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Club野風増   岐阜・本巣100夢プロジェクト!

自転車、登山、テレマークスキー、カヌー・・・そんな情報が満載ですよ!!

歴史旅 大和三山ハットトリック!??

2010-08-05 21:17:19 | 旅行
《歴史旅 大和三山ハットトリック!??》

 天の香具山、畝傍山、耳成山・・・大和三山を知らない人は少ないかと。とくに歴史好きにはなじみの山々である。明日香を訪れた時、その三山が先ず目に付く・・・万葉の歌人も同じ景色を見たのであろう。

 現在も発掘調査が進む藤原京跡・・・その位置は、三山に囲まれた中心でもあるようだ。つまり三山を意識して場所が決められたとも思える。そこより自転車を走らせ、三山を目指した。

画像はこちら・・・
http://album.pentax.jp/166909111/albums/448569/

 先ずは畝傍山(199m)へ・・・神武天皇陵、橿原考古学研究所附博物館の前を過ぎ、山の麓にある東大谷日女命神社のところより登り始める。ここは橿原神宮の杜であり、手付かずの自然林が素晴らしい。地元の方が多く登っていた。

 昔、ここは火山だったとか・・・頂上には畝火山口神社の碑がある。木々の間より信貴山、生駒の山々が遠望できた。


(畝傍山からの信貴山・生駒山)

 次の目的地は耳成山(139m)・・・奈良らしい街並みの残る北八木を抜けていく。池のそばの鳥居をくぐって耳成山口神社を目指す。神社の境内は氏子の方により気持ちよいほど清掃されていた。頂上はそこよりすぐであった。ここも昔は火山だったとか・・・


(香具山からの耳成山遠望)

 天の香具山(152m)を目指す。持統天皇の歌はつとに有名・・・
「春過ぎて夏来たるらし白たへの衣干したり天香具山」
奈良文化財研究所の前を過ぎ、天理教のところより頂上を目指す。

 名前が知られている割には人の入った気配は少なく荒れた感じがした。まあ、登るよりは見る山というところか。天香具山神社へも寄ってみる。


(天の香具山頂上)

 大和三山を登る・・・これも旅の醍醐味かと・・・飛鳥や奈良時代の人々もこの頂に立ったのかは知らないが、そこから眺める景色はそれほど変わっていないように思える。三つの頂からみる藤原京の姿に興味が湧いた。

次は青垣山・・・そんな山は存在しないのか!??
「倭は国のまほろば たたなずく 青垣山隠(こも)れる 倭 麗し」


国国宮めぐり 紀伊国をゆく!!

2010-08-03 22:10:52 | 旅行
《国国宮めぐり 紀伊国をゆく!!》

 紀伊の国はとても遠い、早朝より高速を走らせて和歌山へ着いた。紀伊といえば紀伊国屋文左衛門、彼がミカンで大もうけした話しはあまりにも有名だ。さすが本場、山の斜面のほとんどがミカン畑というのも圧巻であった。


(山一面のミカン畑)

 西国三十三観音霊場・二番札所「紀三井寺」・・・和歌の浦に面し、国道より短い門前町を抜けると行き成り急な石段が待っていた。その数は231段とか、結構急で、手すりにつかまってよじ登る。ここは西国三十三霊場の一つ、納経帖を買い求め、御朱印をいただいた。


 紀伊国一ノ宮「日前國懸神宮(ひのくま・くにかかず)」・・・迷いながら和歌山市内を抜け、神社にたどり着く。今夜、境内で薪能が披露されるようで多くの人でごった返していた。紀伊国一ノ宮の御朱印をいただく。

 紀伊国府跡・・・紀ノ川を渡り、府中にあるという府守神社へ向かう。ここに紀伊国の国府があったというが、その面影はまるでなかった。国府跡がきちんと残っている国は少なく、近江国の遺跡(国衙跡・瀬田)は貴重な存在である。


(紀伊国分寺跡)

 根来寺・・・根来といえば忍者、伊賀や甲賀と並んで有名。根来衆とよばれる僧兵で、その数は一万とか。種子島へ伝えられた火縄銃を手に入れ、近在の雑賀衆とともに信長や秀吉に抵抗した。結果焼き討ちに・・しかし、江戸時代には紀州徳川家より庇護を受けて復興したという。その多宝塔は一見の価値ありであった。

 紀伊国分寺跡・・・今回の一番の収穫、江戸時代に再建された本堂には何とも言えないオーラが・・・当時の厳しい生活の中で、唯一心が休まる場所であったことは間違いが無い。発掘された塔跡の礎石越しに見る本堂は美しかった。


(真田庵・九度山)

 西国三十三観音霊場・三番札所「粉河寺」・・・昔、自転車のツーリングで訪れたことがあるようだ。その特徴のある建物に見覚えがあった。夕方の5時近くであったため、境内に人影は無く、静かな風景が楽しめた。

 真田庵・・・戦国末期、信州上田城の戦いで徳川に破れ、真田昌幸・幸村父子が島流しにあった場所である。その後、昌幸は九度山で没したが、1614年、14年の歳月を経て「大阪冬の陣、夏の陣」で幸村と真田十勇士??が活躍することとなる。なぜあの緻密な家康が真田父子を生かしておいたのか・・・歴史に詳しくない私には謎である。

 流石は徳川御三家の一つ、紀伊の国は歴史好きには外せない場所である。吉野山や高野山が近いのも一つ、何か不思議なパワーを感じる場所でもあった。

廃線の旅 紀州・有田鉄道へ!!

2010-07-31 13:43:58 | 旅行
《廃線の旅 紀州・有田鉄道へ!!》

 有田鉄道は、沿線で穫れた木材や蜜柑(有田みかん)などの農産品を、積出港である湯浅
港まで運搬する目的で、1913年2月に設立された。しかし、時代の流れで2003年に廃線となった。

フォトアルバムはこちら・・・
http://album.pentax.jp/166909111/albums/447848/

 先ずはJR紀勢本線藤並駅へ・・・観光案内の女性に状況を尋ねてみるが、廃線跡のことは知らないという。駅舎は跡形も無く、新たに歩道(サイクリングロード?)としてカラー舗装がされていた。

 田殿口駅を目指す・・・踏切があったと思われる場所を過ぎると赤い橋梁が草むらの中に残っていた。リベットの跡が懐かしい。大昔、鉄骨の建物を組み上げる時、赤く熱したリベットを建物の上にいる作業員へ放り投げ、上で受け取ってからリベットを両側から叩いて固定する。そんな風景を昭和40年頃はどこでも見ることができた。

 郊外に出るとミカン畑が広がった。いうまでも無く、有田ミカンの産地だ。有田川の対岸の山も七割がミカン畑となり、壮観であった。

 田殿口駅・・・緩くカーブした先にプラットホームが残っていた。ここよりは真っ直ぐに金谷町へ線路が延びていたようだ。

 小さな川を越える・・・当然、橋の下を覗き込んで見る。やはり昔の橋梁がその下にあった。石で組まれた橋脚も味わいがある。この橋をゴーという音とともに鉄道が走っていたかと思うとなぜか嬉しくなる。


(橋梁)

 下津野駅・・・何とプラットホームが新築に・・・意味があるのだろうか。歴史とか思い出とか、何を見て懐かしく思うものがあるのだろうか。

 御霊駅・・・駅舎らしきものが残っていたが、これも今一、壁に直接書かれた駅名だけが本物だろうか。


(始発?終着?金屋口駅)

 動輪の残されたミニ公園?を過ぎると終着の金屋口駅・・・現在は鉄道公園となり、ジーゼルの気動車が動態保存されているらしい。車両のことは詳しくないが、何両かが保存されていた。そのうちの一つ、レールバスは、私の田舎の樽見鉄道より御輿入れしたという。


(金屋口駅構内)

 金屋町の玄関口、有田鉄道の本社のある金屋口駅はとても風情があった。今にも女子高校生が自転車で駆けつけ、改札口からホームを走って出発しようとしているジーゼルに乗り込む・・・そんなシーンが思い浮かんだ。

 現実・・・かつて賑わいのあった駅前は寂れ、地元のスーパーもシャターを閉めていた。酒屋さん、雑貨屋さん、床屋さん・・・いろんな店が繁盛し、多くの人たちが行きかったのであろう。

 ローカル私鉄の廃線・・・そんなのは全国に五万?とある。廃線になってから訪れても意味が無いかも・・・しかし、何か大切なものをどんどん捨てているようで「何か違うんじゃないのか」とも感じてしまう。

 ノスタルジー・・・そんな言葉も死語となり、消え去っていくのが寂しくもある。

廃線の旅 尾小屋鉄道をたどる!!

2010-07-12 22:18:45 | 旅行
《廃線の旅 尾小屋鉄道をたどる!!》

 北陸地方、唯一の762mm軌道(ナローゲージ)の軽便鉄道として人気を集めていた、石川県小松市の尾小屋鉄道。尾小屋鉱山の鉱山鉄道として開業し、華やかな時代もあったものの、モータリゼーションの波に勝つ事はできず、昭和52年3月19日の営業を最後に、ついにその歴史に幕を閉じた。・・・尾小屋鉄道ホームページより
http://www.geocities.co.jp/Hollywood/5419/

 33年前、小松駅の前より小さな鉄道が白山の麓に向かって走っていた。軽便鉄道・・・それはまるでトロッコのような客車で、のんびりとトコトコと走っていたという。尾小屋鉄道・・・尾小屋鉱山で採掘された銅鉱石を運ぶために敷かれた鉄道で、今は写真でしか知ることができない。

 「新小松駅」駅前にて八百屋のオバちゃんに昔の話しを伺う。地元で勤めていた運転士の方ももういないとか。500mほど南下してから大きく左にカーブし、田園地帯(当時?)を真っ直ぐに東方向へと向かう。

 「西吉竹」「吉竹」の駅付近よりサイクリングロードとなり、徐々に勾配を上げてゆく。「遊園地前」の駅があったと思われる一帯は公園となっていた。ちょっとした峠を越えて「花坂」へ下り立つ。道路の上には当時の軌道跡が明瞭に残っていた。


(大杉谷口橋梁)
 
 道路沿いに「西大野」「大杉谷口」へと進む。この先で軌道跡は左にカーブし、大杉谷口橋梁を渡っていた。さび付いた橋梁の上には朽ち果てた枕木が今も残り、廃線から33年という月日の流れを感じさせてくれる。通りがかった中学生に鉄道のことを聞くと、そんなのが走っていたのは知らないという。当たり前か・・・

 「金野町」当時のままのプラットホームが自然に帰ろうとしていた。前後の軌道跡も残り、しばらく自転車で辿ってみた。

 「金平」「沢」「塩原」「観音下」と田んぼの中に残る軌道跡を探ってみる。いよいよ山間地へ・・・行き止まりが多くなり、国道から迂回して探してみるが藪となっているところが多くなる。


(素掘りの金谷隧道)
 
 夏草が茂る道を強引に入ってみると、忽然と素掘りの隧道が現れた。入り口は石で組まれ、当時の電線の碍子がぶら下がっていた。今にも向うから蒸気機関車が走ってきそうな気が・・・

 「倉谷口」「長原」・・・隧道や橋梁が残っているはずであるが、川の対岸にあり、聞く人もいないために確認ができなかった。

 終点「尾小屋」かつての銅鉱山の跡であり、当時の面影は薄い。尾小屋鉱山資料館があり、かつての坑道跡・マインロードを見学することができる。手前の広場には蒸気機関車と客車が展示されていて、当時の面影を偲ぶことができる。しかし・・・やはり鉄道は走っていてこそ生きていると感じるのだが・・・


(展示の写真より)

 地方には、まだまだ多くのローカル私鉄が残っている。車社会の波に飲まれ、廃線の運命を辿るところも多くあるが、なんとか残ってもらいたいものである。化石燃料の枯渇、排気ガスによる環境汚染・・・何年か先、また鉄道が見直される時がやってくる・・・その時まで頑張ってもらいたい。

フォトアルバムはこちら・・・
http://album.pentax.jp/166909111/albums/444669/


歴史旅 越中・能登・加賀をゆく!!

2010-07-07 09:46:11 | 旅行
《歴史旅 越中・能登・加賀をゆく!!》

 国国宮(くにくにみや)巡り!・・・私の勝手な造語ではあるが、奈良時代頃に制定された国府、国分寺、一ノ宮を訪ねるのがロマンに満ちて面白い。

 国府・・・現代の県庁に当たり、当時は六十幾つかの国があった。今となっては場所の特定もされていない国が多いが・・・今回の旅でいえば、越中国は、高岡市伏木に古府という字名があり、能登国は七尾市内に古府町という場所があった。加賀国は、小松市に古府町があり、国府小学校、国府中学校があったのみ。

 国分寺・・・越中国は、高岡市伏木に国分(こくぶ)という字名がある。能登国は、七尾市郊外にて発掘がされ、南門や礎石が再現されていた。加賀国は不明のようである。

 一ノ宮・・・越中国は、高瀬神社と気多神社の二つがある。能登国は、羽咋市の気多神社。加賀国は、旧鶴来町の白山比(しらやまひめ)神社。

 五箇山トンネルを抜けて城端へ入る。途中の展望台から見る砺波平野の散居村の風景は見飽きない。富山へ来た感じがした。

 城端・・・言葉の響きが好き!・・・前々から行ってみたかった場所。それは期待以上であった。先ずは城端駅へ・・・木造の駅舎は昭和30年代のまま、今も残っているのが不思議なくらいであった。街並みの情報を仕入れ、坂の町を散策した。

 ここは絹糸の生産が今も盛んなようで、板壁の工場から機会の音が聞こえてきた。川沿いの景色も素敵であった。5月には、六台の曳山が・・・9月には「むぎや祭」が開催されるという。


(城端の撚糸?工場)

 越中国一ノ宮・高瀬神社を訪れる。一度衰退した社殿は、地元の篤志家の手で再建されたという。旧の加越能鉄道の線路跡に沿って石動へ向かう。


(砺波平野の散居村)

 埴生口の資料館により、倶利伽羅峠へと向かう。旧北国街道であり、源平合戦の舞台でもある。木曽義仲が仕掛けた火牛の計は有名・・・その場に立って谷の深さを知り、なるほどと思う。


(源平合戦・倶利伽羅峠)

 国道471号にて羽咋市へ向かう。能登ののどかな田舎風景を堪能しながら走る。この時期の水田の緑は見ているだけでも飽きない。


(気多神社)

 能登国一ノ宮・気多神社・・・3ヘクタールもの広さの杜は「入らずの森」と呼ばれ、樹齢百年以上のたぶの木が密生しているという。


(能登国・国分寺)


 七尾市へ向かう。能登国・国分寺・・・真ん中を丸くくり抜いた五重塔の基壇が田んぼの中に残り、それを切っ掛けに発掘がされ、国分寺の全体像が蘇ったという。

その近くに能登国府もあったという。古府町へも寄ってみたら能登国惣社があった。

 津幡方面へ戻る。金沢の町は大き過ぎて通過・・・旧鶴来町へ。


(白山比神社)

 加賀国一ノ宮・白山比(しらやまひめ)神社・・・


フォトアルバムは・・・
http://album.pentax.jp/166909111/albums/437988/

動画は・・・
http://zoome.jp/nosanjin/diary/83/