私は今 三条市に避難者としてお世話になっております。
一 : 母なる大地
二 : 天と地
三 : 天 ・ 時の流れ ・ そして大地
・・・ で構成されています。
三を縦に置きかえれば
象形文字の「川」の字が出てきます。
さらに 天 ・ 地 ・ 時の流れの「三」を
今ひとたび 立ててよく考えてみますと ・・・
立心偏の「心」(忄)がクローズアップされます。
そして
うねりをさそう流れや心の流れを表わす「三」の真中を
「せき」とめるようにしてしまえば
流れは完全にストップしてしまいます。
一本の縦棒では流れをふせぎ切れませんが
二本で完全に堰(せき)をすれば
流れはたちどころに止まります。
三が非(あらず)になってしまえば
もう正常ではなく よくないことです。
やはり 心というものは
常に流れがあって
環境の変化にも対処できる自然体が一番よいのです。
「悲しむ」とは 「流れない心」が悲しくて
「心ここに非(あ)らず」となるわけです。
さらに さらに
「羅(ら)」の文字にある「罒」(網目がしら)を非に足せば
「罪」となりますが ・・・ はてさて いかがなものでしょうか。
避難者の辛さは ・・・
営々と続いていた流れを 堰とめられた辛さ
・・・ のような気もします。