アルツ・ジェンギンス夫婦の記録

重症アルツで亡くなった父の記録と現在100歳の母と高齢者みるきーの記録。

母回復中

2013-01-13 21:49:00 | 介護
昨日の土曜日は、なんとかかんとかベッドの中で適当なことをつぶやいてデイサービスをサボった母です。
今日の日曜日は、近所の一戸建てのデイサービスに行く日です。

施設には車椅子利用のことや朝起きれないので一番遅い便でのお迎えをおねがいしました。

今朝私が起きて階下へ降りていくと、玄関にデイのしたくとコートが置いてありました。
雨戸も開いています。
部屋では母がパンを食べていました。
私が置いておいた着替えも済んでいます。

びっくりしました。

少し回復してきたので母は自分に痛みがあることを忘れてしまっているのです。
だからときどき、 「 イタイ!! 」とおもわず叫びます。

デイのお迎えは10時というゆっくりの時間です。

車椅子で行くことを伝えると、母は[ありえない]といいますが、まだ体はまげれないので車はのれません。

車椅子に座って外の日向で15分くらい待ちました。
わたしはあたたかな日差しの中で外の掃除をしました。

      

周りがビルのために、ビルの形にかげができます。
だから一階は寒くて2階は暖かいんだな。


     

なかなか車がこないなぁと思っていたら、スタッフさんが徒歩で迎えに来た。
5分くらいの距離だからたしかに車椅子を押して徒歩の方が便利だ。
帰りは私が徒歩で迎えに行くことにした。

母が行ったあとはトイレ掃除をしたり、母の紙パンツを捨てたり洗濯したりと多忙で、でものんびりしてパソコンをいじっていたら、玄関のチャイムが鳴って中学校の同級生の男の子が二人私を誘いに来た。

家に誘いに来るって、まるで昭和のあの時代に戻ったかとおもった。

近所のお店に行ったら、女子は私一人であとは中学時代の近所の男友達が10人くらいいた。

おそろしくみんなおじさんになっていた。
そして、同級生で亡くなった人の話をした。
おそろしくたくさんいた。
そして、独身男性がいっぱいいた。

午後6時になったので私は母のお迎えに行かねばならず(徒歩でお迎えすることにしたので)
早々に退室した。

母を乗せた車椅子を押して家に帰った。

普通にデイを過ごせたそうだ。
風呂もはいったけれど、洗髪を拒否したらしく洗ってないって・・・困った話だ。


あすは久しぶりのお休みだ。
目が覚めるまで寝ていられる貴重な日だ。

うれしい・・。





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なまけもの

2013-01-12 08:39:00 | 介護
1月12日土曜日、今日は母の誕生日です。

いま、朝の八時です。

まったく、朝起きなくてデイは休みました。
7時45分に堂々と寝ている母に声をかけると
か細い声で

「 便が出てなくて具合がわるい・・・」と訴えて起きる気配もない。

デイに行かせるより、寝たきり老人にしておいたほうが楽なことは確かだが、それじゃ私たち家族が生き地獄となるのである。(臭くなるから)

私一人で母を起こしてデイに行かせる力はない!
母は昔父を根性で起こしてデイに行かせたなぁ~
遅く起きたときはバスでつれていってたなぁ~

そんなこんなで、デイに休むことを電話してから、母に
「今日は、デイを休むことにしたよ」と伝えたらば

「 あんなところ、どうしょうもない! 暖房がきかなくて、二日たっても暖房が壊れたままで、
上に立つ社長がいないからいけないんだ!気のきかない若いひとだらけで、体制がなってない」

と、さっきまで弱々しかった口調が急に文句野郎に変身し偉そうに怒ってる。

なまけものだな。

口がおとなしかったら老衰状態だろうが、憎々しい言葉を発するのでがっかりだ。

昨夜は午前4時に私は就寝した。
今朝は母のために7時半に起きた。

デイに行かないならあと2時間寝れたな・・

とんだ誕生日だ。

誕生日ころ母は死ぬと思っているので、今年はどうかと見守っている。
まだまだわからない
急変するかもしれないからな。

あと1年こうやっていきていくんだろうか・・・

もう生かしておいたらかわいそうな状態になった。
生きていても苦しいだけの母となった。

一日でも長く生きていて欲しいという自分勝手な考えはやめて
母の為をおもうなら、もう楽にしてあげたほうがいいと考えた。

いい状態で長生きしてもらいたいもんです。
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母の腰痛17日目くらい

2013-01-09 00:45:00 | 介護

 車椅子は社会福祉協議会から3ヶ月間無料で借りてきた。
 母のリハビリパンツも社会福祉協議会から9割引だったかな、大変安く購入している。

 タクシー代の無料券も欲しいところだが、なんかセコイ気がして請求できずにいる。
 母専用の電話代も補助してくれるが、セコくて請求できない。

今日は母のデイサービスはないので家でじっと寝てました。

でも、朝起きるというので手伝って起こすと、必死で3歩あるいて椅子になだれ込みます。
着替えを全部手伝いました。 一生懸命着替えさせていると口達者な母が、

「 ほかの人は嫁と一緒に暮らしているから嫁の文句ばかりいってるわ」

「 嫁だといろいろしてくれないんだって 」

「 嫁と暮らしている人はかわいそうね~ 」

・・・・自分は娘で良かったと思ってるらしい・・・
しかし、そのうち何を思ったか

「 施設を探してちょうだい  わたしはもう施設にはいるから  さいたまにあるでしょ。 幡ヶ谷はどうなの? 笹塚ははいれるの? あのひとはどこにはいったの? 」

私 「 そんなにしゃべれる人は施設にはいれてくれないの! 喋れなくなった人が入れるの そんなに元気な人は3000万円もかかるところしか入れてくれないの」

母 「 そんな馬鹿なことがあるわけない! 国がわるいんだ! ・・・」

ペラペラペラペラ・・うるさいほどしゃべります。
痛みの具合を忘れたりどこが痛いか言えないくせに、施設の話や文句はイッチョ前です。

朝食、昼食はあまり食べなくて、

午後3時から夜まで私は仕事だったために、テーブルの上に夕食とメモを残して2階に上がりました。

ノロウイルス患者がいたので仕事が早く終わり、階下におりてみると
夕食を食べてあり、お皿がキッチンに片付いていました。
母が持っていったらしいのです。
それは、進歩です。

おまけにご飯のオカマが水につけてありました。
すばらしい進歩です。

夕方になり痛みが少しはひいたのかもしれません。

「 なんでデイに車椅子でいくのよ! いらないわ 」 まで言い出す始末。

動けば痛い!と叫ぶくせに。
でも、きっと良くなっているんだろうな・・
どこが悪いかしらないけど・・

回復を祈るばかりです。

あすはデイだから、朝起きて私はがんばるのだ。
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1/8 デイサービスへ

2013-01-08 09:49:00 | 介護
 ひ~~!! 今は朝の9時半です。

戦争の朝が終わりました。

寝たきりトイレ行かずの母をデイへ送り出しました。
母の腰痛なのか腹痛なのかわからない痛みは相変わらずですが
年末よりはだいぶいいように思う。

「 良くなったね 」 と声をかければ

「 慣れただけ 」 と可愛くない返事です。

明らかに家にいたのでは[寝たきり口達者なトイレ行かない老人]ですから、私が頑張って早起きして送り出しました。


今まで、朝起きる時間に対して声をかけたことはありませんでしたが

「 今日はでいだよ 」 と声をかけて起きてもらい、

痛がる体を起こして、椅子に座らせ着替えをした。

部屋で使用済みのリハビリパンツまで取り替えたのだ・・・私がだ!

椅子に座らせて、リハビリパンツを両サイド破いて、新しいパンツを足から履かせて、腰を浮かせたところでパンツを上げて古いパンツをサッと取り去るというまるで手品だな。


母は、私が激しく苦労していたって感謝の一言もありません。
感謝よりも自分の不自由に嘆いているのかもしれませんが、
「 90なんだから当然だ!」ということを1万回も言うのでちっとも可愛くありません。

チョコパンは 「 まだ90になってないよ 8じゅういくつだよ 」 って言ったって年が明けたから年を一つ取ったという考えで、ああ~~口が悪い人だ。

この口でこんなに人を苦しめていることは、有難いことだ。
死んだ時に、悲しみが半分にへるだろう。

今日は私の仕事が休みです。
すごく気が楽です。

暗くなるまでの7時間ですること。

 廊下雑巾がけ
 母、寝具洗濯
 自分の洗濯
 掃除機
 テーブル上
 チューリップ球根植える 土を買ってくる 
 チョコパンの乗り捨て自転車取りに行く
 猫の糞始末
 年末に設定した株がどうなってるか
 鳥・・あとまわし
 ハムスター ・・完全あとまわし

・・・落ち着いてみると、自分の右のお腹はやや痛くて、朝起きるといつも頭が痛くてだけど、体はすごく楽で動きがいい。 なんで動きがいいかとかんがえれば。。。。ビタミン剤を飲んだからでしょうか。 京都で33キロあるいたからでしょうか(万歩計より)

母の洗濯から開始!
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たすけて!!

2013-01-06 12:54:00 | 介護
1月6日(日曜日)

今まで生きてきて、とんでもない正月を迎えたのは2回です。

数年前に父ジェンギンスが施設に入っていたとき、ノロウイルスが病棟中に感染してしまい、ウイルスの中私が父に付き添っったことがありました。
点滴をはずしてしまう父の付き添いが必要だったので無理にお願いして付き添いました。

外国人の清掃の方たちが病棟中消毒していました。

そして2回目の不幸な元旦は今年です。
身動きできなくなった母の介護です。
寝たきりならまだ楽なのですが、イタイイタイ!と叫ぶので何も出来ません。

私の予定していた京都旅行があり、入院させようと飛び回りましたが母はどこも悪くなくて、
まあ、それならそれで施設に預かっていただいたのです。

3日あさから姉に来てもらい母をショート3泊に送り出してもらいました。

それはそれは大変な朝でした。

身動きできないために、パジャマから服に着替えさせることもできません。
痛がって何もできないのです。
もう、汚れたパンツのままパジャマのままでショートに行かせるしかないと判断しましてわたしは先に旅に出ました。

午前10時15分。

姉とチョコパンの努力で、ベッドから母をおろし、トイレでパンツを取り替え、したくも出来たようです。
車椅子への移動がどうなるか心配して新幹線に乗っていた私ですが、
チョコパンからのメールによると、お迎えがきたとたん元気な声が出て腰の痛みを運転手さんに説明し、玄関から段差のあるところでも片足ずつ靴を履き車椅子に座って元気に発車した模様です。

姉もチョコパンも アレ? エッ? という唖然とした状態だったようです。

3泊して6日の朝母を迎えに行きました。

テーブル席に座っていました。

この3日でだいぶ腰の痛みが楽になったようだということです。
安心しましたが、まだまだ痛みはあります。

家に帰ってみると、母の腰痛だかなんだかの痛みはありました。

ベッドに寝ることも起きることも苦痛です。

~~~~~~~~~~~~~~~~~
そして、7日月曜日。

母が24時間トイレに行ってません。
堂々のパンツ野郎です。

いくら、行くように言ってもいかなくて
暖房のついた部屋は、とんでもないことになっています。

夕方6時。

チョコパンが仕事から帰ってくるからトイレに行って
パンツを取り替えてきてくれと言うと
ヤット立ってくれました。

たったらどうなったかというと、
激臭です。
気絶したかったのですが、母がトイレに入っているあいだに
換気!
寒いけど、全部の窓を開けました。


母は、パンツでトイレから出てきました。
パジャマのズボンが少し濡れてるそうです。

わたしは、母が座っていた椅子の座布団とクッションを捨てました!

もうこれからさきどうしたらいいかわかりません。

あすは、デイサービスを頼みました。
車椅子でいきます。

風呂に入ってくれなきゃ、あっちからもこっちからも
激臭ですから。

体はすっかり老衰状態。
口だけだ達者なのは。


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アルツ・ジェンギンス夫婦の記録

16年間アルツハイマーと戦った父ジェンギンスは2008年2月14日に亡くなりました。壮絶介護→施設入所→胆管癌による死。大切な父の最期の介護記録をここ残しました。 そして、夫を亡くした母は初期認知が進行中です。 年寄りと暮らす苦労を記録中。