中国西安で奮闘する大学教師Mの日々

日本人教員として中国の陝西省西安市の大学生・大学院生に対し、「日本文化・社会」や「卒業論文」などを教えています。

中国人学生達の留学前の意見、留学後の意見

2013年02月02日 04時18分07秒 | 中国の大学、大学生
本日は色々と予定が入っていて小忙しい日でした。
そして、無事に投稿論文も所属している某学会へ出すことが出来ました。
とにかく抱えている課題や業務が少し多いので、一安心です。


さて、今日は午前に自宅を出て、大学へ行く途中の電車内で文献購読。
12時前に大学に到着し、そこで偶々会った中国人留学生と昼食をとりました。
なお、この学生は短期留学生で大学三年生の日本語を専攻する学生です。

日本へ来て三ヶ月ですが、留学後に中国イメージが大きく変わったとか。
その背景にあったのは、日本人学生達から聞いた「中国の評価」でした。
また日本に来て以来、ネットに掲載されていた「中国の評価」も関係していたとか。

それらが関係し、現在の彼女の中国イメージは以前よりも悪くなったといいます。
来日三ヶ月でそこまで急に意見が変わったことにも驚きましたが、こうした例は稀な事例ととらえるべきなのでしょうか。

それとも・・・。


ともかく、ある種、偏った中国イメージを持ち始めているこの学生に私から一つのことを強調して伝えたつもりです。
それは、

「海外に留学して、自国の劣っている点(反対に、優れている点)が見えたりすることは一般的なことと思う。だけど、その片面や一部で、安易に評価をせず、もう少し色々と自分の目で広くみて、そこで相対的な見方をしてほしい。」

ということでした。
同時に日本へ来た留学生達には、是非そうした意識を持って日本という国をみてもらい、そうして得た見識を今度は中国国内に暮らす人々にも伝えて欲しいものです。


私が以前からずっと気になって一つのことがありました。
それは、中国の学生達が留学前に持っていた中国に対するイメージや言動が、留学後に大きく変わるケースが少なくないことです。

実際に日本へ来て、その学生の目で見ることで、それが中国イメージの相対化する作業となり、自身の見方をより本質的なものへと修正するならばそれは大変望ましいと思います。

ただそうではなく、自国を離れたので好き勝手に自国を批判しているだけに感じられる学生達を見かける時があります。
中国国内にいる時は、ある種の緊張関係が介在する環境だからこそ、そうした言動にストップがかかっていたがそれが日本へ来て解放された、という人もいるかもしれません。

ですが私個人的考えとしては、そうした「たがが外れた」ように安易に批判を繰り返す学生は信用できないな、と感じてしまいます。


批判するという作業自体は、実は考えようによっては非常に簡単なものです。

自分の批判内容に無責任であったり、批判することへの深い意味が付随していないものは特にそうでしょう。
また、批判相手に対して本質的理解をした上で行っていない批判もそうでしょう。

つまり批判する作業は、その責任や、批判相手へのきちんとした理解があってこそ、はじめて可能となるものだと考えます。

そうした過程を踏まないで、「日本に来たから自由に批判してもいい」という態度を示す学生は、結局、違う環境に行けば今度はどんな行動をとるか想像も出来ません。

言論がある程度自由であろうが、そうでなかろうが批判の本質的意味は変わらないのであって、恐らく、批判相手に示すべき最低限の尊敬や理解があってしかるべきだと私は思います。

そのことをきちんと理解していない学生に対してはどうも信頼を感じにくいのです。
なお、今日話す機会を得た学生が、上記の例に該当すると言いたいのではありません。
むしろ、彼女はきちんと話しをすれば話しの本質的な理解が可能な学生と感じました。


私も中国生活5年目をそろそろ迎えようとしていますが、このことを常に意識しながら、中国という国、また中国人達と向き合い、相対的により本質的理解を進めていきたいと思います。


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