負けてらんにぇ ! みんなでなんとかすっぺ !!

南相馬市から新潟県三条市へ集団避難→同市内の雇用促進宅に→2015.2~同市内の戸建に転居 妻と二人暮らし。

生きることは捨てること ・・・ 1.飛花落葉(ひからくよう)

2012-11-08 21:00:22 | 原発震災避難者


遠足



萎(しお)れたる花びらを すておとす バツシカ草のごとく

乞食するものらよ かくのごとく むさぼりと怒りとをふりすてよ

                         ( 法句経 )



バツシカ草とは

ラテン語で ジャスミヌム・サンバックと書かれてある花のことです。


私たちは ジャスミンという香水をもっていますが

この香水は このバツシカからとったものだそうです。


高い香りを放つ花 それがバツシカ草なのです。



釈尊の生まれたヒマラヤの南麓は

菩提樹や ニグローダ樹の生い繁った

美しい自然の展開されている地方でした。


そうした恵まれた自然のなかで 草花の実り熟れ散りゆくさまを

彼は じっと注意してみてきました。

バツシカの花びらが 時来って ハラハラ散る ・・・

そこに人生の意味を看取されたわけでしょうね。



「 飛花落葉の中に悟りを見出す 」 と仏教ではいいますが

ヒラヒラと散る花や葉のなかに

あるいは 素直な自然界の和(やわ)らぎのなかに

つまり

さりげなく咲く野辺の一輪の名もなき花や 囀(さえず)る小鳥に

敬虔(けいけん)な気持をもち 宗教的心情をいだく ・・・

そこに 釈尊のいう 「 悟りへの道 」 が開けていくのでしょう。



* 飛花落葉(ひからくよう)
  花が風に散り木の葉が秋に落ちるように 世の移り変わりの無情であることのたとえ






冬のこころ

2012-11-08 18:00:18 | 原発震災避難者


遠足



冬のこころ

                       松江 賢修

もろ葉みな おちつくしたり 大銀杏 冬空にして ただ寂然



春 新芽が出て

夏には うっそうと生い茂り

秋は 黄色に色づいて やがて散りはじめ

冬になると 丸坊主になってしまった ・・・ 大銀杏(おおいちょう)。



樹にも骨格ありとすれば ・・・
 
彼は 骨格のみとなったといえるかもしれない。


骨格となった銀杏は 魅力がないであろう。

それは 人の眼を引くこともなく 黙々とそびえているが ・・・

四季それぞれの装いをして 目を楽しませたその元は

この骨格にこそあるのではないだろうか。



人の心にも もし骨格ありとすれば ・・・ それは どんな姿であろうか。


血の気が多すぎるがために 迷い多く 悩み多き日々送迎して
 
愚痴をこぼしつづけている我々の精神の骨格とは さて ・・・ 。







ストリップ

2012-11-08 15:00:50 | 原発震災避難者


遠足



樹木

               高見 順

枯れて

生きる

生きて

枯れる

立派に枯れる為に

壮(さか)んに生きる



葉がすっかり落ちつくしたからといって あの樹は枯れたんじゃない。

冬が過ぎて水が温(ぬる)む頃になってみたまえ。

枯れたような枝から みずみずしい新芽が吹き出してくるから。


芽出しの時はいいものだ。 ちょうど赤ん坊が生まれたときみたいで。



葉の落ちつくした姿はさびしい。 人間の晩年に似て。


しかし あの枯れ木は 一面からいえば

夾雑物を全部落としてしまって

樹の骨格というか ギリギリの場所へ帰ったんじゃないか。


私たちも あの樹に倣(なら)って

娑婆で拾い集めたすべてのものを

一度さっぱりおとしてみる必要があるんじゃないか。



はたして ・・・ 後に何が残るか。

その時残るものこそ ・・・ 本当の私なんだろう。







比較さえしなければ ・・・

2012-11-08 11:41:20 | 原発震災避難者


遠足



人間の多くの苦しみの原因は

他との比較の中にあります。


比較さえしなければ ・・・

一人ひとりは

かけがえのない人生であることに気づき

一人ひとりには 天命がある ・・・ ことを知ることが出来ます。







過剰地獄

2012-11-08 01:00:02 | 原発震災避難者


遠足



われわれは

・・・ 自然を犯しすぎました。

それによって 人間は

・・・ 人間を犯しすぎました。


罰として われわれは

・・・ 「 過剰 」 という地獄へ堕ちました。


言わなくてもいいことを言い

しなくてもいいことをして

・・・ 永久に多忙です。