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こんにちは江崎遊子です。

ちょっと言ってもいいですか。

『小さなお家』

2015年02月20日 | お山の映画館

 山田洋次監督の『ちいさなおうち』を観た。
 映画に出て来る赤い屋根の家を観た時、「小さなお家」というバージニアリーバートンの絵本を思い出した。
 太平洋戦争前夜の東京が舞台である。

 山田洋次一家、という配役であるし、
 過激な場面はなく、静かな反戦映画だと思って見ていた。
 黒木華という女優は、柔らかな存在感がある。

 監督が恋愛映画を作りたかったような気がしないのは、なぜだろう。
 恋愛のお相手が吉岡秀隆だったからだろうか。

 昔、いつごろだったか。
 ハリウッドで「カサブランカ」という大ヒットした恋愛映画がそれまでの恋愛映画の常識を破ったことがある。
 それまでは、水もしたたるような男前の俳優がヒーローだったのである。
 ところが『カサブランカ』でヒーローを演じたのは、日本で言ったら3頭身の阪東妻三郎のような
 まあ、4頭身くらいだったか、ともかく身長の割には顔の大きいハンフリーボガードがイングリッドバーグマンと恋に落ちるのである。
 それが、また、我等の涙を絞り出したのだし、ハンフリーボガードは孤独の陰を背中に感じさせていて、私たちは痺れた。
 わたしの中では、恋愛映画のベストスリーの一つである。
 ちなみに、『逢い引き』デビットリーン監督、『旅情』キャサリーンペップバーン主演、とこの『カサブランカ』である。
 古い映画ばかりですが、基本恋愛映画は余り観ない。
 ラブコメでは「恋人たちの予感』と『ユーガットアメール』ですね。たまたま出会った映画である。

 話がそれてしまった。
 『ちいさなおうち』の東京空襲の場面の作り方はしょぼかった。
 さすが、と思った。花火があがってるような感じだった。ただ予算が無かっただけなのか。
 映画の中に出てくるオモチャ会社は赤いおうちの主が重役をしている会社である。
 戦争に対する、あの当時の企業家の姿勢が現安倍政権と重なった。イケイケ、日本は強いぞ、みたいな。
 中国に進出して大もうけしよう、と意気をあげる。

 物語を作り過ぎないのが山田洋次流だと思うけど、
 寅さんをほぼ全部観たわたしとしては、寅屋の日常と寅さんのかもし出すリアリズムに安心感があった。
 恐らく、わたしはこの映画を寅さんの延長として、観ていたかも知れない。

 最後に倍賞千恵子が「長く生き過ぎた」と泣く場面にとても共感を覚えた。
 人の持つ悲しさが、表現しきれない人の悲しさ、戦争を起こしてしまうこと、
 恋愛にうつつを抜かすこと、罪を背負いきれないこと。

 そう言う意味で、過激なシーンを作らなくても、少なくともわたしには人間の持っている悲しさは伝わった。
 
 

 

『昭和残狹伝、死んで貰います』

2015年02月18日 | お山の映画館

 若い頃にこの映画を観たけれど、ストーリーは全く覚えていなかった。
 1970年に作られ、監督のマキノ雅弘は任侠映画で、清水次郎長三国志シリーズという名作を作った監督である。
 津川雅彦と長門裕之のおじさんじゃなかったっけか。

 分かっているけど、ストーリーは簡単だ。
 高倉健は減り張りのあるいい顔をしている。
 下を向いて、何かを考えるような場面で、それだけで、花田秀次郎の真剣さと真面目さが伝わって来る。
 希有な俳優だと改めて思った。
 身体の硬さや腰の低さに代表される高倉健の動きがそのまま、演技をしている、というよりそこで生きている感じだ。
 任侠もの意外にも1965年製作の内田吐夢監督の『飢餓海峡』では伴順三郎と一緒に犯人を追い詰める刑事の役をしていた。
 存在感は薄かった。しかし、この年、網走番外地が作られ始めた。
 
 任侠路線のスターとなって、顔つきも変わって来た。
 改めて、いい顔をしていると惚れ惚れした。スターの顔である。

 他にもわたしは昭和残狹伝は観てる筈で、イメージだけはできていた。
 池辺良扮する風間重吉と殴り込みに行く時、唄が流れるのである。
 かっこいい!背なで哭いてる唐獅子ボーターン。
 監督のマキノ雅弘は押さえ気味に作ってあった。

 それにしても、ストイックな俳優だった、としみじみ思ってしまった。
 それだけに、晩年、中国の巨匠チャンイーモア監督が高倉健主演で作った『単騎、千里を走る』は
 覚悟して観ないと、泣いてしまいそうである。

 高倉健が抱えていた孤独感は、アーティストとしての証明かもね。
 庶民は、高倉健の格好良さに、拍手喝采するのでした。
 ありがとうございました。

網走番外地。

2015年02月16日 | お山の映画館

 若い頃、やくざ映画は観たけど、
 このシリーズはレディの観る映画じゃないと思っていたみたいで、観なかったのである。
 やくざ映画とどこが違うの?て言われるかもね。いい加減なレディである。
 BSで高倉健特集をやっていて、旦那が録画している。

 とても面白かった。
 刑務所の中には8人殺しの極悪人が静かに服役していた。
 それを演じていたのは、鞍馬天狗の嵐寛寿郎である。
 悪人と思えないのは、高倉健と嵐寛寿郎だ。
 南原宏治は三国連太郎と並んで、奇優だと思う。存在感と気持悪さが凄い。
 高倉健はやくざの出入りで、敵の親分を殺した罪である。
 実は若い頃の高倉健は大好きだった。

 我等庶民は、銀幕のスターに癒されるのである。
 高倉健自身がどうあれ、我等は昭和残狹伝の花田秀次郎の格好良さに痺れるのである。
 話が飛ぶけど、007のショーンコネリーに痺れるのである。
 緋牡丹お竜の藤純子に痺れるのである。
 銀幕のスターは、自分勝手な庶民の憧れなのである。

 流刑者を山奥の樹木の伐採所にトラックで運ぶ時、二人づつ手錠をはめられていた。
 南原宏治が、高倉健を道連れにして、雪の中、トラックから飛び降りて脱走を計る。
 
 このシーンをみていて、『手錠のままの脱獄』というアメリカ映画を思い出した。
 黒人のシドニーポアチエと白人のトニーカーチスが手錠で繋がれたまま脱獄して
 反目し合いながら、友情が芽生えるというような映画だったと思う。
 どっちが先に作られたのだろう、と思って見ていた。
 後で調べたら、『網走番外地』の監督石井輝男は、「手錠のままの脱獄』にイメージを膨らませて
 脚本を書いていたとか。
 実際に網走刑務所で流刑者が脱獄を企てていた、という事実があり、
 それを初めに知ったのは三国連太郎だったとか。
 しかし、三国連太郎ではない、と東映の幹部たちは思ったとか。
 うーん、三国連太郎には内田吐夢監督の『飢餓海峡』がある。
 あれは名作である。三国連太郎の代表作だと思っている。

 網走番外地は結局18本作られたらしい。
 高倉健が嫌になるのも無理はないかも。

 大霊界で有名になった丹波哲郎が保護監察官として出ていた。
 南原と高倉健を丹波が追っかける、トロッコの爆走するシーンは凄い迫力だった。
 しかも、最後が悲惨じゃないのは、大スター高倉健の映画の重要なセオリーである。

 年齢を重ねてからの高倉健の映画は好きでない、というわたしの思いがある。
 それでも、『幸せの黄色いハンカチは』は好きである。
 あの映画の武田鉄矢は素晴らしかった。
 64回も撮り直しをしたという駅前で鎖に引っ掛かってこけるシーンに始まって
 前半は武田鉄矢の映画だった。それが高倉健をいっそう引き立てていた。
 面白かったのである。

 さて、次は『昭和残狹伝』とまいります。

溝口健二「祇園囃子」

2015年02月15日 | お山の映画館

 わたしのアンテナに引っ掛かって来ないけど、旦那が録画していたので観てみた。
 京都の花街の芸者である木暮実千代と田舎からでて来て、まだ10代のような幼さが漂う若尾文子が主人公である。
 木暮実千代は色香漂う芸者である。
 場所によって、芸者さんのランクがあると聞いたことがあるけれど、
 日本舞踊や三味線もしっかり仕込まれる、本来の芸者や舞妓さんである。
 原作が川口松太郎と書いてあった。
 白黒だけれど、着物が素晴らしい。

 花街の真実がどんなものか、よく分からないけれど、
 身体を売らない、というプライドがある事に依って、物語が出来ている。
 当然身体売るでしょ、と思っている男社会の考え方に抵抗する二人は
 浪速千恵子扮する水屋の女将の怒りに触れ、おふれが出て、どこからもお座敷がかからなくなる。
 お金の世界は、汚いよね。でもそれも我等の一部である事は確かだ。
 
 結局、木暮実千代にご執心の、役所の高官に賄賂として抱かれる事で、自分たちの立場を元に戻すのである。
 映像は、さすが、と思わせるものがある。
 溝口健二と意識して映画を観なかった。しかし、つい引き込まれて観てしまった。
 商売に失敗して落ちぶれた、若尾文子の父親役の進藤栄太郎が、みすぼらしくていい感じが出ていた。
 進藤栄太郎は意地悪な悪役の印象と、中村錦之助主演の「一心太助」ものの御家老である。
 独特の喋り方が濃い。
 
 溝口健二の映画は「雨月物語」とこれで2本目である。
 昔のように、研究心旺盛な映画の見方が出来なくなっている。
 今の自分にかなり引き寄せてみている感あり。

 「雨月物語」を観ると、肯定的にこういう時代があった、とは思い難い。それほど我等は変わったのだ。
 アニミズムが我等の身体に浸透していただろうし、大地と共に生きている感覚があった時代である。
 今よりも、人々は野の花や、鳥や、生き物と対話が出来ていた時代である。
 我等現代人は、文明というまやかしの世界にどっぷり浸かってしまって、もう元には戻れない。
 何がいいのか分からないけど、精神の病が増えているのは確かである。

 「祇園囃子」に出て来る京都の風景は、昭和27年の日本である。
 うーん。わたし、まだ4歳だった。日常的に下駄を履いていた。運動靴なんて珍しかったんだから。
 戦後7年だから、日本が貧乏だった時代だ。映像が残す日本文化に心が揺れたかも。
 

『女と男のいる舗道』

2015年02月10日 | お山の映画館

 若い頃、確か22.3歳頃だったと思う。タバコを吸い始めた。
 きっかけがこの映画「女と男のいる舗道」のポスターだった。
 ロードショーが昭和37年というから、その頃まだ中学生だったので、
 リバイバル上映の時のポスターだと思う。
 娼婦のアンナカリーナが男の肩越しにタバコを吸っているポスターだった。
 わたしの目にはかっこ良く見えたのである。覚めた目をした大人の女という雰囲気である。
 ずっと大人の女になりきれなくて、熟女の時期がなく、もはやおっさんぽくなってしまった。
 今は楽である。女を演じる必要がなくなったのである。

 旦那から映画のBD整理してくれの依頼で、整理し始めた。
 みてない映画も割合あって、というのも後で見ようとハードディスクからダビングしておいた映画である。
 整理しながら、つい観てしまった。
 面白かった。
 日本の身売りされて娼婦になるのとは随分雰囲気が違っていた。
 映画の中では、娼婦の性病の検査も国の法律で義務づけされていた。
 原題が「自分の人生を生きる、12のタブローに描かれた映画」とか。
 どーりで、何とも言えない暗さがなくて、さっぱりしているし、
 ヒロインがカフェで飲み物をせがんでおごってもらう老人と哲学を語ったりするシーンもある。
 その老人役は、ゴダールの哲学の恩師ブリスバランと言う人だとか。
 老人の口から出る哲学的な言葉が本人ととても近い感じがした。

 若い頃はその映画を観たいと思わなかったけど、普通に面白かった。
 あのターンタタタタンタンタン、というあの主題歌が「女と男のいる舗道」という題名とぴったりだった。
 しかし、邦題というのは、監督の主題を壊しかねないのが多い。
 ゴダールは過去の人ではなく、まだ生きていたと知った。
 あの当時、アンナカリーナはゴダールと結婚していたとか。

 どうあれ、映画はまず面白くなくてはならないと思う。
 理屈は後でお願い。