不老愚 助光 れいん坊

嘘、誤魔化し、怠慢を憤り、愛情、親切、思いやり、を喜び感動を記事にしています。

古文書クラブその4

2006-12-08 11:32:28 | 文学・歴史

昨夜勉強した古文書が面白かったので紹介します。


時は文政九年(1826年)の事。駿河の国、草薙村に対し役人から「検見(けみ)=田圃を調べて年貢を決める」をすると通達があった。然しこれは形ばかりのもので、役人達の本当の狙いは・・・接待と賄賂で、それはもう大変な物入りの上に、それ次第で検見に手心が加わる訳ですから、農民共にとっては迷惑この上ない。 散々飲んだり喰ったりした挙句、女を差し出せ、賄賂を寄越せそれが気に入らなければ酷い年貢の割り当てが来るから堪らないわけだ。今も昔も役人ってヤツは変わりません。


そこで百姓達は対抗策に出た。「我が村は 東照大権現様(徳川家康)ご存命の折、慶長十七年七月七日、年貢米に特別扱いの優遇措置を許す主旨の御朱印状を頂戴しているので、検見の件は御勘弁願いたい。そして 年貢は例年並で宜しく」と百姓一同連盟の文書で願い出た。


役人としても神君家康公の御朱印状とあっては、水戸黄門様の印籠よりも恐れ多いので、悔しいけど如何とも出来ない。仕方がないので妥協案として「例年の年貢に十五俵を加えて納めろ」と申し渡したが、百姓達は御朱印状をたてに巌として聞かない。


役人達の切歯扼腕・悔しがり様が目に見えるようです。一方百姓達の「してやったり」とばかり欣喜雀躍する様子も浮びます。


ところが 其の翌年 ウンカの大発生で凶作になってしまった。困った百姓達はお役人に「凶作で米が採れません。年貢を減らして下さい。」と願い出た。今度は役人達が去年の仇で「其の方らの申し情、誠に不埒である御朱印状に有るとおり納めるべし」と一蹴されてしまった。結局 米は無いのでお金で納める事になった。


此の辺の役人と農民のやり取りが面白いと言っては気の毒ですが、現代にもありそうです。