Club野風増   岐阜・本巣100夢プロジェクト!

自転車、登山、テレマークスキー、カヌー・・・そんな情報が満載ですよ!!

国国宮めぐり 紀伊国をゆく!!

2010-08-03 22:10:52 | 旅行
《国国宮めぐり 紀伊国をゆく!!》

 紀伊の国はとても遠い、早朝より高速を走らせて和歌山へ着いた。紀伊といえば紀伊国屋文左衛門、彼がミカンで大もうけした話しはあまりにも有名だ。さすが本場、山の斜面のほとんどがミカン畑というのも圧巻であった。


(山一面のミカン畑)

 西国三十三観音霊場・二番札所「紀三井寺」・・・和歌の浦に面し、国道より短い門前町を抜けると行き成り急な石段が待っていた。その数は231段とか、結構急で、手すりにつかまってよじ登る。ここは西国三十三霊場の一つ、納経帖を買い求め、御朱印をいただいた。


 紀伊国一ノ宮「日前國懸神宮(ひのくま・くにかかず)」・・・迷いながら和歌山市内を抜け、神社にたどり着く。今夜、境内で薪能が披露されるようで多くの人でごった返していた。紀伊国一ノ宮の御朱印をいただく。

 紀伊国府跡・・・紀ノ川を渡り、府中にあるという府守神社へ向かう。ここに紀伊国の国府があったというが、その面影はまるでなかった。国府跡がきちんと残っている国は少なく、近江国の遺跡(国衙跡・瀬田)は貴重な存在である。


(紀伊国分寺跡)

 根来寺・・・根来といえば忍者、伊賀や甲賀と並んで有名。根来衆とよばれる僧兵で、その数は一万とか。種子島へ伝えられた火縄銃を手に入れ、近在の雑賀衆とともに信長や秀吉に抵抗した。結果焼き討ちに・・しかし、江戸時代には紀州徳川家より庇護を受けて復興したという。その多宝塔は一見の価値ありであった。

 紀伊国分寺跡・・・今回の一番の収穫、江戸時代に再建された本堂には何とも言えないオーラが・・・当時の厳しい生活の中で、唯一心が休まる場所であったことは間違いが無い。発掘された塔跡の礎石越しに見る本堂は美しかった。


(真田庵・九度山)

 西国三十三観音霊場・三番札所「粉河寺」・・・昔、自転車のツーリングで訪れたことがあるようだ。その特徴のある建物に見覚えがあった。夕方の5時近くであったため、境内に人影は無く、静かな風景が楽しめた。

 真田庵・・・戦国末期、信州上田城の戦いで徳川に破れ、真田昌幸・幸村父子が島流しにあった場所である。その後、昌幸は九度山で没したが、1614年、14年の歳月を経て「大阪冬の陣、夏の陣」で幸村と真田十勇士??が活躍することとなる。なぜあの緻密な家康が真田父子を生かしておいたのか・・・歴史に詳しくない私には謎である。

 流石は徳川御三家の一つ、紀伊の国は歴史好きには外せない場所である。吉野山や高野山が近いのも一つ、何か不思議なパワーを感じる場所でもあった。