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輪旅 山城・大和・河内を行く! その1

2007-08-14 22:37:51 | Weblog
《輪旅 山城・大和・河内を行く! その1》

 旧国名は律令制の時代、全国に60幾つ決められた。今でも美濃だとか、飛騨だとか当たり前に使われているが、その経緯を知る人は少ない。当然、国であるからにはそれぞれに国司(県知事)がおり、国府(県庁)があったということである。

 今回の自転車旅のテーマは、旧街道、旧首都?、天皇陵など歴史を辿る旅でもある。まあ、普通の方なら興味も持たないマイナーな場所を訪れてきたということである。

 天皇陵、それは世界で唯一、万世一系といわれ、125代続く日本国の天皇の陵墓である。よって124の天皇陵が存在し、宮内庁が厳重に管理をしている。

 山背古道、山城といえば今の京都府で山背は古い表現のようである。簡単にいえば当時の奈良と京都(正確には滋賀)を結んだ道である。大和から木津、宇治、山科、近江へとつないでいた。

 城陽駅に降り立ち、山背古道を忠実に走ることにする。駅前に簡単な案内板があるものの、観光案内はまだ閉まっており、ルートマップは入手出来なかった。町中にも案内板らしきものはなく、城陽市では熱心でないように感じた。

 水渡(みと)神社、この地域では結構な格式の神社であるようで、うっそうとした森の横を通り過ぎる。

 古道は南山城の山裾をまさしく縫うように木津方面へと続いていた。いわゆる官道ではないようで、真っ直ぐに整備はされておらず、民家の庭先や梅の畑の中を通っていた。

 道は木津川の氾濫原を避け、山裾の高台を通っているため、展望は申し分がない。生駒山や信貴山が西南方向に眺められた。

 有難いのは道に埋め込まれた山のマーク。それぞれに個人の名前が記入されていて道への愛着を感じさせてくれる。これがルート選択の参考になって大いに助かった。

 上狛よりは木津川にそって東進し、加茂町を目指す。次の目的地は恭仁京跡、奈良時代に聖武天皇が四年間だけ都を置いた場所である。

 今時珍しい木造校舎の恭仁小学校の横に遺跡はあった。それほど広くはないものの、木立に囲まれは原っぱは十分に当時の面影が残っていると感じた。四年後に都は紫香楽宮へと遷都され、その後は山城国分寺として七重の塔が建てられたといい、その立派な礎石が今も残っていた。

 加茂の駅前のコンビニにておにぎりとビール?のランチを済ませ、再び奈良を目指す。

 梅谷口の交差点を右折し、坂を上ると国境食堂というお店があった。ここが山城国と大和国の境であったのであろうか。

 いよいよ大和の天皇陵巡りの始まりである。これより先は超が付くマイナーな話であるため、興味のない方はパスをされたほうがよいでしょう。

 第43代元明(げんめい)天皇陵:女帝、在位は707~715、皇宮は平城京。父は天智天皇。奈保山東陵は小さな丘の南面に位置していた。風土記の編さんや郷里制の実施に努められたとか。

 第44代元正(げんしょう)天皇陵:女帝、在位は715~724、皇宮は平城京。母は元明天皇。奈保山西陵は小さな丘に位置していた。律令制の整備に努められたとか。

 第45代聖武(しょうむ)天皇陵:在位は724~749、皇宮は平城京、恭仁宮、紫香楽宮、難波宮、平城京へと転々とした。父は文武天皇。佐保山南陵は東大寺の近くの丘にある。全国の国分寺の建立や総本山である東大寺・大仏殿を建立された。

 これよりは「歴史の道」なるルートにて大和を巡ることになる。

 第51代平城(へいぜい)天皇陵:在位は806~809、皇宮は平安京。父は桓武天皇。楊梅陵は平城宮のすぐ北にあり、周りは民家となっていた。

 第13代成務(せいむ)天皇陵:在位は?、皇宮は近江国志賀の高穴穂宮?父は景行天皇。陵墓は狭城盾列池後陵という。

 平城京跡。いわずと知れた奈良の都跡である。その広大な敷地にかつての都(首都機能?)があったというものの、今では復元された朱雀門と復元中の大極殿?のみが建っている。

 第11代垂仁(すいにん)天皇陵:在位は?、皇宮は宮纏向珠城宮。父は崇神天皇。陵墓は菅原伏見東陵といい、周りに濠を廻らした立派な前方後円墳であった。

 唐招提寺。お寺の名前は、「唐僧である鑑真和上のための寺」というような意味合いで付けられたとか。金堂や講堂など国宝が多数あるというが、生憎と解体修理中とかで、囲いで覆われていた。井上靖の小説『天平の甍』で広く知られるようになった。

 薬師寺。ついに憧れの東塔(三重の塔)に出会うことが出来た。明治時代に本寺を訪れたアーネスト・フェノロサは、この塔を指して『凍れる音楽』と表現したという。一生に一度は見ていただきたい天平文化の大遺産といえる。

 初日の旅はここで打ち止め。大和郡山駅より関西線に乗り、堺市に住む友人宅へと急いだ。