今日のソフトボールジュニアチームの試合です。最終回の攻撃に入る前、円陣を組んで監督からの指示を直立不動の姿勢で聞く選手達の真剣な表情を見て下さい。 監督から「君達は 負けたら悔しいか」 全員一斉に「ハイッ」「では逆転勝ちしようぜ」 「ハイッ」
結果は惜しくも逆転は出来ませんでした。
今日のソフトボールジュニアチームの試合です。最終回の攻撃に入る前、円陣を組んで監督からの指示を直立不動の姿勢で聞く選手達の真剣な表情を見て下さい。 監督から「君達は 負けたら悔しいか」 全員一斉に「ハイッ」「では逆転勝ちしようぜ」 「ハイッ」
結果は惜しくも逆転は出来ませんでした。
君がため 惜しからざりし 命さへ 長くもがなと 思ひけるかな 第五十番 藤原義孝
あなたに逢うためなら死んでも惜しくないと思っていた命が、逢う瀬を遂げた今は、もっと長生き出来ればいいと思うようになりました。
まことに素直で純真な歌です。この藤原義孝は時の「摂政太政大臣の三男」で、今で言えば「総理大臣」より実力者の息子で、おまけに眉目秀麗(イケメン)、歌才も抜群と言う大変な男性でしたから門前には女性達の長蛇の列が出来たと言います(嘘です。当時の女性は今と違って奥ゆかしい人ばかりでしたから)
ところが・・・この藤原義孝は21歳で死んでしまいました。(誰ですザマァミロなんて言ってるのは アッ私でした)
だから 自分の死期を知ってこの歌を詠んだとしたら、この歌の意味がもっと深いものになります。
朝ぼらけ 宇治の川霧 たえだえに あらわれわたる 瀬々の網代木 六十四番 権中納言定頼
今朝の朝霧です。 山道にかかった霧が切れ切れになって所々に街並みが霞んで見えます。何だか源氏物語の宇治十帖に出てくる「八の宮の山荘」から見た悲しい景色を連想します。目の前の木の下を小さな川が流れていて、その川音と蛙の鳴き声が趣きを添えていました。
花の色は うつりにけりな いたづらに わが身世にふる ながめせしまに 第九番 小野小町
姿かたち はいつの間にか時を経て衰えて行く、いたずらに過ごして居る内に・・・全盛期は世界の三大美女と言われた小野小町も、美しさ故に傲慢だったのでしょう。有名な話 深草少将に想いを寄せられた時、「百夜通って来たらOKよ」と言ったので、少将は本気になって通い 九十九夜で病気になって死んでしまったと言う伝説があります。然し そんな傲慢な女性は幸せになれる筈がありません。老後 不幸になって乞食となり孤独の内に死んだと言われています。更に成仏出来なくて、後の世に在原業平が陸奥に旅をした時、彼女の骸骨からススキが生えているのを見ました。その骸骨は「痛い 痛い」と泣いていたと言う話が伝わってます。
しのぶれど 色に出でにけり わが恋は ものや思ふと 人の問ふまで 第四十番 平 兼盛
恋の最高のものは忍ぶ恋ってヤツだそうで、アッシら俗物にゃー解りませんが、この歌の様に「密かに 密かに 想いを寄せて 胸が張り裂けそうに切ないけれども、この激しい気持ちが相手に届かずに・・・あぁー気が狂いそう」と言うところがおよろしいのだそうです。
鴨「あひるさん どうしたの ボンヤリしちゃって」 アヒル「・・・うぅん なんでもない・・・ふぅー(溜息)」
昨日 孫1(小4)のジュニアチーム・ソフトボール試合がありました。小雨の降りしきる中、小さな手で大きなボールを握って、重いバットを振って(振り回されて)懸命なプレーに可愛さイッパイと感動まで覚えました。 もっと一生懸命に頑張ったのはこの子達でしょう。彼らは一年生で、ジュニアチームと言っても未だ出番はありません。それでも先輩達を「ガンバレー打てぇー」と大声で絶え間なく応援していました。 感心した監督さんが、最終回に彼ら三人をピンチヒッターで出場させました。その時の嬉しそうで、緊張した顔が堪りませんでした。
有明の つれなく見えし 別れより 暁ばかり 憂きものはなし 第三十番 壬生忠岑
平安時代 通い婚で暁とともに男は自分の邸へ帰らなければなりません。男女がともにすごした翌朝の別れを後朝の別れ(きぬぎぬのわかれ)と言うそうです。「夜が明けて帰らなくてはならない。逢いたくて逢って 愛し合ったのに 仕方なく帰る朝。朝なんか大嫌いだぁーーーーそんなに辛いのなら 其のまま居ついてしまえばいいのに・・・と思うのは 今の世に生きる俗物の考えでしょうか。
わびぬれば 今はた同じ 難波なる みをつくしても 逢はむとぞ思ふ 第二十番 元良親王
今日は不倫がバレちゃって、もう自暴自棄の歌です。 元良親王の不倫相手は、こともあろうに時の実力者藤原時平の娘で宇多天皇の女御でした。さぁ大変もう駄目だぁ
しかも 元良親王はかねてから色好み・プレイボーイの悪評高き人でしたから・・・もうこうなった以上 どうなっても同じ事じゃ ぼくは 身を尽くして破滅しても あなたに逢いたい 逢いに行くぞぅー どうにでもしてくれぇ
たとえ不倫とは言え、此処まで愛されたらご婦人方 どうします
今日は 第五十二番 藤原道信朝臣
明けぬれば 暮るるものとは 知りながら なほ恨めしき 朝ぼらけかな
平安時代は通い婚でした。日暮れ時に男が女のもとを訪ね、夜が明けると男は自分の邸へ帰り、なるべく早く、女に歌をおくります。どれだけ早いか・・・。それが女に対する愛情のあかしでした。
この歌の意味は そのままです。夜が明けたら帰らなければならない。日が暮れれば又逢えると判っては居るのに、なお恨めしい気持ちだ・・・。
写真は今日の清水港の夜明けです。
今日は私の一番好きな歌です。百人一首十二番 僧正遍昭
天つ風 雲の通い路 吹き閉じよ をとめの姿 しばしとどめむ
いい歌ですねぇ「をとめの姿 しばしとどめむ」此処が堪りません。多分女性にはこの感情はご理解頂けないでしょう。僧正遍昭(そうじょう へんじょう)が出家する前の若い頃、毎年宮中で行われた五節の舞を踊る貴族の未婚の美しい乙女の姿を歌ったものですが、その美しさ 雅やかな様子が目に見えるようです。「雲の通い路」とは天女が天と地上を行ったり来たりする通り道の事で、舞っている乙女を天女に見立ててその美しい舞姿をもっと見ていたいから、天つ風よ 天女の通り道を塞いでくれ お願い・・・
この切なさ・・・堪りませーん。
三色紫陽花です。それぞれが独特な美しさを競っていて賑やかでした。
今日も朝日新聞の「声」欄からです。
千葉県四街道市の小池さんのご意見。「コムスン・NOVAの不正行為」について、民放テレビ各局はここぞとばかりにその非を責め立てている。然し 彼らにも反省すべき事が全く無いと言えるだろうか この二社には、大量のテレビコマーシャルと急成長と言う共通項があり、そこには相関関係があるのではなかろうか。テレビの影響力は大きい。スポンサーの不正行為を予知する事は困難かも知れないが、不正行為を働いた企業から巨額のCM収入を得て、結果的に規模拡大に加担した責任が有る と 事態を深刻に受け止めて欲しい。CMの健全性を保つ為にも、CM収入の一部を何らかの方法で社会に還元することも考えてはどうだろうか。」
至極 御尤もなご意見です。CM収入の一部を被害者救済資金にしてはどうでしょう
春過而夏来良之白妙能衣乾有天之香具山(はるすぎて なつきにけらし しろたえの ころもほすちょう あめのかぐやま)
持統天皇が詠んだ歌です。百人一首の第二番に選ばれています。近頃 私は奈良・平安時代にはまっています。 福岡・京都と行って来たせいでしょうか 福岡は 大陸文化の入り口、京都はそれをシッカリと受け止めて、育てて立派な平安文化の華を咲かせた所ですからむべなるかなです。
帰宅して 図書館で面白い本を見つけました。「百人一首」面白いほどわかる本(望月光著)です。子供の頃から百人一首は知ってましたし、姉は百首全部を暗記してまして、よく読み聞かせをしてくれました。でも その歌が詠まれた深い意味や、時代背景は全く知りませんでしたので、それを子供でも解るように解説してあるこの本は目からウロコが落ちる如く面白くて堪りません。この百人一首を選んだ藤原定家の才能には改めて感服しました。 冒頭の歌は、奈良時代にはひらがながありませんでしたから原文の文字です。それに藤原定家が読み仮名を当てたものだそうです。後世 色々な人がこの読み方に異論を唱えたりしてる様ですが、やっぱりこの読み方が残ったのです。
嵯峨天皇の皇女 正子内親王の像ではないかと思います。大覚寺の正寝殿に飾ってありました。平安時代こんな美しく気品のある女性が此処に住み、御所車に乗って京都の街をゆったりと移動されて居たと想像すると、限りないロマンを感じて、現代の細かい事なんかどうでもよくなり、体の各部分が緩んでいきます。
今朝の富士山です。気象庁が「梅雨入り宣言」すると晴れの日が続くと言うジンクスがあるそうですが、今日はその通りの朝になりました。まさにハズシの気象庁の名に恥じませんね。
下の写真は、いつもの公園に生息している鶏です。旅行に行く前(5/23)に木の茂みで発見しまして、帰って来てからは姿を見ませんでした。だから「ああ 可哀相に きっと何者かの胃袋に入れられちゃったのかな」と密かに哀悼の意をもって居ました。ところがなんと居ました生きていました。場所は以前より少し移動してましたが、あのトサカの曲がり具合といい顔といい間違いありません。此処は獰猛な野良猫や野犬もカラスも居ます。この厳しい環境の中でよくぞ生きていてくれた 思わず叫んじゃ居ました。今朝は美しい富士山は見られたし、鶏クンにも再会出来て気分は最高です。
臨済宗 天龍寺派大本山天龍寺です。1339年 吉野で亡くなった後醍醐天皇の菩提を弔うため、足利尊氏が夢窓国師を開山として建立した と言われています。尊氏は後醍醐天皇の敵方だったのに・・・自分の仕業に気が引けたのでしょうかそれでもその後600年のあいだ尊氏は朝敵の汚名をきせられました。
此処のお庭は美しい事で有名ですが、もっと驚いた事は、上の写真の「諸堂参拝入り口」を入ってすぐに目に入る下の写真「ツバメの巣」でした。庫裏の天井に大きな巣が有って、中には雛鳥が7~8羽、そして親鳥が拝観客の顔をかすめるようにしてセッセセッセと涙ぐましい努力で餌を運んでいました。尊氏の罪滅ぼしかな