不老愚 助光 れいん坊

嘘、誤魔化し、怠慢を憤り、愛情、親切、思いやり、を喜び感動を記事にしています。

インフルエンザ

2008-10-31 20:12:15 | 冗談囃子

この冬もインフルエンザの流行がかなりあって、数万人の死者が出る なんて報道がされてます。マスコミはどうして我々を脅かす様な事ばかり報道するのでしょう。「悪いニュースは よいニュース」とばかり気の弱い民衆の恐怖感をいたずらに煽るのです。


とは言いながら結局の処 心配ですから、今日予防接種を受けてきました。 毎年 接種を受けて居ますが、毎年インフルエンザに罹ってます。39度の熱が出て、家がグルグル廻って苦しくて堪りません。座って居ることも、寝て居ても目が廻って気持ちが悪くてどうしようも眠れません。ヤケクソで、♪マツケンサンバ♪を唄ったら不思議と眠れました。


医者に文句を言いましたら、「それは ダイエットのし過ぎだよ」と言われました。確かにその時は55.5kgでした。今年はその点を注意しまして今は59.0kgにしてます。今年はどうか♪マツケンサンバ♪を唄わずに済みます様に・・・


パソコンを新しく買い求めました

2008-10-28 20:57:45 | 冗談囃子

水戸から帰ってパソコンに色々なソフトをインストールしましたら、重くて動作が妙に遅くなっちゃいました。 たまたま家電量販店のチラシを見ていましたら、パソコンの大安売りがありました。


某有名メーカーの製品が七万円を切る価格で出ていました。 


仕様は ☆Windows Vista。エクセル。ワード。Offiss付き。メモリー1ギガ、HD250ギガ 17インチディスプレイ。


「此れは買いだ!!」と思ったら、幸い我が家の大蔵大臣閣下のお許しが出ましたので、気が変わらない内にとばかりに買ってきました。 今は そのパソコンのセットアップをセッセとやっております。以前のパソコンからデータをイッパイ移すのが思ったより大変な作業です。でも あと1日くらいで終るつもりで頑張ります。尚 以前のパソコンは大蔵大臣閣下が使うと言うので其の侭置いています。


水戸黄門さま

2008-10-25 11:45:50 | 冗談囃子


黄門さまが藩主の座を譲り、隠居の身として住んだ別荘です。広い敷地の中にポツンと建つ質素な建物で、目下修復工事中でした。敷地には池があり、その畔に黄門さま作の歌を書いた立て札がありました。


「ただ見れば 何の苦もなき水鳥の 足にひまなき わが思いかな」


静々と水面を滑るように浮かんでいる水鳥も、水面下では忙しく足を動かしているのだ と言った思いでしょうか。 それにしても徳川御三家の水戸藩の大殿様が余生を過ごした別荘にしては、余りにも粗末なのには驚きました。此処で藩士達に手伝わせて「大日本史」の編纂をしたのだなぁ・・・と感慨ひとしおでした。


もし 出来る事なら、今の世にあって官僚や政治家達の腐敗ぶりに、「此の紋所が目に入らぬか!! その方たちの悪行の数々 この光圀がしかと見届けたぞ。!! きっと成敗してくれるに拠って、観念致せ!!!」とやって欲しいものです。 でも 越後屋とか悪代官などの悪者が多すぎて黄門さまも手に余るかな??


水戸の朝

2008-10-24 10:30:41 | 冗談囃子


水戸の千波湖近くにあるホテル(画面右側のトンガリ屋根の建物)と、息子一家の住むマンション(左側の扇形15階建)です。


ホテルはビジネスホテルでした。 以前泊ったシティホテル満員で、他のホテルも全然駄目でしたので仕方なく此処にしたのです。 部屋に入って驚きました。タバコの匂いが酷いのです。フロントに部屋の交換をお願いしましたが、「ツインルームは全室喫煙可、になっておりますので・・・」と言う返事でした。慌てて他のホテルに当たってみましたが、全部満室でどうにもなりません。フロントでは「強力な脱臭をしますので2時間程部屋を空けて下さい」と言いますから、食事方々外出をしました。  外出から帰ってみますと見事に脱臭されてましたので、最初からチャンと脱臭しておけばいいのに、と思った次第でした。


翌朝 水戸中のホテルが満室の訳が解りました。ロビーで新聞を読んでいましたら、茶髪・モヒカンなどの物凄い髪型のオニーチャン・オネーチャン達がゾロゾロ部屋から出てきて送迎のバスに乗り込んで行きます。私は気が小さい癖に好奇心が旺盛なので、その怖そうなオニーチャンの一人に決死の覚悟で聞いてみました「いったい何のイベントが有るのですか??」するとそのオニーチャンが見かけによらず優しい声で「ハイ 理容師コンクールの全国大会があるのです」と教えてくれました。  ナルホドホテルが一杯になる訳だ。ヤレヤレ


袋田の滝

2008-10-23 11:30:33 | 冗談囃子


茨城県北部にある「袋田の滝」です。日光の華厳の滝、和歌山の那智の滝とならんで、日本三大名滝のひとつです。写真では判りませんが、滝が四段になっていて華厳や那智の様に高さや激しさはありませんが、厳かに穏やかに流れていました。


九月に展望台のエレベエーターが完成して足の弱い人でも容易に此の景観を眺められるようになりました。それで 観光客が激増して地元では大喜びだそうです。


孫に会ってきました

2008-10-22 16:17:30 | 冗談囃子


孫です。生後二ヶ月で、名前は りな と言います。見て下さい!! この笑顔!! 此の世で最高の笑顔に思えます。どちらかと言えば父親(我が息子)に似てます。


子育ては大変です。特に母親は三百六十五日、二十四時間勤務の超重労働を強いられるのですが、此の可愛い笑顔に騙されて(!?!)頑張って行けるのです。男じゃ過労死しちゃうでしょう。


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振り込め詐欺

2008-10-17 19:25:30 | 冗談囃子

一昨日は年金の支給日で、「振り込め詐欺」撲滅運動がありました。


それでも静岡県では三件の被害者が出たそうです。此れは犯罪者達が余程巧妙な手口を駆使したのでしょう。 いくら何でも被害者の人達が此れだけ厳しく警戒されていれば易々と騙されるとは思えません。


犯人は二十代の男性らしいのですが、相当な知恵を搾り努力をしていると考えられます。何しろ今月に入って被害総額が七億円と言いますからおどろきます。 また 東京では此の二週間で十六件の犯行が警察官の目の前で行われたそうで、其れこそ「怪盗ルパン」もビックリでしょう。中には警官が注意をすると「家庭内の問題だから放っといてくれ!!」と 静止を振り切って振り込む人も居たとか・・・よくも此処までマインドコントロールが出来たものです。感心してる場合じゃありませんけど・・・気を付けましょう


日本サッカー絶望!?!

2008-10-16 20:12:18 | 冗談囃子

まったく 何をしてるんだ。


岡田監督の更迭ばなしが出たりしてますが、これは監督の問題ではありません。!!選手のモチベーションの問題です。 彼らはお金を貰ってサッカーをさせて頂いて居るのですから、もう十年以上も前からいわれつづけている「決定力不足」が未だに日本サッカーの不名誉なキャッチフレーズで、全然改善が出来て無いと言うの事はいったい練習で何をしているのか??? もっと言えば「プロなんだから、日の丸をつけた名誉有るプレーヤーなんだから、それに恥じない工夫をした独自の練習方法を創造してほしいのです。そして、自分しか出来ないプレーを創出しなければ真のプロじゃないのです。」 コーチの作った練習メニューを只漫然とこなして一流選手になったつもりじゃいつまで経っても「決定力不足の日本」と言う汚名は晴らせません。


成績は振るわないと直ぐ監督の首を挿げ替えて済ますから、選手たちは安心して従来通りの漫然練習をして、相変わらず「決定力不足」の看板をぶら下げてピッチに立つのです。おそらく 今度のワールドカップには行けないでしょう。残念だなぁ~


小和田教授の講義3

2008-10-14 19:05:11 | 文学・歴史

今日は静大の小和田教授の第二回目の授業がありました。その中で面白かったポイントを書きます。


『静岡県は東西に長いので、県を東部・中部・西部と三つに分けてみると、昔からその気質が三つとも違うと違うと言われて来ました。 もし飢饉になったら「中部の人間は乞食になる」、「東部の人間は餓死する」、「西部の人間は強盗になる」そうです。中部や東部の人々は諦めてしまうが、浜松を中心とする県西部の人々はポジティブに何としても生き延びようと努力する事を例えた話です。これには江戸時代の幕藩体制の影響が有る・・・と思われます。


江戸時代 県の中部と東部は天領でした。その為 天災などで問題が発生した場合は「お代官様 お助け下さい」と泣きを入れれば何とか助けて貰えました。然し 県の西部は大名領でしたから助けてはくれません。自分で何とかしなければ餓死します。 だから県中部と東部はお上への依存心が強く、県西部は自立心が強いのです。』


そう言えば トヨタの創業者も、ホンダも、ヤマハも、スズキも み~んな県西部の人達です。「ヤラマイカ精神」でこんにちの偉業を成し遂げたのですね。


三浦和義元社長 自殺

2008-10-12 20:33:22 | 而今

驚きました。あのロス事件で、自分が経営する雑貨店が行き詰り、保険金目当てに妻を殺した容疑で再逮捕された男が、突然の自殺です。当然「何故だろう!?!」と思っちゃいます。無罪を確信したかの様に自信満々の表情をテレビで見た限りではとても想像出来ません。


それがロスの独房でシャツを紐にして首吊り自殺とは・・・


いったい 彼に自殺をする気持ちに追い込む何事があったのでしょう???


私の独断と偏見に基づいた勝手な想像を赦されるならば、「弁護士に見捨てられた」のではないか?・・・と思うのです。 アメリカの弁護士はハッキリ言って「金次第」です。金さえ払えば黒も白と言い包めてしまうのは朝飯前なのです。逆に言うなれば、金の無い奴なんか鼻も引っ掛けないのです。最初弁護士はセンセーションな事案だけに売名になるとばかりに弁護を引き受けたものの、三浦元社長は財産ゼロどころか日本で詐欺罪の被告人と言う誠に情けない男である事が判って、「こんなオケラ野郎に用は無い!!」とばかりに捨てられたのでしょう。だから、あれ程強硬に反対していた身柄の「ロス移送」をアッサリ受け入れた弁護士の変貌も頷けます。 そして ロスへ移送してから三浦元社長は弁護士から「お前を見捨てる!!」旨の引導を渡されたのではないかと思います。そして彼は絶望そして自殺!!


以上が私の勝手な想像です。


緒方拳さん

2008-10-11 13:34:21 | 而今

先日 お亡くなりになりました。71歳とは未だ若いのに・・・肝臓癌だったようですね。今どき貴重な名優が一人鬼籍に入ってしまわれて惜しいことです。


確かに演劇界に大きな足跡を残した演技力と、人格者でありました。此の立派であった役者にも、大きな悩みが有ったようです。 それは新国劇の恩人であり、師匠でもある辰巳柳太郎師への裏切りをした事です。それに対しての悔恨の思いです。色々な事情があったのでしょうが、辰巳さんの方から言うと、「最初 弟子にして下さい。何でもします。命がけで頑張ります。と泣いて頼んで来たから、俺の後継者と思って育ててやった。それが テレビで売れて来たら、サッサと新国劇を捨てて行っちまいやがった。 もう 何と言って誤って来ても絶対に赦さない」と言う事です。


結局 師匠が死ぬまで赦されなかったそうで、それが 緒方さんの一生の悔恨だったでしょう。 もしかすると今頃あの世に行って辰巳師匠に詫びを入れてるかも知れません。もう赦してもらえるじゃないでしょうか。


小和田教授の講義2

2008-10-11 11:17:00 | 文学・歴史
第一回の講義が余りにも面白く、内容が豊富だったので、その続きをもう一度書きます。

『有名は武田信玄の事を書いてある「甲陽軍鑑」ですが、昔からあれは「偽書である」と言われてきました。その根拠は、あの中に重要人物として登場する重臣山本勘助が架空の人物で、他の歴史の一級資料には出てこないので、学者や研究者の間では実在しなかったと考えられてきました。NHK の大河ドラマの主役になったりしましたが、ドラマですから実在しようとしまいとどうでも良いのです。

然し 学者はそうはいきません。 そこを丹念に辛抱強く検証して事実を掘り起こし、後世に伝えていかなければならないのです。これも最近、地方の或る旧家から武田信玄の手紙が発見されまして、その中に菅助と書いた文字がありまして、此れが山本勘助のことだからやはり実在したのだ。と言う説が浮上しましたが、いやそれは別人だ。と唱える人もあります。今後の研究で徐々に明らかになるでしょう。』

こう言う話は面白くて堪りません。

小和田教授の講義1

2008-10-10 16:41:55 | 文学・歴史
一昨日 パソコンがダウンしてしまい、どうにも立ち上がらない状態になってしまいました。仕方なくOSを再セットアップして立ち上がりましたので、その続きを書きます。

『歴史の記録は「勝者が自分に都合のいい様に脚色して書いた部分」があります。また 「中央から見た歴史」と、「地方に伝わる歴史」とありますが、「中央の歴史」の方が「地方の歴史」より資料的価値が上と言うことは無いのです。つまり 地方に伝えられる民話とか、民謡、古来の伝聞の中にも、従来の歴史書として存在してして来た文書には無い事柄があり、従来の定説が覆ることもあるのです。

例えば 織田信長の比叡山延暦寺焼き討ち事件です。此の記録は公家の山科言継という人の日記に基づいて歴史に残ってます。山科言継と言う人は1527年~1576年迄の50年間、当時の京都周辺で起きた事件、京都の人々の暮らし振りを言刻銘に日記を書いていまして、その信頼性は極めて高いものとされています。だから此の事件は、歴史的事実として疑う余地はない と 思われてきました。

よころが 最近になって滋賀県教育委員会が比叡山の発掘調査をしましたが、「全山数百の僧坊を全焼させて、女子供を交えた三千人を惨殺した」と 伝えられて居るのに、いくら発掘しても焼け跡が見つからなかったのです。いくら四百年以上も前といってもこれは変だ、と言うことで、その後色々調べたら、山科言継は、事件があった日には現場には居なくて京都の町に居た事が判りました。つまり 現場近くから逃げて来た人々から聞いた「伝聞」だったのです。ひょっとすると比叡山焼き討ちはなかったかも知れません。だから 歴史を勉強するには、そういうこともあるので、すべての事柄を丸呑みにしてはいけないのです。』

俗説では その時比叡山はカラッポだった。坊さん達は堕落の極みにあって、僧坊は荒れ放題、坊さん揃ってみんなで長浜の町へ行って酒と女で乱痴気騒ぎをしていた、と言う説もあるくらいです。歴史は面白いですね。

静岡大学・市民開放講座

2008-10-07 20:50:51 | 文学・歴史

静岡大学に行って来ました。市民開放講座の生徒として今日から毎週火曜日に通います。


受講科目は「日本史 持論」。 先生はあの小和田哲男教授。皇太子妃の伯父さんです。それだけじゃなく、NHKの大河ドラマの時代考証や、「その時歴史が動いた」などで有名な先生です。だから教室には学生が一杯で入れるだろうか?と心配しましたが、思った程でも無くて席に着く事も出来ましてヤレヤレでした。


小和田教授は 来年三月に定年だそうで、これから三月までが最後の授業になるのでラッキーだと学生さんが教えてくれました。先生の講義は良く透る声で、聞き取り易くその内容の面白い(興味深い)こと、例えば「歴史は勝者の都合の良い書き方をしているので、敗者の側の事も考証しなければいけない」と言った具合で、これから歴史の裏側の話なども聴けそうで楽しみです。


今日の面白い講義の内容は明日纏めた上でブログアップします。