ならなしとり

外来生物問題を主に扱います。ときどきその他のことも。このブログでは基本的に名無しさんは相手にしませんのであしからず。

カマキリの積雪予測と科学のシステム

2010-08-18 08:21:55 | いい加減なモノ
 お待たせしました。今回はオオカマキリ(以下カマキリ)は積雪を予測して卵を産むという俗説を検証したいと思います。この俗説がいつからあったか正確には思い出せないのですが、酒井與喜夫、湯沢昭「カマキリが高い所に産卵すると大雪は本当か」、日経サイエンス、1997年5月とありますので、10年前にはすでに広まっていたのではないでしょうか。高くてかさばる本を買うのもバカらしいので、今回は論文を取り寄せました。取り寄せたのは「地理的特性を考慮した最大積雪予測の実際‐カマキリの卵ノウ高さによる方法‐」です。この論文によれば、ここで使ったデータは、最大積雪深に関しては新潟県の報告書を使い、カマキリの卵に関するデータは著者らがフィールドで観察したもののようです。ただし、著者らは雪に埋もれるような低木や草に生みつけられた卵嚢はカウントしていません。さらに、調査対象は樹高が6~7m以内の杉のみです。
正直、フィールドワークとしてどうよと思いますよこれは。まず、カマキリが卵を産むのって杉だけじゃないですよね。サンショウやススキ、ノイチゴなんかにも産みつけます。これを批判している安藤喜一氏の青森県での調査によれば、カマキリは主にヨモギやナワシロイチゴ、オギ、ススキに卵を産み、杉はほとんど利用していないようです。杉だけ調べるってこの時点でサンプル偏ってませんか?カマキリで予測するというならカマキリの生態を反映したものにしないと。せめてこの地域では杉がよく利用されているとかのデータを出さないと意味がないです。この論文には書かれていませんが、どうやら著者らは雪の下に生みつけられた卵は死んでしまうと思っていたようです。だったらその思いつきからまず検証しなさいよ。この思いつきもやはり安藤喜一氏によって検証され、3ヶ月雪に埋まっていた卵でも25℃に加温したところほぼすべて孵化し、生存率も雪に埋もれていない場合とほぼ同等というデータが得られています。
 次に得られたデータの著者らの解釈を紹介します。これについては統計に関する知識が乏しいので僕の見解は示しません。
まず、著者らは、得られた高さのデータを3つに分けています。「高さ1」が卵の自然な状態における地上高です。「高さ2」が卵が付着している杉の木の枝を折れない程度に引き下げた状態での地上高です。これは積雪により枝が下がることを考慮しているとあります。「高さ3」が「高さ2」にいくつか補正を掛けたものです。式としては、
「高さ3」=(補正1)×(補正2)×(補正3)×(補正4)×(高さ2)
として計算したとあります。ここでの補正とは、補正1が吹きだまり、吹きさらしによる補正係数、補正2が樹高による補正係数、補正3が斜面方位角による補正係数、補正4が斜面傾斜角による補正係数となっています。こういった補正を何重にも重ねたうえで統計的に有意というのが意味があるのか僕には判断できませんが、安藤喜一氏は実際の高さに、樹高1mを基準として、樹高が1m増すごとに高さをさらに10%ずつ加算するという、科学分野ではやってはならない比較をおこなっていると批判しています。この加算というのは補正2のことです。
 個人的にダメと考えるのは、繁殖という適応度が一番左右される現象に進化生物学の視点を持ち込まなかったことです。それができれば、「雪の下の卵が死んでたら、そんなとこに生むカマキリはすぐに淘汰されていなくなるんじゃね?一度死ぬのかどうか検証してみよう」となるはずで、それをやらずに目に見えるものだけに飛びついたのが間違いの始まりでしょう。そして、サンプリングが偏っている以上、幾ら補正を駆けて統計的に有意といっても無駄なわけで、意味ないですね。
結局のところ、これは新たな仮説を出して、それが検証され否定されたという通常の科学のシステムに沿ったものです。


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1 コメント

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やっぱりね。 (ぴかぶうの雇い主)
2011-12-07 08:44:41
「雪の中だから寒くて死にそうだし…」というのは、自分自身も含めてどちらかといえば温暖な地域に育った人の発想かもしれませんね。「かまくら」「雪室(ゆきむろ)」に見られるように、雪は良好な保温材ですから。

高山帯でも積雪下の地面の土は凍らず、ライチョウは保温のために頭まですっぽりと雪中に潜り、極寒に耐えるはずの常緑樹のハイマツでさえ、少雪の冬には露出した枝の葉が広範囲に枯れてしまいます。また、うろ覚えではありますが、越冬する蛾(または蛾の卵)が凍らないのは、体内の「グリセリン」によるものだ、との記述を読んだ記憶があります。

身近な俗説や、いい加減さ漂う言説に着目して、正面から異論や批判をして行くこのブログの存在は貴重です。感情的な反論中傷も「人間ウォッチング」として面白い。そして記事には資料的価値もありますね。では。
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