負けてらんにぇ ! みんなでなんとかすっぺ !!

南相馬市から新潟県三条市へ集団避難→同市内の雇用促進宅に→2015.2~同市内の戸建に転居 妻と二人暮らし。

親子のきずな 6/8 ・・・ 無我の教え

2012-11-09 21:00:17 | 原発震災避難者


遠足



歯が痛くても 白髪が増えても ・・・ どうにもならんじゃないか。

飲みすぎるなと自分にいいきかせても ・・・ 二日酔いしてるじゃないか。

「 愛欲に溺れるな 苦しむぞ 」 と自分に警戒警報を鳴らしながらも

・・・ 情欲や バクチに溺れこんでゆくではないか。



自分のものなら もっと自在に扱ってみたらどうか。


空腹でなくとも 目が 鼻が 食欲をそそるこの不自由さを

お前はなんとかできるのか。

眠っているとき 何回呼吸をしてやろうとあらかじめ計算して

その通り息することができるか。


・・・ できはしまい。



「 われはわれのものに非ず 」

「 己は己のものじゃない 」

ここに ・・・ 釈尊の 「 無我 」 の教えがあります。



仏教は どこにも 「 自分 」とか 「 我 」 という 「 実体 」 はない。

ただ 「 自分 」というものを おたがいの頭の中でまとめているに過ぎない

という原理に立つ ・・・ 教えです。







親子のきずな 5/8 ・・・ 思い通りにならない自分

2012-11-09 18:00:17 | 原発震災避難者


遠足



財産や 子どもが頼りにならないとしたら

一体誰が頼りになるのでしょうか。

・・・ この自分か。

・・・ この肉体が 最後の足だまりか。



たしかに

子どもに捨てられようと 財産を奪われ喪(うしな)おうと

この自分の身体さえあれば この腕一本あれば なんでもできる。

いざとなれば どんな荒仕事でもしてみよう。

大丈夫だ ・・・ こんな気持になるでしょうね。



だが 釈尊は

「 されど すでにわれはわれのものに非ず 」 といわれています。


「 さあ なんでもこい このオレのからだにぶつかってこい 」 と力む。

その身体も ・・・ じつは自分のものではないのです。


もし 自分のものならば

自分の思う通り自由になるはずだ ・・・ と釈尊はいうのです。







親子のきずな 4/8 ・・・ 財産に裏切られて

2012-11-09 15:00:21 | 原発震災避難者


遠足



釈尊は 別のところでこうもいっています。


「 財産というものは自分ひとりものではない 五人共同のものだ 」

・・・ と。


五人とは 「 風 」 「 水 」 「 火 」 「 賊 」 「 王 」 です。


天災 ・ 風水害 ・ 火事 ・ 盗賊

そして
 
政治権力 ( これには課税も革命という変動もふくまれている ) によって

いつも危険にさらされているものが ・・・ 財産だ というのです。


財産は 不動の力 ・ 人生の楯にはなりません。

時に ・・・ 奪われ

時に ・・・ 減らされ

時に ・・・ 裏切られてゆきます。


なのに 「 我に財あり 」 と愚かにも思い込み

・・・ 裏切られて 苦しみます。







親子のきずな 3/8 ・・・ 財産などあてにならない

2012-11-09 12:00:53 | 原発震災避難者


遠足



「 我に財有り 」という句も味わい深いものがあります。


「 自分には財産があるんだぞ 」 という考えです。

貸家もあれば 土地もある。

現金も 株券も ゴルフ会員権もある。

これさえあれば死ぬまで大丈夫だ ・・・


子どもが裏切ろうと

死に水をとってくれまいと

世間全体が自分に反対しようと ・・・ 金さえあれば人は使える。

地獄の沙汰も金次第だ

・・・ という 財力に願いをかけた気持です。



しかし これも 子どもの場合と同じことです。

この世には 不景気も パニックもある。

財産などというものは ・・・ じつに 短命なものです。







親子のきずな 2/8 ・・・ 親子の間に溝(みぞ)

2012-11-09 09:00:56 | 原発震災避難者


遠足



子どもが成長すれば 必ず親子の間に溝(みぞ)ができてくる。

やがて 口論するようになる。

ついには別居して 名ばかりの親子となることさえあります。


いくらわが子に 行先のよるべを求めて

「 自分には子がある 」 と力んでも なんともならぬが ・・・ この世です。


しかも 子どもに願いをかけすぎるほど

・・・ 一層 後悔の念は深く 傷も深い。



「 我に子等有り 我に財ありと 愚かなる者は自らを苦しめている 」

といいきった釈尊の気持ちは ・・・ ここにあるのです。








親子のきずな 1/8 ・・・ あてはずれ

2012-11-09 04:21:31 | 原発震災避難者


遠足



われに子等あり われに財(たから)ありと

愚かなる者はこころなやむ

されど われはすでにわれのものに非ず

何ぞ子等あらん なんぞ財あらん

                    (法句経)



ひじょうに大切な教えのことばです。

人間生活の根本は この数十個の文字のなかに光り輝いています。


「 われに子等あり 」 ・・・

私たちには子どもがあるのだ ・・・ こういう気持です。

安心した「 もう大丈夫だ 」 ・・・ という気持です。


「 この子らがいるから

自分が老いても あとは悪いようにはしまい。

きっと面倒をみてくれるだろう。

死んでも 線香の一本もあげてくれるだろう 」

と 子どもにひずられ 子どもを楯にする ・・・ たかぶりの気持です。



しかし そういう考えが いつまでも許されるでしょうか。


この地上の運命は

そう私たちの思いのまま行くものではありません。

わが子の上に いつまでも

かわらぬ楯を見出すわけにはいかなくなるのですね。







生きることは捨てること ・・・ 2.自然に学ぶ

2012-11-09 00:30:36 | 原発震災避難者


遠足



詩人釈尊は

自然の光景から教えの比喩(ひゆ)をえらび

学びとり方を示してくれます。

自然は ・・・ 人間の師ですよ と。



そして

もう一歩鋭く自然を観察する心を説かれます。


花びらは なぜ散るのかということです。


秋がくれば ・・・ 桐の葉は 風をまたずに散る。

落ちるときがくれば なにもせずとも落葉ははじまる。


柿の実も真赤に熟せば 猿の手を借りずに落ちていく。



時の流れ 時の成熟が

落ちねばならぬ花や 葉を ・・・ 散らせていく。


花びらの下から 新しい生命の実が上がってくる。


実を結ぼうとする力が

しおれた花びらに 「 お前は無用の長物だ。去れ 」と命じる。



落葉は 人の目にも寂しさを想わせます。

だが 散ることは

・・・ 新しい生命を創造するために必要であり

それは ・・・ 喜びでもあるのです。