
《峠旅 佐久から上州への峠群をゆく! その3》
上州上野村、それは岐阜からはとても遠く、なじみのない場所であった。知識としては20年前の航空機事故ぐらい、あの時のテレビニュースは鮮明に覚えている。御巣鷹山の事故現場からヘリコプターで吊り上げられる生存者はとても信じがたい光景であった。
乙母の民宿「今井家」に今日の宿を取る。山間のひなびた宿ではあるが、心づくしの料理に自転車旅ならではの感動を味わった。宿のノートにはテレビの旅番組のスタッフが何度も訪れていることが書かれ、壁にはその時の色紙が残されていた。
三日目、今日は仲間と別れてぶどう峠を目指す。昨日のルートを戻り、日航ジャンボ機「慰霊の塔」を訪れる。坂本九に関連したグッズも多く展示されていて20年前の記憶がよみがえる。
ぶどう峠への上りは厳しかった。5月といえども日差しは強く、何度も木陰を見つけては休憩を取る。振り返ると西上州の山々が眼下に見下ろせ、走ってきたルートをなぞってみる。
幾つものカーブをこなし、ようやくぶどう峠へたどり着く。それほど目立つ感じの峠ではなかったが、長年の夢がかなった思いからか、峠の隅にたたずんでしばらく遠望を楽しむ。
北相木村を目指して下りに入る。ダウンヒルは何度経験しても気分の良いものである。やがて正面に残雪の八ヶ岳が現れる。
道が鉄道に出会うところが小海駅であった。小海線のネーミングにもなっている駅ではあるが、近代的過ぎて旅の情緒は感じられなかった。旅行者の勝手ではあるが、旅先の駅に旅情を求めるのはいたし方がない。
小海線沿いの裏道をひた走り、スタート地点の臼田に戻った。
初めて訪れた西上州の町々は期待以上に素敵であった。関東といえば開発が進んで情緒も何もないとうイメージを持っていたが、下仁田や上野村は昭和の良き時代をそのまま残してくれていて嬉しかった。
上州上野村、それは岐阜からはとても遠く、なじみのない場所であった。知識としては20年前の航空機事故ぐらい、あの時のテレビニュースは鮮明に覚えている。御巣鷹山の事故現場からヘリコプターで吊り上げられる生存者はとても信じがたい光景であった。
乙母の民宿「今井家」に今日の宿を取る。山間のひなびた宿ではあるが、心づくしの料理に自転車旅ならではの感動を味わった。宿のノートにはテレビの旅番組のスタッフが何度も訪れていることが書かれ、壁にはその時の色紙が残されていた。
三日目、今日は仲間と別れてぶどう峠を目指す。昨日のルートを戻り、日航ジャンボ機「慰霊の塔」を訪れる。坂本九に関連したグッズも多く展示されていて20年前の記憶がよみがえる。
ぶどう峠への上りは厳しかった。5月といえども日差しは強く、何度も木陰を見つけては休憩を取る。振り返ると西上州の山々が眼下に見下ろせ、走ってきたルートをなぞってみる。
幾つものカーブをこなし、ようやくぶどう峠へたどり着く。それほど目立つ感じの峠ではなかったが、長年の夢がかなった思いからか、峠の隅にたたずんでしばらく遠望を楽しむ。
北相木村を目指して下りに入る。ダウンヒルは何度経験しても気分の良いものである。やがて正面に残雪の八ヶ岳が現れる。
道が鉄道に出会うところが小海駅であった。小海線のネーミングにもなっている駅ではあるが、近代的過ぎて旅の情緒は感じられなかった。旅行者の勝手ではあるが、旅先の駅に旅情を求めるのはいたし方がない。
小海線沿いの裏道をひた走り、スタート地点の臼田に戻った。
初めて訪れた西上州の町々は期待以上に素敵であった。関東といえば開発が進んで情緒も何もないとうイメージを持っていたが、下仁田や上野村は昭和の良き時代をそのまま残してくれていて嬉しかった。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます