goo blog サービス終了のお知らせ 

一燈照隅

日本が好きな日本人です

「韓国の恩人」と言われた枡富安左衛門

2005年08月04日 | Weblog
「韓国の恩人」と言われた枡富安左衛門

「韓国を併合する以前から、多くの日本人が朝鮮でさまざまな事業を展開していました。 26才の青年枡富は家業の醸造業をやめ、農場経営をしようと志したのでした。彼は土地を買い集め、大規模農場経営をすることで利益を上げることに成功しました。
中略
さらに彼は吾山里という所に施設の寺子屋のような私塾を建てました。 当時、韓国では学齢人口の5%ほどの子供しか教育機関に通えませんでした。学校数が不足していたからです。枡富は韓国が独立するには、人々の心をまず自立させる教育をしなければならないと考えたのでした。
枡富は自分の活動を助けてくれる協力者・後継者を育成しなければならないと考え、韓国青年3人を神戸の神学校に留学させました。3人は帰国後、枡富を助け教育を充実させました。
初めは日本人がつくった塾ということで子供達も集まらなかったのですが、教科書などの学用品や授業料を無料にしたことで、枡富が自分の利益を度外視していることを理解され、多くの子供が通うようになりました。
塾はやがて正式な学校となり中学校を併設するまでになります。これらの資金がすべて農場の売り上げでした
この学校はのちに韓国独立運動の一拠点となります。」
(「教科書が教えない歴史」より抜粋)

枡富安左右衛門は昭和9年に亡くなりましたが、平成7年12月15日、韓国で我が国の文化勲章に当たる国民勲章牡丹章が授与されています。
枡富が創立した富安国民学校の校長であった鄭成沢は生徒に「皆さんは、日本人が建てた学校に通っている。韓国民を熱烈に愛した日本人が、その情熱に動かされて建てた学校に通っているのだ。皆さんはそれを誇りに思ってもらいたい。」 と枡富氏のことを語り、枡富氏の顕彰碑を御自分のポケットマネーと枡富氏夫人より送られたお金で建てた。
その事につき、子供の頃から反日教育で育った若い教師などの糾弾、誹謗中傷により鄭成沢氏は教職を去らねばいけなくなりました。
(「日韓共鳴二千年史」名越二荒之助より抜粋)

朝鮮半島でのこういう事は、ごく一部しか伝えられていません。他にも大なり小なりたくさんあります。陸軍中将まで昇進した韓国人、軍隊は国の最重要機密がありますので外人が将校になれることは絶対ありません。 教育の仕方によって、どれだけ違うように育つかこの事はよく表していると思います。




最新の画像もっと見る

1 コメント(10/1 コメント投稿終了予定)

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (入江明)
2021-05-17 22:10:39
ありがとうございます
このような事実が少しでも世の中に伝わるように微力ながらも精進いたします
返信する

コメントを投稿

サービス終了に伴い、10月1日にコメント投稿機能を終了させていただく予定です。