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時事解説「ディストピア」

ロシア、イラン、中国等の海外ニュースサイトの記事を紹介します。国内政治、メディア批判の記事もあります。

共産党原発推進派論について

2014-04-16 00:11:24 | 反共左翼
「共産党は元々原発推進派だった」という言説がまことしやかに
 囁かれているのですが、これはかなり疑わしい意見だと思います。

筆者の蔵書には『日本の原子力発電』という共産党が出版した新書があります。
これなどを読むと、推進どころか、バリバリの反対派だったのは明らかです。

この本は1974年7月に出版されたもので、アメリカのスリーマイル島の
事故よりも前に、日本の原子力発電開発が危険なものであること、
経済界や政界の利益を優先したもので、安全性が無視されていることを
指摘し、警鐘を鳴らしています。これに加えて、1981年に出版された
『不破哲三政策論集(上)』でも、1980年の衆議院予算委員会質問の場で
不破哲三氏が日本の原発開発が防災面で何をしていないことを指摘し、
原発安全神話に対して、それは違うと主張しています。


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日本ではなにかあっても“原子力は大丈夫だ”という宣伝をやっている。

しかし、この報告は“原子力は大丈夫だ”と宣伝しているうちに、
自分までその気になって、安全を管理する者、動かす者、会社の方も、
政府の方も、原子力発電所は十分安全だという考えがいつのまにか
確固たる信念として根を下ろすに至った、これが危険なのだ、
だからこれからはこうした態度を改めて、原子力は本来危険を
はらんでいるということを口に出していう態度に変えなければならない、
といっている。これが勧告の基本的な考えなのです。


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では、いったい、なぜ共産党が原発推進派だったと言われているか
と言いますと、同党が核の「平和利用」は容認しているからです。


これは加藤哲郎氏の論文がかなり強い影響を持っていると思いますが、
要するに、日本共産党は原子力爆弾には反対していたが、
核の平和利用=原子力発電には賛同していたという見方です。


確かに、核の平和利用というフレーズは使われています。
しかし、文脈を踏まえれば、その意図は全く違うことは明らかです。

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核エネルギーというのは人類に発見した新しいエネルギーですから、
これを平和的に利用する方途を探究するのは、私は当然だと思う。

しかし、そのときにもいったように、これは未完成の技術であって、
そのことを十分心得て安全性について今日の許す限りの体制をとらねば
非常に危険なことになる
。これが根本問題です。


(不破哲三政策論集より)
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筆者らは原子力が未来をになうエネルギー源であることについては、
いささかも疑問をもっていない。しかし同時に原子力が現状においては
軍事利用が圧倒的であり、平和利用にかぎられるという状況には
ほど遠いことも事実である、また安全性も決して保障されてはいない
のである、また安全を保証すべき研究開発はまったく不十分なままである
ということも指摘しておかなくてはならない。

(中略)

このような試みをおこなったのは、現在政府の手によってすすめられつつ
ある原発設置計画が、現在および将来の国民にとって危険であるばかりでなく、
わが国経済の自主的発展にとっていも危険であると考えたからである


(日本の原子力発電より)

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この本の副題は「安全な開発をめざして」とあります。
つまり、安全性を確立する研究開発が進んでいないこと、
その研究を進めた上での開発を提唱していると読み取れるでしょう。

ふつうは。


ちなみに、理系出身で長らく原発推進の危険性を主張してきた
吉井秀勝氏も2010年に出版した『原発抜き・地域再生の温暖化対策へ』
の中で安全を保証すべき研究開発を以下のように説明しています。


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核兵器廃絶の道にたつと、プルトニウムを生み出さない
原発を模索するということになります


それは、原発の中で、プルトニウムを作らないことだけではなく、
高レベル放射性廃棄物を生み出さないタイプの原発を検討する
ということと結びつきます(P.80)。


1938年の原子核分裂と原子核融合の発見は人類史的意義を
持っています。この原子核エネルギーを、安全に制御して
使いこなせるかどうかは、人類にとって未完成の技術分野であり、
将来、利用可能となるかどうか自体がこれからの研究にかかっています。

残念ながら、原子核の研究開発の出発が、原爆製造と核兵器運搬のための
原子力潜水艦の開発という軍事利用だったことから、原子力の平和利用には、
軍事の影がつきまとってきました。その上、安全技術の水準を超えて
原発の規模を拡大する大企業の利益中心の進め方も、原子力の研究のあり方を
歪めてきました。


原子力の研究や開発が、国民の案円と利益を守る立場で進められるように
なるには、日本の原子力研究・開発の障害となってきた、日米安保と
大企業本位の二つの政治の歪みを正すことが必要です(P.188)。


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以上の吉井氏の意見は、少なくとも70年代初頭以降の共産党の意見と
一致するものであり、歴史的にみても、共産党の核平和利用論が
日本政府による原発推進政策と真っ向から対立する内容であることは明らか
です。


ただし、筆者は60年代の共産党の同問題に関連する資料は
入手できなかった(多分あるだろうが論文でもないのに
そこまで時間を割きたくない)ので、この間における同党の
姿勢に関しては、イエスともノーとも言えません。

しかしながら、加藤哲郎氏や土井淑平氏らが主張する
共産党原発推進派論では、共産党が反原発に目覚めたのは
90年代半ば(論者によっては震災以降)となっており、
この点に関して言えば、同論がデタラメであることは確実でしょう。


なお、彼らが脱原発の代表的人物として評価する広瀬隆氏に対して
共産党が否定的な見解を述べたこともまた、根拠の一つになっていますが、
同氏は、科学的に確定事項となっているCO2による地球温暖化説を
否定したり、アメリカの金融危機をロスチャイルドの手によるものだと
陰謀論を唱えたりと、かなり信憑性の乏しい主張を行っており、
共産党が彼を批判したのも、その科学的知識の不正確さが原因です。


科学的知識の正確さ?そんなの関係あるか!
脱原発なんだよぉっ!!

こういう態度で民衆から賛意を得られるかどうか
甚だ疑問
です。


広瀬批判をしたから原発推進派だという意見については
自分たちのグループを攻撃する者は原発推進派という
勝手な思い込みに基づいたものと言えるでしょう。

(なお、私は温暖化なんて嘘なんだと喧伝し、
 結果的に日本や米国といった先進諸国に都合のよい
 働きをしている広瀬氏を、いくら反原発を行っているからといって
 評価したくはない。原発さえ何とかできれば他はどうでもいいとは思えない)


以上をもって結論付ければ、いわゆる共産党が元々は
原発を推進していたという意見は成り立たないと言えます。


私が利用した資料は、一般人でも閲覧可能なものばかりですから、
その気になれば、こういった言説が虚構だと、それこそ原発を
専門とするプロの運動家たちは看破できたはず
です。

(気づかなければ運動家として勉強不足ですし、
 気づいているならば、意図的に嘘を広めていることになります。)

にも関わらず、このような間違いを、
むしろ積極的に流布しているのはなぜなのか?



一つには反共主義というものがあるからだと思いますが、
それ以上に本質的な問題として、現在の脱原発派の
教条主義(即自ゼロを主張しない限り敵とみなす)があるからではないでしょうか?


本来、原発問題を解決する手段は幾通りもあるはずです。
しかしながら、即時撤廃と段階的撤廃を質的に異なるものとして
徹底的に攻撃する。無視をする。事実さえ捻じ曲げる。

こういう狂信的かつ狭量(こころがせまい)な態度で
振舞っているからこそ、いつまで経っても
国民全体の一般常識として脱原発という意識が浸透しないのでは?

と私などは思います。

加藤哲郎批判の記事がよく読まれているので、
思い切って今回の記事を書きましたが、彼をはじめとした
人権を重んじる民主主義者たちの行ったことは、私としては
全く共感できないし、自分で自分の首を絞める行為だと思う。

少なくとも、すぐに間違いだと気付く嘘を平然と言い広めるのは、
研究者のモラルとして恥じるべきだと思います。


でたらめでも良いのならば、結果オーライでもいいのならば、
今すぐジャーナリストや研究者の肩書を捨てるべきではないかと…そう思います。

キンピー、ついに金の無心(上から目線で)

2014-02-21 22:12:03 | 反共左翼
当サイトの人気記事に「その後のキンピー糞ブログ」というのがある。

どういうわけか知らないが、共産党を除名される人間は高確率で
その後、右翼に走り、論敵である相手に媚を売る醜態をさらしている。


このキンピーをネットアイドルにする怪、正式名称「キンピーを応援する会」
という怪しすぎる集団が運営するサイト、前々から
運営費(何の?)と称してアフィリエイトで買い物するよう読者に訴えていたのだが、
最近はクレジットカードで寄付をするよう要求していたらしい。


ところが、ちっとも寄付されないらしく
Amazonや楽天のギフトカードでもいいから送れという記事を書いてきた。


「寄付する」というコメントを読者からもらいながらも結局は駄目だったようだ。
運営者が言うには寄付が集まらない理由として次の5点があるらしい。

1.言葉だけで最初からその気がない。
2. 携帯では寄付の案内が読めないので募集していることがわからない。
3.すでにブログを見ていない
4.クレジットカードを持っていない。
5.匿名寄付をしたいが、クレジットではできない。


で、彼の理論によると、2と5の理由が多いのでギフト券で受け付けるらしい。
いや、3だろ!?と誰かツッコミを入れないのだろうか……


はっきり言うが、赤旗の購入費を理由に
運営費と称して見ず知らずの人間に
金券を要求するのは非常識だ。



新聞ぐらい自分で買って読め。


私も仕事がらか、日常的に大量の本を読むし
年間どころか月間で万単位の出費をしているが、だからといって
自分のブログで使う資料代を請求するなどという考えは思いついたことすらない。

ブログなんて個人の好きでやってることなのだから、金が惜しいならやめればよいのだ。


それにしても気になったのが次の文章。

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この場合、間違ってもギフトカード番号を
コメント欄に書いたりしないでくださいね。
ぼくちんが見るより先にどこかの誰かが使うことがありますのでw
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冒頭で述べたように、このサイトは
「キンピーをネットアイドルにする怪」と名乗る集団が運営しているはずなのだが、
もしかしてキンピーの自演なのか!?

少なくとも複数で運営しているようではなさそうだ。

この「ぼくちん」と名乗る人物が誰かさっぱりわからないが、他の記事を読む限り
靖国神社でのオフ会を募った人間と同一人物らしい。


靖国に行く金はあっても新聞を買う金はないようだ。

いわく、
「靖国神社と遊就館訪問オフが開催されます。
 遊就館では靖国神社側のご厚意で特別に解説者が付いて下さいます。」らしい。

わざわざ神社の職員が「解説者」をつけてくれる点からも、
靖国神社と遊就館が別々の施設というのが虚構だとはっきりわかる。

「いろいろご意見がありましょうけど、まじめに鎮魂の場にふれ、
 内容を見つめるきっかけにしていただければと思っています。」だそうだ。


安倍政権の関係者かと疑うレベルである。

私は以前、このサイトを「暇人が金儲けに運営している糞サイト」、
「ねらー運営のネトウヨブログ」と評価したのだが、褒めすぎだったようだ。


共産党に批判的であっても、武井昭夫氏のように傾聴に値する人間はいる。

だが、新大久保でヘイト・スピーチを行った極右団体、「在日特権を許さない会」
のメンバーがヒトラー生誕パーティーを呼びかけたことを批判した記事に対して

「おまえ、バカだろw?天皇陛下より自分が偉いと思っていた奴の
 誕生日を祝う非国民w!とか言って笑ってやればいい
のだ。」と書いて
 勝ったつもりになっている人間の言葉はとても聞く気になれない。


私は、しつこいほど天皇制を批判している人間だが、
どうも天皇制および天皇教というのは、天皇を讃美しているようで、
その実、天皇を讃美する自分が偉いと過信させる蠱惑的な要素があるようだ。


自分に自信のない人間が行き着く先は精神的奴隷の道らしい。
主人の自慢をすることでしか自己を肯定できない悲しい生物。
そんな人面犬、キンピーに祝福あれ。

今月の「世界」を読んで

2014-01-30 00:56:10 | 反共左翼
冷戦が終わり、左翼と右翼の境界がなくなったと言われて久しい。


とんでもない話である。
正確には、左翼が右傾化したのだ。



日教組といい解放同盟といい、丸山眞男や吉本隆明といい、
日本の戦後左翼の多くは日本共産党と対立してきた(今もそうだが)。

すなわち、反共左翼である。


彼らの多くは共産党抜きの社会改革を目論んだが、
それは逆からいえば共産主義を封じ込めるための改革に
とどまり、結果的に右翼の尖兵となって共産党を攻撃し続けた。

要するに、共産主義社会にさせないための改革であり、
さらに言えば「日本共産党を与党にさせないための改革」だった。

そのため、本質は反共なので
きっかけさえあればすぐにでも転向できる連中だったのである。


そして案の定、冷戦が終結後、用済みとなった彼らは
簡単に保守派に切り捨てられ、ある者はそのまま自滅し、
またある者はリベラルとか中道とか言いながら、政府や社会に
そこそこ反対するだけの事実上の体制支持者になり下がった。

この動きは実は出版社にもあてはまり、
一見、体制に逆らった本を売っているようで
実のところ、お上にベッタリな本を売るようになった。


岩波書店はそういう「そこそこ左翼」の典型的な出版社で、
自他共に日本を代表する左派系出版社と認められているが、
実際にはアベノミクス礼賛者や慰安婦制度を美化する人間の
本を平気な顔で売りつけている会社である。

さて、そんな岩波書店の月刊誌に「世界」というものがある。

これは一応は抵抗勢力側の雑誌として見られているが、
「内容が右傾化した」と多く批判されているシロモノでもある。


今月号の特集は「空洞化する民主主義」だったが、
執筆者をよく見るとなんと山口二郎氏がいるではないか。

山口二郎氏といえば、
小選挙区制度や二大政党制を主張した御仁である。

この制度はどちらも民主主義を衰弱させた悪法なのだが、
もしかして岩波書店はギャグでこんな特集を組んだのか?

つまり…岩波とつるんでるインテリ共のせいで
空洞化する民主主義って意味なのだろうか?



はっきり言って私はこの特集記事を読んで
ふざけんな」と思った。空洞化させたのは
間違いなく山口であり、彼の主張をバックアップした岩波ではないか。


この出版社はイラク戦争の直前にも岩波新書で
サダム・フセインを非難する本を出版し、結果的に
日本のイラク戦争支持を後押しすることになった前科がある。


もちろん表向きは反対するポーズをとった。
だが、考えてみてほしい。


「フセイン政権は独裁なんだ!イラクには自由がないんだ!
 クエートやイランにも侵略したんだ!国民は苦しんでいるんだ!」
 という論調こそ、戦争主義者たちが最も求める意見ではないのか!?




北朝鮮や中国に対しても同じような調子で、右派の識者も招き
いかにこれらの国が歪んでいるかを書かせた後で、
申し訳程度に「戦争ハンターイ(ぼそっ)」と
つぶやくのが果たして反権力と言えるのか?


そこそこの善ほど卑劣な悪はない。


ここ数年の日本の軍国化は中国や北朝鮮の脅威を口実に行われた。
この間、反共左翼たちは形式的に反対者を演じてはいたが、
その間にも他国の悪いイメージをせっせと流していた。

要するにNoと言いながらも
Goサインを送っていたのである。


このことは慰安婦問題の本を出版しながらも
その制度を弁護する日本兵の本を載せたり、
アベノミクスを批判しながら、
それを絶賛する経済学者の本を売るやり方からも明らかである。

「世界」はアベノミクスを批判しているが、はっきり言って
 こういう経済政策が生まれるきっかけになったのは自分たちのせいでもある。

 そのへんの自覚がものすごく足りない出版社なのだ。


もっとも、これは岩波に限った話ではない。
平凡社や中央公論新社、新評論、青木書店、合同出版社など
かつては左派系のお堅い本を売っていた会社が軒並み
そこそこ左翼になっている。こういう本屋はいきなり保守化すると
売上が落ちると判断してか、少しずつ自分の立ち位置をスライドさせている。

何度も言うが、冷戦以降、左翼と右翼の境界線が消えたのではない。
左翼が右翼にすり寄り、結果的に吸収されているのである。


こういう状況のなか、個人的には高文研とスペース伽耶、
桜井書店と昭和堂、そして新日本出版社は異端として健闘していると思う。

リベラル、中道という聞こえの良いセリフで自分たちの転向を
粉飾するこの時勢、これら出版社が少しでも永らえてくれることを望む。

宇都宮健児氏と週刊金曜日

2014-01-11 22:01:31 | 反共左翼
東京都知事選に元日弁連会長である宇都宮健児氏が
共産党と社民党の支持を受けて立候補することになった。


同氏は週刊金曜日という雑誌の編集に携わっている。


この雑誌は一般的に左翼系の雑誌であるはずなのだが、
天皇を戴いた日本は四民平等である」
として天皇制を肯定する北村肇氏が元編集長だったり、
最近の安倍政権を「まるで共産主義体制」と批判する中島岳志氏など
誰の味方なのかいまいちはっきりしない。


http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20140103-00000020-kana-l14

当の自民党は中国や北朝鮮を危険な国だと宣伝して
軍国化を進めているのだから、「まるで共産主義体制」と言って
批判したところで、それは共産主義=悪という右派の考えを
指示し、広めているようなものだ。
本当ならば、共産主義=悪という単純な考えが広まっていることに
一石を投じなければならない立場にいるはずなのに。


ちなみにこの雑誌社は以前、天皇制反対の集会を挙げた際、
サルのぬいぐるみを悠仁親王に見立てて放り投げるといった
行為をはたらいた結果、保守派から猛抗議を受けて謝罪している。

もちろん、この時の編集長は北村氏である。
おまえは一体どっちなのだ?と問いただしたい。

ついでに言えば、初代編集長である和多田進氏は
共産党員が首謀者として裁かれた白鳥事件を
検察側の陰謀として主張する山田清三郎氏の『白鳥事件』に
「解説」と称して100頁以上の分量の共産党有罪説を
載せた凄い方である。


これはホロコーストの研究書の末部に
ホロコースト否定論を載せるような行為
で、
著者の意図を真っ向から否定する行為だ。

しかも、復刊した2005年の時点で
著者の山田氏も有罪として服役した村上氏も故人になっており
死人に口なしとばかりに裁判当時から村上氏の有罪を主張した
元党員の「証言」を掲載し、山田氏の意見を「一方的な主張」と誹謗している。
和多田氏の倫理精神には脱帽するばかりである。



結局、反共を軸にした改革派なので反共のためなら
簡単に権力に味方するしいい加減な情報を載せてしまう


週刊金曜日が日本の軍事化を支持する西部邁氏や
汚職を働いた罪で服役した佐藤優氏を論客に招いたりするのは
そういう面があるからである。ちょうどアベノミクスを絶賛する
岩田喜久男氏に何度も経済入門書を書かせてしまった岩波書店のように。


そういうわけだから宇都宮氏が立候補すると聞いた時、
筆者は正直「大丈夫かなぁ」と心配したのだが、まぁ
同氏は編集陣の中でも良心的な人間で、和多田の
ようなジャーナリスト以前に人間として最低な行為
(故人の遺作を貶めるためにわざと復刊させる)も
行ってないし、集会の事件の際にはまだ金曜日に
いなかったし、これを機会にとっとと手を切って
邁進してくれればなと思う。


散々な書きようだと思うかもしれないが、
同誌は、「権力を監視する」と高らかに叫びながらも、
その一方で、編集スタッフが朝日新聞の書評を担当する
(つまり、マスメディアとコネがある)よくわからない面がある。


本来なら、朝日新聞のような反対者のふりをした新聞と
戦わなければならないはずなのだが……


これは別に週刊金曜日に限った話ではないが、
あっちにフラフラ、こっちにフラフラするような
人間を誰が信用するというのか?信者しかいまい。

日本の右傾化が叫ばれて久しいが、その原因の一つには
このような左翼たちの静かな路線変更(状況に応じて立場を変える)が
あるように私は思えてならない。

なお、この「左翼の静かな転身」についてより知りたい方には、
以下のサイトの記事をお勧めする。
http://watashinim.exblog.jp/i5

支持率=人気なのか?

2013-12-30 00:46:08 | 反共左翼
久しぶりにさる加藤哲郎を師と仰ぐ反共左翼K・M氏のサイトをみたが、
何というかいよいよレベルが下がっていて、
これじゃーそのへんの右翼と変わりないなと感じた。


要するに、日本共産党は中国共産党と同じ悪の巣窟なのだ
というお決まりの結論を述べているのだが、その論理が凄まじい。

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不破・志位・市田ら3人独裁者は、
中国共産党と共産主義友党関係を結び、現在も続けている。

中国共産党とは、一党独裁・党治国家を私的所有する
政治犯罪政党である。それは、他政党禁止・人権侵害政党として、
日本の有権者すべてに知られている。



ところが、尖閣諸島領海侵犯+無法な防空識別圏の
中国共産党の国際的犯罪行為が急浮上した。日本共産党は、
1998年以来、15年間にわたり、国際的犯罪行為政党と
共産主義友党関係を続けてきた。

不破哲三は、中国を3回も訪問し、「社会主義をめざす国ぐに」と賛美してきた。

(中略)

志位和夫は、赤旗紙上においてのみ、
尖閣諸島領海侵犯+無法な防空識別圏などの
中国共産党の国際的犯罪行為を批判した。

しかし、共産主義友党関係政党として、
中国共産党や、日本の中国大使館に直接乗り込んで、
犯罪批判・撤回などを要求したことがない。



日本の有権者は、志位和夫の腰が引けた紙上のみ批判のずるさを見抜いている。
それが、2013年12月共産党支持率の急落に現れた。
(1)安倍内閣支持率の47.1%への9%激落原因と、
(2)日本共産党支持率の1.3%への急落原因とは、まったく異なる。


共産党支持率 

時事通信調べ
共産党13年6月1.5%
→8月2.0%→9月1.8%
→10月2.3%→11月1.6%→12月(最低)1.3%



それは、有権者が、
国際的犯罪行為政党・中国共産党との
共産主義友党関係政党・日本共産党にたいする
拒絶感を表明した結果である。

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いろいろ反論すべき点はあるが、まず文末について。

この反共左翼は、時事通信社の調査では回答者の63.4%が
支持政党なしだった
という書くべき結果を書いていない。


そして、残り40%のうち自民党の支持者が24.6%になっている。
つまり、特定の政党を支持している人間のうち
6割は自民党を支持しているということだ。

あとは、公明が3.8、民主が3.4、みんなが0.8、
    社民が0.6、維新が1.2、生活が0.3となっている。


このように支持率だけでどうこう言うつもりなら
共産党より社民党のほうがよっぽど拒絶されていることになる。
逆に自民党は大多数の人間に受け入れられていることになる。

慰安婦をはじめとする大日本帝国の美化、
消費税増税、原発推進、軍国化、改憲を露骨に進める
自民党こそが最も民衆に愛されていると結論づけられよう。

もちろん、そんなことはないのであって、
特定の政党を支持しないと答えた63%がどう動くかによって
現実の支持率は変動する。言わば、ここに書かれた支持率は
統計上のもので現実のものとは一致しない。この点をM氏は理解していない。

というよりも、あえて共産党以外の支持率を載せないことで
意図的に同党の支持率が「低い」と印象づけようとしているようだ。


データの一部分だけ見せて印象操作するのは
つくる会の常とう手段だが、どうやら
この加藤哲郎のシンパも同類らしい。



ちなみに、自公(与党)の支持率を引けば野党の全支持率は11.6%で、
支持政党がある人間の3割に相当する。このうち、各党の割合は

民主29%、共産11%、維新10%、社民6%、生活2%となる。


この御仁は、以前は共産党を宮本顕治の独裁政党と攻撃しており、
同氏の引退後は不破哲三の独裁政党と表現を変え、最近は
志位氏や市田氏のほうがよく発言するせいか、上の文章では
「不破・志位・市田ら3人独裁者」とかなり苦しい表現に変化している。


独裁とは1人でやるから独裁なのであって、
複数でやるなら寡頭制である。政治学の基礎も知らないらしい。

要するに、独裁だー独裁だーと叫んでいるうちに、
高齢の不破氏が鳴りをひそめて他の党員が目立ち始めたので
今さら独裁ではなくなったーとは言えない、というより
実は思ったより民主的な政党だったとは口が裂けても言えないので
「3人でも独裁」という詭弁を弄しているわけである。


実際には、歴史的に共産党は独裁をしたことがない。
代表者は不破氏や志位氏などの歴代委員長だが、
その理論は各党員によって構築されたものである。

というより、意外に派閥争いが激しい政党で、
よくライバルに除名されては元有力党員が
意趣返しに党そのものの誹謗中傷を行っている。


こういう連中は個人的な恨みから決まって
反共、改憲、在日北朝鮮人差別とお前は自民党員かと
言いたくなるほどの右っぷりを見せてくれるので、
「あぁやっぱり除名して正解だったなぁ」と私などは思うものだ。


M氏も同様であり、彼は中国共産党を
「政治犯罪政党・人権侵害政党・国際的犯罪行為政党」
と散々な評価をしているが、じゃあイラク戦争に加担した
アメリカ共和党やイギリス労働党、日本自民党はどうなんだよと問いたい



中国共産党はイラク戦争に対して、
「現在の国際政治に強権政治が存在するという現実を反映している」
と、国連を無視し軍事行動に出た米英を非難した。

「自らの政治モデルを無理に全世界に押し付けることは覇道であって
 民主ではない」としてイラク民主化という大義名分を批判した。


「国際的犯罪行為」(侵略戦争)を働いているのは
 明らかに米英日ではないか?

少なくとも現在の中国は他所の国に侵略して
植民地化したことなどない。ウィグルやチベットは
清、あるいは中華民国時代からの領土だったし、
それ以外にはベトナムぐらいにしか攻撃していない。


そのベトナムに攻撃したのは日本共産党が中国共産党と
犬猿の仲だった70年代だったし、むしろ98年以前では
中国共産党と仲良くするもの許すまじという鉄の掟があったのだ。


「15年間にわたり、国際的犯罪行為政党と
共産主義友党関係を続けてきた」と書いてあるが、
これなどはただ威勢の良い言葉を並べて
読者の感情に訴えているだけにすぎない。

これも戦争美化でよく行われる手段だ。


ついでに言うと、「無法な」防空識別圏と言っているが、
そもそも防空識別圏は領土を主張したものではなく、
日本を含めたよその国もごく普通に行っているものだ。

無法でも何でもない。


結局、M氏の文章は「中国は悪」という結論がありきの文章で、
事実の誤認と論理の破たんで構成されている。


70歳半ばらしいから無理もないといえばそれまでだが、
前の記事で述べたように「今の日本の右傾化は正確には
もともと左翼だった人間の急激な右傾化
」であり、
M氏の珍文章などはその好例だろう。

で、こやつが書いた反共産党記事をネタにして
共産党攻撃を行っているのが加藤哲郎なのだから、
彼が執筆した岩波全書の内容がどれだけ酷いものかは
言うまでもない。こういうねつ造だらけの反共本を売って
左翼が復活すると本気で思っているのだろうか?だとしたら
とんだ間抜けだろう。

彼らのような反共左翼は冷戦時には共産党を攻撃する左翼が
欲しいために生かされていた。だが、冷戦が終結し、
革命の不安が完全になくなると、用済みとなった彼らは
あっさり時の権力者に見限られ、彼らの支持政党だった社会党は消滅した。

今や残党が細々と共産党および共産国を攻撃し、右翼に
媚を売ってどうにかメンツを保っている有様である。

が、しかし、安倍内閣を見ればわかるように
今さら左翼の支持など仰がなくても好き勝手できるほど
事態は「自民党独裁」になっているのであり、今後も
彼らを昔みたいにヨイショしてくれることはないし、
肝心な時に右とつるむことに絶望した市民は
すでに社民を代表する反共左翼を見限っている。

いい加減、飽きられているのは自分たちのほうだと
気づかなければ、今後も社民はもちろんのこと、
市民運動そのものが死に絶えるだろう。

地に堕ちたか、岩波書店?

2013-12-29 22:12:29 | 反共左翼
岩波書店と言えば左派系出版社の代表格として認識されている
はずなのだが、細かく見ていくとアベノミクスを礼賛する
岩田規久男氏や農水省の役人で捕鯨推進派である小松正之氏、
小選挙区制や二大政党制の導入を力説した山口二郎氏といった、
「それはどうよ」とツッコミを入れたくなる人間に執筆させていて、
そこまで立派な出版社でもない。


もちろん吉見義彦先生が執筆した『従軍慰安婦』などの
新書ながら研究書としても利用できる本もある。

が、それはその業界全体の研究レベルが高いからであって、
実は岩波現代文庫から慰安婦制度を美化する元日本兵の
本を出版したりしていてスタンスが半端だったりする。

近年、同社の月刊誌である『世界』の質の低下が騒がれているが、
私自身、何度か読んだが確かに「質が悪いな」と感じさせられた。


例えば君が代斉唱問題だが、これを「良心の自由」だとかいう
憲法上の概念の問題に矮小しており、君が代の最大のキモである
「天皇への畏敬と国家忠誠の意思を見るデモンストレーション」
という側面が綺麗に抜け落ちている。正直、良心の自由と言われても
大半の人は「君が代ぐらい歌ってもいいだろ」と無視されて終わりだ。
(民主主義を国是とする国で個人崇拝が制度化されている問題点を無視している)


原発にしても事故が起きた途端、それまで全くノータッチだったくせに
関連本を量産するし、はっきり言って読者が買いたがる本を売っている。
(そういう点では集英社や講談社のような大手出版社と変わりない)


さて、この岩波書店、実は昔っから、
岩波新書で言えば青や黄版の時から
社会主義国を攻撃する本を売りつけていたのだが、
ここにきて何とまぁ、よりによって加藤哲郎氏に
日本の社会主義運動の歴史本を書かせたのである。正直驚いた。


加藤哲郎氏といえば、リビアのNATO爆撃を絶賛したり、
核保有を支持しただけで反米国家のベネズエラを誹謗したり、
共産党の宮本顕治氏が亡くなった時に大喜びしたり、
嘘だったと後で本人が自白した川上徹氏の共産党内部の
党員弾圧事件の本で、さもこの事件が真実であるかのように
あとがきで解説したりと、その辺の右翼よりもよっぽど右な男である。


なにせ非民主主義国(つまり非欧米主義国)の滅亡こそ
彼の望みであり、そのためならば
日常的に慰安婦や南京事件を否定し、
沖縄の集団自決を否定し、在日コリアンやアイヌ、
被差別といった社会的弱者を差別している
櫻井よし子をはじめとした極右勢力とつるんでしまうのだ。



想像できるだろうか?北朝鮮を中傷するためなら
日常的に戦争被害者をうそつき呼ばわりする本や雑誌を
刷りまくってる連中と協力関係を結んでしまう
のである。


拉致事件発覚後にこいつらがやったような
猛烈な北朝鮮バッシングの先に今日の北朝鮮脅威論が
構築され、同国への威嚇を兼ねて日本の軍国化が邁進されている。

加藤氏はそのことに対して
果たして責任を感じているのだろうか?


本人の言葉を引用しよう。


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消費税増税、生活保護切り下げ、TPP参加、
オスプレイ受け入れ、日本版NSC、そして特定秘密保護法強行制定・公布。
そのあとに集団的自衛権、武器輸出3原則緩和、共謀罪、
「愛国」教育強制、原発再稼働・原発輸出と、
レールが敷かれています。

中国・韓国・北朝鮮との国際関係も、
硬直どころかいっそう不安定になって、
2014年が、厳しい年になることを予感させます


-------------------------------------------------------

不安定にさせたのは
同氏が極右と一緒になって
「北朝鮮は人権を侵害するひどい国なんだ!
 とっても悪い国なんだ!危ない国なんだ!
 共産主義国は自由がないんだ!」
と喧伝した結果ではないだろうか……



正直、私は最近の軍国化に加藤氏は手を叩いて
「これで北朝鮮をぶっ壊せる!」と大喜びしてるだろうなと
本気で思っていた。まさか上のコメントは同氏のギャグなのか?


平和を望むと言いつつ争いの種をまき右傾化を進める。
本末転倒としか言いようがない。


そういう面があるからこそ、私は、彼が一般的に
「良心的な左派・リベラル」と認識されているにも関わらず、
ゲッベルスや大川周明よりも
姑息で卑怯で無責任
だと思ってしまうのだ。


さて、こういう御仁が書く社会主義運動史だから
中身なんて読むまでもなく、共産党をボロクソに叩き
社会党を讃美する内容になってんだろうと思う。

もともと、彼は原発第1号機の稼働以前から
原発建設に反対し続けている共産党を原発支持派と
事実をねつ造するわ、百歩譲っても真偽は不明である
宮本顕治の殺人疑惑を確定事項として話を進めるわと
けっこう強引な意見を述べてきた人物なのだから。


この明らかな反共本の紹介文は次のようになっている。

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なぜ今,社会主義の歴史を辿るのでしょうか.
著者は,社会主義こそが,
フランス革命の「自由・平等・友愛」理念を継承し,
とりわけその「平等・友愛」理念を実現しようとした
思想・運動の試みだったと言います.

もちろんその試みは歴史的な試練の中で浮き沈みを繰り返しつつ,
冷戦の終結とともに「過去の遺物」になったように思われました.

けれども,グローバル化した資本主義によってもたらされた
格差・貧困への対抗や新たな民主化闘争――
「ウォール街を占拠せよ」や「ジャスミン革命」など――は,
かつての社会主義がもっていた「平等・友愛」理念を
どこか彷彿とさせるものがありはしないでしょうか.

本書は,そのような意味での社会主義の日本における
軌跡を,近代化・経済成長と原爆・原発をめぐる問題を
通して浮かび上がらせます.

社会主義は,原子力にいかに向き合ってきたのか.
平和を求めて社会変革を願う社会科学が
3.11以後の様々な社会問題と切り結ぶためには,
この問題を避けては通れないのではないか.

著者の語りは読者にそう問いかけます.

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とんだ紹介文詐欺である。

長年に渡って共産党攻撃を執拗に続けてきた
加藤氏が今さら社会主義を讃美するはずがない。


岩波書店はどうしていい加減な反共本を好んで
出版するくせに、左翼のポーズをとるのだろうか?

腹の中では反共のくせに
気持ち悪いフォローはやめてほしい。

正直なところ、今の岩波書店は
自民党左派といったレベルで状況に応じて右翼とつるんでいる。
冷戦終結以降、徐々にだが日本は右傾化してきたが、
それは反共ヒステリーの激化と表裏一体のものだ。


近年の日本の左翼は異常にコミュニスム
および共産主義国、あるいはその支持者に憎しみをぶつけている。

「日本は右傾化」したと書いたが、これは正確には
もともと左翼だった人間が急激に右傾化してきた」である。



皮肉なことに保守派と一致して反共ヒステリーを
叫んでいるうちに、妙な連帯感ができあがって、部分的な方策では
反発しあっても全体を通してみると、この国を同じ方向に誘導している。
(つまり反共の当然の帰結としての軍事化、国家主義の隆盛)


これは別に日本に限った話ではない。
だが、アメリカ研究者として言わせてもらうと、
アメリカには本国への批判をこめて旧・現社会主義国の再評価を行う
学者や政治家、知識人がわりといる。そういう人物の意見はほとんど
翻訳されないので、一般の日本人には伝わってこない。

一方、我が国の知識人にあたる人々は、自分の手で自分の首を絞めており、
さらにはそれに気づいていない。こういう点を見るとやっぱりというか、さすがというか、
改めて戦後日本の左翼は当初から反共主義から脱却しきれてなく、
いつ右傾化しても不思議でない状態だった
のだなと痛感してしまった次第である。

右翼がいかに無茶苦茶かについて

2013-10-21 02:09:49 | 反共左翼
前回の記事で取り上げたサイトで参考文献として谷沢永一という
典型的な右翼が書いた本が取り上げられていたのだが、
結構笑える目次なのでここに引用したい。


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こんな国家に誰がした  今も続く、スターリンの呪縛

「日本は第二次大戦の主犯」と言う歴史の偽造家
 戦後の学界、言論界の大ボス・ 大内兵衛 への告発状

「ソ連はすべて善、日本はすべて悪」の煽動者
 日本罪悪論の海外宣伝マン・ 鶴見俊輔 への告発状

国民を冷酷に二分する差別意識の権化
戦後民主主義の理論的指導者・ 丸山眞男 への告発状

栄達のため、法の精神を蹂躙した男
反日的日本人の第一号・ 横田喜三郎 への告発状

金日成に無条件降伏の似非出版人
進歩的文化人の差配人・ 安江良介 への告発状

恫喝が得意な権力意識の化身
「進歩的インテリ」を自称する道化・ 久野収 への告発状

祖国をソ連に売り渡す“A級戦犯”
進歩的文化人の麻酔担当医・ 加藤周一 への告発状

その正体は、北京政府の忠実な代理人
日本の伝統の徹底的な否定論者・ 竹内好 への告発状

最も無責任な左翼・教条主義者
マスコミを左傾化させた放言家・ 向坂逸郎 への告発状

日本を経済的侵略国家と断定する詭弁家
現代の魔女狩り裁判人・ 坂本義和 への告発状

国家間の原理を弁えない謝罪補償論者
ユスリ、タカリの共犯者・ 大江健三郎 への告発状

近代日本を全否定した国賊
進歩的文化人の原型・ 大塚久雄 への告発状

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さて、ここに述べられている人間のうち、
少なくとも赤で表示されている人間は共産党と対立している。

(加藤と鶴見は晩年支持に回ったけれども)

特に丸山、向坂、久野の3人は反共産主義として有名で
丸山に至っては戦後間もなくの時点で共産党批判を明言しており、
共産党も丸山の批判キャンペーンを行ったこともある。
こいつらは共産主義者どころかその反対の位置に立つ人間である。

スターリンの呪縛だなんて書いているが、要するに
スターリン主義→共産主義→悪魔思想→国賊と訴えたいのだろう。


こうやって共産主義者と単なる左翼を混同して攻撃するのが
お決まりのパターン
で、右翼というのは敵の実態すら掴めていないのである。
(あるいは意図的にゆがめている)

おそらく有名な反保守の人間を叩きたかったのだろうが、
元共産党員の割に谷沢の決めつけは妄想の域に達している。

私が不破哲三の意見や党の外交政策、天皇制への態度を非難する一方で、
何だかんだで共産党の味方をしてしまうのも、
元党員のほぼ全員が極右に走って自分の妄想を平然と吹聴して
大衆を欺き、あまつさえそれによって大金をせしめるからである。


もちろん、共産党も内部では派閥争いがあるのだろうが、
破れた人間のみっともなさといったら目も当てられない。


戦後の論壇をみる限り、「左翼か右翼」かではなく
「共産主義」か「反共主義」かで見ていったほうが理解しやすい。

というのも、元共産主義あるいは非共産系の左翼は
えてして反共主義に走り、実質的にも実際的にも右翼と協力しているからである。

この点は侵略肯定者の佐藤優とつるむ左翼を批判する
元岩波書店社員の金氏のサイトが参考になる。
http://gskim.blog102.fc2.com/blog-entry-9.html

要するに、枝の部分だけ違うだけで連中は根っこの部分は同じであり、
派閥争いをしているにすぎない。そこが純粋なコミュニストと違う点だ。

もちろん、場合によっては協力することも考えられるが、
戦後左翼の右翼との協力はレイプ魔と一緒になって
女性の人権を訴えているようなもの
で、理屈が通らない。


コミュニストといっても、共産党よりも更に左な面々もいるが、
彼らは信条からか右翼とつるんだりはしない。構図としては


極左  日本共産党 (越えられない壁) 左翼 右翼 極右

となっており、左翼(反共左翼)も右翼も極右も同じグループの一員である。

この点ははっきり理解しないといけないと思う。

戦後左翼について

2013-10-21 00:58:11 | 反共左翼
私が右翼を嫌うのは、平気な顔をして出鱈目ばかりを吹聴しているからだが、
こんな連中が運営するサイトでも、意外と使える情報があるので、
ごくたまーに閲覧することがある。


今回、取り上げるのは右翼系某サイトで引用された
歴史学研究会の創立60周年の記念号の文章である。

これは戦後左翼(反共左翼)を考える上で重要なものだと思う。


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はじめに  -批判的史学をめざして-
1932年12月に創立された歴史学研究会は、
自らの歴史を振り返ってすでに『歴史学研究会 四十年のあゆみ』、
『歴研半世紀のあゆみ』を刊行している。

昨年、六十周年を迎えるにあたっても記念行事・出版を考えたが・・・
財政的にもあまり余裕のない状況だったので、つつましい企画で満足することにした。


歴史学研究会の創立は、必ずしも反「史学会」とか、
その後有力になっていく 皇国史観に逸早く対抗する
とかの意識をもってのことではなかったようだ。

・・・だが、 第二次世界大戦後、歴研はマルクス主義者を中心に
時代のエートスに応える歴史研究者の団体として大きな影響力を及ぼすに至った。
いわゆる「戦後史学」の中軸をになったと言ってよかろう。


しかし 1970年代 になると、「戦後史学」はイデオロギーの面でも
歴史研究の方法の点でも批判に晒されるようになった 。

その頃の特徴は批判者の多くが歴研と同根の
「左翼」の人々であったことである。



1980年代の末ともなると、ソ連邦が消滅する という
それを長らく願っていたような人ですら意表をつかれるような事態が生じた。

歴研を批判していた「左翼」にとっても歴研批判どころではなくなり、
土台が一緒に揺らいだと言える。
・・・歴研委員会の中ですら、 歴研にとっては馴染みの
「人民的・変革的・科学的」という言葉に対する違和感が表明された 。

私は、1990年の総会の答弁で述べたとおり、その三つの言葉を
「下からのまなざしをもち、現実の矛盾から目を逸らさず、
学問的な手続きをきちんとふむ」ことと理解する。

・・・ 歴研は今もこの三つを追及しようという人々の集まりである。
あくまでも現実と歴史に批判的な目を持ち続けるのが「歴研」であろう。
そして、江口委員長の時代から、
党派的分裂の危機を何度も乗り越えてきた伝統を持っている。

その伝統と観点に立って、1992年12月5日(土)、
東京大学本郷キャンパスで「いま、なぜ歴史学か」
というテーマを掲げてシンポジウムを開催し、約200名の参加を得た。・・・
さらに、 全12巻の「講座世界史」(東京大学出版会)
と 「国民国家を問う」(青木書店)との出版 を準備している。
これも六十周年記念企画の一環である。

以上すべての企画に協力された方々に深く感謝したい。
とくに若い委員の諸君に。そうした若い諸君の存在こそが
歴研の未来を保証してくれるのである。

1993年3月 委員長 西川 正雄

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歴史学研究会というのは、日本における全国規模の学会の一つで
西洋史、日本史と何かとジャンル分けされている日本の歴史学会の中で
数少ないジャンルを問わず、かつ一般人ですら入会できる民主的な組織だ。

会費が高いのが玉に瑕だが、間違いなく歴史学における
信頼ある学会であり、筆者も入会している。

この歴史学研究会ですら明言しているのが歴史学の
「批判者の多くが歴研と同根の左翼の人々であったこと」だ。


もちろん、これは学問的な論争のことを指していると思われる。
確かに歴史学の手法でいえば、経済的側面にのみ着目したり
階級闘争や史的唯物論などの公式をただ当てはめるだけの
学問には批判も寄せられたし、現在の歴史学はそれらの
欠点を補った上で、更にその先を進んでいる。

だが、このような純粋な学問の論議を別として
左翼の仮面を被りながら実際にはコミュニズムを攻撃すること、
ないしはそれに連なるであろうものを否定する動きがあったことは否めない。


実際、藤井一行や前野徹三、加藤哲郎などの面々は、
歴史学研究者なら一瞬で見抜ける虚偽で装飾した自称自由主義史観、
実際は隠ぺい史観(都合の悪い史実を隠そうとする歴史の見方)に対して
一定の評価すら与え、かつ一連の動きに確固とした批判を行えない
醜態をさらしている。


これは鎌倉時代の骨董品だと称されて競りに出された
メイドインチャイナの土産品を贋作だと見抜けない鑑定士同然である。


幸い、歴史学者の多くはソ連崩壊以降も他の学者と違い、
まぁ中国史やソ連史は別としてだが、時代の沈黙の圧力に屈せず
今日まで至っていると思う。だが、以前紹介した今西一のように
どちらかといえば、ソ連崩壊に気を良くして体制に与する歴史を
書く御用学者も少なくはない。いわば、リベラルを装いながら
徐々に右にシフトさせようとする動きもまた確かにあるわけで、
こういう輩から歴史を守ることも今後の学者に課せられた使命だろう。


なお、引用した右翼サイトでは戦後の歴史学を
マルクス主義歴史学と決めつけているのだが、その代表者に
遠山茂樹や永原慶二を加えず、なぜか井上光貞を入れている。

また、代表者として羽仁五郎を挙げているが、彼は確かに
マルクス主義学者であるが、戦後の歴史学を牽引した人物とは
言い難い。むしろ日本史に関しては藤原彰、大江志之夫、
遠山茂樹、永原慶二、直江孝次郎といった面々が主に主導した感がある。

この中には当然非マルクス主義の学者も大勢おり、
要するに大日本帝国の汚点は科学的に実証された事実であって、
これを歪めて伝えることは学者としてできないわけである。

明らかにサイト主は日本の歴史学会について無知に等しいことを
さらけ出している。また、常に日本の歴史を否定的に見るとして
怒りをあらわにしているが、日本近現代史が否定的に見ているのは
天皇制度に基づいた大日本帝国の蛮行であって、民衆まで否定的に
見ているわけではない。むしろ民衆を相対的に善玉として描くことが
批判されて、最近では大衆の戦争責任も研究されるようになったほどだ。

要するに、批判者によると
日本政府の批判→日本そのものの批判
にあたるらしい。こういう見方こそ権力の犬になることに
エクスタシーを感じる奴隷的アプローチである。

このサイトの著者は、歴史学者は全てマルクス主義という
誇大妄想に取りつかれており、かつ共産党と対立している
日教組を始めとして、明らかに御用メディアであるNHKや
朝日もマルクス主義として攻撃している、まさに
人を見たら泥棒と思えを実行している狂人である。

こういう人間が極右に吹き込まれた出鱈目を信じ、
「解放された」「目が覚めた」と書いているのだから、
まぁやっぱり右翼というのは宗教法人の一種だと思う。

前回の続き

2013-10-02 23:54:48 | 反共左翼
前回の記事を書いた後、戦後左翼の何がいけないのかについて
自分の考えを整理したのだが、あれこれ文句を言っているようにみえて
世論に対して攻撃的な意見を絶対に書かない部分がそれに当てはまると思う。


北朝鮮の人工衛星実験への報道はまさにそれだろう。
靖国問題や慰安婦問題は、国内にもそれなりに批判者が育っているから
国家や右翼の偽善を批判できるのであり、これが天皇制となれば話は別だろう。


はっきり言おう。今の左翼は靖国神社参拝に反対できても
天皇制廃止は反対することができない。支持者が極端に少ないからだ。


同じく、経済格差を批判しても、賃金労働制の廃止は叫ぼうとはしない。
天皇制(政治制度)や資本主義(経済制度)といった制度そのものに
問題があるとして、その廃止を叫ぼうという考えは随分前に消え去った。

これは共産党も同様で、現在の共産党は漸進的に、まず民主主義革命を
選挙によって平和的に起こすところから始めることを念頭においている。

経済改革もまずは富裕税の導入と内部留保の徴収を掲げており、
システム自体の改革から部分的な改革へと修正している。

これは、冷戦時代の共産党と比べると大きな後退でもあるが、
逆にいえば、そうでもしないと票を獲得できないまでに世論のレベルが
落ちていることも意味する。かつての共産党ならば自身らを前衛と称して
大衆を導こうとしたものだが、今は民衆に歩調を合わせることをモットーと
している。つまり、民衆のレベルに呼応して丸くなっているわけだ。

共産党はまだマルクス主義の立場を固持し、党名も変えずにいるが、
冷戦時代にすでに大衆に媚びた姿勢をとり、反保守派という立場から
権力者と協力して共産党を攻撃し与党の勢力維持に貢献してきた
反共左翼(戦後左翼)はもはや言うまでもない。

本来の批評とは大衆がもつ差別意識や間違った考えに対して
喧嘩を売るようなものでなければならない。ところがそれをしない
もんだから、世の中が右傾化すれば右傾化し、左傾化すれば左傾化する
という情けないザマをさらしているわけだ。利権政治の代表的存在だった
八ツ場ダムの建設中止の際に朝日をはじめとした反共左翼は何を行ったかと
言えば、住民の声を聞けといって利権に群がる地元の連中に味方したし、
社民党もこの件に対する民主党バッシングに対して抗議すらしなかった。

こうやって相手の顔色を見て自分の正義を引っ込めるから
ほとんどの日本人が現在、右に突っ走っているのは仕方ないことだと思う。

彼らの殆どは中道左派、あるいは中道右派を名乗っているが、
中道と言いながら徐々にスライドしていっているわけで、
こういう自身の後退っぷりについてもっと強く自覚しないといけないだろう。

これは現在の共産党に対しても言える。以前から共産党はソ連や中国に対しては
大国主義と称して反発の姿勢をとっていたが、現在連載されている不破哲三の
スターリン悲史を読むと、これは正論やSAPIOに掲載されても不思議でない
内容になっていて、かつての党のリーダーも随分変わったことがよくわかる。

本来、日本全体に流れる共産バッシングに対して抗う姿勢をとらなければ
ならないのに、逆にその時流に乗っかってしまうのは本末転倒だ。

現在でも、ムスリム圏、ラテン・アメリカ、アフリカを中心に
西洋ヨーロッパの制度(自由主義、民主主義、資本主義)とは
異なる国家が多くあり(というか、そっちのほうが多数派だ)、
こういう国家群を「野蛮(非民主的)」と称して滅ぼそうとする
動きに対して真っ向から立ち向かう人間が必要だと私は思う。

コミュニストという集団は、それら途上国の制度を肯定した上で
先進国の横暴に抗える可能性を秘めているし、実際、そうだったが、
今後、世論の支持を欲するあまり社会党のように世間にすり寄ってしまえば、
それは共産党とは名ばかりの敵役を演じる権力側の協力者になってしまうだろう。

松竹伸幸氏について

2013-08-17 21:44:47 | 反共左翼
共産党は党員に対して党の見解を順守するように定める民主集中制
という制度を採用している。これは数回(時には数十回)にも及ぶ
議論を重ねた上で決定された事項は守りましょう、守らなければ
厳罰に処しますというもので、反共主義者はこれを嬉々として攻撃
するのだが、結果として個人として問題がある人間でも党員である間は
割とまともな意見が言えるようになる長所もあったりする。


さて、今回とりあげる松竹伸幸氏は以前は共産党の護憲派議員として
活躍したのだが、ある時期を境に党とのブレが生じ、結果的に
事実上の除籍にあっている方である。以下の引用は彼が議員だった時の
党の紹介文である。


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日本の平和は軍事偏重では保たれない、アジアの平和の流れに合流すべきだ―
松竹さんは、この立場から、非核・非同盟の外交政策を積極的に提唱。

昨年2月、沖縄基地問題で世界への「訴え」を発表したときも、
何回も沖縄を訪れて、被害者の話を聞き、中心的な役割をはたしました。

ttp://matinofuruhonya.blog.fc2.com/blog-entry-399.html

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なんのことはない、これは共産党が以前から一貫して主張してきた
ことであって、別に松竹が初めて唱えたことではない。

で、この松竹氏、今は憲法論や外交論を巡って党と対立し、
今年からかもがわ出版の編集長になっているそうなのだが、
彼が現在さかんに主張しているのは軍の容認である。


普通は除籍されることで組織に左右されない自由な意見が
述べられるはずなのだが、どういうわけだか共産党の除名に
あった人間は軒並み右傾化する。

軽い程度なら無関心という形での、保守派へ対する無言のエールで
済んでいるが、セクハラでクビにされた超カッコ悪い爺さんの
筆坂氏に至っては産経新聞に登場して改憲論をのたまっている有様である。

松竹氏も共産党と疎遠になったならば今こそ、
尖閣諸島や北方領土が日本の領土だというのは無理があるとハッキリ
言ってやればいいのに、領土を守るためには自衛隊が必要だと
なんだか共産党と仲が悪くなるのも納得だなーと思う主張をしている。

はっきり言って、「自衛」といいつつ実際には「軍隊」であるから
ヤバいんだという話なのに、自分の国は自分で守るといった
本末転倒な話をしていて、要するに「自衛隊」という名の軍隊を
彼は必要なものだと語っているのである。

こういう右にも左にも喜ばれそうな内容を書いて
その実、右傾化するという姑息な戦法は伊勢崎氏のそれに似ていて
実に利口だと思う。筆者は前々からこの方の領土論はおかしいと
思っていたので、こんな人が党にいるのは汚点だよなと考えていたのだが、
今は党と無関係らしいので、すごく安心した。

ただ、かもがわ出版で編集長を務めているとのことなので、
この方の場合は自発的に離党したようだが、同時代社のように
犬猿の仲になり、せっかく良書を多く出版しているかもがわ出版が
ただの反共左翼出版に変貌してしまわないかと少々不安でもある。

最後に彼の主張に対する、ある松竹ファンのコメントを
引用して、反共(=戦後)左翼の問題点にふれていきたい。

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私の愛読しているブログの一つ「超左翼おじさんの挑戦」は、
ブログ主の松竹さんがかもがわ書店の編集長に就任されることから、
その役割を終え、新たな冒険の旅に出ることとなりました。

とても参考になるブログでした。
今後一層のご活躍を期待しております。

その「超左翼」のお名前の通り、
いわゆる「左翼」の範疇に納まろうとしない姿勢に常に共感していました。


左翼であれば増税には反対しなければならない。

左翼であれば戦争には反対しなければならない。

左翼であれば領土なんて関係ないとうそぶかなければならない。

左翼であれば自衛隊は廃止と叫ばなければならない。

そういう思い込みや貧困な哲学をいかにして克服すればよいのか。

そのヒントは左翼の豊かな言葉のなかにこそある!
それを地でいく貴重なブログでした。

ttp://wa2zoo.blog8.fc2.com/blog-entry-540.html
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とまぁ、こんな文章なのだが、はっきりいって
増税反対、戦争反対、自衛隊廃止を主張するのが
左翼のアイデンティティというか存在理由ではないのか?

増税に反対せず、戦争に反対せず、自衛隊にも意見しないなら
わざわざ劣勢の左翼に与さず右翼になればいいではないか。

というか、そういう左翼は左翼ともはや呼べないのではないのだろうか?
実際、こういう軍隊の必要性を語る人間は
自分の立場を「リベラル」というずいぶんと曖昧な言葉で粉飾している。

何度も言っているが、こういう右翼と大差ない意見しかいわない
左翼というのは、右翼にとって恰好の攻撃の的であり、
右翼の主張を正当化させる駒にしかならない。いい加減気づけよと思う。

私は、北朝鮮(より正確にいえば総連)や共産党のような
左翼にすらバッシングされているマイノリティの側に立って
意見を掲げることこそが本来の左翼だと考えている。


今の日本の出版社で左翼らしい左翼は高文研やスペース伽耶、
新日本出版社、大月書店、昭和堂、桜井書店、自治体研究所、
かもがわ出版、学習の友社等々といったところで、数が少なくなっている。

こうして列挙すると結構あるように見えるが、平凡社とか筑摩書房、
みすず書房、お茶の水書房、岩波書店といった高名な学術出版社すら
軒並み反共左翼なのだから、本当に現在の日本で大衆に抗う意見を
述べる度胸のあるマスメディアは絶滅危惧種なのである。


戦前の治安維持法の時代から
この国において朝鮮人と共産主義者は徹底的に弾圧を受けてきた。
それは国家だけでなく大衆がこぞって参加した差別だった。

このシステムが戦後の冷戦体制で克服されずに今日まで来ている。
だから、左翼と称している連中も基本的にはこの二者については
本当に冷たい言葉を平然と浴びせてきている。

結局のところ、彼らは自分のことしか考えていないのだから
本質としては右翼と大差ない。信仰対象が異なるだけだ。

こういう国家主義的な左翼が同じく国家主義的な右翼と
手を取り合っているのが現状の日本であり、そういう有様の中、
上記の出版社は本当に頑張っていると思う。その中の一つに
松竹氏が高いポジションの職に就いたのは正直ショックで、
また貴重な出版社がつぶれてしまったなと思ってしまった。