『神の仕事は常に再選択の機会を与えることだ』。すなわち問題は、「豊かさとは多くの選択肢があるということ」なのである。
地震の問題に関して、被災した人に対して、「被災地以外に住むことを希望する人には、被災地以外に住むという権利を保障し、被災地に戻って生活を立て直したいという人にはその権利を与える」のが本当の豊かさであって。「あそこに戻っても、また津波が来るから」と言って、被災地に戻って、生活を立て直したいという人に対して、その権利を侵害するのは、良くないことである、という話なのである。
刑務所の入ることが、幸福になる人も存在するのだよね。知的障害者の人で、刑務所を居場所にしている人達がいます。多分、一人暮らし不能なのだろう。国(厚生労働省)は、“地域社会への移行”と称して、精神科における長期入院患者数の削減や、障害者入所施設の削減を目指しているが。一人暮らし不可能な人はどうするのだろうと思う。実際に、援助が必要な人は存在するのだが。自力では、食事が作れない人とか。
毎日カップラーメンを食べている人がいて。その人が刑務所に入れば、寿命は延びる可能性がある。しかし、だからと言って、刑務所に入ることが幸福とは通常言えないであろう。選択肢がないからね。入院生活も幸福とは言えないであろう。毎日の食事は、栄養士の管理の元で作られているはずだが。出てくる食事については、自分で決めることが出来ないからね。『神の仕事はすべての人に再選択の機会を与えること』なのである。「豊かさとは選択肢の豊富さ」であって。客観的な数字ではない。GDP(経済成長率)を目指すのではなくて。選択肢を与えることが豊かさなのだと思う。故に、共産主義は崩壊したのであろう。人々に対して、選択肢を与えずに、客観的指標、例えば、栄養士が決めた単一の食事を与えたら、みんなが幸福になるというのが、共産主義の思想であったのだから。