五嶋龍(ごとうりゅう)という名前のバイオリニストをご存知だろうか。日本では、2003年の年末からJR東日本のイメージキャラクタとしてCMに登場していたバイオリニスト、もしくは五嶋みどりの弟と言えば、もしかしたら「あ、あの?」と言う人もいるかもしれない。
1988年、ニューヨーク生まれの16歳。3歳のときからヴァイオリニストの母にバイオリンを習い始め、7歳のときには札幌のパシフィック・ミュージックフェスティバルに招かれデビューを飾る。数々の賞を受賞し、ソリストとして交響楽団とも公演を重ねている。
そんな彼が、ダラスのDallas Symphonyと共演するというので、コンサートに行ってきた。1曲目はオーケストラだけの演奏で、休憩を挟んで2曲目に登場。日本にいてCMで見たときには少年って感じだったのに、すっかり青年の雰囲気をまとってオトナっぽくなっていた。私は、バイオリンのことはさっぱり分からないが、でもまぁよくそんな難しい曲を、しかも数十名の年季の入ったおじさん・おばさん団員と渡り合って、動じることなく弾きあげた、ということだけで感心してしまった。実際、夫の隣りにいたアメリカ人夫婦も、双眼鏡で彼の顔を見て「まだ子供じゃない!」と言っていたが、自分が16、17のときには考えられないことで、1人のプロ・バイオリニストとして、しかも海外で、成功していることがすごいと思った。演目は、Violin Concerto in D, Op.35 by Pyotr Llich Tchaikovsky、実は題名を見ただけではピンと来なかったが、聞いたことのあった曲だったので楽しめた。
ご興味のある方は以下を覗いてみて下さい。
- 五嶋龍を応援しているサイト:http://www.ryu510.com/
- フジテレビ「連続ドキュメント 五嶋龍のオデッセイ」
http://www.fujitv.co.jp/fujitv/news/pub_2004/04-245.html
1988年、ニューヨーク生まれの16歳。3歳のときからヴァイオリニストの母にバイオリンを習い始め、7歳のときには札幌のパシフィック・ミュージックフェスティバルに招かれデビューを飾る。数々の賞を受賞し、ソリストとして交響楽団とも公演を重ねている。
そんな彼が、ダラスのDallas Symphonyと共演するというので、コンサートに行ってきた。1曲目はオーケストラだけの演奏で、休憩を挟んで2曲目に登場。日本にいてCMで見たときには少年って感じだったのに、すっかり青年の雰囲気をまとってオトナっぽくなっていた。私は、バイオリンのことはさっぱり分からないが、でもまぁよくそんな難しい曲を、しかも数十名の年季の入ったおじさん・おばさん団員と渡り合って、動じることなく弾きあげた、ということだけで感心してしまった。実際、夫の隣りにいたアメリカ人夫婦も、双眼鏡で彼の顔を見て「まだ子供じゃない!」と言っていたが、自分が16、17のときには考えられないことで、1人のプロ・バイオリニストとして、しかも海外で、成功していることがすごいと思った。演目は、Violin Concerto in D, Op.35 by Pyotr Llich Tchaikovsky、実は題名を見ただけではピンと来なかったが、聞いたことのあった曲だったので楽しめた。
ご興味のある方は以下を覗いてみて下さい。
- 五嶋龍を応援しているサイト:http://www.ryu510.com/
- フジテレビ「連続ドキュメント 五嶋龍のオデッセイ」
http://www.fujitv.co.jp/fujitv/news/pub_2004/04-245.html
五嶋龍のオデッセイは好きでよく見ていたんだけれど、ここ2年くらい見落としてる(涙)
日本でもたまにCMに出たりして、大きくなったなぁと思っていたんだけれど、演奏会に行ったことはないんだ。羨ましい。
へー、彼のドキュメンタリー見てたんだ。いいなぁ。まとめて再放送とかしないかしらん?
書き込みありがと!!これからもよろしくねー。
一度、小学校だか、中学校(確か私立)だかに通うようになって、先生が歴史の授業に
「米国から見た第二次大戦に限って進めるので、それをご理解ください」と母親に了解を得るところがあって、結構感動したことがあった。日本人には納得いかないこともあるだろうけれど、理解してほしいということだろうと感じた。
で、母親の節子さんは、龍君を沖縄に連れて行き、様々な大戦中の辛酸をなめた現場に彼を連れて行った。龍君が特別な感想は述べなかったけれど、米国に対して日本人としての辛い立場も彼なりに理解したのではと想像した。
日本の学校で、先生が外人学生に対するこのような配慮があるのだろうか?