いないの?

 希望が失速、立憲が躍進というのも残念。希望はまぁ当初の思惑からどんどん外れていったので、やはり準備不足という感じ。立憲は、日本人の好きな「判官贔屓」も手伝ってか伸びました。やっぱりまだまだ「情」が絡むんですね。それにしても、菅直人元首相も当選しちゃうし、その他にもあらあらという元民進党議員が、希望、立憲、無所属と当選してきて、今後の野党再編の動向が気になります。

 あっそうそう、山尾志桜里氏が当選、何だか笑ってしまいました。また、国会でぎゃんぎゃん吠えるんでしょうか。それにはどこか政党に属さないといけないのでしょうが、「禊は済んだ」とか言いそうですね。「モリカケ問題」にはしつこいくせに、自分達の問題はさらっと忘れる、得意技ですからね。

 まぁ良かったのは、「馬鹿の一つ覚え」の如く「安倍政権をおろす」と、政策も語らず安倍批判を繰り返しただけの共産党が、議席を結構減らしたこと。批判だけじゃダメなことにいつ気付くのでしょう。志位委員長なんて17年間もその座に居座っていて、自らが組織の独裁者のようなものなのにね。共産、社民の力がなくなるのは朗報です。

 …沖縄はやはり沖縄でした。

 マスコミは、自民党圧勝なのが気に入らない様子がありありで、「自民党支持でも、安倍政権支持ではない」を繰り返していますし、野党が共闘していれば…、と未練がましいコメントが多いようですが、民意です、結果を受け入れましょう。

 昨晩の選挙報道で一番「おっ」と思ったのが、日テレの村尾氏からのインタビューの際、小泉進次郎氏が「消費税増税に賛成なのに、新聞は自分達に対しては軽減税率を主張しているのはおかしいじゃないですか。これについてどこも取り上げてくれない」と発言、村尾氏はこれには答えず(答えられないよね、顔引きつってたし)、私は“生放送でカットされないから、思い切って言ったんだろうけど、新聞=マスコミ相手に喧嘩売って大丈夫かな”とちょっと心配にもなりました。まだね、マスコミの力は大きいものがあります。今回の立憲の躍進にもかなりマスコミは大きな力になっていますし。

 それと、夜中のテレ朝の選挙ステーション(ほぼ「朝生」)で、共産党の参議院議員田村智子氏が、田原総一朗氏から「共産党は日米安保をどうしたいの?」と聞かれた時に、「(日米安保は)解消する方向に持っていって、アメリカとは平和条約を結ぶ。対米従属ではない、対等平等な平和条約を結ぶ」と答え、田原氏に「対等なって?」と聞き返された時に、具体的には答えられなかった姿に、これこそが共産党の姿だと思いました。つまり自分達の理想でしかものを考えず、現実的にどうなのかビジョンがない。万年野党で批判することがお仕事、実際に政権運営する力などないことがよくわかります。そして田村氏は、米軍基地はなくす、それにはアメリカがいなくても大丈夫だという国際環境を作ることとドヤ顔で語っていて、笑ってしまいました。得意そうでしたよ、「私の素晴らしい意見」って感じ。(はぁ~~~~)

 今回の選挙、いろいろな思いで見守ってきましたが、左右ドロドロだったのが、ある程度判別し易くなったのは良かったかと。でも、今後どうなっていくのかも気になります。

 最後にどうでもいいことを一言。枝野氏の顔がどうしてもコアラに見えてしまいます。(ごめんね、コアラ)


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学校に潜む獣心~いじめ~ その4

2017年10月19日 | 教育

 「その1」で紹介した『いじめの深層を科学する』(清水賢二著/ミネルヴァ書房)で、 清水氏は、いじめを「表層、中層、深層」の三段階に分けて説明している。その中の深層いじめについて、その構造を次にように解説されていて、う~~~んと考えさせられた。以下に簡単にまとめたものを紹介したい。

 深層いじめは非行、犯罪、自殺の問題に強い関わりを持つという。その小集団の真ん中に位置するのが「真っ黒の3%の少年たち」で、、集団を統制、制御する獣心を備えた存在。知的水準は高く、非行や不良行為の経験知に富んでいるが、自らは表に出て来ない。1クラス40人中男子を20人とした時に、3クラスにまたがって1人いるかいないかの割合の存在。クラスをまたがり、見えない存在の為に問題をクラスで解決できなくなるという。

 その中心に鎮座する真っ黒の少年を囲むのが「限りなく黒に近い5%の少年たち」で、共通する特徴として、実践的な非行に対する経験知を持ち、体力的にも十分であるが、学力的には問題を持つ。周辺に睨みを利かせ、集団からの離脱等を暴力で阻む、謂わば、真っ黒の少年を支えるアンダーボス的な存在。実際に行動に出る為、問題少年として認知されている。前述の割合からすると1クラス1人以上となる。

 真っ黒、限りなく黒に近い少年たちを囲む大外に「灰色の7%の少年たち」たちの円があり、どこかに心の傷を負っている、または力の弱い少年等で、黒い少年たちの下で、使いっ走りや、金銭調達、一般少年たちへの威嚇代行等を行う気の弱い少年たちが存在する。この「灰色」にも色の強弱があり、積極的に属する者もいれば、他に居場所がなかったり、強引に引き込まれた等の理由から消極的に属する少年まで様々いる。前述の割合では、男子20人学級では2人近く、40人学級では3~4人になる。

 円の一番外を囲むのが「白の85%の少年たち」で、一部は状況が変われば淡い灰色に吸い込まれてしまう。この白の少年サークルは、サークルを守る為に、一度でも問題を起こした少年に対し「はじき飛ばし」を行う。その為白に戻りたいと望む灰色の少年を排除する為、淡い灰色の少年へのある意味加害者になりかねない。

 以上が清水氏の指摘される深層いじめの小集団の構造であるが、集団のコアとなる「真っ黒の少年」というのが何しろ表に出て来ないだけに性質が悪く、恐らく何か問題が起きても罪を問われたりはしないのであろう。ある意味気の毒なのが「淡い灰色の少年」で、黒に染まりたくはないが抜けることもできず、白に戻りたくても戻ることもできず、苦しみ、居場所をなくし死を選んでしまうこともあるのだという。

 構造を考えると、まるでや○ざの世界のようだ。清水氏曰く、

 この世界は、暴力を背景にした脅しや恐喝、脅迫などを行う専門集団、暴力団世界の縮小版に外ならない。 
 こうした世界に立ち向かうには、全ての子どもを信頼するという教育の論理では立ち向かえない。毅然と外部機関、特に警察とどう連携を組むかが工夫される必要がある。

とのこと。確かに学校だけでは解決できない事案もあるが、学校はある意味治外法権的存在になっているので、外部機関に頼ることは余程のことでない限りしないだろう。それがまた、黒い少年たちをのさばらせることになってしまう。

 清水氏の本は、衝撃的だった。いじめ行為の奥に潜む獣心、これを無くすことは難しいのかもしれない。今は、一つ一つの事案に対処してくしかないのであろうが、このままでは、学校という閉鎖環境の中で、いじめは進んでいく。恐ろしい。

 

 「我が子がいじめに遭ったら」

 親にとって、自分の目の届かない学校で何が行われているのか、正確に知ることは難しい。だから、子供が発信してきたことをまずは「そのまま聞いて受け止める」ことが大切だと思う。たとえ解決できなくても、「あなたが悪いんじゃない」と、いじめによってその子が自尊心を失ったりしないように、ちゃんと居場所を作ってあげること。いざという時の為に、聞いたことをノートに書いておくことは有効だとのことなので、感情、感想を交えず、時系列で言動について事実のみを記録しておくこと。記憶の補完にもなる。そして、いざとなった時に「いつでも逃げていいんだよ」と伝えておくことが大事だと思う。逃げることは恥ではない。「逃げるが勝ち」なのだ。卑怯なのはいじめる側だ。何も同じ土俵に立たなくていい。絶対に守る、このことはいつも強く思っている。

 昨日も息子は「いじめる人ってさ、ホントに理由なんてどうでもいいんだね」と、学校であったことを話してくれた。まずは「ホント腹立つよね」と私も一緒に怒る。で、その後励ましつつ、気持ちの持ちようを話す。息子の知らないところで聞いた内容をメモする。メモしながら思う。“多分○○君たちはいじめている自覚すらないんだろうなぁ。からかい半分、反応を見て楽しんでいるのが半分。うちの子の気持ちがどうかはそこに入る余地はないんだろうな”ということ。でもね、母は負けない。悔しい気持ちを抱えつつ、今日も登校していく息子の背中に心の中で「頑張れ」(相手と闘えという意味ではなく)と声をかける。


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学校に潜む獣心~いじめ~ その3

2017年10月18日 | 教育

 福井県の池田中学校2年生男子(当時)が、担任、副担任から厳しい叱責を受け続けた結果、自ら命を絶ってしまった。

 校長先生はご遺族曰く「悪びれた様子もなく」、当の担任、副担任が謝罪したのかどうかの報道はない。(校長先生は13日後に謝罪したとのこと…)

 「副担任を替えて欲しい」との男子家族からの願いは聞き遂げられず、信用していた担任も厳しい叱責をしていたとのこと、何の為の二人体制なのか、これでは二重に追い詰められたということになり、男子生徒はどんなに辛かったことであろうか、ご遺族の方々もさぞかし無念の思いでいっぱいであろうと思う。私も悔しくてならない。憤りが込み上げてくる。

 その後、担任は他の学校へ転任し、副担任は他の学年に移ったという。つまりは今日も生徒指導に当たっているということなのだ。生徒一人を自殺にまで追いやったというのに…、何なのだろうか、この国の教育の世界は。学校側の責任も重い。強い叱責の場面を、校長先生、教頭先生、他の先生方も見ていた。家族から「副担任を替えて欲しい」という申し入れもあったのに、何の対策も講じなかった。担任は男子が過呼吸を起こして(起こさせたと言うべきか)いたことを学校にも家族にも黙っていた。曰く「自分で解決できると思った」とのこと、本当にそうなのか、だとすれば自信過剰だし、そうでなければ事を公にしたくない保身の気持ちが働いたからではないのか。

 「できる」という評判の先生は返って危ないという。つまりは自信過剰になって見えるものも見えなくなってしまうということと、評判が良いだけに、その評判を落としたくないという保身が働くこともあるからだ。先生を信用できるに越したことはなく、信用したいと思っているが、その判断ができるほど情報がないのも現実だ。小学校の時はまだ先生方と接する機会があったが、中学生になるとガタッと減る。参観日も子供が「来なくていい」と言うのでいけない。来て欲しくないというのではなく、行くとそれすらもいじめの理由にされてしまうからだ。学年が上がるにつれて参観日に行く保護者は減っていくという。学校側も実はその方が都合がいいのかもしれない。行けば教室の雰囲気とか肌で感じ取れるものがあるのだが、息子が何か言われるかと思うと気が引ける。

 『教室の悪魔』の著者・山脇由貴子氏が『震える学校』という本も出しておられ、そこには先生方へのいじめ、中傷の例が挙げられている。ネット上で匿名のまま、悪口、デマが書き込まれ、相手の見えない罠に翻弄される先生の姿。先生もターゲットになり得るのだ。

 そう、今は匿名で何でも言えてしまう。ネット上に書き込む中傷は嘘でもかまわない、書く方も書かれる方も嘘とわかりつつ、時が過ぎるのを待つのだという。

 学校に潜む獣心は、いつ牙を向けてくるのかわからない。大人にも子供にも。

 息子の話を聞いていると腹も立つのだが、悪びれもせず人を罵倒し、平気で嘘をつき、暴力を振るう、そんな子達がそれでいいと思っているのだとしたら「哀れ」だとも思う。一体どんな大人になるのだろうか。ちなみに息子をいじめている子は、クラスでは人気があるらしい。そして、言葉だけで言うなら女子の方が辛辣で、「えっ、ホントにそれを女の子が言うの?」と聞き直してしまうこともしばしば。隔世の感がある。主人曰く「道徳教育がなくなってから、世の中おかしくなった」とのこと、「自衛」は何も国防に限ったことではなく、身近にも必要なのだ。


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学校に潜む獣心~いじめ~ その2

2017年10月17日 | 教育

 実は「その1」は少し前に書いていたのだが、投稿しないでいたままだった。息子へのいじめは今もある。何か理由があるわけではない。ターゲットにされたということだろう。いじめる側は、「獣心」というだけに、弱い者を見つけるのに長けている。第三者である他の子は、場面を見ていても何もしない。子供達は「その事の是非」よりも「どちらが強者で、どちらが弱者か」を瞬時に見分けている。敏感に。

 動物の狩りと一緒。狩る側は群れの中の弱いものを見つけ追いかける。そのものを犠牲にすることで群れの他のものは助かるが、それで終わりではない。今度は自分が狩られるかもしれない危険性があるのだ。でも、中には、集団で向かっていって助ける場合もある。何より、狩る側は自分達が生きる為に狩りをするが、必要以上には狩らない。となると、人間の方が…。

 自らが率先して加害側に立たない場合でも、「攻撃は最大の防御」ということを知っている。自分がいじめられない為には「そちら側」に立つことになる。「連帯責任は無責任」で、集団になると罪の意識は薄れる。今のいじめは加害者と被害者がいつ入れ替わってもおかしくないというのだ。すごいストレスの中で学校生活を送っているのだなと気の毒になってしまう。狭い、逃げようのない教室という箱の中で、どんな気持ちで過ごしているのだろう。

 去年息子をいじめていた子は先生がいるところでも平気だったそうだし、先生にも暴言を吐く子だったので、先生も承知していてくれたが、今年の子達は先生の前では絶対しない。見えないところでしてくる。そして、トラブルが知られると息子のせいにしてくるのだ。そして、先生は「その1」でも書いたように「実際にその場を見ていないから判断できない」とのこと。まぁ間違ってはいない。確かにどちらかが自分に都合の良い事を言っているのだから、話の辻褄が合わなくなるのだ。でも思う。そうした先生の態度は、いじめる側に力を与え、いじめられている側に諦観を覚えさせることになる。でも多分どうしようもない。学校、先生にとって、いじめは「見えていなければ無いもの」なのだ。それは、間接的にいじめている側に加担する結果となる。証明できないところでいじめは進んでいく。

 いじめは、「いじめる側の問題」で、「いじめられる側の問題ではない」。いじめる側は「いじめられる側にも問題はある」と、相手に責任を押し付けようとする。理由は後付け、いじめたいからいじめる。いじめられる側の気持ちは考えない。考えようとはしない。日和見のその他大勢は、以前は「善」の方に流れる傾向が多かったが、今は「悪」の方に流れる(善、悪という言い方が正しいかどうかはともかく)。いつ自分が被害者になるか、紙一重の中で生きているからだ。

 以前、テレビで「いじめは空気のようなもの、見えないからこわい」という言葉を聞いた。空気は見えないし、いつ流れが変わるかもわからない。漠然としていて、でも感じ取れる。確かに恐ろしい。そんな中にあって息子はどんな気持ちで学校に通っているのだろうと思う。とにかく、親が守ってやらなくては。『子どもの命は、母親が守る』(プレスプラン/サンクチュアリ出版)という本には、こうある。

    いじめは、いじめる側が100%悪い。

    だからあなたは何も悪くないといってあげて

    全力で守ってあげてほしい。

 福井県の中学校で、担任、副担任による指導死が起きてしまった。「指導」なのか…、これも「いじめ」ではないのか。その3に続く。

 


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学校に潜む獣心~いじめ~ その1

2017年10月17日 | 教育

 実家の母が子どもの頃家で飼っていた猫の話を聞いたことがある。その猫は時折鼠を捕まえて来ては見せに来るのだと言う。「褒めてもらいたくて来るんだろうね」と母は言っていたが、正直嫌だったらしい。そしてこうも言っていた。「猫って鼠を捕まえてもすぐに殺さないんだよ。離しては捕まえ、離しては捕まえ、散々いたぶるんだよね。猫の本性だねぇ…」 (それはそれとして、でも私は猫好き!)

 いじめ問題を対岸の火事として漫然と考えていられなくなった頃(息子がいじめにあう)から、いじめに関する本を何冊か読んだ。どれも読むと怒りと悲しみでしばらく辛くなるような内容ばかりであった。『いじめの深層を科学する』(清水賢二著/ミネルヴァ書房)で、清水氏は「獣心」という言葉でいじめを行う心を表現していた。性善説、性悪説、善悪未分説の論争は不毛で、「人間の基本は生物であり獣であることを覚悟しよう」と言う。前述の猫の話を思い出した。

 清水氏は、いじめを「表層、中層、深層」の三段階に分けて説明している。量は多いが質はさほど問題ではない表層、量は少ないが質の悪い深層、その中間に挟まれた中層、息子の場合は表層にあたるのだろう、幸い今のところ深刻化せずに済んでいるが、いろいろ大変だった。親に話してくれる子なので、私も現状を把握していて様子を見守っていた。いざとなった時はもちろん自分の子を守ることに躊躇はない。時系列で話の内容のメモは取ってある。感情を書くのではなく、事実関係だけのメモ、これが役立つ日が来ない方がよいと思う。子供達には常に「辛い思いをしてまで学校に行かなくていいんだよ」と言ってある。「逃げる」ことを躊躇させてはならない。昨年朝食を食べながら涙ぐんで「学校に行くのに何の意味があるんだろう」とポツンとつぶやいたので、「休む?」と訊くと首を横に振り、重い足取りながらも出かけて行った後姿を不安な気持ちで見送った日のことをよく覚えている。無事に帰って来た時は本当にほっとした。私はできる限り子供達の「ただいま」の声を意識して聞くように心がけている。その一声にその日の学校での出来事が表れることが多いからだ。元気な声の場合は良いが、沈んだ声の時は、タイミングを見て「どうかした?」と訊くようにしている。他愛もない理由の時もあれば、ちょっと心配な事案もある。話してくれるうちはいいが、話さない日が来た時の方が深刻なので、言葉に出ない表情などには気を付けている。親に言えない子は必死に隠そうとするとのこと、気付けない親を責められるものではない。

 子供が就学して以来、様々な件で先生方と話をしてきた中、「期待し過ぎない」ということを学んだ。別に責めるつもりではなく、先生方の対応には限界があるからだ。うちの子は私にも話をするが、先生にも結構話をしているらしい。「聞いてくれるだけでいいです」と、それで自分の気持ちが落ち着くとのこと。先生方はうちの子の言い分だけを鵜呑みにもできないので「実際に見ていないから何とも言えない」と言われることが多いらしい。確かにそうなのだろう。私も実際に見ておらず、100%事実だとは言えない。しかし、親として受け止めてやることが先ず第一だと思っている。そうでなければいずれ口を閉ざしてしまうだろう。

 『教室の悪魔』(山脇由貴子著/ポプラ社)という本の中で、子供のいじめについて、いじめがあったかどうかにこだわる学校側に対し、いじめられた子のお父さんはこう言い切ったという。

 「いじめは、被害にあった者にしかわかりません。被害者であるうちの子が、いじめがあったと言っているんだから、確実にあったんです」

 (その2に続く)


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民進党と合流って?しがらみありありなのに…(笑)

2017年09月27日 | 政治

 今朝の希望の党の会見見ました。冒頭小池氏が登壇する前に流された希望の党の公式動画、これ見た途端「うわっ、あざといっ!」としか思えませんでした。まさに「小池ありき」だけの政党。そしておもむろに小池氏登場、壇上にある見慣れた面々に新鮮味はなく、松原仁氏のドヤ顔も“あ~あ”という感じ。演説もなんだかな…。「しがらみのない政治」を謳っていますが、連合が民進党から希望の党支持に回るかもなんて言われていて、しがらみないもないもんだと思います。むしろ基盤が弱いだけにしがらみを利用しないでどうやって選挙するつもり?都議選とは訳が違います。スローガンは立派でも、まだ具体的な中身は見えてこないのに先行投資して大丈夫だと思うんでしょうかね。

 しかも、都政をグジャグジャにしたまま都知事を辞めて国政に出るとしたら、批判は免れません。それでも一世一代の賭けに出る可能性もあります。多分小池氏にとって今のチャンスをものにしなければ、次はないからです。7月に当選したばかりの都議の中にも衆院選に出たい人がいるらしいですが、風に乗っただけなのに何か勘違いしちゃったのかもしれません。東京都民はどう見るのでしょうね。最近は都知事としての公務もキャンセルが増えているそうで、一つのことをきちんとできない人に国事を任せていいのかしら。

 先に民進党と小沢氏の自由党がくっつくらしいとの話があって、“あらあら、沈む船同士なのに”と笑っちゃったのですが、むしろ一緒の方がわかりやすくていいかもなんて思っていたら、何と「民進党と希望の党、合流へ向けて調整」の報道には“何が悲しくて…、というか節操なさ過ぎ!”と呆れてしまいました。小池氏、「しがらみ」呼び込んでどうするの?ということは自由党ももれなく付いてくるんでしょうか。じゃあ第二の民主党(民進党じゃなく)ってこと?前原氏も節操ないけど、小池氏も然り。まぁ党としての合流ではなく、個人がということのようですが、じゃあこれまでに民進党離党して希望の党に入った元民進党の皆様はどう思われるのでしょう。何だか結党と同時に早や揉めそうですね。名前が変わってトップが変わっただけで、中身は一緒、いつもの通りですね。

 でも、これでわかり易くなったかも。正直、希望の党ちょっと手強い相手になるかもと心配していたんですよね。小池氏の顔がまだ利いていて期待値も高いようですし。う~ん、ちょっとわからなくなって来ました。今後の組み合わせによっては自爆してくれる可能性も出てきました。自ら離党した人を受け入れているうちはまだしも、民進党と合流ってねぇ…。そうなると、野党で統一候補を出すことにやる気満々だった共産党の立場はどうなるのでしょう。まさか共産党とも組むとなれば、…あら素敵かも。希望の党がどんどん薄汚れていきます。

 それにしても前原氏、この前党首になったばかりなのに、勝ち馬に乗る為には「党首は小池さんでいいですよ」って、早くも崩れそうな民進党を統べることに疲れちゃったんでしょうか。だったら民進党的には枝野氏の方が良かったのかしら。まぁどうでもいいのですが。何しろ目的が「安倍自民党を政権から引きずりおろす事」だけの集まりなんですから。ねぇそれって政治なの?政治家のお仕事?

 そう考えてみると、問題は多々あり、手放しで支持できなくても、いざとなった時の自民党はちゃんとまとまりますよね、あれだけいろんな思想の人がいるのに。

 さて、今後の小池氏の希望の党、どっちへ行くのでしょうか、雰囲気だけで投票する人が多いので何とも言えませんが、そこは選挙、結果を受け入れるしかないです。でもあの暗~い民主党政権の二の舞は嫌ですね。しかも国際情勢が難しいこの時期に。マスコミはどう動くのでしょう。マスコミ対策上手いですしね、小池氏。露出の仕方があざとい、露骨過ぎるのは嫌いです。


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米山知事、ローカルニュース

2017年09月26日 | 政治

 私は夕方の所謂ローカルニュースをほとんど見ない。我が家は台所にテレビを置かない主義なので、夕方の忙しい時間見る暇がないのと、見てもつまらないからなのだが、今日はたまたま時間ができたので、部屋に戻ってテレビをつけた途端、安倍首相の解散への街の声を流していた。それもほとんど印象としての批判の声ばかり、あるおばさんは結構長いこと批判し「辞めることを考えて欲しい」と締めくくっていた。若者の声もほとんど反対の声。反対の声があるのは当然だが、“いくら何でもここまで偏ってはいないよなぁ、そんな声ばっかり編集したの?”と思い始めた頃、一人の男性が北朝鮮情勢を述べた上で、「安倍さんを支持するわけじゃないけど、じゃあ他にいない」というような発言をしていた。でもそれだけ、アリバイ作りみたいで笑ってしまった。その後米山知事からの批判インタビューに移ったので、チャンネルを替えたが、いやぁ新潟県民大丈夫?北朝鮮に何かあれば一番影響を受けるかもしれない地理的位置にありながら、件の男性以外誰も北朝鮮問題に触れず、「そんなことより森友・加計の疑惑を晴らせ」という声ばかり、本当にそうなの?だったら安倍首相の言われるように、テレビの報道を鵜呑みにするんじゃなくて、国会の全答弁を聞けばいい。「疑惑が晴れていない」という人に限って、恐らく説明したとしても、直接聞くのではなく、テレビや新聞のバイヤスのかかった意見を鵜呑みにする。何だか豊洲の「安全だけれど安心できない」に似ている。つまり「問題はないけれども疑惑は晴れない」ということ。晴らさせたくないんだよね。もうグダグダなのに、まだ国会で無駄な時間を使いたいわけね。税金の無駄遣いなんだけど、反安倍の為にはそれもありってね。いやぁローカルニュースもここまでひどいとは思わなかった。さすが森ゆう子氏が当選する県だけのことはある。

 で、米山新潟県知事、私は森氏もどうかと思いつつも、比較の問題で森氏に投票したのだが、米山氏が当選し本当にがっかりした。(森氏の評判があまり良くなかった…) 正直、米山氏は生理的に受け付けないタイプなのだが、そういう個人的好悪は別にしても、当選してからの米山氏はパフォーマンスがひどい。ツィッターで橋下徹氏とバトルしてみたり、最近では石平氏への差別的発言で物議を醸し出し、結構批判されているのだが、ご本人は注目が集まればよしとするのか、あまり気にする様子はない。

 米山氏は医師でもあり、弁護士でもあり、学歴も素晴らしいのだが、実践で揉まれた経験がないのではないだろうか。そして医師としても、弁護士としても中途半端なまま、肥大化したプライドを政治家となることで満足させようとしているのかもしれない。誰かさんと同じで「頭の良いバ○」という印象を持ってしまう。あれだけの学歴があっても実績となるとあまり出て来ない。学歴を重ねることで自分を肯定してきた結果、自己評価が高くなった分、独善的になっちゃったのかも。県知事としてちゃんと実績残せるの?

 「橋下×羽鳥の番組」が昨夜最終回を迎えてしまい、ちょっと寂しい。まっいろいろあったけど面白かったので毎回見ていた。最終回で米山知事が出演した回のこともちらっと出たが、あの時の橋下氏は本当に怒ってたもんね。私だって見ていて腹立ったし。ある意味において米山氏は「鈍感」なのだと思う。その鈍感さ故に人をイラっとさせるのだが、そこは自信過剰なだけにピンときていない。何だか滑稽でもあるのだが、現職の知事なので、県民としては困ってしまう。地道に地方行政に取り組んでもらいたい。パフォーマンスに興じていられるほど知事職は甘くない。

 安倍首相は解散後の選挙で、消費税増税を争点にしているが、これはかなりまずい。勝てると思って甘く見ていると足元を掬われてしまう。小池新党の希望の党は増税反対の方針なのだ。凍結すべきなのに増税なんて…。財務省の恐ろしさが見えてくる。財布握っているものが強いんだよね。

 私は小池氏が都知事になるのは良いと思ったが、別に小池氏に首相になって欲しいとは思わない。多分器ではない。都知事や大臣ならできるだろうが、一国のトップには無理だと思う。策に溺れるタイプ。順風な時は良いが、それほど人望があるわけではなさそうなので、逆境の時に果たしてどれだけの人が付いていくのだろうか。この人にも独善的な香りがする。

 

 前回の「そこまで言って委員会NP」は今後のテレビのあり方についての討論だったが、まぁネットや専門チャンネルとちゃんと棲み分けしていくしかないのだろう。全く需要がなくなったわけではないので、過去の栄光を捨てて初心に帰るってことかな。ゴールデンタイムに見たい番組がないってねぇ…。
 (番組の中で、テリー伊藤氏にインタビューしていたが、私この人のプロデュースした「風雲たけし城」とかって見たことないんだよね、つまんなかったから。この人も過去の栄光で生きている人?)


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作家…

2017年09月23日 | その他

 ちょっと愚痴になってしまうかも…

 私は京極夏彦作品のファンである。あのくどい程の理屈っぽさが好きで、初めて読んだのは『狂骨の夢』、表紙に魅かれて(あの表紙に魅かれるのもどうかとも思うが…)購入、以来読み続けている。以前どの本かは失念したが、たしか登場人物に朝鮮統治時代について謝罪すべきと言うようなセリフがあり、ちょっとがっかりした記憶がある。京極氏は北海道出身なので、やはりそっちなのかしらと勝手に想像してしまったのだが、今回『虚実妖怪百物語 序』を読んでいたら、やはり登場人物に政府批判を言わせており、「右傾化だ軍国主義だ人権侵害だ」と怒っていて「法改正より話し合いを」ということのようで、何だか田中芳樹氏を思い出し、本を閉じてしまった。

 田中芳樹氏ほどのしつこい政府批判ではないものの、そこは京極氏、入れ込み具合が上手い。上手いが故に巧妙な感じがして嫌なのだ。

 作家というものは、自分で主張しなくても、登場人物の言葉を借りて自分の思想主義を語ることができる。読む側は、それが登場人物の持つキャラクターとして語られている場合にはそれとわかるので、それ程不快には思わないが、書き手の主張を言わせている場合には敏感に感じ取るものなのではないだろうか。つまり物語の流れに必然性があるかないかにもよるのだろう。まっ、多分に自分の主義主張と異なる場合には敏感になる面もあるのだけれど。

 それは「有り」なのだろうが、ちょっと「卑怯」な気もする。ならば、自らの言葉として主張している村上春樹氏の方が、その内容はともかく清々しいというものだ。百田尚樹氏も然り、彼も自分の口で発言する作家の一人で、むしろ作品に色は出していない気がする。『カエルの楽園』は風刺として堂々と書いておられるので、読み手もわかって読む。

 ちなみに息子にも何も前置きせず『カエルの楽園』を読ませたら、一気に読んで感想を聞かせてくれた。楽園と思われたナパージュが日本の姿だとは感じ取ったようで、腹を立てていた。でも、一方で寓話で済むのだろうかと不安もよぎる。まだまだ日本は楽観視しているというか、話し合いに対する幻想がある。同じく百田氏は著書『戦争と平和』で、日本人は「言霊信仰」を持っており、悪いことを考えると現実になってしまうとして、万が一や最悪の事態を考えることを避けてしまうと語る。だから十分な覚悟と備えができない面を持つという。何だかわかる気がする。日本のゼロ戦とアメリカのグラマン(主力戦闘機)との比較からも説得力がある百田氏の考えは非常に興味深く、あっと言う間に読んでしまった。

 所謂「右」と言われる人の主張は理論的で、「左」の人の主張は理想、感情に走る嫌いがあるように思う。そして、理論が感情に勝てるとは限らず、左右共に感情論になると収集がつかない。

 多分これからも京極作品を読むつもりだが、田中氏のように主張に走ったら本を手に取ることはなくなるのかもしれない。

 

 ちょっと世間の話を…

 「今更」なのだが、山尾志桜里議員の不倫報道、余りのブーメランぶりにビックリしたのだが、私の感想は当初「イケメン弁護士」として出た相手の顔を見た時に“えっ、イケメン???…”というどうでもいいもの。議員の不倫には関心のない私なので、まっ、山尾氏がプライベートで何をしようと支持者でもないし関係ないのだけれど、あれだけ人のことを批判し、「説明責任を」連呼した当事者が自分のこととなるとはぐらかし、尚且つ、あれだけ不倫批判をした人々(コメンテーターなる人々)が山尾氏のことは擁護している姿を見るとげんなりする。恥ずかしくないかしら、恥ずかしいと思わないから言えるんだろうけど。

 衆議院解散も間近。野党側の抵抗も必死のようで、さて、どうなるのか。北朝鮮の問題より森友、加計問題の方が重要だとしたい野党とマスコミ側にしてみれば、解散はとんでもない暴挙なのだろうが、森友、加計問題は国民の安全を脅かさない。もううんざり。


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橋下さ~ん、それって?

2017年09月05日 | 政治

  『橋下×羽鳥の番組』、北朝鮮についての話題。橋下氏は、どれだけの危険があって、日本はどこまで防衛できるのか国民に開示すべきと主張、何だかもっともらしいのだけれど、“えっ、日本の防衛力を晒せってこと?バカじゃないの?” 確かに起こり得る危険性、有事の際の対応についての情報はまだまだ少ないとは思うけれども、どこまで防衛できるかって、いくら情報開示と言っても、言える事と言えない事ってあると思う。「一人の国民の命も落とさせない」と言っても、「ここまで被害は出るかもしれない。覚悟を」と言っても、どちらも完璧な予測はできない。どのような結果になっても批判されるのは必至。大体こうした事態になっても、北朝鮮を非難するより「安倍批判」を繰り返す輩が後を絶たない中、発言は慎重にならざるを得ない。

 また、国民の声として、北朝鮮の軍事力がどれだけで、どの位の兵器を持っているのか知りたいと言うけれども、そんなこと全てがわかるわけではないし、またわかっていたとしても公に言えるのかということ。なんでそんなに知りたいのか、評論家やコメンテーターが無責任に言える範囲以上に詳しいことを知ってどうできるのだろうか。それよりも危険があるかもしれないことを覚悟して、対応を頭に入れておくこと、むやみに批判して、防衛の足を引っ張ることをしないということ。プロに任せるしかない分野なのだ。

 最後に、橋下氏はこのチキンレースでの北朝鮮の勝ちを認めて、その上で対応していくしかないと言う。もう核保有国として認めて、あとはどうコントロールするかという問題だろうとの意見。「持ったもん勝ち」を認めろというのはどうなのだろう。北朝鮮を陰で支えてきた日本の一部勢力の人々はどう思っているのだろう。日本を守ろうと努力している方々に足枷をはめるようなことをしてきた左側の人々は自分達だけは安全だと思っているのだろうか。

 どれだけ力を尽くしても防ぎようのないことはある。人のすることには限界があって、100%はあり得ない。「100%大丈夫です」などという言葉に意味はない。私は心配はしても、むやみに不安に思うことなく、今日も日常を生きていく。

 


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ルール違反再び

2017年07月20日 | 政治

 民進党の蓮舫代表がとうとう戸籍を一部公開しましたが、「今更」感は否めません。二重国籍に関して二転三転する発言、疑惑への説明はせず、「多様性」だの「差別」だのと論点をすり替え、マスコミの擁護もあり、今までその地位に居続け、相変わらずの政権批判に明け暮れた挙句に都議選では自民党と共に大敗。そのタイミングでの公開の意図はわかりませんが、自身にとっても民進党にとっても良い策とは思えません。追い詰められたのかしら。

 以前、フジデモに関して「ルール違反」(2011年9月7日)という記事を書きました。ルール違反を指摘すると、何故か「差別だ」などと批判されておかしいでしょという内容です。蓮舫代表の二重国籍問題もルール違反です。「多様性を認めない」ですとか、「差別を増長する」という問題ではありません。一般の人に国籍を公開せよと求めたりはしません。蓮舫代表は国会議員なのです。国会議員になる為には選挙に出馬しなければなりません。その出馬時に問題あり(「台湾から帰化」は虚偽)でしょ、公職選挙法違反じゃないの?つまり議員たる資格があるのかという問題なのだと思います。

 公開された戸籍によれば、日本国籍の選択宣言日が平成28年10月7日、つまり昨年秋、この方いつから国会議員でしたっけ。二重国籍のまま選挙に出て国会議員となり、党代表となり、その間知らん顔をしていたわけです。疑惑が出てきてからの二転三転の説明は何だったのでしょう。自民党批判時に、常に口にしている「説明責任」はご自分は免除されているとでも言うのでしょうか。そして、あつかましいことに、「差別」の言葉を持ち出し、自分がルール違反をしたのに、ルールを変えよと国籍法の改正を言い出す始末。たとえ万が一法律が時代に合わなくなっていたとしても、現行の法律をないがしろにしていいものではありません。しかも国会議員たる者が。大体、時代に合わなくなって変えるべきなのは憲法もそうでしょう。九条は死守なのにね。

 さて民進党、崩れかけているとはいえ、このまま蓮舫代表のままでいくのでしょうか。かと言って、青息吐息の民進党を背負って立つ人なんているの?蓮舫代表は今の民進党の顔にある意味ふさわしいのかも。

 

 そして、加計問題で表に出て来た前川前事務次官、この人寺脇研氏と共に「ゆとり教育」推進派だったとのこと。この問題が取り沙汰されてから寺脇氏の顔をテレビでよく見ますが、正直「大っ嫌い」なんですよね。「どの面下げて」という思いで見ているのですが、はぁ~「お仲間」だったのかと妙に納得。「類は友を呼ぶ」とはよく言ったもので、「そっかぁそっちかぁ、道理で…」という感じ。自らの思想で「教育行政を捻じ曲げてきた」のはご自身だったようです。元々そちら(左)の思想だった上に、天下り問題で辞めさせられたことへの私怨もあり、もう安倍首相への恨みは相当でしょう。マスコミの「自分達の思想に都合の悪い報道はしない」姿勢に守られて、如何にも正当性があるように取り上げられていますが、国会答弁の中、報道でカットされている部分にこそ真実があり、そこを安倍首相が今度はうまく答弁できれば良いのですが…。

 最近石破茂氏をよくテレビで見ますが、この人もう一つ二つ信用できない面があり、マスコミが持ち上げるので、ますます「?」と思ったりします。安倍首相は脇が甘いという面もあり、ワンマンになり切れない調整型の人でもあるようですので、詰めで失敗しそうな心配はあるのですが、じゃあ石破氏や岸田氏が首相というのは考えられません。岸田氏は器じゃないでしょ。とにかく内閣改造で失敗しないよう、それを願うばかりです。

 

 最後に愚痴を一つ。

 「チャンネル替えても、どこもかしこも松居一代」の状態がいつまで続くの?ほっとけばいいじゃない。もううんざり。余程話題がないんだわぁ、コメントする人もいい加減どう扱っていいのかわからない様子なのに、ワイドショー制作側はいつまで引っ張るわけ?松居さんは自分を支援してくれる人を「家族」と言っているようなんですけど、これって韓流スターがよくファンを家族と言っていたのと同じみたいで、さすが以前「買い物は韓国でする」と言っていた彼女らしいです。

 もうね、松居一代さんや上西小百合議員(ツィッターで炎上されても何のその)のような方は構ったりせずにそっとしておくのがよいかと。

 


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生き様の美醜

2017年07月08日 | その他

 完璧な人間などいないし、自分も失敗の繰り返し、人の批判ができる程立派な人間ではないのだけれど…。

 それでも「なんだかなぁ…」と思うこの頃、何がというと「生き様」が醜いと感じることが最近多くて。

 先日、奄美空港において車椅子での搭乗を断られ、自力でタラップを上った男性の報道があり(木島英登氏)、初めこの報道を見た時にはバニラエアの対応の悪さ、不親切さに腹立ちを覚えたが、その後情報を見て少し考えが変わった。バニラエアでは車椅子の方には「5日前までの連絡を」とのことで、連絡が為されれば何らかの対応をした可能性(搭乗を断られる可能性も有り)があるにも関わらず、敢えて事前連絡をせずに搭乗に臨んだとのことのよう。そうなってくると、ちょっと「?」と思えてくる。バニラエアでは奄美空港に昇降機などの導入が決まっていた矢先の出来事、ここまで叩かれるとは思っていなかったであろう。

 この木島氏、今回ではなく15年前に「予約の際に車椅子であることは伝えず、伝える必要もない。仮に搭乗できなくてもと覚悟した上で人権問題として裁判も辞さないという毅然とした態度をとる」というような主旨の発言をしているとのこと、う~~ん、バリアフリーを進める上である程度強く出ることや、パフォーマンスは必要なことなのかもしれないが、こういうやり方にはどうも違和感を覚える。「権利を勝ち取る為なら、ルールは無視しても構わない」というような姿勢はどうなんだろうかと…。弱者の強みを利用していることはどうなんだろうかと。

 旅行をするのであれば、そうしたサービスがあるところを選ぶということもできたであろうし、事前に連絡をし、何とか搭乗できるように手配してもらえたかもしれない。でも敢えて強行突破しようと、できなければ、できなかった会社側に批判が集まるようにするというやり方は、効果的なのかもしれないが(こういう言い方をすると嫌がる人もいるだろうが)美しくない。ちょっと卑怯に思える。

 

 自民党の歴史的敗退で終わった都議選、都民ファーストの圧勝だったが、正直、都政にはあまり興味がない。オリンピックを東京に誘致しなければ良かったのにと、まだまだ復興途中の東北の現状を思うし、グダグダしたままの築地移転問題も解決策がいまだ見えて来ないし、元○○党だの、新人だのを小池都知事がどこまでまとめ上げられるのか、都民ファーストの会が今後国政に出てくるのかなど、まぁお手並み拝見というところ。

 自民党の敗因は、先ず自民党東京都連のお粗末さ、ドンなる存在が明るみに出て、それまで内々に隠されていた暗部が曝け出されたこと、そして、連日のマスコミによる自民叩き。まぁ森友から始まって加計問題、女性議員の秘書への暴言、稲田大臣の失言など、次から次へと叩くネタがあり、しつこく報道されていたので、支持率が下がるのも仕方がなく、自民党側にも問題はある。マスコミからの「安倍降ろし」の風は今後も吹き続けるだろう。政策批判ではないところの、スキャンダル的批判は効果的だが、これも醜い。報道は切り取り自由だからね、誰かきちんとマスコミ対策ができる人物がいないのかな、自民も人材不足?

 

 そして、女優の松居一代さん、自身のブログやyou-tubeで、夫である船越英一郎氏への恨みつらみを吐露している。事実がどうであるかはもちろんわからないが、そのような言動を取る気持ちが理解できない。内々の話を公にして、ご自分の正当性を主張したいのだろうが、一方的なやり方過ぎる。そして、正直恐い。「悪女の深情け」「道成寺」などの言葉が浮かぶ。こんな方法では夫の気持ちは離れていくばかりであろうし、自分自身も苦しいと思うのだが、「許せない」気持ちが強過ぎて恐らく誰の言葉も耳に入らないのではないだろうか。

 俳優の西田敏行さんが謂れのない「薬物疑惑」をネット上で流布され、被害届を提出、捜査の結果3人の男女が業務妨害で逮捕された。注目の集まる記事を掲載することで広告料を得ようとしたとのことで、容疑を認めたそうだが、このような根も葉もない噂もあっと言う間に広まる恐さがネット上にあるのは周知の事実。その報道の際に、ネット中傷が多く見られることに対し、AC(日本広告機構)が桃太郎の話を元に作成したCMが紹介された。内容は、川で洗濯中に桃が流れてきたので、おばあさんがその桃を拾いあげた途端、「窃盗じゃねw」と書き込まれ、それを機に一気に批判的なコメントが流れ出し炎上する。おばあさんは涙を流して固まってしまい、おじいさんが駆け寄って慰めの声を掛けるというもの、ネット上の発言への注意を呼びかけたものだが、そのCMに対する街の声(主に若者に訊いていた)としては、「悪意がなくても人を傷つけてしまうことがある」「自分も書き込みをされたことがある」などのコメントの中、一人の男性が「ACは言論の自由を奪おうとしてる」というようなコメントをしていて、その感覚にビックリした。よく言われる「言論の自由」だが、「自由には責任が伴う」という感覚が欠落している。自由だから何を言ってもよいというものではないだろう。その辺の感性の鈍さがどんどん増えているようで恐い。

 他に、何だか身近にも生き様が美しくないと感じることが多い。「美しい日本」を安倍首相が謳った時の批判はすごかった。「美しい」ということを否定的に捉える人がいる。「美しい」は理想だが、実際に世の中醜いことだらけ、理不尽なことも多い。だからこそ美しくありたいと願う心があるのではないのか。自分の中の醜い部分を受け入れつつも、それでも尚美しく(真っ当にというか)、せめて醜くなく生きたいと思う心が大事なのではないのかなと、反省も込めて思う。「生き様」は自分で選ぶものなのだ。


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反体制がよくわからない

2017年06月17日 | その他

 Eテレの『SWITCHインタビュー 達×達』で、古坂大魔王×田原聡一朗を見ていた。

 その中で「反体制」という言葉が出て来た。私はこの反体制という言葉がよくわからない。この言葉が「ありき」で語られることに違和感をいつも覚えていた。何か決められた元があったら、その後に考えることはその言葉に縛られてしまう。自分の意見として「これはありかな」と思うことがあっても、それが「体制側」よりのことだったら表向きは否定しなければならないのか。おかしくないのか?確かに、表に出ている人はいろんなしがらみを抱えているので、自由な発言はしにくい。でも「反体制」で「なければならない」というのはどうなのだろうか。特に芸能人関係者に左よりの思想の人が多いように思えるが、そういう空気があるのかもしれない。立場を考えるとわからなくもないが、しがらみがあるなら「沈黙」という手もあるだろう。私もそう、いろんなしがらみがあるので、表立って政治的な発言はしない。「逃げ」かもしれないが、自分の意見と違うことにおもねるのも嫌なので、余程信頼のおける間柄以外での政治談義はしない。でも、自分に思想的偏りがあるのは承知しながらも、やはり「是々非々」で考えようとは思う。

 「反体制な俺ってカッコイイ」というのが、一番カッコ悪いと思う。思考停止に繋がる気がする。「反共」の私が言うのもなんだが、それでも、一つ一つの事案に柔軟でありたいとは思う。


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国民の総意って?

2017年05月28日 | 政治

 先週の『朝まで生テレビ』、天皇ご譲位についての特例法が閣議決定されたことを受けての議論。今上陛下のお言葉にあったお思いに沿っていないではないかという田原氏他の批判があったが、毎日新聞に掲載されたという天皇陛下のお気持ちの真偽も確かめようもないまま、所謂「忖度」でまるで直接お聞きしてきたかのように、特例法批判をされることに違和感を覚える。皇室典範を変えて恒久法にと仰るのであれば、これは政治に関わるご発言となってしまう。

 議論の中で一番気になったのは、伊藤真氏(バリバリの護憲派)、荻谷麻衣子氏(最近よくコメンテーターとしてワイドショーに出ている弁護士、ちょっと苦手)の主張するところの「国民の総意」という言葉、彼らは簡単に「国民の総意に反する」と口にして、自分の主張の正当性を述べようとしているが、“えっ、じゃあ「国民の総意」って何をもって「総意」と言えるの?その根拠は?アンケートの結果?でも、それだって「総意」って言っちゃっていいんだ?”と、私自身も勝手に「総意」の中に入れられているような不快感を覚える。自分の意見に沿う意見は「国民の総意」を持ち出し、反対したい意見には「少数意見を無視してよいのか」という(まるで朝日以下…)のは、よくあるパターン。女性宮家創設、女系天皇擁立、これが「総意」かと言われると誰もきちんとした根拠は述べられないと思う。このままでは皇室がなくなってしまうという危機感と、それしか解決策がないかのような議論を混ぜてはいけない。

 すると、必ず持ち出されるのが田原氏が声高に主張する「男尊女卑だっ!」という言葉、これで相手の口を封じようとするが、果たして天皇が「男系」で繋がれてきたことと「男尊女卑」って一緒なんでしょうか。実際に女性天皇もいらっしゃったので、女性を排除してきたわけではなく「女系」を入れて来なかったということ。何でも「男女平等」「男尊女卑」だのって言えばいいってものではない。

 この議論中、ケント・ギルバート氏が意見を求められ、象徴として被災地訪問等にお出かけになるご行為に関しては素晴らしいが、「天皇の公務が利用されている。空いているところに何か入れようとしているように思う」と言うと、即座に田原氏は「わからんっ」と否定、私でも宮内庁はもっと考えていいのではないかと思うスケジュール、いくら今上陛下が受けられたのだからとはいえ、そこに至るまでに何か問題(権益)があるのではないかと想像するに難くない。象徴天皇という今まで前例のないお立場を真摯に受け止められて行動に移して来られた陛下であることは素晴らしいと思われるが、あまりにタイトなご公務に成り過ぎているのではとも思う。そこはスルーなんだ、田原氏は。

 民主主義国家として国民的議論は大切だと思うが、簡単に「国民の総意」という言葉を利用して欲しくはないし、「国民の総意」という曖昧、且つ流動的なものによって変えてよいものなのかどうか…、元の話に戻るが、一体全体「国民の総意」ってどうやって判断するの?と思う。

 『朝生』、相変わらず血圧の上がりそうな主張の連続なのだが、ついつい見てしまう。今回は佐高信氏も出演、田原氏に向かって左側に座る方々とは相容れようもないのを再確認。


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