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こんにちは江崎遊子です。

ちょっと言ってもいいですか。

シネマストリップ?

2017年09月22日 | お山の映画館

 金曜日のスッピンの『タカハシヨシキのシネマストリップ」が好きである。
 あの滅茶苦茶早口のおしゃべりと、内容の面白さについ引きつけられる。
 タカハシヨシキさんのポリシーに関しては、どこを突いても安心感がある。
 
 ただ、今だホラー映画は未体験。
 今日のお話も面白かった。コビーフーパー監督の『悪魔の生け贄』だ。
 タカハシヨシキさんの話を聞く度にホラーみてみようかと言う気持になる。
 『死霊のはらわた』しかり。
 これは1974年の作品らしい。チェンソー殺人,と聞いただけで二の足を踏む。
 しかも、殺人者がふっと静かにもの思いにふける所が、希有で怖いとか。
 
 コビーフーパー監督はちゃんとしたホラーを作り続け、『悪魔の生け贄』はビューティフルの極みとか。
 『ポルターガイスト』もフーバー監督作品とか。
 タカハシさんが言うには、フーバー監督は恐怖に対して真剣に取り組んだ監督らしい。

 わたしの中で,恐怖はお友達にはなっていない。
 若い頃全く観られなかったサイコスリラーやバイオレンスが観られるようになった時
 わたしの中の変化、或は成長を感じた。
 ハンニバルシリーズ4作品を一気にみて、文学的香りさえ感じ、心の奥で震えるものがあった。
 バイオレンス映画例えば北野武の『その男狂暴につき』を自分の芯で受け止められたのは
 自分の中の暴力性に気が付いたからだろうと思っている。他人事ではないのだ。

 ただ、恐怖がどんな風に入ってくるか、予想がつかない。
 拒絶してしまうかも知れない。
 しかも、慢性心不全なので、心臓に良くないかも知れない。
 でもね,最近のニュースを見ているだけで、心臓に悪そうだから、
 人が作った映画としてみたら、ニュースよりマシかも知れない。
 
 タカハシヨシキさんのお話として,聞いてるだけでもいいかな。
 話はほんとに面白い。
 

『この世界の片隅に』を観て。

2017年08月18日 | お山の映画館

 緞帳はなかったものの、この映画が始まった所から、わたしたちは歴史的事実と共にある,と思った。
 
 広島県の呉の町で主人公すずの結婚生活が始まる。
 やがて,この町が壊滅する、とどこかでわたしたちは知っている。
 わたしは、なぜか目頭が初めからあつかった。なぜだろう。
 胸がいっぱいになる。
 歴史が物語った人間の奥深い残虐性と業の深さから来る悲しみが
 すずの平凡で当たり前の生活が描かれることによって、返って鮮明だ。
 現在、シリアや南スーダンの無慈悲な戦争で右往左往する住民の姿も重なる。

 映画が始まった時から私は泣いていた気がする。

 面白いと思ったのは、戦闘シーンや残虐なシーンが余りないのに、
 アメリカが本気で呉を空から爆撃して来た時、
 戦争の真の意味が分からず、その理不尽さに苦しくなって声が出そうだった。
 恐らく、女性の立場から見た戦争の無意味さが今までの映画にない,新鮮な反戦、絶対戦争は嫌だ、
 という声だったような気がする。心が乱れました。
 戦後生まれですが、時代のシチゥエーションに対する,強烈な郷愁があったのかも知れない。
 でも,この映画を何度も観ている人たちは,結構若い人が多かった。
 若い人に,どういう入り方をしたのか聞いてみたかった。
 
 わたしは、映画の最後、呼吸が出来ないくらい、心を揺り動かされていた。
 こんな体験は滅多にない。
 その真意を測りかねている。言葉にすると,どれも違うような気がして来る。
 すずのような生き様がこの上なく愛おしいのか、
 戦争をやめられない人間の愚かさが悲しいのか。

 拾ったら切りがない戦争の悲惨さは山程あると思うけれど
 そこから、また生きていこうとする人たちの逞しさは、恐らくわたしにもある。
 戦争の中で、たまたま命が助かって、偶然生きていることが
 その先の人生を生きて行くと言うことだと思う。涙なんかじゃない。
 心の奥深い所で,震えが来たんだと思う。
 
 機会があったら,もう一度みてみたい。
 時折出て来る、すずの描く絵が素敵だった。
 監督の日大芸術学部の教え子にも手伝ってもらったと言ってたけれど
 絵の使い方が面白かった。

 なにかしら、心に温かいものが残った気がする。

 この映画を観るように促してくれた埼玉のG氏に感謝である。

 わたしたちは上から降って来る殺人兵器に逃げ惑うしか,生きる道はないのだろうか。
 どうあれ、すずとともに我等は生きていくのである。
 まだまだ考えることがありそうである。
 昨日は金沢シネモンドに監督自らいらしてお話しされ、パンフレットにサインをしてくれた。
 しかも、ひとりづつ声を掛けてくれた。
 
 穴水を7時18分発のバスで行きました。行って良かったと心底思いました。

映画『ミッション』

2017年02月25日 | お山の映画館

 この映画は31年前に上映された映画である。
 最近、WOWOWで放映され,昨日久しぶりに観た。

 この映画には色々思い出がある。
 わたしたち一家が、能登の山奥の曹洞宗のお坊さんの誘いで横浜から引っ越して来た頃、
 ロードショー上映された。
 今、ここの窓から見える寺の和尚さんがそのお坊さんだ。
 京都の、その頃の老師、内山興正に師事した、筋金入りの曹洞宗のお坊さんである。
 その和尚さんと,家の旦那が、それぞれどこかの映画館で『ミッション』をみてきて
 その二人の講釈師が映画の話を熱を込めて話すので、是非観なければと
 遅れて金沢の映画館に出向き、緞帳が上がった時点でもう感動して涙が出てしまった。

 これから見る人には申し訳ないけど、言ってしまえば、これは一旦奈落に落ちた人間の再生の物語である。
 しかし,タイムリーというか、新井白石の事が書かれた藤沢周平の小説『市塵』を読んだので
 1705年に屋久島にやって来たイタリアの宣教師ヨハンシドッチの話とリンクした。
 『ミッション』では1750年頃か、宣教師たちは未開の土地に入って、
 しかもかなりジャングルの奥地に入って布教活動をし、教会を建て、学校を建て
 音楽や,美術の指導、畑作、工作など教えて,経済を活性化させる。
 現実には150年という時間をかけたらしいけれど
 イエズス会の宣教師は、なぜそこまで違う文化を持つ異民族の所にやって来て、
 自分たちの文化を押し付け、そこまでするのか。と不思議だった。
 しかも,あれ程熱心に。当時、教皇の命令であれば,世界中どこへでも出向いたとか。国名である。
 日本にやって来たシドッチはキリスト教に窓を開かせるためらしい。
 徳川時代は,御法度ですもんね。
 ローマ帝国の世界戦略だったのか。
 イエズス会の宣教師はかなり有能で博識だという事は『市塵』で新井白石が
 訊問官として幕府に任命されて訊問する話に出て来てよく分かる。
 白石はシドッチに多大な興味を持つのである。
 しかし,シドッチは棄教することが出来なくて、最後は幕府の命で餓死させられた。

 あの頃,映画館で観た『ミッション』はほんとに迫力があった。
 インディオが、動物を狩るように罠にかけられて捕まえられ、奴隷として売られる。
 デニーロ演じるスペインの奴隷商人が馬に乗って登場する場面がある。
 エンニオモリコーネの音楽が、マカロニウエスタンの音楽と、クラシックを混ぜたような
 恐らく,アンデスの音楽も合わせたのだろう、とても良かった。
 デニーロも若かった。音楽が良かったなあ。
 ジェレミーアイアンがオーボエを吹く場面があるけど、オーボエーって吹くの大変らしいよ。
 
 乱暴だけど、お薦め映画です。

 今回は、些末な事が気になって、映画にのめり込めなかった。
 権力側の利害と合わなくて,イエズス会の宣教師とグアラニー族は弾圧されることになるのであるが、
 ミッションに出て来るグアラニー族は実際、3年程抵抗したらしい。
 それをグアラニー戦争と言うとか。
 あの当時、ポルトガルとスペインは世界の覇権国家のようだね。
 
 何故だろう,仏教の布教活動って聞かないね。
 

 

映画ベル&セバスチャン

2016年12月07日 | お山の映画館

 映画の情報もなく、当てずっぽうに録った映画である。
 まさかフランスで大ヒットした映画だったなんて、ラッキーだ。

 昨日、第一作と続編と両方見た。
 ともかく、アルプスの情景が見事だ。
 後で、冒険家のニコラ・ウ”ァニエっと言う監督だと知って納得した。
 恐らく、アルプスを熟知している筈だ。
 少年と犬のベルが駆け回る山々がホントに美しい。
 
 残念ながら写真ではその美しさは分からないと思う。
 映画館で見たらさぞ良かっただろうな。
 
 私は読んだ事はないけれど、セシル・オーブリー原作の『アルプスの村の少年と犬』によるとか。
 日本で『名犬ジョリー』と言うアニメになったとか。

 こんな名犬はラッシー以来だ。
 この犬種がハッキリ分からないけど、同じような、デレーとした大型の白い犬は
 輪島でも見かける事がある。家にもかってソクラテスというゴールデンレトリバーの名犬がいたけれど
 ソクラテスでも叶わないかなりな名犬である。
 有り得ない、と思う程の賢さだけど、物語の中では、それで良いのだ、と思ってしまう。
 オーディションで監督の目に止ったのがこの少年だ。
 監督もかなり気に入っている。
 

 物語がよく出来ている。
 通奏低音のように一貫したヒューマニズムが流れていて、こんな時代だけど、まだ人間信じられる、と思わせてもらった。
 2015年の映画で、フランスはこんな映画がヒットするのなら大丈夫だ、と思ってしまった。
 ヨーロッパでも極右政党が台頭して来た話はよく聞く。
 今回のアメリカ大統領がトランプになった事で、世界が分断されて行く怖さが否めない。 
 ヨーロッパ頑張れ、と思う。

 冬の夜長、子供たちにも見せたい良い映画である。
 ちなみに、初めて知ったけれど、ZAZ(ザーズ)と言うフランスの国民的シンガーソングライターが唄う唄がいい。
 気持がとてもほっこりしました。
 

渥美清特集。

2016年08月12日 | お山の映画館

 8月4日が渥美清の命日とかで、
 渥美清の特集番組がいくつかあった。
 旦那が録画してくれて、お陰で面白くみた。

 ひとつはドラマ仕立てで「男はつらいよ」前夜と言うような若い頃の渥美清を柄本佑が演じていた。
 柄本君は全く似てないけれど、渥美清が森繁久彌に憧れていた話、伴順三郎とのバトルなど
 私生活や内面を吐露しなかった渥美清は、伝説を作り易いかもしれない。
 個人的には森繁久彌に憧れていた、と聞いて、嬉しいものがあった。
 だから何よ、と言う話だけれど、わたしの見る目もまんざらでない気がするではないか。
 
 伴淳については、厳しい関係だったようだけど、
 わたしの伴淳は、黒澤明の映画「どですかでん』にでて来た強烈な妻を持つビッコの男役だし
 内田吐夢の映画「飢餓海峡』のあの刑事である。どちらも人間味溢れる渋い演技が光っていて
 意地悪な感じがしない。
 ほんとの事は分からないけれど、渥美清とは馬が会わなかったのだろう。

 全く知らなかったけれど、渥美清は200もの俳句を残している。
 ザ・プレミアム「渥美清、心の旅路」で紹介されていた。
 ナレーションは吉永小百合である。
 そこに流れるバックの音楽、ナレーション。実によく出来た番組だった。
 一番印象に残ったのは、俳諧の重鎮、金子兜太の言葉である。
 「この人は化け物だね。チャップリンのような喜劇俳優の素質がある。
 自分を戯画化して、カリカチュアライズして、どんどん人前にさらす事が平気な男。
 それをかなり巧妙に隠しながら、修飾しながら、そう言う事の出来る人だと
 俳句を読んで思った」とか。

 最も渥美清の寅さんらしい、と思ったのが

   蟹 悪さしたように生き

   朝寝して、寝返りうてば昼寝かな

   花冷えや、我が内と外に君がいて

   みの虫、こともなげに生きてるふう

 話の特集の矢崎氏は俳句から渥美清の偽りの自画像、嘘をつく事で自分を維持していると思ったとか。
 いずれにしても、自分で風天と言う俳号(?)を考えて、渥美清は俳句を作り続けた。

   鮎、塩盛ったまま、固くすね(黒柳徹子が選んだ渥美清の一句)

   テレビ消して ひとりだった大みそか
 
   ポトリと言ったような気がする 毛虫かな

   赤とんぼ じっとしたまま 明日どうする

   移り香の ひみつ知ってる 春の闇

 山田洋次氏は渥美清の俳句を読んで「さみしい」と言っていると語っていた。
 それにしても、である。「男はつらいよ」の第1作、第2作はほんとに面白い。
 渥美清の魅力は、簡単に言う事は出来ないけれど、ひとつには声かな。
 
 さくらの結婚式での記念写真の時、「バター」という時の寅さんの顔は絶品である。
 目をキョロキョロさせて、誤摩化す時、動き、啖呵売の流れるような言い回し。
 
 第一作と第二作はほんとに好きな作品である。
 今週の火曜日にBSで放送された「奮闘編」に落語家の柳家小さんがうどん屋ではなく
 ラーメン屋の主ででていたのは、洒落がきいていた。
 来週の火曜日は吉永小百合、宮口精二出演の「柴又慕情」である。
 
 40作くらいダビングしてあるけれど、この際、全作品揃えたい。

 今回、特集番組を見て、
 波の立たない静けきった沼のような暗さを、渥美清が内面に持っていた事が
 笑いの中から感じられる絶品のリアリティではないか。
 改めて、第一作をみて、そんな事を感じました。

 渥美清は下町のロードショーの映画館で観客に混じって自分の作品をみていたとか。
 そんな渥美清を同じ観客席で、そっと覗いてみたかった。
 亡くなって20年も経つらしい。

 トーストしてバターぬろおっと。