「共産党は元々原発推進派だった」という言説がまことしやかに
囁かれているのですが、これはかなり疑わしい意見だと思います。
筆者の蔵書には『日本の原子力発電』という共産党が出版した新書があります。
これなどを読むと、推進どころか、バリバリの反対派だったのは明らかです。
この本は1974年7月に出版されたもので、アメリカのスリーマイル島の
事故よりも前に、日本の原子力発電開発が危険なものであること、
経済界や政界の利益を優先したもので、安全性が無視されていることを
指摘し、警鐘を鳴らしています。これに加えて、1981年に出版された
『不破哲三政策論集(上)』でも、1980年の衆議院予算委員会質問の場で
不破哲三氏が日本の原発開発が防災面で何をしていないことを指摘し、
原発安全神話に対して、それは違うと主張しています。
--------------------------------------------------------------
日本ではなにかあっても“原子力は大丈夫だ”という宣伝をやっている。
しかし、この報告は“原子力は大丈夫だ”と宣伝しているうちに、
自分までその気になって、安全を管理する者、動かす者、会社の方も、
政府の方も、原子力発電所は十分安全だという考えがいつのまにか
確固たる信念として根を下ろすに至った、これが危険なのだ、
だからこれからはこうした態度を改めて、原子力は本来危険を
はらんでいるということを口に出していう態度に変えなければならない、
といっている。これが勧告の基本的な考えなのです。
-----------------------------------------------------------
では、いったい、なぜ共産党が原発推進派だったと言われているか
と言いますと、同党が核の「平和利用」は容認しているからです。
これは加藤哲郎氏の論文がかなり強い影響を持っていると思いますが、
要するに、日本共産党は原子力爆弾には反対していたが、
核の平和利用=原子力発電には賛同していたという見方です。
確かに、核の平和利用というフレーズは使われています。
しかし、文脈を踏まえれば、その意図は全く違うことは明らかです。
----------------------------------------------------------
核エネルギーというのは人類に発見した新しいエネルギーですから、
これを平和的に利用する方途を探究するのは、私は当然だと思う。
しかし、そのときにもいったように、これは未完成の技術であって、
そのことを十分心得て安全性について今日の許す限りの体制をとらねば
非常に危険なことになる。これが根本問題です。
(不破哲三政策論集より)
-----------------------------------------------------------
筆者らは原子力が未来をになうエネルギー源であることについては、
いささかも疑問をもっていない。しかし同時に原子力が現状においては
軍事利用が圧倒的であり、平和利用にかぎられるという状況には
ほど遠いことも事実である、また安全性も決して保障されてはいない
のである、また安全を保証すべき研究開発はまったく不十分なままである、
ということも指摘しておかなくてはならない。
(中略)
このような試みをおこなったのは、現在政府の手によってすすめられつつ
ある原発設置計画が、現在および将来の国民にとって危険であるばかりでなく、
わが国経済の自主的発展にとっていも危険であると考えたからである。
(日本の原子力発電より)
-----------------------------------------------------------
この本の副題は「安全な開発をめざして」とあります。
つまり、安全性を確立する研究開発が進んでいないこと、
その研究を進めた上での開発を提唱していると読み取れるでしょう。
ふつうは。
ちなみに、理系出身で長らく原発推進の危険性を主張してきた
吉井秀勝氏も2010年に出版した『原発抜き・地域再生の温暖化対策へ』
の中で安全を保証すべき研究開発を以下のように説明しています。
------------------------------------------------
核兵器廃絶の道にたつと、プルトニウムを生み出さない
原発を模索するということになります。
それは、原発の中で、プルトニウムを作らないことだけではなく、
高レベル放射性廃棄物を生み出さないタイプの原発を検討する
ということと結びつきます(P.80)。
1938年の原子核分裂と原子核融合の発見は人類史的意義を
持っています。この原子核エネルギーを、安全に制御して
使いこなせるかどうかは、人類にとって未完成の技術分野であり、
将来、利用可能となるかどうか自体がこれからの研究にかかっています。
残念ながら、原子核の研究開発の出発が、原爆製造と核兵器運搬のための
原子力潜水艦の開発という軍事利用だったことから、原子力の平和利用には、
軍事の影がつきまとってきました。その上、安全技術の水準を超えて
原発の規模を拡大する大企業の利益中心の進め方も、原子力の研究のあり方を
歪めてきました。
原子力の研究や開発が、国民の案円と利益を守る立場で進められるように
なるには、日本の原子力研究・開発の障害となってきた、日米安保と
大企業本位の二つの政治の歪みを正すことが必要です(P.188)。
---------------------------------------------------------
以上の吉井氏の意見は、少なくとも70年代初頭以降の共産党の意見と
一致するものであり、歴史的にみても、共産党の核平和利用論が
日本政府による原発推進政策と真っ向から対立する内容であることは明らかです。
ただし、筆者は60年代の共産党の同問題に関連する資料は
入手できなかった(多分あるだろうが論文でもないのに
そこまで時間を割きたくない)ので、この間における同党の
姿勢に関しては、イエスともノーとも言えません。
しかしながら、加藤哲郎氏や土井淑平氏らが主張する
共産党原発推進派論では、共産党が反原発に目覚めたのは
90年代半ば(論者によっては震災以降)となっており、
この点に関して言えば、同論がデタラメであることは確実でしょう。
なお、彼らが脱原発の代表的人物として評価する広瀬隆氏に対して
共産党が否定的な見解を述べたこともまた、根拠の一つになっていますが、
同氏は、科学的に確定事項となっているCO2による地球温暖化説を
否定したり、アメリカの金融危機をロスチャイルドの手によるものだと
陰謀論を唱えたりと、かなり信憑性の乏しい主張を行っており、
共産党が彼を批判したのも、その科学的知識の不正確さが原因です。
科学的知識の正確さ?そんなの関係あるか!
脱原発なんだよぉっ!!
こういう態度で民衆から賛意を得られるかどうか
甚だ疑問です。
広瀬批判をしたから原発推進派だという意見については
自分たちのグループを攻撃する者は原発推進派という
勝手な思い込みに基づいたものと言えるでしょう。
(なお、私は温暖化なんて嘘なんだと喧伝し、
結果的に日本や米国といった先進諸国に都合のよい
働きをしている広瀬氏を、いくら反原発を行っているからといって
評価したくはない。原発さえ何とかできれば他はどうでもいいとは思えない)
以上をもって結論付ければ、いわゆる共産党が元々は
原発を推進していたという意見は成り立たないと言えます。
私が利用した資料は、一般人でも閲覧可能なものばかりですから、
その気になれば、こういった言説が虚構だと、それこそ原発を
専門とするプロの運動家たちは看破できたはずです。
(気づかなければ運動家として勉強不足ですし、
気づいているならば、意図的に嘘を広めていることになります。)
にも関わらず、このような間違いを、
むしろ積極的に流布しているのはなぜなのか?
一つには反共主義というものがあるからだと思いますが、
それ以上に本質的な問題として、現在の脱原発派の
教条主義(即自ゼロを主張しない限り敵とみなす)があるからではないでしょうか?
本来、原発問題を解決する手段は幾通りもあるはずです。
しかしながら、即時撤廃と段階的撤廃を質的に異なるものとして
徹底的に攻撃する。無視をする。事実さえ捻じ曲げる。
こういう狂信的かつ狭量(こころがせまい)な態度で
振舞っているからこそ、いつまで経っても
国民全体の一般常識として脱原発という意識が浸透しないのでは?
と私などは思います。
加藤哲郎批判の記事がよく読まれているので、
思い切って今回の記事を書きましたが、彼をはじめとした
人権を重んじる民主主義者たちの行ったことは、私としては
全く共感できないし、自分で自分の首を絞める行為だと思う。
少なくとも、すぐに間違いだと気付く嘘を平然と言い広めるのは、
研究者のモラルとして恥じるべきだと思います。
でたらめでも良いのならば、結果オーライでもいいのならば、
今すぐジャーナリストや研究者の肩書を捨てるべきではないかと…そう思います。
囁かれているのですが、これはかなり疑わしい意見だと思います。
筆者の蔵書には『日本の原子力発電』という共産党が出版した新書があります。
これなどを読むと、推進どころか、バリバリの反対派だったのは明らかです。
この本は1974年7月に出版されたもので、アメリカのスリーマイル島の
事故よりも前に、日本の原子力発電開発が危険なものであること、
経済界や政界の利益を優先したもので、安全性が無視されていることを
指摘し、警鐘を鳴らしています。これに加えて、1981年に出版された
『不破哲三政策論集(上)』でも、1980年の衆議院予算委員会質問の場で
不破哲三氏が日本の原発開発が防災面で何をしていないことを指摘し、
原発安全神話に対して、それは違うと主張しています。
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日本ではなにかあっても“原子力は大丈夫だ”という宣伝をやっている。
しかし、この報告は“原子力は大丈夫だ”と宣伝しているうちに、
自分までその気になって、安全を管理する者、動かす者、会社の方も、
政府の方も、原子力発電所は十分安全だという考えがいつのまにか
確固たる信念として根を下ろすに至った、これが危険なのだ、
だからこれからはこうした態度を改めて、原子力は本来危険を
はらんでいるということを口に出していう態度に変えなければならない、
といっている。これが勧告の基本的な考えなのです。
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では、いったい、なぜ共産党が原発推進派だったと言われているか
と言いますと、同党が核の「平和利用」は容認しているからです。
これは加藤哲郎氏の論文がかなり強い影響を持っていると思いますが、
要するに、日本共産党は原子力爆弾には反対していたが、
核の平和利用=原子力発電には賛同していたという見方です。
確かに、核の平和利用というフレーズは使われています。
しかし、文脈を踏まえれば、その意図は全く違うことは明らかです。
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核エネルギーというのは人類に発見した新しいエネルギーですから、
これを平和的に利用する方途を探究するのは、私は当然だと思う。
しかし、そのときにもいったように、これは未完成の技術であって、
そのことを十分心得て安全性について今日の許す限りの体制をとらねば
非常に危険なことになる。これが根本問題です。
(不破哲三政策論集より)
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筆者らは原子力が未来をになうエネルギー源であることについては、
いささかも疑問をもっていない。しかし同時に原子力が現状においては
軍事利用が圧倒的であり、平和利用にかぎられるという状況には
ほど遠いことも事実である、また安全性も決して保障されてはいない
のである、また安全を保証すべき研究開発はまったく不十分なままである、
ということも指摘しておかなくてはならない。
(中略)
このような試みをおこなったのは、現在政府の手によってすすめられつつ
ある原発設置計画が、現在および将来の国民にとって危険であるばかりでなく、
わが国経済の自主的発展にとっていも危険であると考えたからである。
(日本の原子力発電より)
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この本の副題は「安全な開発をめざして」とあります。
つまり、安全性を確立する研究開発が進んでいないこと、
その研究を進めた上での開発を提唱していると読み取れるでしょう。
ふつうは。
ちなみに、理系出身で長らく原発推進の危険性を主張してきた
吉井秀勝氏も2010年に出版した『原発抜き・地域再生の温暖化対策へ』
の中で安全を保証すべき研究開発を以下のように説明しています。
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核兵器廃絶の道にたつと、プルトニウムを生み出さない
原発を模索するということになります。
それは、原発の中で、プルトニウムを作らないことだけではなく、
高レベル放射性廃棄物を生み出さないタイプの原発を検討する
ということと結びつきます(P.80)。
1938年の原子核分裂と原子核融合の発見は人類史的意義を
持っています。この原子核エネルギーを、安全に制御して
使いこなせるかどうかは、人類にとって未完成の技術分野であり、
将来、利用可能となるかどうか自体がこれからの研究にかかっています。
残念ながら、原子核の研究開発の出発が、原爆製造と核兵器運搬のための
原子力潜水艦の開発という軍事利用だったことから、原子力の平和利用には、
軍事の影がつきまとってきました。その上、安全技術の水準を超えて
原発の規模を拡大する大企業の利益中心の進め方も、原子力の研究のあり方を
歪めてきました。
原子力の研究や開発が、国民の案円と利益を守る立場で進められるように
なるには、日本の原子力研究・開発の障害となってきた、日米安保と
大企業本位の二つの政治の歪みを正すことが必要です(P.188)。
---------------------------------------------------------
以上の吉井氏の意見は、少なくとも70年代初頭以降の共産党の意見と
一致するものであり、歴史的にみても、共産党の核平和利用論が
日本政府による原発推進政策と真っ向から対立する内容であることは明らかです。
ただし、筆者は60年代の共産党の同問題に関連する資料は
入手できなかった(多分あるだろうが論文でもないのに
そこまで時間を割きたくない)ので、この間における同党の
姿勢に関しては、イエスともノーとも言えません。
しかしながら、加藤哲郎氏や土井淑平氏らが主張する
共産党原発推進派論では、共産党が反原発に目覚めたのは
90年代半ば(論者によっては震災以降)となっており、
この点に関して言えば、同論がデタラメであることは確実でしょう。
なお、彼らが脱原発の代表的人物として評価する広瀬隆氏に対して
共産党が否定的な見解を述べたこともまた、根拠の一つになっていますが、
同氏は、科学的に確定事項となっているCO2による地球温暖化説を
否定したり、アメリカの金融危機をロスチャイルドの手によるものだと
陰謀論を唱えたりと、かなり信憑性の乏しい主張を行っており、
共産党が彼を批判したのも、その科学的知識の不正確さが原因です。
科学的知識の正確さ?そんなの関係あるか!
脱原発なんだよぉっ!!
こういう態度で民衆から賛意を得られるかどうか
甚だ疑問です。
広瀬批判をしたから原発推進派だという意見については
自分たちのグループを攻撃する者は原発推進派という
勝手な思い込みに基づいたものと言えるでしょう。
(なお、私は温暖化なんて嘘なんだと喧伝し、
結果的に日本や米国といった先進諸国に都合のよい
働きをしている広瀬氏を、いくら反原発を行っているからといって
評価したくはない。原発さえ何とかできれば他はどうでもいいとは思えない)
以上をもって結論付ければ、いわゆる共産党が元々は
原発を推進していたという意見は成り立たないと言えます。
私が利用した資料は、一般人でも閲覧可能なものばかりですから、
その気になれば、こういった言説が虚構だと、それこそ原発を
専門とするプロの運動家たちは看破できたはずです。
(気づかなければ運動家として勉強不足ですし、
気づいているならば、意図的に嘘を広めていることになります。)
にも関わらず、このような間違いを、
むしろ積極的に流布しているのはなぜなのか?
一つには反共主義というものがあるからだと思いますが、
それ以上に本質的な問題として、現在の脱原発派の
教条主義(即自ゼロを主張しない限り敵とみなす)があるからではないでしょうか?
本来、原発問題を解決する手段は幾通りもあるはずです。
しかしながら、即時撤廃と段階的撤廃を質的に異なるものとして
徹底的に攻撃する。無視をする。事実さえ捻じ曲げる。
こういう狂信的かつ狭量(こころがせまい)な態度で
振舞っているからこそ、いつまで経っても
国民全体の一般常識として脱原発という意識が浸透しないのでは?
と私などは思います。
加藤哲郎批判の記事がよく読まれているので、
思い切って今回の記事を書きましたが、彼をはじめとした
人権を重んじる民主主義者たちの行ったことは、私としては
全く共感できないし、自分で自分の首を絞める行為だと思う。
少なくとも、すぐに間違いだと気付く嘘を平然と言い広めるのは、
研究者のモラルとして恥じるべきだと思います。
でたらめでも良いのならば、結果オーライでもいいのならば、
今すぐジャーナリストや研究者の肩書を捨てるべきではないかと…そう思います。