ハヤシくんち。

久しぶり~、元気?それとも、初めまして・・・かな?この出会いを大切に、ここで楽しく過ごして頂けると幸いです。

D.C.旅行記⑰: 1月1日PM

2006年03月16日 | 旅行: PHL-D.C.
ランチ後は、Ford's Theatre(フォード劇場)へ。実は別の日に2度ほど足を運んだのだがいずれもクリスマス・キャロルの劇をやっていて、この日やっと中に入ることが出来た。中ではレンジャーが臨場感たっぷりに1865年4月14日の出来事を説明してくれる。舞台の右、写真の丸で囲った部分のバルコニー席は当時のまま(イスは複製)だとか。



その後はNational Museum of Natural History(国立自然史博物館)へ。ここには、恐竜などの化石を始め、地球が誕生してこのかた46億年間に自然界に存在したものをコレクション、展示している。その数は1億2500万点を超えると言われ、実にスミソニアン全体の95%にものぼる。

ここでは、案外、恐竜の化石が楽しかった。むか~し上野の博物館とかに見に行って以来じゃないだろうか。こんなのが地球上には存在していたなんで、ホントに不思議だ。また、鉱物と宝石のコーナーも楽しい。映画「タイタニック」のローズが持っていたもののモデルとなったホープダイヤモンド(45.52カラットのブルーダイヤ)、マリー・アントワネットのしずく型のダイヤのイアリング、ナポレオンがマリー・ルイーズに贈った950個のダイヤの付いたティアラなど、まばゆいばかり。



夜はホテルのレストランで。

D.C.旅行記⑯: 1月1日AM続き

2006年03月15日 | 旅行: PHL-D.C.

ワシントン記念塔の後は、スミソニアン。スミソニアン博物館という名称だと思っていたのだが、スミソニアンとは、Smithsonian Institution(スミソニアン協会)に属するミュージアム(18の博物館・美術館・動物園)とその研究部門を総称するもの。その規模の大きさ(2003年で2400万人が来た)、広さ、所蔵品の多さ(2003年で1億4350万点、展示されているのは全体の2%)、予算の莫大さ(2004年で年間約623億円)、など、どれを取っても比較にならないほどすさまじい。しかもそれを無料で見せてくれるというのだからこれまたスゴイ。

まず行ったのがNational Air and Space Musemu(航空宇宙博物館)。ここの展示物は全て実物で、映画「翼よあれがパリの灯だ」で有名なリンドバーグのSprit of St. Louis(1927年世界初の大西洋単独無着陸横断飛行)から、第二次大戦のゼロ戦、各国の戦闘機などがあり、更には、1969年に月面着陸したアポロ11号の指令船や1972年アポロ17号が持ち帰った月の石(触れる)もあるといった、空を飛ぶもの全てを網羅した場所である。実物が、ここに集結して色んなものと隣り合わせになっているのだから、本当に驚いてしまう。

そして、私が見たかったモノがある航空宇宙博物館の別館、Steven F. Udvar-Hazy Center(スティーブン・F・ウドバー・ハジー・センター)。ここまでは、航空宇宙博物館からシャトルバス(45分)で移動。ここには、ビジネス・民間航空機、戦闘機など、ビックリするくらい広い場所に、まるで模型のように整然と並べられている。



私が見たかったモノとは、日本に原子爆弾を投下したB-29エノラ・ゲイ。第二次世界大戦の航空コーナーに、日本の特攻機の桜花、特殊攻撃機の晴嵐、戦闘機の紫電改などとともに、エノラ・ゲイは過去に担った役割を忘れたかのように穏やかにピカピカした機体を横たえていた。実際に体験したわけではないけれど繰り返し聞かされてきた戦争の話など、どっぷり平和に浸かりきって忘れかけてはいるものの、何とはなしに複雑な気分でウロウロしてしまった。


D.C.旅行記⑮: 1月1日AM

2006年03月14日 | 旅行: PHL-D.C.

新年あけましておめでとう~♪

な雰囲気は全くなく・・・。この日はまずWashington Monument(ワシントン記念塔)に予約していた整理券を持って、登りに行く。



高さ169.3㍍のこの塔は、初代大統領ジョージ・ワシントンの偉業を称えて作られ、ワシントンD.C.で一番高い建物である。(1899年にこれより高い建物を作ってはいけないという条例ができたのだそうだ。)セキュリティを通るとエレベーターが70秒でてっぺんまで連れて行ってくれ、東西南北の窓からはワシントンD.C.を俯瞰することができる。時によってレンジャーが塔について説明してくれるのを聞きながら898段の階段を降りる(約1時間)、ということもできる。この日ちょうどそれをやると言われたのだが、連日の疲れと午後の博物館巡りを考えて、2人もパス。






D.C.旅行記⑭: 12月31日PM

2006年03月13日 | 旅行: PHL-D.C.

Old Post Office(オールドポストオフィス)でランチをした後は、White House(ホワイトハウス)へ。アメリカ合衆国大統領官邸である。9.11のテロ以降、一般への公開はされておらず、遠くから見るだけ。庭のグリーンに映えて白い建物がまぶしいが、ちょっと遠くて物足りない。ホワイトハウスの南の広場には、大統領のクリスマスツリー(右の写真の大きいツリー)と各州からの小さなツリーが飾られていた。夜にはそれらもライトアップされ、Washington Monument(ワシントン記念塔)も見えてキレイだった。



その後は、The Mall(モール)と呼ばれるエリアをひたすら歩いた。ワシントン記念塔(登るのは明日)から、第二次世界大戦記念碑、朝鮮戦争戦没者慰霊碑、ベトナム戦争戦没者慰霊碑などを見て、西のLincoln Memorial(リンカーン記念館)まで2㌔を往復すると、結構な体力と時間を消費した。

リンカーン記念館は、第16代大統領エイブラハム・リンカーンの偉業を称えて建立されたもので、中には5.8メートルにも及ぶリンカーンの像があるのが有名。だが、何とこれも修復中で、周囲に組んである足場の隙間から彼の顔が覗けた程度。しかしその隣りの壁に、彼の有名なゲティスバーグでの演説(1863年11月19日)があって、久々にその台詞を思い出した。

"... government of the people, by the people, for the people..."
(人民の人民による人民のための政治・・・)

 

ベトナム戦争戦没者記念碑の北にはNational Academy of Sciences があり、その前にはアルバート・アインシュタインのブロンズ像がある。等身大程度かと思いきや案外でっかくてビックリしたが、何だか「ほわん」とした感じで可愛らしい。一見の価値あり。

夜は繁華街のDupont Circle(デュポン・サークル)でイタリアン。


D.C.旅行記⑬: 12月31日AM

2006年03月10日 | 旅行: PHL-D.C.

Union Station(ユニオン駅)の地下で朝ご飯を適当に済ませたあと、徒歩にてUnited States Capitol(国会議事堂)へ。見学には整理券が必要で、9時少し前に到着して9時40分の整理券を入手した。

1792年、一般公募から選ばれたのは医師のウィリアム・ソーントンのデザインであった。増改築を重ねほぼ現在の姿までになったのは1860年代。1863年に重さ4077トンの天井ドーム部分が完成し、てっぺんには身長5.5メートルの「自由の女神像」がつけられた。ツアーは、Rotunda(ロタンダ・円形大広間)から始まる。ジョージ・ワシントンと13人の女性(最初に独立したときの13州を象徴)が描かれた天井のフレスコ画、その下に描かれた絵に関する逸話など、おばちゃんの説明が興味深い。ここは国葬にも使われ、最近ではレーガン元大統領、ローザ・パークスさんなどの遺体が安置されたそうだ。

国会議事堂 と 大広間の天井絵(ワシントンと女性13人、見えるかな・・・)

 

また、となりにあるStatuary Hall(彫像ホール)には、アメリカ50州がそれぞれ寄贈した州の著名人の彫像2名分、の一部が飾られている。各州が既に寄贈した彫像は入れ替えを受け付けないというのがルールだったが、アラバマ州は長年のロビー活動により、1体をヘレン・ケラーの彫像に入れ替えることに成功したとか。



議事堂見学の後は、Supreme Court of the United States(合衆国最高裁判所)を外から見学(修復中)、Library of Congress(議会図書館)へ行った。

図書館は、3つの建物から成り、1897年に完成したトーマス・ジェファソン館は、床・天井のモザイク、壁画、ステンドグラスなど、ヨーロッパ寺院のような雰囲気で、とても図書館とは思えない。15世紀に初めて印刷されたグーテンベルグの聖書、1445年ドイツで42冊作られたマインツの大聖書のうち1冊が展示されていたが、500年以上も前に印刷されたものとは思えないほどの鮮明さに驚かされる。また、建物中央にある円形の閲覧室は特別に見学者用の回廊があり、そこからは、閲覧室の中段ほどにある、カテゴリーごとにその分野を象徴する人物のブロンズ像(Artにはベートーベンとミケランジェロ、Poetryにはシェークスピア、Scienceにはニュートンなど)が16体飾られているのを見ることが出来る。

ジェファソン館の大ホール と 閲覧室

 


D.C.旅行記⑫: 12月30日PM

2006年03月08日 | 旅行: PHL-D.C.

午後はまず、National Archives(国立公文書館)へ。ここでの目玉は、Declaration of Independence(独立宣言書)、The Constitution of the United States(合衆国憲法)、Bill of Rights(人権宣言)である。外でも中でも並ぶ羽目になったが、それでも200年以上も前の実物を見る価値はある。



このあとは、第16代大統領エイブラハム・リンカーンが暗殺されたというFord Theatre(フォード劇場)、向いにある宿屋でリンカーンが息を引き取ったというPetersen House(ピーターセンハウス)に行く。フォード劇場のほうは、未だ劇場としての機能も果たしており、この日はちょうどクリスマス・キャロルの劇をやっていたので入れなかったが、ピーターセンハウスのほうは開いていたので、リンカーンが亡くなったその瞬間に使われていた部屋は、当時のものだという枕カバーなどを見てきた。

フォード劇場  と  ピーターセンハウス(真ん中のレンガの建物)


そして、International Spy Museum(国際スパイ博物館)へ。ここではスパイに関する情報、歴史、小道具、訓練など、様々な角度から目にすることのできる博物館である。狭いわりにぎっちり内容が詰まっていて、更に結構な人が入っていて、ビックリ。映画や小説でしか知らなかった世界が垣間見れるのが楽しかった。

晩御飯は、Legal Sea Foodsというところへ。前菜のエビを始めシーフードがプリプリしていて美味しい!ダラスで食べるのとはやっぱり違う・・・。


D.C.旅行記⑪: 12月30日AM

2006年02月11日 | 旅行: PHL-D.C.
今日もAMTRAKで移動。6:25発のKeystone642でハリスバーグからフィラデルフィアまで戻り(2時間)、9:35発の185Regional ServiceでワシントンD.C.(2時間)へ。起床時間が早かったので、どちらの列車の中でもぐっすり。気が付いたらD.C.だった。ホテルは駅近くのPhoenix Park Hotel

ホテルと言えば、今回の旅行は、何かしらハプニングがあった。フィラデルフィアのRadisson Plazaでは火災騒ぎ。直前にシャワーに入っていたらいきなり断水、洗髪が終わってリンスをしようかな、というところだった。夫にフロントに電話を入れてもらうと、ウチの部屋だけではないとのこと。仕方がないので着替えて早く水が出ないかなぁと思っていたら、突然、火災報知器のけたたましい音とともに「即退去」のアナウンス。とりあえず着替えてコートも着て荷物を一通り抱えて出て、同じ階の夫婦の22階なのに・・・、という一言でハッと我に返り、貴重品以外は部屋に残し、皆で階段で1階まで降りたのだった。ホテル中のゲストが外に出され、消防車も10台ほど集まり、大騒ぎだったのだが、結局、1階のレストランでボヤだったのか?30分ほどで部屋に戻れた。



ランカスターのHotel Brunswickでは、チェックインした部屋が、どうやら掃除が終わっていなかったようで、交換してもらった。ハリスバーグのHERSHEY Lodgeは特に問題なし。で、D.C.でのこのホテルはというと、チェックインした部屋に、何と前の人のノートブックPCがベッド脇に置いたまま、部屋の掃除も完璧に終わってはいなかったのだ。うーん、こんなに色々と体験した旅行も珍しいぞ。

D.C.旅行記⑩: 12月29日

2006年02月10日 | 旅行: PHL-D.C.

この日はまたAMTRAK(641Keystone、9:53発)で次の目的地、ハリスバーグへ。昨日ホテル近くのバス停で調べたところ、AMTRAKの駅まで行くバスがちゃんとあったのでそれに乗る。5分で着いたよー。行きの歩きは結構キツかったのに。やっぱり普段歩いていないからなのだろうか・・・。ランカスターからハリスバーグまでは45分くらい。あっという間だ。 ハリスバーグの駅からホテルHERSHEY Lodgeまでは事前予約していた送迎バスで。

ハリスバーグはペンシルバニア州の州都(フィラデルフィアじゃなかったんだ!?)。ここでの目的は、ご存知チョコレートのHersheyのテーマパークHERSHEY PARK(遊園地)、 HERSHEY'S CHOCOLATE WORLD(チョコレートのあれこれが分かるパーク)、ZOOAMERICA(動物園)などがあるリゾート地なのだ。

昼前には着いたのだが、ホテルのフロントで聞いてみると、PARKは5時から(イルミネーションと一部の乗り物)しか開かずPARKまでの送迎バスも4時半からだという。まずはホテルでランチ(といってもあんまりお腹が空いていなかったので、コーヒーショップにあった、ホワイトチョコレートケーキにトライ。あまいっ!)をして、コンシェルジェに相談すると駅から乗った送迎バスを呼んでくれるというのでお願いしてCHOCOLATE WORLDへ行った。

ここは、一歩入ると、早速あま~いにおい。入ってすぐのところにあるCHOCOLATE WORLDという乗り物に乗るとチョコレートの製造工程が分かる仕組み。また、HERSHEYの歴史が分かる3D劇場もなかなか楽しかった。他にも子供向けの参加型イベントがあったりお土産屋があったりフードコートがあったり。



5時になって開いたPARKのほうへ行ってみると、PARK中、クリスマスのイルミネーションがあって、可愛い雰囲気。HERSHEYのキャラクターもウロウロしていて子供たちと写真を撮ったりしていた。寒いしすっかりくたびれていた私たちは乗り物は断念。PARKの雰囲気を楽しんで、バスでホテルに戻り、晩御飯を食べたのであった。



HERSHEYは、1857年生まれのMilton S. Hersheyが創業。病院、教会、学校を建てるなど、従業員、地域を大切にしたと言われる。


D.C.旅行記⑨: 12月28日PM

2006年02月09日 | 旅行: PHL-D.C.

ランカスターはフィラデルフィアの西にある町。ここは「アーミッシュ」と呼ばれる人々がコミュニティを作って生活をしていることで知られている。アーミッシュは、キリスト教の一派で16世紀の宗教改革の際にスイスを中心としたヨーロッパで生まれた。その後宗教戦争などで迫害され、同じ平和主義のウィリアム・ペンの誘いもあってペンシルバニア州のこの地に入植してきたと言われる。アーミッシュのコミュニティは、カナダ、アメリカ22州にあり、オハイオ州のものが最大、ランカスターは2番目。アーミッシュの基本は「従順」「謙虚」「質素」で、電気も電話も引かず、自動車も持たず、昔ながらの農業を基盤として自給自足の生活をしている。

ランカスターのホテルにチェックインした後、インフォメーション・センターへ行く。この町には、アーミッシュの生活様式を紹介してくれる場所やツアーがあるのでその情報をもらいに行く。が、それらは点在しており、基本的に車で行くことになるし、残念ながらこの時期のこの時間帯に都合のよいツアーもなかったので、お姉ちゃんが紹介してくれたIntercourseという場所へ、バスで行くことにした。

バスに揺られること45分くらいだっただろうか。出発してすぐのときはただのアメリカの小さな町だったのだが、途中でアーミッシュの若者(黒い服、髭、帽子など、特徴のある服装なのですぐ分かる)が大量のプレッツエルを抱えて乗り込んできたり(現代文明は拒否しているものの、旅行の手段としてバスや電車には乗っていいみたい)、普通に行き交っている車の合い間を、アーミッシュがゆったり黒い馬車で走っていたりするのを見ると、まるでタイムスリップしたような気分になる。Intercourseは、お土産屋さんやキルト博物館などがあり、また、馬車でアーミッシュの村を回るツアー(私たちが乗ったのはAAA Bugy Rides)などに参加して、アーミッシュの生活様式を垣間見ることが出来た。

アーミッシュのキルト。



アーミッシュの村とツアー用の馬車。



このAAA Bugy Ridesのツアーは、どうやら父娘でやっているようで、私たちが乗ったほうではお姉ちゃんが馬車を引いて色んな話をしてくれた。それによると、お父さんは元アーミッシュで、アーミッシュ以外の女性(メノナイトという、やはり質素な生活をする宗教)と結婚することになり、アーミッシュでいることを止めたそうだ。その娘の彼女はいたって普通に生活をしてきたようで、今は大学で心理学を勉強しているとか。アーミッシュの家族は平均6人くらいの子供がいて、家族を大事にする彼らは子供たちが結婚しても同じ家に住むことが多く、増改築を重ねて家が大きくなるらしい。アーミッシュの女性にとって家の中をこぎれいにしておくことが大事な仕事であるが、飾り立てることは禁止されていて、ベッドルームはレースのカーテンを掛けることだけは許されているらしい。アーミッシュの人口は少しずつながら増えているとか、アーミッシュでいるかどうかはいつでも決められるらしく、若者も町へ出たりはするが、9割はアーミッシュでいることを最終的に選ぶとか、アーミッシュのための学校があって先生は未婚の女性だとか、電話を家の中に引くことは禁止されているが仕事をする場所に引くことは許可されていて、彼女のおばあちゃんのところでは農場にあって、留守電にメッセージを残しておくと折り返しかかってくるとか、主な情報源は新聞で、彼女が帰省したらおばあちゃんが新聞で広告を見てJ.C.PennyだかMacy'sだかに行きたいと言ったので車で連れていったとか(何が欲しかったんだろう!?)・・・、たくさん興味深い話をしてくれたのが楽しかった。あ、あと、小さな子供たちが遠くから手を振ってくれたのも良かったなぁ。

写真は、Intercourseの端っこにある小さなグローサリーストア(W.L. Zimmerman and Sons Grocery & Hardware)。1985年に公開された「刑事ジョン・ブック 目撃者」という映画の中で、ハリソン・フォード扮するジョンが電話をかけるシーンに使われたとか。見たはずだけど昔過ぎて覚えていない・・・。



帰りもバスに乗って、ホテルまで。晩御飯はランカスターのThe Pressroomというレストランで。クラブケーキ(カニ)のハンバーガーを食べたら美味しかった。


D.C.旅行記⑧: 12月28日AM

2006年02月08日 | 旅行: PHL-D.C.
フィラデルフィアからランカスターへAMTRAK(641 Keystone、8:45a.m.発)で移動する日。AMTRAKの駅までは地下鉄で。早めに着くように出たので、駅で朝ご飯を食べる。駅は、中央にインフォメーションと列車の発着を随時知らせるボードがあり、そこで自分が乗る列車のプラットホームを確認し、発車20~30分前くらいホームの出入り口に並び始める。時間になると係員が入り口を開けてくれて、プラットホームに降りることができる。Keystoneは短距離路線なので、特に座席指定がなく、好きなところに座ることができる。シーズンによって違うのかもしれないけど、そう混まない線みたいで、この日は座席は選びたい放題だった。1時間ちょっと、何だかテキサスとは少し違う雰囲気の景色(走ってる車はセダンが多かった。テキサスはSUVとかピックアップトラックとか多いからなー。)を見ながら過ごした。AMTRAKは座席もゆったりしているしなかなか快適。乗ってすぐくらいにおじさんが切符のチェックに来た。人が少ないせいか乗客がそれぞれ降りる駅も「次だよ」と教えてくれたりして、とても親切。



ホテルは、Hotel Brunswick。地球の歩き方(「アメリカの魅力的な町」編)には徒歩圏内とあったけど、荷物を持っては、ちょっと遠かったぞー。