三橋貴明さんの、『経済ニュースが10倍よくわかる日本経済のカラクリ』を読んだが。三橋貴明さんは「日本のGDPを増加させるために、公共事業を増やせ」と書いているが、問題は、「有望な投資先はもう日本にはない」ということなのである。
増田悦佐さんの『格差社会論はウソである』に載っているデータの中に、日本人の生活向上感が1973年からいきなりマイナスになり、その後、プラスに回復することは、その後ずっと、今までなかったというデータが載っているが。どうも、このデータを見る限りでは、実質経済成長率と、日本人の生活向上感の間に、相互関係はない。要するに、1965年から、1972年まではずっとプラスであったが、1973年以降ずっとマイナスであったということを示しているだけのデータである。
大学時代、大学の先生が、「諫早湾干拓(別の所だったかも知れないが)事業は最後の干拓事業であると、農林水産省の幹部は言っている」ということを言っていた。つまり、もう有望な干拓先はないということである。それと同じで、もう日本には有望な投資先はないのである。これが日本人の不幸感の原因であると思う。
ちなみに。大学の先生はこういうことも言っていました。「経済学的には、経済成長率は年率5%が限度である」と。「しかし、日本は経済成長率10%の時期もあったが、それが外国からの技術の導入があったからである。」と。その当時の私は、「そんなことを言えば、発展途上国では、5%を超える経済成長率を成し遂げるではないか。」と思ったのであるが。実際、日本人の不幸は、自分達が先進国になって、経済成長率の増加が見込まれなくなった、すなわち、「外国の技術を日本に取り入れれば、それだけで、経済成長出来る」というのがなくなって、「自分達の国で発明したものによって、経済成長しなければならなくなったから」今、日本人は生活向上感がマイナスになってしまったのではないか、と思われるのである。すなわち、日本に高度経済成長を実現することは不可能なのである。もう、外国には、日本人が導入しなければならないような新しい技術など何もないのだから。
世界で、一番技術開発投資がGDPに占める割合が高いのは、日本だって。世界には、もう、日本人が見習いたいと思う、新しい技術はないのである。それが日本人の生活向上感マイナスの原因である。
円高になっても、不幸だといい。多分、円安になる方が不幸だと思うが。デフレになっても、不幸だと言い、インフレになっても、不幸を言うに違いないが。多分、そんなことは不幸の原因ではないのである。外国から日本に輸入すべき、新しい技術がなくなったことと、もう、これ以上の新しい投資先が日本になくなったことが日本人の不幸感の原因なのである。